しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




随筆

当ブログでは皆様からの寄稿を募集しております。卓球について意味のある主張を発表したい方はshirono.tatsumi◯gmail.comまで原稿をお寄せください。

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国際レベルの試合分析――田勢邦史監督のコメントから

先日、卓球世界ジュニア2018の男子決勝を見て、日本の将来は明るいと感じた。
田中佑汰選手、宇田幸矢選手、戸上隼輔選手の3名はそれぞれに才気にあふれ、中国選手とも対等に渡り合っていた。




第一試合の田中選手はなんと1ゲーム目を9-2でリード。中国選手相手に勝るとも劣らない、というより、田中選手のほうが実力は上(まぁ、それが「勝るとも劣らない」の意味なのだが)なんじゃなかろうか。しかし、そこからなんやかんやで9-8まで追い上げられ、ヒヤリとさせられたが1ゲームを何とか獲る。中国選手もあなどれない。2ゲーム目は田中選手がゲームポイントを握るも、デュースで落とす。ブロックをオーバーさせる場面が目立った。3ゲーム目は田中選手が3点で抑えられる一方的な試合。何が悪かったんだろう。実力的には差はないと思うのだが。そして4ゲーム目。一進一退の展開だが、田中選手のミスが出て、8-11で中国選手の勝利。内容は悪くなかったと思う。田中選手が攻める展開が多く、田中選手のミスがもう少し少なければ勝ててもおかしくない試合だった。やはり粘着ラバーのイレギュラーなボールに対応できず、ミスが多くなってしまったのだろうか。



第2試合の宇田幸矢選手の最近の国際大会でのパフォーマンスはすごい。パワフルな両ハンドとよく動くフットワークで期待が持てた。第1ゲームは宇田選手のミスが多く、獲られてしまう。相手のボールに慣れていないのだろうか。第2ゲームも惜しいところまではいくのだが、あと一歩のところで勝てない。
結局宇田選手は1ゲームをとったものの、惜しくも敗れてしまった。実力的には伯仲していたのに、相性が悪かったのかもしれない。




第3試合。インターハイチャンピオンの戸上隼輔選手。もう後がない日本チームの切り札である。
どのゲームもいいところまでは行くのだが、結局0-3で戸上選手敗れる。これで日本チームも敗退である。
あれ?おかしいな。日本の3選手ともに実力的に中国選手に劣っているとは思えない。が、終わってみると、1ゲームを獲るのがやっとで、いつのまにか負けてしまっていた。一体どういうことなのだろう。今回の中国選手はそれほど強い選手が出ていないはずだし、日本選手もいいプレーをしていたと思う。なぜ一人も中国選手に勝てなかったのだろう。

おそらく例の粘着ラバーのせいである。あの独特のボールに最後まで慣れることができなかったために惜しいところまではいくが、勝てなかったのだろう。私はこのように分析した。日本代表が中国ラバー対策をしていないとは思えないのだが、対策が不十分なのではないか。でなければなんてことのないドライブでブロックミスをしたり、逆にこっちが攻撃しているのに相手のブロックしたボールに対してドライブミスを連発するはずがない。中国ラバー対策さえ十分にすれば、今の日本代表なら勝てないはずはないのである。

その後、卓レポで田勢邦史監督のコメントを読んで、私の考えが素人考えであると気づかされた。
tasei

3人とも、もしくは日本の卓球がそうなのかも知れませんが、少しチキータに頼りすぎているところがあると思います。今はみんなチキータ処理がうまくなってきているので、あまりチキータにこだわらなくていいと思います。昨日は、チキータをさせられて、台から距離を取られてという展開が見受けられました。そこで、ストップはもちろん選択肢の一つですが、そのストップがうまくいかない。みんなチキータをしようとしてバックハンドの構えで入るので、バックでのストップはできますが、フォアでのストップができないというのも課題だと感じました。

なるほど。チキータでこちらから先手をとってはいるが、そのチキータを待たれているので、相手はさほど崩れない。こちらの展開にはならない。それならチキータとストップをまぜて相手の判断を一瞬でも遅らせたほうが得点できる確率がグンと上がる。

中国を見ていると派手なプレーもなければ、特別攻撃的でもないですよね。彼らが将来世界のトップに立つかどうかは分かりませんが、決勝の差は中国の方が「なんでもできた」ということだと思います。サービスもそうだし、レシーブもストップ、チキータ、ツッツキができて、ブロックもカウンターもできる。それと比べると、日本選手はチキータと自分から攻撃するだけだったので、ツッツキやフリック、流し、ブロックなどが全体的に足りなかったと思いますね。

たしかに中国選手が日本選手を力でねじ伏せるという展開はほぼなかったように思う。むしろ日本選手のほうが速いドライブ連打で押していた印象さえある。にもかかわらず、中国選手は日本選手の攻撃にしっかり対応し、日本選手は押し切れず、ラリーが続くと日本選手のほうが先にミスをしてしまったような印象が強い。

決勝では、日本のスタイルとして、少し攻撃的になりすぎたところがありました。日本の選手がリスクを負わされてミスを誘われる場面はありましたが、こちらがミスを誘うようなプレーは少なかったので、そこもジュニアの課題だと思います。

そうだったのか。中国選手はいわば「後の先」を採り、自分から無理して先手を取らず、相手の攻撃を受け止めて、チャンスを見て反撃したり、相手のミスを誘うような場面がしばしばあったということか。

そういえば、私の周りにも、レベルは全く違うが、こういう人がいる。
Gさんは、非常に攻撃的で、台上からも果敢に攻撃してくるし、こちらがドライブをしても、ブロックはせず、ほぼカウンターを狙ってくる。練習などではこちらが打った厳しいドライブをさらに厳しいカウンターで返球されて、ガックリくることも多い。Gさんが調子がいい時ははるかに格上の人ともいい勝負ができる。しかし、私はGさんと試合をして負ける気がしない。というのはGさんは決して受けには回らず、相手が弱いボールを打っても強打。相手が強いボールを打っても強打なので、ミスが多い。ボールは速いが、コースは厳しくないので、攻撃を2~3球しのげば、たいていGさんのほうが打ちミスをしてくれる。

かたや草卓球レベルのオジサン、かたや世界ジュニアの中国選手だが、似たような心理で相手のミスを待っていたとはいえないだろうか。

もう一度動画を見なおしてみると、日本選手はものすごいスピードのドライブを何発も打っている、が、相手の体勢が崩れるような厳しいコースに打つことは少なかった。相手の取りやすいコースに渾身のドライブをガンガン打っていたので、日本が優位に立っているとはた目には見えるが、相手はその強打をさほど脅威とは思わず受け止めていたのではないか。ドライブの威力のことを考えたら、ふだん練習している中国選手のほうが上ということもありうる。もしかしたら、中国選手は攻撃を受けているときに余裕さえあったかもしれない。これでは中国選手を打ち抜くことは難しい。中国選手はそのような堅いブロックから一転し、今度は日本選手のコースを突き、日本選手のほうがミスをするという場面が多かったように思う。

私は日本選手の敗因を、単に相手のボールに慣れていなかったからといった用具の原因に帰してしまっていた(それも少しはあったと思うが)のだが、田勢監督は日本選手の攻撃の単調さと、中国選手の技術の多彩さといった原因を敗因として挙げていた。やはりプロは見ているところが違うと思った。
卓球では、よく「常に攻める気持ちで」などと言われるが、速いボールをガンガン打っていても、攻撃が単調なら、効果が薄い。こういう「こちらが攻撃していたのにいつのまにか負けていた」という試合展開は草卓球でもよくあることである。他山の石(こういう使い方は微妙だが)としたい。


テンションラバーってこう使うんじゃない?――軽く小さく打つ

前記事「粘着(中国)ラバーってどうなんだろう」で粘着ラバーを使いこなすには良いフォームで力のこもった打球をしないといけないということがわかった。力のこもらない中途半端な打ち方だと、粘着ラバーは良いボールが出ない。ここからテンションラバーの特徴を逆照射すると、テンションラバーは反対に中途半端な力で打つのが一番効率が良いとは言えないだろうか。

半分冗談だが、半分本気である。
tenergy hard
テナジーハードとか、粘着テンションとか、
そういう中間的なラバーのことは考えないことにする。


以下、根拠のない数字を例に出してみる。私の頭の中でイメージしたことなので、単なる仮説である。

例えばどちらのラバーも同じ30%の力で打った場合(上級者ではなく、初中級者の打球を想定している)

