しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




タグ:戦術

上手な人は奥の手を持っている。
先日の練習で、相手の人(Aさん)のサービスがどうしても返せない。Aさんに初めて1ゲームとれそうな場面でAさんが出してきたサービスが上回転か下回転か分からず、レシーブミスを連発してしまった。「上回転ですよ」と言われているにもかかわらず、オーバーミスしてしまう。想像以上に強烈な上回転がかかっているのだ。しかも、上だと言われていても、モーションが下、あるいは横下回転サービスに見えるので、つい面を開きすぎてレシーブしてオーバーミスしてしまう。
あまりにもいいサービスだったので、自分でも真似してみようと思い、いろいろやってみたのだが、回転がバレバレのサービスにしかならない。Aさんは見かねて、打ち方のコツを伝授してくれた。曰く

「このサービスのコツは今まで一人にしか教えてません。 そいつに教えたばっかりに、そいつに勝てなくなってしまい、くやしい思いをしました。だから、あまり人には言わないでくださいね」

そのとき、私の頭の中に上手な人のいろいろな振る舞いの記憶が蘇ってきた。

気さくで、質問すれば何でも教えてくれるBさん。その人のサービスも回転が分からず、どうしても強気のレシーブができない。私がサービスミスをすると、「まだまだだな」といわんばかりにニコニコして「今のは下回転ですよ」などと教えてくれる。しかしよくよく思い返してみると、Bさんは回転の質は教えてくれたが、どういう打ち方で下回転を出しているかの具体的なメカニズムは示してくれなかった。いつも安定して強いCさん。Cさんはいつのまにか回りこんで待っていて、気づいたら強打で決められてしまう。Cさんも私に対して何でも話してくれるような親切な人だが、私のどういうレシーブを狙っているか教えてくれたことはない。

BさんもCさんも私に隔意を持っているはずもなく、私のヘタクソなプレーに対していろいろアドバイスしたりしてくれるのだが、競った時の自らの必勝サービスや必勝得点パターンについて教えてはくれない。上手な人は、いくら親しい人でも、教えたくない奥の手というものをいくつか持っているのではないだろうか。自分と同じぐらいの実力のはずなのに、対戦成績が悪い相手というのは、こういう奥の手を隠し持っているからではないだろうか。それはよくよく注意しないと気づかないようなさりげなさをもっているように思える。ぼんやりと試合をしていたら10年たってもそれに気づかない―10年以上同じ弱点を突かれて得点され続けることもあるだろう。

ある程度の能力のある人―分析ができる人なら自分のどのようなプレーが狙われているかが分かるだろう。しかし、私にはできない。言われてみて初めて「そういえば、いつも同じレシーブが狙われている」と気づく。
以下のサイトに相手の得点パターンに注目することの重要性について書いてある。とても勉強になるサイトだが、ページのデザインが分かりづらいので、ふつうに読むと、長々と同じ広告を読まされることになる。「こんばんは BBです」というところから本題が始まる。

情報収集ってなんですか

自分のプレーを省みるとき、いろいろな情報のうち、結局どんな決定打で得点されているかに注目すれば、愚鈍な私でも自分の欠点、相手の得点パターンが見えてくる。そのパターンをつかめば、相手の狙いというのが分かると同時に自分の弱点にも気づき、試合を有利に進められるかもしれない。

もっと自分のプレーを深く省みると同時に、自分も競った時にだけ使う奥の手というのを作っておかないと、試合にはなかなか勝てないのかもしれないと感じた。 

自分の試合のビデオを友人と観ていたとする。
4ゲーム目のある場面で、友人が私に「どうしてここでミドルにドライブを打ったの?」と聞いてきたら私はどう答えるだろうか。
「なんとなく」
「いや、特に何も考えていなかったと思う」
のような回答しかできないのではないだろうか。

