しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




随筆

当ブログでは皆様からの寄稿を募集しております。卓球について意味のある主張を発表したい方はshirono.tatsumi◯gmail.comまで原稿をお寄せください。

コメントについて:
コメント欄は他の読者が読んで意味のある情報交換の場としてご利用ください。当ブログの方針(察してください)に沿ったご意見は公開します。返信しにくい場合は公開のみとさせていただきます。指導者ではないので、技術的な質問には答えられません。中傷等は論外です。なお、メールアドレスは公開されません。

週末は卓球観戦――香港OPを観ながら

「ああ、時間がない。このままでは今日の練習に遅れてしまう…。」
しかしどうしても練習時間までには終わらない仕事量である。なんとか仕事を選別して、自宅でできない仕事だけ、職場で済ませることにした。

というわけで、この週末はいろいろ仕事を持ち帰ってしまい、うちで片づけなければならなかった。
ちょうど香港オープンをやっていたので、ブラウザで卓球動画を開きながら、PCで仕事をしていた。これがおそろしいほどハマった。つまらない仕事でも、卓球の試合を見ながらだと、非常にはかどるのである。卓球の試合も楽しめるし、それにつられて仕事の方も苦痛ではなくなってくる。
Tリーグで生の迫力を堪能するのもいいけれど、年をとると、わざわざ出かけるのがおっくうになる。自宅で仕事のかたわら試合を観戦するほうが私のライフスタイルに合っているようだ。これで積み残した仕事は解消され、月曜から晴れ晴れした気分で仕事に取り組むことができそうだ。ワールドツアーをちゃんと見ることは少ないが、仕事のBGM代わりにすると、とても楽しめる。

以下、香港OPを見たとりとめもない感想などを綴ってみたい。

香港オープンは中国オープンと違い、中国の1軍が出場しなかった。それで日本選手が上位に食い込めたので観戦にも熱が入った。とはいえ、中国の準1軍ともいうべき若手やベテランの強い選手などが出場していたのでレベルが低かったわけではない。

女子は佐藤瞳選手がベテランの木子選手(元世界選手権3位)を破るという快挙を成し遂げ、平野美宇選手は同じくベテランの馮亜蘭選手や馮天薇選手を下した。平野選手は最近思うような戦績が残せていないだけにこの勝利は復活を期待させるものだった。

印象に残ったのは張本選手と周雨選手の準決勝である。

周雨



周雨選手は準々決勝でティモ・ボル選手をラリーで圧倒し、張本選手にもそのすさまじい威力のドライブで襲いかかった。これで1軍に入れないなんて中国の層の厚さよ。ラリーでは張本選手も相当レベルが高いはずだが、その張本選手をもってしてもラリーでは分が悪かった。さすがの張本選手も万事休すかと思われたが、張本選手はラリーで打ち合わず、レシーブでは台上で短く止めたり、コースを厳しくしたりしてラリーに持ち込ませないようにしているようだった。驚いたのは張本選手のサーブである。張本選手のフォアショートサーブは短く低くレシーブされることがほとんどないのである。周雨選手だけではない。他の選手も張本選手のフォアショートサーブをどうしても少し浮かせてしまう。それを張本選手は3球目でフォアフリック強打やフォアドライブで厳しく攻めて、大きいラリーにさせずに一気に攻めきってしまうことが非常に多いのである。それほど個性的なサーブには見えないのだが、試合を通じてずっと効いていた。そして序盤の私の予想を裏切って4-1で張本選手が勝ってしまった。私はついつい派手なラリーに目が行ってしまうが、この試合でラリーが強いからといって勝てるものではないのだと学習した。

試合後のインタビューがおもしろかった。張本選手は抱負を聞かれて「GFでは勝っていますが、相手のほうが世界ランキングも上ですし、格上だと思っているので、1球1球気持ちを込めてプレーして勝ちにいきたいと思います。」のようなことを言っていたが、通訳の英語の説明は「勝てて嬉しいです。次もベストを尽くします」だけだった。張本選手もこの通訳にはびっくりして「え、それで終わり?」と目をパチクリさせていた。張本選手が自分で中国語に翻訳したほうがずっとよかったのに。

え、それで終わり?
「そんなこと一言も言ってないけど…」と驚く張本選手。



続く決勝では林高遠選手との対戦である。中国男子の一軍が馬龍、樊振東、許昕選手だとすれば、林選手は限りなく1軍に近い選手だと言えるだろう。実力では1軍の選手に対して遜色がない。ただ、いつも惜しいところで勝ちきれないという気の毒な選手である。世界ジュニアでは丹羽孝希選手に金メダルを譲ってしまったし、グランドファイナルでは張本選手に金メダルを献上してしまった。実力はあるのに運には恵まれていない選手という印象である。私は張本選手に勝利してほしいと思う一方で林選手にもがんばってほしいと思っている。現在24歳ということなので、張本選手と9つ違いということになる。もう「若手」とは言えない年齢である。実況で林選手のことをDark Knightと連呼していたが、どういうイメージなんだろう?バットマンの映画を見ていないのでよく分からないが、知人のアメリカ人に聞いてみたところ「陰からスッと現れるイメージ」ということだった。それは優勝候補ではないが、無名の人が優勝をかっさらうみたいなことなのか、と聞くと、それはDark horseだということだった。やはりよく分からない。

林選手も周選手と同様ラリーがめっぽう強い。張本選手はやはり正面から打ち合わず、相手の打つ機を外しながら試合をしているようだった。

林高遠
「高遠」という名前がかっこいい。私も改名できるなら「たかとお」にしたい。

他にも伊藤美誠選手のプレーも印象的だった。素人目に見てだが、勝つ気がないのではないかというぐらい思い切ったプレーでミスを連発していた。ラバーを変えたというのが大きいと思うが、要所でミスが出る。ふつうの選手なら、「ちょっと安定性を重視してミスしないようにしよう」と思うところだが、伊藤選手はまるで「こんな試合で負けたっていい、勝利に執着するよりも、思い切っていろいろな技を試してみたい」とでも言いたげにミスを恐れずにプレーしていた。伊藤選手の目標はもっと高いところにあり、ワールドツアーの1大会での負けなど気にならないのだろう。

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この間、ツイッターをたまたま見ていたときにこんなツイートが…。

ishikawa

https://twitter.com/ittfworld/status/1136901898697494528

「今年になって一度も中国選手を倒していない」
「中国の若手にさえ負け続けるなら、東京オリンピックへの出場は難しい」

中国オープンでは若手の陳幸同選手にストレート負け。香港オープンでも若手の王芸迪選手に1-4で敗北。世界ランキングは一時3位まで上がったが、だんだん下がり、現在6位。

石川選手の日本卓球への貢献は計り知れない。世間の好感度も非常に高いし、実績もすばらしい。ミックスダブルスでは、元世界チャンピオンである。現在の卓球ブームは彼女なくしては訪れなかったといっても過言ではない。若手の台頭にどうしても伍していけないというのならしかたがないが、まだまだ十分強いのだから、気力の続く限り、がんばってほしいと切に願っている。

ズンチャッチャ――卓球のリズム

「あの選手の打点の早いこと」
「ドライブの威力もさることながら、コースも厳しい」

プロの試合を見るとき、そういうことにばかり目を奪われていたのだが、自分がフットワークで悩むようになってからは下半身のほうばかりに目が行くようになった。


木原美悠選手 対 加藤美優選手

上の動画の木原選手の動き方を見ていると、前陣では「打球→ステップ→ステップ、打球→ステップ→ステップ…」という小気味よい3拍子のリズムを刻んでいるように見える。大きく動かされたり、通常より速い、あるいは遅いボールが来たときは、これほど規則正しいステップではないのだが、ポイントの序盤、台上や軽いドライブに対応する場合はこのような3拍子のステップになることが多いと感じる。

kihara

エンドが変わり、加藤選手のステップを見てみると、やはり前陣では3拍子のステップが確認できるのだが、木原選手ほど規則正しいステップではないように見える。

ラリー中はいろいろなスピードのボールが返ってくるわけだから、常に規則正しい3拍子のステップを刻めるわけではない。

基本的には

「ズン・チャッチャ」

だが、ゆっくりしたボールが返ってきたら、

「ズン・チャッチャー」あるいは「ズン・チャッチャチャ」

の場合もあろう。逆に早く返球されたときは

「ズ・チチャ」あるいは「ズン・チャ」

となるかもしれない。
ボールの遅速にかかわらず、常に3拍子のステップを守り、拍の間隔を変える方法(「ズン・チャッチャ」「ズン・チャッチャー」「ズ・チチャ」)と、ボールの遅速によって、拍の間隔はあまり変えず、拍子を増減させて、4拍子(「ズン・チャッチャチャ」)、あるいは2拍子(「ズン・チャ」)にするやり方もあるだろう。どちらがいいのか分からないが、常に3拍子を守ったほうが安定すると思われる。あるときは4拍子、あるときは2拍子のように拍子が不規則になると、足が止まりやすいからである。

以上、実践を伴わない机上の考えであるが、前陣では3拍子を守るやり方が有効なのではないかという仮説を立てておく。

カウンターだよ、卓球は

とある練習風景。

10分ぐらいに時間を区切ってお互いに練習したい課題での練習。

「バックドライブからの展開を練習したいので、こちらのサーブをバック側につっついてください。それをそちらのバッククロスにバックドライブを打つので、そこからオールでお願いします。」

相手が格下で、あまり強く打つとラリーが続かないから、ほどほどのスピードの安定性重視のバックドライブからゆるくラリーを続ける。こういう練習をして、だんだん慣れてくると、相手の人は、つっつくと同時に回り込んで、こちらの打ったバックドライブに対し、フォアでカウンターを試みてくる。

「ありえない…。」

実戦で、こちらのバックドライブを回り込んで前陣でフォアカウンターするというのは一か八かの博打行為である。そんなショットが決まる可能性は相当低い。初心者に毛が生えたような人に限ってこういうありえない行動を取る。もちろんそんなショットが入るわけがない。しかし10球に1球、偶然入ることがあって、その「成功」がますます相手を勇気づけ、その「練習」に駆り立てる(その時間はこちらの課題練習の番なのに)

カウンターなんて私のレベルでそうそう打てるものではない。あれはたまたま相手の打つコースをうまく誘導でき、球種やタイミングが予想どおりだったときに限って打っていいショットであって、初中級者がふだんから打つようなシロモノではない。

私は常にそう思い、自分を戒めてきた。たとえ相手に「打たれる」と分かっている瞬間であっても、私は手堅くブロックで対応すると決めている。胸のすくようなスーパーショットが10球に1度決まるよりも、50%以上の確率でブロックしてラリーを続けるほうがよっぽど生産的ではないか。カウンターなんて打つのも打たれるのも大嫌いである。

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嫌い、というか私の苦手なものはダブルである。ダブルではラリーが続く気がしない。シングルならある程度ラリーが続き、卓球らしいプレーもできるのだが、ダブルとなるとろくにラリーが続かない。なんてことのない台上のツッツキをミスしてしまったり、シングルなら確実に止められるドライブもブロックミスしてしまったりする。
そもそも一つのボールを二人で交互に打つなんて不自然すぎる。ボールを2球使ってラリーを続ける(もちろんシングルで)という曲芸を見たことがあるが、ダブルというのはそのような曲芸に近い超絶難度の種目だと思うのである。

コーナーのたびにドライバーとナビゲーターが運転を交代しながら走るラリーというのが想像できるだろうか。

rally

ドリブルを1バウンドずつ2人で交互に行いながらプレーするバスケというのは競技として成立するのか?

卓球のダブルというのは、そのような曲芸じみた不自然なことを行っているのであって、上級者のような熟練した技術がなければ「卓球」として成立しない。初中級者には難易度が高すぎる。神経を集中させ、一瞬の判断の遅れが命取りになる卓球で、1球打つごとに打ち手をパートナーに渡し、自分は休む。反対に自分が休んでいるところへ唐突に打ち手が回ってくる。こんなこと、できるほうがおかしい、ダブルはシングルの息抜き、仲間との絆を深めるためのレクリエーションの一環。そう思っていた…。

先日の練習で久しぶりにダブルでゲーム練習をすることになった。
かわり映えのしない、いつもの下回転ショートサーブからゲームが始まる。それを相手が無難につっついて私の打つ番になるのだが、フォア前ぐらいに返球されるかと思ったら、バック奥に深くつっつかれてしまい、つまって私がミス。はぁ~、こんなツッツキでポイントが決まってしまうなんて情けない。次も同じようなショートサーブから始まる。今度はほとんど切らないナックルサーブだったのだが、相手が払うようなそぶりを見せたので、ブロックで止めようと思ったが、反応が遅くて、また私のミス。パートナーに申し訳ない。そうこうやっているうちにだんだんダブルのタイミングに慣れてきて、凡ミスが減ってきたのだが、どうしてもこちらから攻められない。相手が先に攻めてきて、こちらはそれをなんとか棒球で返すことしかできない。まるで役割が固定しているかのような試合である。相手は一方的に攻める役、私たちはそれをなんとか拾い続けて相手のミスを待つ役。全く勝機が見いだせない。「先に攻めなければ」とは思うのだが、ミスしないようにするのが精いっぱいで、どうしても攻められない。
ダブルは、台上の段階は非常に窮屈でイヤである。そういう心理もあってか、上回転のラリーになってから、つまり4球目以降は私もパートナーも少し台から距離を取って展開していることが多い。そのポイントもそんな展開だった。相手が3球目で先にボールを起こし、上回転のラリーになると、すぐに私は一歩下がり、相手のドライブに備えていたのだが、冷静に見てみると、相手のドライブはそれほど速いボールではないことに気づいた。相手も交互にボールを打ちながら動いているので、ポジショニングがしっかりできていなかったり、予測外のボールが来たりして、万全の姿勢で打てないことが多いからである。

「ブロックのつもりで待っていると、ちょっと時間を持て余すかもしれない。あのボール、カウンターできるんじゃなかろうか。」

私は中陣とまではいかないが、台のエンドから1メートル以上離れていたので、相手のドライブをカウンターする時間的な余裕があった。そこで相手が打つ姿勢になったのを確認すると、そのボールを狙ってカウンターを打ってみたのである。入った!この試合で初めてこちらから攻められた!
もしかしたら、ダブルでは相手のドライブをカウンターで狙っていけばいいのではないだろうか。それからは、私は相手が起こしてくるボールをほぼすべてカウンターで狙うことにした。もちろん打てない場合やミスする場合もあったのだが、カウンターを狙っていくと、おのずとタイミングを早くしなければならなくなる。相手が打った瞬間にバックスイングを完了させておかなければならない。そのように打つ姿勢、心的態度が早まると、たとえカウンターが打てなくても、ポジショニングも早くなり、ボールに届く位置まで素早く移動できるようになる。
今までは「打たれるんじゃないか…」とビクビクしながら、なんとか相手のボールに合わせるのに精いっぱいだったのが、カウンターを狙おうと待っていると、こちらから攻められるチャンスが増えてくる。ダブルってこういう心の持ちようが有効なんじゃないだろうか。いや、ダブルに限らず、シングルでもすべてカウンターを狙う心構えでいれば、判断が早くなり、急に相手に打たれてもしっかりブロックできるのではないか。

レベルが高くなれば、そうそうカウンターなど打てないだろうが、心構えとしていつでもカウンターを打つつもりで待っていると攻めるチャンスが増えてくるのではないかと思う。

卓球で人生を語る

ちょっと前のWRMやっすん氏の動画。



女子離れしたとんでもなく強い選手だなと思ったら、最近までエクゼディの選手で、今はコーチをやっている人だった。どおりで強いはずだ。
田中彩能




お名前は田中彩能氏。この動画は全日本上位レベルの選手がこれまでどのような練習をしてきたかをインタビューしたものである。

中高――仙台育英時代は、ひたすら基本練習をしていたのだという。この時期は身体の効果的な使い方を習得する期間だったと言えよう。ミスせずに延々とラリーを続けるような練習だったのだという。
もちろんゲーム練習もあったが、それよりはフットワーク練習、サーブからの展開、レシーブからの展開の練習がメインだったようだ。インターハイで団体優勝するようなレベルの人たちでさえ(だからこそ?)基本練習ばかりしているのである。それに対して私のような草卓球レベルの人間はオール練習やらゲーム練習ばかりしている。何かがおかしい…。私は何か大きな間違いを犯しているのではないだろうか。私が遅々としてなかなか上達しないのは「身体の効果的な使い方」を身につけていないせいではないのだろうか。

大学は早稲田で、そこでは特定の指導者に習ったわけではなく、自分で考えながらチームメイトに教えてもらいつつ練習していたらしい。
今までは指導者の言うとおりに卓球をしていたが、大学では自分で勝てるスタイルを築き上げなければならない。田中選手はバックハンドが得意だったのだが、バックで決めるスタイルではなく、あえてフォアで決めるスタイルに変えたのだという。