テ:力30 威40
粘:力30 威20

のようにテンションラバーは威力を上げ底したボールが出るのに対して、粘着ラバーは加えた力よりもむしろ威力が低く出力される。

テ:力50 威70
粘:力50 威50

次にもっと良い体勢で打った場合もテンションは入力よりもいいボールを出力できるのに対して粘着ラバーは入力と同じ威力しか出力されない。

テ:力70 威80
粘:力70 威80

さらに力を加えると、テンションは出力の伸びが鈍ってくるのに対して粘着はやや良いボールが出るようになってくる。

テ:力90 威90
粘:力90 威110

そして自分のMAXに近い力で打ったときにテンションでは威力の伸びが限界に達するのに対して粘着は入力以上の威力が出る…。

こういう違いなのではないか。何度も言うが、検証したわけではないので、私の単なるイメージである。

私の仮説が正しいとすると、テンションラバーでドライブを打つときは50~60%ぐらいの力で打つのが最もエネルギーの伝達効率がいいということになる(いや、だから上級者が打った場合はまた違う結果になるのだろうが)

粘着ラバーは生半可な力で打ってもいいボールが出ないということなので、常に最高のフォームとタイミングで打ち続けるのが理想である。しかし、体力に満ち溢れた若い人のように切れの良い動きができない中高年には粘着ラバーは要求が高すぎる。ワンコースの練習ならともかく、常に動きながら全力に近い打球を打ち続けるなんて果たして中高年にできるだろうか。そこでテンションラバーを中途半端な――よく言えばリラックスした軽い力でキュッと小さなスイングで打つのが中高年にふさわしい卓球のスタイルなのではあるまいか。

…というふうに自分を納得させてテンションラバーのままでやっていこうと決心した。台上における粘着のアドバンテージは確かに魅力なのだが…。

本物志向――試合観戦の意義

久しぶりにいとこのうちを訪れて、近況などを話しあった。
いとこは毎日多忙な生活を送っているが、最近の唯一の楽しみはウィスキーなのだという。
ウィスキーが趣味というのは具体的にいうと、いろいろなウィスキーを飲み比べ、味わい楽しむことである。作っているわけではない。言うまでもないか。

ウィスキーに限らず、お酒というのはビックリするほど高いものがある。サントリーの「山崎」というウィスキーなどは700mlで数万円するものもある。その一方で近所の酒屋には1500円ほどの値段で売っている安価な製品もある。同じウィスキーなのにこんなに違いがあるなんておかしい。体に悪いわけでもないし、別に1500円のウィスキーでもいいじゃないか。

そのような私の話を聞いて、いとこはおもむろに見覚えのある懐かしいボトルを取り出した。

daruma

「これ、知ってるよね?昔、日本で人気のあったサントリー・オールド。独特のボトル形状からダルマって呼ばれてる。ちょっと飲んでみる?」

勧められるままに一口ふくんでみると…なんてことはない、普通のウィスキーである。

「次にこっちのウィスキーもどうぞ。」

よく知らない銘柄だが、輸入品だということは分かる。こちらを一口飲んでみると…全然味が違う!ダルマは雑味が多くごちゃごちゃした味わいで、喩えて言えば、「倉庫の中でほこりをかぶっている」ような味に感じられたのに対し、輸入品のほうは透き通るような味わいで、成分が生き生きしている。身体に染みわたるようなうまさだった。

「こっちは1本5~6千円するスコッチ・ウィスキーなんだけど、全然違うでしょ?昔の日本では『本物』のスコッチ・ウィスキーは高くて手が届かなかったので、比較的安いダルマが人気だったけど、今となってはダルマを飲もうっていう気にはならないな。同じウィスキーといっても、銘柄によってずいぶん味が変わるでしょ?」

味の良し悪しというのは人によって違うから、ダルマの雑味?こそが美味いと感じる人もいるだろうが、私にはスコッチ・ウィスキーのほうが美味しく感じられた。今ではサントリーの高級ウィスキーというのは世界的に認知されつつあるが、昭和の時代には高級な輸入ウィスキーの代替品といった位置づけだったのかなと思う。

考えてみれば、昭和の貧しい時代には欧米の「本物」の代わりに国産の「代替品」のようなものがよく作られていたように思う。ドイツやアメリカの車は高いので、スバル360が作られたり

subaru

「本物」のスイス製の腕時計は高すぎるので、「代替品」としてセイコーの腕時計、「本物」のドイツ製の代わりにキヤノンやニコン。今では国産品のほうが「本物」を凌駕してしまったものもあるかもしれないが、昭和の時代というのは、高すぎて手が届かない「本物」の代わりにとりあえずの代替品で日常の便に間に合わせようという時代だったように思う。だから昭和の末期になって性能的には国産品が輸入品に肩を並べても、やはり舶来品というものは一目置かれていたと思う。「日本製」とか「メイド・イン・ジャパン」といった言葉が宣伝に使われるようになったのは、ここ20年ほどではないだろうか。昔は国産というのは宣伝文句になる言葉ではなかった。とすると、今から30年後にはもしかしたら「中国製」という言葉が宣伝文句に使われるようになっているかもしれない。

この間、上手な人と練習をした時、ツッツキの鋭さにびっくりした。
バックスイングをとらず、身体全体でボールに近づいていくから、いつ打たれるかタイミングが取れない。そして同じ体勢のまま急に面を起こしてフリックをしたり、そのまま手を伸ばさずストップになったりと変幻自在である。ツッツキもスーッと手を伸ばすのではなく、早く短くグッと押すのでスピードが速い。かと思うと横回転をかけてつっついたりするので、こちらは余裕をもってドライブを打つ姿勢に入れない。こういうのが「本物」のツッツキなのだと思った。私や私がよく練習している人たちのツッツキは、同じツッツキといっても「代替品」にすぎない。一応ツッツキではあるけれど、「本物」のツッツキと比べたら、ツッツキの良さを全く引き出せていない。

いい勉強をさせてもらった。「本物」を知らないと、自分の技術が「代替品」であるということにすら気づかず、十年一日のごとく同じような卓球をして進歩がないだろう。幸いなことに、最近ではTリーグが始まり、地方の人間でも「本物」を見るチャンスが多くなった。今年は全日本も大阪で開かれるので、一般愛好家も機会があれば、ぜひ「本物」を観に行ってほしい。プロのプレーはあまりにもレベルが高くて一般愛好家の参考にはならないと思っていたが、プロのプレーをじっくり観察し、自分のプレーと比べれば、一つや二つ、何か発見があるかもしれない。

私は冒頭でウイスキーの価格に数十倍の違いがあると驚いたが、いとこにしてみれば、卓球のラケットだって、ラバーが初めから貼ってあるホビー用のラケットが1500円ほどで買えるのに、一方で2~3万円もするラケットがあることに納得できないかもしれない。「木でしょ?どれでもそんなに違いはないでしょ?」と言われそうである。たしかに一般層の大半にとっては実売5千円ほどの安価なものだろうが、2万円強の高級ラケットだろうが性能的に問題になることはないだろう。上手な人が使えば、スワットやSK7で全日本に出ることだってできるのである。国際レベルになると用具の微妙な性能差で試合に勝てないということもあるかもしれないが、一般層にとっては結局見た目と打球感の違いにすぎない。とは分かっているが、個人的にはやっぱり実売1万円以上のラケットを使いたい…。



奇強兼備――かっこいい卓球とは

中学生や高校生の頃、「かっこいい」ファッションというのがよく分からなかった。
今から考えると、訳も分からず非常にダサい服装をしていたと思う。

チェック柄
こういう地味な色のチェック柄のシャツをよく着ていた気がする

「服装がダサいと女にモテないらしい」
という話を聞いて、なんとかしようと思っても、何がかっこいいファッションか分からないのだから、どうしようもない。男性向けファッション雑誌を買って参考にしてみたが、やはりよく分からなかった。それで母親が買ってきた訳の分からない英語の書いてあるTシャツを着ていたりしていた。

「なぜ私のTシャツにはデカデカと "New York" って書いてあるんだろう?ここはアメリカではないし、ニューヨークが好きなわけでも、行ったこともないのだが…」

学校でカッコいいのは、学年でトップの成績をとればいい。とても分かりやすい。
スポーツでカッコいいのは、地区の大会で優勝すればいい。明快だ。

だが、ファッションのかっこよさというのは…分からない。

そんな私も中年になると、何がかっこよくて、何がダサいのかが自分の中ではっきりしてきた。もちろん私のかっこいいファッションと、他の人のそれとが一致するかどうか分からないが、とにかく私の中でかっこよさの基準というものができたのである。

