しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




2021年05月

テーマを決めて、構成を考え、主張を展開するというやり方は、読者にとって親切であると言えるが、そんな記事ばかりだと、書くほうも読むほうも疲れてしまうと思うのである。

読者それぞれが自身のテーマを掘り下げるきっかけとなるような材料を提供することさえできれば、それで十分なのかもしれない。

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しょうじょう‐こんじょう【小乗根性】
大乗の菩薩が他の人の救済を先とするのに対し、小乗の人が自分ひとりの悟りを主とする、その利己的な性質のこと。 『仏教語大辞典』より

「小乗仏教」というのは大乗仏教の人たちが使った貶称だそうで、正しくは「上座部仏教」というらしい。上座部仏教は釈尊の時代の考え方を守る保守派で、大乗仏教は高い理想を掲げる新しい、リベラルな宗派であったようだ。

大乗起信論
学生時代に哲学の先生に「このぐらい読んでおけ!」と言われたが、いまだに読んでいないことを思い出した。
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老若男女、いろいろな人が集まる社会人の練習には、いろいろな人がいて、それぞれの価値観や考え方が違うので、気をつかう。

世人の多くは小乗根性である。私もその例にもれず「自分が上達したい」という思いで練習に励んでいる。したがって自分よりも上手な人と練習したい。自分より明らかに下手な人と練習しても、あまり練習にならないからである(意識次第で格下との練習も有意義になるとは言われるが)

そうかといって全国大会出場を目指してしのぎを削っているような層と練習するのは気が引ける。練習で要求されるレベルが高いからである。すごい威力のドライブをガンガン連打する人が「ブロックで3点に回してください」などと普通に言ってくる。1コースで返球するのがやっとのとんでもないスピードのドライブを、フォア、ミドル、バックに打ち分けて返球するなんて私には無理である。それでバック、ミドル、ミドル。バック、フォア、ミドルなどと不規則に返球してしまい、挙句にミスを連発すると、「チッ、これじゃ練習にならねーよ」といった態度を取られる。
こんな上手な人と練習するのは気まずくなるばかりだ。もう少し低いレベルの人と練習したい…

立場を変えて、自分が初級者ぐらいの人に練習を申し込まれたとき、相手は「当然、こちらがどんなボールを打っても、優しく返してくれるよね?」という態度で、強打を打ちまくってくる人が多い。話してみると、温和で常識的な人なのだが、「車のハンドルを握ると人が変わる」という人と同様、ラケットを握ると人が変わり、やたらと攻撃的になる。続けようという意識が希薄で、何とか打ち抜いてやろうという気持ちが強く、難しいボールでもムチャ打ちばかりして、ミスばかりである。強打が始まると、5本中1本程度しか入らない。「チッ、これじゃ練習にならねーよ」。

やはり、レベルの離れた相手と練習するのは、お互いにとっていいことなしなのだろうか。レベルにかかわらず、いろいろな人と練習して、みんなで上達するという大乗的な考え方は理想的に過ぎるのだろうか。

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Nさんは、社会人になってから卓球を始めた人で、オープン戦に出たら、一番低いレベルのリーグで勝ったり負けたりするようなレベルである。私の見立てでは、初中級者である。

Nさんからみると、私は「上手な人」に分類されると思う。たとえ実力差があっても、私はNさんと練習するのが嫌いではない。

Nさんは自分の実力以上のショットを打とうとしない。自分の実力を知っていて、自分の実力で入る確率が50%程度の技術を熱心に練習している。たとえばツッツキ打ちである。ツッツキをドライブで持ち上げてから、こちらのバック対オールという練習などは楽しい。Nさんはラリーになっても無理せず5~6割程度の力でこちらのバック側に返してくれる。心地よいラリーが往復3~4本続く。しかも、こういう人と打っていると、できるだけ打ちやすいボールを返そうと、ボールコントロールに集中できるので、こちらの練習にもなる。こういう人と打っていると、私も大乗的な気分になってくる。

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とある卓球場で、お年寄りが個人レッスンを受けていた。
レベル的には初級者といった感じだった。

女性の先生はとても愛想がよく、お年寄りが良いショットを打つたびに「そうそう!」「すごい上手ですよ~」などと合いの手を入れてくれる。そのお年寄りも嬉しそうに伸び伸びとプレーしているように見えた。レッスンが終わった後も、しばらく世間話をしていた。女性の先生は聞き上手だったので、お年寄りも思わず饒舌になってしまったようだ。

