しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




カテゴリ: コーチング

卓球王国の出版物は質の高いものが多い。私は雑誌『卓球王国』をよく読むのだが、その出版物紹介の広告ページにこの本が紹介されており、前から気になっていた。どうしてボクシングの本なのに卓球王国が出版しているのだろうか。
どうやら、卓球王国編集者?の高橋和幸氏(参照:ラケットへの愛着)とエディ氏は個人的に親交があったようだ。
ok boy















エディ氏はガッツ石松や赤井英和といった有名なボクサーを育ててきたハワイ出身のトレーナーである。その愛情にあふれた指導は多くのボクサーに慕われたという。

この本を一言で言えば、ボクシング版「相田みつを」である。写真とエディ氏がボクサーを励ました名言が散りばめられていて、説明などは非常に少なく、30分ほどで軽く読めてしまう。相田みつをに感動できる人は、この本にも感動できるし、できない人はできないだろう。この本は励まされたい人よりも、励ましたい人が読む本である。

私の心に残った名言は以下のものである。

手をこうやって、握手して…言うの。とおるの。
ボク、話するの、とどくの。
「大丈夫よ」…「オーケー」。日本人、ちょっと違うね。
すぐ、「がんばって!」あれだけ。手、握らない。

この言葉から分かるようにエディ氏の日本語はかなり拙い。拙い言葉で上手に指導するにはどうすればいいのだろうか。指導を受けた村田栄次郎氏は言う。

「日本人はみんな、プロフェッサーよ…」。
エディさんは、よう、そんなこと言うてましたね。これは理論ばかりで教えるという意味やと思うんですが、確かに日本人のトレーナーは、とにかく言葉でねじ伏せる傾向が強いんです。それがエディさんは、スパーリングやってると「ストップ!」言うて入ってきて、カタコトの日本語で「今のパンチ、こうね。パンパンパン打ったら、次、こうパンッ、ね、わかる?」…。動作で見せるだけで、あまり細かい説明はしないんです。そうすると、こっちも考えるんです。エディさんの言うことはこうかな?という具合に。


条理を尽くして言葉で説明する、ということは頭の良い人にありがちな間違いなのではないだろうか。隙のない論理で順を追って説明されると、いちいち納得するので、自分で考えることをやめてしまう。聞いたときは分かったと思うが、しばらくすると、そのような説明は頭に残らず消えてしまう。なんだかテレビ番組に似ている。テレビは映像と音声と文字を駆使してこれでもかというほど分かりやすく説明してくれる。しかし、テレビを観ている間、立ち止まって考えるのは難しい。一方、本は違う。読みながら、「あれ?」と思ったら、そこで「これはいったいどういうことだろう」と立ち止まって考えることができる。

昔、上代文学の偉い先生にお話をうかがったことがある。その先生はことばについて「ことばとは、つまるところ、問いと答えだ」とおっしゃっていた。文レベルでも言葉は主語という「問い」と述語という「答え」から成り立っている。授業だってそうだし、会話だってそうだ。その際、「問い」と「答え」が密接につながりすぎていると、上に挙げたように自分で考える隙がなくなってしまう。適度に「答え」を飛ばして簡潔に説明すると、聞き手は「あれ?」と考える。そういう指導がコミュニケーションであり、相互理解なのかもしれない。

エディ氏はそういうことを計算しながら指導していたのだろうか。あるいは天性のものだったのだろうか。
どちらにしても、指導とは何かということを考えさせるエピソードだった。



私は腰の使い方というのがよく分からない。
腰を使って打つのはいいことだとされており、指導者はよく「腰を使って打て」と指導する。この「腰を使う」というのは卓球だけでなくあらゆる球技に普通の技術だと思われる。にもかかわらず、それほど大切な技術に対する解説があまりにも少なすぎると感じる。

腰を使うとはどういうことなのだろうか?その動きがイメージできない。背筋をまっすぐ上にしてヘリコプターのように回転させる―上半身を水平にくるりと回すのか、あるいは斜め前方向への移動―鼠径部を折り目にして体を傾けてから、それをバネにして戻す力を利用するのか。おそらく後者だと思うが、前者と後者は連続している。つまり水平からどのぐらいの角度で傾けるのかがはっきりわからない。かなり水平寄りでも間違いとはいえないのではないか。
腰を動かす範囲も分からない。5センチほどでいいのか、20センチぐらい回すのか。どこに力を入れて腰を使ったらいいのか、腰と腕は同時に動かすのか、あるいは時間差をつけて、まず腰を先に動かしてから、それに連動するように腕を振るのか(前記事「手打じゃダメ」)。

そのようなことを上級者に聞いても「ボールによって角度や可動範囲は違うので、答えられない」という答えが返ってくるだろう。しかし、おおよその目安のようなものを知りたい。正解はただ一つではないだろう。その上、人によって「正しい」角度や範囲が異なるということも考えられる。そうだとすると、正解というのは示しにくいが、間違いというのは、上級者の共通認識としてあるのだろう。

以前、『卓球レポート』の岩崎清信氏が腰の回転について「でんでんだいこのイメージだ」と説明していた。そう考えると、腰をまず回して、それについていくように上半身が回る―タイムラグがあるということなのかもしれない。

私が以前通っていた教室の先生は、私の全力のドライブを見て、「腰が初めに回り、上半身が後からついていくが、腕のスイングが上半身の回転を追い抜いていくのがいい」といったコメントをしてくれた。しかしそういう、腕を伸ばしきった豪快なドライブは安定性が低いので、小さな安定したドライブを正しく打ちたい。プロの選手の動画を見ても、私には一流の指導者のように「透視の利く目」(前記事「眼光紙背に徹する」)がないので、腰が回っているかどうかよく分からない。

指導者が分かりやすく腰の回転に言及している動画はないだろうか。
下のWRMのやっすん氏のビデオで具体的な映像が紹介されていた。1:45あたりでやっすん氏が腰の回転を実演している。グイグイ回っている。これは威力が出そうだ。そして注目すべき発言があった。腰を回すのと上半身をねじるのは違うのだという。なるほど、グルグル派手に回っているように見えても、腰は回っておらず、上半身だけがねじれていることもあるのか。しかし、5:00ぐらいからの腰を使ったドライブの実演をみると、1:45あたりの回し方とは違い、腰の回転がほとんど見えない。グイグイ回っていない。黒い服を着ているからだろうか、あまり腰が回っているようには見えない。1:45の腰の回転はとても分かりやすく、説得力がある。しかし5:00の腰の回転は、はっきりと確認できない。上半身が回るのは傍目にもはっきり分かるが、腰の回転はそれほどわかりやすいものではないのかもしれない。




また、やっすん氏は重心について、フォアハンドでは右から左に移動させると説明されているが、私が習ったのはむしろフォアハンドでは左から右に重心移動するのがいいという。

フォアハンド(重心:右→左)

だと、勢いがつきすぎて上半身がすっとんでいってしまい、体がブレる。その結果、戻りが遅くなる。例の「ブレーキ」の原理(「『まったく新しいボクシングの教科書』を読んで」)と同じである。またボールを前に押してしまうので不安定になりやすいのだという。そこで常識とは逆の

フォアハンド(重心:左→右)

がいいのだという。
う~ん、どちらが正しいのか悩ましい。

同じくWRMのxia氏の以下の動画でも腰の使い方についての言及がある。



xia氏は上半身の使い方と腰の回し方の二つについて言及している。
上半身については、胸の筋肉(というか裏側の肩甲骨?)を使って、上半身を開き、上半身を閉じる力を利用してドライブをかけるといいとある。xia氏の説明によると、右から左に上半身が流れてしまうと、威力のでないので、

フォアハンド(上半身:右→左)

ではなくて、胸(裏返せば肩甲骨)の開閉運動を利用して

フォアハンド(上半身:開→閉)

がいいのだという。
そして腰の回し方については、後ろから前に「右腰を押し出す」ように回すのがいいのだという。
なるほど、この運動なら、重心も流れず、力もよく伝わりそうだ。
ただ、後ろから前に「押し出す」ように打つと、ボールを前に押してしまうので不安定にならないだろうか。
後半で実演されている間違った打ち方と正しい打ち方の比較動画は、同じ条件(同じ力加減)で打っているようには見えないので、あまり参考にならない。正しい打ち方のほうはすごいスピードのボールだが、かなり力を入れて打っている。一方間違った打ち方の場合はちょっと力を抜いて打っているように見える。また、腰を後ろから前に押し出すように打つというのも、素人目にはあまりよく分からない。

【まとめ】
腰の使い方についていくつかのケースを材料に考えてみた。
腰を回すことの重要性は誰もが口をそろえて言っているので、大切なことなのだろう。しかし、具体的な回し方は正解がいくつもあるようだ。しかも、素人目には分からないほど微妙な動きらしいので、動画を見ても、みるからに回っているという感じではない。
いろいろ考えてみたが、結局、腑に落ちなかった。
特に以下の点がはっきり分からない。

・腰の回転は普通の回転でいいのか、もっとZ軸を意識して後ろから前なのか。
・腰と上半身は常に連動していなければならないのか、腰が先行してもいいのか。
・フォアの重心移動は右から左なのか、左から右なのか。
・腰の可動範囲は傍目にははっきり意識できないが、一体何センチぐらいなのか。