かっこいいファッションの条件というのは、周りとの比較という要素が大きいと思う。いくらカッコいい服でも、周りに同じような服装の人が何人もいると、あまりカッコいいと思えなくなってくる。他の人と違う、自分というものを打ち出せるファッションが本当の意味でのかっこよさだと思う。といってもあまりにも常識とかけ離れたファッションは、ただのおかしな人になってしまうから、バランス感覚も大切だ。

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さて、話を卓球に戻すと、卓球のかっこよさというのは二つの方向性があると思う。

一つは強さである。これは分かりやすい。地区の大会で優勝し、県大会でも上位進出。全国大会出場。こんなかっこいい卓球はないだろう。そのためには最も勝ちやすいスタイルを追求しなければならない。男子で勝つためならシェーク裏裏で両ハンドドライブをガンガン振る卓球一択である。

一つは個性である。シェーク裏裏をあえて避けて、バック表とか、ペンとか、カットマンとか、そういう自分のこだわりのスタイルを追求するというのもある意味カッコいいと思う。こういうスタイルを選ぶ人は全国大会を目指している人でない場合が多いかもしれない。勝つのは二の次で、自分のスタイルを極めたいという意識のほうが強いのかもしれない。

強さを求める卓球は、試合で個性的な卓球を圧倒することが多いが、その代わりシェーク裏裏同士の競争が激しく、なかなか上に上がれない。強いシェーク裏裏の人が大学に入ったと同時に卓球をやめてしまったりするのは、上には上がいることが分かり、強さの追求をあきらめてしまうからだろうか。

もし、シェーク裏裏同士が熾烈な競争を繰り広げているところに個性的な卓球で挑んでみごと勝利してしまったら、どうだろう? 強さにおいても、個性においても、カッコいい卓球というのがあれば、最強のかっこよさである。

今日は職場に行って開口一番「みまちゃんすごい!」と会う人ごとに伊藤美誠選手のかっこよさについて語ってしまった。そういうのは興味がない人にとっては迷惑なだけだというのは分かっているのだが、それでも語らずにはいられなかったのである。

いうまでもなく、先週末のスウェーデンオープンの話である。
 

 
いつも質の高い編集をしてくださるGambaru Kattoman氏に感謝!

劉詩文が外国選手に負けるって、ここ数年なかったのではないだろうか、今年4月に伊藤美誠選手に敗れた時を除けば。それが今回も手ごわい劉選手をみごとに破り、実績ナンバーワンの丁寧選手を破り、次代のエースつゆりんを破って、中国最強の3人を連続撃破したなんて、去年の4月の平野美宇選手のアジア選手権優勝と並んで日本卓球の歴史に残る偉業ではないだろうか。惜しむらくはもう少し大きな舞台で優勝してほしかった。

劉詩文選手の異常なピッチの速さを緩急とボールの変化で攻略し、丁寧選手の恐ろしい威力のドライブをバチバチ弾きまくり、つゆりんに至っては何もさせなかった。

バック表でスマッシュ主体という個性的なスタイルでシェーク裏裏の最高峰を総なめにした伊藤美誠選手の卓球こそ、今最も輝いていてかっこいい卓球だと思う。



力加減の予測――足元から見直す素早い反応

普段私たちは、何気なくコップや鉛筆を持っていますが、それらは全身の筋肉の微妙な力加減を経験からくる予測によって成立させています。
紙コップは強く持ちすぎたら潰れてしまうし、鉛筆も折れてしまいますよね。〈中略〉
人間は何か物を動かそうとするとき、その対象物の重さを予測して、その物を動かすのに最適な体の状態を作って準備しています。
『ヒモトレ革命』

考えてみると、私たちは日常のあらゆる動作に予測を用いている。予測がなければ日常の基本的な動作さえおぼつかなくなる。本を読みながら階段を降りていて、うっかり最後の一段を見誤って転びそうになった経験は誰にでもあるだろう。次は平らなフロアだと予測していたのに、もう一段、下があったために姿勢が崩れてしまったわけだ。そのような予測がなく、階段の上り下りを「この階段は私の体重に耐えられるか」などといちいち確認していたら、おそろしく時間がかかってしまう。

卓球でも同様に「このボールはこの辺に飛んでくるから、このぐらいの力で打とう」などと予測しながら打っているからラリーが続くのであって、このような予測がなかったら1球も打てないことになる。

卓球の予測というと、普通は次に来るボールの軌道やコース、球質などをイメージするが、どのぐらいの力加減で打てばいいかという予測も大切である。そうしないと、ボールが到達する位置やスピードは正しく予測できていても、ホームランを打ってしまったり、ネットにかけてしまったりすることになる。

しかし、こんな基本的な予測ができないということがあるのだろうか。コースや球質が予測できないということはよくあるかもしれないが、飛んできたボールに対してどのような力加減で打つべきかを予測できないということが卓球を何年もやってきた人に起こりうるのだろうか。

私はそういうことがよくある。たとえば想像以上に相手のドライブが伸びてきたときや、相手のサーブが想像以上に短かった場合などである。こういうときはパニックになって、どのぐらいの力加減で打てばいいか分からなくなってしまう。力加減の予測をまったくせずにボールを打ってしまってボールをオーバーさせたり、ネットに掛けたりしてしまう。調子が悪いときはそのような症状が進行し、相手のなんてことないドライブもうまくブロックできなくなってしまう。

ふだん打ち慣れている人ならこういうことは起こりにくいが、初見の相手の場合、ボールが合わないせいか、力加減の調整に時間がかかる。そういうときはたいてい力加減の予測をする時間的な余裕がない場合が多い。

「どうして振り遅れてしまうんだろう?」

そうやって自分の動作がワンテンポ遅れる原因を考えてみると、相手のボールがどのぐらいのスピードで自分の打てる位置に飛んでくるかの判断が遅れている、あるいは予測よりも早くボールがこちらに到達するせいだと分かった。そして興味深いことにこのような場合はたいてい足裏のかかとのほうに重心が乗っているということが分かった。

足裏の重心

「すわ!ボールがくるぞ」というときに後ろに重心が乗っていると、力加減の予測がうまく働かず、強く打ちすぎたり、弱く打ちすぎたりする。逆にきちんとどのぐらいの力加減で打つか予測できて「よし!来い」というときは、足裏の重心が前に乗っている(別につま先立ちをする必要はない)。

私の体は逃げ腰になっているときは力加減の予測が働かず、やや前のめりになっているときはその予測が働くようだ。だとすると、とにかくボールが来たら、足裏の重心を前方に置いてみたら、自動的に力加減の予測も働くようになるのではないか。と思って、ボールが来たら、適当な位置に移動し終わった瞬間、すぐに重心を前にかけてみると、不思議なことに力加減を大きく間違えることは少なくなった。打つ寸前に重心を前に移すことによって自然と反応が良くなり、どのぐらいの強さで打つかの予測が働くようになったのである。

力加減という手先の感覚をコントロールするのに、足裏という、そこから最も離れた部分の調整が大いに関係するというのは興味深い現象である。


福原愛選手引退の報に接して

最近、卓球の情報が多すぎてついていけなくなってきた。ツイッターでいろいろな発信をフォローしていたが、キリがない。youtubeも有名選手の試合やTリーグ関係の動画が大量にアップされている。

Tリーグ開幕前夜ということで、なんとしてもTリーグを盛り上げようとたくさんの人が情報発信をしているが、その中で福原愛選手の引退表明はひときわ注目を集めた。この発表によってTリーグのことを知った一般人も多かったのではないだろうか。
福原愛

福原愛選手は選手としては世界選手権団体戦やオリンピック団体戦で活躍したが、個人戦ではあと一歩のところで大きな成果をあげることはできなかった。しかし、福原選手の偉大さは、競技成績とは別のところにあるように思う。
もちろんテレビ等で卓球の認知・普及に大きな貢献をしたことにもわれわれは感謝しなければならない。某コメディアンの心無い発言で卓球がネクラだとか、カッコワルイというイメージが定着し、日本全国の卓球人が肩身の狭い思いをしていただけに福原選手の存在は卓球にとって闇夜の灯火のようなありがたいものだった。
しかし、福原選手の卓球に対する最大の貢献は、その人間性にあったように思う。卓球をやっていると、あんなに周りに配慮のできる、責任感の強い人に成長するのだと、その見本を示してくれたのである。

