しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




カテゴリ: 随筆

なんとなくボールが走らない。ひっかかりが落ちているような気がする。週2の練習で半年近く使っているラバーは、引っ掛かりがないというわけではないが、以前よりボールをしっかりと掴んでくれないような気がする。ラバー(裏ソフト)の表面を見ると、ボールがよく当たる部分のツブが白く浮き出ている。使えないこともないが、新品のときのようなドライブが打てない。

中高の部活などで練習している場合は3ヶ月ほどでラバーを替えるのがいいと聞いたことがある。しかし、私の周りの上手な人はたいてい用具に無頓着で「1年ぐらいは大丈夫」という人が多い。おそらくこのラバーを見せたら「大丈夫、大丈夫。まだまだいけるで」などと言われるに違いない。そしてそれを証明するかのように、私のくたびれたラバーで驚くような回転のかかったドライブを打ってみせるのである。

私はラバーの引っかかりがなくなり、サラサラになるまで十分使い込んだことはない。そうなる前に、調子が悪くなったり、伸び悩んでいたりして、なんとなく替えてしまう。だからラバーの寿命について明確な基準がない。
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先日、年配の上手な人に用具の悩みを聞いてみた。
「テナジーとか、性能の良いラバーを使うと、飛びすぎてしまってダメなんですよ。」

Sさんは60代だが、若い頃は全国大会とかにも出ていた上手な人である。今どきのラバーに新調したら、安定しないと嘆いていた。マークVやスレイバーで育った世代とテンションラバーで育った世代では打ち方に違いがあるらしい。

「今どきの若い子は、下回転のボールを上から触ってドライブをかけるけれど、私は怖くてようしませんわ。」

Sさんは対下回転の場合は、基本的にボールの真後ろ近くか、やや下を触ってドライブをかける。いわゆる「乗せて打つ」というヤツである。ボールの斜め上を触って回転で飛ばす、今どきのドライブと比べると、ショットの鋭さは劣るものの、安定している。

この「乗せて打つ」というのは、正直なところ、私には完全に理解できているとは言い難い(前記事「この当て方で何かが変わる」「にくいあんちくしょう」)。必ずしもラケット面が上を向いている必要はなく、ほとんど垂直に面を立てて当てているように見えるのに「乗せている」と言われたりするからである。例えば下の樊振東選手のバックドライブは垂直気味に面を立てているが、これは「乗せて打つ」と言えるのだろうか?

fzd
https://youtu.be/lMc6gPxam2w?t=132

私の「乗せて打つ」がちゃんと乗せられているかわからないが、とにかく私もマネしてボールの後ろの方を触ってドライブをかけるようにしてみたところ、私のくたびれたラバーでも下回転のボールを落としにくくなった。さらにあまりがんばらなくても下回転が持ち上がるのである。

今までボールの上の方をさわりすぎていたのかもしれない。もう少し下の方を触ってドライブをかけるようにしたら、ラバーのひっかかりはほとんど気にならない。こういう打ち方なら引っ掛かりが多少失われた、くたびれたラバーでも安定して入りやすいので、ラバーを新しくしようという気持ちがなくなり、結果的にラバーの寿命を伸ばすことになった。


今、話題の対話型AI、ChatGPT( Feb 13 Version. )を遅ればせながら使ってみた。

GPT

使い方は簡単。メールアドレスやケータイの番号、名前を登録(sign up)し、メールとケータイに送られてきた番号を入力すると、ログインできるようになる。あとは画面の下段のスペースに質問をするだけ。

「卓球のツッツキのコツは何?」という質問をしたところ、次のように回答された(赤字はしろののコメント)。
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卓球のツッツキは、相手のスピードや回転をコントロールする上で非常に重要な技術のひとつです。以下に、ツッツキのコツをいくつかご紹介します。

1.ラケットの角度を調整する
ツッツキは、相手からのスピードや回転を受け止め、相手に返球する技術です。そのため、相手からの球のスピードや回転に合わせて、ラケットの角度を微調整することが重要です。回転がかかっている球には、ラケットの面を傾けることで回転を打ち返しやすくすることができます。

「相手からのスピードや回転を受け止め、」「回転を打ち返しやすくする」という部分が日本語として不自然である。内容的にも当たり前のことしか言っていない。

2.相手のボールを待つ
ツッツキは、相手のボールを待って受ける技術です。相手のボールを受ける位置をしっかりと把握し、ボールが来たら素早く反応して返球することが大切です。また、相手が攻撃的なボールを打ってきた場合は、そのスピードや回転を利用して、返球を打ち返しやすい位置に置くことが重要です。

「返球を打ち返しやすい位置に置く」という部分の日本語が不自然。後半部分は言いたいことがよく分からない。

3.手首の使い方を意識する
ツッツキは、手首を使って球に対してスピードや回転を与えることができます。手首を使って打つことで、相手の攻撃的なボールにも対応しやすくなります。手首を意識して、ラケットの面を正確にボールに合わせるように練習してみましょう。

「相手の攻撃的なボールにも対応しやすくなります。」とあるが、たとえば相手のドライブをツッツキで返球するということだろうか?内容的に疑問が残る。

4.練習を積む
ツッツキは、反復練習が非常に重要です。特に、相手のスピードや回転に対応できるようになるためには、たくさんの練習が必要です。繰り返し練習することで、身体が覚え、自然と正確なツッツキができるようになります。

日本語的に問題はないが、内容的にはおもしろみがなく、当たり障りのない回答という印象。

以上が、ツッツキのコツです。繰り返し練習することで、徐々に技術が向上していきますので、まずは基本的な動作を練習し、徐々に応用力を身につけていくことをお勧めします。

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あまり深く考えずに読むと、自然な受け答えに見えるが、細かく読んでみると、不自然な日本語も見受けられる。が、機械が作ったと思えば、日本語は十分及第点だと思う。しかし、内容的に深みがなく、当たり障りのない回答ばかりのように感じた。また、驚いたことに、時間をおいて同じ質問をすると、別の回答になっていた。
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  1. 相手の球を読む 相手の球を読むことがツッツキを安定して打つ上で大切です。相手のボールのスピードや回転、軌道を読み取り、適切な位置でラケットを当てるようにします。相手のボールを読むためには、相手のラケット、肩、腕の動きを観察することが重要です。

「相手のボールの軌道を読み」とか、「相手のラケット、肩、腕の動きを観察する」とか、ちょっとよさげなことを言っている。

他にも、中年を主人公にした卓球小説も書いてもらった。
といっても、あらすじ程度のものだったが。
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中年の大森は、定年を迎えた後、ふとしたきっかけで卓球を始めることになった。最初はただの趣味だったが、次第にその楽しさにはまっていった。

大森は、卓球教室に通い始め、そこで同じく中年の仲間たちと出会った。彼らは皆、卓球に熱中し、年齢を感じさせないほどの技術を持っていた。

大森は、卓球教室での練習を通じて、仲間たちとの絆を深めていく。そして、ある日、彼らは卓球大会に出場することになった。

大会当日、大森たちは力を合わせ、一戦ごとに勝ち進んでいく。試合は激戦となり、大森たちは苦戦を強いられるが、仲間たちの励ましと支えにより、次々と強豪チームを倒していく。

そして、ついに決勝戦が始まる。相手は若い選手たちで、大森たちは力負けしてしまうかと思われたが、彼らはそれぞれの持ち味を活かし、チーム全員で協力して戦うことで、見事に逆転勝利を手にした。

大森たちは、年齢を超えた卓球の楽しさを再確認した。彼らは、今後も卓球を通じて、健康で明るい人生を過ごしていくのであった。
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まるで小学生の作ったお話で、なんの面白味もない。これをもとにいくら推敲しても文学賞はとうてい無理だろう。

とんでもない世の中になったものである。昔は知識が多いことに価値があったが、AIが普及したら、個人の知識の多さは大して問題にならなくなりそうだ。これからAIがどのように生活の中に浸透していくのだろうか。便利なことも多いが、現時点では間違ったことも多いし、プロパガンダや犯罪などに悪用されるおそれもある。

このような対話型AIの影響をモロに受けるのは、教育現場ではないかと思う。先生に聞くよりも、AIに聞いたほうが効率がいい場合もありうる(個人の興味に応じて自分に合った学習ができる)。その一方で、AIを使って小論文やレポート的な課題を提出する学生がこれから大量に出てくると思われる。ありきたりな内容で、深みはないが、形式的にはそれらしく書けているので、採点する先生はさぞ混乱させられるに違いない。

【付記】
「平野美宇って誰?」という質問に対する答えが以下である(Mar 14 Version. )。伊藤美誠や早田ひなと混同しているようだ。現時点ではwikipediaのほうがはるかに信頼性が高い。

平野美宇(ひらの みう)は、日本の卓球選手です。2000年7月14日生まれで、福岡県北九州市出身です。

平野美宇は、幼少期から卓球を始め、全日本卓球選手権大会などの大会で数多くの優勝を経験してきました。2013年には13歳で全日本卓球選手権大会女子シングルスでベスト8に入り、その後も着実に実力をつけていきました。

2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、女子卓球シングルスで日本代表として出場し、ベスト16に入りました。2018年にはアジア大会で女子シングルス、団体の2冠を達成し、日本の卓球界を代表する選手の一人として注目を浴びました。

特に2021年の東京オリンピックでは、女子卓球シングルスで銅メダルを獲得し、日本の卓球界において大きな話題を呼びました。平野美宇は、卓球界において非常に優れた技術とスピード感あふれるプレイを誇り、今後も期待される若手選手の一人です。


youtubeのWTTのチャンネルを登録していると、毎日のように大量の動画が上がってくる。
自身の「登録チャンネル」のページを開くと、連続してWTTの動画のサムネイルが並んでいてうんざりする。これだけ大量だと、見ようという気が起こらない。結果だけテレ東の卓球ニュースで見ればいいかなと思う。

10年ほど前、キラースピンの公式動画で"slow motion studies"というシリーズがあった。
https://www.youtube.com/results?search_query=slowmotion+studies

aliel
今はどうしているのか、アリエル・シン選手。

名前の通り、トップ選手のプレーを技術研究用にスローモーションにして流す動画である。短い動画ながら、通常スピードでは分からない、トップ選手のラケットの面の角度やサーブの出し方、体の使い方等がよく分かり、参考になる。通常スピードの動画をいくら見ても、動きが速すぎてどんなふうに打球しているのか分からないから、私には馬の耳に念仏だが、スローモーションなら私なりにいろいろ学ぶことができる。

このシリーズの動画をもっと出してほしかったのだが、残念ながら10本ほどで終わりだった。

それがテレ東卓球チャンネルで、嬉しいことに、再現されていたのだ。それが【ダイジェスト】である。おそらく本編のリプレイ動画を集めて編集したものだろう。こういう動画を待っていた!

https://www.youtube.com/@tabletennis/search?query=%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88

rubran
Fルブラン選手の裏面打法
https://www.youtube.com/watch?v=mSlIcJUM2ok

以前にもテレ東の動画で【ダイジェスト】というものがあったが、スローモーションのプレーシーンが少なかったし、スピードも速めだった。今回のシンガポール・スマッシュでは、スローモーションのプレーシーンが比較的多いし、スピードもかなりゆっくりである。【ハイライト】が通常スピードの単なる縮約版なのに対して【ダイジェスト】はスローモーションでカメラアングルも工夫されている。PV的な演出は、私には必要ないが、こういう動画は大歓迎である。なお、PCで視聴するなら、ピリオド(.)とコンマ(,)でコマ送りができる。

うんざりするほど多い試合動画の中で、【ダイジェスト】は異彩を放っていると思う。

【付記】
どうでもいいが、今日はホワイトデー。チョコを貰ったことをすっかり忘れている男性諸君はきちんと行動を起こしたほうがいいだろう。

最近、表面ショートの偉大さを見直している。
発動までの時間が短く、とっさのボールにも対応できることや、早い打点で回転をあまり気にせず押し込めることなど、裏面にはない(?)利点がある。
今までは、台から下がったら威力があまり出せないことやバック側の対応できる範囲が狭い(体幹を外れたボールに対しては手が届かない)ことなどからショートを軽視していたのだが、一般愛好家レベルなら、裏面よりもショートの方がミスが少なく、頼りになるかもしれない。

ショートというと、面を立てて後ろから前に押すだけだと思っていたのだが、それにもコツがあるのだと気づいた。
まず、真後ろから押すのではなく、バウンド直後にほんの少し上からラケットを落とすように押すことによってナックル気味のボールでもネットに掛けずに返球することができる。

short
上から下にラケットを落としながら押しているのにボールが落ちないどころか、逆に上に上がっていくというのがおもしろい。裏面ならボールを落とすのが怖いので、ナックル気味のボールはどうしてもこすり上げてしまうところである。こすり上げると時間的なロスが大きい。

そしておなかの動きと連動させることによって安定性が増す。
ショートはタイミングがバッチリ合えば、大抵のボールは安定して返球できるけれど、ちょっとタイミングがずれると、とたんに安定しなくなる。ショートのタイミングとは何なのかよく分からなかったのだが、どうやらお腹の動きが関係しているようだ。相手が打球姿勢に入って「来る!」と感じたら、お腹をへこませて、相手に打球されて「来た!」と感じたらお腹を押し出す。すると、お腹の動きによって、腕が自然に押し出される時間帯(0.2~0.5秒ほど?)があり、そのタイミングでショートを打球するとお腹の支えの力を借りて打球できるのである。このお腹の支えのあるタイミングを過ぎて、腕だけを伸ばして打球すると、ボールが落ちてネットにかかってしまう。上手にお腹の「加護」のある時間帯を利用して打球するのがコツだとわかった。

見方を変えると、これはボールを引き付けるということになるかもしれない。

相手のボールが向かってきた時、あわてて腕でボールを迎えに行ってしまうと、腕だけを伸ばして打つことになっていまいミスをしがちである。これはお腹に守られている範囲を越えてボールを打ってしまったわけである。ボールがお腹の加護にまもられている間合いに入ってくるまで待ってから打つ、あるいは足を使ってボールに近づいてお腹の加護の間合いの中で打つということが大切なのである。

よく考えてみると、これはペンホルダーのショートに限ったことだろうか?もしかしたら全ての打法に通用する考え方なのではないだろうか。おなかの加護に守られている結界のなかでフォアハンドやツッツキなどをしても安定するのではないだろうか。

【追記】
加護に対してはお供えの甘味が必須なので、ひさしぶりに板チョコを買って食べた。うまかった。
chocolate


裏面打法に挑戦して何年になるだろう。
未だに安定して打てるとはいいがたい。特に対下回転である。
私なりにいろいろ試行錯誤してはいるのである。
面をできるだけ立てるようにしたり、正中線より右側からラケットを出すようにしたり、当てを厚くしたり、薄くしたり…。しかし、どうしても安定しない。そんな時に下の動画に出会ってずいぶんと安定性が増したような気がする。

matumura
【卓球技術】バックドライブ・練習方法など
https://www.youtube.com/watch?v=e35016WC3II

右側の松村夏海コーチには、強いペンホルダーということで私は学生時代から注目していた。
いつの間にか彼女の名前を聞かなくなっていたが、どうやら今はヨーヨー卓球でコーチをしているようだ。

裏面の下回転打ちのコツとしては、
1.足を動かしてポジションをちゃんと合わせる
2.打球ポイントを左足の前(あるいは体の正面)ぐらいにする

ということが紹介されていたのだが、それよりも別のところに私は注目した。
まず、台の下からラケットを出すことである。

dai yori shita

私の対下回転の打ち方は松村氏ほどラケットを下から出していなかった。
ラケットを台の下から出すというのがどういう意味があるかというと、ラケット面が立たざるをえないのである。

uramenzu図1

裏面の角度は自分が思っている以上に寝ていることが多い(図1の上の図)。しかし、台の下からラケットを出すと、台がジャマになるので、ラケットの面が自然と立つのである。

hiraku図2

また、図2のように打ち終わった後にしっかりと体が開くようにするのも効果があると思われる。

それから松村氏の打ち方はバックスイング時にヘッドの先が自分を向くぐらい手首を使っているという点にも注目した。裏面の対下回転打ちは、厚く当ててスピードや威力を出すよりも回転をしっかりかけてボールをネットにかけないようにしたほうがよさそうである。

最近、このような打ち方を試してみて、対下回転打ちがずいぶん安定してきたように思う。

試合の時、相手の試合を見て、相手の弱点を探したりするけれど、私などは自分の弱点には案外無頓着であることに気づいた。そう考えると、相手の弱点を探す前に自分の弱点をきちんと把握し、その弱点を突かれないように戦術を工夫することが相手の弱点を突くことと同じぐらい大切だと思われる。

私の弱点はなんだろうか?

