テーマを決めて、構成を考え、主張を展開するというやり方は、読者にとって親切であると言えるが、そんな記事ばかりだと、書くほうも読むほうも疲れてしまうと思うのである。
読者それぞれが自身のテーマを掘り下げるきっかけとなるような材料を提供することさえできれば、それで十分なのかもしれない。
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しょうじょう‐こんじょう【小乗根性】
「小乗仏教」というのは大乗仏教の人たちが使った貶称だそうで、正しくは「上座部仏教」というらしい。上座部仏教は釈尊の時代の考え方を守る保守派で、大乗仏教は高い理想を掲げる新しい、リベラルな宗派であったようだ。
学生時代に哲学の先生に「このぐらい読んでおけ!」と言われたが、いまだに読んでいないことを思い出した。
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老若男女、いろいろな人が集まる社会人の練習には、いろいろな人がいて、それぞれの価値観や考え方が違うので、気をつかう。
世人の多くは小乗根性である。私もその例にもれず「自分が上達したい」という思いで練習に励んでいる。したがって自分よりも上手な人と練習したい。自分より明らかに下手な人と練習しても、あまり練習にならないからである(意識次第で格下との練習も有意義になるとは言われるが)。
そうかといって全国大会出場を目指してしのぎを削っているような層と練習するのは気が引ける。練習で要求されるレベルが高いからである。すごい威力のドライブをガンガン連打する人が「ブロックで3点に回してください」などと普通に言ってくる。1コースで返球するのがやっとのとんでもないスピードのドライブを、フォア、ミドル、バックに打ち分けて返球するなんて私には無理である。それでバック、ミドル、ミドル。バック、フォア、ミドルなどと不規則に返球してしまい、挙句にミスを連発すると、「チッ、これじゃ練習にならねーよ」といった態度を取られる。
こんな上手な人と練習するのは気まずくなるばかりだ。もう少し低いレベルの人と練習したい…
立場を変えて、自分が初級者ぐらいの人に練習を申し込まれたとき、相手は「当然、こちらがどんなボールを打っても、優しく返してくれるよね?」という態度で、強打を打ちまくってくる人が多い。話してみると、温和で常識的な人なのだが、「車のハンドルを握ると人が変わる」という人と同様、ラケットを握ると人が変わり、やたらと攻撃的になる。続けようという意識が希薄で、何とか打ち抜いてやろうという気持ちが強く、難しいボールでもムチャ打ちばかりして、ミスばかりである。強打が始まると、5本中1本程度しか入らない。「チッ、これじゃ練習にならねーよ」。
やはり、レベルの離れた相手と練習するのは、お互いにとっていいことなしなのだろうか。レベルにかかわらず、いろいろな人と練習して、みんなで上達するという大乗的な考え方は理想的に過ぎるのだろうか。
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Nさんは、社会人になってから卓球を始めた人で、オープン戦に出たら、一番低いレベルのリーグで勝ったり負けたりするようなレベルである。私の見立てでは、初中級者である。
Nさんからみると、私は「上手な人」に分類されると思う。たとえ実力差があっても、私はNさんと練習するのが嫌いではない。
Nさんは自分の実力以上のショットを打とうとしない。自分の実力を知っていて、自分の実力で入る確率が50%程度の技術を熱心に練習している。たとえばツッツキ打ちである。ツッツキをドライブで持ち上げてから、こちらのバック対オールという練習などは楽しい。Nさんはラリーになっても無理せず5~6割程度の力でこちらのバック側に返してくれる。心地よいラリーが往復3~4本続く。しかも、こういう人と打っていると、できるだけ打ちやすいボールを返そうと、ボールコントロールに集中できるので、こちらの練習にもなる。こういう人と打っていると、私も大乗的な気分になってくる。
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とある卓球場で、お年寄りが個人レッスンを受けていた。
レベル的には初級者といった感じだった。
女性の先生はとても愛想がよく、お年寄りが良いショットを打つたびに「そうそう!」「すごい上手ですよ~」などと合いの手を入れてくれる。そのお年寄りも嬉しそうに伸び伸びとプレーしているように見えた。レッスンが終わった後も、しばらく世間話をしていた。女性の先生は聞き上手だったので、お年寄りも思わず饒舌になってしまったようだ。
またある時は、同じようなレベルのお年寄りが男性の先生のレッスンを受けていた。
男性の先生は、的確にミスの原因を指摘し、豊富な経験に基づいた指導を行っていた。
指導内容はとてもよかったのだと思う。ただ、雰囲気作りは女性の先生ほど上手ではなかったように感じた。お年寄りの表情は終始硬かった。レッスン後、お年寄りは、おしゃべりもせず挨拶だけして帰っていった。
どちらの先生がいいのかは、人の好みだと思うが、女性の先生の方が人気が出そうな気がする。男性の先生のレッスンを受けたお年寄りは「こんなにレベルの低い生徒だったら、先生も張り合いがないだろうな」とか「もっと若い人を教えたいだろうな」などと引け目を感じていたかもしれない。