世の親たちが子供にスポーツを習わせるとき、最も気にするのは人間性の陶冶なのではあるまいか。私が親だったら、それを最優先するだろう。卓球教室に通わせて、卓球がみるみる上達し、中学生ながら大学生にも勝てるほどの実力を身につけたといっても、試合に負けてラケットを投げつけたり、台を蹴っ飛ばしたりするような子供に育ってしまったら、その教室に子供を預けたのは間違いだったと後悔するだろう。反対にたとえ技術的には大して上達しなかったとしても、礼儀や相手への気配りを涵養してくれるなら、お金を払った甲斐があるというものだ。福原選手を見て卓球は人間性を育ててくれると思った人もいるかもしれない。少なくとも子供が卓球をすることに対して悪いイメージは持たれなかっただろう。そういうイメージを醸成してくれたのは福原選手の大きな功績ではないだろうか。

福原選手ほど批判されない選手は少ないだろう。彼女の人間性を悪く言う人を聞いたことがない。それどころか海を越えた中国でも大人気である。あれだけ露出が多く、人に注目される人なのに誰からも愛されるというのはオリンピックで金メダルを獲ることよりも難しいのではないだろうか。オリンピックや世界選手権で金メダルを獲る選手は今後日本から出てくるかもしれないが、この意味で福原選手を超える逸材はもう二度と出てこないかもしれない。それほど偉大な選手だったと思う。

卓球界に福原選手が出てくれたことに対して感謝の気持ちでいっぱいである。しかし、現役時の本人の精神的な負担は並大抵ではなかったことだろう。引退後は表舞台に立たずに伸び伸びと自分のための人生を送ってほしい。


身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ――反威力志向

前記事「必要にして十分」を読み返してみて、「そういえば、同じような主張を以前したかもしれない」と思い、過去の記事を探してみたのだが、見つからない。「下書き」を探しみたら、やっぱり以前、同じような記事を書いたのだが、結論が出なかったので、そのままお蔵入りにしていたのだった。このままお蔵入りにしてしまうのも惜しいので、「必要にして十分」と主張が重なるが、公開しておこうと思う。

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京都市のパンの消費量は日本一だということである。
プチメック

言われてみれば、京都には有名なパン屋があちこちにある。私の周りにもパンが好きで、新しい店ができるたびに、わざわざバス代を使ってまで食べに行くなんて人もいる(一人ではない。複数である)。

その中の一人、中年女性のDさんは細身で運動などには縁のない方で、2階への移動にもエレベーターを使うほど体力のない人なのに、職場から歩いて15分ほどの距離に有名なパン屋ができたと知るや、徒歩15分の労力をいとわず、早速仕事帰りにパンを買いに行ってきた。

「あそこの店のクロワッサン、めちゃおいしかった~」

翌日こんなことを嬉々として話してくれるのだが、私には理解できない。行列のできるパン屋かしらないが、なぜ運動嫌いのDさんが歩いていったのか。その有名なパン屋の食パン(一般的な神戸屋の食パンの倍以上した)というのをおすそわけにもらったのだが、たしかにおいしかった。しかし、私はDさんに問いたい、「どうしてそこまでして、おいしいものが食べたいのか」と。価格や量などが全く同じ条件で、おいしさ70点とおいしさ90点のものがあれば、私だって後者を選ぶ。しかしDさんが買ってきたパンはふつうのパンよりもはるかに高く、量は少ないのである。また、コンビニのパンがまずくて食べるのに難儀するというのなら、理解できないこともないが、コンビニのパンだってふつうにおいしいではないか。しかしDさんは「ふつうにおいしい」の上の「とてもおいしい」の上の「かなりおいしい」ぐらいでないと満足できない性質らしい。

「栄養があるから」

という理由なら納得できる。最近、身体の調子が悪いので、栄養のあるパンを食べると、調子がよくなるといのなら、私も毎日食べたいものだ。

「コストパフォーマンスに優れているから」
という理由も納得できる。昼ごはんに500~600円ほどのコンビニ弁当を食べるよりも、100円なり200円なり安いのならば、一か月ほどで、ラバーの1枚でも買える節約になるからだ。

「どうしてそこまでしておいしいパンを食べたいんですか?」
Dさんにそんな失礼な質問はとてもできないが、返ってくる答えはなんとなく見当がつく。

「おいしいからに決まってるじゃない! おいしいものを食べたいというのに何か理由が要るわけ?」

しかし、おいしいパンを食べるためにお金と手間をかけて、その対価が一瞬の快感というのではむなしいではないか。その快楽のために費やしたものを他のことに向けることができれば、もっと人生を豊かにしてくれるもの(たとえば卓球とか)との出会いもあったかもしれないのに…。

しかし、Dさんに言わせれば、ただボールを打ちあっているだけの卓球に入れ込んでいる私のほうがもっとむなしいのだろう。蓼食う虫も好き好き。結局はそういうことだというのは私だって分かっている。分かってはいるが、不可解である。

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絶好の打点で全力でドライブを決めた時の爽快感は何物にも代えがたい。

しかし考えてみると、なぜわれわれ卓球人はボールに威力を出すことにあれほどまでに心血を注ぐのだろうか。

われわれはともすると、「なぜ」という論理的な問いを後回しにして、「どうやって」という手続き的な問いを優先してしまいがちである。

高いラケットに高いラバーをあれこれ合わせてみて、ボールの威力の出る組合せを探ったり、接着剤の厚塗りをしてみたり、ラケットの側面にサイドバランサー(パワーテープ)を貼ってみたり、身体全体を使って力強く打球してみたり、はたまた筋トレなどをしてみたり。これらはいずれも「どうやって威力を出すか」という問いを追求した結果なのである。

Dさんに言わせれば、「草卓球レベルでそこまでして速くて重いボールを打つ必要なんてあるわけ?」となるだろう。

なにを言っているんだ。たとえ愛好家レベルの卓球においても威力のあるボールは絶対に必要である。これが打てなければこちらのドライブ等を相手に簡単に止められてしまい、勝てる試合も勝てなくなってしまうし、なんといっても打っていて爽快なのだから。

「私だって同じ条件で70点のボールと90点のボールが打てるなら、もちろん90点のボールのほうがいいと思うけど、90点のボールを打つためにミスが3割増えたり、打った後に体勢が崩れるんだったら、70点のボールでミスなく次のボールに素早く対応できた方がいいんじゃない?」

Dさんならそんなことを言いそうである。
もしかしたら、高い用具を買い、ミスが増える危険を冒し、体勢を崩しながらも、(私の出せる最大限の)90点の威力のあるボールを打つ必要なんてあるのだろうか。私が威力のあるボールを求めるのは結局のところ「打っていて爽快」という一瞬の快楽のためなのだろうか。

むしろ、積極的に威力を出さない卓球のほうが勝ちやすいのではないだろうか。

威力と早さと安定性を高いレベルで実現できている人なら、あえて威力を殺すような卓球をする必要はないが、私の場合は威力を求めることによって他のいろいろなことを犠牲にしてしまうのである。それならとりあえず威力を捨て、安定性と早い卓球を志向し、それができるようになってから威力を求めればいいのではないか。一度威力を全く考えない卓球というものを実践してみたらどうなるのだろうか。


必要にして十分――オジサン卓球から学ぶ

栃木youtuberのめしだ会長(前記事「俺たちのTリーグ」)の動画で、卓酔会の飯塚選手のプレーが紹介されていた。




めしだ氏が「師匠」と仰ぐほどだから、実力だけでなく、人間的にも立派な方なのだろう。

片面の日ペンだが、フォアドライブでガンガン攻めるタイプではなく、ロビング(というのか、フィッシュというのか)中心で、ときどきバックハンドをパシンと打つという戦型のようである。

iizuka

動画をみると、飯塚氏は試合を通じてなんともゆったりした卓球をしている。実戦とは思えない。まるで戯れているような卓球である。若い人の攻撃的な卓球を見慣れている目からすると、ゆっくりしたボールが主体の飯塚氏は、一見、あまり強くないのではないか?と思われるかもしれないが、めしだ氏がちっとも攻撃させてもらえないところをみると、飯塚氏は相当上手なのではないかと思われる。凡ミスが非常に少なく、めしだ氏がどんなボールを打っても、強いボールではないものの、それなりの返球をしてくる。打ち抜かれることが少ない。しかもコントロールがよく、台の深いところにボールが入ってくる。めしだ氏が強く打てないところをみると、サーブもロビングも見た目よりもずっと強い回転がかかっているのだろう。

こういう卓球を見ていると、私は何か大きな勘違いをしているのではないかという気がしてくる。私が目下取り組んでいることといえば、フットワークの向上、両ハンドのドライブ強化である。しかし、おそらく現状でも私のドライブは飯塚氏のドライブやバックハンドにスピードも回転も劣らないのではないかと思う。それどころか、もしかしたら私のショットのほうが威力があるかもしれない。フットワークでも私のほうがまだ動けているのではないかと思う。しかし、私がもし飯塚氏と対戦したら、まったく勝負にならずストレート負けを喫することだろう。