同じ質問をプロの選手にしてみたら、おそらくほとんどのショットに対して何らかの理由を説明してくれるのではないだろうか。
プロの棋士は勝負の後に「感想戦」ということをするらしい。コマを初めの状態に戻して、対局をもう一度なぞりながら、お互いにどうしてその手を打ったかといったタネ明かしをするらしい。棋士は全ての手を覚えている。つまりすべての手を理詰めで打っているということだ(前記事「プロフェッショナル 仕事の流儀 棋士 羽生善治の仕事」)。
卓球の場合もプロなら似たようなことができるのではないだろうか。「2ゲーム目の5-5の場面でわざと少し甘いレシーブをバックに送ったのはカウンターを狙っていたのだ」などと節目節目でどのような戦術を使ったのか全て記憶しているに違いない。

私のプレーは一打一打に根拠がない。行き当たりばったりで打ちやすいところに打っているにすぎない。一方、上級者はおそらくほぼ全てのショットが理詰めで構成されているのではあるまいか。国際大会などの解説を聞いていると、一流選手はそれぐらい頭を使いながらプレーしているとしか思えない(前記事「二人の若き才能」)。

どうして私はそのように根拠に裏付けされたショットが打てないのだろうか。それにもやはり理由があったのだ。

掛け算について考えてみよう。「9☓9」を「81」と答えるとき、いちいち計算をしているわけではない。しかし小学2年生の時に初めて掛け算に触れたばかりのときはきちんと計算をしていたかもしれない。
「9が9つあるということは、まず9が2つあれば、18で、9が3つあれば、27で…」
ときちんと計算し、
「最後に9が8つあれば、72だから、それに9を足したら81だ」
のように。それが次第に9が9あれば81になるということを経験的に、あるいは「掛け算九九」として暗記し、途中の計算をスキップしていきなり81という結論を出してしまう。

ファーストフードの店員さんのことを考えてみよう。仕事を始めたばかりの頃はきちんと考えながら接客していたに違いない。
「まず、はじめにあいさつ。次に注文を聞く…イヤイヤ、店内か持ち帰りかを確認したほうが手間が省ける。次に注文を聞く。それから、会計…じゃなくて商品のオーダーを入れて、商品を渡してから会計…イヤイヤその前にキャンペーン商品の売り込みをしないと」
のように接客の流れを最適化するために頭を使い、ときには順番を間違えたりしたに違いない。しかし、数ヶ月もすれば、何も考えずとも客を前にしたら口と身体が自動的に動き、気持ちはすでに次の客に向いていることだろう。考えずとも接客ができるということは、他のことを考えながら接客ができるということだ。だから接客をしながら店全体の雰囲気や混み具合などにも目が行くことだろう。客の注文を受けながら「あっ!あんなところに使用済みのトレーが放置してある。すぐ片付けなきゃ!」のように。新人さんは目の前の注文のことで精一杯だが、ベテランは注文を受けつつも、いろいろなことにまで頭を回す余裕がある。

私の場合は試合中、目の前のボールをどう処理するかで手一杯なのである。どんな回転がかかっているか、ブレードをもう少し傾けるべきか、回りこんで間に合うかどうかといった技術的なことしか考える余裕がない。
一方上級者はボールが来た瞬間、過程をスキップして結論まで自動的に行ってしまっている。だからボールを処理しつつも、そのポイントがどう展開するか考えられるし、相手の位置や相手のラケットの角度にまで目が行く。同様にフットワークが悪いというのも同じ原因に帰すると思われる。上半身が自動的に動く人なら、下半身をどう動かせばいいかに気を回せる。あるいは下半身も自動的に動いているのかもしれない。

すべてのボールを打ち終わるまで考え続けている、それが私が戦術を考えることができない原因なのである。打球に頭を使っているようでは、戦術などおぼつかない。私でもフォア打ち程度なら、ほとんど何も考えず、身体が自動的に動いている。そのように安定して、血肉となって身についている技術を使っている場合なら、頭を他のことに回す余裕が出てくる。逆に言えば、試合中の技術的なことを、身体が自動的に動くぐらい安定させなければ、戦術まで頭が回らない。「卓球の虫」(前記事:『まんがで読破 昆虫記』)にならなければ、上級者にはなれないのだ。

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