しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




2012年06月

私は桂枝雀が好きだ。しかし落語一般のおもしろさはよく理解できない。ストーリーがあまりおもしろくないものがほとんどだし、名人と呼ばれる人の語りの味というものも理解できない。ただ間のとり方はうまいと思う。
知り合い同士の会話ならいざしらず、一方的な話で不特定多数の気を引くのは並大抵のことではないと思う。自分の話についてきているかどうか相手を見ながら確認し、時にはポーズを入れ、時には分かりやすく具体例を補い、時には言い方を変えて同じ内容を繰り返す。遅すぎず早すぎず話を展開させていくのはさぞ神経を使うことだろう。しかし上手に間をとる落語は聞いていて楽しい。話し手との一体感を感じることができる。

卓球の楽しさはもちろんラリーである。もし毎回のポイント?(サービスから得点までの一連の流れを何と呼べばいいのだろう?「ポイント」という語を使ったが、適当な語が見つからない)がすべてサービスエース、あるいは2~3球目攻撃で決まってしまうなら、卓球の試合は非常に味気ないものになってしまうだろう。猛禽のような目で隙を窺い、隙あらば渾身の力で相手を打ちのめすような「勝ち急ぐ」卓球は強いことは強いかもしれないが、あまり楽しくないのではないだろうか。
公式の試合ではなく、仲間同士の試合に限って言えば、勝利と、ラリーを楽しむのと、どちらをとるかと言えば、私はラリーをとりたい。楽しく相手にも打たせ、自分も思う存分打ててこそ満足感を覚える。相手の力を引き出さずに相手の弱点ばかり突いて一方的に勝ったり、オーバーかエースかの一か八かのショットばかり打って、相手に手も足も出させず、結果として勝ったとしても、それではなんだか損をしているような気がする。
もし私が相手より圧倒的に上手なら、まず相手に打たせるようなスタイルの卓球をしたい。それができるほど上手ではないので、結果的に勝ち急ぐような卓球をしてしまうのだが。

卓球にも落語のように「間」というものがあるのだろうか。サービスを打つ前にちょっと間を置くことがある。しかし、そういう間ではなく、私の考える卓球の「間」というものは相手に攻めさせる隙を与えることである。2球目をいきなり台上ドライブとかチキータとか、そんな無粋なことはせず、相手のサービスに対してはとりあえずツッツキ。それも相手がちょっと打ちにくい場所にツッツく。相手にとって最高に打ちやすい絶好球ではさすがにこちらも対応できないので、相手はかろうじてドライブを打てる程度の厳しいコースを突く。相手はドライブを打てることは打てるが、コースも限定され、威力もない。それをまたギリギリ相手がとれるようにブロックして相手になんとか打たせ、それを待ってカウンター、というような卓球が私の理想のスタイルである。このような相手との一体感を感じることのできる卓球なら、仮令負けたとしても、両者ともに清々しい気分になるのではないだろうか。

先日、上手な人と打つ機会があり、練習後アドバイスをいただいた。「3球目に力が入りすぎているので戻りが遅い。3球目はもっと力を抜いて打ち、5球目に備えたほうがいい」ということだった。理想と現実はなかなか一致しないものである。


6873
以前「ラケットは特に弾んだり、特に弾まなかったりしない、中庸なものなら、どれも大して変わらないのではないか。実売1万円以上する高級ラケットと、実売5千円程度のラケットには実質的な違いはなく、結局ラバーの質によって性能が決まるのではないか」という仮説を提出したのだが、その直後に購入したニッタクのクラウト clout で認識を改めた。打った感覚が明らかに違うのだ。なんだかよく弾むような気がする。カタログデータでは

スピード「ミッドスロー」
打球感「ミドル」

となっているのでたぶん客観的な弾みはそれほどでもないのだろうが、感覚的に弾む感じがする。振動が少ないのだろう、打っていて心地よい。新井卓将さんもビデオで「しばらくこれを使ってみる」と言っていたのでクラウトを買ったのだが、思った以上に良い買い物だった。さらにそのあと、バタフライのアリレートを使った高級ラケットも購入してみたのだが、クラウトのほうがずっといい感じだった。卓球のラケットは必ずしも値段に比例するわけではないのだと思った。

ラケットがどのように作られるのか、興味があって『勝利のラケット』(ポプラ社)という本を読んでみた。

51ImrTP7nGL__SL500_AA300_

しかし大半がテニスラケットのガット張り職人の紹介に費やされており、卓球のラケットの方はほんの付け足しだった。子供向けなのか文字が大きく卓球部分は1時間ほどで読んでしまった。卓球のラケットはタマスの特注ラケット工房の職人、金井さんの紹介である。自作ラケットづくりが高じてタマスに入社し、意地悪なラケットづくりの「名人」にいじめられながら一人前になった、というようなことしか記憶にない。残念ながらあまり興味深い内容ではなかった。もっと木材の説明や加工の種類、ラケットの特性などについて説明があればよかったのだが。おそらく筆者はテニスの人で、あまり卓球には興味がなかったのだろう。