となると、もうこれ以上両ハンドの威力を追い求める必要はないのではないか。若い人のフットワークにあこがれて、必死でフットワーク練習をすることもないのではないか。オジサン卓球のレベルなら、現状で必要にして十分な球威があるわけで、私が今すべきことはもっとボールに回転をかけられるようなタッチの習得と、コントロールの向上、レシーブやブロックの安定性なのではないか。

そんなことを考えさせられる動画だった。

低いは正義!…か

「力は正義!」とか「かわいい(イケメン)は正義!」とか、そんな言葉があるが、卓球においてはどうだろう。

sakurai
卓球界のイケメンとして名高い櫻井コーチ

私は「低いは正義!」だと思っていた、最近までは。

ツッツキは言うに及ばず、ドライブもブロックも低いのがいいに決まっている。

*************

最近こんなことがあった。

ゲーム練習でこちらから相手のバック深くに低くて速い順回転横下ロングサーブを出してみた。全力のスピードで出したので、相手は案の定強く打てない。角度を合わせてツッツキ気味に返してくれればこちらの思うつぼである。バックドライブで待ち構えていて、強打し、完全にこちらが主導権を握ることができる。しかし、相手のFさんはバックへのロングサーブをバックドライブでこちらのバック側に返球してきたのだ。といっても速いロングサーブである。あちらがカウンター気味にバックドライブ強打を打つのはリスクが高い。そこでFさんはチョリっと山なりにゆっくりしたバックドライブで応じてきたのである。ツッツキよりはスピードがあるが、スピードが遅く、打ちごろのボールである。こうなると、こちらのバックドライブ強打でほぼ決まるはずのボールだった。が、私のバックドライブは空振り。相手のボールの伸びが激しく、頂点付近でグンと伸びてきたのだ。

「落ち着いてタイミングを合わせなきゃ」

次のサーブも同じようにバックへのロングサーブ。Fさんは強く打てず、やはり同じようにバックでチョリッとドライブをかけてくる。今度こそ決めてやる!しかし今度はラケットに当たったものの、オーバーミス。

なんだかイヤなボールだなぁ。スピードも遅いし、弾道も高いし、打てないはずはないのだが。

その後も何度も同じ展開になるが、私はミスが多く、なかなか気持ちよく強打できない。そしてゲームが終わるころにようやく気付いた。Fさんはエンドラインの白線を狙ってゆっくりとした高いドライブを送ってくるのだと。

こちらもサーブでギリギリまで深いところを狙っているのだが、あちらもレシーブでギリギリまで深いところを狙っていたのだ。こうなると、ふだんの立ち位置ではつまってしまい、いいボールが打てない。それに加えてFさんのバックドライブは私の胸ぐらいの高さでゆっくりと飛んでくる。これをバックドライブのカウンターで狙うと、(比較的)低くて深いボールよりもさらに詰まりやすくなる。

低さ一辺倒ではなく、時には高いボールでも深くさえあれば、効果があるんだなぁ。というか、私がもう半歩後ろに下がって待てばよかっただけの話か。

また一つ勉強になった。

思ふどちして戯れむ

久しぶりに卓球台の前に立ち、気心の知れた相手とボールを打ち始めるとき。

相手と近況や世間話をしながら徐にボールを打ち始める。

といっても試合の前の3本の練習のようにガシガシと打つのではなく、じゃれ合っているようなボールである。親しい相手なので、私はフォア打ちもせず、いきなり短い逆振り子サーブを出してみる。ボールの軌道は高く、ポテンポテンと弾んでいく。相手はバックハンドでパシンと払うこともできるのだが、あえて角度を合わせただけの返球をする。返るボールはふわーッと高い。私はゆっくりと回り込んで、おどけた大げさな大きなフォームで軽くバック側へループドライブ。相手はブロックでフォア側へ。私はそれをまたゆるいループで返球すると、今度は「これはどうかな?」とばかりに私のバック側へブロックを送る…。

練習でらしい練習が始まる前のこういうゆるいラリーが好きだ。こういうラリーは延々といつまでも続けることができる。
buriki

音楽にたとえれば、R&Bというのだろうか、ユニクロなんかで流れている、落ち着いた曲のイメージである。こういうときは身体全体の力が抜けている。足取りが軽い。普段の私はフロアに根が生えたように足が動かないのに、こういうときは自ずと足が動き出す。練習って本来こういうふうにやるのではないだろうか。

「フォア前にショートサービスをください。それをフリックでフォア側に払いますから、そこから全面で」

などとコースをある程度指定して練習するときにはフリックから0.1秒でも早く後方に移動して、厳しいボールを打とうと必死になってしまい、足がなかなか動かない。

ラケットは前に振らない、横か上に振る。

これが私が最近心がけていることである。こうするとボールが飛ばず、ボールがラバーに引っかかって安定するし、ボールのスピードも遅いから足も動きやすい。速いボールでの練習は足が動くようになってからでいい。

ただ、こういう練習は同じ意識の人でないと成り立たない。私はゆっくりしたラリーが練習になると思っているけれど、相手によっては速いボールでパシパシ打ち合うことこそが練習になると思っているかもしれないからだ。

buriki


いろいろなタイプの人と打つと練習になるというのも真理だと思うが、気心の知れた同士でじゃれ合うような練習をするのもいい練習だと思う。


レシーブの耐えられない単調さ

私にとってイヤなサービスというのは、ドカンと足を踏み鳴らして、身体全体を使って出されるサーブである。
それでこっちが身構えて迎撃姿勢をとると、びっくりするぐらい遅くて短いサーブを出されて、手を伸ばしきって力ないレシーブをするしかなかったりする。
それで今度は短いサーブを警戒していると、同じモーションでとんでもなく速くて深いサーブが来たりする。

次はどっちだ? 長いサーブか、短いサーブか…。こういうサーブは的が絞れず、どうしても受け身になってしまう。

これまではショートサーブを出されたら、私はいつも低くて切れたツッツキなりストップなりでレシーブしようと心がけていたのだが、この間の練習で、とにかく早くボールに触ることを試みてみた。もう、バウンドと同時ぐらいに触ってやろうという気持ちで相手のショートサーブをできるだけ早く返球してみたところ、相手がすごく崩れて甘い返球をしてくれたのだった。

打点が早いあまり、こちらもあまりサーブの回転を吟味する時間がないので、30~40センチほど浮かせてしまうこともしばしばだった。しかし、その早さとボールの飛んでこなさに相手は困惑していたようだ。たとえ浮かせてしまっても、そうそう厳しいボールは来なかった。そうやって相手が早くて浅いストップを警戒してきたら、今度は普段の打点で低くて深いツッツキをお見舞いするのである。

つまり、私がもっともイヤなサーブ――短いか深いか分からないサーブを、レシーブでやってみたわけである。私が身体全体ですばやくボールに突っ込んでいくので、相手は「すわ!速いツッツキがくるぞ」と少し下がって身構えるのだが、予想に反してちょっと浮いた浅いボールが来るので、打とうにも打てない(上手な人にはそこで簡単に打たれるだろうが)
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レシーブは低く短くということばかり考えて慎重に返球していたので、これまでの私のレシーブは相手からすれば単調にすぎたのではないだろうか。そのような単調な打点でのレシーブなので、相手からすればリズムを取りやすかったのだろう。しかし、たとえ浮いてしまっても、緩急さえつければ相手は簡単には打てないというのは発見だった。

これを逆の立場で考えてみると、3球目を待っているサーバーとしては、長ければ打つし、短ければつっつくつもりではいるものの、早い打点で2球目を打たれると、打てるかどうか吟味している時間がない。ギリギリ出るかもしれないボールでも、安全につっついてしまいがちである。そうすると、こちらは4球目で長いツッツキを待てることになる。

多彩なレシーブというのは私には難しいが、単に打点に緩急をつけるぐらいなら、私にもできそうだ。これでチャンスボールが来やすくなるなら、これからレシーブに積極的に取り入れてみるべきだろう。

日本の(推定)卓球人口

「東洋経済」の記事で「卓球「Tリーグ開幕」に漂う大ブームの予感 日本の卓球人口「1000万人」も夢物語ではない」という2017年12/25の記事があって、笹川スポーツ財団のデータやJリーグとの比較で「2030年には卓球人口が663万人の約1.4倍、958万人に増える」可能性があると述べている。