またある時は、同じようなレベルのお年寄りが男性の先生のレッスンを受けていた。
男性の先生は、的確にミスの原因を指摘し、豊富な経験に基づいた指導を行っていた。
指導内容はとてもよかったのだと思う。ただ、雰囲気作りは女性の先生ほど上手ではなかったように感じた。お年寄りの表情は終始硬かった。レッスン後、お年寄りは、おしゃべりもせず挨拶だけして帰っていった。

どちらの先生がいいのかは、人の好みだと思うが、女性の先生の方が人気が出そうな気がする。男性の先生のレッスンを受けたお年寄りは「こんなにレベルの低い生徒だったら、先生も張り合いがないだろうな」とか「もっと若い人を教えたいだろうな」などと引け目を感じていたかもしれない。






「今のドライブ見た!?下半身を使ったら、スピードが段違いだよ!」
「ドライブが軽いって言われるんだけど、どうすればもっと回転がかかるだろう?」

今まで私の関心は主にこういう方向性で、ショットの質を上げるためにあれこれ打ち方を変えてきたが、この方向性は間違いだと気づいた。

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この間、生きのいい中学生と打つ機会があったのだが、滑るような低い弾道の、ものすごいスピードのドライブを打っていた。バックドライブも中陣から器用に打つし、最近の中学生はすごいな、これは手も足も出ないな、と思っていたのだが、ゲーム練習をしてみると、その目にも止まらぬドライブがあまり入らないことが分かった。3本に1本とか、せいぜい2本に1本ぐらいしか入らない。「なんだ、大したことはなかったな」と安堵した。そんなに速くなくても、まったくミスしないドライブの方が私にとっては脅威である。

試合で求められるのは5本中(ほぼ)5本入るドライブである。とはいえ、人間誰しもミスはするものだから、5本中4本入るドライブが最低限の条件なのだ。よくプロの選手とかが新しいサーブや技術を練習していて「まだ試合では使えません」などと言っているのをみたことがある。はたから見ると、ちゃんとできているのに、試合で使えないというのは不可解だったが、おそらく5本中3本しか狙った場所に打てないような技術だったのだろう。私たちはプロではないので、狙った場所に正確に打てなくても、試合で5本中4本以上入れば、合格点だと思う。

しかし、言うは易しである。
試合で5本中、4~5本ドライブを入れるためには、普段の練習でほぼノーミスでなければならない。たとえばフォア打ちならノーミスで往復100本を達成することは、さほど難しいことではない。たとえ相手のボールが定まらず、フォア半面のいろいろなところに来ても、ミスせず対応できるはずである。ワンコースのドライブなら、最低でも30本連続ノーミスで打てなければ不合格である。練習でさえノーミスでできないとなれば、「まだ試合では使えません」。

連続フォアドライブ
いかちゃん卓球道場「目指せ100本…」より
https://www.youtube.com/watch?v=-e-j5reiV-4

試合でドライブが使えないののは、非常に心もとない。なんとしても試合で使いたい。となると、選択肢は2つである。今のスカッと気持ちよく打てる快速ドライブをほぼノーミスになるまで精度を高めるか、はたまた、ドライブの質を落とすかのどちらかである。私には、もちろん後者の方向性しかない。

「軽く打つと、かえってミスるので、全力で打った方が入る」

という人がいる。私もかつてそうだったのだが、これはおかしいと思う。力を抜いて、軽く、優しく打っても入る(下回転がきちんと持ち上がる)ような打ち方でなければ、実戦で8割以上の確率でドライブを入れることなど不可能だと思うのである。力を入れて打たないと安定しないというのは、そもそも打ち方が間違っているのである。