なぜそんな回り道をするのか。バックが得意なら、バックで決めるスタイルが一番勝てるはずなのに。

それに対するやっすん氏のコメントがよかった。得意な技術(バックや台上、ブロック等)を決定打として使うのではなく、チャンスメイクとして使うのは、非常に有効なスタイルなのだと。なるほど、確かに何もないところからチャンスを作るのと、打てるボールを確実に決めるのを比べると、前者の方が難しい。それで得意な技術をチャンスメイクに使うというわけである。

社会人になってからは日本リーグ所属のエクセディでプレーするようになった。

そこで監督(あるいはコーチ?)に言われたのは、ガッツいてすぐに攻めようとせず、ある程度「距離をとって」ゆっくり打ったほうがいいということだったという。

つまり、少しでも早く攻めたい、相手つけ入る隙を与えたくないというのは誰もが思うことだが、無理な速攻をしかけるのではなく、少し間をとって打つようにしたということである。

田中選手はそれを実践することによって自身の卓球が大きく変わったのだという。

曰く「相手が見えるようになった」と。

今までは自分の技術――ドライブの威力とか、コースの厳しさとかを向上させるのに精一杯で自分のことしか見えていなかったのだが、ゆっくり打つようにしたら、相手の考え、相手の狙いといったことがよく分かるようになったということだろうか。

これはなんだか人生にも通じるものがある。

社会人になると、基本的に仕事はそれぞれの人に任されている。上司や先輩も忙しいので、向こうから手取り足取り教えてくれるわけではない。自分でできる仕事を探して、自分で方法を探りながら、責任をもってやらなければならない。社会人になったばかりのころは、絶対にミスできないと思いつめて、毎日あれこれ準備をしたり、忘れていることがないか必死で確認したりしていて余裕がない。ストレスがたまり、つい周りの人に厳しくあたってしまうこともある。

それが中年になると、仕事の全体像も見えてきて、ミスも少なくなる。心の余裕が生まれてくる。そうすると、周りの人たちのことを思いやる余裕も出てくる。余裕を持ちすぎてミスすることもあるが、「なるようになるだば」と気楽に構えている。若いころには全く見えなかったことが、中年になるといろいろ見えてくるようになる。

いい動画を見た…茶店で霧がかった富士を見た太宰治の気分である。

卓球動画は技術動画や試合動画が多いが、それ以外の方向性を探ったものとして、トップ選手に今までの卓球人生を語ってもらう「むらじの部屋」がある。「むらじの部屋」も非常に内容が濃く、勉強になるが、今回の「やっすんの部屋」もいい動画だった。わずか15分程度の動画なのに満足度が高い!次回作が楽しみである。


型離れ――戦型を考える

ずいぶん昔に大会に出たときのこと。

「次の相手はメチャクチャ強いカットマンですよ。」

そんなことを聞かされて、攻撃型の強い人でなくてよかったとホッとした。

同じ強い人なら、全く攻撃させてもらえず一方的にやられるよりも、ある程度攻撃させてもらえるカットマンのほうがマシだ。どうせ負けるだろうが、少しはカット打ちの練習になるかも、などと思っていたのだが、いざ対戦すると、その「カットマン」はなんと私との試合中に1~2本しかカットを引かなかったのである。サーブは取れないし、レシーブでこちらが打ちにくいところに打っても結局先手を取られて一方的に打たれて惨敗である。あれが本当にカットマンなのか…?

その人は大会の終盤で歯ごたえのある相手にはしっかりカットを引いていたのだが、実力差がありすぎる相手には普通の攻撃型の選手のようにふるまっていた。イメージ的には陳衛星選手のような感じだった。こういう人が強いカットマンなんだろうな。

chen weixin

私の周りには、いわゆる前陣速攻型のペン表の人がいるのだが、その人は型通りの人で後ろに下がらずドライブを打たず、フォア主体である。後ろに下がって攻撃したときやドライブを打ったときなどは「またやっちゃった」と反省している。

「いやいや、中陣からの攻撃も威力がありましたよ。ドライブも裏ソフトの人と違って回転量が読めないので、案外効果があるんじゃないですか?」

とコメントしてみると、ペン表のいいところがなくなってしまうので、できるだけ下がらず、ミート打ち主体でゲームメイキングをしたいのだそうである。なるほど、たしかに前陣の早いピッチでバシバシ打っていくのは表ソフトらしくてかっこいいとは思うけれど、前陣でも中陣でも攻撃できて、ドライブも打てて、スマッシュも打てたほうがいいのではないだろうか。上手な人なら「対ペン表対策」というのがしっかりできているので、型通りの戦術だと老獪な相手には「型に嵌められて」しまうのではないか。

私はたぶん「ペンドラ」という戦型に分類されると思うが、フォア主体でちょっと下がって大半のポイントでドライブを打つという型通りの卓球では意外性がなく、格上には勝てないと感じる。それよりはドライブも引くけれど、台上やスマッシュでも得点したいと思う。

「趣味がないのが不安だから、何か趣味を持ちたい」とか「好きなアイドルの一人もいないのはちょっと…」という人の心理に似ているのかなと思う。自分には戦型がない、というのが不安だから、既存の「ドライブ主戦型」「ペン表速攻型」「カット守備型」などといった型にできるだけ自分を近づけたいという心理の人が多いのかなと思う。

型から離れてしまうと、きっと何か不都合もあるんだろうとは思うが、どんな相手にも一つの型で戦うのではなく、相手のタイプに応じて型を少し変えられるような卓球ができればと思う。冒頭のカットマンのように。といっても私が相手によって戦型を完全に変えて、カットマンとして戦うというのではなく、ペンドラという型のままでも、ときにはその型から離れ、相手によっては台上の細かい展開を工夫したり、あるいは自分から先に攻めずに、先に相手に下回転を起こさせてスマッシュしたりと、そういう戦型の幅のようなものが私の卓球にもあればと思う。




われは中年、のびんとす

「しろのさんはマスターズとか出はらへんのですか?しろのさんならチャンスあるんじゃないですか。」
などとおだてられて、うっかり「マスターズ予選に出てみようかな?」などという考えが頭をかすめたことがあるが、よく考えたら、チャンスなどあろうはずがない。ああいう全国大会につながっている大会には東山卓球部のOBをはじめ、化物のように強い人が出てくるのだから。

東山高校卓球部で3年間卓球をやっていた人なら、ふつうはたとえ中年になってもおそろしく強い。私のように中学時代まででやめてしまい、中年になって卓球を再開したような人間とは根本的に違う。向こうがサラブレッドなら、こちらは農耕馬である。勝てるはずがない。

しょせん、中年の草卓球である。これからいくら努力しても、上達できる伸びしろは高が知れている。全国レベルなどには到底到達できない。

こんな卓球を続けていて、いったい私は楽しいのだろうかと自問してみる。

われは草なり 伸びんとす
伸びられるとき 伸びんとす
伸びられぬ日は 伸びぬなり
伸びられる日は 伸びるなり


楽しいに決まっている!
一生全国大会に縁がないとしても卓球ほど楽しいことなどないではないか。

私は、毎日部活で3~4時間もレベルの高い練習をしている学生のような「樹」にはなれない、へたくそな「草」である。そして多少は上達するときもあれば、なかなか上達しないときもある。いや、練習時間の大半は上達しない、停滞しているときなのである。試行錯誤を繰り返し、内に何かを萌しつつも、それが表には表れない状態である。だが、上達しないときは上達しないことを受け入れ、上達できるチャンスがめぐってくれば、思い切り上達しようとがんばるのである。

われは草なり 緑なり
全身すべて 緑なり
毎年かはらず 緑なり
緑の己れに あきぬなり
われは草なり 緑なり
緑の深きを 願うなり


若い人のようなフットワークもなく、速いボールは連打できず(1本ぐらいなら打てる)、なんとかミスせず入れるのが精一杯のオジサン卓球である。若い人は日に日に目に見えてうまくなるが、私は去年と同じような進歩のない卓球をしているように感じる。しかし、それでも卓球が楽しくてたまらない。こんな卓球でも私なりの深さで追求しようと思う。

ああ 生きる日の 美しき
ああ 生きる日の 楽しさよ
われは草なり 生きんとす
草のいのちを 生きんとす


卓球をしている、それだけで楽しい。生きていると実感できる。
ヘタクソなりに、卓球をしていると、あるとき自分でも信じられないようなスーパープレイが飛び出したりする。

「今、私は何をしたんだ?こんなショットが私にも打てるのか!」

今のプレーを再現したい。どうやったらコンスタントにできるようになるのだろう。たぶん、さっきのフォアドライブは、ボールを打つ直前に一瞬、上体を沈め、膝にグッと力を込め、伸び上がりながらドライブを打ったのだと思う。ということは、膝を固定点にして打てばいいのではないか……

これだから卓球はやめられない。自分の限界がどこまでかなんてどうでもいいことさ。

zassou

リソース不足――フットワーク練習で気づいたこと

フットワーク練習といえば、フォアサイド、バックサイドに一本ずつ送ってもらい、それをフォアで動いて打つとか、3点に送ってもらい、オールフォア、あるいはフォアで2点、バックで1点を打つとか、そういう練習を思い浮かべる。
上級者はみんなこのようなフットワーク練習をしているのだから、きっと上達に必要な要素がいくつもあるのだろう。そう思って私もこの手の練習を試みるのだが、続かない。すぐに振り遅れてきて、ステップも遅れがちになる。
まぁ、中年のオジサンがこんな練習をするなんて無謀なんだろうな。
しかし、卓球でフットワークが大切なことは言うまでもない。だからフットワーク練習をしたいと思って、フォア半面にランダムに送ってもらってフォアで動きながら打つということをしてみるのだが、これもボールのスピードが上がってくると、すぐに追いつけなくなってくる。

フォア半面でもだめか。

もうやけくそで、今度はバック半面で、オールバックのフットワークをしてみることにした。
すると、なぜかよく足が動く。もちろん大きく動くことはできないのだが、小さく、細かく動くフットワークが気持ちいい。

「若者じゃないんだから、こういう小さなフットワークで十分じゃないか。」

しかし、どうしてバックのフットワークのときは足がよく動くのだろう。
省みると、バックハンドのときは、フォアハンドのようにラケットをブンブン振り回さずに、バックショートのように軽くラケットを押すだけだった。そうすると、ラリー中のボールも速くならないし、足に意識が向きやすい。

私の仮説はこうである。

人間の意識の容量は一定量に決まっていて、腕と足を同時に大きく複雑に動かすと、意識の容量が不足してしまい、どちらかの動きが疎かになるというものである。あたかもメモリの少ないPCで多くのアプリケーションを同時に開くとリソース不足でフリーズしてしまうように、人間も一度に身体の複数の部分に意識を割くと、動かなくなる。

リソース不足


オールバック練習の場合は、前腕を軽く動かすのと、足を小刻みに動かすという2つの動きだけに意識を割いていたため、フットワークが止まらずに機能したのではないか。フォアハンドをつかったフットワークの場合は、しっかりとドライブをかけて、いいボールを打とうとして、身体のいろいろな部分に指令を出しながら足を動かすということをしていたため、ボールに遅れてしまっていたのではないか。

しかし、「上級者はフットワークを止めずに質の高いボールが打てるではないか」という反論もあるかもしれない。それは上級者の場合は上半身か下半身か分からないが、どちらかの動きを無意識に行えるほどに身体に染み付いているからだと思う。歩きながら本を読むとき、我々は歩くという下半身の動きにほとんど意識を割いていないはずである。そのとき本の内容にだけ意識が行っている。それと同様のことが上級者のフットワーク練習で起こっていると推測される。

ということは、初中級者がフットワーク練習をする場合は、上半身の動きを最低限のものにして、まだ習熟していない下半身の動きに意識を割かなければならないのではないだろうか。

人生卓球――世界卓球2019を振り返って

世界卓球2019ブダペスト大会がが終わった。今年は個人戦だったが、振り返ってみると、微妙な結果だったと言わざるを得ない。
団体戦の方は毎回熱戦が繰り広げられ、日本はコンスタントに結果を出しており、楽しめるのだが、個人戦は毎回物足りなさを覚える。

男子シングルスの水谷選手や張本選手は、時には中国選手を破るポテンシャルを持っているし、丹羽選手にしても確実に強くなっている。森園選手のガッツや、吉村和弘選手の大物食いにも期待させられたが、結局メダルには届かなかった。丹羽選手とリャン・ジンクン選手とのメダル決定戦はすばらしい試合で、楽しめたが、結果はついてこなかった。

女子シングルスの伊藤選手は中国のトップ層に匹敵する実力があり、メダルに届くかと思っていたが、ダメだった。石川選手や加藤選手も、「もしかしたら」と思わせるものを持っていたのだが、やはりダメだった。加藤選手とリウ・シウェン選手の試合はすばらしい試合で、楽しめたが、結果はついてこなかった。

このもどかしさは一体なんなんだろう?

東京オリンピックに向けて選手には課題がたくさん。今、中国選手に勝てなかったのは、よかったのかも?マスコミが騒ぎすぎです。選手を過大評価しすぎです。マスコミが騒ぐほど日本選手は強くないのです。(「世界卓球、伊藤・早田銀メダル」)


「マスコミが騒ぐほど日本選手は強くない」。なるほどそういうことか。

たしかに水谷選手や張本選手が中国のトップ選手に勝ったり、伊藤選手はスウェーデン・オープンで中国のトップ3人を連破したりとすばらしい活躍をしたが、それも5回戦ってやっと1回勝てるぐらいなのかもしれない。

Tリーグが盛り上がり、マスコミなどにも頻繁に取り上げられるようになって、今まで全く歯が立たなかった中国トップ選手にもときどき勝てるようになり、なんとなく「とうとう日本は中国に追いつきつつある」と錯覚してしまったようだ。中国の前に韓国やドイツ、香港などと比べても優位に立っているとは言い難いと思わされたのが今回の世界卓球の結果だった。

劉詩文優勝

10年間にわたり、世界トップの実力を維持してきた劉詩文選手が28歳の今大会で初めて金メダルに届いた。私は劉選手のファンなので、すなおに喜びたい。2015年蘇州大会では、決勝で丁寧選手が負傷。ついに世界チャンピオンになれるかと思ったが、まさかの準優勝。長らく無冠の帝王として有名だったが、今大会の優勝で劉選手は名実ともにチャンピオンとなった。
同様に馬龍選手も約10年間金メダルの候補になっていながら、2015年の世界卓球まで優勝できなかった。毎回いいところまで行くのだが、どうしても王皓選手に勝てなかった。
世界卓球のシングルスで結果を残すというのは、それほど大変なことなのである。一度や二度中国のトップを破った日本選手がメダルに届かなかったからといって驚くには当たらない。これを3回に1回は勝てるぐらいのところまで持ってこなければ世界卓球のシングルスでメダルを獲ることはできないのではないか。
ここで思い出すのは、77年の世界チャンピオン河野満氏である。『卓球王国』2019年5月号「伝説のプレーヤーたち」によると、67年のストックホルム大会に20歳で出場してから10年間、おしいところまでは行くが、どうしてもチャンピオンになれなかった。そして77年のバーミンガム大会でついに世界チャンピオンの栄冠を手にする。

「河野がもし、初出場の67年世界選手権決勝で長谷川を破って優勝していたら。あるいは日本選手権でタイトルを獲っていたら、現役生活はもっと短いものになっていたかもしれない。」(「伝説のプレーヤーたち」)

劉詩文、馬龍、そして河野満(他にも馬琳とか)。若くして将来の世界チャンピオンを嘱望されながら10年間、金メダルを逃し続けてきた。そして30歳近くまで辛抱強く戦い抜いた結果、ついに世界チャンピオンになることができたのだ。郭躍選手のように若くして世界チャンピオンになった選手に比べれば、彼らは卓球の楽しさも苦しさも存分に味わい尽くしてきたのではないかと思う。彼らの人生は卓球そのものだと言っても過言ではないだろう。こんな幸せな卓球人生があるだろうか。

日本選手が10代で、あるいは20代前半で世界チャンピオンになってしまうとしたら、彼らは卓球を十分味わい尽くすことができないかもしれない。なかなか結果を出せず、苦しみながら、世界のトップレベルで戦い続け、30歳近くまで門をたたき続ける不屈の選手に対して世界チャンピオンの扉は開かれる。これこそロマンである。そんな劇的な卓球人生を送れる選手は幸いである。


卓球における質の高さ

最近、硬いラバーを使うことによってドライブの質が高まったように思う(前記事「心機一転」)。回転もスピードも以前に比べれば増したはずである。が、(私なりに)「質の高い」ドライブが打てるようになると、今度はそれが返ってきたときに対応できないという問題が起こる。

