うちには子供向けの学習用ガジェットがある。スペック的には任天堂のDSみたいなものだが、英語学習ソフトというのが標準装備されていて、お話や歌を楽しめる。それには英単語クイズがついている。発音した単語を4択で選ぶというものだ。それでうちの子供が幼稚園のとき、2時間ぐらいぶっ続けで毎日遊んでいた。せいぜい十数語の英単語を選ばせる4択の問題を飽きずに何度でも続けるのだ。他に遊ぶものもなかったとはいえ、子供の集中力には本当に驚かされる。
最近、メキメキと実力をつけてきている平野美宇選手。ティーネイジャーに満たないながら、すでにシニアの国際大会でも勝利を上げている(2013年4月から中学生)。
下のビデオを観て、改めて驚いた。8歳で高校生に勝ってしまうなんて。
その平野選手の特集がネットにあったので読んでみた。
「天才少女の粘りを生んだネバネバ食」
平野選手も人並み外れた集中力の持ち主らしく、食事の時も、おかずをまんべんなく食べるのではなく、一品ずつ片付けていくのが好きとある。卓球の練習でもそうとうな集中力を発揮していることだろう。たとえばサービス練習でコーナーに半円を描いて、その中に入れる練習といった地味な練習は、大人ならすぐ飽きてしまうが、平野選手なら何時間も続けられるのではないだろうか。子供はこういう地味な練習でも集中してできるからこそ上達のスピードが早いのだろう。
一方、私はというと、ふだんは練習時間が短くものたりなく思っているのだが、先日3時間ほどぶっつづけで練習したら、さすがに飽きてきた。練習の密度も薄く、子供のような集中力はもはやない。
子供の頃の集中力を取り戻したいというのは無理な相談なのだろうか。
しかし、大人の集中力というのは本当に散漫なものだろうか?株価の変動やギャンブル、ネットオークションなど、金が絡むととんでもない集中力を発揮するのが大人である。
どうしてこんなことにだけ異様に集中するのだろうか。一つは、他にもいろいろな楽しみを経験しているので、単純にボールを打ち合うことにそれほど長い時間集中できないという事情があるのだろう。そしてもう一つの理由は、おそらく達成感を感じる対象が違うのである。
子供は遊びそれ自体に達成感を感じる。一方、大人は純粋に遊びを楽しむというより、それに意味を求めてしまう。
「これに勝ったら、こづかいが増える」とか「節約できるかも」
といった意味をである。
受験勉強の場合はそれらが相半ばしているように思える。
「やってみると、わりと楽しいな」と思うが、その一方で「これだけ勉強したら、成績上がるかな?」
のようなことを考えている。
卓球の場合で言うと、子供なら「今のサービスは速くて低くてかっこよかった!」と満足するところだが、大人の場合は「2時間練習したから、少しは安定したかな?」のように結果や効果を求めてしまう。意味を求めるのは悪いことではない。しかし練習中はその練習の中だけに喜びを見出すべきだ。
最近、メキメキと実力をつけてきている平野美宇選手。ティーネイジャーに満たないながら、すでにシニアの国際大会でも勝利を上げている(2013年4月から中学生)。
下のビデオを観て、改めて驚いた。8歳で高校生に勝ってしまうなんて。
その平野選手の特集がネットにあったので読んでみた。
「天才少女の粘りを生んだネバネバ食」
平野選手も人並み外れた集中力の持ち主らしく、食事の時も、おかずをまんべんなく食べるのではなく、一品ずつ片付けていくのが好きとある。卓球の練習でもそうとうな集中力を発揮していることだろう。たとえばサービス練習でコーナーに半円を描いて、その中に入れる練習といった地味な練習は、大人ならすぐ飽きてしまうが、平野選手なら何時間も続けられるのではないだろうか。子供はこういう地味な練習でも集中してできるからこそ上達のスピードが早いのだろう。
一方、私はというと、ふだんは練習時間が短くものたりなく思っているのだが、先日3時間ほどぶっつづけで練習したら、さすがに飽きてきた。練習の密度も薄く、子供のような集中力はもはやない。
子供の頃の集中力を取り戻したいというのは無理な相談なのだろうか。
しかし、大人の集中力というのは本当に散漫なものだろうか?株価の変動やギャンブル、ネットオークションなど、金が絡むととんでもない集中力を発揮するのが大人である。
どうしてこんなことにだけ異様に集中するのだろうか。一つは、他にもいろいろな楽しみを経験しているので、単純にボールを打ち合うことにそれほど長い時間集中できないという事情があるのだろう。そしてもう一つの理由は、おそらく達成感を感じる対象が違うのである。
子供は遊びそれ自体に達成感を感じる。一方、大人は純粋に遊びを楽しむというより、それに意味を求めてしまう。
「これに勝ったら、こづかいが増える」とか「節約できるかも」
といった意味をである。
受験勉強の場合はそれらが相半ばしているように思える。
「やってみると、わりと楽しいな」と思うが、その一方で「これだけ勉強したら、成績上がるかな?」
のようなことを考えている。
卓球の場合で言うと、子供なら「今のサービスは速くて低くてかっこよかった!」と満足するところだが、大人の場合は「2時間練習したから、少しは安定したかな?」のように結果や効果を求めてしまう。意味を求めるのは悪いことではない。しかし練習中はその練習の中だけに喜びを見出すべきだ。