「練習」(コースや球質の決まった練習)と、「試合」(あるいはゲーム練習)との違いは、後者では待たなければならないボールが多岐にわたることである。

「試合」では以下のパラメータに留意しなければならない。

・ボールのコース
・打法(ツッツキ、ドライブ、ミート打ち等)
・ボールの強さ(スピード、や回転量)
・ボールの高さ
・ボールの深さ

「練習」で上のパラメータをすべてフリーにすると、お互いにミスを連発して練習効率が落ちるので、このうちの2つ、あるいは3つぐらいを固定して練習するのが普通だろう。

たとえば、こちらからのフォア前サーブを、相手はこちらのフォア側にフリック、あるいはバック奥にツッツキで、あとはオール。この練習なら「コース」「打法」は固定なので、こちらは3球目をバックドライブか、フォアドライブの2択で待っていればいいことになる。これをほぼノーミスで返球するのは、確かに難しいが、一般愛好家でも不可能ではない。一発で打ち抜くようなドライブではなく、とにかく入れるドライブで、である。とはいうものの、相手もロボットではないので、フォア側にフリックといってもミドルあたりに来ることもあるし、バック奥にツッツキといっても、ギリギリ台から出るようなストップっぽいツッツキを送ってくるかもしれない。それらのイレギュラーなボールも併せて練習では5本中、(ほぼ)5本である。

これが実戦となると、ミドルやバックに鋭いツッツキとか、ストップとか、バック側にナックルフリックとか、こちらが嫌がるボールがいろいろ返ってくる。それにしたがって5択とか6択とかで待たなければならない、というか5択とか6択というのは、もはや「待ち」ではない。とにかく難易度が数倍にはね上がる。これらの多様な返球に対して、ミスなく豪打で打ちぬける人は中級者ではない。中級者はそういう方向性を目指すべきではない(たぶん)。まずは、どんなボールが来ても、ふわっとしたゆるいショットでもいい、とりあえずミスなく入れられるのが最優先である。

以上、中学生とのゲーム練習によって、私が間違った方向性で練習に励んでいたことに気づかされた。いくら鋭いドライブが打てても、3本に1本しか入らないようでは意味がない。打球の威力を追求する前に、他に追求すべき技術がたくさんあったのである。私の今後目指すべき方向性は決まった。とりあえずは対下回転バックドライブの安定性を高めて、試合で使えるようになりたいと思うが、今は封印しておこうと思う。


関西ではもう梅雨に入ったのだという。
朝、起きて鉛色の空に目をやる。
ベランダに出ると、空気が湿っているのが感じられる。
雨も蕭々と降っている。
梅雨である。

曇天


雨のシャーという音はどこから聞こえてくるのだろうか。雨が空気を切り裂く音か…?
空から雨がポツポツと落ちてくる程度なら、音は何も聞こえない。
それらが集まり、何千万、何億と一気に落ちてくることによってあの音が生まれるのだろうか。
交響曲の荘厳な調べは、たくさんの楽器の音の重なりあいから生まれるのだから、この雨音は人為の及ばない、天然の交響曲だと言うこともできよう。

子供のころ、こんな風景を見たことがある。
両親の知り合いの家に泊まらせてもらった時のことだった。
その家は足尾の山の中にあり、そばを渡瀬川が流れていた。
そのため、川の流れるサーという神秘的な音が常に辺りに響いていた。
その日の朝もこんな鉛色の空だった。

渓流のサーという音はどこから聞こえてくるのだろうか。川辺に立った時、聞こえる音は、ジャブジャブ、ゴポゴポという音である。それが数十メートル離れて聞くと、サーという音に変わっている。


10分ほど空を眺めていただろうか。ふっと我に返り、ベランダから部屋に戻る。年を取ると、日常の些細なことが気になったり、昔のことを思い出したりするものだ。

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昨日もKさんにストレート負けだった。どうして負けたんだろう…思い出せない。
脳裏に浮かぶのは、いつもKさんが鮮やかにスマッシュを放つ光景だけである。そこに至るまでの過程は思い浮かばない。なぜ雨音にはいろいろなことが思い浮かぶのに、卓球の試合の内容については何も思い浮かばないのだろうか…。

これではいけないと必死で思い出してみる…台上のボールをフリックされて何度も先手をとられてしまった気がする。が、本当にそれが負けた原因なのか思い出せない。

やっぱり、練習時間が長いと細部が印象に残らない。いや、それ以前に試合中に何も考えずに夢中になってボールを追いかけているのが問題なのである。ボールは追いかけるものではなく、待ち合わせるものである。なぜ待ち合わせでしょっちゅう「行き違い」が起こるのか…。

左右方向の行き違いというのはあまり起こらない。もちろん、こっちが回り込んでいるところをフォアストレートに返球されるといった、時間的にどうしても間に合わない状況というのは起こる。そうではなく、時間的には間に合っているのに行き違いが起こったために、打てるボールが打てなかったということを問題にしたいのである。こういう行き違いは、左右においてはあまり起こらない。むしろ前後の行き違いが多い。