私はドライブ連打が苦手である。1球は強打できるのだが、その強打がなまじスピードがあるだけに返球されると次は合わせるようなゆるいショットしか打てなくなってしまう。となると速い返球に対応できるだけの速いフットワークの習得が課題となってくる。

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卓球ではよく「質の高いボール」ということが言われるが、まず思い浮かぶのはスピードが速く、台に突き刺さるような低いドライブだろう。しかし、それ以外にもサイドを切るような、コースの厳しいボールも質の高いボールである。これらは相手の想定を超えたスピードや、コースの厳しさで、決定率が高いボールと言える。

そんな決定打のようなボールだけではなくて、台から出るか出ないかの絶妙の長さのツッツキや、どうしても強打できない短くて低いサービスも質の高いボールだと思う。ナックル気味の深いブロックもそうだし、逆モーションで相手の逆を突くような「流し」もそう言えるだろう。

と、「質の高いボール」の範囲をここまで広げると、もはや回転量やスピードの問題というより、相手の予測を外すようなボールが「質の高いボール」となってくる。

となると、いわゆる「高性能」な用具ではなく、コントロール性能の高い用具でも「質の高いボール」が打てることになる。それほど弾まず、引っ掛かりも弱い、初級者向けのラバーやラケットのほうが長さのコントロールがしやすいだろうから、ボールのスピードは速くないものの、相手の打ちにくいところにツッツキやフリックを送ることができる。

ここまでショットの質の高さについて考えてきたが、試合で勝つためにはショットの質の高さだけではなく、フットワークの質の高さということも重要だろう。冒頭の私の経験のように相手から速いボールを返球されても、こちらが打球と同時に1歩下がり、素早くニュートラルな向きや姿勢でそのボールを迎えることができれば、連続攻撃が可能になる。低いレベルの試合なら、もしかしたらショットの質の高さよりもフットワークの質の高さを優先すべきなのではないだろうか。


 Mと違って、ドライブ性能は落ちているものの、引き換えに安定感が大幅に上がっていて、筆者のような実力層からするとSの方が手を出しやすく感じました。ちなみに筆者は、当たれば入るからフォアの練習に時間が割けてフットワークも上達するという嬉しい副作用が生まれました。(くろかみ氏によるマントラSのレビュー


上のレビュー記事で、くろかみ氏はショットの方はそこそこの質でいいから、フットワーク、その他の質を高めようとしているように読める(おそらくバック面で使ったときの印象だろう)。当てればとりあえずは入ってくれるので、ショットのほうに意識を集中しなくても済むため、その他の技術に意識を割くことができるというわけである。私の周りでも、一発強打はすごいが、レシーブや台上、フットワークの方はおそまつという人はあまり試合で勝てないというイメージがある。入ればすごいボールが出るが、許容性が低く、うまくタイミングを合わせなければミスが出る用具よりも、そこそこの性能だが、適当に打っても入る用具を使ってもっとフットワークを磨くべきなのではないだろうか。

なんだか前にも同じような記事を書いた気がする(「必要にして十分」)。思考力も記憶力も衰えているので、同じような主張を何度も繰り返すが、ご容赦いただきたい。

また、フットワークではなく、戦術の質を高めるという方向性もあるだろう。

故・荻村伊智朗氏の「卓球は100m競争をしながらチェスをするようなスポーツ」という言葉を借りるなら、馬龍より100m競争が早い選手は他にもいる。しかし、馬龍よりチェスがうまい選手は、恐らく今、世界の卓球界にはいないだろう。(卓球王国「世界卓球ブダペスト大会速報」より)

ボールの質もフットワークもそこそこでいいから、戦術的な質を高めようという方向性である。これも質の高い卓球と言えるだろう。しかし、戦術的な質を高めるにはある程度のボールの質も、ある程度のフットワークも要求される。うまく相手の弱いところにボールを集めても、そのときのショットがあまりにも貧弱だと、逆に相手に攻め込まれてしまうからである。

ということは、どういうことだ?え~と、ショットの質ばかりを高めようというのは間違っている。それよりもフットワークの質を高めよう。それに戦術の質も高めよう。でもショットの質も大切?

今日は疲れているので頭が働かない。この辺で擱筆するとしよう。

張本敗退

世界卓球2019で張本選手は不本意なベスト16敗退という結果になった。
しかし、彼はまだ15歳。この経験が彼をより強くしてくれることだろう。もし彼が今大会で運よく世界チャンピオンになってしまったら、それで満足してしまい、これ以上強くなれないのではないか。




神巧也選手の前後のフットワーク

神巧也選手がyoutubeチャンネルを持ったということである。神選手のファンとしては見ないわけにはいかない。


https://youtu.be/TLa7OiqayY0?t=44

技術を解説する動画ではなく、練習メニューを紹介する動画なのだという。

「技術論フィルターに通さず、幅広い視野で見てもらえる為にも、技術解説は入れません!」

技術の分析は本職である指導者に任せるという慎重な態度は、さすがである。

動画を見て、まず気づいたのは「動きが止まらない」ということである。当たり前と思われるかもしれないが、私にとっては当たり前ではない。動かずにワンコースで打つのなら、なんとか止まらずに打つこともできるかもしれないが、動きながら止まらないで打つというのは私にとっては非常に難しい。

ジンタク前へ
前への移動。

こちらは打ちながら移動している。まるで歩いているような感じである。移動しながら打つのはよくないイメージがあったが、前への移動は打ちながらでも問題ないようだ。

ジンタク後へ
こちらは後ろへの移動。

打ちながらではなく、打ち終わった後に両足を同時に蹴って後ろにジャンプしているように見える。
前への移動なら私でも上半身の動きを止めずにできそうな気がするが、後ろへの移動は上半身が止まってしまう気がする。どうやって後ろに移動しているのだろうか。

動画を見ると、神選手はラリー中、常に膝が曲がっているのが分かる。それに対して私はドライブを打ち終わった後、膝が伸び切ってしまっていると思う。膝を伸ばした状態では、前への移動はできるが、後ろには移動できない。それで、後ろに下がると決めてから、一度膝を曲げて、足で床を蹴り、後ろにジャンプするという動きになる。それだとかなり時間をロスしていると思う。だから、解決法としては、打ち終わるのと、膝を曲げて、足裏に体重が乗っている状態であるのが同時に起こらなければならない。打ち終わった瞬間にグッと足で床を蹴れる準備ができていないといけないはずである。

後ろへの移動を細かく見てみよう。
前にいる状態からスタート。
ジンタク後へ01
まずバックスイング。足は特に動いていない。

ジンタク後へ02
次にスイング。スイングと右足を半歩下げるの同時である。

ジンタク後へ02b
次におそらく左足から床を蹴り、後ろへ飛び退いている。

ジンタク後へ03
飛び退くのと、バックスイングが同時に完了している。

これは3歩動ではないか!

前記事「フォア・バック足りて…」の中で、3歩動というのは本当に有効なのかという疑問を呈したが、神選手は実際に前後のフットワークで3歩動を行っていた。

以前、Liliのフットワークの基礎についての動画でも似たようなことを言っていた。

オノタツフットワーク


「出来るだけ早く覚えておきたい足を動かす感覚」
https://youtu.be/QeKWkFrJ0yE?t=31

「両方の足を軸にしたら動けない」
「どっちかの足を軸にして、打ちながらでないと次の一歩が踏み出せない」
足を出しながら打つ
「大げさに言うと、(動く方向の)足をちょっと出しながら打つ」
これが神選手の2枚めの写真(右足を半歩下げる)に対応する動きだろう。ということは、神選手は後ろに下がるときに左足に軸があるということになる。

「このわずかな動きがあるかないかで全然変わる」

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神選手に倣い、指導者でもない私がこれ以上、技術的なことに言及するのは慎もうと思う。次の練習でいろいろ試してみたい。

心機一転――ラバーを変えてみた

春の暖かさに加え、風もやわらかく、花は美しく咲き、甘い香りをふりまいている。
梅の花

春にふさわしく、何か新しいことでも始めてみたい気分である…と一ヶ月ほど前に思い立った。
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プラボールには硬いラバーが合うとされている。なんでもボールが硬くなったので、柔らかいラバーだと球威に押される、あるいはインパクト時に粒が潰れやすくなり、力が十分に伝わらないのだとか。

そうだったのか。私のドライブがあまりスピードが出ないのはそのせいなのかもしれない。私は小柄な方ではないし、細くもないので、体力的には自信がある。おそらく硬いラバーでも大丈夫なのではないだろうか。よし!今まで使い慣れた柔らかいラバーを卒業して、フォア面を上級者が使っているような硬いラバーにしてみよう。

何にしようか。テナジー05ハードというのは名前からして硬そうだ。しかし、実売価格が7000円を超えているので論外である。では、これを機に粘着デビューしてみようか(実は以前使ったことがあるのだが、合わないのですぐに替えた)。いやいや、キョウヒョウとかはいくらなんでも硬すぎるだろう。まずは普通のテンションラバーの硬いやつを試してみて、「まだまだいける」ということだったら、そのときに考えてみよう。他に定評のある硬いテンションラバーはファスタークG1とかオメガ7とか、ラクザXとかがあるようだ。

私はG1をフォア面に貼り、週末の練習でまずフォア打ちをしてみた。うん、たしかに硬い。この硬さが私のドライブを劇的に変えてくれるはずだ。しかし、全力でドライブを打ってみたところ、なんだか打球感がよくない。いや、人によってはこういう打球感が好みの人もいるのかもしれないが、私には合わなかった。ボールがラバーに全然食い込んでくれない…。回転を掛ける前にバチッとボールを弾いてしまうような感覚である。何度もドライブを試してみたがボールを掴まない、全く安定しない。ドライブのスピードが劇的に上がったようにも思えない。こんなはずじゃなかった…。インパクトを強くすれば、ボールがラバーに食い込み、しっかりと掴んでくれるのかなとは思うが、私なりに全力でインパクトしてもあまりボールが食い込んでくれない。今までのラバーなら、ボールがラバーに食い込んで、気持ちのいい打球感でドライブできたのだが…。

かといってラバーを元に戻すのもおもしろくない。送料込みで5000円近くするラバーである。2~3時間使っただけでお蔵入りなんてできるものか!少なくとも3ヶ月は使わないと元が取れない。きっと1ヶ月も使えばだんだん慣れてきて、今までよりもずっといいドライブが打てるようになるにちがいない。

そうやってG1と付き合うようになって一月になる。最近G1がようやく私に心を開いてくれるようになったと感じる。G1の打球感はいただけないと初めのうちは感じたが、今はずいぶん馴染んできた。人間関係でも同じだと思うのだが、どうにも反りが合わない人と仕事をしなければならないなら、相手を変えるのではなく、まず自分のほうを変えるのが定石である。私は自分のドライブの打ち方を変えてみることにした。

今まではボールの少し右の方を触っていたと思う。ペンのフォアドライブらしく、普通に打っても軽くカーブがかかっていた。それはそれで相手が止めにくくなるので、よかったのだが、そうすると厚く当ててしまいがちである。G1を私が厚く当てるとイヤな打球感が出るので、できるだけ薄くボールをとらえたい。それにはボールの左の方、つまりシュート気味にドライブを掛けるのがいいと思う。シェークの人にとっては面を開いてシュート気味にフォアドライブを掛けるなんて容易いことだろうが、ペンでそれをやるのは至難の業である。普通の姿勢でボールの左側を触ろうとすると、前腕を不自然なまでに内側にひねらなければならない。
この問題を解消するには、ラケットが目線の高さぐらいを通過するようにし、下からボールを見上げるようにしなければならない。さらに腕を伸ばせば伸ばすほど左側を捉えやすくなる。ボールを見上げるようにドライブを打つには必然的に姿勢を低くしなければならなくなる。今までなんとなく姿勢が高かったので、いい機会だからスタンスをもっと開き、膝を曲げて姿勢を低くしてみることにした。こうすると、台上でも台の中に深く入れて一石二鳥だ。最後にグリップも変えてみた。裏面の指三本を丸めてみたのである。これでかなり面を開いて打つことができるようになった。自分の意識ではシュートドライブなのだが、実際にはボールの左側を捉えられる場合は稀だろう。良くて真上、たいていはほんの少し右側を捉えているだろうと思う。しかしそれでも以前の打ち方に比べれば、ボールを薄く捉えられるようになったと思う。そうすると、G1がかなり優しくなってきた。インパクト時のバチっという感触がなくなり、心なしかラバーが柔らかくなり、ボールが食い込むような感触を感じるようになってきたのである。

打ち方を変えることによってラバーの硬さの感じ方もずいぶん変わるものだ。G1を初めて使ったときはどうしようかと思ったが、いろいろ工夫して解決法を考えることによって自分の卓球も変わってきた。ドライブの威力も増したような気がする。
私は硬いラバーを使うことにしたおかげで、姿勢も低くなり、ポジショニングにも気を遣うようになり、自分の卓球を見直すことができた。ずっと固定した用具を使うのもいいが、用具を変えることが自分のスタイルを変えるきっかけになるなら、それもまたよし。いろいろ勉強になった。

FLCL

「だからいったろ、ただ大きいからってそんな見たことないの買ってさ、いつもの麺づくりの方が安全だって」
「いーじゃん、そん時は痛い目に遭えば。まずいラーメン食ってみたりするのもさ、なんかオモロいじゃんよ」

足で稼ぐ――選挙と卓球選手

うらうらとのどかな春らしい週末。
京都市内ではけたたましい選挙戦が繰り広げられている。
日曜日に地方選挙があるのである。

lineup_6_vitz
選挙レンタカー。需要がありそう。

「○○をどうぞよろしくおねがいします!」などと名前をひたすら連呼する候補が多い。昔は「名前だけ連呼されても政策も何も分からないのでは支持のしようもないだろう」と思っていたが、ああいうのを見て「少なくとも必死さだけは伝わってくる」と支持する人もけっこういるのかなと最近は考えを改めるようになった。

卓球の区民大会などに行くと、来賓として大会を見学に来る議員さんが多い。
議員

その一方で大会役員として運営の手伝いをしてくれる地方議員さんもいる。ただ見ているだけでなく、積極的に参加してくれる議員さんは尊敬に値する。「選挙は足で稼げ」などと言われるが、地域の清掃ボランティアや小学校のイベント、地域の寄り合いなど、あちこちに顔を出しては手伝ってくれる議員さんを見ると大変な仕事だなと思う。私も地域のイベントにイヤイヤ駆り出されることがあるのだが、議員さんは嫌な顔ひとつせず、率先して手伝ってくれる。市民とのふれあいは議員さんにとっても楽しいことや、勉強になることもあるだろうと思う一方で、嫌な目にあったりすることもたくさんあるんだろうなと思う。初対面の人にあいさつもなしに、いきなり外交や内政について延々と自説を開陳されたり、所属党の不祥事についてネチネチと説教されたり。「あんたらは、わしらの税金で生活できてるんやで。」などと、消費税以外に納税など一切していないような人に嫌味を言われたりする。
理想を語るだけでなく、地道な活動を通して実践している議員さん。こういう人を応援したいと思う。

最近の卓球選手をみると、まるで地方議員さんのような選手がいる。
全日本でランクに入るような選手が地方を回って講習会を開いたり、イベントにゲストとして参加したりする選手が増えてきた。あこがれの有名選手が同じ会場で手の届く距離にいる。さらに実際に言葉を交わしたり軽く相手をしてくれたりする。すごい世の中になったものだ。

国際大会で日の丸を背負って苦しい試合を戦っている選手もえらいと思うが、こういう地方を巡業している選手もすばらしいと思う。私ももしこういう選手と2~3回言葉を交わす機会があれば、ファンになってしまうだろう。
しかし、ときには嫌な目にあうこともあるだろう。最近はyoutubeのコメントのような気安さで馴れ馴れしく話しかけられたりすることも多いだろうと思う。初対面の相手にプレースタイルについて「アドバイス」されたり、答えたくないプライベートな質問をされたり、物をねだられたり…。ついイラッと来ることもあるだろう。有名卓球選手をするのも大変だ。
情報発信だけでなく地道に卓球人一人ひとりとの交流を大切にしている卓球選手。こういう人を応援したいと思うし、こういう選手が卓球界でもっと影響力と持つべきだと思う。


平成の終わりと固定点

ショーケンが68歳で亡くなったというニュースが飛び込んできた。
また昭和のアイドルが一人世を去った。
ショーケンという男は人間的にいろいろ問題があったかもしれないが、若いころはとにかくかっこよかった。
傷だらけの天使