ただし、この「卓球人口」というのは年に1回以上卓球を楽しんだことのある人の数なので、卓球に興味がない人が、温泉でたまたま卓球を楽しんだという人も含まれる。

この記事は卓球に対して非常に好意的に書いてあるので、文句を言いたくはないのだが、663万人という数字は実質的な卓球人口ではない。

結論を前もって述べると、私の推定した日本国内の卓球人口は以下の通りである(追記:中学生の扱いを変更し、数字を大幅に変更した)

A:卓球人口最大41万人
B:熱心な卓球愛好者11万人
C:卓球依存症3000人

Aは実際に定期的に卓球をやっている人の数。Bは卓球が本当に好きな人の数。Cは卓球に取り憑かれている人の数。

私は数字が嫌いである。自慢ではないが、高校時代に数学で赤点を取ったこともある。年をとるにつれて数字に対する不信感は深まるばかりである。

特に「客観的」な統計データというのは、パラメータを調査者が作為的に変えることによって、全く正反対の結果が出ることも少なくない。コーヒーを飲むと癌にかかりやすいとか、かかりにくいとか、あの手の医学的?な調査はスポンサーの意向によってどうにでも変えられるように思われてならない。数字も科学も扱う人によって薬にもなれば毒にもなる。

たとえ悪意がなかったとしても、非卓球人が機械的に出した卓球人口の推計よりも、卓球を肌身で感じている私が推定した卓球人口のほうが実際の人数に近いはずである。卓球人の推定した卓球人口というのは意味のある数字だと思われる。

なんでこんなことを考えたかというと、Tリーグにどのぐらいの人が入るか気になったからである。

Tリーグを観に行く人は、8割がたは卓球人だと思う。9割かもしれない。

非卓球人が会場にわざわざ足を運んでルールもよく知らない卓球を観戦するとしたら、職場関係でチケットをタダでもらったとか、友人・恋人に連れられて観戦に来たような人じゃないかと思う。

現時点でTリーグを観に行く人は相当な卓球好き(つまりBとC)か、つきあいで見にいくような人だろう。

バドミントンの桃田賢斗選手が世界ランク1位の選手を破ってジャパンオープン優勝を成し遂げたのだという。賭博事件のスキャンダルから立ち直り、素晴らしい戦績を残した桃田選手は世界でも有数の実力らしいが、桃田選手と世界トップレベルの選手を集めたバドミントンのプロリーグが仮にできたとして、果たしてどれほどの人が観戦に行くだろうか。私は卓球以外のスポーツでも、卓球の参考になるなら観たいと思うが、電車賃と入場料を払ってまで観に行くかというと、たぶん行かないと思う。タダでチケットをもらって、京都で開催される試合なら、時間の都合がつけば行ってみたいと思うが、それでも行くかどうか微妙である(気が向いたら行くかもしれない)

そう考えると、Tリーグにどれぐらいの客が入るかの推計は実質的な卓球人口からなされなければならない。

以下に上記の数字の根拠を記す。

卓球人口を測る指標として日本卓球協会の加盟人数(H29)がある。これを見ると、348,195人ということである。これは中学の部活で自動的に加入している部員の数字も含まれるので、それほど卓球に熱心でない人も含まれる計算である。35万弱。その一方で協会に登録はしていないので公式戦には出ないが、地方で卓球を楽しんでいる社会人の数も少なくないと思われる。

ちなみに加盟人数の内訳は以下の通りである。中学生が圧倒的に多く、50%近くを占めている。

小学生: 14,630
中学生: 171,893
高体連: 73,694
日学連: 7,712
日本リーグ:190
教職員: 534
一般: 62,553
役員・教職員: 8,116
役員・役員: 8,873

中学生のうちなんとなく部活に入っている人で、卓球なんかほとんどしない人もいるかもしれないが、そういう人も数のうちにいれておく。

一方、社会人で地域のクラブとかで練習しているけれど、協会に加盟していない人はどのぐらいだろうか。
私が地域のクラブに行って、協会に登録していない社会人の割合を考えると…半数は登録していない気がする。高齢者は特にその傾向が強い。都市部には協会主催の社会人リーグがあって協会加盟者も多いが、地方では社会人の協会加盟者の割合はもっと少ないかもしれない。上の内訳のうち、「一般」は62553人ということだが、この倍以上の社会人卓球愛好家がいると思われる。仮に「一般」非加盟者の割合を5割、加盟者の割合を5割としておくと、合計は125106人となる。

協会加盟者に非加盟者の「一般」62553人を追加して410748人。この潜在的な「一般」をどのぐらい取るかで数字が変わってくる。

実質的な卓球人口最大約41万人

といっても、41万人のうち、部活に入っているだけでやる気のない中学生や、やるのは好きだが、観るのには興味がないという人もたくさんいるだろう。このうちTリーグを観戦に行く可能性のある卓球の大ファンと言える人はどのぐらいだろうか。

本当の卓球好きの多くは、youtubeのWRMーTVのチャンネルを登録しているだろう(もちろん登録していない人もいるだろうが)。WRMーTVの登録者は約10万人。ただし、家族で卓球をやっている人なら1世帯で1つのアカウントの登録かもしれない(小学生1.5万人はアカウントを持っていないだろう)。その一方で、一人が複数のアカウントで登録しているかもしれない。さらにWRMのチャンネルは海外の登録者も多いだろうから、それらを考慮すると…国内でWRMの動画を見ている卓球大好きな人は8万人ぐらいだろうか。

ネット利用する卓球愛好家8万人

年配の人でyoutubeなどは見ないけれど、卓球が好きでたまらないという人がたくさんいる。そういう人がTリーグを観戦に来るかもしれない。定年退職して時間に余裕のある人ならなおさらである。こういう人はどのぐらいいるだろうか。

youtubeで卓球動画をほとんど見ないけれど、卓球が大好きな人…これは難しい。地方によってずいぶん雰囲気が違うかもしれない。ネットを利用する愛好家が7万だとすると、思い切り主観になってしまうが、社会人の練習場に10人いたら、3~4人は卓球動画をチェックしていない人がいそうな気がする。8万人の30~40%で、ざっと2~3万人ぐらいいるとすると、実質的な卓球人口の合計は8万+3万で11万人ぐらいだろうか。それを47都道府県で割ると、1県あたり110000÷47=2340人ほど。

熱心な卓球愛好家数約11万人

こういう人は日時や場所などの条件さえ都合が付けば、観戦に行くかもしれない。ただ、電車で片道2時間かけて、3000円近いチケットを購入するとなると、きっかけがないことにはなかなか足が向かないのではないだろうか。

さらに多少遠くても観戦に行く、卓球を愛してやまない、卓球こそが人生、卓球がアイデンティティーになっている最もコアなファンはどのぐらいだろうか。

xia氏のブログのアクセスカウンターを見ると、特別なイベントがない、平常時は1500人ほどが閲覧しているようである。古いデータだが、伊藤条太氏は自身の2009年横浜大会の速報を読んでいた人について「おそらく多くて500人程度だろう」と述べている。

ここから想像するにいつも卓球のことばかり考えている、ピンキチと言えるほどの熱心な卓球人(卓球の実力は関係ない)の人数は全国で3000人程度ではないかと推定するが、あまり自信がない。

卓球依存症3000人

明けても暮れても卓球のことばかり考えている卓球バカ(上級者は案外卓球に対して冷めている人もいるかもしれない)が1県あたり、平均64人ほど生息している計算になる。もちろん人口の多い県なら100人を軽く超えるだろう。人口ランキングではちょうど中間の23位が熊本県176万人、24位が鹿児島県162万人である。これらの県で64人ほど卓球依存症の人がいれば、私の推計が大きく間違っていないことになる。

以上、私が卓球人口をはじき出した道筋を示した。

1県あたり110000÷47=2340人ほどと述べたが、東京や愛知、兵庫のように卓球人口の多い県ではこの倍の4700人ほどの潜在動員数があると思われる。さらに近隣の県の潜在動員数を同数の4700人ほどと試算すると、大都市圏の潜在動員数は9400人ほどとなる。このうちの何割が会場に来るだろうか。

観戦しやすい日時、会場までのアクセス、チケット代などの条件を最高にしたとして、実際に会場に足を運ぶのは2割の1880人としてみよう。一人で行く人は少ないだろうから、非卓球人の友人などを連れてきてくれるかもしれない。小学生は親を連れてくるだろうし、それプラス、スポンサー企業などの社員で半強制的に応援にいかなければならない人もいると考えると、2500人ぐらいはコンスタントに集められるだろうか。3000人収容の体育館というのは少ないから、これだけ入れば大成功だろう。これが沖縄や東北といった地方都市になると、これほどの人数は集まらないかもしれない。ピザ屋のように「2人目は入場料半額!」とすれば、非卓球人の入場が増えるかもしれない。いや、2人目は無料のほうが誘いやすいかもしれない。観客の大半は中高年なので、若い人を惹きつける工夫も必要である。

ちなみに、ウィキペディアなので数字の信憑性は高くはないが、全日本卓球の観客動員数の平均は「2015年度は25300人(7日間、一日平均3614人)」ということである。伊藤氏のスポーツ新聞の記事で今年の全日本は「史上最高の2万8450人」とあったので、今年の平均は4064人ということになる。最終日やその前日は東京体育館のキャパ1万人近く入ったかもしれない。

zennnihon
昨年度?の全日本決勝。張本選手対水谷選手

卓球の熱心な愛好家の2割に訴えることができれば、Tリーグは成功するに違いない(見込みが甘すぎるか?)