中高生と試合をすると、彼らは上回転の豪快なラリーに慣れているため、こっちがツッツキで粘るとよくミスしてくれる。思ったほどボールが飛んでこないからだと思われる。こういうのも前後の行き違いである。私の場合は逆にツッツキに慣れているので、台上でフリックとかチキータとかをされると、よく詰まってしまう。

前後の行き違いは判断が遅いから起こるのだろう。相手の打球と同時にどの方向にどのぐらいの深さで飛んでくるかをこちらは予測しなければならない。左右の方向の予測はそこそこできているのだが、前後方向の予測が遅いのが問題である。

前後の予測はバウンド位置に注目するのが確実だと思われる。台の中ほどにバウンドしたボールは比較的浅く、前陣のままあまり動かなくても対応できるが、台のエンド近くでバウンドしたボールは中陣まで下がらないと詰まってしまう。ということは前後の深さの予測には2段階あって、まず相手の打ったボールがどの深さでバウンドするかを判断し、そのバウンド位置から最適の打球点を予測しなければならない。1段階目のバウンド位置の予測をすっとばして、2段階目の打球点の予測をしてしまうから、前後の深さのを見誤ってしまうのだと思う。

なんだかとりとめのない文章になってしまった。



とある地域の卓球イベントでのことである。
その日は小学校の体育館を5~6時間開放して、誰でも無料で打ち放題だった。

「3時間じゃ物足りない。4時間ぐらい練習したい。休憩を入れれば5時間もいけるかも?」

ふだんあまり練習時間がとれない社会人なので、今回のように長時間練習できる機会がうれしくてたまらない。飽きるまで練習する、というのは学生にとっては珍しくもないだろうが、社会人にとっては非常にありがたいことである。

相方は私よりも若いので、私のほうが体力的についていけなくなるかも。

が、相方の口から出た言葉は、想定外のものだった。

「練習は、2時間まででいいですか?」

え?何を言っているんだ、この人は。今日は休日で、何時間でも無料で打ち放題なのに、なぜふだんと同じ2時間…?

「2時間以上、練習すると集中力が切れてしまって、グダグダになってしまうんですよ。そうなるぐらいなら、2時間でやめておいたほうがいいかなって。」

えっ2時間以上の練習は意味がないってことか? 練習って、やればやるほど上達するんじゃないのか? 2時間練習するよりも、3時間練習したほうが上達し、3時間よりも4時間のほうが上達する。練習時間は長ければ長いほうがいいに決まっている!

いや、待てよ。もしかしたら長すぎる練習はかえって上達の妨げになるということもあるかもしれない。張本選手は子供のころ、毎日2時間ぐらいしか練習していなかったと聞いたことがある。

食べ放題などでも、吐く寸前までドカ食いをしたら、途中からは味わうどころか胃の違和感との戦いになってしまう。卓球の練習も4時間ぶっつづけというのは途中から惰性になってしまい、気づきもへったくれもなくなってしまうのかもしれない。練習しすぎると頭を使わなくなってしまうのだ。

私の考え方は、ボールは打った数こそが大切で、たくさんボールを打ちさえすれば、身体がそれを覚えてくれて、おのずから上達するという昭和的な考え方である。頭を使って練習するなんてそんな器用なことはできない。相方の考え方は、身体と意識をバランスよく使って練習するのが最も効率がいいというものである。

2時間という限られた時間なので、終わった時には物足りなさが残るだろう。しかし、その分、「ああすればよかった」とか「どうしてあのプレーは安定しないのだろう」などと次への課題が頭に刻み込まれる。きっと次の練習までそのことが頭を去らないことだろう。
一方、3時間も4時間も練習したら、やりきった感に満たされ、頭には何も残らない。いや、反省点などはいくつか頭に浮かんでくるのだが、満足感に覆い隠されて、前回の練習のことはほとんど考えないまま、次の練習を迎えてしまうのだ。

会えない時間が恋をはぐくむなどと言われる。

式子内親王

卓球に会えない時間をもっと大切に過ごさないと、卓球への思いの弱りもぞする。
何も考えないで3時間も4時間も練習するより、2時間に限って練習したほうが上達するのかもしれない。