破天荒でがむしゃらで、野獣のような奔放さを持つ一方で、しゃれたデザイナーブランドを身にまとい、男の色気とでもいうべきものを放っていた。ドラマ「傷だらけの天使」では探偵オサムを演じ、水谷豊演じるアキラの兄貴分としての役柄はバッチリはまっていた。水谷豊といえば、代表作「相棒」で理知的で上品な紳士というイメージを確立したが、私の中では「あにき~!」といつもオサムを金魚の糞のように慕っているチンピラのヘタレである。水谷の舎弟役も名演だった。「死ぬ前に一度でいいから女を抱いて死にてぇよ~」という名言も忘れられない。
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先日の記事のコメントで読者のMr.Smith氏から興味深い動画をご教示いただいた。


徳島の野球専門トレーニングジム「インディゴ・コンディショニングハウス」で球速150キロの投球を実現するためにアマチュアの野球選手がトレーニングを積むという企画である。

次々と出てくる謎の測定器具やトレーニング器具、あふれる専門用語…トレーナーの殖栗氏の知識の博さには驚くばかりである。
こんな人に指導されたら、誰でも簡単に150キロの速球が出せそうな気がしてくる。
私は野球には全く興味がないが、「体のひねり」「タメ」「下半身の使い方」等、ここで指導されている内容というのが野球のみならず、卓球にも大いに関係しそうなのである。これは見ないわけにはいかない。
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はじめに体力テストが行われる。
「骨盤回転」「バネ右足」「シングルスクワット」「リアクション」等、野球に関するあらゆる身体能力を数値化し、どこが弱いかを把握するのである。

それぞれの値について殖栗氏が野球のどんな部分に役立つかを解説する。手慣れている。
そして一通り体力測定を終えて、弱い部分を矯正していくのだが、内容が濃すぎて、一回で理解するのが難しい。頭で消化して、肚に落ちるまでにはかなりの時間がかかりそうだ。

すべてが競技力に結びついていてスキがない。おかしい…。スポーツの指導ってこんな手の込んだものだったっけ?これではまるで人間ドックではないか。

おそらく昭和の時代にはこういうスタイルの指導はほとんどなかったのではないだろうか。もっと「体力の限界」とか「長時間練習こそ正義」といった雰囲気だったと思う。日本のトップレベルではどうだったのか分からないが、アマチュアレベルで海外の進んだ理論にもとづいて科学的で無駄のないトレーニングを行うというのは平成に入ってからの傾向なのではないかと思う。インターネットが発達し、youtubeで世界中のスポーツ指導が手軽に見られるようになったことがその背景にあるのだろう。

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ショーケンのような危険で歯止めの効かない役者は平成では居場所がない。平成では(舞台の外では)礼儀正しくルールを守り、誰に対してもニコニコしている社交的な役者こそが求められる。

昭和と平成は時代の雰囲気とでもいうべきものがやはり違うなと思う。若い人は昭和の雰囲気を知らない人も多いと思うが、社会は平成になって確実によくなってきたと思う。より公平で、より合理的で、スマートな社会に変わってきた。昭和はもっと暴力的で、権威主義的で、セクハラだらけで、悪いやつらがのさばっていた(古老の話によると、64年の東京オリンピック以前の日本はそれ以後とは全然違って途上国丸出しだったらしい)。そしてときおり突き抜けた(いい意味での)バカが時代を動かしたりできた。平成は違う。そもそもバカが生まれにくくなっている。情報が行き渡っているので、何かを始める前にだいたいの結果が予想できる。今の世の中、海外に渡り、事業で大成功を収めたいと、言葉も通じぬ異国に徒手空拳で渡ろうなどというバカはなかなかいない。だいたいネットで現地の事情を調べてから、相応の準備をして渡航するのがふつうだ。さらに身の丈に合った夢を追い、無理な夢は追い求めない。平成になってバカが少なくなった。合理的思考を身につけた常識人が多い。

そんな昭和と平成の違いに思いをはせる間もなく、あと1か月で平成が終わってしまうなんて…。感慨深い。
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殖栗氏の一連の動画に目を通して頭に残ったのは「固定点」という言葉である。これが今の私に欠けているところだと思うからである。
殖栗氏は選手に肘を曲げるように指示し、選手は言われたとおりに肘を曲げてみる。

「なんでそういう動き(肘を曲げる)が出るかっていうと、ここ(肩)が固定されてるんです。」
「筋肉が収縮する場合って収縮する前に必ず固定点が必要になってくるんです。」

固定点

「バッティングでもピッチングでも大事なのは全部そこですよね。」

言われてみれば当たり前なのだが、どこかを動かすにはどこかが固定されていなければならない。強いショットを打つために「力を抜いて」「体をリラックスさせて」などと言われるが、全身の力を抜いてしまったらいいショットなど打てるはずがない。腕や肩の力を抜くのは、他のどこかに固定されている箇所――力の入っている箇所がなければならない。

固定点からの動き
もうなにがなんだか分からないが、要するにすべての関節の動きには固定点が必要らしい。

固定点を作るには体幹がしっかりできてなければならず、そこから四肢が動き、重心移動が起こるという順番があるらしい。固定点にも複数あり、前後の固定点(腰を曲げる)、左右の固定点、水平面の固定点(上半身の捻り)があるという。すさまじい情報量と説得力である。

在野の指導者がここまでするなんて突き抜けている。もうここまでくると、愛好家レベルの枠を越えてしまっている。平成になって突き抜けた人が少なくなったと思ったのは私の勘違いであり、昭和に数多く存在していた突き抜けたバカが、平成になって進化し、突き抜けたナイスガイになってきたのではないだろうか(殖栗氏は非常に感じのいい人である)

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この動画を卓球にどのように応用すればいいか分からないが、とりあえず私は自分なりに理解した殖栗氏のポイントから、先日の練習では右足の付け根に固定点を作ってフォアドライブを打つようにしてみた。もちろん腕や肩の力は抜いて。すると、コンパクトなフォームでいい感じのドライブが打てた。
さらに動画を見てみると、どうやら足の裏も非常に大切らしい。

足の裏

今度は右足の付け根だけでなく、足の裏にも気をつけようと思う。

【追記】190514
右足の付け根に力を込めてドライブを打っていたところ、股関節が痛くなってきた。
故障しやすい打ち方なのかもしれない。

heika


ラバー・ペンシル・イリュージョン――卓球のグリップの話

シェークのグリップではどの指に力を入れるかが人によって違い、大きく2つのタイプに分かれるという。(「二本で握る?三本で握る?」)
一つは人差し指と親指に力を入れて握るタイプ。もう一つは小指と薬指(と中指)に力を入れるタイプ。
前者は角度が安定するので繊細なプレーがやりやすく(台上とか)、後者は威力が出やすいので、ラリーでの優位性があるのだという。

ペンホルダーの場合はどの指に力を入れるべきか。
ペンホルダーの場合、フォアとバックとで力を入れる指が変わるのがふつうだが、フォアハンドなら人差し指と親指と中指の3本で握る人が多いかもしれない。私は以前はフォアハンドで親指と中指の2本で板を挟むように力を込めていた(人差し指は遊ばせる)のだが、最近グリップを変えた。5本の指に力を入れないことにしたのである。

「指に力を入れない?どういうことだ!?」と意外に思われる方もいるかもしれない。以下に私のグリップについて述べたいと思う。

前記事「手首・肘・肩 支点のバックドライブ」で新井卓将氏のバックハンドを紹介したが、その延長でタクショー氏のフリッカー・バックハンドの動画を見ていて、どうしてもフリッカー・バックハンドを習得したいと思い、少し練習してみた。が、私には難しすぎて習得できなかった。


「一撃で決める!フリッカーバックハンド」

しかし、その副産物として私は「付け根グリップ」を会得したのである。

付け根グリップ

タクショー氏がフリッカーバックハンドを打つときは、どうやら指で握っていないらしい。指の付け根で握るのである。こうすると、ラケットと指の接地面積が極端に小さくなる。その結果、ラケットはグラグラになってしまう。

この「付け根グリップ」をフォアハンドで使ってみるとフォアハンドの威力が増すような気がするのである。シェークのグリップの下三本グリップ(小指と薬指、中指に力を入れるグリップ)に近いと思う。下三本グリップは上二本グリップ(親指と人差指に力を入れるグリップ)よりもラケットとの接地面積がずっと小さくなることによってラケットがグラグラになり、威力のあるドライブが打てる。ペンホルダーでも同様だと思うのである。

子供の頃に2本の指で鉛筆を握り、これを上下に振ることによって鉛筆が曲がって見えるという錯覚で遊んだ経験は誰にでもあるだろう。

rubber pencil

これを3本以上の指で握ると、あまり曲がらない。2本の指でグラグラに握るからこそ、先端が非常に速く動くのである。また、鉛筆の先の方を握るよりも、後ろの方を握ったほうがよく曲がる。つまり、2点で後ろの方を軽く握ると先端がよく回るということなのである。ペンホルダーの付け根グリップはこの条件をどちらも満たしている。

ハンドサイン

付け根グリップのフォアハンドドライブでは、上の図のように人差し指を伸ばすのがいいと思う(完全にまっすぐ伸ばすのは難しいが)。伸ばすことによって付け根のほうに力が入り、ラケットのヘッドがよく回るからである。


卓球ラバー4000円の壁

数日前に興味深いニュースがあった。

曰く、鉄道関係者の間では「4時間の壁」というものがある。それは片道で移動に4時間以上かかると、消費者は飛行機を選択するという考えである。事実、東京-広島間の新幹線での所要時間は約4時間。その移動は新幹線を選択する人と飛行機を選択する人がほぼ同等で、5時間かかる博多の場合は飛行機を選択する人が多数派になるのだという。それでJRでは新幹線のスピードアップが検討されているのだが、筆者はたとえ新幹線がスピードアップして、博多や、北海道まで4時間未満で移動できたとしても、新幹線が飛行機に勝つことはないだろうというのである。なぜならたとえ「4時間の壁」を越えたところで、料金が高ければ、安い飛行機を選択する消費者が圧倒的に多いだろうからである。

「新幹線というのは商品としての価格の問題を克服しない限り、せいぜい利用されるのは1万円の範囲内。」
「つまり、新幹線で片道2万円も払って旅行へ行くぐらいなら、LCCで南の島へ行きましょうというのが若い人たちを中心に始まっている」

筆者は新幹線が本当に越えなければならない壁は「1万円の壁」だと主張している。

もちろん、東京から北海道、あるいは博多までどうしても片道4時間以内で新幹線で行きたいという需要がゼロだとは言えない。しかし、一般人の感覚からすると、「6時間かかってもいいから1万円ぐらいで行きたい」、もう少し私個人に引き付けて言うと、「京都から東京まで8000円ぐらいで行けるなら、4時間かかってもいい」ということになる。「ぷらっとこだま」が約4時間で1万円強だが、「もう一声」ほしいのである。

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私は経営とか、市場とか、ビジネスとか、そういうことについて非常に疎い。なので、以下は素人の取るに足らない独り言として読んでいただきたい。

卓球界では今「ディグニクス05」というラバーが話題になっている。

Dignics05

なんでもテナジー05と比べて「弧線の描きやすさ」が大幅アップし、さらにスピード、回転量、球持ち、磨耗耐久性も多少アップしているらしい。

しかし、実売価格はどうやら9000円を超えるようだ。

もちろん、全日本や世界で戦う選手の中には「どうしても勝ちたい、今よりも勝率が上がるなら、一枚1万円でもほしい」という需要もあるだろう(というか、そういう選手はメーカーから無償で提供されるだろうが)。しかし圧倒的多数の卓球人からすると、「テナジーでいいから、実売価格4000円以下にならないものか」というところではないだろうか。私は別にテナジーでなくともいい。実売3000円台のスーパーヴェンタスやヘキサーグリップで十分すぎるほどなのである。おそらく私がテナジーを使っても、スーパーヴェンタスやヘキサーグリップを使っても、試合での勝率は変わらないだろう(おそらく違いもあまり分からないと思われる)

それに「高性能」――引っ掛かりが強いラバーなら、相手の回転にも敏感になり打ちミスが増えるだろうし、弾みが強いなら、レベルの低いプレーヤーはすぐにボールをオーバーさせてしまい、コントロールが難しくなる。私なんかは1~2か月使って引っ掛かりが落ちてきたラバーの方が安定するぐらいである。「高性能」であればあるほど卓球が上手くなるというわけではない。

こんな低いレベルではなく、全国大会を目指している若い人たちのような高いレベルのプレイヤーなら「高性能」なラバーを必要とするかもしれない。

しかし、たとえば週5回練習するとして、ディグニクス05を1か月使った場合、その「性能」は他のラバーを2~3枚使うのに比べてどの程度の優位性を保っているのだろうか。1か月使っても新品同様の「性能」が発揮されるとは思えない。いくら高性能なラバーでも週5のペースで1か月使えば、さすがに引っ掛かりは新品のときに比べたらかなり落ちるだろう。3000円台のラバーを1か月2~3枚のペースで使った場合と比べて、どれほどのアドバンテージがあるのだろうか。引っ掛かりだけでなく、弧線の高さなど、他ラバーには代えがたい性能があったとしても価格を考えたらどれほど支持されるか微妙である。2週間ほどで貼り替えるとして一か月に両面で5万円弱もの大金をラバー代に費やせるなら話は別だが、ほとんどの上級者はディグニクスを使うのをためらうのではないか。

採算度外視で高性能スポーツカーを作る自動車メーカーのように、ブランドイメージのためにどうしても高性能なラバーを作らなければならないということなのかもしれないが、9000円台は高すぎる。売る気があるとは思えない。バタフライの経営は大丈夫だろうか。進むべき方向性を間違っているのではないか。ロゼナと同程度の価格でロゼナの「性能」を上げたほうがよほど消費者の心をつかむだろう。

越えるべきはテナジーの、性能ではなく、4000円の壁なのではあるまいか。

以上、素人のつぶやきである。

【追記】190311
今日は東日本大震災を記念する日だったのを忘れていた。ケータイが急に災害の警告を発したのはそのためであった。あの悲劇をこれからも長く語り継いでいきたいと思う。

【寄稿】なぜトップ選手はバックサーブを使わないのか

80年代以前はバックサーブが全盛だった。
back serve

ペンのみならず、シェークの選手でもバックサーブが主体だったと思う。フォアサービスは初心者っぽい感じで私はあまり使わなかった。当時、巻き込みサーブなどはほとんど使われていなかったし、逆振り子サーブなんて見たこともなかった。順横回転サーブを出すためにラケットのヘッドを下にしたフォアサービスを使うこともあったのだが、バックサーブのほうが美しく洗練されているように感じていた。腕が内側から外側に開いていくバックサーブの動きは身体の理にかなっているため、流れるような滑らかさで3球目につながるように思った。

それが2000年代になって卓球を再開してみたら、みんながみんなフォアサービスなので驚いた。あんなに台の端からフォアサービスを出したら、フォア側がガラ空きになるではないか。みんな不安じゃないのだろうか…。

しかし、慣れとは怖いもので、私もすっかりフォアサービス派になってしまった。どうしてバックサーブを使わないのだろうか。

今回、ご寄稿いただいたのは、玄米茶さんで、フォアサービスとバックサービスのメリット・デメリットなどを考察されている。

以下、本文である。

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トップ選手はバックサーブを使わない選手が多いです。
メインで使っているのは男子ではオフチャロフ,サムソノフ,鄭栄植,女子では徐孝元をはじめとするカットマン達くらいではないでしょうか(ごくまれにバックサーブを使う選手はもっと列挙できると思いますが)。

ovcha

9割がたの選手はフォアサーブを主体で戦い,バックサーブは使いません。
使わない理由としては

①インパクトを体で隠せない
②ラケットの面を隠せない
③グリップの問題
の3つが挙げられると思います。

①について
卓球の現行のルール上ハイドサービスは禁止ですが,フォアサーブのインパクトの瞬間が相手にぎりぎり見えるか見えないかというレベルでサーブを出している選手が見られます(右利き対左利きの場合,ほぼ見えていない場合もあるのが実情だと思います)。
審判に注意されないぎりぎりのラインです。
全員が全員ではありませんが、こうした相手にインパクトの情報を与えない工夫をして,サーブの回転を読ませないようにすることでアドバンテージを得ている面があると思います。バックサーブではこれができません。

②について
フォアサーブの場合,インパクトの直前までラケットの面を体の利き腕側に隠して,相手にラケットの面の角度を見せない(相手に情報を与えない)ことができます。それと比較して,バックサーブではラケットの面の角度を、インパクトの前に相手にはっきり見られてしまいます。台の下にラケットを隠す人もいますが、インパクトの前にはどうしても台の上にラケットが出て、相手に面が見られてしまいます。