私はどちらかというとバックハンドが弱いような気がする(フォア側も決して強いとは言えないのだが)。厳しいボールでバック側を突かれないようなサーブやレシーブをしなければならないだろう。

先日、格上の人と練習する機会があり、10分交替で課題練習をすることになった。相手のTさんはこんな課題を指定してきた。

「バックバックのラリーから、好きな時にフォアにボールを送ってください。そこからフリーでおねがいします。」

これがTさんの弱点なのだという。

Tさんは、私から見れば、フォアもバックも弱点らしき弱点はないのだが、Tさんは、バックからフォアに突然振られると、崩れやすいのが弱点なのだという。私の「弱点」というのは、フォアドライブとか、バックブロックとか、フォア前とか、単体の技術や、特定の場所である。一方Tさんは、単体の技術や特定の場所には弱点がなく、速い上回転のバックへのボールから、フォアへの連繋が弱点なのだという。単体の技術における弱点と、連繋における弱点と、競技レベルの違いというのはこういうところに表れるのかと感心した。

そういえば、戸上選手が全日本の決勝で張本選手と戦った時、バック対バックのラリーからできるだけ早い段階でフォアにボールを送るような戦術を取るようにししていたとどこかで読んだことがある。

張本のタイムアウトの時は、僕はもうチキータ一択かなと思っていました。水野さん(水野裕哉/明治大学コーチ)も攻めるしか得点を取る方法はないと言ってくれたので、チキータして、バック対バックからいかに自分がフォアかフォアミドルに振れるかという展開だと思って臨みました。
https://www.butterfly.co.jp/takurepo/interview/detail/022088.html

バック対バックから先にストレートを突くことで、「バック対バックより、フォア対フォアの戦術で戦おうとした」と優勝インタビューで振り返った戸上。フォアサイドを何本もバックハンドで抜かれた張本は、得意のバック対バックでもなかなか優位に立てない。
https://world-tt.com/blog/news/archives/64383

一見、フォアハンドもバックハンドも隙がないと思われる相手でも、連繋という観点で見ると、いろいろな発見があるのではないかと思われる。

Tさんはこんなことも言っていた。

「弱点を突かれないようにするだけでなく、自分の得意なところにボールを呼び込むのが大切です。」

なるほど。常に自分が先手を取って相手に攻めさせないのが一番いいとは思うが、現実的にはそれは難しい。そこで攻められるにしても、こちらが想定しにくいような攻めを防ぎ、誘い球を送って自分の得意な展開になるように攻めさせるというわけである。

とはいうものの、実際にどうやったら自分の利点にボールを呼び込めるのか。言うは易しである。

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下はずいぶん前の動画だが、今見ると、いろいろ勉強になる。弱点を見つけるための3つのチェックポイントを紹介している。

jakuten
対戦相手の弱点の見つけ方【卓球知恵袋】
https://www.youtube.com/watch?v=tN9ojQt8fbM

1反応が早いかどうか:苦手なポイントだとどうしても反応が遅れる
2回転がしっかりかけられるかどうか:苦手なポイントだと、合わせて返すだけの場合が多い
3返球の選択肢が多いかどうか:苦手なポイントだと、返球のバリエーションが少なく、単調である。

知人のSさんは水泳に人生をかけている。
大学までガッツリ水泳をやって、30代の現在も毎日練習を欠かさないのだという。

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水泳の聖地、辰巳プールも今年度限りで閉館らしい

「定職に就くと、練習時間がとれなくなるから」とバイトしながらつつましい生活を送っている。もちろん独身である。
どうしてそこまでして水泳を続けるのか。将来どうするつもりなのか。傍で見ていて心配になってくる。

「今まで人生のすべてを水泳に捧げてきたんです。僕から水泳を取ったら何も残らない。」

そこまで水泳に打ち込んで来たのだから、その実力は言うまでもなく全国レベルである。学生時代にオリンピック日本代表に勝ったことがあるというから、卓球で言えば、学生時代に水谷選手に勝ったことがあるアンドロの濱川選手のような感じだろうか。水泳のマスターズ優勝という夢に向かって彼は今日も孤独に泳ぎ続けている。

「これまで自分に投資してきた金や時間を考えると、どうしても夢を諦める気にはなれないんです。」

鍛え上げられた肉体と、水泳のテクニックだけが彼の持つたったひとつの財産なのである。私は一つのことにこんなに打ち込んだ経験がないので、彼の気持ちは理解しかねるが、このまま水泳を続けたところでオリンピックに出られるわけではないし、給料がもらえるわけでもない。費用対効果を考えると、ずいぶん割の悪い生き方である。学生時代までで現役を退いて、社会人になったら趣味として週に1度ぐらい泳げばいいのにと私などは考えてしまう。周りからはしょっちゅう「地に足をつけろ!」だの「現実を見ろ!」だのと説教されたりするらしい。

タイムを少しでも縮めるために体の使い方や呼吸法を工夫し、メンタルトレーニングなどもひたすら続けてきたに違いない。周りの人は結婚や仕事、レクリエーションなど、人生を謳歌しているのに対して、Sさんは水泳しかしていない。彼にとって自分の水泳は一体どれほどの価値があるのだろうか。

卓球でもこんな人がたくさんいることは想像に難くない。私などは昔、全日本に出たような上級者に気軽に「いっしょに練習しましょう」などと声をかけてしまったりしたこともあるが、卓球に人生の大半をかけていた人にとって自身の卓球はそんな安売りできるようなしろものではないんだろうな。


youtubeの「フル☆アニメTV」というチャンネルで、期間限定ではあるが、無料でアニメを1シーズンまるまる配信している。
https://www.youtube.com/@FullAnimeTV

最近は「頭文字D」というアニメを配信していて、なんとなく見てしまった。
AE86、S13、FC3…なんとも懐かしい型番である。友達がこういう世界に憧れていて、私も若い頃は友達の車に乗って峠を走って喜んでいたこともあった。

第2話で、アキナ(榛名山の変名)の伝説の走り屋と呼ばれるオジサン、藤原に若い走り屋、池谷が指導を仰ぐシーンがある。

池谷「俺にアキナの攻め方を教えてくれませんか」

藤原「そいつは無理な注文だな。」

池谷「少しでもいいんです。コンマ1秒早くなるだけでもいいんです。おねがいします。」

藤原「気持ちはわかるが、ドラテクってのは2・3日でどうにかなるものじゃない。どうすれば車が思い通りに動いてくれるのかを自分でトコトン考え、走り込むしかない。俺なんざ現役で走ってる頃は夢の中までアキナを攻めてたぜ。テクなんてもんは、教えられて身につくもんじゃねぇ。自分で見つけるもんさ。

dorateku

アニメの中では主人公はコース中にどんなコーナーがあって、どのぐらいのスピードで抜けられるかはもちろん、愛車の特質や路面の凹凸にいたるまですべてを把握しているということになっている。これぐらいアキナのコースを知り尽くしていれば、最も効率的な走りができるはずである。

 このオジサンの言葉は卓球にも当てはまらないだろうか。
たしかに指導者や上級者に教えてもらえば、ある程度の方向性は定まるとは思うのだが、それが全てではない。教えられて身につかないことのほうが多いのではないか。

「バックハンドの打ち方はおへその前からラケットを振るようにすればいい」

などとよく言われるが、それを自分の卓球に落とし込むには、どうしても自分でトコトン考え、打ち込んで体に覚え込ませるしかない。上手な人に教えてもらったとおりにすれば、すべて解決すると、つい考えがちだが、教えてもらえることというのは、せいぜい大まかな方向性に過ぎず、自分の技術として身につけるには同じ動作をひたすら繰り返し、少しずつ動きの無駄をなくしていくしかない。

たとえば下回転ショートサーブから3球目バックハンドドライブという単純な練習で考えてみる。たとえどんなレシーブが来ても8割以上ミスなく厳しいショットを決めるということになると、かなり難しい。同じ動作をひたすら繰り返し、ボールを自分の思いどおりに打てるようになるには相当な練習量が必要になるだろう。

こういう地道な練習を避けて、youtube動画などに正解が転がっていると考えて、安易に上達しようとしていた自分は、認識が甘かったと言わざるをえない。



多くの人はこのように考える。
「初級段階で基礎を固めて、中級段階でそれを運用し、上級段階でそれを発展させたい」
と。
あるいは、こうだ。
「初級レベルも終わり、中級者となったのだから、基本練習は卒業だ」
と。

しかし、いろいろな上級者の意見を総合すると、こんなふうに思えてくる。基本練習というのはレベルを問わず、ずっと取り組む必要があり、終わることがないのではないか、と。

ここで私が想定している「基本練習」はフォア打ちとか、ブロック対ドライブのような練習ではなく、切り替え練習や、フットワーク練習のことである。

全国大会に出るような上級者とまでいかなくとも、中級者の上の方の人でも、私とは安定感が違う。昔は強いショットが打てる人が上手い人だと思っていたが、最近は安定性こそが上手さの基準だと思うようになってきた。上手い人はどこに返球されても、たいていのボールをある程度強く打つことができる。そして凡ミスが少ない。私はというと、たまたま打てそうなところに打てそうなタイミングでボールが来たら強く打てるが、そうではない場合、入れるのがやっとだったり、ミスしたりしてしまう。上手い人はいろいろなタイプの人と試合をしても、ある程度は自分の卓球ができる。しかし私は初見の相手に対しては何もできず、防戦一方になってしまう。

どうすればどんな相手に対しても安定して自分のプレーができるのか。そこで私が出した答えがフットワーク練習である。打ちにくいところに返球されてもフットワークさえ良ければ、その打ちにくいボールを打ちやすいボールに変えることができるのである。どうりでレベルの高い学生はフットワークの練習ばかりやっているわけだ。

ちょうど最近おあつらえ向きの動画が上がっていたので紹介したい。

kato

https://www.youtube.com/watch?v=s3_YwUkhLzA

「小中学生は比較的多くやっていると思うんですけど、…社会人でも卓球を続けている選手、そういった方でフットワーク練習をすごく必要として練習の中に取り入れている方って、特に初中級者の方ほど少ない…」

加藤氏はフットワーク練習の効果を次のように考えている。

1 動ける範囲が広がる

「動く練習を取り入れることによって今まで取れなかったボールに対して足が動くようになるとか…」
「卓球の動き方を身につけることができる」

2 ボールに対して微調整する能力が身につく

「全面の練習になると、練習自体が難しくなりすぎてしまうんですよね。あまりにもイレギュラーなボールが飛んできすぎて、ただボールを追いかけてしまうだけになりかねないので…(コースを)限定した練習を行うことによって…対応力を上げることができます。」
「球に合わせてラケットを引くことができない(=リズムをとれない)選手って、やっぱりフットワーク練習、基本練習をやってない方が多くて…」

3 体全体を使って打つことができるようになる
「(フットワーク練習を通じて)ただ続けるだけじゃなくて、ちょっとずつ自分の中で良いボールを打とうとするはずです。…良いボールを打とうと思ったら、…しっかり体を使って打たないといけない…。」
「フットワーク練習というのは自分自身の地力の底上げにすごくつながる練習なんですよね。」

1は足の動かし方におけるメリット。2はタイミングにおけるメリット、3は体の使い方におけるメリットと言えるだろうか。フットワーク練習というと、足を素早く動かすための練習と考えるのが一般的なのだろうが、私は1ヶ月ほどフットワーク練習をやってみて、2や3の効果を実感することが多い。フットワーク練習は相手の返球の速さにもよるが、私の場合は時間的にギリギリである。というか、集中しないでやっていたら追いつけないほどのスピードである。そこで相手のラケットの角度を注意深くうかがったり、バックスイングをできるだけ取らないようにしたりしないと、ゆっくりしたボールスピードでも間に合わない。はたから見れば、軽くフォア打ちしている程度のボールスピードなのだが、取り組んでいるほうはタイムロスの削減に必死である。

「自分のフォロースルーが終わったと思ったら、もうボールが自コートでバウンドしている」
「ラケットにボールが当たることは当たるが、全く力が入らない」

こんな状態からスタートし、試行錯誤を経てなんとか3点フットワークができるようになった(バックハンドあり)。ここまでくるのに相当苦労したのだが、いろいろな発見があった。これを詳しく言葉で説明するのは野暮だと思うので、省略するが、ラリー中に相手のラケットをよく観察するようになり、バックスイングをとるタイミングにも敏感になった。つまり上の2の効果である。またスイングも、足も、どちらも体のひねりで行うようになった。手でバックスイングを引いたり、足で一歩踏み出したりしては間に合わないのである。つまり3の効果である。