また、腰を使うことによるデメリットはないのだろうか。特にバックハンドでは腰を使わないほうが速くて効率的なスイングができるような気がするのだが、「バックハンドでは腰を使ってはダメ」といった意見も聞いたことはない。どんな場合でも腰を使わなければならないのだろうか。その点も気になる。

【追記】2013/7/22
「腰を回して打つ」と「手打ち」というのを全くの別物だと考えていたが、そうではなく、連続したものだと考えたほうが合理的かもしれない。つまり「腰の回転ゼロ」が手打ちのプロトタイプで、「腰の回転1~10」ぐらいの打ち方はほとんどの人に「手打ち」と判断される。一方、「腰の回転80~90」ぐらいなら誰もが「腰が回っている」と認めてくれる。「腰の回転70」ぐらいでも大丈夫だ。しかし「腰の回転40~50」は微妙で、人によっては「腰が回っていない」と判断するのではないだろうか。
「私は手打ちだ、どうしよう」「私の打ち方は根本的に間違っている」と考えると、伸び伸びと卓球ができなくなる。そうではなくて、「腰が回っていない」と言われたら「ちょっと足りないか。もう少し回さなきゃ」と自分のスイングを否定するのではなく、相対的に考えたほうがいいのかもしれない。

【追記】2013/8/31
 WRMの過去の動画により詳しく腰を使って打つ動画があったので、記しておく。

 
【卓球知恵袋】全身でドライブを打つための2つのポイント

コーチと監督は何が違うのか。
選手を技術的に引き上げるのがコーチだとすると、監督は何をすればいいのか。予算を取ってくるのが監督の仕事なのだろうか。そんなことを疑問に思っていたのだが、村上恭和『勝利はすべて、ミッションから始まる』(WAVE出版)を読んで監督の仕事がよくわかった。

mission
 
本書によると、監督の仕事の最たるものは「仕組みを作る」ことなのだという。
たとえば日本女子選手がオリンピックでメダルを取るにはどうすればいいか。
各選手に「死ぬ気でがんばれ!」などと抽象的な言葉でいくら激励したところで、意味がない。
そうではなく、どこまでも目標を具体化させるのが最も有効である。倒すべき相手は誰か、克服すべき弱点は何かを明確にするのである。

たとえば、日本女子チームはいくどとなく韓国のカットマンに屈してきた。彼女たちを倒せなければ日本女子のメダル獲得の可能性は低い。対象は韓国のカットマンである。

しかし、日本女子選手たちにはカット打ちに対する不安と、カットマンに対する抜きようのない苦手意識がある。そのカット打ちの克服と、カットマンに対する苦手意識の払拭には何が必要だろうか。

村上監督は上記のように目標を具体化し、最も効果的な手段で目標達成の最短距離を弾き出した。
まず、外国のカットマン各選手の用具やスタイルをコピーできるカットマンのトレーナーを雇い、さまざまな選手との対戦をシミュレートしながら、毎日必ずカット打ちを練習させる。単なるカット打ちではなく、具体的な選手を想定してのカット打ちである。これが技術面での対策。次に精神面での対策も講じられた。なんと、村上監督は自腹を切って、カットマンに勝利した場合にボーナスを出したのだという。それまではカットマンとの対戦が憂鬱だった選手たちも、「カットマンを倒したら、ボーナスがもらえる!」ということで、一転してカットマンとの対戦が楽しみになってきたのだという。

このように監督が上手に仕組みを作ったら、あとは選手たちがコーチの指導のもとに自分で勝手に(?)強くなっていく。監督自ら選手を指導し、各選手を技術的に引き上げようとしても、効果は限定的だろう。最も効率がいいのは、環境を整え(カットマンのトレーナーを雇い)、モチベーションを高める(報奨金を出す)という、間接的な指導――というより戦略である。こうすれば、自身は直接手を出さずとも、水が低きに流れるように自然に選手たちが強くなってくれるのだ。どことなく、前記事「「する」ショットと、「なる」ショット」」に通じるものがある。

本書はこのような「戦略」を実体験とともに紹介した本である。また、トップ選手の考えていることや、トップ選手の練習メニュー(全国トップレベルになるには1日6時間ほどの練習が必要等)などへの言及もあり、興味深い。さらにこの本は卓球のみならず、なんらかの大きな目標――「ミッション」に取り組もうとしている人にも多くの示唆を与えるだろう。とりわけ、ぼんやりと「がんばらなきゃ」と思いつつも、なかなか具体的な行動に踏み切れない人や、いくらがんばってもチームの戦績が上がらないと嘆く指導者には有益だと思われるので、一種のビジネス書だとも言える。

ただ、注意しなければならないのは、これを読んだだけで、なんとなく自分の前に立ちはだかる問題が多少解決し、前進した気分になってしまうことだ。当たり前のことだが、これを読んだだけでは自分の問題は何一つ解決しない。実際に目標や障害を具体的に認識し、そのために必要なことを行動に移さないことには意味がない。大学生が卒業論文を1ページも書いていないのに、参考資料を山のようにコピーして、それで一仕事終わったという錯覚に陥ってしまうのに似ている。

やり方は分かった。

自分にはそれを解決する能力も、時間もある。

あとは行動!行動あるのみである。

今、たくさんの児童虐待が報告されている。この問題は、大きな社会問題となっている。児童虐待は子供の人権を無視した許しがたい犯罪である。自分のおなかを痛めた子供をどうして虐待するのか。今の親は、親としての自覚がないのではないか。
感傷的共感タイプの例;
小笠原喜康『大学生のためのレポート・論文術』より

私が学生だった頃、レポートの書き方などという授業は大学になかった。「大学生なんだから、レポートの書き方ぐらい知っていて当然。わざわざ大学で教える必要などない」というのが大学側の立場だったので、何も分からず社会問題についてレポートを書かされ、上の文章のように社会問題を嘆き、弱者に同情するような主観的な「レポート」を書いてしまった。これを読んだ先生は呆れていたことだろう。これでもレポートのつもりかと。

レポートというのは客観的でなければならない。「かわいそうだ」「ひどい」「おかしい」を連呼する主観的な文章はレポートとは言えないのである。

今の私ならどんなレポートを書くだろうか。
 
WRMの卓球知恵袋は3人の講師がそれぞれ卓球技術指導動画を出しており、その指導方法―ストラテジーにそれぞれの個性が感じられるので、比較分析してみたい。

対象は最近の発表された「卓球知恵袋」の動画2本ずつである。末尾の数字(1:40等)はその項目が終わった時点を表している。比較しやすさを優先して、切りのいい数字にしたかったため、1~2秒の誤差がある場合もある。

やっすん講師
「粒高ラバーの選手が嫌いな回転」9/2発表


 
概要・指導対象者について 0:40
粒高の回転の特長についての解説 1:40
結論(粒高はどんなボールを苦手にするのか) 3:40
実演 5:36

「試合に勝つために必要な前後のフットワーク」8/30発表

 



どうして「前後のフットワークが必要か」について 2:00
具体的な練習法の解説 3:50
実演 7:38


やっすん氏の動画の特徴は全体の構成がシンプルで、「導入(あるいはその有用性の説明)」「本題」「実演」の3つ、あるいは4つに分かれていることである。初めの2分ほどはこの技術がどんな時に役立つか、どうしてミスしてしまうのかといった周辺的な話題を諄々と語り、なかなか本題に入らない。そして十分引きつけてから、本題を詳しく語り、実演にもかなりの時間を割いている。


ぐっちぃ講師
「フォアドライブのラリー(引き合い)のコツ」8/31発表


 
テーマについての説明・指導対象者 0:25
実演 0:40
打ち方の詳細 その1 1:55
実演 2:30
コメント・補足 2:55
打ち方の詳細 その2 3:50
実演 4:05
コメント・補足 4:30
実演 4:45
コメント・補足 5:10
実演 5:30
まとめ 5:45
まとめの実演 6:48


「モーションサーブのコツ」8/28発表


 
今回のテーマについての概要(3つのモーションの存在)0:30

1つめのモーション
やり方、効果の説明 2:00
実演 2:15

2つめのモーション
やり方、効果の説明 3:45
実演 3:52

3つめのモーション
やり方、効果の説明 5:50
実演 6:50

まとめ・総合コメント 6:50
まとめの実演 7:50

ぐっちぃ氏の動画の特徴は実演を細切れに挟み込む手法にある。一つ一つの項目が短く、1つの説明が終わると、すぐにそれを短い実演で確認する。次々と場面が変わり、展開が早く感じる。また、ナンバリングを使って冒頭で「…で大切なことは3つあります。1つ目は…」のように現代の標準的なプレゼンテーション技法に則っているので、頭に入りやすい。そして最後にまとめの実演として、細切れの実演を改めて確認して終わる。非常に洗練された構成である。



xia講師 
「ミスを減らす!やわタッチを習得せよ」9/1発表


 
概要 0:25
指導対象者 1:10
具体的な練習方法の説明 1:35
実演 1:55
コメント・まとめ 2:33


「裏面を試合中にスムーズに振るための練習法」8/25発表


 
テーマについての説明 0:20
指導対象者 1:10
練習法の具体的な説明・実演 1:45
コメント・まとめ 2:38

xia氏の動画の特徴はその全体的な時間の短さである。時間が短いので、集中できないときや興味のないテーマでも気軽に見られる。そして解説の型がしっかりできており、「概要」「指導対象者」「実演」「コメント」のように決まった型に沿って進むので、視聴者は構成を把握しやすい。