③について
フォアサーブを打つときには中指・薬指・小指をブレードから外すので手首の自由が利き、順横回転も逆横回転も自由に出せ、フェイクもかけやすいです。しかし、バックサーブは指を外してしまうと打ちにくくなってしまうので指を外さず、結果として順横回転が出しにくくフェイクの多様性も欠けています。バックサーブはそのグリップゆえに、フォアサーブより手首の動きが限定されるという欠点があると思います。

サーブ・レシーブでのわずかなアドバンテージの奪い合いが非常にシビアなトップ選手は,上記の理由でバックサーブをあまり使わないのではないかと思います。

いっぽうで,アマチュア選手にとってバックサーブは

・台に正面に向かって構えてサーブを出すので、フォアサーブよりサーブ後の戻りが楽になる
(フォアサーブのほうが3球目に繋げやすいという人も当然いて、プレースタイル次第だと思います)
・巻き込みやYGが苦手な選手でも逆横回転系サーブのバリエーションを増やせる

といった利点がありますので,十分に使うメリットはあるのではないかと思います。  

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拙ブログでは読者のみなさんからのご寄稿を募集しております。我はと思う方はふるってご投稿下さい。

それってyoutubeの見過ぎだよ――卓球の制限モードについて

バックハンドドライブが安定しない…。

先日、初めて打つ人と試合形式の練習をしていたとき、なかなかバックドライブが入らず調子が悪かった。それを上級者が見ていてこんなことを言った。

「それ、youtubeの見過ぎですよ。」

ITTF動画

もちろん、面識のある人に言われたのである。どういうことかというと、youtubeでレベルの高いプロのプレーを見て、自分もできると思ってプロの真似をして難しいボールをミスしたという意味である。

しかし、そんな高度なことをしたつもりはない。ただ相手がこちらのバック側に横下ロングサーブを出してきたので、それをバックドライブで迎撃しようとしただけなのだ。

「いきなりあんなドライブ強打を打って入るわけないじゃないですか。」

え?じゃあロングサーブをつっつけとでもいうのか。そんなことをしたら、相手にみすみすと先手を取られてしまう。台から出たボールはドライブで迎撃するのがふつうではないか。

「相手のサーブがどのぐらいの回転量かまだ分かっていないうちにあんな強いドライブを打っても入りませんよ。打ち慣れていない相手と試合をする場合、まず初めは相手のサーブがどんな回転で、どのぐらいの回転量があるか探りながら、上にこするドライブでとりあえず入れるべきですよ。しろのさんの打ったドライブはループドライブじゃなくて、前に振る、決めに行くドライブじゃないですか。打ち慣れている相手ならいざ知らず、初見の相手のサーブに対してあんな強打を打つのは危険すぎます。」

なんと!上手な人は台から出るサーブは全部ドライブ強打するものだと思っていたが、そうではないらしい。1ゲーム目は相手の回転を探りながら慎重にプレーし、2、3ゲーム目になって相手の回転が分かってきてから積極的にドライブ強打を打つようにしているのである。

「ショートサーブをいきなりチキータとかフリックとかするのも怖いから、私は試合の序盤では控えますよ。まずはツッツキとかで回転を探っていき、相手に慣れてきて初めて使う技術だと思います。」

こんなに強い人が「怖い」といっていることを私は平然とやってしまい、ミスを連発していたわけである。初見の相手のサーブをいきなり決めに行くというのは相当高いレベルの人でないと無理だというわけである。なるほど「youtubeの見過ぎ」と言われたのもむべなるかな。こういうことを譬えた蛇に関することわざがあったなぁ。なんだっけ?ネットで調べてみたが、差別的な表現だったので、代わりに英語のことわざを紹介したい。

 Fools rush in where angels fear to tread.
 【訳】 愚か者は、天使が恐れて足を向けない所へとび込んで行く。
"tread"を辞書で調べると、「歩く」とか「踏む」という意味があるので、「足を向けない」というよりも「足を踏み入れない」と翻訳したほうがいいかもしれない。

このことからいろいろなことが分かってくる。

・ドライブには決めに行くドライブと、打たれない程度につなぐドライブとがあること。
・レベルの低いプレイヤーはこの区別をあまり意識できていないこと。
・試合で相手の回転やリズムに慣れるためには意識して慎重に探っていかなければならないこと。

最近見た卓球丼氏の動画でも同じようなことを言っていた。



卓球丼氏「みなさんは最初のうちは絶対に自滅型です。」

自滅型


やっすん氏「めっちゃわかる、それ。そういう人、多い。特に学生だったら、中学生とか。高校生になると経験年数が長くなるので…それでも自滅型多いか。」

卓球丼氏「多い!すごく多い。」

やっすん氏「無理な3球目攻撃をしてミスる、みたいな。速い球出す練習ばかりしていて台に入らないとか。練習だったら入るけど、試合で台に入らないとか。」

そうなのである。まるで自分のことを言われているようだ。いつも練習している相手なら、回転の種類も量もだいたい見当がつくから、いきなり強打をしてもけっこう入るのだが、それで「この程度のボールなら、いつでも強打できる」と錯覚してしまうのである。同じようなボールでも人によって回転量や回転の方向が微妙に異なっている。卓球は非常にデリケートなボールタッチが要求されるので、そのような微妙な差異に敏感でなければならない。しかも問題は回転だけではなく、ボールの深さや打球点、打つリズムなども人によって微妙に変わるので、相手に慣れないうちに積極的過ぎるプレーに走るのは禁物である。というか、私のようなレベルの低いプレーヤーは、そのようなボールのさまざまな差異の存在すらあまり意識しておらず、したがって相手を観察したり、相手に慣れようとしたりする努力も怠っていた。その結果、「いつもの相手なら入る強打が入らない」「今日は調子が悪い」と、調子のせいにしてしまっていたのである。

「チキータができる」「カウンターができる」「強烈なスピードドライブが打てる」などというのはあくまでもいつも練習していて打ち慣れている相手に対してであって、あまり打ったことのない相手にはそれらの技術が不安定なのは当たり前のことである。自分の最大限の技術をよく知らない相手に使うのは自滅への道まっしぐらである。

そこで卓球の「制限モード」を提唱したい。レベルの低い初中級者は知らない相手に対しては、まず比較的ミスの少ない技術のみを使って相手のプレーを解析しなければならないと思うからである。

試合でまず使う技術として例えば次の技術が挙げられる
・ループドライブ
・ツッツキ
・ストップ
・角度レシーブ
・流しレシーブ
・ブロック/ショート

以上の安定性の高い技術のみを使うのが「制限モード」である。

そして試合の後半になって相手のプレー、回転に慣れてくるにつれて徐々に以下の技術を慎重に試してみるのがいいと思われる
・スマッシュ
・ミート打ち
・スピードドライブ
・フリック
・チキータ
・カウンター
・プッシュ

これらを使ったプレーは、いわば「完全モード」である。

練習でできる(といっても、おそらく成功率はせいぜい60%ぐらいだと思うが)ことが試合でもはじめから使えるわけではない。試合では相手のプレーをよく観察し、「制限モード」でミスをしないように遅くて高いボールを打ちながら相手の球質を見極め、次第に低くて速い、厳しいボールを打つようにしなければならないと思う。

メンタルと試合の流れ

私は「格下」と思われる相手と試合をしてよく負ける。
格下だと思うと、なんだか気が抜けてしまい、「相手を打ち負かしてやる!」という闘争心が湧いてこない。なんとなく相手に合わせるようなプレーを続けた結果、相手にガンガン打たれて負けてしまうのだ。

「こんなはずじゃなかった…」と後悔しても遅い。これがいわゆるメンタルの問題というものだろうか。

よく自分を奮い立たせるために、ポイントしたら大きな声を出す選手がいる。私もポイントのたびに大きくチョレイなどと叫んでみたらいいのだろうか。でもちょっと恥ずかしい。

高遠

声を出したら、闘争心が呼び覚まされて、プレーが積極的になる?

しかし、そんな単純なものだろうか。声を出して気持ちが高ぶってきても、肝心のプレーがおそまつということもありうる。気ばかり逸ってしまい、打ちミスを連発してしまうかもしれない。

たとえば、サムソノフ選手や丹羽孝希選手のように寡黙にプレーしても自分の持つ能力を遺憾なく発揮できる選手もいるではないか。声をほとんど出さないのに強い選手は少なくない。声を出さないとプレーが固くなってしまう選手もいるのかもしれないが、声を出せばプレーが積極的になるとは一概には言えないだろう。

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全日本卓球2019の伊藤美誠選手対早田ひな選手の準決勝の解説で宮崎義仁氏がこんなことを言っていた。

「チャレンジャー、向かっていったほうが勝つのかなと私は思います。そういう意味では早田のほうが1ゲーム目、乗っていくかな。伊藤が最初からね、早田にたいして挑戦者の気持ちで向かっていけたら、そりゃ別なんですけど、今、女王ですからね。彼女は受けてしまうんじゃないかな…そこの出足が心配だなというふうに見ています。」

「受けてしまう」。私が格下と試合する時はまさにこんな心境である。
相手の隙を突いて自分から積極的に攻撃を仕掛けていくというよりも、「相手はどんなことをしてくるのか」と様子見をしてしまう。途中から「このままでは負けてしまう」と分かっていても相手の出方に合わせてしまう。私は自分の実力が大したことがないということをイヤというほど思い知らされているので、格上ぶっているつもりもない。しかし、「格下」っぽい人と試合をすると、「受けてしまう」のである。どうすればいいのか。

そんなこんなでいろいろな「格下」に負け続けて気づいたことは、メンタルよりもマインドのほうが問題だったということである。カタカナで表現すると曖昧になるので漢字で言えば、「心」よりも「知」のほうが問題だと思うのである。私がどうして自分から先手を取れないかというと、自分の攻撃するイメージがないからなのである。

フォア前にサーブが来た。そこで相手のバックにフリックしたら相手は最も遠いこちらのバック奥に返球してくるだろう。だから急いで戻ってバックハンドで強いボールを打たなければ。

こんなイメージを持たずになんとなくフォア前のサーブを相手のバックにフリックしてしまい、相手がこちらのバック奥に返球してくるのに驚いて当てるのが精一杯の弱い打球で返した結果、相手に攻め込まれてしまうわけである。「格下」だと思うと、警戒心が薄れてしまい、次の展開を考えずになんとなくプレーしてしまうことが多いようなのだ。相手が格上だろうが格下だろうがやるべきことは変わらないはずである。格下だと思ったときに次の展開を思考するのを止めてしまうのが私の卓球の悪い癖だと分かった。

前記事「私の観た全日本卓球2019」で「迷ったまま入ってしまう」ということについて述べたが、私の場合は「迷ったまま」というよりも「何も考えずに入ってしまう」のである。声を出して自分を奮いたたせるというのは、迷いを断ち切る役には立つかもしれないが、そもそも何も考えずに入ってしまう私のような卓球では全く意味がない。それよりも頭を使って相手のプレーを分析し、次の展開のイメージを持つことこそが私に最も欠けているものだと思う。

シェークハンズの藤井貴文氏が「心技体知」についてブログで書いていた。

「技術は同じなのに、何度やっても勝てないケースがあります。その時の差は「戦術」の差です。」
「いわゆるどのスポーツでも言われている、「心技体」そして「戦術の知」だと思われます。」

スポーツや武道で「心技体」ということがよく言われるが、卓球に関しては「心技体知」だと聞いたことはあったのだが、最近この「知」の大切さがよく分かるようになってきた。よく「メンタルが弱いから負けた」ということを聞くが、そのときの「メンタル」というのは「心」も「知」もいっしょくたにした曖昧な言い方で、実際はメンタル(気持ちの強さや積極性、冷静さ)というよりも「知」の部分に問題があることが多いのではないだろうか。

先の宮崎氏は1ゲームを獲った伊藤選手について次のようにコメントしている。

「…去年のチャンピオンですし、ワールドランキングもだいぶ上ですし、伊藤がね、少しこう、待ち構えてやるような、受け身になるのかなと思ったら、なんのなんの、伊藤のほうが思い切ってましたね。やっぱりこのメンタルの強さ、さすがですね。」

こういうコメントを見ると、プロの試合では「心」の部分が試合を大きく左右するのだということがうかがえる。つまり、「技体知」の部分ができているのは当然のことで、あまり問題にならず、問題になるのは「心」の部分だということが分かる。しかし、初中級者の試合では「心」よりもまず「知」の部分が問題になることが多いのではないだろうか。

ここまで考えて、「試合の流れ」ということももしかしたら同じことなのかと思った。卓球全日本2019男子の解説で河野正和氏が「試合の流れ」に何度か言及していた。「流れがきている」などとよく言われるが、これについて私は幸運か何かが定期的にめぐってくるようなイメージを持っていたが、ようするに自分の戦術が相手に効いて、自分のイメージしたとおりの展開が続くことを言うのだろう。その戦術に相手がうまく対応して戦術が通用しなくなったら「流れが行ってしまう」ということになり、戦術を変えて、それがまた相手に効き出したら、また「流れが来た」ということになるのではないか。試合というのは徹頭徹尾、戦術であり、メンタル(心)というのは戦術という食材を際立たせる調味料にすぎないのではないだろうか。

アクセルか、ブレーキか――踏み込みについて

サービスを出すときに床をダンっと蹴ったり、フォアドライブを打つときにグッと右足で踏み込んだりする。そうすることで回転がかかったり、威力のあるショットが打てるのではないかと私は思い込んでいる(冷静に考えると、サービスの時に足を踏み鳴らして回転量が増えるかどうかは疑問だが)

この踏み込みという動作にはアクセルとブレーキの働きがあると思う。

たとえば野球のピッチングで非利き足をグッと踏み込むことは球威を上げるのに重要な役割を果たす。これはアクセルだろう。卓球でもフォアドライブで体重移動しながら非利き足をグッと踏み込むことは球威を上げるのに役立つはずだ。

他にも相手のショートサーブに対するレシーブ時に前に移動し、右足でグッと踏み込んでツッツキをしたりする場合は右足の踏み込みがブレーキとして働いていると言える。もしこの「グッ」というブレーキがなければ、ツッツキのとき、台上で前に突っ込みすぎてしまい、次の動作が遅れる原因になるだろう。

前記事「○球目にご用心」で1球目を終えて3球目に備える、あるいは2球目を終えて4球目に備えることの重要性を再認識したので、最近はできるだけ素早く次の動作に移れるように気をつけている。

ツッツキのときに右足でグッとブレーキをかけて、すぐに台から距離を取るようにしているのだが、ここで私の右足は上述の私の考えとは異なる働きをしていることに気づいた。

私は相手のサーブをツッツキするとき、相手のインパクトの前に助走として少し足をバタバタ動かし、インパクトの瞬間、ショートサーブだと分かると、2~3歩小さくポジショニングして、ボールを正面から迎えられるようにする(ペンホルダーのツッツキはシェークより正面ぎみでボールを迎えるので)。その最後の1歩が右足になるのだが、そのときの右足の「グッ」はどちらかというと、アクセルのような「グッ」になるのである。

踏み込み

私が想像していたように、体が前に行こうとする力を止めるのに右足を使っているわけではなかった。

小さなステップで台に接近して、最後に右足を踏み込んでから右腕を少し伸ばしてツッツキをする。時間的な余裕がある時は、前に突っ込むようなことはなく、あまり前傾姿勢にもならない。右足はブレーキではなく、むしろアクセルのように働く。このようにツッツキ時に右足を利かせると、攻撃的な深いツッツキが打てる。しかも、その右足はそのままブレーキにもなり、私の身体を台から後ろに移動させる働きもするのである。

右足の踏み込みはフォア側の打球全般で使うと思うのだが、フォアツッツキの場合、

右足の踏み込み→打球→右足に体重を載せたまま後ろに戻る

という流れになるので、右足の踏み込みはアクセルであると同時にブレーキでもあったのである。
以下の王皓選手の動画のようなイメージである。


1分ほどオープニングが続くので、下のリンクから視聴されたい。
https://youtu.be/zyEMKbalUxw?t=58

同じく右足で踏み込むフォアドライブではどうだろうか。

通常(?)は

右足の踏み込み→打球→左足の踏み込み

のような流れになると思うのだが、そうすると、右足の踏み込みはアクセル、左足の踏み込みがブレーキということになるだろうか。しかしこうすると体が左に流れてしまい、次の動作が遅れてしまう。