…とはいうものの、やっぱり2時間は短かすぎてあっという間なので、3時間ぐらいが私にとって最もバランスがいい練習時間なのかなと思う。

半神
半神 (夢の遊眠社)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm10955326

私のパートナーの下○○くんは、なんともどんくさい。

「お前のほうが体力あるんだから、私をリードしてもらわないと困る」と常々言っているのだが、いつも動きがワンテンポ遅い。全く動こうともしない時もしばしばなので、呆れてしまう。

例えば、私が飛びついてフォアドライブを打つときなどは、クロスに打っているのに、あさっての方向を向いていて、次の打球に間に合わない。こんなんじゃ、勝てる試合も勝てなくなってしまう。

他にも深くボールが来て詰まってしまったときなどは、私がもう打ち始めているのに、下○○くんはまだのんびりと後ろにさがっている最中である。

こんなパートナーと長年コンビを組んでいるが、うんざりである。できることならコンビを解消したいが、それはできない相談である。

特に困っているのは、台上の場面である。台上でこちらがツッツキを打てば、次にドライブが来るのは予想できるはずなのに、一歩後ろに下がって待つということができない。ずっと台に貼り付いたままである。その結果、大してスピードもないドライブなのに、ブロックミスを連発してしまう。

しかし、そんな下○○くんにも最近、ようやく自覚が芽生えてきたようで、私が打球する前に率先して動いてくれることが多くなってきた。そうなのだ!卓球では下○○こそが生命線なのだ。きちんと私の打球前に働いてくれるとこちらのプレーもずいぶん楽になる。

ドライブを打つときは、気を利かせて、グッと前に押すように支えてくれることも増えてきたし、大きく動いても、向きも、ちゃんと打球する方向を向いていることが多くなった。

台上では率先して台に入り、私が打球する瞬間にはもう下がる準備を始めている(前記事「対戦で大切なこと」)し、バックスイングを取る前に数歩ステップを踏んで打ちやすいところまで移動してくれたりする(前記事「バックスイングを引いたら最後」)。

以前はやる気のなさそうな棒立ちに近い状態でプレーしていたのに、最近はひざを曲げ、向かっていく姿勢が見られるようになってきた。

いったいどうしてしまったんだ。これまでこんなに下○○に一体感を感じたことなどなかった…
私たちはまだまだやれる!


(参考)パートナーを働かすのに役に立ちそうな動画を見つけた。
夢中や卓研

『夢中や卓研』チャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=5fEYeN32piI


なんとはなしに、部屋にあった卓球メーカーのカタログの、ラバーの性能表を眺めてみる。
裏面のラバーを替えてみようかな、と思ったのである。

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メーカーによってラバーの性能表の項目はちがっていて、例えば、バタフライとニッタクのカタログには「スピード」「スピン」「スポンジ硬度」の3つの項目のデータが載せられている(ニッタクには「変化」という謎項目もあるが…)

一方、ヤサカのカタログには「スピード」「スピン」「硬度」のほかに「コントロール」という項目がある(粒高の場合は「変化」に置き換えられている)。この「コントロール」というのは何を意味する数値なのだろうか。一見すると、狙ったところにボールが打てる精度のようなものを表す数値なのかなと思う。

「コントロール」性能が高いラバーは、たとえば次のラバーである。
オリジナル(裏ソフト):12
オリジナル・エクストラ:12
ウォーリー:12
クレスター:11+

これらは「コントロール系ラバー」と呼ばれているので、コントロール性能が高そうである。しかし、本当だろうか?上で仮定したように「コントロール」が「狙い通りに打てる精度」のようなものを表すとすると、長年ラクザを使い慣れている人が、オリジナルを使ったら、どう考えても弾みが弱く、狙ったところへボールを打ち込むことが難しくなるだろう。「狙い通りに打てる精度」というのは使用者が使い慣れているラバーが何かによって変わってくるはずである。

テンション系のラバーに目を向けると、

ラクザXソフト:10+

が比較的「コントロール」値が高い。
ノーマルのラクザXが10ということを考えると、柔らかいラバーはコントロール性能が高いということになるだろうか。

しかし、いかにも硬そうなラクザZ・EHは、ノーマルZと同じ9で、翔龍も9である。どうやらシートやスポンジの硬さに単純に反比例するわけではないようだ。

さらに謎なのは、トリックアンチとか、一枚ラバーのA-1・2のコントロール性能が11になっていることである。ボールをコントロールするためには、引っ掛かりや球持ちがよくなければならないと思うのだが、アンチは引っ掛かりが弱いし、一枚ラバーは球をちっとも持たない。