上手な人は学生時代にフットワーク練習をやりこみ、こんな経験をたくさんしているから、中年になっても安定性が高いんだろうな。フットワーク練習は単に動きながら打つ練習と思っていたが、そうではなく、時間的にギリギリの状態でどうすれば安定するのかという問題点を発見するような練習だった。足が動きやすくなるという効果はむしろ副産物であって、体の向きや姿勢の高さ、スイングの大きさ、振り遅れ等、自分の問題点を洗い出すことができる効果的な練習だと感じている。こうやって体に正しい打ち方をしみ付けられれば、私の卓球も安定感が増すにちがいない。



今回は卓球に関係ないお話。

毎年、初詣は近所の古い神社――小さいが、室町期の資料でも確認できる――に歩いて行くことにしているのだが、今年はなんとなく行きそびれてしまった。そこで先週末に知人に誘われて北野天満宮に行くことになった。

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北野天満宮は、京都市北西部、今出川通り、西大路の辺りにある。言わずとしれた学問の神様を祀る天満宮の本社である。ここを訪れるのは、20年ぶりぐらいだろうか。どんなところだったかさっぱり覚えていない。

幸い、自転車置き場もあって、自転車で行くことができた。バス代が浮いた。京都のバスや地下鉄は非常に高い(230円~)からあまり利用したくない。一日券が地下鉄は800円、バスは600円もする。来年はさらに値上げするという話も聞く。住んでいる人間にはキツいが、観光地価格だと思えばガマンできるのかもしれない。地下鉄では行きにくいところなので、バスの利用をおすすめする。なおタクシーを利用するならMKタクシーが丁寧な接客態度でおすすめである。

そびえたつ立派な鳥居をくぐると、松林が続いている。なでるとご利益があるという牛の石像などもあちこちにある。そして山門(?)には有名な道真の歌がかかげてあった。

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kanko

「神ぞ守らむ」ではなく、「神や守らむ」という、消極的な物言いが気になる。

時節柄、受験を控えた学生と思しき子供を連れた家族連れでにぎわっていた。あちこちで梅がピンクの蕾を付けている。飛梅伝説もあって、ここは梅見でも有名である。

本殿の前の広場にはお守りや絵馬、御朱印などの受付があり、たいそうな賑わいである。私はあまり興味がないので、脇にある休憩所のような建物に入ってみると、大きな古い奉納額が所狭しと飾られていた。色も剥げ落ちている古い額をみると、最近のものから、明治期や江戸期のものまで確認できた。歴史の重みを感じさせた。

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元禄年間と記載されている額

それから本殿の脇を抜けると、御土居が残っていた。ああ、ここは昔、京都の西の端だったのかと感慨深かった。それから本殿の裏を通って行くと、長五郎餅という昔ながらの菓子を売る茶店があった。店内で餅とお茶を喫することができ、600円ほどだった。今回は時間の余裕がなかったので、素通りしたが、次に訪れる時は休憩していきたい。

そして本殿を一周しておみくじを引いてみた。

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残念ながら今風の印刷物だったが、大吉だったので良しとしよう。

おっと、そろそろ時間だ。次の予定があるので、早々に神社を後にした。結局小一時間ほど滞在しただろうか。見るべきものもたくさんあり、満足である。あれ?そういえば、神様にお祈りするのを忘れていたぞ。まぁ、「祈らずとても 神やまもらむ」とあるのだから、祈るかどうかは問題ではなく、道にかなっているかどうかのほうが大切なので、こちらも良しとしよう。

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正月で卓球ができないから、やることがない。
アマプラでアニメでも観るか。

「ヤマノススメ Next Summit」という山登りのアニメをなんとなく観て、そのなかのエピソードが印象に残った。

女子高生の主人公は山好きの友達に誘われて近県の山等に出掛け、次第に山登りの楽しさに目覚めていくのだが、ある日、高校の登山部の先輩に声をかけられて、体験入部することになる。登山部員たちはインターハイ出場を目指して、トレーニングや登山計画作成に余念がない。近所の200mほどの山に部員たちといっしょにランニングに出かけるが、部員たちはハイペースで山頂に到達するや、そこからの眺望には目もくれず、すぐに下山という姿勢に主人公は違和感を覚える。

yama

主人公にとっての山登りは友達とおしゃべりしながら時には立ち止まり、路傍の木々や景色などに思いを馳せたりして、のんびり楽しむものなのに、登山部員たちは効率的に山を踏破することが最優先なのである。

卓球の楽しみかたはいろいろだが、一般的には次のような人が多いだろう。

い) 全国大会出場を目指して高いレベルで競う(上級者)
ろ) 地方の大会レベルで競う(中級者)
は) 試合で勝つことよりも、自分のペースで上達を楽しむ(初・中級者)
京) 卓球で出会う、いろいろなものを楽しむ

上にいくほど競技的になる。先の主人公は、どうやら「京」のタイプに近いようだ。主人公はテントの設営も、読図もできないし、体力も人並み以下である。スペックは非常に低い。ただ、友達を思いやったり、おいしいお弁当を作ってきたりと周りの人をホッとさせるものを持っている。

卓球で考えたら、ショットは遅いし、ブロックも下手で、フットワークもないけれど、ゲームシャツのファッションセンスが良かったり、個性的な卓球をしたり、競技力だけではなく、自分なりの卓球の楽しみ方を知っている人といったところだろうか。

私は上の「は」に近いのだが、このアニメを見たら、自分の卓球に対する見識が狭すぎるように感じられてきた。例えば、先月に比べてできることが一つ増えたとする。しかし、できないことのほうが多いので、できないことばかりに目が行ってしまい、最近新しい技術を身に付けた喜びを噛みしめることもせず、次々とできないことにチャレンジするようなものである。あたかも山頂を制覇しても、そこで足を止め、景色を眺めることもなく、次の、より険しい山を目指すようなものだ。

今年は上達だけでなく、もっと卓球の周辺にあるものまで楽しめる心の余裕を持ちたいと思う。

今年もこの時期がやってきてしまった。1年間の振り返りである。平均して週に1本ほど投稿しているので、50本以上の記事に目を通すことになり、読むのに難儀した。が、忘れていたこともあり、やはり振り返りは大切だと感じた。

以下に卓球について私なりに考え、気づいたことを発表した記事のリンクと要約を挙げてある。もちろん私の意見が正しいという保証はない。拙ブログはあくまでも私の卓球における成長の記録であり、現時点で私が正しいと考えていることにすぎない。上級者から見たら間違っていると思われる内容や見当違いの意見なども含まれている。中級者が卓球の上達について試行錯誤した記録として読んでいただきたい。

なお、例年通り、用具のレビューや試合の感想その他、私の卓球の上達に関係ないと思われる記事は取り上げなかった。

【追記】MS-Wordで編集して、コピペしたら、書式が崩れて修正できず、読みづらいことをお断りしておく。
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1月

幸運を呼び込む卓球人の心構え
練習相手に良い印象をあたえることが、結局は自分の上達につながる

そのブロックに惚れた――あっさりしたタッチ

クセのない、素直なブロックをこそ身につけるべきである。とっさのときでも安定するし、相手の練習にもなる。

反転練習――対人練習の位置づけ

普通の人は、対人練習(いわゆるふつうの練習)のときに新しい技術を反復練習して身につけるが、対人練習の前に、いわば「予習」のような形で自宅で練習すれば効率がいい。

体重を乗せながらインパクトすることで、軽い力で威力のあるドライブを打つことができる。

機・位・握――「あの日のドライブ」のその後

自分の意識の中でのタイミングと、実際のタイミングとの、ほんの僅かなズレによってボールが走ったり、走らなかったりする。

2月
ツッツキは乱れたボールを均して、ふだん打ち慣れているボールにすることで、普段どおりのプレーを可能にする。

早いピッチでフットワーク練習をすると、数本でミスしてしまい、続かない。一方、ピンポンのようなゆっくりしたペースですれば、ラリーが長くなり、いい練習になるのではないか。

低くて切れているツッツキではなく、状況に応じて切れていない、深いツッツキや、打点の早いツッツキなどを使い分けられる人がツッツキが上手な人である。

速いボールはタイミングと角度さえ合わせれば、きれいに返球できるが、遅いボールは自分の力で打つ――自分のボールにして打たないと良いショットが打てない。特に異質のボールを打つ時は、相手のボールを自分のボールにして打つことが大切である。

3月
大きなラリーにして勝つには、まずこちらのツッツキを工夫し、全方位・全力強打を打たせない程度で、相手に強打を打たせ、素早く台から距離をとって、単に返球するだけでなく、迎え打つようにしなければならない。

試合空間――そこではパフォーマンスがふだんの1/3になる

試合では練習でできていた技術が役に立たないことも多い。試合で頼りになる技術は、ツッツキ、ストップ、ブロック、フォアドライブである。練習でこれらの技術に絞って精度を上げるのが私が試合に勝つ近道である。

打球寸前に下半身を使ってわずかに体を沈め、床を蹴りながら打球することで、腕を使わず膝の屈伸で打球することができる。

4月
ドライブは体全体を使って力強く打たないと安定しないのに対してミート打ちはタイミングさえ合えば弱い力でも安定する。まずは弱い力でも入るミート打ちで正しい角度で打つ感覚を身につけるのが先決ではないか。

力強いドライブを打つには、腕よりも奥にある筋肉を使うべきである。

打球時・打球後のフォロースルーを短縮、あるいは次の動きにつなげる工夫をすれば、時間短縮に繋がり、振り遅れによるミスが減る。

5月

プレー中に常に足を動かし続けるという意識を持ち、50センチのスタート・ダッシュを繰り返すのが卓球である。

 

「つられ」を活用

連続した動作の2点のみを意識することによって他の部分もつられて動く。たとえばフォアドライブで股関節の辺りと、肩関節の辺りだけを意識して打球すると、他の部分――ヒジや手首などもいっしょに動く。

下回転を頂点で打つには、自コートにバウンドする前にバックスイングを引かないと間に合わない。

6月
バックドライブのような技術が習得できたとしても、それを自身の得意な戦術の中に組み込むことができなければ、試合では使えない。つまり卓球の打法は、それ単体では機能せず、他の技術と組み合わせて効果を発揮するのである。

頭を使えとよく言われるが、卓球の早い展開の中では頭を使っている時間はない。頭を使って練習してきたことが、無意識となって定着していれば、プレー中に自然に出てくる。そのような境地を目指してたくさんの経験を積むべきである。

屈伸だけでドライブを打つと、面がブレず、パワーの供給もとぎれないことから、安定する。ただ、威力を出すにはそれに加えて上半身を連動させなければならない。

7月
自分の方向性を定めて、そのために必要な限られた技術だけを磨き、自分の個性を作るべきである。

強打が打てたとき、その余韻に浸っている時間が一番の時間のロスであり、そこをカットすれば、足を動かす時間が作れる。

我流卓球が強いのは、技術の手札が少なく、やることが限られているために、判断が早く、技術の質が高いためだと思われる。

8月
試合ではこちらの返球に対して相手がどのような反応をするかイメージすることが大切である。自分が打球する際に相手の反応を予測していなければ、技術力が高くても勝てない。

強いインパクトというのは、ラケットをボールに激しく衝突させるエネルギーを、下半身でしっかり受け止めて、漏らさないことではないか。

 自分のスタイルが固まっていないなら、用具を自分に合わせるのではなく、自分を用具に合わせることによって自分のプレーが進化するかもしれない。


下回転を持ち上げるのに「こする力」に頼る人が多いが、それよりもボールが上に上がろうとする力「バウンド力」やラケットをぶつける方向「インパクト方向」を優先すべきだ。

9月
ツッツキは腕を伸ばさず、両肩の操作で打球すべきだ…と思ったら、プロ選手のツッツキは腕を思い切り伸ばしていた。頭で考えただけでは誤った思い込みに陥ってしまうという例。

ドライブに比べてブロックやツッツキは手間がかからない。ドライブは打っている間、他のことを考える余裕がないのに対して、ブロックやツッツキは次のことを考えながら行うことができる。自分から攻めるのは、このような「手間値」の低い技術の後が適している。

10月
強打を打とうとしてラリーのリズムを崩すから、ミスが出るのであって、リズムあるいは打点を最優先してプレーすれば、ミスが減るのではないだろうか。

スイングは顔に近づけると力がこもり、安定する。

台との距離や、相手の戦型によってバックスイングを引くタイミングや、スイングの大きさを変えないと間に合わなくなる。前陣にいるなら、早めにバックスイングを引いてコンパクトに振り、相手がカットマンならゆっくりバックスイングを引いて、大きなスイングでもイケる。


11月
良いフォアハンドを打つには体を開ききってから打つのがいい。体を開き切るにはほんの少し時間が必要なので、フォアが打てると思ったら、早めに判断し、体を開くのがよい。

シェークの面の角度をペンでも真似てみると発見がある。特にバックハンドはシェークに軍配が上がるから、シェークの面の角度をペンホルダーでも再現してみるといい。

胸の辺りの筋肉を意識して引っ張るように打つフォアドライブと、背中の辺りの筋肉を意識して押すように打つフォアドライブがある。

12月
どんなふうに打球するかよりも、打球と打球の間に何をするかのほうが重要なのではなかろうか。卓球の基本は打つことではなく、動いてから打つことである。

ガニ股は膝を曲げやすく、低い姿勢を作るのに便利である。


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今年は戻りの早さや、打球間に細かく足を動かすことの大切さなどを痛感させられた。

去年までは体の使い方や、どうやったら力が伝わるかという方面に関心が向いていたのだが、今年は卓球の早い人と練習することが多く、戻りを早くしたり、次の打球に意識をどうやって向けるかが主要な関心事となった。戦術とか、頭を使う方面は、まだまだ先のことで、今は考える余裕がないが、どんなボールでも安定して返球できるようになったら、いずれ戦術面のことにも目が向くだろうと思われる。



ヘテロゲニア リンギスティコ』というマンガがある。ざっくり言うと、全く言語の通じない異世界人に対してコミュニケーションを試みるというマンガである。人間の主人公はなんとか異世界人の言語を理解しようと知恵を絞るのに対して、異世界人は分からなければ、無理に分かろうとしないという態度である。



hatena wakannai





このような異世界人の態度を見て、私たちは何かに対して「必ず理解できるはずだ」という前提で生きていることが多いのだと気づかされた。機が熟していないのに分からないことを無理にわかろうとしても、どうせろくな結論は出ない。世の中の分からないことは分からないし、分からないほうが、むしろ自然なことなのかもしれない。宇宙が、生命がどのように生まれ、私たちは何のために生きているのか、など分からないことがあっても私たちはあまり気にしないで生きている。卓球でも分からないことを無理に分かろうとしないほうがいいのかもしれない…などと感じる今日このごろである。


いろいろな人に姿勢が高いと言われ続けているのだが、どうしても低くできない。もちろんレシーブの時は目一杯低くしているのだが、3球目、4球目とラリーが続くと、いつの間にか棒立ちになっている。一体どうしたらいいのだろう?