それぞれの動画にそれぞれの個性があり、優劣を決めることはできないが、どのような視聴者に適しているかのだいたいの傾向は見いだせそうである。

まずやっすん氏の動画だが、やっすん氏と同じ問題意識を持った大人の視聴者に適していると思われる。やっすん氏の動画は解説が詳細で、深く考えた末の結論であると思われる。しかし導入部の説明が長いので、子供や同じ問題意識(「どうしても粒高に勝てない」等)を持っていない人は途中で飽きてしまう。導入部の問題提起の答えを知りたくて、本題まで観ても、本題の説明も長いので、実演まで観るにはかなりの集中力が要求される。その結果、特に自分の問題意識と合わない場合は、途中を飛ばして、最後の実演部分のみを観ることになるだろう。しかし、一方で自分の問題意識とピッタリ合っている視聴者にはいろいろ考えさせられて楽しめると思われる。実演動画も画面を2分割して比較してあったりして手が込んでいる。
 
次にぐっちぃ氏の動画だが、多くの視聴者に歓迎される動画だと思われる。一つ一つの項目が短く、説明も簡潔なため集中力のない子供でも飽きずに最後まで観ることができる。口調もハツラツとしていて、視聴者の気持ちに訴えてくる。強いて難を言えば、分かりやすすぎる点が問題といえるかもしれない。よどみなく次から次へと展開していくので、自分で立ち止まって考えるいとまがなく、スッと頭に入ってしまう。その結果、スッと忘れてしまうおそれがある。

最後にxia氏についてだが、動画を観る時間の余裕のない人や、端的に答えだけ知りたい人、応用的な技術よりも、基本的な技術の習得を必要としている人に合っていると思われる。xia氏の深い考察などはブログのほうで語っており、動画では理論的なことよりも、練習法の実例を簡単に上げるにとどめている。


なお、私が最近、観た動画の中ではやっすん氏の「ドライブを回り込んで打った後の2種類の戻り
」が出色の出来だった。



おそらく私が同じ問題意識を持っていたからだと思われる。前陣の重心移動のやり方などは、なるほどと感心させられた。やっすん氏の動画はそのときの自分の問題意識によって当たり外れが大きいのではないだろうか。

…とここまで書いてみたが、全然客観的な考察ではない…。推敲を重ねて首尾一貫させるほどの気力もないので、今回はここまでとしたい。この歳になっても、レポートを書くというのは難しいなぁと再確認した次第である。

私ごときの腕前でも、初心者なら指導できるだろうと思い、本当の初心者の指導に数ヶ月来携わっているのだが、なかなかうまくいかない。
初めは初心者には基礎が大切だと思い、打ち方云々よりも、身体の使い方というのを重視していた。

「むやみに腕を使ってはいけません。腕はほぼ固定で胸を中心に上半身を回転させて打ちましょう」 
「うちにくいボールは身体を歪めて打つのではなく、まずフットワークを使って移動してから打ちましょう」

などと言っても、全く効果はない。言われた時は手打ちにならないように気をつけて、フットワークを使おうとしてくれるのだが、それ以降はボールを打つのに夢中になって、私のアドバイスなど頭からすっかり消え去ってしまい、初心者丸出しの手打ち、ムチャ打ちになってしまう。

しっかりした指導者が高い目標を持って子供を週3~4回指導するというのならともかく、私のようにレクリエーションとして社会人を週に1回指導するぐらいなら、根気よく基礎を習得させようなどと言っていられない。身体や足の使い方などは後回しで、とにかく気持ちよくラリーしてもらえることを優先するという方針に転換した。

初心者がラリーを楽しめない要因は2つあると思っている。
一つは「ラリーを続けよう」という意識の有無。もう一つは当てるとこするというタッチの区別である。

とりわけ男性は相手のことなどお構いなしにむやみに強打してラリーを中断してしまう傾向がある。相手が苦しい姿勢でなんとか返球してきたボールをチャンスとばかりにスマッシュするのである。そこはスマッシュじゃなくて、逆に相手に体勢を立て直す余裕を与えるようなゆっくりした打ちやすいボールであるはずなのに。そういう人には続けることを優先するように注意して、強打をうたないようにたしなめる。


「そういう打ち方をしていると、みんなに敬遠されてしまいますよ。」

しかし、どうしても強く打ちたがる人がいるので、次のように説得する。

「軽く打って確実に入れることができれば、強く打つのは簡単です。逆に軽く打って入らないなら、強く打っても入りませんよ。まずどんなボールでも力を抜いて軽く打てるようにしてください。」(前記事「小は大を兼ねる」)

そしてもう一つのタッチについてだが、初心者はこするということが分からない。だから難しいボールも当てて打ってしまい、ミスしてしまう。安定性を高めるためにはどうしても擦るタッチを身につけなければならない。しかしどうやってこするタッチを教えたらいいのか。私が試したのは次の方法である。

台にボールを落として、弾んだボールが頂点を過ぎて落ちてくるところを真上に擦り上げて打つように一人練習をさせてみたのである。

「打ったボールの弧線の頂点がネットの真上に来るように、できるだけ高く擦り上げてください。」

そうやってこする練習をさせると、意に反して低く、当てこすり半々のようなボールを打つので、

「もっと高く、ボールを押さないで、ラケットを真上に擦り上げてください。」

と指導した。

よく台からボールを手前に転がして、台から落ちるところをこすりあげるという指導を見るが、



あれは本当の初心者にはハードルが高いと思ったので、台の上でバウンドさせてこすらせてみたのである。

すると、今度は高い弧線で打てるようになるけれど、まだ当てが強く、台をオーバーしてしまう。

「台に入るようにできるだけ高く擦り上げてください。ボールを押さないで、ラバーに引っ掛けるように。」

と言って、一人で10分ほど練習させておいた。
すると次第にボールをこするタッチが分かってきたようなので、その打ち方でラリーをさせてみると、初心者の顔つきが変わった。

「ボールが軽く感じます!」

「打っていて気持ちいいでしょう?横殴りにバシッと叩くと、安定しない上に、(スイートエリアを外しているので)打球感も悪いです。こすればどんな打点でも、安定して入るし、相手も取りやすいボールになるから、ラリーが続いて楽しいですよ。」

ここ数ヶ月の「指導」ではじめて「教えた」という実感を得られた瞬間だった。彼の方でも卓球の楽しさをはじめて感じたようだった(前記事「卓球の楽しさの原点」)。

【まとめ】
私の「指導」は順序が間違っていたようだ。レクリエーションの卓球に難しい指導は効果が薄い。手打ちでもなんでもいいから、まず「こするタッチ」を教えるべきだったのだ。そしてラリーが続くようになり、卓球の楽しさを知れば、おのずから自分に足りないことを身につけようと熱心にもなるだろう。

われわれ中級者だって、よく考えてみれば初心者と変わらないのかもしれない。

ラリーに夢中になると、下回転がかかったボールをこすっているつもりで当ててしまい、ネットに引っ掛けている(前記事「止まってから打つ、止まらないで打つ」)し、足を使えと言われても、試合中はついボディーワークでなんとかしようとしてしまう。試合に夢中になっていくると、練習してきたことがすっかり頭から抜けてしまい、基本的なことさえ満足にできなくなってしまう。中級者もやっていることは基本的に初心者と変わらないのかもしれない。

最近は私もこする感覚をしっかり意識できるよう、当てを最小限にしたループドライブの練習でもしてみようかと考えている。



 

地域の社会人のクラブに来ている初心者の女性がフォア打ちが安定しないということなので、私がいろいろアドバイスをすることになった。初心者だし、フォア打ちだし、私でも直せるだろうと高をくくっていたのだ。

「棒立ちだから、やや前傾したほうがいいですよ」
「スタンスが狭すぎます」
「もう少し脇を閉めて」
「ラケットが下から出すぎています。もっとスイングをコンパクトにしてバックスイングを引かないで」
「肘と手首を使いすぎています。そこは動かさずに胃袋のあたりに力を入れて、胃袋で振って下さい」
「打球点が遅いです。バウンド後はボールを見ないで。バウンドする点にラケットをぶつけるタイミングで。」
「こすりすぎです。もう少し当てを強く」

思いつく限りのアドバイスを頭から足先に至るまで細かくやってみたのだが、女性はかえってフォームがおかしくなってしまい、明らかに以前よりもフォア打ちが不安定になってしまっていた。

結局

「すみません…。今までのアドバイスはすべて忘れてください。1点だけ。打球点が遅いので、そこにだけ気を付けたほうがいいですよ。」

面目ない…えらそうに指導なんか買って出たくせに、それが逆効果だったなんてみっともなすぎる。たとえはるかに格下の相手であっても、指導するというのは難しいものなんだなぁと思い知らされた。

私はそれからどうして自分の指導がうまくいかなかったのかを反省してみた。…そして私は学習者の考える余地を完全に奪ってしまっていたというのが最大の原因だったと結論した。

私が与えたアドバイスの中にはいくつか当を得ているものもあったに違いない。しかし、私がいろいろ言いすぎるものだから、彼女は自発的に考えたり、試したりすることをやめてしまい(いわゆる思考停止)、すべて指導者の言いなりになってしまったのだ。諸々のアドバイスの中には矛盾するものも含まれており、それらが互いに邪魔をして打ち方がおかしくなったのではないかと見当を付けている。