なお、BリーグやVリーグの1試合の観客動員数の平均は公称3000人前後らしい。

数字のことばかり考えたので頭が痛くなった。計算ミスがないことを祈る。

Tリーグは盛り上がってきたか――24時間卓球などとからめて

前記事「Tリーグ・プレミアと庶民感情」でツイッターでのTリーグへの危機感について触れたが、Tリーグ開幕をひと月後に控えた現在、Tリーグに対する関心が急激に強くなってきたように感じる。

琉球アスティーダの早川氏とT.T彩たまの坂本氏を中心にTリーグを盛り上げようという熱意が伝わってくる(逆に言うと、それ以外のチームの監督は、顔が見えてこない…)

先日は「24時間テレビ」ならぬ「24時間卓球」というイベントが開かれたのは、卓球人なら知っている人も多いだろう。今までこういう場がありそうでなかった気がする。

このイベントの果たした役割は大きい。というのは、24時間都合がつかない人というのは少ないから、都心の交通の便利なところで行われるイベントなら30分とか60分だけなら参加できる人はけっこう多いと思う。それであのイベントには卓球関係者が多数参加することができたのだと思う。こういう場を定期的に設けることができれば卓球関係者の交流が密になり、卓球界が大きく発展することになるだろう。ちょうど今回はナショナルチームの合宿とかぶってしまったが、日にちを調整すれば、Tリーガーも参加してくれたかもしれない。

私も録画された動画をyoutubeで見てみたのだが、卓球有名人が多数出演し、おもしろかった。
主催者のかたがた、お疲れ様でした。このようなイベントが毎年の恒例行事となることを期待しています。

ただ、少しだけ要望を言わせていただくと、
年をとると耳が遠くなるので、音量を上げなければ声が聞こえにくかった。しかし、大音量にすると、カメラの近くで大拍手や歓声がしばしば起こり、耳に悪かった。
来年はこの点の改善をおねがいします。

さて、だんだん盛り上がってきたTリーグだが、世間の注目度はどうだろうか?

調査方法の詳細はわからないのだが、グーグル・トレンドで過去30日の検索数の統計を見てみると次のようになる。

Tleague
おお! T.T彩たま坂本氏のツイートが8/17、Lili村田氏のツイートが8/26。8/24あたりから徐々に検索される件数が増えてきたように思う。

だが、残念な結果についても触れなければなるまい。例の大坂なおみ選手との比較である。


大坂なおみ


卓球界ではTリーグは盛り上がってきているが、世間的に見ると、注目度は大坂なおみ選手の1%未満なのである。

数字は数字に過ぎないといえば、それまでだが、世間でTリーグに注目が集まるのはまだ先のことになるだろう。それまで卓球人の地道な努力でTリーグを成功に導きたいと思う(私も職場でさりげなくTリーグを宣伝している)




「打てない」ってどういうことだろう?

「Aである」と「Aでない」を分けることが Aが分かるということなのだと

世間で言われるけれど

私は「打てる」ボールと「打てない」ボールが分からない

相手のストップがネットよりもボール2個分浮いた

台から出るロングサーブが来た

どちらも打てるように思える

ストップは下回転がかかっているけれど こういうのを厳しく打つのを見たことがある

ロングサーブはあっという間に私のミドルをえぐるけれど 大丈夫、間に合うはず

思い切り打ってみると なぜかボールはネットにかかったり、オーバーしたり

現実はいつも私に教えてくれる

「それはあなたには打てないボールなんだよ」と

でも私は現実を信じない

何か小さな行き違いがあっただけで ホントは打てるはずなんだ

「根本的に間違っているんだよ」というささやきは 私の耳には届かない

何度も何度も同じミスを繰り返す 私はあきらめず試みる

だって練習の時は入るのだから

「あんなボール打てるわけないだろ」 上手な人に言われて

私はやっと気づく 現実が教えていたことは掛け値なしの本当だったのだと

でも浮いたストップをツッツキで返すのは地味だ

「台から出るサーブは打て」と聞いたことがある

やはり打てるんじゃないか?

現実はいつも私に教えてくれる

「それはあなたには打てないボールなんだよ」と

私は打てるボールと打てないボールが分からない

どうすれば打てるのだろう?

でもこのボールはきっと打てるはず

花はくれない、やなぎは緑――アープ卓球通信のPVから

前記事「しっとりした打球」で山中教子氏の主唱するARP理論の動画をとりあげたが、ARP理論というのはどういうものなのだろうか。あまり販促に興味がないのか、情報が少なく、たとえば高島規郎氏や平岡義博氏のような著名な卓球指導者と比べて卓球界であまり話題にのぼらない(私が知らないだけ?)が、私にはゆかしく感じられる。

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力を抜いてリラックスした自然体での卓球を推奨するのは、体力の衰えた中高年に合っているように思われる。中高年が体力のある若い人と同じような豪快な卓球を目標としていたら、身体を壊してしまう。中高年初中級者の卓球というのは、全国大会を目指している限られた人たちの卓球と同じであるはずがない。勝つための卓球理論や練習法というのがあってもいいとは思うが、それは厳しい練習を必要とし、週に最低5日は練習しなければならないだろう。そういう全国を目指す卓球ではなく、週に1~2回しか練習できない中高年の、楽しむための卓球理論というのも必要だと思う。アープ理論はそういう楽しむための卓球に適しているのではないか(と私は勝手に思っている)

とはいっても、私はアープのDVDを持っていないので、サンプルビデオを見てこの理論の要点を想像してみようと思うのである。それにDVDなりを購入していきなり「正解」を知ってしまったらおもしろくないではないか。ビデオ中の断片的な映像や言葉から、アープ理論がどのようなものか想像するのがおもしろい。

というわけで、ここで私が考えたことはあくまでも私の思い込みであって、「正解」ではないことをお断りしておく。また、引用も私なりの補足・要約があり、正確ではない。

ビデオ(1)

フォアドライブ連打。十分引き付けてから打球し、腕の力も抜けており、ボールとラケットが「ケンカ」していないのが分かる。
山中氏は連打中に動きが止まっていない点がポイントだと言っているようだ。

ビデオ(2)


「頭がボールを追うのではなく、骨盤と床が水平移動するように重心を移動させる」
身体の中心軸が傾いて、頭から先に動き出すような移動の仕方を戒めているようだ。そういえば私はフォア側の遠いボールを打とうとしてとっさに頭を先に出してしまうことが多いが、そうではなく骨盤から先に動かすのがいいということである。上半身から動かして、下半身はあとからついてくるという理論もあるかとは思うが、身体の中心である骨盤を先に動かそうという意識は納得できるものである。

「無意識に中心軸に乗って失敗している人がいるかもしれない」
骨盤をまず移動させる意識でということなので、中心軸をつねに意識して移動するのかと思ったが、軸がずっと中心ではなく、重心を左右に移動させるのがいいということだろうか?