自分ではかなり低くしているつもりなのだが、ビデオで確認すると全然姿勢が低くない。いっそ、台にアゴを乗せるぐらいの意識で構えてみようか。

上手い人のプレーを観察してみると、もちろんずっと低い姿勢のままではないのだが、5球目ぐらいまでは低い姿勢でプレーしていることが多いように感じる。上手な人は、打球点を自分のお腹に近づけないようにお腹をへっこませているように見える。

そうか!私がバックハンドのときによく詰まってしまうのは、打球点をお腹に引き付けてしまっているからだったのである。そしてその原因は姿勢が高いからだということに気づいた。棒立ちでバックハンドを打つと、どうしても打球点がお腹に近づいてしまう。姿勢を低くすることで、打球点がより前方になり、詰まりにくくなるわけである。

ビリヤードの姿勢をイメージすると分かりやすい。姿勢を低くすればするほど、お腹がへっこみ、腕が前に伸びる。

husler

姿勢を低くして、打球点を前方に置くと、ラケットが顔に近づく。そうすると、おのずから台との距離が窮屈に感じられてくる。よく腕を伸ばしてラケットが台に当たらないぐらい、台との距離をとらなければならないなどと言われるが、なるほど、こういうことだったのか。これまでの私は、おそらく台と体の距離が50センチ以下だったように思う。台との距離が腕一本分以上になると、台上が遠く感じられて、落ち着かなかったのである。しかし、姿勢を低くしてラケットを前方に構えると、台との距離を長めにとったほうが打ちやすくなる。これでようやく私にとってプレーしやすい姿勢が完成したのである。

しかし、低い姿勢を維持するというのは疲れるものだ。だんだん腰が痛くなってくる。上手い人はどうやっているのだろう?スタンスをもっと広くするというのを試してみたが、やはり疲れるし、動きにくい。あれこれ試してみた結果、これだ!というやり方が分かった。ガニ股である。足先を90度に開くだけでなく、モモのあたりからガバッと外側に大胆に開くのである。バレエダンサーのように(足を外側に開くことをアン・ドゥオールと呼ぶらしい)

並行足でスクワットをするのと、ガニ股でスクワットをするのを比べると、ガニ股のほうが楽にしゃがめるのが分かるだろう。ガニ股は姿勢を低くするのに適した立ち方だと思う。ただ、これで動きやすいかどうかはよく分からない。私は基本的に小さなフットワークしか使わないので、これで問題ないのだが、大きく動く人には不都合があるかもしれない。

順序を整理してみると、

ガニ股にすると、姿勢を低くしやすい
 ↓
姿勢を低くすると、お腹がへっこみ、ラケットの位置が前方になる
 ↓
台との距離を長めにとりやすくなる

このように、今の私の姿勢の根本には、まずガニ股があると言える。

もっと効率よく姿勢を低くできる方法もあるかもしれないが、現時点ではガニ股が非常に良い感じである。「ガニ股」というと、下品な感じだが、「アン・ドゥオール」というと、高級テクニックに聞こえるのでこちらを題名にしてみた。


2022FIFAワールドカップでの日本代表の活躍は、日本中を巻き込んで大いに話題を提供してくれた。予選でまさかのドイツに勝利、次の無難に勝てると思ったコスタリカには敗北、そしてまず勝てないと思われていたスペインに勝利して決勝トーナメント進出。三笘選手の際どいプレーは世界でも話題になったらしい。

まるでマンガやアニメのような劇的な展開は、サッカーに無関心な私をも惹きつけた。それにしても世界の強豪2チームを撃破したとはいえ、ベスト16でこんなに騒がれるなんて羨ましい。それにひきかえ、卓球日本代表は世界選手権で準優勝でもあまり騒がれなくなってしまった…。

そんなこんなでサッカーには興味がなかったのだが、なんとなくアマプラでサッカーアニメを見たら、おもしろくて夢中になってしまった。「アオアシ」というアニメである。

雰囲気的にはサッカー版「ハイキュー」という感じである。
田舎で有名なサッカー少年が東京の有名なジュニアチームで壁にぶち当たるというストーリーである。

その中で印象的な場面があった。

nozomi

「”止めて、蹴る” サッカーの基本中の基本だ。お前はそれがなっていない。」(第8話)

主人公が東京のエリート選手たちと試合・練習する中で自分は技術的に劣っていると痛感し、コーチに自分のどこが劣っているかを尋ねている場面である。自分の欠点が自分でもはっきりわからないのである。そこでコーチが口にしたのが上のセリフである。

サッカーの基本である、ボールを足元に吸い付けるように止め、瞬時に蹴るという技術ができていないというのである。仮にもプロを目指すジュニア選手なのに、こんな基本的な技術が身についていないなんて。

それを自分の卓球に置き換えるとどうなるだろうか。

卓球なら、「動いて、打つ」というのが基本中の基本だと言えるだろうか。果たして私はそれができているのだろうか。いや、できていない。私は動く前につい、打つモーションに入ってしまうという悪い癖がある。だから詰まったり、遠いボールに手が届かなかったりするのである。まずポジショニングを最優先しなければならないと思った。

また、こんなセリフも心に残った。

off the ball

「サッカーはボールを持っていないとき、オフ・ザ・ボールの動きがすべて」(18話)

卓球も、オフ・ザ・ボール――つまり、打球と打球の間にすることが最も重要なのではないだろうか。打球時のフォームやラケットの角度などについ意識が行ってしまうが、本当に大切なことは打球後のポジショニング、姿勢、バックスイングを引くタイミング…などの準備ではないだろうか。次の打球までにそれらの準備がしっかりできていれば、時間的な余裕ができ、振り遅れることもないし、下回転を落とすこともない。相手のラケットの向きまで観察することができる(かもしれない)

競技は違えど、スポーツには共通点が多いなぁと改めて勉強になった。

先日の「卓球ジャパン」を見ていたら、女子日本代表の渡辺監督がこんなことを言っていた。
最近、平野美宇選手が「卓球が分かってきた」「卓球が楽しい」と言っていると。

hirano

平野選手ほどの実力者でも、最近まで卓球が分かっていなかったということだろうか。もちろん謙遜もあるだろうし、一般愛好者層の「分かっている」と日本代表レベルの「分かっている」とでは桁が違うのだとは思うが、世界のトップ選手でも、卓球についてまだ「分かる」ことがあるという事実に驚いた。文脈からすると、小さな発見ではなく、自身の卓球スタイルを大きく変えるような大きな発見があのレベルの人たちにもまだ残っていたようだ。

ということは、一般愛好者なら、卓球について分かっていない部分がたくさんあり、しかも自身の卓球を根本から変えるようなレベルの未知の部分がいくつも残っているということになる。

このような発見は私の卓球にも毎月のように訪れる。たとえば、最近、フォア打ちのときに気づいたことである。

なんだかフォア打ちで振り遅れているような気がして、フォア打ちが気持ちよく打てないし、相手のボールに押されているような感じで、コントロールが定まらないような気がする。こんな状態が何ヶ月も続いていた。一体どうすればいいのだろうか。しょせんフォア打ちなので、別に気持ちよく打てなくても問題ないと放置していたのだが、いつになっても戻らないのでだんだん気になってきた。以前は気持ちよく打てていたはずなのに、いつからこんな気持ちの悪いフォア打ちになってしまったのだろうか。原因は2つ考えられる。一つは打球時のパワーが足りないということ。したがって解決法はもっと力を入れて打つことである。もう一つは相手のボールが速かったため振り遅れがちになっているということ。打点をより早くするという方法で解決できるかもしれない。

まず前者を試してみる。が、ちっとも気持ちよく打てない。まだ力の入れ具合が足りないということだろうか。いや、そもそも卓球において力を抜くというのは推奨されるが、さらに力を入れるという選択肢はありえない。この方法で掘り進んでいっても、きっと何も見つからないだろう。もう一つの方法である打点を早めるというのを試してみよう。こちらは悪くはないのだが、あまり力が伝わっているようには思えないし、打球感も気持ちよくない。

面の角度を調整したり、フォームを変えてみたりもしたのだが、結局、解決法は見つからなかった。それが最近、ようやく原因が分かったのである。

きっかけは上手な人のプレーを間近でみたことだった。その人を仮にRさんとしておこう。Rさんは小柄で身長160センチ台の男性である。フットワークがよく、すばやく動いて威力のあるフォアドライブを打つ人なのだが、その人の姿勢に目がとまった。背筋を伸ばし、体幹をグルングルンと回転させながらドライブを連打していたのである。Rさんのプレーを見たのはほんの数秒のことだが、帰宅した後もRさんのフォアドライブが目に焼き付いていた。卓球では前傾姿勢というか、やや斜め前に上体を傾けてプレーする人が多いが、Rさんはフォアドライブのとき、ほとんど前傾させずに打球していたように見えた。

あんな姿勢で打つのがいいのだろうか。次の練習時に私も真似して背筋を伸ばしてフォアドライブを打ってみた。

「こんな感じかな。Rさんはもっと背中の皮を動かすようにしてラケットを振り抜いていたなぁ。」

そうしてあれこれ試すうちに次第に背中に意識が行くようになった。結局Rさんのようなフォアドライブは打てるようにはならなかったが、副産物としてフォア打ちが改善した。どういうことかというと、フォア打ちを背中を使って打つようになったのである。

フォアハンドを打つ時、これまで胸の筋肉を意識してスイングしていたのだが、どうやら背中の筋肉を意識して打ったほうが力が抜けて、振り遅れにくいということが分かったのだ。体の前面、つまり胸側の筋肉で引っ張るようにしてスイングする打ち方と、体の背面、つまり背中側の筋肉で押すようにしてスイングする打ち方があり、フォア打ちは背中から腕を押すように打つと、力が抜けて早く振ることができたのである。

もちろん、これは私個人の体験にすぎないので、万人に当てはまるとは言えないだろう。しかし、フォアハンドを打つときに、体の前面の筋肉を意識して打つのか、背面の筋肉を意識して打つのかという違いが分かったのは収穫だった。今まではフォアハンドの打ち方のメカニズムがあいまいで未分の状態だったのだが、今では一つだけ分けて考えることができるようになった――つまり「分かった」のである。

そしてこの射程はフォア打ちにとどまらず、あらゆる打法に広げて考えられるかもしれない。もしかしたら体格的に前面の筋肉を使ったほうがしっくりくる「前面派」の人と、背面の筋肉のほうがしっくりくる「背面派」がいるのかもしれない。そういう、人による違いなのか、あるいは打法によって前面と背面を使い分けたほうがいいのかよく分からないが、少なくとも新しい視点――考える材料が一つ増えたので、これから卓球を考えるのがもっと楽しくなるはずである。



私は大学を5年かけて卒業した。
ちょうど4年生の今ごろ、卒論がなかなか書けなくて塗炭の苦しみを味わっていたなぁとふと思い出した。

おそらく読者の中にも大学4年生で、卒論がなかなか捗らないという人もいることだろう。そういう人のことを考えると、過去の自分を思い出し、身につまされる。もしかしたら、私の経験が反面教師として何かの役に立つかもしれないなどと思い、この文章をしたためている次第である。

私は4回生の時、卒論を提出しなかったために留年した。それは私が怠惰な学生だったからではないと思う。私の卒業論文に対する熱意が、人より劣っていたとは思えない。それどころか、ある意味では同級生たちよりもずっと熱心だったと言えるかもしれない。

私は専門の研究論文を読むのが好きで、たくさんの知識をため込んでいた。そしてそのような知識の蓄積がおのずから卒業論文へと昇華するはずだと信じていた。が、現実はそうではなかった。いくら関連知識を身に付けても、結局のところ、それは借り物の知識であって、参考にはなるが、自身の卒業論文には直接つながらなかった。愚かなことに学界の大家の書いた論文のようなものを自分も卒業論文で書けると思いこんでいたのである。

よく夏休みの自由研究と称して、小学校や中学校で立派な研究を発表する子供たちがいるが、あれは本当に子供が自分だけで考えたものだろうかと疑問に思う。あんなに興味深く、大人を感心させるような研究のアイディアが子供の頭から出てくるとは思えないからだ。少なからず親や先生が関与しているとしか思えない。大人からみておもしろいと思えるような視点をふつうの子供は持っていないだろう。親がその道のプロで、長年、その謦咳に接して育った幼い天才というのもクラスに一人ぐらいはいるかもしれないが、そんな子供は例外中の例外だろう。12歳やそこらで大人をうならせるような視点を持っている子供なんてそうそういるものではない。

大学生も同じである。それまで受験参考書や問題集ばかりやっていた子供が大学に入ってわずか2~3年でその道の専門家を感心させるような研究テーマを思いつくはずがないのである。そもそもその分野でどのような研究が価値のある研究かなんて22歳やそこらの学生にふつうは分かるわけがない。先生やそれに類する人に相談し、自分の研究の方向性が意味のあるものかどうかの判断を仰がなければ、いくら熱心に関連する論文を読んでも、卒論は一歩も進まないのである。研究テーマがあいまいな人は、自力でテーマを見つけ出そうとするよりも、しかるべき先生に相談し、テーマ探しを手伝ってもらうことをおすすめする。

最近の大学生の卒論というのは、研究の練習のようなものである。戦前・戦中などの卒論は現在の修士論文や博士論文のような重みがあったが、現在の卒論にはそのような質を求めるべきではない。環境も時代も全く異なるからである。平凡な現在の大学生(文系)が着手すべきことは、数えることと比べることだろうと思う。卒論というのは蓄えたいろいろな知識をツギハギするものではない。新しい知見――自分の意見や、他の人が言っていないことを書かなければならないのである。とはいうものの、これだけ情報があふれている現代に、他の人がまだ言っていないことを非専門家が書くというのは無理な話である。一介の学生ができることといえば、現象を数えて傾向をとらえ、それを同類の他のものと比較することぐらいだろう。「同類の他のもの」というのは、例えば外国の同様の現象や、30年前の同様の現象等である。それらと比較すれば、違いが出てくる場合が多い。その違いと原因を指摘することが最も典型的な卒業論文だと私は思う(専門によって研究方法というのは異なるので、あくまでも私の経験に基づく個人的な見解だとお断りしておく)。具体的なものを数え、比べることこそが研究の第一歩ではないかと思う。

