しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




2021年10月

スイングが途中で止まらないように、あるいはスイング後にニュートラルの位置にラケットが常に戻るようにスイングは一筆書きのように動かすといいと聞いたことがある。

一筆書き

そういえば、ひらがなのくずし字というのも、一筆書きのようなものだよなぁ。

「た」 「た」
「つ」 「つ」
「き」「き」
「う」「う」

こんな流麗な文字が書ければ、文字を書くのが楽しくなるだろうなぁ。いちいちケータイのメモ帳のようなアプリを立ち上げて、小さいボタンをポチポチ押すよりも、紙のメモ帳にサラサラと走り書きできたほうが風流である。あ、でも、最近のケータイは手書きの文字をそのまま保存できたりするのかもしれない。が、紙のメモ帳に予定やら、イラストやら、メモやらをいっしょくたに書き込んで、見開きで一望できるというのは紙媒体の長所である。

シェークに比べて、ペンはこの一筆書きスイングに親和性が高いのではないだろうか。なんてったって「ペン」なのだから。

私たちは小学生のころから長年文字を書く練習を繰り返し、成人した後も、毎日のように文字を書き続けている。文字を書くことは、もはや息を吸ったり、歩いたりするぐらい当たり前のことで、身体の最も奥深いところに染みついている技のはずである。したがって細かく、正確に力強く手を動かすことが可能である。この動きは卓球をするときも応用されているにちがいない。

しかし、困ったことがある。私たちの日本人の書記運動は、原則的に左から右へ、上から下へ、という方向に特化している点である。漢字・かなを問わず、右から左へ、下から上へという動かし方には慣れていない。ローマ字なら、CとかSは右から左という反則的な要素が入っているが、それでも大多数は左から右へ、である。たとえば左から右へ長い棒線を描く場合と、右から左へ長い棒線を描く場合を比べてみるといい。前者の方が歪みが少ないはずである。

これを卓球の手の動きで考えてみると、バックハンド(除表面ショート)は原則通りの動き方(左から右へ)になる。よって台上の細かい手の動き(フリックやチキータ)なども、バックハンドはやりやすい。自分のイメージしたとおりに手が動く。問題はフォアハンドである。フォアハンドはどうしても反則的な動かし方(右から左へ)が要求される。したがって力が入りにくく、動きの正確性もバックハンドには及ばない。フォアフリックが難しい原因の一つは、この反則的な手の動かし方を要求されるからではないだろうか。

フォアフリックを手(=手首から先)を使って打とうとすると、あまり感覚がなくて、力が入りにくい。そこでフォアフリックは手首を固定して、前腕+肘を意識して打つようにしたらどうだろうか。

ツッツキも、フォアツッツキは難しい。これも手を使うと細かい調整ができないので、手を固定して前腕で打つようにしたい。

逆チキータは原則的な動きだが、横回転チキータは反則的である。一般的には逆チキータの方が高等技術とされているが、むしろ逆チキータの方が習得が容易かもしれない。

冒頭でスイングは一筆書きのように、と述べたが、これもフォアハンドに比べて、バックハンドのほうがやりやすく感じる。

以上、日本人の書記運動の習慣から、手(「腕」ではない)を使った卓球のショットについて考察してみた。腕および体幹の力が入るのは、言うまでもなくフォアハンドである。それに対して手の力が入るのはバックハンドのほうである。ここから導き出せる仮説は、フォアハンドでは手を固定してあまり使わず、バックハンドでは手をできるだけ使った方がいいのではないかというものである。

【追記】
もしかしたら左利きの人は、バックフリックよりもフォアフリックの方がやりやすいということがあるのだろうか?

最近のアニメはなんであんなに異世界ものばかりなんだろう?

