世界卓球2014が大盛況のうちに閉幕した。
私もGWは東京を訪れたのだが、時間的な余裕がなく、文字通り世界卓球会場を素通りしただけだった。

yoyogi
東京での滞在時間はわずか1時間。

yoyogi02
品川駅から山手線原宿駅で降り、会場の前を通ることしかできなかった。

日本男子は健闘したものの、あと一歩だった。それに対して日本女子は福原愛選手を欠いていたにもかかわらず、準優勝という満足の行く結果を残せた。明暗を分けたのは何だったのか。組み合わせだったかもしれない。日本男子は実力の拮抗しているドイツと準決勝で当たり、日本女子は同じく実力の拮抗しているシンガポールではなく、香港と当たったことが幸いし、銅メダルと銀メダルという結果につながったのかもしれない。

しかし、もしかしたら男女の精神力の強さに差があったことが原因だったのかもしれない。

私は平野早矢香選手の大ファンである。もちろんサインも持っている。

autograph - コピー

マッチカウント1-1で迎えた第3試合。ここを落とすと、日本女子チームが崩れかねない重要な対戦である。香港の呉穎嵐選手との試合は0-2とリードされ、運命の第3ゲーム。もう絶望的だと思われた3-8からの奇跡の大逆転!!

hirano
「本当に負け試合だった。3ゲーム目を気持ちで取れたのが勝ちにつながった。」

平野選手の精神力の強さをまざまざと見せつけられた好試合だった。石川選手もギリギリの苦しい展開の中、精神力の強さを発揮してくれたが、私はこの試合の平野選手の精神力の強さが最も印象に残っている。

一方、男子日本対ドイツの第3試合、松平健太選手対フランツィスカ選手の試合は、女子と同様マッチカウント1-1で回ってきており、チームの勝敗を左右する大事な試合だった。

kenta

健太選手はゲームカウント2-1でリードしていたにもかかわらず、その後、波に乗れず尻すぼみで負けてしまった。トップ選手の駆け引きが私などに分かるはずはないが、素人目には健太選手は去年の世界選手権パリ大会で見せたような生き生きとしたプレー(前記事「二人の若き才能 その1」「二人の若き才能 その2」)が見られず、すんなり負けてしまったように思える。これももしかしたら、苦しい状態での精神的な踏ん張りが発揮できなかったからなのかもしれない。

前記事「「あの人は卓球を知らない」」で述べたように精神力の強さというのは試合において時には技術力の差を解消してしまうほどの大きな影響力を持つ。

しかし、「精神力が強い」というのはどういうことなのだろうか。

(A)どんな場面でも沈着冷静でミスが少ないということだろうか。
kisikawa

はたまた
(B)燃え上がるような闘志をここぞというときに発揮できることだろうか。
47-1

(C)ミスを恐れず思い切った攻撃ができることだろうか。
20130517-52

状況にもよるが、ミスを引きずって消極的なプレーをしてしまうとか、戦術が変えられず、ズルズルと勝機が見いだせないままジリ貧になってしまうというのは精神力が弱いということではないだろうか。日本人も近年、技術力を高め、世界有数のレベルに達しているが、同格や格下の選手に負けてしまうこともままある。中国人選手が外国選手にほとんど負けないのと対照的である。

日本選手は一般的に精神力が弱く、フルゲームの9-9などで競った時には負けてしまうことが多い。例えば2012年のジャパン・オープンで上田仁選手がとてもいいプレーをしていたにもかかわらず、U-21決勝で鄭栄植選手に負けてしまったことなどが思い出される(前記事「ジャパンオープン2012観戦記」)。それに対して中国人や韓国人はこのような競った場面でも強気のプレーで勝利することが多いような気がする。彼らは日本人に比べて精神力が強いという傾向があるのではないか。その強さはどこから来るのか。

先日、知人の韓国人にこんな質問をしてみた。

「韓国は日本よりも古い歴史があると言われているのに、どうして韓国最古の書物は1200年ごろまでしか遡れないんですか?古事記や日本書紀が700年頃の成立ということを考えると、1200年ごろというのはあまり古くないですよね?」

「韓国にはもちろんもっと古い書物があったと言われています。しかし、ずっと中国(時にはモンゴル等)と戦争したり、中国に支配されてきたので、古い書物は全部燃やされてしまったんです。昔は負けた国の文化等は完全に根絶やしにされてしまいましたから。日本は島国なので、歴史的に民族の存立が脅かされるような戦争はほとんど経験していませんが、韓国はそんな戦争ばっかりでした。だから、歴史に対する考え方が日本人と根本的に違います。日本のように甘くないです。」