上手な人のフォアドライブを動画で見てみると、

FD踏み込み
右側に体を傾け、右足でグッと踏み込む


FD伸び上がり
打球後、左右のどちらにも偏らない中立の姿勢


FD戻り
左足でブレーキ…あれ?左足が仕事をしていない。




https://youtu.be/5TWreEciHGc?list=PLsb_4V4-v9foxwDadaD_P7P3n5JtqcbNo&t=81

左足の踏み込みでブレーキを掛けていない。打ち終わったときに左足にはとりたてて体重が載っているわけでもなく、ちょうど中立の姿勢で終わっている。左に体が流れない。

フォアドライブってこうやって打つのか…。なるほど、こうすれば次の動きにすばやく移れる。

今までの私のフォアドライブは、右足で踏み込んで左足でブレーキをかける、大振りで効率の悪いフォアドライブだったのか。

フォアサービスの場合はどうなるのだろう。私は今までフォアサービスのインパクトと同時に左足をダンッと踏み込んでいたのだが、もしかしたら、左足を踏み込むことによって3球目への準備が遅れていたのかもしれない。ツッツキとフォアドライブの考え方をフォアサービスにも援用すると、フォアサービスでも左足にはあまり体重を載せず、右足に載せたまま後ろに下がったほうがいいということである。

そういえば、「右から左、後ろから前への体重移動というのは時代遅れだ」という上級者の意見をどこかで聞いたことがある。こういうことだったのか。踏み込みというのは両方の足でするのではなく、片足だけで完結したほうが次の動きにすばやく移れるということが分かった。


郭子琦

上の動画のモデルは郭子琦選手。ジュニアの選手である。いつか日本女子代表と戦うことになるかもしれない。

○球目にご用心――台との距離

昔、TOEICという英語のテストを受けたとき、リスニングの問題が難しくて全然答えられなかった。会話文を思い出して選択肢を選んでいる間に次の問題に移ってしまい、ひどい結果だった。

私はリスニングの問題でどうしてあんなにボロボロだったのか思い返してみると、日本語の構造と無関係ではないように思う。

日本語は重要な情報が最後に来る。

「ご依頼の件は、担当者が説明に参り…」

まで来ても、まだ諾否が決まらない。

「参ります」なのか「参りません」なのか、ここを注意して聞かなければとんでもない誤解をしてしまうことになる。そうかと思うと、「参りますが…」などと、どんでん返しの展開も想定しなければならない。日本語では文末に最大限注意しなければ重要な情報を聞き逃してしまうおそれがある。

こういう日本語の構造に慣れてしまっているため、私は英語を聞くとき、前半は流しながら聞き、最後の部分だけ集中して聞くという癖が染み付いてしまっていたのだ。英語では逆に主観的な態度や時制、肯否などの重要な情報が助動詞などによって前半に提示されるので、前半を集中して聞き、後半は流しながら聞くべきだったと後悔した。

TOEICのリスニングで私は文意のかなめとなる前半部分をむざむざと聞き逃してしまったためにテストの点数が振るわなかったというわけである。

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唐突に卓球の話になるが、卓球で何球目が大切だろうか?

「それは3球目に決まっている」
「レシーブ側なら2球目だ」

などという意見が出てきそうだが、たいていのポイントが5球目までで終わることを考えると、1球目のサーブが大切なのは言うまでもないし、2球目のレシーブが大切なのも当然である。3球目は攻撃のチャンスだし、4球目はそれをどう止め、反撃に転じるかの境目になるし、すべての球目が大切だと言っても過言ではない。1球たりともおろそかにはできない。

では聞き方を変えて、何球目に最も気をつけなければならないだろうか。

私はサーブ側なら1球目、レシーブ側なら2球目が最も気をつけなければならない球目だと思うのである。なぜかというと、サービスというのは台にピッタリくっついて出す人が多い。
下の森園選手のように台のサイドにまで入り込んでサーブを出す人もいる。

morizono serve

そして相手の次のレシーブが深いツッツキやチキータだった場合、距離が近いだけにかなり早くボールが自分の打球ポイントに到達してしまうことになる。上手な人はサーブを出した瞬間にすぐに飛び退くように下がることができるが、多くの初中級者の場合、ここの対応が遅れ気味で、1球目のあと、ボーッとしてしまうことが多い。そして、あっと気づいたときにはボールはすでに自分の打球ポイントまで迫っている…。そのため詰まってまともな打球ができなくなる。

「おかしいなぁ。練習では3球目が打てるのに試合ではちっとも打てない」

こういう人が初中級者に多いと思う。練習の時は打ち慣れている相手なので、どんなボールが来るかなんとなく予測できるので台との距離が近くてもなんとかなるが、試合ではそうはいかない。

レシーブのときも相手がショートサーブを出したら、台の中に右足を踏み込んで台に最も接近した状態になってしまうが、そこで3球目を打たれたり、相手に深いボールで突かれると、詰まってしまう。ポジションが台から近いので、軽いフリックもかなりのスピードに感じられる。サーブのときと同様に初中級者はここの判断が遅いのでまともに相手の3球目に対応することができない場合が多い。

その後、うまく4球目をしのぎ、5~6球目となると台からある程度距離ができているので、ちょっと反応が遅れてもなんとか対応できる場合が多い。

3球目や4球目で攻撃するのが難しいのではない。1球目、2球目という台に最も接近した状態からすばやく距離をとって3~4球目に備えることが難しいのだ。冒頭のTOEICでの失敗のように、私は1~2球目をなんとなく「打ち流して」しまい、3~4球目に集中していいショットを打とうとするのだが、それでは遅いのである。1~2球目が終わるか終わらないかの瞬間こそが最も集中していなければならないときなのである。

【寄稿】スマッシュを打たれたらどうする?

前記事「卓球と料理」で改めて読者のみなさんにご自身のレベルに応じた「気づき」をご投稿いただきたいと呼びかけたところ、さっそく読者のぴーろん氏からの寄稿をいただいたので紹介したい。

以下、本文である。
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先日、中学生の女子二人に指導というほどでもないのですが、一緒に練習したときに「スマッシュされたときの返球方法を教えてください。やっぱり下がって打たなければならないんですか?」と質問されました。
smash

「カウンターやブロックは無理だから、ボールの落下点に入って・・・」、とここまで答えたとき、「いや違う。スマッシュの返球方法など練習する必要はなく、スマッシュを打たれるボールを返さないことが大事なのでは?」と逆に質問したところ、「あー、そうですね。」と納得した様子でした。

いろいろな技術の習得は必要ですが、試合で使わない、使えないものを習得する必要はないはずです。

では、技術習得の優先順位の高いものは何かと考えたとき、1番目はサービスと(サーブ)レシーブであることは疑いようのないものだと思います。でも、サービスエースやレシーブエースだけで得点できるわけではないので、得点するために2番目として3球目攻撃ができる両ハンドのループドライブやスピードドライブ、下回転(角度)打ち、レシーブ技術として低いツッツキやストップ、流しやチキータ、フリックなどを習得する必要があるのだと思います。

これらの技術を習得した後、自分が得点しやすい、あるいは失点しにくいパターンに相手をはめる、いわゆる戦術が必要となるのでしょう。その戦術を実行するために1番目と2番目が単にできるだけでは不十分でその精度UPやほかの技術習得が必要となるのでしょう。

皆さん、延々とフォア対フォアの基礎打ちばっかり練習して満足していませんか?

卓球と料理――「みそ汁」を作ってみた

実は卓球には関係ないのだが、ただ「みそ汁を作ってみた」だったら、なんとなく後ろめたくて題名に「卓球」をつけてしまった…

みそ汁は私の健康の源である。私は元来胃腸がとても強い。それは子供のころから毎朝みそ汁を飲んでいたおかげだと勝手に思っている。おそらく私だけでなく、世間でもみそ汁は体にいいと認識されていると思う。

「味噌をみんなで研究してみたら、ガンの予防になるとか血圧を下げるとかいろいろなことがわかってきました。おいしくてカラダに良いんだからこれはとるべきだと。」(小泉教授)「NHK 美と若さの新常識

最近、不健康な食生活を送っているせいか、胃腸が弱ってきたように思う。胃腸が弱ると気力もなくなってくることを身をもって知った。このままではいけない。みそ汁を飲んでみたら、また元の強い胃腸に戻るのではないか。そう思ってみそを買ってきたが、たぶんみそをお湯で溶くだけではみそ汁にならないと思われる。ネットで調べてみると、案の定ダシが必要らしい。そんなこともあろうかと粉末のいりこだしというのを買っておいたやつがあったはずだ。あった、あった。このスティック状のダシの粉末の半分、4gをお湯600ccに溶いて、みそを45gと、油揚げとわかめ…はないのであきらめよう。長ネギはある。これを刻んで、あとでかけるとして、他に使えそうなものは…これだ!実家から送られてきたサツマイモ。焼き芋があまり好きではないので、使い道がなくて困っていたのだが、これをペンホルダーの単板ぐらいの厚さに切って、皮ごとお湯で煮ればいいらしい。そういえば、みそ汁は煮立ててはいけないと聞いたことがある。順を追って説明すると、

なべに水600ccと輪切りにしたサツマイモを入れて沸騰させる。
火を止めてダシの粉末4gとみそ45gを入れる。
お椀にみそ汁を入れて、
最後に刻んだねぎを上からかけてできあがり。

misoshiru

なんだ、メチャクチャ簡単ではないか。これで4杯分ぐらいできたので、2杯飲んで、残りは晩にまた飲もう。どれどれ、ちゃんとみそ汁の味がするかな…うまい!これはまさにみそ汁だ!次は乾燥わかめや豆腐を入れたり、玉ねぎとジャガイモのみそ汁も作ってみよう。こんな簡単に作れるなら、学生時代にも毎日作っていればよかった。

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拙ブログの読者層はよく分からないが、大半は男性だと思われる。一部の女性の読者が上の私の「気づき」を読んだらどう思うだろうか。おそらくあまりにもレベルが低い「気づき」でわざわざ記事にする価値もないと思われるのではないだろうか。しかし、男性の読者の中には、「そうだったのか!こんなに簡単に作れるなら、俺も作ってみよう」と思われる読者も少なからずいるはずである。

拙ブログは中級者――全国大会などには縁がないレベルだが、基本技術は一通り身につけている程度の愛好家を対象にしているが、もっと初歩的なレベルの「気づき」も発信したほうがいいのではないかと最近思うようになった。中高年の愛好家にはバックハンドが振れない、横回転サーブがとれない、ドライブとミート打ちを打ち分けられないといった層が相当数いるからである。

だが私はそのような段階の多くを小学生の時に踏み越えてしまっているのでなかなか思い出せない。初心者・初級者にとっての壁がどのようなものだったか思い出せない。現在、このような壁に向き合っている人たち、あるいはそういう人たちを教えている指導者でないと、このレベルの「気づき」を記事にすることはできないだろう。

というわけで読者の皆さんにお願いです。

さまざまなレベルの「気づき」を寄稿していただけませんか。

現在、拙ブログはほとんど私の個人的なつぶやきの場となっていますが、もっと多くの人が自分の意見を発表できる場にしたいと思っています。政治的なことはよく分からないのですが、協会や有名選手、有名企業などだけが情報発信をして、名もない個人はその情報を受け取るだけという構図は今の時代にはそぐわないと思います。誤解を恐れずに言えば民主主義ではないと思います。名もない個人からも意味のある情報発信が、もっとできないかと常々思っています。

万人にあてはまる「正解」である必要はありません。個人的な体験談で結構です。「今までAができなかったが、Bと考えて、Cを試してみたら、少しうまくいった」という程度の800字ほどの文章で結構です。
我はと思われる方は
shirono.tatsumiあっとまーくgmail.com
まで文章を送ってください。

よろしくおねがいします。

ここじゃないどこかへ――立ち止まったら、そこで終わり

ボールの威力が増した、回転量が増えた。
フリックが安定して、速く鋭くなった。

といった上達は分かりやすいが、そういう上達よりももっと基本的なものが私には欠けている。

たとえばフットワークである。これをなんとしても上達させないことには私の卓球は進歩しない。
一見してすごいボールが打てるようになるわけではないが、確実に私の卓球を進歩させてくれるだろう。

Footwork


前記事「一にして全」で荻村伊智朗氏を取り上げたが、荻村氏は54年の世界選手権で優勝した時を振り返ってこんなことを述べている。

世界選手権へ出るまでに、平均1日5㎞走ったとして最低7000㎞ぐらいは走っている。なわとびは両足そろえてつま先でとぶのを1000回1セットとして毎日1~2セットやった。うさぎとびやシャドープレーもやったし...。…なわとびのおかげで、ほとんどツマ先で試合をやった。ロンドン大会のとき、ぼくのフットワークを"焼けたトタン屋根の上のネコ"と向こうの新聞に出た。世界一への道 荻村伊智朗

"焼けたトタン屋根の上のネコ"というのはどういうことなのか。ネットで調べてみると、55年に上演された有名な演劇らしい。一年のズレがあるが、細かいことはおいておこう。猫のように俊敏なフットワークだったということだろう。

毎日5キロ走って、縄跳びのトレーニングを繰り返し、常につま先立ちでプレーすれば、素早く動ける?

しかし、今どきつま先立ちでプレーしている人がどれだけいるのだろうか。つま先立ちがいいかどうかはともかく、素早く動ければ、つま先立ちだろうが、摺足だろうが何でもいい。

どうすれば素早く動けるのだろうか。

もう少し荻村氏のケースを考えてみよう。

荻村氏の練習の中で重要な位置を占めていたのが足腰のトレーニング。それも走るということである。

その頃の子供は、体を基本的にきたえるという意味では水準が非常に高かったと思う。行軍(長距離の徒歩)できたえられたし、電車が空襲で焼けたため毎日片道5㎞を歩いて通学していた。小学生時代から足を中心にしてきたえられた時代だと思う。

高校時代は練習量がたりなかった。ただ、工夫とか体力トレーニングはよくやった。毎日1~2時間走った。3年でキャプテンになったときは、みんなに走るクセをつけさせようと、5時間で授業を終わってくる者と一緒に走り、6時間で終わってくる者とまた一緒に走るというようにして走った。

「走るクセをつけさせよう」「6時間で終わってくる者とまた一緒に走る」ってどれだけ走るのが好きなんだ…。

じゃあ私も毎日職場まで電車を使わず歩き、帰りはランニング。こういう毎日を送れば、私のフットワークも向上するかもしれない。しかし、プロの選手じゃあるまいし、毎日こんなつらいトレーニングが続くはずがない。

「荻村氏は非常にストイックで意識が高かったからこういうつらい練習にも耐えられたのだ」

と最初は考えたのだが、そうではなく、もしかしたら、荻村氏は走るのが楽しくて大好きだったのかもしれない。

そう考えると辻褄が合う。荻村氏は走ること、というか足を動かすことが好きだったのではないか。だからフットワークも速かったのではないか。

私は走ることなんて、疲れるし、単調だし、大嫌いである。卓球のフットワークも同様に大嫌いである。卓球でボールを打つのは楽しいが、フットワークを使って移動するのは疲れるし、めんどくさいしつまらない。卓球ってボールを打つ競技でしょ? あちこちに動く競技じゃないでしょ?