ある人が病気になって、毎日イワシを食べていたら病気が治ったとする。この事実からこの病気を治すにはイワシを毎日食べ続けるのがいい、とは言えない。イワシが原因ではない可能性があるからだ。自然に治癒したという可能性もあるし、食後のビールが効いたのかもしれない。またサンプルが一人だけでは説得力がない。サンプルは少なくとも数十人はいなければならない。そしてイワシを食べるグループ(A)と食べないグループ(B)を作り、両グループで期限を決めて病気が治った人の数を数え、比較しなければならない。それによってようやくイワシが原因かどうかが分かるわけである。

卓球の例でいうと、ラバーAを使ってみて、Aは良いドライブが打てるというのでは研究にならず、AとBというラバーを比較し、Aで連続ドライブを打ったら、15回続いたが、Bで打ったら20回続いた…のように、まず数をかぞえ、他の人にも打ってもらい、それぞれ何回続いたかを数える。次にどんな原因でミスをしたのかを観察し、自分なりの推論を述べる。こうしてAよりもBのほうが安定してドライブが打てるラバーだということが言える(かもしれない)

以上、長々と私の思い込みでアドバイスをしてきたが、卒論レベルの研究というのは、数えることと比べることに専念したほうがいいと思う。特にこの時期にまだ半分も書けていない人なら、私のオススメの方法を検討してみてはどうだろうか。


数人のシェークの人に「シェークのグリップって、握りを変えてもプレーにそんなに影響しないでしょ?」などと聞いたことがあるが、シェークの人は決まって「そんなことはない。グリップで全然変わるよ」と口を揃える。しかし、私はその答えをどこか疑っている。ペンが握り方を変えるのと、シェークが握りを変えるのとでは、プレーに及ぼす影響が桁違いだと思うからである。シェークで握りを変えるというのは、言わば大化の改新程度のことだが、ペンで握りを変えるのは明治維新に匹敵するほどの大きな変化だと思うのである。シェークで握り方を変えたとしても、威力が出なくなる程度で、今までしなかったようなミスを連発するということにはならないのではないか。握り方にしても、シェークなら一桁のバリエーションで済むと思うが、ペンの場合は人差し指の位置や握りの深さ、裏の指の位置などの組み合わせは数十通りに達するだろう(こんなことを書くと、シェークの人からお叱りを受けそうだが…)

私は理想の握りを求めて長い旅を続けてきたように感じる。深く握ったり、浅く握ったり、フォア重視グリップにしたり、裏面重視グリップにしたり。柄の太さ、厚み、広さによってしっくりくるときと、来ない時がある。そんなときはラケットごと変えてしまったり、思い切って削ってみたり、裏面側の指を伸ばしてみたり、とにかく最低でも月に1度は握りを変えているように思う(こんなんだから、上達が遅い)。それによって先週は問題なかったショットが、今週は全く入らないなどということがよくある。
自分に合った用具を探していろいろな用具を試してみるのを世間では「用具探しの旅」などと言うが、私の場合は「握り探しの旅」である。用具の変化など、ペンの握りの変化に比べたら微々たるものである。握りをちょっと変えただけでフォアの感覚がグンとよくなったかと思ったら、裏面が全く入らなくなったり。逆に裏面が打ちやすくなると、フォアに力が入らなくなったり。こんなことを10年近く続けている。

だが、ようやく私のグリップが完成に近づいてきたように思う。バックは裏面主体だが、表面のショートも一応できるようにしつつ、フォアはドライブもスマッシュも打ちやすい、万能型のグリップである。簡単に言うと裏の指は小さく丸めて、深めに握り、表の指はあまり開かない。威力よりも汎用性を志向している。私のグリップは下の江加良選手のグリップほど人差し指が深くないが、少し似ている。

江加良
https://world-tt.com/ps_book/back.php?lst=2&mcd=AZ284
卓球王国2020年12月号のトップ選手のグリップ特集より

シェークの上手な人が両ハンドで力強いショットを打っているのを見るたびに、シェークのグリップが羨ましいと感じる。台上ではペンのほうが角度を出しやすいが、ラリーになると、シェークのほうが圧倒的にいろいろな角度を出しやすいと思う。シェークは何と言ってもバックの角度が出しやすい。バックでこするもよし、押したり、弾いたりするのもよくて、隙がない。一方、ペンの裏面で出せる角度はかなり限られており、シュート気味に打つのは難しいし、なんといってもブロックのように面を垂直気味に立てるのが難しい。そうすると、必然的にプッシュのような、後ろから前に弾く打法が難しくなる。その場合は表面のショートを使うしかない。裏面がなかったころなら、グリップでこんなに悩むこともなかっただろうが、足があまり動かない私にとって裏面が使えないのは苦しい。裏面は高いチャンスボール専用にして、表面ショートを普段遣いにしようか…。こんなに悩ましいなら、もう、いっそのことシェークに戻したほうがいいんじゃないかとさえ思ったぐらいである。

しかし、思いついたのである。シェークの面の角度のほうが望ましいのなら、ペンでもシェークの面の角度を真似ればいいのではないかと。ボールからしたら、シェークだろうがペンだろうが、当たる角度が同じなら同じように飛ぶまでである。シェークはフォアもバックもヘッドが斜め上を向いている。ペンはヘッドが下りがちだが、できるだけ上を向けるようにして面の角度を作ってみると、良い感触である。ラケットを縦方向に使えるので、ボールをラバーに押し付けやすい。裏面なら弾くような打ち方もできる。

自分のプレーを動画で見た時、私の打ちミスの大半は面の角度に起因するように感じている。いくら下半身を使ったり、フォームをきれいにしても、ボールに対してラケット面が真正面から当たっていないと安定しないし、威力も出ない。ペンのフォアドライブはボールの外側(右側)を捉えやすく、そうすると下回転打ちでミスが出やすい。ペンの裏面は、それに輪をかけて真正面からボールが当たりにくく、ボールの外側(左側)を触ってしまいがちである。グリップを変えて、フォアも裏面もヘッドを斜め上にすることによってボールに対して真正面から当てやすくなり、ミスが減ったように思う。

【追記】
ラケットをシェーク持ちでフォアドライブの素振りをしてみて、その角度のまま、ペン持ちすると、自分のラケット角度がいかに歪んでいるかがよくわかった。


第3回パリ五輪代表選考会が開催されている。
週末に観てみようかと思ったら、なんといつものテレビ東京ではなく、フジテレビで放送されるのだという。うちにはテレビがないので、youtubeで確認してみたが、どうやらテレビ東京のようにyoutubeで生放送ということはないらしい。残念。

それで仕方なくTリーグの過去の動画などを観てみるのだが、ついついスキップしながら観てしまう。

最近、動画の倍率視聴というのが流行っているらしいが、このように急いで視聴するのは弊害が多いのではないかと思っている。

学生時代の恩師がよく言っていた。
「パソコンで論文を書くと、早く書きすぎてしまって頭がついていかない」と。

論文を書くというのは、一つずつレンガを積み上げるようなものだ。ズレがないか、地震などの災害が起こっても大丈夫かどうか、一つ一つ目で見て考えながら積み上げてこそ堅牢な建物が出来上がるというものである。それをパソコンで書いていたら、論理のレンガにズレがないかどうかを考える暇がない。あっという間に数ページ書き進めてしまう。これでは致命的な欠陥があっても気づかないまま脱稿してしまうことも起こりうる。一方、手書きで論文を書くと、「この方向性で大丈夫か」「矛盾はないか」と、一文ずつ考え、時には冒頭に戻りながら書く時間的な余裕がある。遅々として進まないが、このやり方なら途中で欠陥などの漏れがあれば気づくことができるし、よりよいアイディアも生まれてくる。そういえば、昔の卒業論文はワープロ不可というのも珍しくなかった。下書きを鉛筆で書いてから、清書しなければならないのだから、何度も文章に目を通し、考える時間がふんだんにあったのである。手書きの文章にはそのような深みと力強さがある。

mortzalt
モーツァルトの手書きの手紙
https://www.theparisreview.org/blog/2018/07/18/the-handwriting-of-famous-people/

卓球でも同じようなことが言えると思う。
前記事「判断力のレベル」で小堀氏がこんなことを言っていた。

試合前に当たるから、相手の試合見とけよって言ったりするけど、何を見てるのかな?
勝てるかな?勝てそうかな?っていうのだけ考えてんのちゃうかな。

氏は、次の対戦相手のプレーを見るときは、もし自分が相手のフォア前にサーブを出したら相手はどのようなレシーブをしてくるだろうか、それを3球目でどうやって狙い打つかといった、想定をしながら見るべきだと言う。しかし、次の対戦相手のプレーを動画で倍速視聴するとしたら、「この場面で相手はどのような返球をしてくるか」といったことまで頭が回らないだろう。展開が早すぎるのである。倍速視聴して分かることといえば、相手がどんなプレーで得点/ミスをして、その結果勝った/負けたということだけである。相手の弱点に気づいたり、自分の3球目をどのように攻められるかといった想定をする暇がない。

早いスピードで試合を見るというのは、すごいプレーで得点したとか、どのぐらいの点差で勝ったかという結果は分かるが、選手がどのようなところで苦戦していたのか、その結果どのように戦術を変えたのか、といったことまでじっくり考える時間がない。

「脳の反応速度」というのはよく言われることだが、「脳の思考速度」というのはあまり聞いたことがない。人のプレーを見て、自分のプレーに何かを取り入れるヒントを探して試合を観るなら、脳の思考力のキャパを超えない標準以下のスピードで、時には戻って繰り返し観るのがいいだろう。そうすることでトップ選手のちょっとした工夫やほころびが見えてくるかもしれない。

と言いつつ、私はこの文章を書くのにあまり点検することもなく、手のスピードに任せて書き終えてしまったのだが…。

最近、退屈することが少なくなった。
若い頃は退屈するのがイヤで、それが新しい経験をしてみようという原動力になったものだ。

情報づけになっている今の若い人たちは退屈なんてほとんど経験しないのではないだろうか。退屈を感じたら、手元のケータイなり、タブレットなりに手を伸ばせば、質はともかく、あらゆる種類の情報を閲覧することができるのだから。

しかし、退屈が紛れたからといって充実した時間を過ごせるかというと、そうではない。情報に触れれば触れるほどかえって満たされなさを感じる。

youtubeでWTTとテレビ東京のサイトをフォローしていると、毎日大量の動画がアップされ、観きれないほどである。それらの試合で主要なものはチェックするのだが、なんだか楽しめない。日本選手の国際大会での活躍を観ていても、だんだん観るのが苦痛になっていく。トップ選手の試合から何か学べることがあるのではないかと集中して観ようとするが、だんだん集中力が切れてくる。義務として観させられているような気さえする。いわんや1分以下の好プレーとか、インタビューなどは全く観る気が起きない。アマゾン・プライムでTリーグの試合も、最近は月に数回しか観ることがなくなった。
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ゴールデンカムイのアニメ版も1~3期まで観なおしてしまった。いい話だった。

以前はちょっとしたスキマ時間などに退屈を感じた時、ツイッターに目を通すということを頻繁にやっていたが、今では週に数回しか目を通さなくなった。一つ一つの情報量が少なく、気軽に触れることができるとはいうものの、宣伝とか、詳細な大会の結果とか、独り言とか、ほとんどが私にとってどうでもいい情報であり、しかも絶え間なく追加されてくるので、いつまでも終わらない。際限がない。きっと海上で遭難して、喉が渇いて海水を飲みつづけるというのはこんな気分なんだろうな。

なんとなくメルカリをチェックしてみる。2~3年前は欲しい品が驚くほど安く出品されていたものだが、最近は中国の、名も知れない用具の輸入品とか、安く出品されていたものをセドリで転売して新品並みの値段で売ったりとか、そんなものばかりが目につくようになった。食指が動かない。すでに十分すぎるほど持っている用具を新たに購入しても心が満たされるとは思えない。用具やら服やらを買いすぎて部屋が片付かなくなっているのである。

部屋の掃除でもしようか。

まだ使えるものでも、思い切って捨てなければ、部屋が片付かないので、断腸の思いである程度処分してみる。少しだけ心の空白が埋まった気がする。

しかし、そこでまた退屈が襲いかかってきた。情報はあちこちにあり、いつでもアクセスすることができるが、ちっとも満たされない。たしかにネットを見れば、退屈ではなくなるのだが、私の欲求不満は募る一方である。いったいどうすればいいのだ?卓球ができればすべてが解決するのだが、そんなにしょっちゅう卓球できる機会は訪れないし…。

退屈というのは、このような満たされなさを抱えて自分と向き合うことである。このような機会は苦痛に似た感覚を覚える一方で、自分と向き合う上で必要な経験である。私は何をしたいのだろうと自分に問いかけてみると、おぼろげながら答えが見えてきた。さきほどの部屋の掃除が一つのヒントとなった。

仕事である。特に過去の記録の整理とか、めんどくさくて今まで溜め込んできた仕事をすればいいのである。学生なら、さしずめ勉強や課題がそれに当たるだろう。やりたくない仕事がいろいろ溜まっているのだが、それらから目を逸らそうとしてネットにアクセスすれば、退屈は紛れるだろうが、満たされるわけではない。やりたくないが、やらなければならないことを片付けないかぎり、私の気分は晴れないのである。

私がいちばんやりかったことは、私がいちばんやりたくないことだった…なんとも皮肉なことである。この真実を悟った私は、週末にやりたくないことをすべて片付けて、とても満たされた気分になったのだった。

打ち慣れていない人と打つ時、実力の半分も出せないのはなぜなのだろう?
打ち慣れている相手なら、足がよく動き、伸び伸びと強打できるのに、打ち慣れていない人と打つときは、借りてきた猫のように大人しく、萎縮してしまい、チャンスボールでさえミスしまくるのはなぜなのか。

それがようやく分かったので、シェアしたいと思う(いつもどおり、そういうレベルの記事である)

上手い人は、2~3球乱打して「じゃ、始めようか」といきなり試合を始めても、だいたい普段どおりの実力を発揮できるのが私にはずっと謎だった。

あの人たちはどうして緊張せずに、いきなり強打しても入るんだろう?それにひきかえ私ときたら、単純な下回転サーブをレシーブしてはネットに掛け、ちょっと浮いたツッツキをドライブしてはオーバーさせ、凡ミスを連発してしまう。