『卓球レポート』でフィギュアスケートの佐藤信夫コーチの記事を興味深く読んだ。

壁にぶち当たったのはジュニアの指導を始めてからである。
体格も性格も、モチベーションも違う子どもたちに、自分の体に染みこんだノウハウをたたき込もうとした。【中略】離れていく選手もいたし、親と対立したこともあった。「ずいぶん遠回りしました」と、本人は振り返る。
【中略】
教え子の一人である村主は「佐藤先生の凄いのは『待てる』こと」だと言う。
「キャリアのある人ほど、自分が思う正解を選手に押し付けてしまいがちです。」
答えまで教えてしまうと、その選手は人として成長できませんから
「城島充の取材ノートから」18『卓球レポート』2016-6

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最後の村主選手の「答えまで教えてしまうと、人として成長できない」という言葉が心に響いた。

壁にぶち当たったときに「正解」があると言われたら、誰でも飛びついてしまうだろう。自分でいろいろ長い間試行錯誤してまちがった答えに辿り着くよりは安全な「正解」をそのまま習ったほうがいいに決まっている。しかし、その安易さが落とし穴なのではないだろうか。

吉村真晴選手は中学時代、先生が見ていないときは「すぐロビングを上げたり、横回転を入れたり、試合で使わない『魅せる技術』ばかりやっていた」と振り返っている。そしてこの「遊び」が今の吉村選手のプレーに確実に生きていると述懐している(「私の戦型、私の個性」『卓球王国』16年7月号)。遊びの中には「どうやったらより効果的に相手をビックリさせられるか」といった要素があり、それは先生に教わるものではなく、自分でいろいろ試して探さなければならない。

これは自分の卓球にも当てはまるのではないだろうか。卓球の雑誌やネットの動画等で、「正解」は世に溢れている。しかし、これらをつぶさに調べて学んだところでそれほど自分卓球が上達したという実感はないような気がする。これらの「正解」が無意味だと言っているのではない。時機が来ていないのにあれこれ教え込んでも効率が悪い。まずは自分で試してみて、壁にぶち当たってみることが必要――「憤せずんば啓せず、悱せずんば発せず」なのである。
私も自分でいろいろ試してみるよりも、つい「正解」に飛びついてしまうのだが、そういう知識は頭の片隅に置いておくだけにして、まずは自分でいろいろ試行錯誤してみるべきなのだ。

私が初心者を指導するときにははじめに「打球点が遅れていますよ」とだけ言えばよかったのかなと思う。彼女は問題点を指摘されて、どうやったら打球点が遅れないようになるのか自分でいろいろ試行錯誤してみることだろう。そうやって自分で問題を解決できるのなら、それに越したことはないが、おそらくそれがうまくいかないことのほうが多いだろう。そこで次に「ボールがバウンドして頂点に達してから急いでバックスイングを引いても間に合わないと思いますよ」のようにもう少しヒントを与える。この繰り返しによって学習者は自分で考えることもできるし、大きく迷わずに正しい道を歩めると思う。

先日知人にこんなエピソードを聞いた。

「大学時代に『つまらない』『眠くなる』と言ってみんなに敬遠されていた授業があったんですが、私はおもしろいと思ったんです。そこで授業の後に先生に『先生の授業はとても分かりやすくておもしろいです』とコメントしたら、先生は『学部生に分かりやすいと言われるような授業を私はするようになってしまったのか…我ながら情けない』と言っていました。」

分かりやすく明快なのが正義というこのご時世にあってなんという時代錯誤!とはじめは思ったが、村主選手の言葉を思い出すと、この先生の言い分にも一理あると感じた。分かりにくい指導というのも、しっかりした裏付けがあれば有効なのだ。


CPUはおつけしますか? こちらのファンを買うついで
圧倒的なパワーレス ほら インターネットがきれいでしょ?
MOSAIC.WAV「パソコンよくわかんない」

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「このパソコン、インターネットはきれいですか?」

もしあなたがパソコン売り場の店員で、年配の客にこういう質問をされたら、どう答えるだろうか。

「いや、インターネットというのはきれいとかそういうんじゃなくて…」

「インターネット」「ウェブサイト」「ウェブページ」「ブラウザ」「ピクセル」「メモリ」…とイチから丁寧に順を追って説明しても、それがその客に伝わるかどうか…。

理系の、特にコンピューターを専門にしてきたような人たちは普段の会話の中にもカタカナが氾濫している。そういう人と、PCに縁のない年配の人とがコミュニケートすることは想像以上に難しい。

「このプロジェクトをアサインしてほしいんですよ」

のような会話をする人がSEに多くて困ると友人が最近ぼやいていた。彼らは別にペダンティックな会話をしたいわけではなく、カタカナ言葉が空気のように当たり前の環境で生きてきたために語彙も自然とカタカナだらけになってしまったのだろう。パソコン売り場の店員の説明はもちろん「正しい」。しかし、客の求めている説明はそういう「正しい」説明ではないかもしれない。

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卓球の指導者になるような人は、選手としてもある程度の実績を残した人が多く、自分自身も子供の頃からきちんとした指導者について最短距離で上達した人たちばかりだろう。「間違った」打ち方、「間違った」体の使い方はすぐに矯正され、自分の打ち方、体の使い方がおかしくて、基本打法が安定しないといった悩みはほとんど経験したことがないのではないかと思われる。気づいたときにはフォアもバックもふつうに振れるようになっていて、そういうレベルよりもずっと高いレベルで悩んでいたものと思われる。

私は小学5~6年あたりから卓球を始めたが、指導者につかなくても、フォア打ちや軽いフォアドライブ程度なら自然にできるようになり、いくら練習してもできるようにならず困ったという記憶はない。だから、今、初心者にフォア打ちが安定しないとか、ドライブのかけ方がわからないと言われても、ピンとこない。彼らの気持ちが分からない。

「フォア打ちの正しい打ち方は、肘の位置はこうで、ラケットのスイング方向はこうで、バックスイングをとるタイミングは…」と一応教えてみるが、なかなかうまく打てるようにならない。どうしてこんな簡単なことができないんだろう?私の教え方が間違っているのだろうか?

うまく言えないが、私が本なり雑誌なりで徹底的に勉強し、「正しい」打ち方を教えようとしても、空回りに終わるような気がする。細かく、詳しく説明すればするほど初心者は混乱し、おかしな打ち方になっていくのではないだろうか(前記事「外に求めるな」)。私は初心者が何が分からないかが分からない。そして当の初心者自身も自分の何が問題かが分からないからやっかいだ。その初心者がぶち当たっている「壁」を取り除かない限り、いくら「正しい」説明をしても上達しないと思われる。

同様に指導者――低いレベルの悩みをほとんど経験することなく最短距離で上達していった人たちは、私たち初中級者のぶち当たっている壁が何なのか本当に分かるのだろうか。自分がほとんど経験してこなかったことなのに?

私は以前、速いボールを打とうと腕にガチガチに力が入っていた。たしかにたまに強烈なボールが打てることもあったのだが、あまり安定しなかった。それで腰を使って打つとか、フリーハンドの使い方を工夫するとか、雑誌などを読んでいろいろ試してみたのだが、あまりうまくいかなかった。そうではなく、インパクトの直前までは力を入れず、打ったら素早く力を抜く(これがけっこう難しい)、それを呼吸のように繰り返すということを周りの人に教えてもらってから、安定してボールに威力が出るようになった。
かつての私と同じ悩みを抱えている人がいたら、私はその人の気持ちが分かり、うまく指導(というか、アドバイス)できる気がする。しかし自分がほとんど経験しなかった初心者の悩みの場合はうまく指導できる自信がない。

それぞれのレベルで自分の上達を妨げている「壁」があると思われる。
その「壁」を取り除くには指導書の説明よりも、経験談のほうが有効な場合もあるかもしれない。
同じような経験をした(あるいは現在経験している)人が、自分が試してちょっとうまくいった解決法を教えてあげる。上級者の目線で完璧に「正しい」解決法を教えてあげるのではなく、自分がその問題をどうやって克服したか(あるいは克服しつつあるか)という経験を共有する場というのが必要だと思っている。それがたとえ「間違った」アドバイスであっても構わない。「小坊主のザル」になりさえすればいいのだ。

ネット上で卓球上達の悩みを相談する場があることはあるが、そのような悩みに対して指導者みたいな人が「○○理論ではこう教えていて、現在それが最も正しいと言われている指導法である」のように大上段に構えて「正しい答え」を教えてくれる。もちろん最終的にはその答えが正しいのだけれど、それが初中級者にはピンとこないことが多い気がする。そのような「正しい答え」は本や雑誌にも書いてある。しかしそのような「正しい答え」よりも、決して上手ではない、同じぐらいのレベルの人が、「こんなやりかたを試してみたら、けっこううまく行ったよ」という経験談のほうがレベルの低い人にはピンとくることが多いのではないか。

【まとめ】
専門家である指導者の説明は結局は「正しい」と思う。彼らはプロなのだから。私もそのような指導者に話を聞くことがあるが、素人が逆立ちしてもかなわないぐらいの豊富な知識に基づいた効率のいい指導法を知っている。しかし指導者じゃない人の指導にも聞くべき価値があると主張したい。学校の勉強でも、先生の説明よりも、友達の説明のほうが分かりやすかったりするではないか。