その認識を変えてみたらどうだろうか。卓球の本質はあちこちに動くことであると。

今まで私は「打球の合間に移動がある」と考えていたのだが、これを「移動の合間に打球がある」と考えを改めたらどうなるだろう。「足を動かすのはなんて楽しいんだ。それに比べて打つのはめんどくさい、もっとずっと動いていたい」と自分に暗示をかければ、打球の威力は多少落ちるかもしれないが、確実に動き出しが早くなる。

たとえばサービスである。

サービスを出して、打球の行方を見つめて、「あ~よかった。低くていいサーブが出せた」などと安心している上級者はいないだろう。中級者でもサーブ後にこんな意識でいたら、勝てる試合も勝てなくなる。サーブを出す前から、すでに「移動中」の意識でいなければならないのである。

「早く動きたいなぁ、ウズウズする。でもサーブを出さなければならないし。しかたない、さっさと出して早く動き続けるぞ!」

こんなふうに動くことの方に重点をおけば、いやでもフットワークが早くなるはずである。

台上でも打球してから移動するというのでは遅い。打球に入る瞬間、すでに動き出す心の準備をしておかなければならない(前記事「そなえよつねに」でも同じようなことを考えた)

「このボールをつっついた後、いや、ボールが触れた瞬間に速攻で動くぞ!」

しかし、動くと言ってもどこへ動いたらいいのだろう。相手がまだ打球していなければどこへ動けばいいかわからない。フォア側に返球されるかもしれないし、バック側かもしれない。あるいはそのまま真正面に返球されるかもしれない。

どこでもいいから、今いるところじゃないとこへ動くのがいいだろう。

台上でツッツキやストップなどを打った瞬間、少し後ろに下がるのが最も無難である。そうでなくてもとりあえず「ここじゃないどこか」へ動いていたら、たとえ逆を突かれても、素早く反応できるのではないか。最も恐れるべきは、完全に足が止まってしまうことである。一度完全に止まった状態から動き出すよりも、ちょっと離れていても動き続けていたほうが、速く動けるだろう。

一にして全――卓球の価値の創造

元旦にLiliの「重大発表」という動画が公開されていた。
そこで「プレミアム登録」という新たな制度の発表があった。どうやら今までの完全無料動画から、一部のコンテンツを有料化するというものらしい。

muraji

この動きについて村田氏は「メッセージ」の中で「卓球というスポーツに全てをかけて戦い続けているトップ選手の価値をあげることが必要だ」と述べている。

それを読んで、かつて荻村伊智朗氏が世界選手権に出場するときのエピソードを思い出した。

1954年の世界選手権ロンドン大会の代表に選ばれた荻村氏は渡航費として80万円の負担を求められる。現在の物価で1000万円にも相当する金額だという。こんな大金をとても準備できない荻村氏は出場をあきらめかけたが、クラブの仲間がカンパを集め、80万円が用意できたのだという。

1953年12月から1954年3月まで中央線沿線の駅の改札口で卓球ボールの空き箱を持って街頭募金運動や戸別訪問をして地元で20万円を集め、大学で30万円を集め、仲間が映画の上映会でカンパを集め小学校の体育館で入場料50円の模範試合などをして30万円を集めて、遠征費の自己負担金80万円を工面した

マイナースポーツの無名の選手のために敗戦後10年も経っていない貧しい日本でこれだけの金額を寄付してくれる多くの人がいたということに驚きを禁じ得ない。それだけでなく、あまり社交的でなかった荻村氏のために同じクラブのメンバーが自分の時間を削って東奔西走してくれたというのも今ではありえないだろう。

このようなことが当時の日本でできたのはどうしてだろうか。おそらく日本人としての連帯感が今よりもずっと強かったのだと思われる。

『正しいパンツのたたみ方』の中にこんなエピソードがある(前記事「若い時の苦労は…」)。

筆者が家庭科の授業中に生徒たちに「何のために働くか」と問いかけたところ、「生活(お金)のため」「やり(生き)がい」といった答えが返ってきた。現代、働くことに対する若者の不安や悩みが増えているように感じる。仕事がつらくて何か心の支えがなければ心が折れてしまいそうだという嘆きを耳にすることが多い。筆者は生徒たちの答えを聞いて自身が高校生のとき、先生から同じ質問をされたエピソードを紹介した。

先生の答えは「社会のため」だったのだという。

当時は「社会のため」とか「労働は人間としての義務」という発想は非常に一般的なものでした。
それは戦争を生き延びてきた人たちの労働観だったろうと思います。戦争に負け、多くの人が亡くなり、空襲で焼け野原になった日本を、生き残った一人ひとりが一生懸命働き立て直してきたといった自負が、おそらくそのような労働観につながったのでしょう。僕たちは親から、「労働に貴賎なし」「どんな仕事も同じように尊い」とよく言われました。


現代でも「労働に貴賎なし」ということはよく言われるが、一方で「年収の高い企業ランキング」とか「転職に成功するために」などといった言葉がネット上に氾濫している。現代では「どんな仕事も尊い」という言葉は形骸化し、手っ取り早く金を稼ぐ方法にばかり目が向いているような世相に見える。

僕の親世代の人たちの感覚では、社会というものは、みんなの労働があって初めて成り立つもの、一人ひとりがしっかりと参加し、支え合うことで成立するものだ、ということになります。生活に必要なすべてのものは、食べるものにしても、着るものにしても、仲間の誰かが作ってくれたものであり、さまざまな人の手を経て自分のところに来たものばかりです。いくらお金があっても、作る人がいなければ、また作ったものを運び、売る人がいなければ、私たちは何ひとつ手に入れることができません。

私たちはともすると、プロの卓球選手は自分とは別世界の人、無関係の人と考えてしまいがちである。しかし、私たちがワールドツアーや世界卓球を動画で無料で楽しめるのも、卓球に全力で打ち込んでくれている選手たちがいるおかげであり、それを企画、編集、発信してくれている人がいるからであり、ひいてはそのような機器を開発してくれた人たちのおかげである。多くの人の努力があって私たちは見たいときに無料でプロのプレーが楽しめるわけである。

そして多くの人に支えられて世界選手権でみごと優勝した荻村氏はどういう思考をしていたのだろうか。

「荻村、お前は世界チャンピオンになったがそれで満足なのか」

「我々は学業も仕事も犠牲にして、なぜこれほど厳しい訓練をし、限界に挑戦しているのか。それは人間の文化の向上に寄与するためだ。」

「俺はまだバレエに対するあの人達の情熱のようなものを卓球に持てない。 残念だ。 卓球をして芸術の域に引き上げたい。 既に引き上げてあるモノのなかに身をていするなら誰でもしよう。 引き上げる役を誰かがしなくてはならない。 (バレエ映画『赤い靴』を観て)」

「皿洗いのバイトをしたときに、バイトだから適当にやればいいやという人は、絶対に適当なレベルまでしかいきません。バイトの皿洗いでも世界一になろうという人は、ビジネスの世界でもそうそうのところへいくということです。」

荻村氏が今でも多くの人を惹きつける理由は、単に卓球が強かったからではなく、高い志と意識を持っていたからではないだろうか。自分ひとりが高みに上るというだけでなく、卓球という競技全体を、ひいては世界の文化を引き上げてやろうという志があったのである。荻村氏は自己完結した天才ではなく、常に社会とつながっていた。

私にはそんな悲壮な覚悟はないが、トップ選手の中には荻村氏のような大きな志を持っている人もいるにちがいない。そういう人の価値を高め、ささやかながら応援するというのは、私にもできるかもしれない。私もそうやって社会とつながっていたいと思う。ただ、卓球のトップ選手のうち、誰が応援するに値する選手なのか。誰が強い選手かは、戦績を見れば分かる。しかし、そういうことは分からない。

Lili動画の有料化は選手を応援するという以前にLiliを応援するということになる(村田氏は動画の中で「私たちのために」とも言っていた)

現在、卓球産業というのは、「儲からない」産業である。街の卓球用品店はどんどん廃業していくし、卓球場は半分ボランティア。卓球教室も決して潤っているとは言えない。おそらく村田コーチはこのような卓球産業の現状を憂え、なんとか卓球産業を「儲かる」産業に引き上げたいという志を持っているに違いない。Liliの村田コーチにはこの卓球産業の仕組みを変えてくれそうなオーラがある。彼はなにかを「持っている」。もちろん村田コーチ単独の力で卓球産業を変えることは不可能だろうが、村田コーチのもとに多くの優秀なタレントが集えばきっと何か大きなことを成し遂げてくれると期待している。

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何かこうでっかい、すごい何か、でっかくて凄いのを、俺は持っとるんじゃい!

感覚を聞く――打球と反省

練習の機会が絶対的に少ない社会人が上達するにはどうすればいいのか。

「週に1回しか練習できないから、一年前と比べても全く進歩が感じられない」
「学生時代のような感覚が全く戻ってこない。下手になっていく一方だ。」

という諦めの声が聞こえてくる。
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今年はイノシシ年ということで、京都御所の西側にある護王神社に初詣に行ってきた。

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狛犬の代わりにイノシシが。

そこへ行く途中で「山田松」という香木屋さんの前を通ったのだが、帰宅してその店のウェブサイトを調べてみるとトップページにこんなことが書いてあった。

聞香(もんこう)とは、文字どおり、香炉から「香りを聞く」ということであり、嗅ぐのとは異なり、心を傾けて香りを聞く、心の中でその香りをゆっくり味わうという意味です。 
山田松香木店ウェブサイトより
「香りを聞く」だなんて、なんとお上品な表現だろう。
聞香

自慢ではないが、私はこういう高尚な趣味にはめっぽう疎い。
休日に美術館を訪れて古今東西の名作を鑑賞するとか、紅茶の銘柄の違いを味わうとか、クラシック音楽を楽しむとか、そういうことはさっぱりわからない。クラシックの中で唯一私が好きなのはちっともクラシックらしくない「春の祭典」である。
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この間、手持ち無沙汰で一人で球突きをしていたとき、なんだか気になることがあった。

bounce

球突きというと、ふつうは連続して何十回もカンカンと打つものだが、そのときの私は1球下回転をかけてはボールを手でキャッチ。また1球突いてはボールをキャッチということを繰り返した。そして1球ごとにラケットに伝わる振動を味わっていた。

ブレードの当てる位置や、ラケットをしゃくりあげる角度によって微妙に手に伝わる振動が変わる。気持ちよくテインと弾むときもあれば、ボテっと不完全燃焼のような弾み方のときもある。こんな単純な運動でも、1球1球確認すると、違いが感じられるものだなぁ。

考えてみれば、非常に味覚が敏感な人でも、高級なお茶をがぶ飲みしたり、繊細な料理をドカ食いしたりしたら、微妙な味わいなどろくに分からないのではないだろうか。繊細な感覚を「聞き分ける」には多すぎる情報は毒になる。同様に卓球の練習はいかに多くのボールを打つかが大切だと思われがちだが、そうすると1球1球の感覚に耳を澄ませる間もなく、次々と打球して感覚を省みることがない。打球感覚を味わうためには、ある一定以上の打球は、害毒とまでは言えないが、感覚を薄めてしまうことになるのではないだろうか。打球だけではない。たとえばフットワークでもステップを踏みしめる感覚というのはひたすら動き回っていては良いステップと悪いステップの感触が区別できないのではないだろうか。

そんなことを考えながら後日、1球1球噛みしめるように打球して、数球打つごとに立ち止まって反省してみたところ、一つ発見があった。

私は裏面バックハンドを打つ時、よく振り遅れてしまう。もっとバックスイングをコンパクトにしなければ間に合わないと感じていたのだが、自分の身体の筋肉の動きに耳を澄ませてみると、私はバックハンドを打つ時、まずバックスイングで背中側の右脇腹の辺りの筋肉を使っているらしい。

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そしてスイングのときは、同じく背中側の左脇腹の辺りに力を入れているようだ。

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このように右、左と順番に素早く筋肉を収縮させているのだが、これでは速いボールには間に合わない。そこでバックハンドを打つときに右脇腹の筋肉をあえて使わず、ボールが来たと思ったら、左脇腹の筋肉だけを収縮させて打つようにしてみると、振りが早くなった気がする。

今までたくさんボールを打つことばかりに夢中になって、打球中の筋肉の動きなんて意識したことはなかったのだが、「香りを聞く」というアイディアを応用して自分の筋肉の運動をつぶさに見つめてみるということを試みるようになったのだった。

社会人は練習時間が少ない――ボールを打つ時間が少ないから下手になる一方だというのも一面の真理かもしれないが、ボールを打つ機会が少ないからこそ、学生のようにむやみに毎日練習していたときには気づかなかった微妙な身体の感覚に耳を傾けることもできる。そのような少ない情報をかみしめるように味わえば――次から次へとボールを打つのではなく、途中で少し立ち止まって自分がどう打ったのか、どこの筋肉を使ったのかなどを反省するようにすれば、多くの気づきがあり、社会人でも練習時間が少ないなりに上達が早まるのではないだろうか。

【寄稿】ペンホルダーのシェークハンドへの持ち替え

今回、ご寄稿いただいたのは茨城県の玄米茶氏である。
氏は長年ペン表でプレーされていたが、シェーク裏裏に転向され、今に至っている。
ペンとシェークのグリップの違いを比較しているうちにペンホルダーの選手の多くが、ラリーが終わった後のポイント間にシェーク持ちに変える現象に気づかれたとのことである。

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王皓選手もご覧の通り、ポイントが終わった後はシェーク持ちである。

私も以前からぼんやりと気になっていた。
「ペンホルダーであることにコンプレックスでもあるのだろうか…」などと思ったこともあったが、ペンホルダーであることに誇りを持ちこそすれ、コンプレックスを持つことなどあるはずがない。では一体どうしてみんなラリーが終わるとシェークに持ち替えるのか。

玄米茶氏の主張を拝読して、なるほどと思うと同時に私には別の理由もあるのではないかと思うようになった。ペンホルダーは裏面を中指で支えなければならず、長時間プレーしていると中指が痛くなってくる。その「指休め」のためという側面もあるのではないか。人によっては他の理由もあるかもしれない。

プレー間のラケットの持ち替えに焦点を当てて考察できる人は珍しい。ドライブの打ち方やブロックのコツといった雑誌やブログでよく見るトピックではなく、ラケットの持ち替えをトピックに選んだ視点は新鮮で、ユニークなものである。私もありふれたトピックではなく、あまり注目されていないトピックを選んだほうが意味のある記事になるのではないかと考えさせられた。玄米茶氏の記事のように、みなが何となく気づいていることでも、通り過ぎてしまわず、考察してみるという態度は見習うべきものだと思う。

今年はこの記事をもって拙ブログの書き納めとなる。来年もどうぞよろしくおねがいします。

以下、玄米茶氏のご寄稿である。
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○ペンの選手がラリーが終わるとシェークに持ち変える現象

ペンホルダーの選手は、ラリーが終わるとシェークに持ち変えることがあります。全員でありませんが、相当な数の選手がやっていることだと思います。
一見無駄なことをやっているようですが、なぜそんなことをするのか仮説を立ててみます。

彼らが持ち替える理由、それはボールを拾うため ではないでしょうか。

ラリーが終わり、フロア上でバウンドしているボールを拾うとき、ほとんどの選手はラケットでボールを床に叩きつけ、高く上がったところをキャッチします。
 
この方法でボールを拾うときにペンではやりにくいのではないでしょうか。

具体的には、ペンの表面でボールを叩こうとすると、かなり大きく腕をひねらなければいけません。ペンのラケットを持つと、フォア面は自然と上を向きます。これを床に向けるには約180度回転させなければいけません。肘の外側が真上を向く、不自然な体勢です。では裏面ではどうでしょう。こちらはもともと床を向いているので一見簡単に思えますが、しかし、ペンの裏面というものはなかなか綺麗に真下を向いてはくれず、自然と自分の体のほうを向いてしまうものです。うかつにそのままボールを叩きつけると、ボールは股を抜けて背後に飛んでいったり、自分のシューズに当たって明後日の方向に飛んでいったりしてしまいます。

もちろん、表面も裏面も、面を作ってボールを拾うことはできないわけではありません現に、持ち替えずにボールを拾っている選手はゴマンといます)しかし、なんとなくやりにくいのです。このやりにくさを厭った選手が、シェークハンドに持ち替えてボールを拾うのではないでしょうか。

またポーランドのワン・ゼンイという選手はペンですが、ロビング打ちをするときにシェークに持ち変えます。これも前述した「真下にフォア面を向けにくい」特性を克服するための技術だと思われます。

 一方でシェークハンドは、何の苦もなく真下に面を向けることができます。ロビング打ちも楽楽です。シェークと比較したペンの欠点は、一般にバックハンドの弱さが挙げられることが多いですが、この「真下にフォア面を向けにくい」という点もペンホルダーの隠れた欠点なのではないかと思います。

【追記】
文字色の設定がおかしくなっていて、玄米茶氏の本文のテクストの色が黒になっていたので、デフォルトに戻した。失礼しました。


(参考動画)
・王皓は、9:16以降のラリーで持ち変えています。
https://www.youtube.com/watch?v=ZPmwJ6wG-Ao

・中ペン裏裏の王建軍。4:08以降のラリーで持ち変えています
https://www.youtube.com/watch?time_continue=346&v=aWiOz9u2EFY

・日ペン裏裏の松下大星選手は1点毎に持ち替えています
https://www.youtube.com/watch?v=pc2pxBZuTMY

・ワン・ゼンイは1:02以降のロビング打ちで数回シェークに持ち替えています
https://www.youtube.com/watch?v=O2reXTRwpoQ



卓球ポートフォリオ――今年一年を振り返って

例年、年末は卓球についての思いの丈を述べたりしていたが、今年は一年の自身の歩みを振り返ってまとめてみたいと思う。技術的な考え方や意識の変遷に関する記事のみをたどっているので、試合や動画の感想や用具、指導法などについての記事は省いた。

知恩院の鐘
京都で除夜の鐘といえば、知恩院の鐘。本当に大きい。

1月
卓球のセンス
水谷選手の言葉からセンスのある卓球について考えてみた。目のさめるような強打が打てるのではなく、ボールの威力はなくてもいいが、どんなボールにも無理なく対応し、崩れない、持続可能なスタイルが私にとっての「センスのある卓球」だという結論。

卓球の力の抜き方
打球時に力んでしまうことでボールが走らなかったり、ミスを連発したりする。どうすればリラックスして力が抜けるのか。私の答えは基本技術を安定させて、「打たれてもなんとかなる」という心の余裕を持つこと。

ストップを早くする
ボールがバウンドしてすぐを狙ってストップするのでは遅い。ボールのバウンド地点めがけてラケットを出せば早くて短いストップができる。世間の指導書や雑誌でもよく目にするコツだが、それを身をもって「発見」した顛末を記した。