結論を述べる前に、話題を変えて体の「開き」について語ってみたいと思う。

よく、打球ポイントというのか、体と打球する位置関係が問題になることがある。たとえばフォアドライブを打つ時、自分の斜め前方、ちょうどこめかみから30センチほどの距離が一番力が入るので、つねにそのポイントで打球できるようにポジションを調整しなければならない…といった打球ポイントについてのアドバイスを受けることがある。人によって力の入る位置は違うと思われるが、自分にとっての最適な打球ポイントを探して、そこを意識しながら打球するといい…といったアドバイスである。

私が最近思うのは、打球ポイントというのはあまり意識しなくてもいいのではないかということである。最適の打球ポイントを空間的な位置関係で記憶するよりも、体を限界まで開いた位置が最も力が入るのではないだろうか。まぁ、これも人によって異なるのかもしれないが、私の場合、胸を張って思い切り体を開き、腕を90°ぐらいに曲げてフォアドライブを打つと、一番力が入ると感じる。打球ポイントというよりも、体が開ききったところで打つのがいいようだ。こういう「体の開き具合」についての議論というのはあまり聞いたことがない。

人によっては上半身は閉じた姿勢、つまり拝むような、肩甲骨を左右に離したような姿勢のほうが力が入るという人もいるかもしれない。
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しかし、とりあえずフォアハンドは開いたほうが力が入るという前提で話を進めたい。

通常の状態から、体を目一杯開くには、ほんの少し時間がかかる。チャンスボールが来た時、それをフォアドライブ強打しようとすると、まず体を開き、左右の肩甲骨を近づけた状態で体幹をひねると、良いフォアドライブが打てる。しかし、そのためには相手の打球から、自陣にボールが到達するまでに素早く弾道や回転を予測しなければならない。打ち慣れていない人の場合、相手の打球の体勢からどんなボールが飛んでくるのかの判断が遅れてしまう。その結果、体を開ききるのが遅れて、中途半端な体勢で強打を打ってしまった結果、スピードの乗った良いフォアドライブが打てないということになるわけである。

同じぐらいの実力なのに、どうも良いショットが打てないというのは、どんなボールが来るのかギリギリまで迷って、「打てる!」と判断できたときにはすでに機を逸しており、体を十分開ききる前に打球を迎えてしまうからなのである。

これはあくまでも私の場合だが、ギリギリまで踏ん切りがつかず、判断を迷っているために良い打球ができないというのはおそらく万人に共通すると思われる。こういう失敗は、「丁寧な卓球をしたい」「ミスしたくない」という気持ちが強すぎるために起こるのだろう。

打ち慣れていない人と対戦して、最低限の実力を発揮するためには、たとえボールの見極めが不十分でも、思い切って早めに打球する体勢に入るというのが最優先されるべきで、「どのぐらい回転がかかっているかな?」などとギリギリまで迷っているのが最悪手なのである。私の場合なら、見極めはそこそこに、打てそうなボールだと判断したら、できるだけ早く体を開いた状態にして、早めに体幹をひねって打球するべきなのである。

打ち慣れてる人との対戦なら、相手の打球のコースや球質がほぼ反射的に判断でき、素早く打球に適した体勢に入れるのに対して、打ち慣れていない人との対戦では、ギリギリまで判断に迷って、打球時に十分な体勢ができていない。これが打ち慣れていない人との対戦で実力が発揮できない原因だろう(たぶん)。上手な人は初見の相手でも、拙速を重んじる。一方私のような人間は、巧遅にこだわってしまい、何もかも中途半端になってしまうのであるのである。


中高生が練習しているのをみると、ギュンギュン回転のかかった、すごいスピードドライブで基本練習をしていたりする。

「あんなのが打てたらいいなぁ」

私もワンコースでドライブ対ブロックの練習をするときは、学生のようなドライブができないかといろいろと試行錯誤してみたりするのだが、やっぱり無理である。

「まぁ、年も年だし、年相応の卓球をしないと。」

などと達観しているつもりなのだが、どうしても「学生のようなドライブを打ちたい。その8割程度の威力でいいから、打てるようになりたい」などという考えが頭をもたげてくる。

あるとき、そんな高校生とゲーム練習をする機会があった。高校生は私の甘いレシーブをすごいショットで一発で抜きさっていった。

「実際に相手をしてみると、想像以上に速いなぁ。打たれそうなときは、少し下がってみよう。」

そうして、普段よりも数10センチ下がってブロックをしていると、だんだん目が慣れてきて、ブロックできるようになってきた。あまり上手な子ではないので、コースも厳しくないし、一度ブロックしたら、次は少し下がって前中陣ぐらいからドライブを打ってくるので、それほど脅威ではない。というか、2発目以降はどんどん打点を下げながらドライブを打ってくるので、こちらの台に到達するまである程度時間がかかり、こちらはブロックで右に左に振り回すことができる。相手は全力で動きながらドライブを打ってくるのに対して、こちらは前陣で涼しい顔で3~4球止めていれば、相手の方が先にミスしてくれる。

「なんだ、大したことはないな。」

などと余裕で対戦していたのだが、次に当たった高校生にはボコボコにされてしまった。あまり下がらずにすごいドライブが厳しいコースに飛んでくるのである。ここから分かることは、基本練習のときにすごいスピードのショットを打っていても、実戦ではあまり脅威ではない人と、本当に脅威になる人とがいるということである。

以下、初めの子の卓球を他山の石として、自分の卓球を省みてみたい。

話は変わるが、先日の「卓球ジャパン」で平野氏が次のような解説をしていた。

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進化した日本のエース張本智和 vs 東京五輪銅 ドイツのオフチャロフとの一戦を解説!

ナレーション「張本自身はフォアが一つ良くなった要因としてコンパクトなスイングを今、心がけているんだと。」

平野氏「張本選手は、結構、台と近いところでプレーを、男子の中ではする選手なので、あの台との距離感だと、なかなかフルスイングするっていうと、ゆっくりなボールのときしかできないので、ちょっと相手の威力のあるボールのときにはコンパクトなスイングが有効的ですね。」

https://youtu.be/CB3FEUnuoMg?t=1257

平野氏によると、前陣でプレーする選手にとって常時フルスイングというのは難しいということである。これは私にも思い当たることがある。以前、「高校生みたいなドライブが打ちたい」とスピードを追求してドライブ練習をしていたとき、試合でドライブを打つ時、よく振り遅れることがあったのである。私のフルスイングを実戦で使うには台との距離が足りなかったというわけである。

しかし、同じように前陣でプレーしていても、ギュンギュンとすごいドライブを打ってくる高校生もいる。あれはどうやっているのだろうか。おそらく相当早い段階でバックスイングを完了させているに違いない。相手のラケットのボールが当たらないうちからバックスイングを引き始め、相手の打球とほぼ同時にフォワードスイングをスタートさせているのだろう。

そう考えると、私のバックスイングの引き始めは、前陣でプレーするには遅すぎるということが考えられる。

人にはそれぞれ自分のプレーのリズムがあり、時間的な余裕がない場合は、無意識にそのリズムにしたがってバックスイングをスタートさせるように思う。

カットマンとよく練習している人は、かなりゆっくりとしたリズムでプレーするだろうし、ペン表の人とよく練習している人は早いリズムでプレーしているはずである。中陣でプレーするドライブ型の選手はその中間ぐらいのリズムだろうか。

そしてゆっくりしたリズムに慣れている人は、大きなスイングで威力のあるショットを打ちたがり、早いリズムに慣れている人はコンパクトで威力を抑えた打球をするはずである。早いリズムで威力のあるショットが打てれば一番いいのだが、それは難しいので少し下がってフルスイングするか、前陣でコンパクトに振るかというのが現実的な選択肢だと思う。私の場合は前陣にいるくせにフルスイングをしようとしていたので、振り遅れてミスすることが多かったわけである。

とはいえ、少し下がってフルスイングは体力が要求されるし、私が挑戦しても、あまり勝てそうな感じがしない。となると、もっと早いリズムで威力を抑えたショットを心がけるというのがよさそうだ。



前記事「yawingで打つ」でツッツキの基本について触れた。

ツッツキはラケットに顔を近づけて打つのがよいということはあちこちで言われていることである。しかしなぜそれがいいかという説明は聞いたことがない。言うまでもないからだろうか。
おそらく打球に力がこもり、手の神経が最も厚く機能する空間というのがあって、それが胸の前30センチ辺りで、その空間から手が離れるにつれて神経のコントロールが弱くなり力もこもらなくなってくる。ちょうど胸の前に大きなスイカぐらいの空間がありその範囲内で打球すると最も安定すると思うのである。昔、懐を作るという表現での指導があったが、これのことかもしれない。

とするとそれはツッツキに限らずあらゆる打法でも通用するのではないだろうか。
例えばフォアドライブやバックブロックである。バックブロックは、おへその前で打つなどと言われるし、フォアドライブも体幹を斜め前に向けて打つのでやはり胸の前で打つことになる。

「打つときにちゃんと前屈みになって顔をラケットに近づけて打ててないってよく言われるんですよ。」

私よりも遥かに強いベテランのNさんはそう嘆く。

「よく初心者に指導するとき、腕を伸ばしたらあかん。顔を近づけて目の前で打球するんやなんて自分でもよく言うんですよ。でもそんな基本的なことが自分もできてないときがあるんですよ。」

もちろんコースの決まった練習の時なら意識しているのでちゃんとできているのだが、試合中のとっさの場面でつい腕を伸ばしてしまい、ラケットを顔から離して打ってミスしてしまうのだという。

私よりもずっと上手なNさんがそうなのだから、私も同じことをしているにちがいない。私の場合は意識すらしていないのだから困ったものである。

そういうことを意識してフォアドライブを見直してみると、バックスイングでラケットを右耳の辺りまでにとどめてコンパクトに振るということになる。実際はもっと大きなスイングになっているのかもしれないが、私の中のイメージでは右耳の辺りからフォワードスイングをスタートしている感じなのである。顔をラケットに近づけようとすると必然的にそうなると思う。もちろんラケット自体はあまり動かさず、腕ではなく、体幹をひねってラケットを引くわけである。

真後ろから見て、今までなら時計の4時から11時までがスイングの範囲だったのが、顔をラケットに近づけた新しい打ち方だと2時から11時ぐらいになる。
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こんなふうにラケットと顔の位置を近づけてスイングすると、力のこもった、それでいて振り遅れにくいフォアドライブになった…気がする。

まだ実戦配備をしておらず、十分検証できていないが、今後しばらく顔を近づけて打つということを試していきたいと思う。

試合会場で年配の女性の試合を見るとはなしにぼんやりと見ていたときのこと。

日ペンの女性同士の対戦だったのだが、前陣でペチペチと早いピッチで打ち合っている。両者ともにほぼ手打ちである。そのラリーが3往復、4往復と続いているのにハッとさせられた。

なぜこんなにラリーが続くのだろう?

サーブは切れていないから、レシーブも容易だし、手打ちだから威力のあるショットは来ない。にしてもどちらかが簡単なミスをしてもおかしくないはずである。それが淀みなくラリーが続き、凡ミスが少ない。不思議である。

私がその女性と対戦したらどうなるだろう?甘いボールを強打して得点できるかもしれないし、強打をミスして得点されるかもしれない。とにかく3~4球目辺りでラリーは途切れ、こんなに流れるようなラリーにはならないだろう。

では、強打を封印して彼女たちのラリーについていくことはできるだろうか?私にはその自信がない。いくらショットスピードが遅いとはいえ、こんなに次から次へと、右に左に畳み込まれては、いつか簡単なミスをしてしまう。それなのに彼女たちは凡ミスなく当たり前のようにラリーを続けている。そう考えると彼女たちの卓球には学ぶべきことが多いのではないだろうか。

切れていないナックル気味のサーブでポイントが始まることが多いのだが、レシーバーは躊躇なくそれをフリック、あるいは押すようにつっつく。私なら回転をじっくり見極めて、回り込みドライブなり、チキータなり、しっかり切ってつっついたりするだろう。
サーバーは3球目を軽くミートし、上回転のラリーが始まる。私がサーバーだったら3球目が来る方向を素早く察知し、そこに移動し、しっかりタメを作ってぐいっとドライブをかけることが多い。そしてそのタイミングが遅れるとミスする可能性が高くなる。たいていできるだけ質の高いショットを打ちたいという欲があるので3球目を打つときはいつも不安である。

「ちゃんと入るだろうか?」

などと迷いながらショットを打つので打点は落とすし、力は入るしでミスが多くなる。

彼女たちのプレーにそんな緊張などは感じられず、入って当たり前と言わんばかりに無心に軽やかにラリーに入っていく。彼女たちは、私とは異なる別のところに意識が向いていると思わざるを得ない。

私はどうやってミスなく質の高いショットを打つかというところに意識が行っているのに対して、彼女たちはタイミングを逃さないというところに重点を置いているのではないだろうか。

プレーを見ずに打球の音だけを聞いていると彼女たちのラリーは打球音が揃っている。一定のリズムを刻んでいる。それに対して多くの男性の卓球は、打球の間隔が不規則になりがちである。あるときは打点を落とし、グッとドライブを掛け、あるときはバウンド直後に強打したりする。

私の場合で言うと、質の高いショットを打とうとし、つい打点を落としてドライブをかけようとすることが多い。
ジャズなどの演奏で等間隔の適正なリズムをイーブン、ややずらしたリズムでの演奏をシャッフルというらしい。

jazz  shaffle
ジャズ(スウィング)入門 レイドバック、タメを知る

打点を落として不規則なリズムで打つ私の卓球はいわばシャッフルで、先の女性たちのリズムはイーブンと言えるのではないだろうか。シャッフルはジャズではカッコいいが、卓球では不安定の素である。とにかくタイミングを遅らせないというのが最も安定するような気がする(前記事「ピークをねらえ!」)。タイミングを保つためにはショットの質は二の次である。

話は変わるが、現在開催中の世界卓球2022の日本代表女子のメンバーがすごい。私が監督ならオーダーを考えるのに目移りしてしまうほどのレベルの高さである。早田選手と伊藤選手というツインエースに加え、佐藤瞳選手、木原みゆう選手…そして今大会で目の覚めるようなプレーを見せてくれたのが長崎みゆう選手である。

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予選リーグ1試合目の対スロバキア戦では、1番の木原選手が緊張からかミスが多く苦しみながらの勝利だった。そして2番の伊藤選手はミスも多かったが、主導権は渡さず、見事勝利。そして3番の長崎選手は危なげなく圧勝だった。
https://m.youtube.com/watch?v=5eUDmr--Gfw&list=PL7mDcpZ4nKGnL7IVeT9Je-BsOg3DHCbEq&index=13

長崎選手の打点の早さがすばらしかった。頂点前で迷いなく振り切っていることが多く、鋭いドライブがバシバシ決まる。1試合目の木原選手の打点と比べると、長崎選手の打点が圧倒的に早いことが分かる。

決めた!私はこれから打点最優先の卓球をしよう。そのためには意識を常に打球タイミングに向けていなければならないだろう。たとえ威力を落としても、打点を落とさずペチペチと連打するのがミスを減らすのに有効であるに違いない。手打ちだろうがなんだろうが、面を立て気味にしてタイミングさえ逃さなければ、とりあえず入るはずである。

卓球について言葉で説明しようとすると、ときどき違和感を覚えることがある。

打法について
たとえば「ドライブを打つ」という表現である。
大島回り込み

「カットを打つ」とか「ツッツキを打つ」というと、飛んでくる下回転のボールを相手がドライブなどで返球するという意味になるのだから、「ドライブを打つ」というのは飛んでくる上回転のドライブボールをスマッシュやドライブなどでカウンターするという意味になるはずである。

そうではなく、ツッツキなどをドライブで返球することをどう表現したらいいのか?