教え合う

うまくいくかどうかわからないが、そのような指導者じゃない人の経験談を語る場を設けたい。
質問のある人はコメント欄に以下のような書式で質問していただきたい。それに対して同じような悩みを経験した人の経験談をコメントするという形式である。あくまでも「経験談」なので、正しい説明である必要はない。モットーは「間違ってもいいじゃない、にんげんだもの」である。

※決まり
1.「名無し」とか「あ」とか、そういうテキトーな名前は書かないこと。
2.人のコメントを批判・否定しないこと。人は人。自分は自分です。
3.回答する側もあまり熱を入れず、淡白にお願いします。君子の交わりは淡きこと水の如し。
4.考え中



上の決まりに反するようなコメントは公開しません。それから
・メールアドレス欄に何かを書いてもらったほうがなりすましを防げます。
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【質問】質問をまず簡潔に書く。
例:粘着ラバーで速いボールを打つ方法を教えてください。

【状況説明】回答がつきやすいように説明は具体的に。
例:先日、「ブレイクプロ・ブルースポンジ」というラバーを買いました。弾みがよく扱いやすい粘着ラバーということだったのですが、打ってみたら、ふだん使っている日本メーカーのテンションラバーと全く違う感覚でびっくりしました。フォア打ちからボトっと落ちて、ネットに引っかけてしまい、まったく弾みませんでした。テナジーとスペクトルは全く違うラバーですが、粘着ラバーは裏ソフトと表ソフトの中間ぐらいの違いがあるように感じました。テナジーとは全く違うラバーです。使いこなせません。せっかく買ったのに、このままお蔵入りしてしまうのは惜しいので、上手に使えるようになりたいです。同じような経験をした人(一般的なテンションラバーから粘着ラバーに転向した人)がいたら、アドバイスおねがいします。


【追記】170320
新たに質問用の記事を立てたので、そちらをご利用ください。
http://shirotatsu.blog.jp/archives/50890357.html

【追記】170321
ブレイクプロ・ブルースポンジをもう一度少しだけ打ってみたら、前よりも柔らかく、はずみもよく感じた。もちろんふつうのテンションラバーよりは固く、弾まないことには変わらないが。補助剤(已打底)の作用か何かだろうか?
 

前記事「ボールが落ちるのはラバーのせい?」でドライブを打つときにボールが落ちるのは打つ瞬間に足元を安定させていないからではないかと、ぼんやりと感じていたことを独り言のように書いてみた。

いつもと違って肩の力を抜き、結論もあいまいなまま書いてみたのだが、このトピックが多くの人にとって関心があるからなのか、その中途半端な書きぶりが読者を刺激したのか、いろいろコメントをいただき、たいへん参考になった。私が独りよがりに下手な論理を一方的に振り回すよりも、今回のような問題提起のような記事のほうが実りの多い議論になるのかもしれない。

そのコメントの中に、深く考えさせられるものがあり、これは読者に伝えなければと思い、勝手に紹介させていただく。

その具眼の士の名はMr.Smith氏。おそらく長年真剣に指導に携わっている方だと思われる。
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イメージです
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Mr.Smith
以前コメント投稿させていただいた者です。 以前のコメントにも書きましたが、教える側、教わる側でそもそも持ち合わせている「感覚」に違いがあるというのが、私の持論でして、 「突っ張る」という感覚、「踏ん張らない」の感覚というのが、私たちの持っている(考えている)度合いと、卓球Youtuberたちの度合いが違うのではないかと思うのです。 例えば、全ての感覚の「力み具合」を10段階に区分したとき、 私たちの「踏ん張らない」感覚は、0とか1のフラフラしてる状態を思い浮かべるかもしれませんが、Xiaさんからしたら「10ほどは踏ん張らない。」という意味合いで、本人の感覚では3とか4は力を入れているかもしれません。 「突っ張る」という感覚も、教えてくれた方の感覚では5の具合のつもりだったけど、受け取り側が10も突っ張っていれば、教える側からしたら「それは突っ張りすぎだよ(笑)」となると思うのです。 「~する」「~しない」という抽象的な言葉を、1か0だけで判断してしまうのは、とても危ないことなのかなと。

 少し話が逸れますが、人間の身体というのは、とある一部分が力むだけでも他のところも影響を受けてしまう性質があります。 下半身をがっつりと力ませたら、ゆっくり腕を上げようとしてもスムーズにいかない…など。 下半身を突っ張ることで、そこで生まれた力が「上半身→ラケット」と上手く伝われば、良いボールが打てるかもしれませんが、 下半身の突っ張り具合が強すぎると今度は腕の動きがぎこちなくなるために、下半身の力が全く伝わらないことが起きているかもしれません。 逆に、突っ張らなすぎたら「下半身の力」そのものが生まれないかもしれませんし。 そのバランス感覚というのも、技術を実行するために必要なものだと私は考えます。 しろのさんの「突っ張る」というのがどの程度のものなのか?Xiaさんの「踏み込まない」というのはどのくらいの加減なのか?というのを見直してみると、新しい発見が生まれるかもしれません。 古武術学んで感じることは、「何をするにも、1 or 0では無いな!」ということです。小数点以下の感覚があって、動作は成り立ってるんだなと感じるようになりました。(出来ているかは定かではありませんが…)



【以前のコメント】(前記事「安定性とボールの質」)
(前略)私たちのような輩には、シェークハンズの平岡さんのように「肩甲骨使ってスイングしましょう」というアプローチ方法が最適であり、バックハンドを振るための本質として肩甲骨を使う感覚を養うことが正しいと私は思っていますが、
超人さんたちは肩甲骨を使っている意識がないために、ラケットの角度だったり、スイングの軌道だったりと、肩甲骨とかけ離れた説明をします。卓球レポートでは「肘から先を支点に…」という説明もありました。
(肩甲骨で引っ張った後に、腕のしなりで打球するという意味合いでは間違いないのですが。。。)

このように、凡人と超人で「身体操作の感覚」に隔たりがあるために、超人の説明の通りやれば上手くなれるわけではないんだなぁと思いました。(後略)


言葉だけによる指導、あるいは技術解説は誤解を生みやすい。
私が「足を突っ張って」という言葉でイメージしたのは、一瞬だけグッと、たぶん2~3割の力で踏ん張ることだったのだが、7~8割の力で踏ん張ると理解した読者もいることだろう。しかし、言葉で簡単に説明すると、「する」か「しない」かだけになってしまう。
この事実は多くの指導者にとっての戒めになるのではないだろうか。

また、身体各部は有機的につながっており、どこかに力を入れると、他の部分も影響を受けるという指摘も示唆に富むものだった。それは卑近な例で言えば、初中級者が腕に力を入れすぎることによって、他の部分の動きが妨げられてしまうといった事実に如実に現れている。力を入れること自体は悪いことではないと思うが、その力を下半身から上半身に伝えず、初めから終わりまでずっと腕だけに力が入ったままというのが問題になるのだと思う。

気の利いた指導者なら、レベルの低い私のブログなど、まず読まないだろう。Mr.Smith 氏のようなレベルの高い指導者が拙ブログを読んでくださるというのは非常にありがたいことなのである。これまで何度も書いているが、読者はこのブログに書いてあることよりも、むしろコメント欄の鋭い指摘のほうに注目してほしいと思う。

いろいろな人に話を聞いたシリーズ第3回は大学の先生から聞いた話である。

寿司職人の世界では「飯炊き3年握り8年」と言われるらしい。

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うなぎ屋でも「串打ち3年、裂き8年、焼き一生」という言葉があるという。卓球で言えばどうなるだろう。
フォア打ち3年、ハーフボレー3年、ブロック3年、ツッツキ3年、フォアドライブ3年、バックドライブ3年、サーブ…この調子で行くと、試合に出られるようになるのに20年以上かかってしまう。
職人の世界では、毎日やって「飯炊き3年」で、その間は他の仕事はさせてもらえない(たぶん)わけだから、その密度たるやすさまじいものがある。卓球でもフォア打ちだけを3年間毎日5~6時間も続けたら、さぞいろいろな発見があることだろう。

徒弟制度の指導のアプローチというのは、先輩が模範を見せて、その一つの技術が完璧にコピーできるようになってはじめて次の段階に進めるということなのかなと思う。こういうやり方が性に合っている人もいるかもしれないが、私には無理だ。

一方、全く正反対のアプローチの教育を受けて成功した人も私は知っている。
中国人のQ先生は、流暢に日本語を操り、日本語で研究論文も発表しているが、Q先生が受けた教育はこんな教育だったという。

日常会話に毛の生えた程度の日本語しか話せない状態で日本の大学院に留学したところ、親切丁寧な指導などは全くなく、いきなり専門的な論文を読まされ、あまつさえ同程度の研究発表を要求されたのだという。卓球で言えば、公立の中学校の卓球部員が日本リーグ加盟の実業団の卓球部に入部して試合をさせられるようなものである。まず論文が読めない。中国人のアドバンテージで漢字からなんとなく意味を類推できるが、それでもほとんど理解できない。にもかかわらず1ヶ月後に怖~い先生の前で日本語で意味のある発表をしなければならない。怖い先生は自分の研究で忙しく、何も教えてくれない。どうすればいいのか。例えば私が今、ハーバード大学だの、スタンフォード大学だのに留学し、1ヶ月後に英語で専門的な発表をしろと言われたら…無理に決まっている!