ボールが落ちるのはラバーのせい?
下回転が持ち上がらないとき、ラケットの角度やスイングスピードといった手の辺りに原因を求めがちだが、足元の瞬間的な踏ん張りが手の先端のラケットにまで影響するのではないかという主張。


2月
フォロースルーは何のため?
打球には影響のないフォロースルーは必要なのか。必要だとしたらどういうフォロースルーがいいのか。そんなことをLiliの動画を見て考えた。結論としては狐における尻尾の役割と同様、崩れかけた体をリカバーしたり、次の移動につなげたりするためにフォロースルーは効果的なのではないかという結論。

レシーブは足
フットワークと言うと、左右の大きな動きを連想するが、レシーブ時のほんの10センチほどの小さなフットワークがプレーに与える影響は意外に大きい。10センチ踏み込まなかった(あるいは戻らなかった)ためにいいプレーができないということもある。

身体のバランス
氷上でバランスを取るスケートは卓球にも益するところがある。身体の先端ではなく、中心から脚や腕を操作する感覚、姿勢の低さなど、バランス感覚を向上させるのに効果がある。


そろそろ目が疲れてきた。まだ2月の半ばか…。以下、ざっとポイントだけ列挙する。

フォア・バック足りてフットワークを知る
バドミントンの動画の教え。進行方向の反対の足の拇指球でフロアを蹴る(外側に蹴る)ことによって素早く動くことができる。


3月
機の感覚
対戦相手と呼吸をシンクロさせる武道の極意が卓球にも応用できるのではないか。

難しいサービス
相手にとって処理の難しい切れたサーブを出して、返球された時、自分も持て余してしまう。

あわせ技
技術は単体ではなく、文脈の中で考えるべきだ。


4月
つなぎのボール
絶好球に対する強打を磨くのではなく、難しいボールに対するつなぎのボールの質を高めるべきだ。

打つ練習と打たれる練習
相手の強打を止める練習は、一見相手のための練習に見えるが、自分の動きの無駄をなくし、処理速度を高める役に立つ。

技と技の間
卓球の「基礎スペック」をまんべんなく高めると、自ずと応用技術のレベルも上がっている。

木造勇人選手によるバックハンドのコツ
はたから見ると、手首に力を入れているように見えるが、当の本人はそのような意識がまったくない。見た目と実際のギャップについて考えた。

僕らはみんな振り遅れ」(前)
バック対オールの練習で相手のラケットをほぼずっと見続けると、相手の返球に間に合い、ラリーが続く。


5月
僕らはみんな振り遅れ」(後)
強いショットを打つために打点を犠牲にすべきか、高い打点で打つためにショットの威力を犠牲にすべきかという選択で後者をこそ優先すべきだという考え。

貫く棒の如きもの
体軸についてグダグダ考えた。

動いて、考えて、また動く
頭でっかちを戒める記事。世間の指導理論などはいったん忘れて、自身の身体に一番合う打ち方を内観し、模索すべきだ。


6月
仕掛けと予測
仕掛けによって予測の幅が広がるという発見。

台との距離
つまらされないコツはボールが自コートのエンドラインに落ちると想定しておくこと。

反動
強い力を発生させるには、一度逆方向に力を入れてから、順方向に力を入れるといい。

ボールを当てる位置
バックハンドを安定させるには、ボールをラケットのグリップ寄りに当てるといい。

やっと半年分か。過去の記事を読み返すのも大変だ。

7月
卓球の緻密さについて
サービスのバウンドする位置をコントロールして、数センチ単位で正確に同じところに出せるようにすべきだ。また、フットワークは自分がフォアで動く範囲を決めて(把握して)おくべきだ。

守備練習のありがたさ
相手のフットワーク練習のためにひたすらブロックすることで守備技術が身につき、卓球が底上げされる。


8月
舞はる舞はる
姿勢を低くすると、体幹が回りやすくなり、スイングの上下方向の動きが抑制されて、左右方向に動かしやすくなる。

僕は切り替えができない
切り替えのコツは、打球後にすぐ次にボールが来る方へ寄っておくこと。

しっとりとした打球
インパクト寸前まで力を入れず、インパクトのときに一気に力を入れるようにするとボールが落ちず、威力のあるショットが打てる。

筋書きのある展開
サーブの前に間を置く人がいる。それはサーブ後のラリーのイメージを頭の中でなぞっているのである。


9月
動画を観た感想など。

10月
レシーブの耐えられない単調さ
レシーブは速くて低いボールだけでなく、緩急をつけたほうが打たれにくい。

低いは正義!…か
上の記事と同工異曲。

必要にして十分
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
ボールの威力はもう十分あるのだから、コントロールや回転など、もっと他の方面に意を用いるべきだ。


11月
力加減の予測
足裏の前のほうに重心を置くと、意識・反応が早くなる。

ブルン!
身体を小さく揺すぶるようにしてバックハンドを打つと、いいショットが打てる。


12月
どうしてもバックハンドドライブが入らないとき
一度左足に体重をかけて踏ん張ってから、右足に体重移動すると、強いバックハンドが打てる。

そうだったのか!回り込み
回り込みは台のエンドに平行に移動してはいけない。打球の軌道を直角に横切るように移動するのがいい。

バウンド前行動
自分のサーブやレシーブが相手のコートにバウンドする前にこちらの動きを始めなければ次球に間に合わない。

柚子の木のトゲは痛いよ
ペンホールドグリップで親指を外すと、自由度が増し、ツッツキやショートがやりやすい。

打てるとき、打てないとき
自分のショットに仕掛けの意識を持たせると、次に攻撃しやすい。

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以上、今年一年の私の卓球技術に関する気づきや考察を追ってみたが、重複するような主張もあった。

ボールが落ちるのはラバーのせい?」と「反動」、「どうしてもバックハンドドライブが入らないとき」は同じように足元の踏ん張りに関するもの。「ブルン!」「どうしてもバックハンドドライブが入らないとき」はバックハンドに関するもの。「仕掛けと予測」「打てるとき、打てないとき」は仕掛けに関するもの。脳が衰えているので、以前主張したことを忘れて、もう一度記事にしてしまっている。老人に繰り言が多いのが分かる気がする。

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今年一年もあっという間だった。この一年で私の卓球も少しは進歩したと信じたい。こんなふうに来年も平穏無事な毎日が続いてほしい。

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しかし、世間は確実に変化しているのを実感した。
この冬、我が家にやってきたEcho dotというスマートスピーカーを使ってみた感想である。
echo dot

でっかいおにぎりぐらいの大きさで、日本語が認識できる。

「アレクサ、今日の天気は?」「今日の京都の天気は曇りのち晴れ…」
「アレクサ、『冬景色』をかけて」「アマゾン・ミュージックから石川さゆり『津軽海峡冬景色』を再生します。」(唱歌のほうを聴きたかったのだが…)
「アレクサ、デフレーションって何?」「こんな説明が見つかりました。デフレーションとは…」
「アレクサ、この近くのピザ屋を教えて」


なぞなぞや本日のニュース、NHKラジオ、アマゾンでの商品の注文、簡単な英語の勉強、タイマーやアラーム、リマインダー、電卓…。スマートフォンならぬ、スマートラジオといったところである。

身体が不自由な人や介護が必要な人にとっては非常に便利なガジェットである一方、こういう方向性は将来的に個人主義というか、他者や社会への無関心を助長することにはならないか。人間同士の交流を減らし、社交性を退化させてしまうのではないかと心配になる。

10年後はこの手の人工知能がどれだけ進化していることだろう。10年後は誰もが公平に自分自身の可能性を試すことができるという理想的な社会に近づいているかもしれないが、オフィスで働く人はほとんど必要なくなり、人工知能の使い走りのような仕事ばかりを人間がすることになるかもしれない。まるでSFの世界である。インターネットがなかった昭和の時代には考えられなかったことである。平成ももうすぐ終わり。未来はもうそこまで来ている。

打てるとき、打てないとき――仕掛けの意識

打ちなれた相手と試合をするときはラリーも続きやすいし、ミスも少ない。そして何よりも自分から打つことができる。一方、初見の相手や打ち慣れていない人と試合をすると、ラリーが続きにくい。というか、ラリーらしいラリーにもちこめず、台上だけでポイントが決まってしまう。こちらから気持ちよく打てるチャンスがめぐってこない。

相手がとても上手でなかなか打たせてもらえないというのなら分かる。しかし自分と同等か、やや格下の場合でも、自分からの強打がなかなか打てないことが多い。攻めよう、先手を取ろうと意識しているのだが、チャンスボールがなかなか来ない。かと思うと、こちらがまったく想定していない場面でゆるい、ちょっと浮いたボールを相手からポンと渡されて、こちらは打っていいかどうか狼狽して、とっさに判断できず、ゆるいドライブで置きにいってしまい、逆に相手に厳しく返球されたりする。浮いたボールを強く打てず、置きに行くほどみじめな返球はない。

これはどうしてなんだろう。

初見だろうと何だろうと、いつも自分から攻めて、きちんと自分の卓球ができる人がうらやましい。上手な人はやりにくい相手でも、自分の最低限の卓球ができるのだが、私の場合は自分の練習のときのプレーの半分も出せないときがよくある。

最近、この仕組みが分かってきたように思う。
おそらく私の卓球には仕掛けの意識がなかったのである。

ツッツキ

台上でのやりとりで、相手が突然甘いボールを送ってきたとき、上手な人はそれを強打できるのだが、私は「え!?ここでチャンスボール?」とびっくりして強打するタイミングを逸してしまう。それはつまり、私が前に相手に送ったボールが、仕掛けになっていたのに、そのボールを仕掛けとして意識していなかったために強打できなかったのである。上手な人は、「今から仕掛けるぞ!」と意識しながら、あるいは「これはうまくいくと、仕掛けになるかもしれない」と意識のどこかで考えながら、わざと切れていないツッツキなどを送っているのではないだろうか。だから次にチャンスボールが来るのを待ち構えて攻撃できるわけである。

そう考えると、私の台上でのボールは、甘くならないように台に入れるのが精一杯で、「このボールを送ったら、次に攻撃できるかもしれない」という意識がほとんどない。行き当たりばったりで、甘いボールが来ないかと待っているだけである。

常に仕掛けを意識しながら打球するのは難しいかもしれないが、仕掛けを意識して台上に臨まなければ、攻撃できるチャンスはなかなかめぐってこないだろう。

柚子の木のトゲは痛いよ――親指を外してみたら

昨日、12/22は冬至。
夜が最も長い日。
この日にゆず湯に入ると風邪を引かないとされている。

yuzuyu

ちょうど実家から送られてきた荷物の中に柚子があったので、ゆず湯にしてみよう。農家の友人によると、ゆずは果肉ではなく、皮から出る汁が体にいいらしい。ところで柚子って食べられるんだろうか。ちょっと果肉を食べてみようと思って柚子の皮を剥こうとしたら…ア痛!

なんとゆずのヘタに少し枝が残っていて、それに生えていたトゲが親指に刺さってしまったのだった。

柚子ってトゲがあったのか。人生も白秋に至ってようやく知った事実。前記事「アジのゼイゴ」でも感じたのだが、私はほとんど料理をしないので、ふつうの人が当然知っていることを知らなかったりすることが多い。男でも料理をしないと一人前とは言えない。

爪で引っこ抜こうとしたけれど、とれない。毛抜でつまんでみようとしたけれどダメ。子供の頃、指に棘が刺さったら、針でほじったりしていたなぁ。でもそこまでしなくてもそのうち自然に取れるだろう。

ただ困ったことにトゲが刺さったところが右手の親指なので、ペンホルダーだとプレーに支障が出る。ちょうど土曜日の晩は練習だった。親指の先端寄りなので、ラケットが握れないというほどではないのだが、親指をいろいろ動かすと、ときどき痛みを感じる。特に裏面を打つときは不安だった。

「できるだけ親指を外すようにしてみよう。」

そうすると、裏面ではなく、表面のバックショートを多用することになる。表面ショートなら、親指を外すのがデフォルトだからである。今まであまり表面は使わなかったのだが、だんだん慣れてくると、表面ショートが安定してきた。楽しい、そして楽である。裏面のときは自由度が高いので、ちょっと威力のある返球をしようと、ブロックの時ラケットをいろいろ動かしてしまい、かえってミスしたりするのだが、表面ならラケット面の自由度があまりないので、ラケットをあまり動かすことがなく、ブロックに専念できる。

私のグリップは裏面を重視して非常に浅いグリップだったが、浅すぎると表面ショートが安定しない。人差し指を比較的深く入れて、人差し指と中指で板がしっかり挟めるようにグリップを変えてみた。

oyayubi

上の荘則棟氏のように二本の指で板を挟んでグラグラにしてショートをすると、相手のドライブ強打を受け止めたときにブレードが振動し、強打の衝撃を少し吸収してくれるようだ。ドライブがよく止まる。グリップを変えただけだがずいぶん安定性が増した。

そして最近練習しているツッツキである。これも親指を外すことによって自由度が増し、面の角度を出しやすい。

フォアハンドと裏面は親指の押さえがないと安定しないが、ショート、ツッツキといったペンホルダーらしい技術は親指を外したほうがやりやすいということが分かった。

トゲが刺さったときは卓球のことを少し心配したが、今まで気づかなかった視点から多くのことを学ぶことができた。人生万事塞翁が馬である。

pinset

なお、練習後、こんな形状のピンセットを使ったら、2ミリほどのトゲが抜けた。






容量、人それぞれ

忘年会の季節を迎え、私も人並みに忘年会に参加してきた、というか参加させられた。

なんで4000円も払って飲み食いをしなければならないのだろう。生ハムだの、鶏の丸焼きだの、そんなものは別にいいのに。4000円もあれば、ラバーが一枚買えるじゃないか…。

しかし、そんなことは色にも出さず、飲食や会話を楽しむふりをする私。せっかく高い金を払っているのだから、腹いっぱい食べて飲んでやろうと胃袋の限界に挑戦してみた。しかし、あんまり飲むと明日の仕事に差し支えるなぁ…。酒の方はほどほどにして、料理の方を腹いっぱい食べて帰った。

翌日、いつもと違う自分がいた。なんだか体に気力がみなぎっているのだ。まるで20代…というのは言い過ぎだが、30代ぐらいに若返った気がする。神経を使うしんどい仕事でも「いっちょ、やってやるか!」という気分である。どうしてこんなことになったのだろう。思い当たるのは昨日栄養価の高いものをしこたま食べたことだけだ。若い頃は食べ物のことなど気にしなくても、毎日気力にあふれていたが、中年になると、疲れやすくなる。というより、気力がなくなってくる。

「食べ物ってやっぱり大切ですよ。」

このことを職場の先輩Yさんに話してみた。Yさんは初老の女性である。

「そうですよね。でも私はあまり食べられないんですよ。お医者さんからも、もう少し太ったほうがいいって言われてるんですけど、どうしてもたくさん食べられないんです。胃袋が小さいんでしょうね。ただ、食べられないなりに工夫して、できるだけ栄養のあるものを食べるようにしているんですよ。それをゆっくり味わって少しずつ食べると、やっぱり体の調子がいいですよ。」

Yさんの昼ごはんはおにぎり一つだけ。具は「一休寺納豆」なのだという。

一休寺納豆
できあがるのに1年もかかるらしい。100gで850円もする。

一休寺納豆のおかげかどうか分からないが、Yさんはいつも快活で、年齢を感じさせない。私よりも元気なぐらいである。

これを卓球で考えてみると、学生のように毎日3時間も4時間も練習をすれば、上手くなるのは当然である。しかし、社会人はどんなにがんばってもそれほどたくさん練習時間が取れない。上達どころか現状維持もままならないかもしれない。いや、そうではない。たとえ週に1~2回の2時間弱の練習でも質のいい練習をすれば、歩みは遅くても上達するはずである。

私も限られた時間をできるだけ質のいい練習時間にしたいと思う。よく噛んで味わうように一球一球集中して、考えながら打つようにすれば、質の高い練習を毎日している学生には及ぶべくもないが、練習時間が少ないなりに上達が見込めるはずである。

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【ちょっと都合があって、文章の途中で公開してしまった。以下、続きである】

そもそも練習は毎日しなければならないのだろうか。Yさんのようにすぐに満腹になってしまう人もいるのではないだろうか。大量の練習量を体がすべて消化できる人もいれば、週に5~6時間以上の練習は、消化しきれない人もいるかもしれない。伸びしろの大きい若い人は練習すれば、練習しただけ身につくのかもしれないが、中高年の場合は週に6時間以上練習しても、身につかないという人もいるかも知れない。そういう人は練習はほどほどにして、動画を見て研究したり、戦術を考えたりしたほうが上達するかもしれない。
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