試合会場でいろいろな人を見るが、若い人と年配の人はそもそもフォームが違う場合が多い。
若い人のフォームは姿勢が低く、スタンスもしっかりととっていて、体を効率的に使っており、プロのような打ち方をする(見た目は)。しかし、悪く言えば無個性で、みな同じようなフォームである。一方、年配の人はクセのあるフォームの人が多く、棒立ち、手打ちに近い人も珍しくない。

しかし、そのきれいなフォームの若者がクセの強いフォームのオジサンに負けてしまうことも珍しくない。若者が中陣から放ったきれいなスピードのあるドライブをオジサンがカウンタースマッシュで無残に迎撃してしまったりするのである。台上でちょっと浮いたボールもオジサンにいきなりスマッシュされてしまうと、ドライブに慣れている若者には取り付く島もない。ときどきこういう現代卓球をあざ笑うかのようなオジサン卓球というものを目のあたりにすることがある。

america
「アメリカの卓球大会で優勝してみた!!」
https://www.youtube.com/watch?v=qpjIYUL1Xu8
ロスアンジェルスの卓球大会の様子を見ると、我流の卓球でも強いオジサンがアメリカにもたくさんいるようだ。

私の周りにもこの手のオジサンはたくさんいるが、私の知っている範囲でいうと、卓球雑誌や卓球動画を熱心にフォローするよりも、試合が大好きで、実戦の中から自分なりの必勝パターンを作り上げている人が多いように感じる。

私には理解できない、どうしてプロの指導者が築き上げた卓球理論を熱心に学んでいる人が、我流のオジサンに敗れてしまうのか。

私は打ちミスをしたとき、「姿勢が高かった」とか「手打ちだった」とか「足が動いていなかった」とか言って反省する。我流のオジサンの場合は姿勢や体の使い方を反省することが少ないように思う。「ボールの芯を捉えていなかった」とか「打つタイミングが遅かった」とか「弱気だった」とか。我流オジサンからそういう反省の言を聞いたことがある。体の使い方をあまり反省しないのにミスが少ないというのは不思議である。

では我流オジサンが社会人で最強かというと、そんなことはなくて、学生時代に基礎をしっかりと身に付けたような正統派プレーヤーにはやっぱり勝てないように感じる。つまり我流卓球には限界があるのである。

地方の中級者のレベルでは我流卓球が猛威を振るい、それ以上の全国レベルになると、正統派卓球が勝利するように思うのである。ここから導き出せる仮説は、我流卓球のほうが卓球のより根源的なものを捉えていて、正統派卓球は我流卓球の基礎の上に築かれた贅沢品というものである。

強い我流卓球とはいったい何なのだろうか?我流といってもいろいろなタイプがいるので、ひと括りにはできないが、私がよく見る、日ペン片面裏の強いオジサンを例にして考えてみる。

オジサン卓球ではできることが限られており、台上はツッツキかストップ、バックは基本的にショート、フォアはときどきループドライブを使うが、基本的にミート打ちかスマッシュ。この技術が限られているというのがポイントである。できることが限られている分、それぞれの質が高いのである。レシーブはミスが少なく、ショートは鉄壁で、スマッシュの精度が高い。そして反応が早い。いろいろな技術を駆使できる人は、迫ってくるボールに対する選択肢が多いため、反応が遅れがちである。オジサン卓球は、低ければつっつくし、高ければスマッシュ。打たれたらショート、のように手札が少なく、また前陣にいて、回り込みなどはしないので、ほとんどのボールが手の届く範囲にあるから、次に何をすべきか迷うこともないため時間的な余裕があり、相手のボールを待ち構えるのに適している。待ち構えているから振り遅れなどのミスが必然的に少なくなり、ボールが少し浮いたとたんにスマッシュを打たれてしまう。

私の考える我流オジサン卓球の典型というのはこういうものである。必要なものだけを残してその質を高めるという、いわば卓球ミニマリストである。

このような卓球を見ると、卓球というのは、こういうシンプルな考え方をもっと重視すべきではないかと思えてくる。ツッツキ、ショート、スマッシュの質が低いうちに両ハンドドライブなどを中途半端に使っても、基本を押さえた我流卓球には通用しないのではないかと思う。