Q先生は先輩や友人からいろいろアドバイスをもらい、自分のできることを定め、その一点に集中して調査をし、なんとかゼミ発表までこぎつけたが、当然のごとく大失敗で、怖い先生からはその発表内容に対してネチネチと罵詈雑言を浴びせられた。しかし、そのような大失敗を何度もくり返すうちに数年後にはなんとか専門的な研究論文を読めるようなり、発表もできるようになったのだという。

専門的な日本語が全く分からない状態なのに数年後には専門的な研究発表ができるようになったQ先生。こういう例はQ先生が中国人で、漢字がよく分かるというアドバンテージを活かした稀なケースといえるかもしれないが、他にもこういう例を思い出すことができる。

ドナルド・キーン氏は日本文学研究の泰斗と言われるすごい人だが、氏はもともとアメリカ人(近年日本に帰化)で母語は英語である。にもかかわらず日本人でさえ読めないような古代の日本語から近現代の文学作品まで読みこなす日本語読解力は日本人以上と言える(ただ、講演会で実際の話を聞いた時、発音はそれほど流暢ではないという印象を受けた)

古事記を翻訳したチェンバレンや源氏物語を翻訳したアーサー・ウェイリーなども同様である。おそらく彼らは先生の指導を受けながら一つ一つの段階を順番にクリアして最終的に古事記なり源氏物語なりを翻訳したわけではなく、日本語がそれほど上手でない状態でいきなり古代日本語と向き合い、どうすればいいかを模索しながら手探りで翻訳していったのだと思われる。

職人のアプローチが先生の技術をコピーして一つ一つを完璧にした上で次の段階へ移るというやり方なのに対して、Q先生のアプローチは能力的には不十分でも難しい課題を設定し、それを達成するためにどうすればいいかを自分で考えるというアプローチだったと言えるのではないだろうか。

これを卓球で考えるとどうなるか。
私が明治大学や専修大学の卓球部に入部して…というのは、そもそも大学の卓球部に入部できないから無理である。そんな高いレベルでなくとも、身近にいる強い人と試合をさせてもらうというので十分だ。おそらく1ゲームあたりせいぜい3~4点しかとれないだろう。サーブが返せない、返せても3球目で強打されて終わり。こちらのサーブは2球目で強打。あるいは厳しくレシーブされて、4球目で強打されて終わり。どうすればいいのか。まず相手のサーブを厳しく返球できるレシーブ力を身につけなければならないし、容易に強打されないようなサーブ力を身につけなければならない。

これまでなら、強い人と試合して負けても、「勝てるわけない」などと思ってしまい、自分に欠けている技術や相手の攻撃を防ぐ戦術などあまり反省することもなかったが、強い人に絶対に勝つという目標が定まればおのずと自分がすべきことも見えてくる。サーブを磨き、レシーブを厳しくするというのがまず第一の課題である。そしてその課題をなんとかクリアしたとしても、やはり強い人には先手を取られて強打されてしまうだろう。となると、どんなボールでも確実にブロックできるブロック力が重要になってくる。ここまでがきちんとできないと、強い人と試合をしてラリーにまで持ち込めない。

まず、サーブとレシーブの向上が第一段階で、次の段階がブロック力の強化である。

あれ?なんだか職人の段階的なアプローチに近づいてきたぞ。となると、職人的なアプローチも、Q先生のアプローチも大差ないということになるのだろうか。いや、違う。私は今、難しい課題に対して自分で解決法を考え、それを高いモチベーションで実践(練習)に移そうと考えている。職人的なアプローチなら、たぶんこれほどの高いモチベーションは湧いてこなかっただろう。指導者が模範を示し、そのとおりにマネをする、というアプローチではおそらく当事者意識が湧いてこなかったと思う。「コーチの言うとおりにしていれば、自然に強くなる」というあなたまかせの練習では、「やらされてる感」しかないだろう。それに比べてQ先生のアプローチでは自分で課題を発見し、その解決法を自分で考えるというプロセスがあり、「頼りになるのは自分だけだ」という切迫感のようなものがある。このような意識が上達には非常に有効なのではないかと思われる。

教育しうるのは気づきのみである」(カレブ・ガテーニョ)。


これまでの経緯の詳細は前記事「オルタナティブ指導」参照。

読者のみなさんの知恵をお貸しください。

質問のある人はコメント欄に以下のような書式で質問してください。それに対して同じような悩みを経験した人の経験談をコメントするという形式です。あくまでも「経験談」なので、専門的で、正しい説明である必要はありません。
モットーは「間違ってもいいじゃない、にんげんだもの」です。

※決まり
1.「名無し」とか「あ」とか、そういうテキトーな名前は書かないこと。
2.人のコメントを批判・否定しないこと。人は人。自分は自分です。
3.回答する側もあまり熱を入れず、淡白にお願いします。君子の交わりは淡きこと水の如し。
4.用具の質問はできれば他でおねがいします。
5.


上の決まりに反するようなコメントは公開しません。それから
・回答に対するお礼は義務ではありません。回答する方はあまり期待しないほうがいいです。しかし、きちんとお礼をしたほうが次に質問するときに回答がつきやすいと思います。
・メールアドレス欄に何かを書いてもらった
(公開されません)ほうがなりすましを防げます。
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質問の書式

【質問】質問をまず簡潔に書く。

【状況説明】回答がつきやすいように説明は具体的に。

※質問は2018年3月末をもって原則として質問の受付を終了する。

先日、とある卓球場(教室)で2時間台を借りて友人と練習をした時のこと。

初老の男性が個人レッスンを受けに来た。
若いころに部活などで打った経験が少しだけあるといった感じの人だった。

卓球場には大学生のアルバイトと思しき若い男の子が一人だけいた。黙々とケータイをいじっていたのだが、時間になったので、無表情で立ち上がり、初老の男性に対応していた。

「何か練習したいことはありますか?」

初老の男性はドライブの打ち方をリクエストしたようだ。
ドライブを打って、バイトの大学生が無言でブロックする。ときどき思い出したようにアドバイス。

「順回転のボールを打つ場合、ボールの後ろをとってドライブをかけると、飛びすぎてしまうんで、ボールの上のほうとか、斜め上とかを触ってこすったほうがいいですよ。」

初老の男性も無口な人のようで、しばらく沈黙のままボールを打つ音だけが聞こえてきた。

練習はいつのまにかレシーブに移っていたらしく、大学生は横回転や下回転など、いくつかのサーブを出して、それを男性がレシーブしていた。

「打点が遅すぎるので、ボールがバウンドする瞬間に当てるような気持ちで、早めに打った方がいいです。」

またしばらくボールを打つ音だけが響き渡る。

途中で数分の休憩が入る。

大学生はレジのカウンターの前に座ってケータイをいじり始める。男性は汗を拭いたり、素振りをしたりしている。

その後練習は再開され、何かの練習をしていたのだが、私も自分の練習に夢中になっていて、どんな練習をしていたのか分からない。

1時間の個人レッスンが終わって、男性は静かに料金を払い、去っていった。
大学生は相変わらず無表情で一言「ありがとうございました」と述べて、またカウンターに座り、ケータイをいじりはじめる。

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個人レッスンというのは、私はあまり受けたことがないが、こういう指導もよくあるのだろうか。

私が受けた個人レッスンは指導者がハキハキしていて、ふだんどんな練習をしているかやどういう卓球を目指しているかなど、笑顔でいろいろ話しかけてくれた。指導中も常に声掛けがあり、

「手で打たないで!胴体を回して!はい、そう!今のはよかった!」

などと励ましてくれたりした。水分補給のための休憩には世間話や共通の知り合いがいないかどうかなどを聞いてくれたりして、1時間を楽しく過ごすことができた。

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イメージです

上の卓球教室の指導役の学生には熱意が感じられず、淡々と指導していたように感じた。必要最低限の交流しか持ちたくないといった感じで、対応時間以外はずっとケータイをいじってバリアーを張っている。彼はもしかしたら実力的には非常にレベルが高い人かもしれない。関西学生リーグの1部校のレギュラーかもしれない。また、指導も的確なのかもしれない。しかし、バイトとはいえ、こんな対応をされたら、二度と個人レッスンなど受けたくないと、私なら思うだろう。

東京に行ったときにいつか卓球の個人レッスンを受けてみたいと思うのだが、いくら安くても、また有名な教室でも、ちゃんとコーチを選ばなければダメだなと思った一日だった。



ショーケンが68歳で亡くなったというニュースが飛び込んできた。
また昭和のアイドルが一人世を去った。
ショーケンという男は人間的にいろいろ問題があったかもしれないが、若いころはとにかくかっこよかった。
傷だらけの天使

破天荒でがむしゃらで、野獣のような奔放さを持つ一方で、しゃれたデザイナーブランドを身にまとい、男の色気とでもいうべきものを放っていた。ドラマ「傷だらけの天使」では探偵オサムを演じ、水谷豊演じるアキラの兄貴分としての役柄はバッチリはまっていた。水谷豊といえば、代表作「相棒」で理知的で上品な紳士というイメージを確立したが、私の中では「あにき~!」といつもオサムを金魚の糞のように慕っているチンピラのヘタレである。水谷の舎弟役も名演だった。「死ぬ前に一度でいいから女を抱いて死にてぇよ~」という名言も忘れられない。
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先日の記事のコメントで読者のMr.Smith氏から興味深い動画をご教示いただいた。