無職転生

今の世の中が閉塞感に満ちていて、現実逃避したいという人々の無意識の欲求を反映しているのかもしれない。

「ロールプレイング・ゲームという、とんでもなく面白いゲームがあるらしい。」

そんなことを子供の頃に聞いて、どうしてもやってみたくなった私は、苦労した末に「ブラックオニキス」という当時最も人気のあったRPGをプレイすることに成功した。今から考えると、5インチのフロッピーディスクというメディアも、相当ローテクだが、当時はカセットテープ版のゲームも少なくなかった。

ブラックオニキス

ヨーロッパ中世っぽい世界観と味気ない3D画面。

「装備」「経験値」「パーティー」「ダンジョン」「セーブ」「病院」「買い物」「レベルアップ」…

何もかもが新しかった。こんな面白いゲームがあるなんて。それからウィザードリーやファンタジアン等、より複雑なRPGにも楽しませてもらった。

それから数十年、オジサンになった私は相変わらずRPGをやっている。

ドライブマンはウィザードだろうか。ミート主体のペン表やシェークフォア表はファイターかな。カットマンはモンクで、ペン粒はシーフといったところだろうか。といってもカットマンなのに攻撃魔法が使えたり、ペンドラの中にはファイターに近い人もいるだろう。こういう仲間とパーティーを組んで、団体戦に出たり、練習したりするのは本当に楽しい。装備をいろいろ変えてみたり、酒場で情報交換や新しい仲間を見つけたり。大会でレベルの高いパーティーに出くわして、全滅してしまったり。新しい技や魔法を覚えたり。

卓球とRPGは共通点が多い。どちらも人を夢中にさせる要素を数多く備えている。

現実世界ではこれといっておもしろいことも起こらないが、卓球では毎回レベルアップして、新しい自分の能力を実感することができる(伸びしろだけは大きいので)。RPGも自分のレベルが低く、すぐにレベルアップできる時期が一番楽しい。

…などと昔のことを思い出していたら、なんともとりとめのない文章になってしまった。

人類の叡智の粋を集めた義務教育。そこで学ぶ内容は奥深く、より高度な学習の礎ともなるべきものである。といっても、それを十分に消化吸収できる生徒は極わずかだろう。

中年になって小学校や中学校の教科書を改めて目にしてみたら、そのおもしろさ、深さに好奇心を搔き立てられた。しかも子供でも理解しやすいように簡潔に分かりやすく説明されている。自分も子供の頃、同じような内容を習ったはずだが、全く覚えていない。全内容の1/10どころか、1/100も頭に残っているか怪しいものだ。もちろん、これらの内容は脳内の無意識の領域にはある程度残っているのだろうが、意識して思い出せることはほとんどない。

同じようなことが卓球の技術記事や動画にも言えると思う。

そこで説かれていることは卓球に人生を捧げた選手や指導者の深い洞察である。そして私たちはそのような知見を雑誌やネット、DVD等で手軽に見聞きすることができる。これらをたくさん視聴すればするほど私たちの卓球に対する考え方や技術は成熟し、右肩上がりで上達するはずである。が、現実はそうはならない。ほとんどの人はこれらの有意義な情報をいくら頭に入れても、1/100も残らないのが普通だろう。私などは、毎日何らかの卓球情報(雑誌記事や動画)に触れているのだから、他の人よりもずっと上達していていいはずである。しかし、不思議なことにちっとも上達していない。

それに対して大学生までガッツリ卓球をやった(元)上級者は、卓球動画なんか一切観ない人が多い。彼らはたいてい卓球に対する興味が薄れてしまっている。ラバーは1年以上替えないし、月にせいぜい2~3回しか練習しない。「練習や試合より、その後の飲み会の方が楽しみ」という人も多い。戸上隼輔も、安藤みなみも、英田理志も、橋本帆乃香も知らない。ついでに言うと、用具のことも知らない人が多い。

九州アスティーダ
Tリーグ10/16(土)の試合
橋本帆乃香選手 対 南波侑里香選手の対戦、すごい熱戦だった!


