卓球にはまったく関係ない私の日常。
先日、スーパーに行ったら、アジが半額で売っていた。
小指ほどの大きさのアジ(アジってこんな小さな魚だったのか)が3~40匹入ったパックが160円の半額の80円だった。「南蛮漬けに最適」と書いてあった。南蛮漬けかぁ。ちょっと食べてみたいなと思ってなんとなく買ってしまった。
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うちに帰ってネットでアジの南蛮漬けを調べてみたらびっくりした。かなり手間がかかりそうだ。アジのハラワタをとって、油で揚げて、南蛮漬けのタレを作ってそれに人参、玉ねぎ、ピーマンといっしょに漬け込むとのこと。油であげるというのがハードルが高い。しかし、このアジをみすみす腐らせるわけにはいかない。そこで南蛮漬けに挑戦してみた。

「何なんだ!これは」
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アジの側面後方にかなりしっかりとしたトゲトゲがついているのだ。喩えるならば、それはサランラップを切るギザギザに似ている。ネットで調べたところ、ゼイゴというらしい。こんな人畜無害そうな魚なのに、しっかり身を守るためのギザギザが付いているなんて。 
そしてアジにそんな部位があることをこんな年齢になるまで知らなかった自分にも驚いた。世の中は未知のことに満ちている。 料理なんてカレーライスとか野菜炒めとかラーメンぐらいしか作ったことがなかったので、私は料理のことを全然知らない。もちろん油で何かを揚げたこともない。

「本当に大丈夫だろうか…」

早くも雲行きが怪しくなってきた。

ゼイゴはキッチンバサミで切り取るのが楽だった。とはいえ、3~40匹のゼイゴとハラワタをとるのはかなりめんどくさい作業だった。
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「1000円やると言われても、こんなめんどうなことやりたくない」

黙々と夢中で作業を続けていると、確実に処理された魚が増えていく。そうすると、あまりめんどうだという気持ちが薄れて、ほんの少し達成感を感じた。

「何かが残って目に見える仕事っていいな」

そしていよいよ油揚げに挑戦である。片栗粉というのを急いで買ってきて、それをアジにまぶす。今までの経験からこういう作業はやりすぎると失敗する。調味料なども入れすぎて失敗したことが何度もあった。そこでやや控えめに片栗粉をまぶして準備完了。油を熱し、それにアジを投入。5~10秒ぐらいで油から上げる。一口味見してみる。

「うまい!揚げたての魚ってこんなにうまいのか。下手なスナックよりもおいしいじゃないか」

これに味をしめて、3~40匹一気に揚げる。そういえば、タレを準備するのを忘れていた。こういう調味料は正確に分量を計って作らないと全てが台無しになる。計量カップでレシピ通りにタレ(ラッキョウ酢にうすくち醤油おおさじ2杯)をつくり、野菜を細く切り、すべてをタレに投入。

「終わった。かなり難しい作業だったが、初心者にしては上出来だった」

カップ麺のスーパーカップ2杯分の南蛮漬けができた。そして数十分待ってから、あつあつのごはんといっしょに食べてみると、とてもおいしい。苦労が報われた。私にしては素晴らしい出来だ。 スーパーで何気なく売られている南蛮漬けというのはこれほど手間がかかっていたのか。こんな手の込んだ料理を1パック300円で高いとか言っていた自分はなんと心得違いをしていたことよ。もしこの自家製南蛮漬けスーパーカップ1杯を1000円で売ってくれと言われても、私はきっと断るだろう。この料理にはそれほどの価値があるのだ。

私はともすれば安いものを衝動的に買っては金を無駄につかってしまう。しかしちゃんと作った料理というのがこれほどの手間のかかるものだとすれば、500円程度で食べられる料理というのは一体どんな素材をどのように調理しているのだろうか。ちょっと心配になってくる。

以下のブログでドイツ人のライフスタイルについて触れている。
女性の美学
それによると、ドイツでは8万円ほどのベビーカーが売れ筋なのだという。日本で売れ筋というと、その半額ぐらいではないだろうか。ドイツでは家具も高級で質のいいものが売れているという。イケアなどの安い家具は学生の買い物という認識なのだそうだ。そしてドイツ人は財布の紐が固い。無駄な買い物はしない。しかし必要な物があれば、安物は買わない。これが使い捨て文化の日本とは対照的な意識先進国ドイツのライフスタイルなのだという。こういう記事を読んでいろいろ反省させられた。私の卓球用具に対する金のつかいかたは根本的に間違っていた。私が用具を買う動機は「安いから」あるいは「安い割にいいから」である。そしてとっかえひっかえ安い用具を替える。安物だから愛着がない。すぐに放り出して、そのまま顧みられることはない。ラケットやラバーを誰がどのように作っているのか興味もないし、作っている職人に対する尊敬の念など微塵もない。

このような考え方では私たち人類はいずれ滅びると感じた。消費者が安さだけを追求すれば、職人も妥協を続け、消費者に対する愛情など抱かなくなり、消費者は単に騙して金を搾り取る対象にしか見えなくなってくる。悪循環である。

私は自分の作ったアジの南蛮漬けが不当に廉価で贖われるのに断固反対する。しかし、それなら私も自分の南蛮漬けに対する愛着と同じ気持を持って用具を扱わなければならないと思った。