徳島の野球専門トレーニングジム「インディゴ・コンディショニングハウス」で球速150キロの投球を実現するためにアマチュアの野球選手がトレーニングを積むという企画である。

次々と出てくる謎の測定器具やトレーニング器具、あふれる専門用語…トレーナーの殖栗氏の知識の博さには驚くばかりである。
こんな人に指導されたら、誰でも簡単に150キロの速球が出せそうな気がしてくる。
私は野球には全く興味がないが、「体のひねり」「タメ」「下半身の使い方」等、ここで指導されている内容というのが野球のみならず、卓球にも大いに関係しそうなのである。これは見ないわけにはいかない。
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はじめに体力テストが行われる。
「骨盤回転」「バネ右足」「シングルスクワット」「リアクション」等、野球に関するあらゆる身体能力を数値化し、どこが弱いかを把握するのである。

それぞれの値について殖栗氏が野球のどんな部分に役立つかを解説する。手慣れている。
そして一通り体力測定を終えて、弱い部分を矯正していくのだが、内容が濃すぎて、一回で理解するのが難しい。頭で消化して、肚に落ちるまでにはかなりの時間がかかりそうだ。

すべてが競技力に結びついていてスキがない。おかしい…。スポーツの指導ってこんな手の込んだものだったっけ?これではまるで人間ドックではないか。

おそらく昭和の時代にはこういうスタイルの指導はほとんどなかったのではないだろうか。もっと「体力の限界」とか「長時間練習こそ正義」といった雰囲気だったと思う。日本のトップレベルではどうだったのか分からないが、アマチュアレベルで海外の進んだ理論にもとづいて科学的で無駄のないトレーニングを行うというのは平成に入ってからの傾向なのではないかと思う。インターネットが発達し、youtubeで世界中のスポーツ指導が手軽に見られるようになったことがその背景にあるのだろう。

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ショーケンのような危険で歯止めの効かない役者は平成では居場所がない。平成では(舞台の外では)礼儀正しくルールを守り、誰に対してもニコニコしている社交的な役者こそが求められる。

昭和と平成は時代の雰囲気とでもいうべきものがやはり違うなと思う。若い人は昭和の雰囲気を知らない人も多いと思うが、社会は平成になって確実によくなってきたと思う。より公平で、より合理的で、スマートな社会に変わってきた。昭和はもっと暴力的で、権威主義的で、セクハラだらけで、悪いやつらがのさばっていた(古老の話によると、64年の東京オリンピック以前の日本はそれ以後とは全然違って途上国丸出しだったらしい)。そしてときおり突き抜けた(いい意味での)バカが時代を動かしたりできた。平成は違う。そもそもバカが生まれにくくなっている。情報が行き渡っているので、何かを始める前にだいたいの結果が予想できる。今の世の中、海外に渡り、事業で大成功を収めたいと、言葉も通じぬ異国に徒手空拳で渡ろうなどというバカはなかなかいない。だいたいネットで現地の事情を調べてから、相応の準備をして渡航するのがふつうだ。さらに身の丈に合った夢を追い、無理な夢は追い求めない。平成になってバカが少なくなった。合理的思考を身につけた常識人が多い。

そんな昭和と平成の違いに思いをはせる間もなく、あと1か月で平成が終わってしまうなんて…。感慨深い。
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殖栗氏の一連の動画に目を通して頭に残ったのは「固定点」という言葉である。これが今の私に欠けているところだと思うからである。
殖栗氏は選手に肘を曲げるように指示し、選手は言われたとおりに肘を曲げてみる。

「なんでそういう動き(肘を曲げる)が出るかっていうと、ここ(肩)が固定されてるんです。」
「筋肉が収縮する場合って収縮する前に必ず固定点が必要になってくるんです。」

固定点

「バッティングでもピッチングでも大事なのは全部そこですよね。」

言われてみれば当たり前なのだが、どこかを動かすにはどこかが固定されていなければならない。強いショットを打つために「力を抜いて」「体をリラックスさせて」などと言われるが、全身の力を抜いてしまったらいいショットなど打てるはずがない。腕や肩の力を抜くのは、他のどこかに固定されている箇所――力の入っている箇所がなければならない。

固定点からの動き
もうなにがなんだか分からないが、要するにすべての関節の動きには固定点が必要らしい。

固定点を作るには体幹がしっかりできてなければならず、そこから四肢が動き、重心移動が起こるという順番があるらしい。固定点にも複数あり、前後の固定点(腰を曲げる)、左右の固定点、水平面の固定点(上半身の捻り)があるという。すさまじい情報量と説得力である。

在野の指導者がここまでするなんて突き抜けている。もうここまでくると、愛好家レベルの枠を越えてしまっている。平成になって突き抜けた人が少なくなったと思ったのは私の勘違いであり、昭和に数多く存在していた突き抜けたバカが、平成になって進化し、突き抜けたナイスガイになってきたのではないだろうか(殖栗氏は非常に感じのいい人である)

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この動画を卓球にどのように応用すればいいか分からないが、とりあえず私は自分なりに理解した殖栗氏のポイントから、先日の練習では右足の付け根に固定点を作ってフォアドライブを打つようにしてみた。もちろん腕や肩の力は抜いて。すると、コンパクトなフォームでいい感じのドライブが打てた。
さらに動画を見てみると、どうやら足の裏も非常に大切らしい。

足の裏

今度は右足の付け根だけでなく、足の裏にも気をつけようと思う。

【追記】190514
右足の付け根に力を込めてドライブを打っていたところ、股関節が痛くなってきた。
故障しやすい打ち方なのかもしれない。

heika


地域のクラブに来ている小学生の女の子(初心者)に卓球を教えてやることがあるのだが、なかなかうまくいかない。わりに筋のいい子で、何回か教えると、フォアドライブが上手に打てるようになった。フォアはある程度安定して打てるようになったので、今度はバックハンドを教えたいと、バックのショートを集中的に打たせてみたのだが、こちらはなかなか上達しない。バウンド直後の早すぎる打点でラケットを当ててしまい、ナックルプッシュのようなショートになってしまうのだ。しばらく続けたが、一向に上達しないので、そこで練習を打ち切らざるを得なかった。というのはその子が途中でやる気をなくしてしまい、休みたがっているのが伝わってきたからだったのだ。

この子はまだ卓球の楽しさが分かっていないようだ。どうして卓球の楽しさが分からないのか分からない。どうしたら子供を卓球好きにできるのだろうか。

先日、若い(といっても30代だが)卓球仲間にこんなことを聞いてみた。

「卓球の練習のある日に、友達との飲み会が重なったら、どちらを選びますか」

その人は「難しいですね…。」とだけ答えたが、私ならもちろん練習を選ぶ。どうして飲み会なんかに行きたいのか、そんな機会はまたすぐ訪れるだろうに(よく考えたら、卓球の練習の機会はもっとすぐ訪れるか)。この人も卓球が好きなのだろうが、卓球狂いというほどではないらしい。

だが、その人の気持ちも分からないではない。私も中年になって、卓球を再開して、はじめのうちは楽しさがよく分からなかったからなのである。卓球が楽しくなかったわけではない。しかし、何ものにも替えがたい楽しみとまでは思えなかった。仕事が忙しいときはよく練習を休んでいたし、大雨が降っていたら、練習を休んだりしたし、卓球以外のレクリエーションにも興味があった。

しかし、今や私の生活は卓球を中心に成り立っていると言っても過言ではない。どうして私はこんなに卓球にハマってしまったのだろうか。

思い返してみると、私が卓球の楽しさに目覚めたのは、ドライブを打つ爽快感がきっかけだったのかなと思う。実戦ではなかなか気持ちよくドライブを打たせてもらえなかったが、練習で相手にバックでブロックしてもらい、ワンコースでフォアドライブを打つと、非常に気持ちよかったのである。はじめは3~4本もドライブを打つと、ミスしてしまい、あまり続かなかったのだが、いろいろ工夫していくうちに10本以上連続して打てるようになってきた(ワンコースだが)。打ち方によってはしっかりと引っかかる感覚が感じられたり、あるいは回転がかかる前に飛んで行ってしまったり。打点を変えたり、スイング方向を変えたり、力の入れどころを変えたりすると、それに応じて多様なドライブが打てる。威力ばかり求めてしまうと、安定性がなくなるので、とにかく何本でも続くような、6~7割ぐらいの力で打つドライブに落ち着いた。これでバック半面ぐらいにボールを散らしてもらってフォアドライブを連打していると、時間があっという間に過ぎていった。ドライブが1本決まるだけでも気持ちいいのに、それが延々と何本も続くのだからたまらない。

ちゅ~る
喩えていえば、こういう気分である

そんなことばかりしていたから、バックハンドや台上はちっともうまくならなかったが、それでも卓球の楽しさを知ることができたのは大きかった。

多くの人にとって卓球の楽しさの入り口は、ドライブを打つ気持ちよさではないかと思う(前記事「「擦る」感覚の習得」「卓球の楽しさの原点」)。相手が上手にブロックしてくれると、ドライブが連続して打てるようになってくる。私の周りには幸いブロックが上手な人がいてくれたので、私はどんどん卓球に惹き込まれていったのだが、社会人の場合、そういう環境がない人も多いだろう。