読者それぞれが自身のテーマを掘り下げるきっかけとなるような材料を提供することさえできれば、それで十分なのかもしれない。
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しょうじょう‐こんじょう【小乗根性】
大乗の菩薩が他の人の救済を先とするのに対し、小乗の人が自分ひとりの悟りを主とする、その利己的な性質のこと。 『仏教語大辞典』より
「小乗仏教」というのは大乗仏教の人たちが使った貶称だそうで、正しくは「上座部仏教」というらしい。上座部仏教は釈尊の時代の考え方を守る保守派で、大乗仏教は高い理想を掲げる新しい、リベラルな宗派であったようだ。
学生時代に哲学の先生に「このぐらい読んでおけ!」と言われたが、いまだに読んでいないことを思い出した。
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老若男女、いろいろな人が集まる社会人の練習には、いろいろな人がいて、それぞれの価値観や考え方が違うので、気をつかう。
世人の多くは小乗根性である。私もその例にもれず「自分が上達したい」という思いで練習に励んでいる。したがって自分よりも上手な人と練習したい。自分より明らかに下手な人と練習しても、あまり練習にならないからである(意識次第で格下との練習も有意義になるとは言われるが)。
そうかといって全国大会出場を目指してしのぎを削っているような層と練習するのは気が引ける。練習で要求されるレベルが高いからである。すごい威力のドライブをガンガン連打する人が「ブロックで3点に回してください」などと普通に言ってくる。1コースで返球するのがやっとのとんでもないスピードのドライブを、フォア、ミドル、バックに打ち分けて返球するなんて私には無理である。それでバック、ミドル、ミドル。バック、フォア、ミドルなどと不規則に返球してしまい、挙句にミスを連発すると、「チッ、これじゃ練習にならねーよ」といった態度を取られる。
こんな上手な人と練習するのは気まずくなるばかりだ。もう少し低いレベルの人と練習したい…
立場を変えて、自分が初級者ぐらいの人に練習を申し込まれたとき、相手は「当然、こちらがどんなボールを打っても、優しく返してくれるよね?」という態度で、強打を打ちまくってくる人が多い。話してみると、温和で常識的な人なのだが、「車のハンドルを握ると人が変わる」という人と同様、ラケットを握ると人が変わり、やたらと攻撃的になる。続けようという意識が希薄で、何とか打ち抜いてやろうという気持ちが強く、難しいボールでもムチャ打ちばかりして、ミスばかりである。強打が始まると、5本中1本程度しか入らない。「チッ、これじゃ練習にならねーよ」。
やはり、レベルの離れた相手と練習するのは、お互いにとっていいことなしなのだろうか。レベルにかかわらず、いろいろな人と練習して、みんなで上達するという大乗的な考え方は理想的に過ぎるのだろうか。
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Nさんは、社会人になってから卓球を始めた人で、オープン戦に出たら、一番低いレベルのリーグで勝ったり負けたりするようなレベルである。私の見立てでは、初中級者である。
Nさんからみると、私は「上手な人」に分類されると思う。たとえ実力差があっても、私はNさんと練習するのが嫌いではない。
Nさんは自分の実力以上のショットを打とうとしない。自分の実力を知っていて、自分の実力で入る確率が50%程度の技術を熱心に練習している。たとえばツッツキ打ちである。ツッツキをドライブで持ち上げてから、こちらのバック対オールという練習などは楽しい。Nさんはラリーになっても無理せず5~6割程度の力でこちらのバック側に返してくれる。心地よいラリーが往復3~4本続く。しかも、こういう人と打っていると、できるだけ打ちやすいボールを返そうと、ボールコントロールに集中できるので、こちらの練習にもなる。こういう人と打っていると、私も大乗的な気分になってくる。
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とある卓球場で、お年寄りが個人レッスンを受けていた。
レベル的には初級者といった感じだった。
女性の先生はとても愛想がよく、お年寄りが良いショットを打つたびに「そうそう!」「すごい上手ですよ~」などと合いの手を入れてくれる。そのお年寄りも嬉しそうに伸び伸びとプレーしているように見えた。レッスンが終わった後も、しばらく世間話をしていた。女性の先生は聞き上手だったので、お年寄りも思わず饒舌になってしまったようだ。
またある時は、同じようなレベルのお年寄りが男性の先生のレッスンを受けていた。
男性の先生は、的確にミスの原因を指摘し、豊富な経験に基づいた指導を行っていた。
指導内容はとてもよかったのだと思う。ただ、雰囲気作りは女性の先生ほど上手ではなかったように感じた。お年寄りの表情は終始硬かった。レッスン後、お年寄りは、おしゃべりもせず挨拶だけして帰っていった。
どちらの先生がいいのかは、人の好みだと思うが、女性の先生の方が人気が出そうな気がする。男性の先生のレッスンを受けたお年寄りは「こんなにレベルの低い生徒だったら、先生も張り合いがないだろうな」とか「もっと若い人を教えたいだろうな」などと引け目を感じていたかもしれない。