ラケットを硬くてよく弾む7枚合板に変えて、ラバーを薄に変えてみた。
今までは柔らかいラケットに厚のラバーを貼っていたので、厚→中→薄と2段階薄くしたことになる。
上手な人に「ラバーは特厚。飛びすぎるなら厚。」と言われていたので、薄なんて今まで使おうとも思わなかったが、薄を使ってみると全然感覚が違っておもしろい。ボールに当たった時の振動がはっきり伝わってくるのだ。ラケットが硬いので、ラバーが「グリュ」っと潰れるような感覚が心地よい。うまくタイミングや角度が合わないと、そのような「グリュ」が味わえないので、ボールのあて方を工夫して、いろいろ試行錯誤している。その結果、打球感を非常に意識するようになってきた。厚や特厚を使っていたときにはあまり意識しなかった感覚である。今まではボールを打った時にボールが飛ぶかどうか、回転がかかるかどうか、ということばかり意識していたが、今はラケットのどの辺で、どのぐらいのスピードで当てられるかということを意識するようになってきた。

全く話は変わるが、数年前に芥川龍之介の「玄鶴山房」という小説を読んだ。死を間近に控えた老人の家庭内で起こるささいな事件を描いた、まったくおもしろみのない作品である。しかし私にとってはおもしろかった。おそらく20代の頃に読んでもまったくおもしろさは分からなかっただろう。一人ひとりの登場人物がどのような考えを持って行動しているのか、それを主人公の老人はどのように感じるのか、それを読むのがおもしろいのだ。「あぁ、こういう人っているなぁ」とか「この人物にとって大切なことは、こんなことなんだ」とか、そんなことを考えながら、なんでもない日常を眺めるのがどうして楽しいのだろうか。

またまた全く話は変わるが、私はコーヒーが好きだ。若い頃はネスカフェゴールドブレンドが大好きだった。あのクセのないあっさりした軽い味が美味しくて、毎日飽きずに飲んでいた。逆に専門店のコーヒーは妙な苦味があって好きになれなかった。昔のマクドナルドのコーヒーもネスカフェゴールドブレンドのような味だったので、とても美味しく感じた。それが今はどうだ。インスタントコーヒーがまずくて飲めない。なんだか水っぽくてコーヒーを飲んでいるという気にならないのだ。ちなみにアメリカで缶コーヒーが流行らないのは、同じような理由らしい。コーヒーの本場のアメリカ人曰く缶コーヒーは「まずい」らしい。逆に専門店のコーヒーの刺すような苦味がおいしくてたまらなくなった。

人の認識は網の目のようなものだ。経験を重ねるごとにその網の目は細かくなっていく。経験が浅い頃はまったく感じられなかったような感覚が歳を重ねるにつれて感じられるようになってくる。若い頃は何かに接しても網の目が大きすぎてそのほとんどすべてが素通りしてしまうが、年をとると、いろいろなことがその網に引っかかるようになる。
学校の先生の授業を10代や20代のときに聞いても右から左に抜けていき、ほとんど何も残らないが、それを中年になってから改めて聞くと、その含蓄の深さを興味深く覚えたり、逆に大した話ではないなとつまらなく感じたりする。

私の卓球はまったく進歩が見えないが、そんなことはなく、見えないところでいろいろ進歩しているのかもしれない。少なくとも今まで意識できなかった感覚を意識できるようになってきているのである。


紀子セリフ
https://moc.style/world/chibatetsuya-01/

中学時代、私の地区に卓球がバカ強いYくんという人がいた。彼のために私は個人戦で地区大会を突破することができなかった。そんな強いYくんでも県大会では三回戦ぐらいで負けてしまっていた。あのバカ強いYくんが守勢に回って苦しそう戦っている。今まで見たことのない光景だった。上には上がいると当時はびっくりした。それから私は卓球をやめてしまい、大学に行き、社会人になって、卓球を再開して今にいたっている。

一方、Yくんは高校も進学校に行かず、卓球が強い商業高校に入り、大学にも行かず、高校卒業後、強い卓球部がある会社に就職したということだが、その後の足取りは全くつかめない。卓球選手として活躍しているならネットなどで分かるはずだが、彼の名前は全く記録に残っていない。今、彼はどこで何をしているのだろうか。あれだけ卓球を愛し、卓球に全てを捧げていたなら、卓球をやめたとは思えない。ときどきYくんの人生に思いを馳せることがある。卓球が強いというのは果たして幸せなことだったのだろうか。なんとなくYくんは卓球が強かったために損をしてしまったのではないかという気がする。

あとで知ったことだが、私の出身県は卓球のレベルがかなり低かったらしい。県大会の優勝者が全国大会では1回戦負けだったりしたのだ。
よく松平選手はもう盛りを過ぎたとか、岸川選手は終わったなどとネットで悪口を言われているが、両選手とも全国大会で上位にいける実力があったのだから、すさまじい強さだったと思う。岸川選手のインターハイのビデオを見たことがあるが、高校生の大会では彼はまさに別格だった。松平選手にいたっては世界ジュニアで優勝までしている。
私がしのぎを削っていたレベルというのは、