健太ブロック

ブロックができる初中級者というのは案外まれだと思う。私の周りにもバックブロックができず、バックハンドはすべてカウンターで返す人が少なくない。そういう人はワンコースで続ける練習ができないのか、したくないのか分からないが、2~3往復ぐらいでラリーを断ち切って、打ち抜こうとしてくるのでラリーが続かず、楽しくない。初心者、初級者にとって分かりやすい卓球の楽しさは、ワンコースで延々とラリーを続けながら、自分の技術の信頼性を高め、打法を確立していくことなのではないか。

いろいろな人がいるので、「いや、全面にツッツキでラリーをするのが楽しい」とか「ゲーム形式の練習が最高!」という初心者、初級者もいるかもしれないが、私はワンコース練習が効果的なのではないかと思う。今度、その子と打つ機会があったら、難しいことはさせず、心ゆくまで思う存分ワンコースでフォアドライブを打たせてみよう。




地域のクラブに来ている小学生の女の子に卓球の「指導(っぽいこと)」をときどきするのだが、なかなかうまくいかない。どうしてうまくいかないのか、私は指導者ではないので分からないが、おそらく教える順番が悪いのかなと思われる。

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青春・自然・全力愛を旗印に活動するアイドルユニット「Ru:Run」に著名な卓球指導者の平岡義博氏が卓球を指導するという企画の動画を見た。平岡氏といえば、今を時めく全日本チャンピオン宇田幸矢選手を育てた指導者である。完全な初心者が一流の指導者の手でどのように成長していくのか興味深く視聴した。


平岡氏は自身の卓球理論に基づいた指導で、効率的な体の使い方を基礎から丁寧に指導する。こんなぜいたくな指導で卓球がうまくならないほうがおかしい。上達しないはずがないのである…

平岡指導

平岡指導2

が、そのまさかが起こってしまった。彼女たちは一向に上手にならなかったのだ。

平岡氏「今、すごい短期間の間に実はいろんな要素を入れてやってみた。だからそんなに簡単にできるわけないと思う。これができなきゃダメだよってほどじゃないことなんだけど、今、やってみたら、『この人のこういうところがうまくいかないな』っていうのが分かりました。…それぞれ得手・不得手があって、それを今度は各々に合った感じでやっていきます。」

平岡指導3

平岡指導4

彼女たちの「運動神経」は想定外だったようで、さすがの平岡氏もお手上げだったのである。平岡氏は指導方針の大幅な変更を余儀なくされた。

私が小学生に「指導」するときも、こんなことがよくある。

「手を使って打たないで、胴体を捻るようにしてスイングしなさい。手の力はできるだけ抜いて。」
「遠いボールは手を伸ばして打たないで、足で近づいて打ちなさい。」

などと言って、多球練習などをさせてみるのだが、ちょっとは形になって来たかなと思って自由に打たせるとそれまでの「指導」が全く定着していない。手打ち丸出しのメチャクチャな卓球に逆戻りである。

次のエピソードでは、ここまでの練習の成果を試す課題「フォアハンドでのラリー往復10回」に挑戦する。



おそらく撮影はわずか数時間だったのだろう、平岡氏の指導はほぼ定着していない。子供たちと同じように、指導前の状態に逆戻りしているように見える。しかし、我流の卓球でミスせずラリーを続け、なんとか課題をクリアしていくメンバーもいる。これを見て思ったのは、完全な初心者にまず教えることは、フォームや体の使い方ではなく、打球タイミングではないかということである。

打球タイミングさえ正しければ、そして押しすぎなければ、とりあえずボールが入る。これからは私も小学生を「指導」するときにまず打球タイミングを教えてみようと思う。たとえフォームが変でも、打球タイミングが合って、ラリーが続くようになったら楽しいだろうし、そこからフォームや身体の使い方を一つづつゆっくり教えてみたら、上手になるかもしれない。
しかし、打球タイミングってどうやって教えたらいいのだろうか。参考になる動画を探してみたのだが、案外見つからないものである。

卓球三昧の藤井貴文氏の以下の動画が見つかった。



氏のブログにこんな解説がある。
卓球においてリズムは二拍です。よく、ためてから打ちなさいと言いますが、「ため」と「打ち」の二拍はとても重要です。相手の打球した瞬間に「ため」、そして自分の台にボールがバウンドしてからスイングを始めてボールを「打ち」ます。ボールが自分の台にバウンドしてからスイングを始めると振り遅れるのではないかと思われる方は多くいるかもしれませんが、それくらいの方がタイミングが取れます。

「相手の打球の瞬間」と「自分のタメ(腹をへこます)」

が同時で、

「自コートにバウンドした瞬間」と「自分のスイングのスタート」

が同時になるようにするというのがいいらしい。それをやや強調して示したのが上の動画のようだ。

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自分の打球タイミングを反省してみると、私は次のようにタイミングを取っていると思われる。

バウンドの軌道
上のような軌道のボールを打つタイミングを取るために以下のようにイメージしてみる。

バウンドの軌道3
ボールが自コートでバウンドすると、現実のボールは台の上に跳ね上がるが、そのボールが台をすり抜けて下に潜り、それから重力に反して上に「落ちていく」と考えるのである。中年にはグラディウス4面の逆火山をイメージしてもらえると分かりやすいかもしれない。


当時、復活不可能と言われた3周目以降の逆火山の復活パターン


バウンドの軌道2
その台をすり抜けてボールが上に「落ちていく」軌道にラケットを合わせて、弧を描いてラケットを振り上げ、台上のボールと出会うところが打球タイミングと考えると伝えやすいと思う。


こちらはタイミングの取り方というより、ボールと身体の位置関係を教えてくれる

このようにタイミングを取れば、ある程度までのスピード・回転のボールには対応できると思われる。


よく訪れる卓球場で、年配の女性が年配の男性といっしょに練習しているのを見かける。
どうやら男性の方が女性を指導しているようである。
その指導を聞くともなしに聞いていると、「ラケットを上ではなく前に振るように」とか「ボールに合わせるのではなく、自分の力で打て」のような指導が聞こえてくる。

その女性はまだ卓球を始めて間もない(?)初級者のようで、フォア打ちとかはできるけれど、オール形式の練習(下回転ありのコース全面練習)になると、腕を伸ばしきったり、こねたりしてハエたたきのようにボールを打っている。もちろん全く安定しない。それを傍で見ていてもどかしい気分になってくる。まず、その腕をこねくり回すのをやめさせるのが先決なのではないか。私は人様に卓球を教えるような能力も経験もないが、私が教えたほうがまだマシなのではないか。そんなことを考えながらその女性に一言アドバイスをしたい衝動に駆られたが、ガマンして何も言わずに自分の練習を終えた。
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指導というのは対機説法であり、誰にでも通用する正解というのはない。が、多くの初心者・初級者にとって優先的に教えるべき項目というのがあるのではないだろうか。

私なら、初心者・初級者にまず打球タイミング、次にワキを締めることを教えると思う。

初心者・初級者のミスの大半はラケット面の角度が間違っているというより、振り遅れてオーバーミスさせてしまうことだと思うし、たとえボールが台に入ったとしても、打球タイミングがズレていると、気持ちよく打てないからである(前記事「打球タイミングの取り方」)。ボールがラケットに当たるのがちょうどバウンドの頂点になるようなタイミングで打つようにするのである。

また、ワキを締めずに腕を自由に動かせるとなると、遠いボールには足を動かさず、手を伸ばして打とうとしてしまうのが普通だろう。ワキを締めるという指導は昭和の頃に行われていたと思うが、今は流行らない指導かもしれない。しかし、上腕を体側にくっつけていれば、腕を自由に伸ばせないので、おのずから足でボールに近づく癖がつきそうだし、体幹を回して打つという打ち方に気づきやすいのではないかと思われる。上達してからもワキを締めている必要はないと思うが、はじめのうちはワキを締めておいたほうがいいように思われる。

一方、腕の振り方などのフォームはあまり口うるさく指導する必要はないように思う。クセのあるフォームでも上手な人はいるし、変なフォームでも安定して入っていれば、それが本人にとって良いフォームだと思うからである(脇を締めるというのもフォームの矯正のうちか…)。

まず、1球1球、足を動かしてポジショニングをするというのは卓球において非常に大切なポイントだとは思うが、私自身もちゃんとできないので、それを初心者の段階で求めるのは酷だと思われる。

以上、指導の素人が考えた初心者・初級者に優先的に教えるべき項目である。

では、プロの指導者はどのように考えているのだろうか。気になってネットで調べてみた。
が、指導のプロが考える「初心者・初級者への指導で優先されるべきこと」という情報はなかなか見つからなかった。

横山友一氏は、どのレベルかはっきり言っていないが、おそらく初級者対象の動画で打球ポイント(体とラケットの位置関係)の指導が優先されるべきだと述べている。

dakyuu point

https://www.youtube.com/watch?v=jPzEsZseR5M

打球タイミングよりも、打球ポイントのほうが優先されるべきだと上の動画で詳しく説明されている。

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