卓球の情報量でいえば、私はそういう(元)上級者に講釈できるほどである。(元)上級者の卓球知識が小中学生の教科書レベルであるとしたら、私の卓球知識はいわば百科事典レベルである。しかし、卓球の実力差で言えば、大人と子供なのである。もちろん子供は私のほうである。

どうして私は卓球技術情報にいくら触れても上達しないのか。内容が悪いということは考えにくい。その多くはプロの指導者や上級者が発信しているからだ。私も目が肥えているので、多くの卓球情報の中から触れる情報を厳選している。それなのになぜ卓球技術が身に付かないのか。メディアから得る卓球情報というのは、結局のところ「借り物」の知識だからだろう。

小学生や中学生はまだ社会にも出ていないし、学問に触れることもない。そのような子供たちに高尚な知識を与えても、理解できない。頭では理解するかもしれないが、それが実感を伴って自分の血肉になるということはほとんどない。同様に私たち卓球の初中級者は、いくら高度な卓球知識に触れても、そこで解説されている技術が自分の血肉になるということはほとんどない。経験が圧倒的に足りないからである。

たとえば「卓球は下半身が最も大切だ」と言われても、ポジショニングや打球時に下半身を活用するということなんだろうなと頭では理解できるものの、その理解が自分の卓球を大きく変えることにはならない。その情報の内実を埋めるだけの練習や試合の経験がないからである。一つの有益な知識を身につけるために多くの練習が必要であるにも関わらず、十分消化しないまま、次々と新しい情報を仕入れてくるから私は頭でっかちで、安定して身についている技術が少ないというわけである。私の技術の中で本当の意味で身に付いていると言えるのは、自分で「発見」したことだけだ。そして「発見」したときにすべてが腑に落ちるのである。「卓球DVDで解説されていたことは、つまりこういうことだったのか!」と。頭では分かっていたが、本当の意味ではちっとも分かっていなかったと、その時悟るのである。

卓球技術情報というのは、練習問題の答えのようなものである。問と正答をみて、「ふ~ん、なるほど」と理解したつもりになっていても、本当の意味では理解していない。実際にテスト(あるいは現実社会)で類問に出くわして、苦心惨憺した末に自分の頭を使って解答にたどり着くという経験なしには決して身に付かないのである。


常々思っているのだが、ツッツキって地味な技術だなぁ。
そのツッツキをめぐって、私の周りの狭い範囲に限定して考察する。考察対象の卓球人のレベルは言うまでもなく低い。

世間では「ツッツキの精度が勝敗を左右する」などと言われており(?)、上手な人はその効果を理解しているが、私の周りではみんなツッツキを練習したがらない。地味だからである。特に若者は「ツッツキするぐらいなら、ミスしてもいいから豪快にバックドライブを振りたい!」とばかりにバックドライブやチキータの練習に精を出す人が多い。私もその例にもれず、バックドライブ派なのだが、対下回転のバックドライブが何年たっても安定しないので、さすがに宗旨替えを検討している。

バックドライブを受ける方もたいてい同じ意識で、「バックドライブ>>ツッツキ」である。こちらからバック側に下系のサーブを出して、相手がバックドライブを振ってくると、

「おっ!ここへの長いサーブは危険だ!」

などと警戒して短いサーブ主体に切り替えてしまう。実際には、私の周りにいるレベルの人たちの対下回転バックドライブの入る確率は半分以下であるにもかかわらずである。

逆に相手がツッツキしてくると、「なんだ、バック側へのサーブは打ってこないのか。ここは安全だ」などと安心しきっている。

しかし、最近気づいたのだが、上の認識は間違いで、バックドライブを相手にどんどん打たせるようなサーブを出した方が試合では有利なのである。相手がミスを連発してくれるからである。むしろドライブではなく、ツッツキで返されると、簡単に得点にならないので、バック側へのサーブをツッツキで返される方がやっかいである。