全国大会上位の下の
全国大会中位の下の
県大会上位の下の
県大会中位の下の
地区大会上位のレベル

だったというわけだ。しかし岸川・松平のような強い選手でもどうしても勝てない水谷選手のような選手がその上にいて、その水谷選手も中国のトップ選手にはまったく歯が立たない。いったいどうなっているんだろう?卓球の強さというのはどこまで上があるのだろうか、卓球を極めようと思ったら、卓球のためにどこまで捧げればいいのだろうかとそら恐ろしくなる。

私の知っている卓球の強い人の多くは不遇の人生を送っているように見える。かつて国際大会にも出場したような人が飲食店を経営しているが、どうも経営がうまくいっていないらしい。他にも離婚したとか、安月給で卓球とまったく関係ない仕事でこき使われているとか。
Yくんもなまじ卓球が強くなければもっと広い世界で自分の可能性を生かすことができたのではないだろうか。来る日も来る日も体育館で卓球三昧の毎日。気がついてみると、不景気で会社の卓球部は解散。強いといってもプロになれるほどではない。今まで人生のすべてを卓球に捧げてきたのだから、生きるのに不器用で、突然卓球以外のことをさせられても、うまくいかない。まるで卓球を愛すれば愛するほど、卓球が不幸をもたらすかのようである。

しかしこれは傍から見て、そんなふうに見えるだけで、本人は「今まで好きなだけ卓球ができて幸せな人生だ」と感じているのかもしれない。『あしたのジョー』でジョーが紀ちゃんに語ったときのように。たとえ頂点を極めることができなかったとしても、好きなことを思う存分できるなら、それはそれで幸せな人生なのかもしれない。自分が本当に好きな事だけを好きなだけやる。これこそ男のロマンである。男のロマンを追い求めることができなかった人間が、それができた人の人生を語るなんて余計なお世話なのかもしれない。





ラージボール卓球のボールは不思議だ。
ラージボールは直径44ミリで、硬式の40ミリよりわずかに大きい。つまり空気抵抗が大きい。それだけでなく、硬式よりも軽いので、独特の軌道を描く。譬えて言うなら風船を叩いたような感じだ。風船をバレーボールのように叩くと、叩いた瞬間は速く飛ぶが、すぐに減速して落ちる。ラージボールを硬式のつもりで打つと、同じようにポトッと落ちる。単に弾まないだけかと思うと、ときどきほとんど力を入れていないのにボールが台から出てしまう時がある。かなり力を入れてプッシュをしたら、ネットにかかってしまうと思ったら、ラケットを動かさず、ブロックしただけでポ~ンと飛んで行ったりする。ラージボールの弾み方は硬式球とは少し違うらしい。
そんなわけで硬式が上手な人はラージを敬遠する。「勘が狂う」というわけだ。
ラージをすることは硬式にとってマイナスにしかならないのだろうか。

私はラージは硬式にも益するところが大きいと思う。その最大の利点は打点の早さが身につくことである。
ラージボールが飛んでくる勢いを真正面から受け止めると、落下率が高い。その一方でボールの勢いの軸を外して、言い換えればボールの勢いを利用して掬うように返球すると、さほど力を入れずともボールが気持ちよく飛んでいく。それが如実に現れるのは、バウンド直後のボールを返球した場合である。ラージボールで気持ちよくラリーするにはかなり早い打点で打ち返すのが有効である。ラージのラリーはこのような早い打点での打ち合いになる。このタイミングが身につくと、硬式でも現代的な早い打点の卓球ができるようになるのではないかと考える次第である。

また、ラージのボールの遅さも美点の一つである。ボールが遅いことによってフットワークの練習にもなる。ラージのボールは遅いので、台の前後左右に大胆に動いても間に合う。硬式だったら、ボールが速すぎて動く前から諦めてしまうところをラージなら一所懸命動こうという気になるボールの遅さなのだ。これによってフットワークの足使いが身につけば、それを速めることで硬式にも対応できると思う。私のようなヘタッピは硬式のラリーでは速すぎてきちんとしたフットワークが練習できない。また、ラージボールは遅いので、自分のフォームを確認するのにも役に立つと思う。テイクバックが大き過ぎないか、戻りが素早くできているかなどを確認する時間的な余裕がある。

ラージはこのように硬式にも役立つ要素がある。ラージ人口がもっと増えてほしいものである。

今、ラージボールは中高年向けの特殊な卓球という位置づけだが、20年後はラージボールが一般的な卓球になり、硬式のほうが特殊で専門的なスポーツになっているかもしれない。

昔、日本にスノーボードが紹介されたばかりの頃は、スキーが一般的なスポーツでスノーボードは物好きな人のスポーツだったが、最近の統計によると、スキー人口は減少の一途をたどり、スノーボード人口とほぼ同じになっているらしい。しかし、今の若い人にとってはスノーボードのほうが親しみやすいスポーツなのではないだろうか。