以下はあくまでも私の個人的な感想である。またいつもの思い込みに満ちた妄想だと軽く読み流してほしい。

この知人は韓国史の専門家でもないので、上の話には誤った認識も含まれているかもしれないが、この話を聞いて、こんなことを思った。

日本人は、「たとえ敵でも誠実な態度で向き合えばきっと分かり合える」といったナイーブな考え方を持っているが、隣国に蹂躙されてきた歴史を持つ韓国のような国(前記事「不思議な韓国人」「韓国人が起源好きなわけ」)は、「少しでも譲歩などしたら、必ず滅ぼされる」という認識を持っているのではないか。この認識が韓国人の精神的な強さ、厳しさの源泉なのではないだろうか。

また、中国に30年ほど前に留学していた人から、こんな話を聞いた。

「中国では黙っていたら、全部その人のせいにされるんですよ。
昔、高級ホテルに泊まった時、電気がつかないから、フロントにそのことを言ったら、『お前が壊したから、弁償しろ』って言われたんで、『私が壊したって証拠があるのか!あるなら、今すぐ出せ!私は外国人だ。外国人に濡れ衣を着せたらどうなるか分かっているのか!公安に電話しろ!徹底的に調査してもらって証拠が出てこなかったら、どうなるか分かっているんだろうな!』って文句を言い続けたら、しぶしぶ電球を交換してくれたんですよ。他にも大学の事務室が閉まる5分前に書類を提出したら、『お前のせいで私は定時に帰れなくなった』って文句言われたから、5分前でも1時間前でも期限内は期限内だ!って思いっきりケンカして、やっと書類を受け取ってもらったこともあったんですよ。」


かなり古い経験談なので、今はかなり変わってきているとは思うが、本質的な部分はあまり変わっていないのではないだろうか。この人は中国語が堪能だったから、文句を言われても言い返せたが、ふつうの日本人なら、「納得行かないけれど、野良犬にでも噛まれたと思ってガマンしよう」となるのではなかろうか。不自由な中国語で中国人と口論をするなど、なかなかできるものではない。

また、私の知っている中国人はこんなことを言っていた。

「日本で数年生活して、中国に帰国したら、『お前は根性なしになった』と言われました。日本のぬるい生活に慣れてしまうと、中国での競争についていけなくなります。」

「日本の国会中継を初めて見ました。政治家がみんな真剣に国民の生活のことを考えているのに感動しました!」

これらのエピソードから想像されるのは、中国社会というのは弱者は真っ先に食い物にされ、お人好しは足を引っ張られ、油断したらハメられる社会なのではないかということである。言いがかりを付けられたら、徹底的に争わないと、どこまでも不利になる。そういう油断も隙もない、かつ競争の激しい社会で勝ち抜くにはあまっちょろいきれいごとなど通用しない。おそろしくタフな精神でないと生き残れない。

こういう話を聞くと、「やっぱり韓国・中国は途上国だから民度が低い」などと早合点をする人が出てくると思うが、上のエピソードはあくまでも私が見聞きした範囲の話であり、信憑性は高くない。特に中国は恐ろしく広く、地方によって習慣の違うたくさんの人がいるので、こういう数人の経験談から、十把一絡げにその国民性を論じることはできないだろう。ただ、国民性といった本質的なものではなく、こういう雰囲気のようなものは社会の端々にしばしば顔を出すのではないだろうか。
韓国・中国では、歴史に由来する認識(「負けたら破滅」)や、油断できない雰囲気の中でたくましく生きなければならない環境であるらしい。日本とは根本的に環境や考え方が違う。そしてこの環境が精神力を育む。このような過酷な環境で、子供の頃から騙されたり、裏切られたりといったことを見聞きして育ったら、自ずから精神的な強さが養われるだろうと思われる。平和で豊かな環境で育った日本人が精神的に負けてしまうのもむべなることである。

では、平野選手の精神力の強さはどう説明すればいいのだろうか。平野選手も子供の頃から信用できない人たちに囲まれて、あるいは無慈悲な競争社会の中で精神力を鍛えられたのだろうか。しかし、平野選手の人柄について悪くいう人は誰もいない。「平野選手は人格者だ」と平野選手に近しい人は口を揃える。そんな真っ直ぐな人格者の平野選手が騙したり騙されたりといった中で育ってきたとは思えない。おそらく平野選手はまっとうな環境でまっすぐに育ってきたのだと思われる。それなのにあの精神力の強さはどうだろう。

平野選手の精神力の強さは、厳しい環境によって自然に形作られたものではなく、平野選手自身の努力と苦悩の末に獲得したものだろう。悲しい歴史もなく、特別過酷でもない日本の環境でも努力すれば強い精神力を養うことができるということを平野選手は証明してくれた。努力次第では日本選手も精神的に世界のトップレベルに引けをとらないはずである。平野選手のような選手がいることは私たちの希望であると信じている。