この「コントロール」というのは一体何を表しているのだろうか。
昔からこの項目が気になっていたのだが、ヤサカのカタログには何の説明もない。

ヴィクタスのカタログは、もっと細かい項目が設けられていて、「弧線の高さ」「スピード」「ドライブの精度」「シートの強さ」「反発」「スポンジ硬度」の6つの項目がある。これは裏ソフトの話で、表ソフトの場合は「弧線の高さ」「スピード」「コントロール」「変化」「反発」「スポンジ硬度」の6つの項目である。
victasラバー性能表
なんだかゴチャゴチャしていてよく分からない。「ドライブの精度」ってなんだろう。
謎の項目についての説明は以下のとおりである。

ドライブの精度:自らドライブを打ち込んだ際の操作性(裏ソフトのみの項目)
コントロール:回転させたボールに対する指定場所への返球精度(表ソフトのみの項目)
シートの強さ:回転させたボールに対する滑りにくさ
変化:回転させたボールに対する回転方向・量の変化(表ソフトのみの項目)

「ドライブの精度」「コントロール」は、ようするに「ドライブ、あるいはミートうちで狙った場所に打ち込める値」とでも言ったらいいだろうか。しかし、ヤサカの「コントロール」と同様、使い慣れているラバーが狙った場所に打ち込める値が高くなると思うので、この数値は人によって全く評価が変わってくる。
「ドライブの精度」の値が最も高いVS>402DE(7.9)と、最も低いVENTUS Regular(6.7)は、人によっては評価が逆転するだろう。ヴェンタス・レギュラーというのは、昔はヴェンタス・ベーシックという名前でコントロール系ラバーに分類されていたのに、ドライブの精度が低いというのは不審である。

「スピード」「反発」の違いもよく分からないが、「スピード」は「回転させたボールに対する衝突前後の速度変化率」で「反発」は「一定の高さからボールを落下させたときの弾んだ高さ。粘着の影響をなくすためにラバー表面には片栗粉を散布」ということらしい。簡単に言うと、「スピード」は加速の良さで、「反発」は絶対的な弾みということだろうか。

「弧線の高さ」というのは「スピン」に比例するのではないだろうか?「スピン」が強ければ、マグヌス効果でボールが急激に落ちるだろうからである。

「変化」の説明が「回転させたボールに対する回転方向・量の変化」とあるが、この説明もあいまいである。おそらく上回転(ドライブ)のボールを返球すると、相手にとって下回転に変わるというのが「変化」だと思うのだが、この現象は、見方を変えれば、ボールの回転方向を変えずに、そのまま返球しているということもできる。その場合、「量の変化」が大きいというのは、回転量の「減少の幅」が大きいという意味だろうか。表ソフトや粒高でドライブを受けた場合、回転量が増加するとは考えられない。回転量は減少する一方である。そうだとすると、「量の変化」が多い(減少幅が大きい)というのは、ナックルに近いという意味だろうか。
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「ラバー性能表」のカタログ・スペックを解読して、ラバーの性能を把握するのは、通常の卓球愛好家にはハードルが高い。用具マニアとか、ラバーの専門家でない限り、これらの数値からラバーの細かい性能の違いをイメージするのは不可能なのではないだろうか。

【追記】
個人的には、裏ソフトラバーは4つに分類し、
「新型(テナジー/ファスターク/ラクザ等)」
「従来型(マークV、スレイバー等)」
「粘着新型(ディグニクス09C/ラクザZ等)」
「粘着従来型(キョウヒョウ等)」

その上で「弾み(シートとスポンジのそれぞれの硬さ)」「シートの引っ掛かり」を高・中・低で表してくれればそれだけで十分である(ラバー性能表についての話)。テナジーだろうが、ヴェンタス・エクストラだろうが、ラザンターだろうが慣れてしまえば初中級者にとっては大差ないと(私は)思うのだが、世間では細分化が進みすぎていて、用具に詳しくない人間は、どれを買ったらいいか全く分からない、「用具迷子」になってしまっている。

【追記2】
上の「追記」のようなことを書くと「マークVとスレイバーは全然違う!」とか「ラクザZとディグニクス09Cが同じとか、ありえない!」とか言って苦情のコメントを送ってくる人が出てくることが予想される。違いはあるとは思うが、言いたいことは単に私にとっては大差ないということである。めんどくさいので、この手の用具のコメントは公開しないつもりなので、ご了承いただきたい。

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