ラージは卓球未経験者を取り込めるポテンシャルを持っている。若い男女がデートの一環として硬式卓球をするのは想像しにくいが、ラージなら想像できる。ラージのスター選手が生まれて、メディアが盛り上げでもすれば、ラージがボーリングのような若者のメジャーな娯楽になるのも夢ではないと思う。ただ、そのためにはラージで遊ぶ工夫が必要だろう。経験者と未経験者がプレイをすると、硬式ほどではないにしても、やはり能力的にかけ離れているので、長時間楽しむことは難しい。経験者と未経験者が楽しめるようにハンデを付けられるような工夫があればいいのだが。たとえば、未経験者側の台の上にタオルを広げて、そこに落ちたボールは失点扱いにするとか。

ネットサポートセットを二つ購入してみた。(価格は卓球屋)
バタフライからも同じようなセットが出ているが、高い(4620円)ので、ニッタク製品とTSP製品を購入してみた。

ajust support

↑ ニッタク アジャストサポート & ネットセット 4000円弱


NC support

↑ TSP NCサポートセット 2000円強

どちらも硬式・ラージボールどちらにも対応している。しかし値段が倍近い。
結論から言うと、TSPの圧勝である。

ニッタクのほうは幅がふつうのサポートに比べて広く、がっしりしている。下のつまみを回すと高さが調節でき、15センチ、17センチに変えられる。また、ネットは昔ながらの紐で結ぶタイプではなく、支柱の中に挿入し、金具を引っ掛けるだけで済むタイプである。

一方、TSPのほうのサポートは幅が従来製品と同じぐらいで、きゃしゃな印象を与える。ネットの張り方はニッタクと同じタイプだが、ニッタクに比べると、ネットのサポートへの差し込みがやや入れにくい。しかしTSPのサポートの大きな特徴は支柱が折りたためることである。これで場所を取らずに済む。

買ったばかりなので、耐久性は分からないが、おそらくニッタク製品のほうが上なのではないだろうか。ネットを差し込むときの負担はニッタク製品のほうが軽い。何度もネットを張ったり外したりするなら、TSPよりも長持ちしそうである。また、プラスチック製の安いものだが、ニッタク製品にはネットの高さを測る定規?が付いている。

しかし値段の開きは製品の性能差以上のものがある。TSP製品はわずか2205円(卓球屋価格)でネットとサポートのセットが買えて、さらに硬式・ラージともに対応している。これはお得である。省スペースへの配慮もポイントが高い。

TSPのNCサポートセットは今までのラージ・硬式のすべてのサポートセットを駆逐してしまうほどの価格的破壊力のある製品である。

ジャパン・オープンの土曜日を観戦したので、その簡単なレポートを書いてみたい。

【観客について】
2010年も2011年も土曜日に観戦したが、今年は客の入りが倍近い感じだった。去年は海外の選手が少なく、中国選手は参加せず、ヨーロッパの強い選手もコルベルぐらいだったので、あまり客の入りがよくなかったのかもしれない。今年も中国選手は出場しなかったものの、ボル、メイズ、シバエフ、マテネ、パーソン、プリモラッツ、コルベルといったヨーロッパ選手、韓国のトップ選手と若手、荘智淵、ガオ・ニン、ジャン・ジェン(詹健)、唐鵬といったアジアの選手が出場してくれたからか、客席の7割近くが埋まっていたと思う。ただ、年齢層に偏りが感じられた。中高年と子供ばかりなのである。10代後半から20代の卓球愛好者は少ない。この年代の卓球愛好者を増やすことが卓球の課題だと感じた。

それから「サインくれくれ」少年たちが少し減ったような気がする。もちろん観戦そっちのけで有名人が客席に姿を見せるとすぐに嗅ぎつけて、わらわらと集まってくるが、去年よりはマシだった。また、選手席にまで闖入してサインをねだるマナーの悪い子供もいなかったように思う。

去年は日本選手と外国選手がプレーしている時、外国選手が素晴らしいプレーをしても、拍手が全く起こらなかったが、今回は少ないながらも外国選手の好プレーに対して拍手を送っていた。

まとめ:今年の観客はマナーが向上し、数も増えた。成功だったと思う。

【出店について】
ニッタク:正面入口前の目立つ場所に出店しており、高級ラケットにラバーを貼って試打させてくれたり、シューズの試履やアンケートに答えて石川佳純選手のファイルをもらえたり、またユニフォームの安売り(最安1500円)をしていたりして、なかなか盛り上がっていた。

TSP:ここが一番盛り上がっていた。Tシャツ3枚1000円という投げ売り状態のコーナーや激安ユニフォームなどがあり(2枚で3000円)、関西企業の面目躍如だった。

ジュウイック:ユニフォームの安売り(1枚1500円)をしていたので、なかなか繁盛していた。

バタフライ:隅っこで地味に販売していた。特売や企画もなかったので、ほとんど客がいなかった。
ヤサカ:地味だったが、ユニフォームの安売り(1枚1000円)があったので、客がチラホラはいっていた。
ミズノ:ほとんど客がいなかった。
ヨーラ:ほとんど客がいなかった。