幸い、私の周りにはツッツキを磨こうとする人はほとんどおらず、いつまでも5割近くミスをしながら下系のロングサーブを果敢にバックドライブで決めに来る人がほとんどである。しかし、私は気づいてしまった。下系のサーブをバックドライブで厳しく迎撃するのは私にはほぼ無理だということに。ただ入れるだけのバックドライブならかなりの確率で入るのだが、前に振る厳しいバックドライブは私にはどうやら無理のようである。それよりも、下系のボールに対してはツッツキ(あるいはストップ)で対応したほうがミスが少なく、得点になりやすい。逆にこちらが厳しいツッツキをバックに送ったら、今度は相手はそれをバックドライブで無理に打とうとしてミスしてくれる。たまたま相手の鋭いバックドライブが入ったとしても、せいぜい2本に1本だし、コースも読みやすく、台からちょっと距離を取ってブロックすれば、たいてい止められる。

対下バックドライブなんてそうそう打てるもんじゃない。それよりも、攻撃的なツッツキを磨いた方が勝てる可能性が高い。

先週末のTリーグ、日本ペイント・マレッツ 対 九州アスティーダの試合で小塩遥菜選手の横(上)回転ツッツキの威力に瞠目させられた。これができたら、相当な武器になるに違いない。

横ツッツキ
逆チキータではなく、横回転、あるいは横上回転ツッツキ

小塩選手のツッツキは、ツッツキにしては派手なので、バックドライブ派の人も「これなら練習に値する」と納得すること請け合いである。


アマプラでTリーグを観ていたら、解説の渡辺理貴氏がこんなことを言っていた。
距離感

「卓球自体が位置取りのスポーツって言われてますから、この位置取りをしっかり取れると…逆に取られると、相手は厳しいですね。」(9/22 木下 対 彩たま の1試合目、ダブルでのコメント)

渡辺氏は、他の日の対戦でも同様のコメントをしていて、それがずっと頭に残っていた。

「卓球は時間を奪い合うスポーツ」というのはよく聞くが、「卓球は位置取りのスポーツ」というのはあまり聞いたことがない。渡辺氏の持論なのかもしれない。

「今は、彩たま側がずっとパワーの形で点数を取っていますよね。先手を取っているように見えるのは木下側なんですけど、(彩たまは)いい距離感を取れてますよね。このボール(木下がツッツキを先にバックドライブで起こして攻撃)に対しても、上田が(台から適度な距離を取って)きっちり自分のタイミングで打てる距離感…(でカウンター強打している)。」

ラリーで先手を取ることは有利だとされているが、たとえこちらが先手を取ったとしても、打った先に相手側が適切なポジショニングで待っていたら、逆に相手の方が優位に立てるということである。相手より優位に立つためには先手を取るよりもむしろ相手に適切なポジションを取らせないことのほうが重要なのである。

「相手に時間を与えないことが大切だ」

とはよく言われることだが、実戦でのプレーにおいては、時間よりも位置の方が優先順位が高いかもしれない。ただし、ふつうは「時間がなくて位置がとれない」のように両者が不可分の場合が多いだろう。

我々中級者は、打つ前に、まず位置取りを考えるという意識が希薄な人が多いのではないだろうか。

ボールが来たら、私はまず「どうやって、どこに打とうか」と考えてしまうのだが、これは短絡的だろう。引っ越しをして、家具を新調する場合、「どんなデザインがこの部屋に合うだろうか」「色と壁紙の調和はどうか」などと熟考を重ねて選んだ家具が、結局玄関から入らないサイズだったというようなものである。家具を新調する場合、その家具が階段や玄関を通るサイズかどうかこそが最も優先されるべきである。いくら素晴らしいデザインの箪笥や本棚でも、部屋に入らなかったら意味がない(数十年前の話だが、私は自宅の2階に卓球台を搬入しようして絶望したことがある)
それと同様に卓球で相手が返球してきたら、「どんなショットを打とうか」と考えるのではなく、まず遠慮(文字通りの意味で)して、「自分の立つ位置はどこに取ろう?」と考えてから、その次に「どんなショットを打とうか」と考えるようにすれば、フットワークがよくなり、十分な体勢で打つことができる。その結果ミスが大幅に減るはずである。


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