「ドライブを放つ」? 「ドライブをかける」?

「放つ」はやや文学的な雰囲気があって、使いづらい場面もあるし、「かける」は回転を生み出す意味に焦点があり、ボールを飛ばす意味で使うには不適切な場合がある。

じゃあ、「3球目をドライブする」だろうか?

「ロビングする」「ストップする」「カットする」「ブロックする」「チキータする」「ショートする」「スマッシュする」「プッシュする」

のように「○○する」というタイプの表現は定着しているが、カットマンが「ハーフロングする」とか、バックハンドで「ハーフボレーする」はどうだろう?「ドライブする」「ループする」も微妙だ。「バックドライブする」「ナックルドライブする」には違和感がある。では「バックドライブ」を表現するときはどうすればいいのか?やっぱり「バックドライブを打つ」だろうか?

こういうことを表現しようとするとき、モヤモヤするのは私だけだろうか。

「~打ち」について
「~打ち」という表現もあいまいで、「カット打ち」と「ミート打ち」はそれぞれ客体が異なる。
カットの場合は「カットを引く」という表現がある。それなら「ドライブを引く」「ツッツキを引く」と言ってもいいのだろうか?「ドライブを引く」はときどき耳にするが、「ツッツキを引く」は聞いたことがない。「つっつく」が無難だろう。

類義語について
「サービスを出す」のようにポイントを始める意味は「出す」で問題ないが、「サービス」と「サーブ」の意味に違いがないのが気になる。語形が違うのだから、意味にも違いがあってほしい。

「ポイント」というのも曖昧な表現である。

「むやみに強打を打つのではなく、ポイントになるような攻撃をしないとダメだ」と

「さっきのポイントの4球目のコースは絶妙だった」

の「ポイント」の意味は異なる。後者は「ラリー」の意味に近いが、レシーブミスで得点した場合は「ラリー」は使えない。この「1点を取るためのボールの打ち合い」を表す別の表現がほしい。

相手のスボンの右ポケットあたりを「ミドル」と呼ぶが、相手の位置にしたがってミドルの位置は移動する。それに対して台のセンターのことをミドルと呼んだりする。「フォア・ミドル・バックの3点に返球してください」などという場合がそれである。しかし、ペンドラのようにかなりバック側で構えている相手に「ミドルにサーブを出せ!」と言った場合、ある人はバック側に、ある人はセンターに出せという指示だと解釈するだろう。

「コート」と「エンド」というのも使い分けが曖昧である。コートというと、テニスやバスケなどで走り回る場所を指すような気がする。卓球では台の上を走り回らないのだから、エンドのほうが卓球台の半面を指すのに適切だろうか。では、卓球でプレーヤーが動き回る場所は何と呼ぶのだろうか?ルールブックによると「競技領域は、長さ14m、幅7m以上の長方形で、高さ5m以上なければならない。」とあるので、「競技領域」というのが正式名称らしいが、普段の会話では使いづらい。

漢字のよみ方について
ウラメンとリメンはどちらも通用しているが、私はウラメン派である。ペンの表面をオモテメンと呼ぶなら、裏面はウラメンと呼ぶほうが筋が通っている。
同様に「戦型」はセンガタとセンケイのどちらも通用しているが、私はセンガタ派である。「守備型」「カット主戦型」はガタとよむのだから、「戦型」もセンガタのほうが筋が通っている。

カットマンとドライブマン
女子選手を「カットマン」と呼ぶのがモヤモヤする。なので私は「カット型」と呼ぶことが多い。同様に「ドライブマン」というのもモヤモヤする。片面ペンでドライブも打つが、スマッシュも多い選手はどう呼べばいいのか。昔は「ロングマン」という言い方もあったが、最近はあまり使われない。ザクッと「攻撃型」がいいと思う。「攻撃マン」という言い方もよく聞くが、これを使うとモヤモヤがぶり返してしまう。

ペンホルダーグリップとペンホールドグリップ
英語ではpenhold gripのほうをよく見かける。ペンホールドグリップを使う選手をペンホルダーと呼ぶのがいいのかなと思うが、よく分からない。モヤモヤする。

シングル・ダブル
一般的に「シングルス」「ダブルス」と呼ばれるが、あの「ス」は一体なんなんだろう?トーナメント表などで、ダブルの試合がたくさん並んでいるなら「男子ダブルス」と表現するのは理解できる。「ダブル」が複数あるから、「ス」は複数の意味である。しかし、団体戦で「次の試合、俺はダブルスに出たい!」などという場合、「ス」の意味はなんだろう?ITTFの英語のサイトなどをみてもdoubleはほとんど使われておらず、doublesが使われている。その"s"の意味はなんなんだ!?

ここまで読んでいただき、「気にしすぎだ。どんな表現を使っても、通じればいいではないか。」と思われる方が多いと思う。私もこんなことを気にするなんて神経質すぎやしないかとは思うのだが、気になってしまうのだから仕方がない。
そういえば「クラブチーム」ってなんなんだろう?楽しむためのクラブなのか勝つためのチームなのかどちらかはっきりしてほしい…というようなモヤモヤが絶えず湧き上がってくるのが私の頭の中なのである。

上手い人は初見の相手でもガンガン攻めて行けるけれど、私はそういうのはまるでダメである。いつも後手に回ってしまい、相手に先に攻撃されてしまう。そういえば、子供の頃はひどい人見知りだった。そういう性格的なものなのだろうか。

いや、そんなはずはない。やっぱり自分から攻撃できないというのは性格以外の理由があるはずである。実は私は最近少しだけ先手を取れるようになったのである。どういうことか以下に述べてみたい。

nagasaki(1)


そもそも自分から攻撃するのと、ブロックなどの守備をするのと、どちらが簡単だろうか。いや、簡単というより、どちらが手間がかからないだろうか。もちろん守備のほうが手間がかからず、楽である(来るコースが分かっていれば)。攻撃するには相手のボールの軌道を予測し、自分の体の近くで打てるよう位置取りをして、バックスイングを取って、適切な角度でスイングするという過程が必要なのに対して、ブロックは、極端に言えば、手をさっと出せばなんとかなるものである(手の届く範囲なら)。もちろんブロックでも体を使って打つに越したことはないが、とりあえずブロックなら手打ちでもなんとかなる。それに対して攻撃は手打ちではあまり効果がない。

何が言いたいかというと、守備は腕一本でそこそこの返球が見込めるのに対して、攻撃は体をしっかり使って打たないと攻撃としての体をなさない、つまり守備のほうが攻撃より肉体的・心理的な手間がかからないのである。「手間」というのは「戻りの早さ」と言い換えてもいいかもしれない。

たとえばブロックにかかる「手間」を数値化して10とすると、フォアドライブは50ぐらいになるのではないかと思う。このように打法によってかかる手間は大きく異なるだろう。
この「手間値」を私の個人的な体感で言うと、

FD50>BD40>Fスマッシュ30>ツッツキ20>Bプッシュ15=サービス15>ブロック10

である。私はツッツキのとき、手間がかかりすぎるのが課題である。

具体的な場面で考えてみよう。
回り込んでフォアドライブを打ち、ミドルに返ってきたボールをもう一度フォアドライブで打つというのはかなり大きな動きで時間がかかる(50+50=100)。前陣でこれをやろうとすると間に合わないので、少し下がって中陣寄りで打たなければならなくなる。
一方、バック側に打たれたドライブをブロックで止めて、次にミドルにドライブ連打されたボールをバックプッシュのカウンターで押し返すような場合は時間的に余裕があり(10+15=25)、前陣で素早く行える。

前記事「時間の無駄をカット」でも同じようなことを考えたが、格闘ゲームの攻撃に大・中・小があるように、卓球の打法にも戻りに必要な時間にしたがって大・中・小を想定できる。

バックドライブを打ってから、フォアドライブを打つというのは私にとってかなり手間がかかる運動である。それに対してブロックからフォアドライブを打つのはそれほど手間がかからない。私ぐらいのレベルの人だけかもしれないが、バックドライブを振っている最中は、今の打球のことしか考えられない。シングルタスクである。しかし、ブロックしているときならブロックしながら、「次の甘いボールを攻撃してやろう!さぁ相手はフォア側に打ってくるのか、バック側か?」などと考える余裕がある。いわばマルチタスクである。

「バックドライブを打つので精一杯」か「次の打球のことを考えながらブロック」かというのは大きな違いである。

これが私が先手を取れることが増えた理由である。

今までは、現在行っている打球に専念していたため、打ち終わってはじめて次の打球のことを考えなければならなかった。しかし最近は手間値の小さな打法――ブロックとか、ツッツキとかを行いながら、次の攻撃のことを考えられるようになったのである。

私はドライブのような手間がかかる打法の最中に次の打球のことまで考えることはできないが、上級者ならドライブの手間値が20程度で、打ちながら次の打球のことを考える余裕があるのだと思う。

自分から攻撃する場合、私のおすすめは、ブロックのときとツッツキのときである。ブロックは角度を作って軽くラケットを動かすだけなので、他のことを考えやすい。ツッツキはボールのスピードが遅いので、次の打球のことを考えやすい。遅いループドライブも同様に時間的な余裕があるので、次の攻撃を意識しながらループドライブをかけるのも有効である。サービスは3球目のことを考えながら出せるので言うまでもない。



こんなことがあった。
ゲーム練習で、Aさんと対戦したとき、なかなかこちらから攻撃できなかったのだが、Bさんと対戦したときは、ちょくちょくこちらから攻撃するチャンスがあった。何が違うのかと考えてみると、台上で起こったことに違いがあったとしか思えない。

おそらくAさんはこちらのサーブを早い打点で低く速く返球してくるためこちらが攻撃するチャンスを作るのが難したかったのに対して、Bさんのレシーブはボールが到達するスピードが遅かったため、こちらから攻撃する余裕があったように思う。

ということは、台上で素早く返球できれば、相手の攻撃を防ぎやすくなるということである。ツッツキで打点を落とさずに早いピッチで返球できるというのがツッツキが上手な人ということになるだろうか。そもそもツッツキが上手な人というのはどんな人だろうか?早いピッチで返球できること以外にも、下回転が切れているとか、低くて深いとか、いろいろな条件があるだろうが、とりあえず早いピッチで返球できるというのが最も重要な条件のように思われる。

ツッツキという技術を改めて考えてみると、たとえば『卓球王国』9月号にこんな記述がある。

フォアのツッツキは右足を少し前に出し、ラケットの打球面を斜め上に向けて右肩の前あたりに引きます。そこからラケットをななめ下に振り下ろすように、ひじを伸ばしながら、ボールを切るように打って下回転をかけます。

「ゼロからマスター!基本テクの教科書3」より

バックハンドも同様に「ひじを伸ばしながら打球」とある。

私はペンホルダーなので、以下、ペンのフォアツッツキを想定している。

ツッツキというのは、肘の関節をたたんで、伸ばすだけの運動なのだろうか。腕の曲げ伸ばしだけだと尺取り虫のような動きになり面がブレやすく、あまり安定しないように思う。それよりは腕はあまり動かさず、肘を曲げたまま、ツッツキをしたほうが安定するように思われる。

フォアツッツキに近い運動として、ペンの表面ショートが思い浮かぶ。
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ショートも肘を曲げ伸ばしして打つ打法だが、腕の曲げ伸ばしだけで打つよりも、右利きなら左肩を一度前に出しておいてから、左肩を後ろに引くと、右腕が自然に前に押し出される。

無題
このような頭のテッペンから床まで軸が通ったイメージで左右に回転する動きをヨーイング(yawing)という

肘は曲げたままで押し出され、押し出された余韻で腕がやや伸びながら打球するという感じである。この打ち方だと面がブレにくく、安定するのである。

ということはフォアツッツキも同じ原理ではないだろうか。腕は曲げてL字のまま、左肩の前後動で右腕を操作するというわけである。

岸川選手のツッツキの動画で確認してみた。

Fツッツキ
松平賢二レベルアップへの道、ツッツキ編
https://www.youtube.com/watch?v=xPwDykoUTso

あれ?全く左肩を使っていない。その上、肘もまっすぐ伸びていて、私のイメージと全然違っていた…。私の想像した「正しいツッツキ」は完全に間違っていたようだ。

ここから分かることは、頭で考えるだけではしばしば大きな間違いを犯すということである。やはり実際のプレーで検証を重ねなければ、正しい結論にはたどり着けないのである。フォアツッツキは左肩を使わず、腕を真っ直ぐ伸ばす打ち方がよいようだ。ただし、顔をラケットに近づけることが大切だと上の動画で説いている。


今季はおもしろいアニメが多い。
そのうちの一つ、「シャドーハウス」の2期を観ていて思った。
「こういう影絵ってしゃれてるなぁ。そういえば卓球の影絵ってあまり見かけないな。」

shadow

あちこちで使われている下のフリー素材があるのは知っていた。

ダウンロード

https://kage-design.com/2015/01/01/table_tennis1/


しかし、無料で使える影絵というのはほとんどないようだ。
なら、自分で作ってみよう。
たまたまうちのPCにphotoshopが入っていたので、これで写真を加工してみよう。使ったことはないが、いろいろいじくっていれば、なんとかなるだろう。

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なんとかならなかった…。フォトショップというアプリを初めて使ってみたのだが、これはとんでもないシロモノである。レイヤー、マスク、カラーオーバーレイ…。複雑すぎて何がなんだか分からない。インターフェースもwindowsと微妙に違うし。こんなもの素人が使うべきではない。もっと素人向けの画像編集ソフトがあればいいのだが。

しかたなく、youtubeでフォトショップの入門動画を見て、見様見真まねで作ってみたのが以下の画像である。細部は荒いが、初心者にしては上出来だと思う。


xuxin (2)



taisei(2)



 eka(2)


qiu(2)