まとめ:ユニフォームが格安で買える店が多かったので、とても楽しめた。普通に買ったら一番安いユニフォームでも3000円近くするので、とてもお得だった。次回の出店も定価販売でなく、特売コーナーを設置してほしい。

【試合について】
ボル、プリモラッツ、パーソン、コルベルといった選手たちが早い時期に敗退していたのは残念だったが、非常に見所が多かった。
まず感じたのが韓国勢の層の厚さである。

男子
鄭栄植(ボルを撃破) 李廷佑 李尚洙(先月、馬龍を撃破) 呉尚垠 柳承敏 金ミンソク 朱世赫 徐賢徳


女子
ソク・ハジュン(石賀浄) ヤン・ハウン(梁夏銀) キム・キョンア タン・イェソ

男子は呉尚垠と鄭栄植、朱世赫と李廷佑が同士討ちをしたため、4強に残ったのは呉尚垠のみだが、女子はあわや4強を独占されかねない状況だった。福原愛選手とシェン・イエンフェイ選手が辛うじて韓国選手を破ったため、キム・キョンア、タン・イェソ両選手が4強に進んだが、中国選手が出場しなければ、韓国選手が4強を独占するという可能性もあると感じた。

印象に残ったことを思い出すままに書き記すと、
唐鵬選手のバックハンドがすごかった。唐選手はバック表の選手だが、非常にスピードのあるバックハンドを安定して打つのでしびれた。フォアハンドのドライブもとても速い。ただ、マナーが悪く、入らなかったときは、卓球台を蹴ったりしていた。いくら上手でもこれでは興ざめである。
ガオ・ニン選手はその唐鵬選手のすさまじい攻勢に辛抱強く耐え、準決勝まで進んだ。地味な選手だが、世界ランキング10位台の実力(2012年6月は16位)を感じさせるうまさだった。さらに格上で、最近好調の荘智淵選手をも撃破してしまった。二人の打ち合いは派手で見所があった。
メイス選手はルックスが際立っている。ノースリーブのユニフォームにヘッドバンド、利き腕いっぱいのタトゥー。卓球選手よりもテニス選手に見える。彼のような選手が増えると、卓球のイメージも変わってくるのではないか。ただ、彼もマナーが悪く、水谷選手に完敗すると、ラケットを放り投げていた。
シバエフ選手は体格がよく、丹羽選手と対戦したときは、大人と子供というより、巨人と子供といった感じに見えた。その巨体から繰り出すドライブは強烈で、丹羽選手も朱世赫選手も打ちぬかれていた。彼にまともに打たせるのは恐ろしいと思った。
崔文英選手はかわいかった。
丹羽選手はまったくいいとこなしでシバエフ選手に敗れた。牛若丸と弁慶のような対決を期待していたのに。
水谷隼選手は柳承敏選手をフルセットの末、ギリギリで破った。すばらしい試合だった。ここ数ヶ月いい結果を残せていたなかった水谷選手だが、やはり日本で一番強い選手は水谷選手だと再確認した。実力や才能が有る選手はたくさんいるが、フルセットの8-8のような場面で多くの日本選手は試合を落としてしまう。しかし水谷選手はそんな場面でもきっちり勝ってくれた。バックハンドのナックル性プッシュもよく効いていた。
どうでもいい話だが、今大会、水谷選手は茶髪だった。なかなか似合っていた。
上田仁選手のU-21の決勝戦もいい試合だった。一進一退の末、フルセットにもつれ込み、最後の最後で鄭栄植選手に破れてしまった。このように最後の最後で日本選手が敗れる確率は高いと感じる。

キム・キョンア選手はカットで耐えるだけでなく、強力ではないものの、しばしば反撃に出るので、多くの選手が面食らっていた。攻撃型の選手の攻撃にはめっぽうつよいフォン選手のような選手がカットの合間に放たれるゆるいドライブに目を白黒させていた。キム選手はあまり強そうに見えないのだが、ミスをほとんどしないので非常に強いと思った。
福原愛選手とソク・ハジュン選手の試合には驚かされた。福原選手は緊迫した場面ではミスを連発したりするイメージがあるのだが、この試合では際どいボールもすばらしく返球できていた。逆にソク・ハジュン選手は実力はあるのにミスが多く、惜しくも福原選手に敗れた。福原選手がこのようなミスの少ない試合ができれば、オリンピックでいい結果が出せるのではないかと期待が持てた。

シェン・イェンフェイ選手は前から強いと思っていたが、今大会でも強さを発揮した。フォア面表でペシペシ叩くというイメージがあるが、彼女の返球のほとんどは小さいスイングのバックハンドである。これが恐ろしく安定している。もっとフォアを使って派手な試合を見せてほしいが、このバックハンドの手堅さが彼女の強さを支えているようだ。
石川佳純選手はユー・モンユ選手に敗れた。ユー選手の速いラリーでの強さはすごかった。あのような選手に正面から向かって行くと石川選手の速いピッチの攻撃でも負けてしまうようだ。そのユー選手も同じタイプのタン・イェソ選手に負けてしまった。諸行無常である。
松澤茉里奈選手が大活躍だった。ヤン・ハウン選手を破るという大健闘だった。非常に安定して速いピッチのラリーをこなしていた。これからの活躍に期待である。

【まとめ】
今年のジャパン・オープンは去年にも増して楽しいイベントだった。上位進出した日本選手が少なかったのが惜しまれるところである。

追記:今、水谷-シバエフ戦をネットでライブで観ているのだが、さすが水谷選手だと思った。フルセットでリードされた苦しい場面を盛り返し、劇的な11-9で勝利した!すばらしい精神力!

こういう本が日経のような出版社から出るというのに驚いた。卓球の本はスポーツ系の出版社、あるいは大修館のようなスポーツに力を入れている出版社から出るのが普通だからだ。日経なんてサラリーマンが読みそうな本しか出さないかと思っていた。いや、この本は実はサラリーマンに歓迎されるのかもしれない。
41WHk8bu7XL__SL500_AA300_

ナショナルチームの卓球の指導者というのは選手に一体何を教えるのだろうか。
最近の若手は世界ランキング一桁の選手もいるし、トップ20以内の選手も数人いる。それに対して現在ナショナルチームの監督になっているような人は全日本ではいい成績を収めたかもしれないが、世界レベルではさっぱりだろうし、今の卓球の技術の進歩についていける指導者はいないのではないだろうか。つまり監督よりも選手のほうがずっと卓球が上手いというわけだ。それなら指導者の仕事は何かということが問題になってくる。

西村氏は指導と卓球の技術とは別物だという。

卓球選手の指導というのは卓球マシンをつくることではなく、人間を育てることなのだ。卓球はめっぽう上手いが人間としては尊敬するに値しない「卓球バカ」を作ってはいけないというのが西村氏の指導のポリシーである。私はこの人は信頼できると思った。人間性を育むことこそ指導者の第一条件であるようだ。そしてチームをうまくまとめ、選手たちに自主的な成長を促し、モチベーションを高め、行き詰っていたら、精神的に選手を癒してあげることが指導者の務めだったのだ。

この本には卓球の指導にはとどまらない多くの示唆があり、勇気づけられる。

その中で気に入った言葉は「今日は1ミリ成長しよう」というものだ。1日で自分の能力が劇的に変わるということはありえない。だから毎日「本当に自分は正しい道を歩んでいるのか」と不安になる。しかし「今日は1ミリ成長した」と思えばそれが救いになる。自分の道を信じて進めば、きっと年月とともにいつのまにか大きく成長することができる。どんな道でも結局進み続ければ、どの道も正しいはずである。

『ひろさちやの般若心経88講』(新潮文庫)にこんな話が紹介してある。
雨が降ると、雨漏りのする古寺に雨が降り始めた。和尚さんが「何か雨漏りを受けるものを持って来い!」と小坊主たちに命じると、みんな適当なものを探しに行くが、貧乏寺ゆえ、適当な桶のようなものもない。みんながマゴマゴしていると、ある小坊主がザルを持ってきた。雨を受けるのにザル?小坊主は躊躇なくそれを和尚さんに手渡したところ、和尚さんは叱りつけるどころか、大いに満足して他の小坊主たちに「おまえたちは禅の何たるかが分かっていない。あいつを見習え!」と檄を飛ばしたという。

なぜ役に立たないザルを持ってきた小坊主がほめられたのか。著者は「迷いがもっともいけないことで、小坊主は迷いを持っていなかったから禅の精神に適ったからだ」と説く。私なりにこれを敷衍すれば、何も持って来ないで探してばかりいるよりも、何でもいいから何かを持ってくればそれが解決の糸口になる。たとえばザルだけでは役に立たないが、それに手ぬぐいを重ねたら、一時しのぎにはなる。その間にもっと雨を受けるのに適当なものを探して持ってくればいいのだ。最初から最高のものを持ってこようと思うのが間違いなのである。
道は初めから一番の近道が見つかるわけではない。最初は少し間違った道を進んでいるものなのだ。だからといってその道を進むことに意味がないわけではない。とにかく進んでいけば、いずれ正しい道に出るものだ。そうではなく、正しい道が見つかるまで進まないというのが最もマズイやり方なのだ。

卓球の道を極めた人が全く別の分野で大成するということは十分有り得る。道はどれでもいい。とにかく進むことが大切なのだ。

卓球の指導というのは卓球に限らず、いろいろなスポーツに、ひいては社会全般にも応用できることが多い。その際、最も大切なことは言葉だと思った。選手を奮い立たせたり、立ち直らせたりするのは説得力のある言葉がなければならない。西村氏は上手に選手を納得させるような言葉を持っている人なのだろう。