全員ペンホルダーだが、誰だか分かるだろうか。

【追加1】
harimoto BH

honoka1

fan

kasumi

【追加2】
katomiyu

malong

kouno

kenji(1)

下回転打ちは難しい(そういう低いレベルの記事である)

あまり切れていないサーブだと思ってフリックしたら、ボトンと落とすし、切れたツッツキだと思って思い切りドライブで持ち上げるとオーバーさせてしまう。スマッシュにいたっては回転量の微妙な違いに応じてシビアな角度の調整が要求される。まして相手が異質の場合はさらに難易度が高くなる。同じような相手のフォームでも、打ち方とかラバーの性能によって打たれたボールの回転量は変わるのだから、それを一瞬で正確に見極めるなんて無理ゲーもいいとこである。

「下回転、イヤー!」

やっぱり横回転や上回転ロングサーブからの展開のほうが楽である。ロングサーブを出して相手に上回転で返球してもらえば、ボールを落とす心配もなく、台上もスキップできて大きなラリーになって楽しい。

しかし、先日ゲーム練習をして、上手な人に「卓球が単調だ」と指摘されてしまった。ロングサーブから、いきなり大きなラリーばかりだと、だんだん相手も慣れてきて、レシーブからいきなり強打されるようになってしまう。上回転のラリーに絶対の自信があるならそれでもいいが、もっとショートサーブからの展開も作らなければということだった。とはいうものの、 下回転からの展開は地味だし、下回転を打とうとすると、ミスするし、気が進まない…。しかしこういう苦手意識を克服しなければ私の卓球に進歩はない。逆に下回転からの展開を喜んで受け入れるような意識の変革が必要なのではないか。

「尊い!下回転打ちは尊い!」

こう自分に言い聞かせて下回転打ちについて考察し、私なりの結論が出たので以下に述べたい(言うまでもないことだが、万年中級者の私の考察なので、正しいという保証はない)

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下回転打ちで参考になるのは、下の動画である。
atarikata
https://www.youtube.com/watch?v=r0FDhT_SyFY
下回転打ちは難しくない!苦手な人が見直すべきポイント

まず、最も重要なのはラケットとボールの当たり方だという。
上の動画で森田氏が強調しているのは、インパクトの瞬間、ラケットが上方向に力を伝えているかどうかという点である。下回転を持ち上げるのに、上方向にラケットを振るのは当たり前だが、上方向のスイングが必ずしも上方向に力を伝えているとは限らない。ラケットの傾斜がきつければ、いくらラケットを上方向に振っても、インパクトの力は、ボールを上方向に押していない場合もありうる(A)。なお、下の赤い矢印がインパクトによって押される方向を表している。

インパクト方向

一方、上図Bはかなり面を立てているので、下回転の影響を受けはするものの、ボールは上方向に飛びそうな雰囲気である。
仮に「インパクト方向」という術語を使ってみたが、これは「こする力」とは別物である。最近のいわゆる高性能ラバーはこする力が強く、多少インパクト方向が下方であっても、下回転を持ち上げてしまう性能を持っている。が、おそらく両者の関係は「インパクト方向>こする力」であり、いくらがんばってこすっても、インパクト方向が下方だったら、下回転は持ち上がらない。逆に面を垂直ぎみにして、ボールの真後ろや、ほんの少し下を触れば、スイングスピードが遅くても下回転が楽に持ち上がってしまう。いわゆる「乗せて打つ」というやつである。

下回転が持ち上がらないという場合、インパクト方向とこする力を区別していないのではないだろうか。現に私は最近まで両者をはっきりと区別していなかった。また、最近の高性能ラバーの性能を過信して、インパクト方向を気にしないという人もいるかもしれない。私はあえて低性能ラバーを使うことによって、ラバーのこする力は当てにしないという境地に至ったのである(前記事「用具を替える、自分を変える」)。

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片面ペンで下回転を器用にバックドライブやバックフリックする人がいる。裏面はないから、表面で擦り上げるのである。どんなふうにやっているのか観察してみると、ほとんど手首のひねりだけで擦り上げているのである。体や腕を使ってバックドライブしても、下回転を落としてしまう人がいるのに、手首だけで下回転を持ち上げるなんてどういうことなんだろう。人によってやり方は違うかもしれないが、私が見た人は、ストップをするときのような早い打球点で擦り上げていた。つまり、ボールがバウンドした直後の、ボールが上に上がろうとする力を最大限に利用して、それに手首のこすりでアシストしていたというわけである。私も試しに台上の下回転をバウンド直後に表面で真上に擦り上げてみた。すると楽に持ち上がったのである。

ここから分かることは、下回転を持ち上げるのに重要な要素として、「インパクト方向」「こする力」に加えて、上方向に向かおうとするボールの「バウンド力」(仮)があるということである。いくら手首が強い人でも、頂点を過ぎて落ちてくる下回転を手首の力だけで持ち上げるのは至難の業だろう。

私の感覚では、

「インパクト方向>バウンド力>こする力」

の順で下回転打ちに影響を与えると思われる。この3つの力を区別した上で下回転打ちに取り組めば、おのずから下回転打ちが安定すると思われる。


【追記】
なお「インパクト方向」と「バウンド力」というのは、見方を変えればそれぞれボールをさわる点と打球点ということになる。

masamune
「ぼくも柳3枚のカット用ラケットから変えた時は『扱いにくい』と感じました。でも使っていくうちに慣れてきて成績も急上昇した。しばらくは我慢して使ってほしいし、使えば使うほど湿気を吸って馴染んできます。」『卓球王国』8月号 
ヤサカのオールラウンド用ラケット「正宗」に対する英田理志選手のコメント

ふつうの人なら「扱いにくい」と感じたら、速やかに使用をやめて、元に戻すか、別のラケットを試してみることだろう。特別な理由もないのに、扱いにくい用具を「我慢して」使い続けるというのは我々一般人には理解しにくいのではないか。

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飽きっぽい私は最近また用具を一新した。ラケットを新調するにあたって、フォア面を中国ラバーに替えた。 あ、ターボオレンジとか、省狂とかじゃなくて、安くて全然弾まない、テンションなし、昔ながらの硬いやつである(前記事「中国粘着ラバー入門」)。 こういう全然弾まないラバーを使えば、打法を改善できるのではないかと考えたからである(前記事「ボールの威力を上げるために」)。ただ想定外だったのはラケットも弾み控えめだったことである。弾まないラバーと弾まないラケットの組み合わせでとんでもなく弾まない用具ができてしまった。これはかなり工夫しないといいショットが打てないのではないかと予想される。

上級者でこんな弾まない用具を使って打法を改善するというのを聞いたことがないので、あまりおすすめはできないのだが、こういう試みも私にとってはいい経験だった。

中国ラバーにしたら、回転量が増えるんじゃないかとひそかに期待していたのだが、回転も全然ダメ、ドライブのスピードダウンは言うまでもない。あまりにも弾まない。ああ、これは失敗だったな。普通だったらテンションラバーに戻そうと考えるところだろう。私もそんな考えが頭をかすめたが、やっぱりこのままで行くことにした。 人生でもそういうことがよくあるではないか。職場などで人間関係がうまくいかなくなって、周りの人に変化を求めるのだが、相手も同じようにこちらに変化を求めて来る。結局、どちらも譲らず、いやになって職場を去ることになったりする…なんてことが。 お互いに変化するのが一番の解決法だと思うのだが、まず自分から変化してみたらどうだろう。とりあえず相手の望む打ち方が何かということをいろいろ試してみて、最もいい感じで打てるように打ち方を変えてみるのである。そうすればラバーの方もきっとそれなりにいいショットで応えてくれるだろう。

中国ラバーのドライブはラバーに食い込ませずに表面で薄く擦るといいと聞いたことがあるので試してみたが、全くダメ。下回転がちっとも持ち上がらない。むしろミート打ちのようにぶつけつつこすったほうがいい感じである。当て7、こすり3ぐらいの感じで。ドライブでしっかり厚く当てようと思うと、ボールを下から見上げるような低い姿勢が要求される。 そして打球点を落とさず、頂点前ぐらいでインパクトしたほうが良さそうである。 上半身をうねらせて、最後に腕がムチのようにしなってインパクトを迎えるのが一番力が伝わるように思う。もちろんまず足で床を踏み込んでからである。

ただ、この打ち方は時間も体力も消耗する。打つ前の準備に時間がかかり、腰や肩甲骨辺りに負担がかかるので疲れるし、準備の時間を要するため、毎回きちんとできるわけではない。想定外のボールが来たり、判断が遅れたりすると強打できず、手打ちのループで繋ぐしかない。 打球タイミングが非常に重要で、インパクト時にかなりスイングスピードが乗っていないといけないので、いつもよりも3割ほど早めにスイングをスタートしなければならない。そのタイミングでちゃんと万全の体勢で打ってはじめてまあまあのスピードのドライブが打てる。たぶんインパクトが強くなり、硬いラバーにもある程度ボールを食い込ませることができているのだろう。そういう感触が腕に伝わってくる。考えられる要素(足の踏み込み、打球タイミング、体幹の使い方等)を一つでも欠いてしまうとミスしてしまうので、自分の打ち方を見直すいいチャンスになる。もっと体力を消耗しない効率のいい打ち方があるのだと思うが、今のところこのラバーにそれほど習熟していないので、これから少しずつ修正していく必要がある。

このラバーを初めて試したとき、全く合わなかったので、すぐにまた替えようかと思ったのだが、踏みとどまったお陰で自分の打ち方を見直す機会を得ることができた。こういう経験もいいものだ。相性バッチリで結婚した夫婦がすぐに破局するなんてことも聞くではないか。

このラバーの場合はどうだろうか。いろいろ打ち方を変えることによって力を抜いていいショットが打てるようになるかもしれないし、どうしても合わずに破局を迎えることになるかもしれない。 どちらにしても、合わない用具に一定期間寄り添ってみるというのはいい経験である。今まで見えなかった自身の欠点が見えてくる。

自分のプレーがしっかりと確立していて、それを変えたくないなら、自分に合った用具を求めてとっかえひっかえするのもいいが、私のように自分のプレーが固まっていない人間にとっては合わない用具と付き合うことで自身を変化させることができるのである。

ドイツ人によると、日本のパンは「ケーキ」ということらしい。柔らかくて甘くてスカスカで、噛んでもパンの味がしない。「本物」のパンは固くて噛めば噛むほど味が出てくるらしい(なんとなくドイツ人っていつも上から目線のような気がする)。テンションラバーと中国ラバーの違いは、なんだかこのパン談義に似ている。弾まない中国ラバーもしばらく打っているうちに味が出てくるといいのだが。

よく切れたカットが返ってきて、フォアドライブでカット打ちをしようという場面。
さあ、全力でフォアドライブを打とうと思ったら、ボールが想定よりもほんの10センチほど深くて、ちょっとつまりながらも全力でフォアドライブ。そしてそのボールはネットの上部に当たり、ポーンと上に飛んで、自コートに落ちてきた。私のカット打ちのどこが悪かったのだろうか。やはり少し詰まりながら打ったからだろうなぁ。あと、ほんの少し力が伝わっていれば、ネットを越えたのに…。

net-in
カット打ちではないが、ネットインの場面

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いいドライブを打つには、強いインパクトが必要だと言われる。強いインパクトというと、思い切りバックスイングを取って、全力でボールをひっぱたくというイメージがある。しかし、そんな打ち方ではドライブにならず、ミート打ちになってしまう(ミート打ちだとしてもあまり安定しそうにない)。ドライブというのはボールをこする技術なのだから、ぶつける力とこする力というのは両立が難しいのではないか。後ろから前に派手にぶつけようと思ったら、こする力が弱くなるし、斜め上に強くこすろうとすればぶつける力が弱くなる。ラケットをシュート気味に当てたら、あるいはぶつける力とこする力がある程度両立できるかもしれない。

卓球のドライブにおける「強いインパクト」というのは、車のエンジンで言うと、回転数の高さよりも、トルクの厚さが当てはまるように思う。排気量の小さい車はエンジンの回転数を上げればパワーが出るが、回転数が上がらない低速時はなかなかパワーが出ないということになりがちである。卓球のドライブも、バックスイングを大きくとって全力でスイングすれば威力が出るが、コンパクトなスイングではパワーがスカスカというのに似ている。

私が考える「強いインパクト」というのは、ぶつけるときの強い衝撃というよりも、むしろぶつかった瞬間に力を逃さないというものである。もちろん私程度の実力の人間の考えることだから、正しい理解とは限らない。間違っている可能性もあるのだが、現時点でのこのような理解で私のプレーが改善されたので、一理ぐらいはあると思っている。

たとえば次のような場面を考えてみよう。
一つは、ツッツキのレシーブを3球目でフォアドライブしようと思ったら、想定よりも10~20センチ浅かったので、体をやや前に運びながらドライブを強打した場合。ツッツキのスピードは遅かったので、時間的に余裕があった。
もう一つは、反対にツッツキが想定よりも10~20センチ深かったため、やや後退りしながらドライブを強打した場合。これもツッツキのスピードが遅かったので、ギリギリ詰まらずに打てたと考えてほしい。

前者(前に移動しながら強打)と、後者(後ろに移動しながら強打)では、ドライブの威力に差が出るだろうか?私は差が出ると思う。どこで差がつくかというと、足が床をしっかり踏みしめているかどうかである。後退りしてドライブを打つと、どうしても足の踏ん張りが効かず、インパクトで発生した力を逃してしまう。

この足の踏ん張りの有無はバカにできない。同じ力、同じフォームで打ったとしても、足を踏みしめているかどうかでドライブの安定性が全く変わってくる。手打ちにならず、しっかりと体を使って打っているのに安定しないというのは、スイングスピードが足りないからというよりも、ラケットがボールにぶつかった瞬間、下半身の安定性の欠如によって力が逃げてしまっているということではないだろうか。

私は下回転打ちにかぎらず、すべてのボールを打球する直前に足を踏みしめてインパクトの力を逃さないように打つようにした。もちろん時間的な余裕がなくて踏ん張れないときもあるのだが、スイングが中途半端になっても、まず足の踏ん張りを優先し、それから打球することにしたのである。そうすると、冒頭のような下回転打ちでも、ギリギリネットに引っ掛けてしまうようなボールが安定して入るようになったように思う。

インパクトの強さというと、手打ちではなく、体幹を使ってしっかり打つということを思い浮かべると思うが、そこにばかり目が行ってしまい、せっかく発生した強い力を、下半身でしっかり受け止めないために、力の大半がボールに伝わらないという、私のような例も少なからずあるのではないだろうか。

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