この本を読んで上のようなことを思った。





賭博黙示録カイジ09_144

賭博黙示録カイジ09_145

私は卓球の「戦術」という言葉の意味を間違えていたのかもしれない。

WRM卓球塾講習会vol.4 戦術編

というビデオ(以下「戦術編」)を見て衝撃を受けた。
「戦術」というのは、例えば

相手のフォア側に短いサービスを出す
A 相手がそれをミドルに突っついてきたら、フォアドライブで打つ
B 相手が払ってきたら…まぁ適当につなぐ

というものだぐらいに考えていた。
Aだったらラッキーで、Bだったら仕方ない、という程度の「戦術」である。

ビデオ「戦術編」は何をするのかよくわからないうちに打ち合いが始まる。いろいろなタイプの相手と試合形式の「ALL」で1セットぐらい淡々と打ち合うのだ。なんだか私が予想していた内容とは違った。私はてっきり

使える戦術NO..01
「相手が自分のバックに横回転ロングサービスを出してきたら、それをフォアに速く返すと、チャンスボールが来やすいので、それをドライブで仕留めましょう」

というような試合で役立つパターンをいくつも紹介してくれるのかと思っていたのだが、講師の原田隆雅氏はそんな分かりやすいパターンではなく、いろいろなコースに返球し、いろいろなフィニッシュで得点している。1セット分ぐらいのALLが続いた後で、原田氏が振り返ってコメントをするのである。細かい語句は覚えていないが、だいたい次のようなことを述べていた。

「初めはどう攻めたらいいか、よく分からなかったのですが、相手のサービスを下回転で相手のフォア側に突っつくと、自分のバック側に返球されることが多いです。そこで今度は相手のフォア側に横回転のツッツキを混ぜてみたら、横回転の時は自分のフォア側に返球されやすいと分かったので、それを狙ってフォアで打ちました」

これが原田氏の考える「戦術」なのである。上級者の考える「戦術」というのは初めから決まっているパターンのようなものではなく、相手との打ち合いを通じて、相手の反応のパターンを見極め、相手に応じて作り上げるもののようである。それはつまり、上級者に対したとき、自分では自由にいろいろなところに返球しているつもりが、実は相手には自分の行動パターンが読まれていて、すべてお見通しということである。

お釈迦様の掌の上で大暴れしているつもりの孫悟空…

しかし本当にそんなことが可能なのだろうか。おそらくある程度は可能なのだろう。

・豊富な経験を持つ試合巧者は初めのうちは相手の反応を見るために1セット目を落とすことが多いという。
・また、上級者が初対戦の相手にはけっこう苦戦するけれど、何度か当たっている相手にはほとんど負けないというのも聞いたことがある。
・それから水谷隼選手は『カイジ』の大ファンである。

以上の根拠から、上級者は相手の反応を観察・分析し、すぐに相手に有効な「戦術」を作り上げてしまうのではないかという仮説が成り立つ。
もちろんわずか1セットかそこらで相手の行動パターンを完璧に把握することは不可能だろう。しかし、おそらくいくつかポイントがあって、多くの経験から「このレシーブをすると、弱く払う人が多い」のような傾向があって、それを試してみたところ、「やっぱりここが狙い目だ」のように弱点を読まれ、それを要所要所で使われて得点されてしまうということなのではないか。
また、下手な人が上級者と同じように分析しようとしても、相手はなかなかボロを出さないだろう。原田氏の場合は単純な下回転のツッツキだけでなく、横回転のツッツキというバリエーションを持っていたためにこのような「戦術」が可能になったわけである。つまり相手を分析するためにはこちらの返球のバリエーションがたくさんなければならないということなのだ。

私のような中級者は相手のボールをなんとか返球するだけで精一杯なのだが、上級者は常に考え、相手の反応を分析しながら返球を行なっているのだろう。
卓球では上のマンガの利根川のように相手に「自分はお前の行動を読みきっている」などと親切に言ってくれる相手はいない。自分の反応が読まれているなどと、夢にも思わず、なんとなく(実は必然的に)勝てない。負けた試合をビデオにでも撮っておいて、後でなぜ負けたかを分析しないことには永遠にその相手に勝てないのである。

畏るべし、上級者。

10_029

ユダはレイが洪水の中で身動きが取れない状態を見て勝利を確信した。しかし次の瞬間、レイの美しい反撃に心を奪われ、

「おお!!」「はっ!!」

となってしまったのだ。ユダの気持ちがよく分かる。こういうことが私の卓球でもよくあるからだ。
相手のレシーブをかなり巧みに返球して、「終わった!」と思ったら、相手が苦しい姿勢から絶妙の返球をしてくると、私も

「おお!!」「はっ!!」

となってしまう。ダメなのだ!相手の絶妙の返球を見て、それが次の瞬間、自分に危機をもたらすと察し、すぐに反撃に移らなければならないのだ。

自信のないサービスを出すときも、いつも「ちゃんと入るかなぁ」と確認していると、「おお!!」「はっ!!」になってしまう。子供の頃からこの癖が治らない。

以下のページで試合中の意識の重要性が説かれている。
http://blog.livedoor.jp/xxxxzxxxx-pingpong/archives/8055887.html

管理人はとても卓球の上手な方のようで、書いてあることが非常に参考になる。同じ練習をしていても、卓球が上達する人としない人というのは、実はこのような意識の差が明暗を分けるのではないだろうか。いや、卓球だけではない。人生の全てにおいて「心得違い」というのは大きな差をもたらすものだ。

アルバイトをするとき、「働かされている」という意識で働くのか、「自分がこの店を支えている」という意識で働くのかで全く違う結果になる。

では強くなるための意識の持ち方というのはどのように身につければいいのだろうか。
それはやはり上級者に試合の心構えなどをいろいろ聞かないといけないだろう。下手な練習をするよりは上手な人と意識を共有するためにいっしょに飲みに行ったりするほうが効果的なのかもしれない。

少ない練習時間でできるだけ上達するには上級者と同じ意識を持つことが必要なのだ。

世の中の上級者がみんな両面裏裏なので、ヘタクソなりに個性を出してみようと表ソフトを使うことにした。
「表とか粒高を使っているヤツは邪道だ、初・中級者には勝てても上級者には絶対に勝てない」とか、「相手の感覚を惑わすだけの姑息な戦型だ」とか、そんなことを言う人もいるが、別に私はそんなにレベルの高い卓球を目指しているわけではないので、裏裏の王道を歩むつもりはない。表ソフトという未知のラバーのおもしろさを知りたいと思うだけだ。
昔は江加良のような表ソフトでパシパシ打っていく戦型が隆盛を極めたが、近年そんなタイプは絶滅寸前である。本やビデオでも表ソフトの使い方はあまり取り上げられない。そんな風潮の中で「表ソフトの教科書」(卓球王国)は異彩を放っている。表ソフトに特化したビデオである。サンリツの女子選手(F面表、B面表、ペン表)をモデルにして表ソフトの使い方を解説しているのである。早速購入してみた。しかし結果から言うと、あまり参考にならなかった。



全体の構成は

A:表ソフト個々の打法(フォアロング、ドライブ、フリック、ブロック等)をとりあげ、それに一言コメントがある
B:具体的な戦術の例(どうやって表の特性を生かして攻めるかをラリーで実演)

という構成になっているのだが、Aが全体の9割ほどを占めており、Bは5分程度しかない。
このビデオの思想はこうである。

Aで個々の技術をしっかり習得し、それをBのように使えば、表が上手に使える

しかしこれでいいのだろうか。
私たちは英語の勉強にかなりの時間を費やしている。最近では小学3年生ぐらいから始め、少なくとも大学2年生ぐらいまで続ける。約10年である。『試験に出る英単語』のような本などで数千語の語彙を暗記し、さらに熟語集のような問題集で同じように熟語を暗記する。それで受験には対応できるかもしれないが、英語を運用するのには程遠い。簡単な日常会話でさえ満足に話せない人がほとんどである。
基本的な英文法を学び、それにしたがって語彙や熟語を組み合わせれば英語が話せるというわけではない。言葉というのは単語の集合によって表現されるというのはその通りだが、どんな場面でどんな単語を選ぶか、自分の言いたいことをどんな側面から描けばいいかというのは文法や単語の暗記では対応できない。実際にそれを使わなければならない場面を何度も経験しないと言葉は使えるようにはならない。個々の表現を覚えても、それをどうやって使うかは分からない。無理に使おうとすれば、それは機械翻訳のようなめちゃくちゃな言葉になってしまう。

「表ソフトの教科書」に感じる不満はこの英語教育に対する不満と同じものだ。フリックやドライブという個々の技術がいくら上達しても、試合ではうまく使えないことが多い。つまり、A→Bという順番ではなく、B→Aの順番で学んだほうが効果があると思うのである。まず全体Bを示し、どんな場面でこのA「打法」が必要で、どうやって試合を有利に進めるかの説明をしてほしいのだ。文脈を切り捨てて、A単体を学ぶというのは実践的ではない。しかしこのビデオではBの「戦術」はほとんどオマケで、Aの「打法」との関係も薄い。

たとえば、

「自分のストップのあと、深く切れたツッツキがきたら、対応できないことが多いので、ストップの後はすぐに下がってループドライブの準備をしましょう(文脈)。表ソフトのループドライブは難しいです。以下の動画でループドライブのコツ(技術)を身につけましょう」

のように解説してあったら、技術(A)をどのような場面(B)で生かせばいいか分かるのではないだろうか。

「文脈と切り離された個々の技術・知識の積み上げによって上達する」という考え方を「要素構成主義」と名付けよう。要素構成主義はさまざまな分野で見られるが、これらはうまくいかないことのほうが多い。卓球の指導はこのような要素構成主義を超えなければならないのではないだろうか。

「表ソフトの教科書」には多くの問題があるが、表ソフトの技術をもっぱら扱ったビデオとして唯一のものなので、表ソフトを使っている人には見る価値があると思われる。願わくはさらに効果的に表ソフトが使えるような工夫のあるビデオが発売されんことを。

【追記】『卓球王国』2011年5月号から始まった「超効くコツ!!」という連載を読んだのだが、非常に詳細な説明があった。「超効くコツ!!」のDVDのほうは見ていないが、『表ソフトの教科書』にも同様の連載があったようだ。もしかしてその連載を読んでから上のDVDを見たら、評価が変わっていたのかもしれない。

このページのトップヘ