ビデオ(3)

「軸を立てて全身を使っていけばボールが見えて腕の力が抜ける」

右利きがフォアハンドを打つ場合、右足に軸を作り、次に左足に重心を移動させる。すると、右腕の力が抜けるので、そこでフォアハンドを打つということだろうか?軸の移動を先にすれば、小さな力でフォアハンドが早く振れ、次の動きにも連繋しやすいかもしれない。

「腕のスイングが先になっていると、上手にはならない」
「手で時間を合わせる、手で打とうとする、手で加減しようとする、そうすると上手になっても悩んでばかり。(そうではなく)全身を上手に使っていこう」

本当にそうだと思う。腕でタイミングを合わせたり、力加減を変えたりしようとすると、ミスにつながる。腕の力をずっと抜いていたい!しかし現実はつい腕に力が入ってしまう。

ビデオ(4)


「(フォア前フリックは右の)かかとから入って指が効く、(右の)かかとに(重心を)移して(かかとが上がる)、(右足を後ろに引いて、左の)かかとが上がって、左へ体幹を回しながらスイング」
「右の軸に乗って、左足のかかとから左軸に移動していく」
「これがフォアフリックからフォアドライブへの連動」
「かかとという目安(基準)があれば身体を持っていくことができる」
「基準があいまいなままだと、いくらやってもうまくならない」

ここでは足の具体的な使い方が説明されている。踵という基準で身体の動きを決めるというのは分かりやすくてすぐにでも自分の卓球に取り入れられそうだ。なんとなく身体を使って打つのではなく、動きはじめの基準を作るのはいいアイディアだと思う。

ビデオ(5)


「身体の左右が連動して軸移動すること」
「右足に軸を作って、左足に軸を移動させる。当たり前だが、これができていない人が多い。」

台上では右足のかかとから着地し、つま先でふんばった瞬間、左足に重心を移動させるという基本動作がいいとされる。

「(ラリー中)必ず足は動いている。一球ごとにかかとから着地(アジャストステップ)し、つま先を利かせて打球、重心は左足へ。」
「左右を連動させると、身体の芯で打つことができる」
「どこにも力が入っていない、身体の使い方が自然体だから」

「身体の芯」という表現が興味深い。腕の力でスイングスピードを上げるのではなく、身体全体の動きでスイングスピードを上げることを意味しているのだと思う。

ビデオ(6)


「タッチが分かるとスピンが分かり、スピンが分かると軸の移動が分かる。これが本格的卓球の道筋」

タッチの優先順位が高い。これは前記事「しっとりした打球」(あるいは3hit理論)で考察したボールが当たる瞬間に力を入れるタッチを指すのだと思う。私もこのタッチが安定した卓球の基本だと思っている。ただ、上級者の中にはこれに当てはまらない打ち方をする人も多い。


ビデオ(7)


「フォームではなく、タッチこそが基本」
「フォームに合わせて身体を動かそうとするから無理が出る」
「今、『点』が見えたよね?」「はい、見えました」

フォームに合わせようとするのではなく、「点」に合わせようとするのがいいのだという。この「点」が何を指すのかはっきり分からない。

ビデオ(8)


「ラリー中心の基本練習と実戦的な練習は全く違う。時間やタイミング、作戦の要素が入ってくる」
「レシーブしたら、すぐ戻らなければいけないというのが常識。しかし、それは実戦ではできない。間に合わないから」
「(こちらが)打ったら、返球されたボールに合わせて「タッチ」する。その時にボディーワークで身体がついていく。特に足の運動をつけていってあげると、タッチで打てる」

ここで言う「足の運動」というのは、上に挙げた、かかとから着地し、つま先でふんばっておいて、左足に軸を移動させることを指すのだろうか?


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以上、断片的な情報からアープ理論の主張について考えてみたが、要点を私なりにまとめれば以下のようになるかと思う。

・タッチが最も重要、次にスピン(これがあいまい)、次に軸移動(下半身)
・ボールを弾き飛ばさない軽いタッチを重視
・軸移動によって身体全体を使う
・移動時は腰骨を中心に、頭はずっとまっすぐ立っている
・身体のどこにも力を入れない(特に腕)
・特定の部分に力を入れないから、体勢が崩れない

世間で注目される、勝つための卓球理論とは必ずしも同じではないかもしれないが、こういう年齢を問わず実践できる卓球理論は高齢化が進む日本では大きな意味のあることなのではないかと思う。

【付記】
北海道の停電が9日現在、ほぼ復旧したようだ。
まだ不便な生活を送っている人も多いが、ちょっと明るいニュースだった。
北海道の一刻も早い復興を願っている。


心に刺さることば――賢二選手の対談を見て

卓球大好きな読者の皆さんはすでに「むらじの部屋」(松平賢二選手との対談)全4回をご覧になったかと思う。

 
https://www.youtube.com/watch?v=RDecMXT2w00

これですよ! これこそ私が求めていたトップ選手による情報発信である。
前記事「送り手と受け手のギャップ」でトップ選手ならではの卓球観を発信してほしいと主張したが、賢二選手の動画にはそのような情報が溢れている。どういう練習をしてきたか、転機となったのはどんなできごとか、ライバル選手の強さの秘密、卓球の難しさ等など。

kenji

単に情報の価値が高いというだけでなく、賢二選手は話がうまい。頭もいい。それは聞き手の村田氏にも言えることだが、この二人の対談を多くの卓球人が待ち望んでいたのは動画のコメント欄からもうかがえる。なんならTリーグに村田氏をゲストで呼んで、「むらじの部屋」をTリーグ会場でやってもらえれば、試合に花を添えることになるのではないだろうか。こんなおもしろい対談をyoutubeで無料で配信するのは、ありがたいが、ちょっともったいない気がする。

それはさておき、内容についてであるが、私の心に突き刺さるようなすばらしい言葉がたくさんあった。そのうちのいくつかを紹介したい。

「フットワークはいつの時代も必要な練習」
「大切なのはサーブとフットワーク練習」

やっぱりフットワーク練習は大切なんだなぁ。「フットワーク練習は自己満足に過ぎない」などという意見も聞いたことがあるが、そう言う人はおそらくフットワーク練習をやり尽くして、もう練習の必要のないぐらい極めてしまった人なのだろう。賢二選手がやりこんだ練習はフットワークとサーブだという。いくらフットワークがよくても、最初のサーブがまずくて相手に主導権を握られてしまうなら、フットワークを生かすこともままならないということなのだろう。そういえば先月号の『卓球王国』で水谷選手も基本的なフットワーク練習を勧めていたっけ。

また、賢二選手はロングボールから始めてフットワーク練習をするのではなく、レシーブや3球目から始めてフットワークにつなげる練習がより効果的だと述べている。私もいつか「吐くぐらい」フットワーク練習をしてみたいものだ。

「ブロックできたらレシーブもうまくなる」
「そんな厳しいレシーブしなくてもいいという安心感が生まれると、変なミスが減る」

レシーブが下手な人はブロックに自信がない人が多く、3球目を相手に打たれるのを過度に恐れているためレシーブを厳しく返そうとしてミスしてしまうのだという。逆にブロックが上手なら、相手のサーブをとりあえず入れておけば、次でブロックできると思えるので、プレッシャーのない、力の抜けたいいレシーブができるのだという。
これはツッツキにも言えることだろう。ツッツキというのもブロックとセットなのだと最近よく思う。ツッツキはどうしても打たれてしまうので怖いと以前は考えていて、台上ではツッツキを避けてストップやフリックばかり使っていたのだが、ブロックがきちんとできればツッツキを送るのはそれほど怖くないということが分かってきた。ツッツキが深く、速ければ、あるいはコースがよければ、そんなに厳しく打たれることはまずないからである(私のレベルでは)。そう考えると肩の力が抜けて、リラックスしてツッツキができる。そうするとツッツキの質も高くなり、相手に厳しいドライブを打たれることも減る。相乗効果である。


「今の時代ストップ・ツッツキが大事」

ふつうの人のストップは入れるだけなのであまり切れていないが、馬龍選手のストップは非常に切れているので、それをネットにかけまいとこちらがちょっと余裕を持って面を開け気味にして返すと、回転のかかり具合によっては、ほんのちょっと浮かせてしまう時がある。それを一発で持って行かれるのだという。先手を取るというのはこういうことなのだと気づかされた。相手の台上が上手く、なかなか先手を取らせてもらえないとき、相手のちょっと浮いたボールを台上でドライブできるというのは私のレベルでも練習する必要があるかもしれない。
馬龍選手はチキータやフリックをあまりせず、ストップやツッツキでオーソドックスな卓球をするので隙がないのだという。まず相手に軽く打たせて、それを待ち構えて強打でしとめるらしい。こんな卓球を私もやってみたいが、そのためにはストップとツッツキの質を高めなければならない。

他にも岸川選手の天才的なボールタッチや中国選手の用具の「仕上がり」、「ボールを食ってる感覚」など、興味深い話題がいくつもある。まだ見ていない人にはぜひ視聴をおすすめしたい。

嵐の京都

台風の接近で仕事が休みになり、うちで徒然なる時間を過ごしていると、ブログでも書いてみようかという気分になってくる。

なんだか最近、更新が多いなぁ。週に2回ぐらいのペースだ。なかなか練習ができないフラストレーションがそうさせるんだろうなぁ。

卓球がうちで一人でできたらなぁ…。

しかし、ビデオゲームのようにうちで一人で好きなだけ卓球ができるなら、私は絶対引きこもりになってしまうだろう(前記事「魚、水中にありて水を知らず」)。

一人では練習できない卓球に、そして二人いれば練習できる卓球に感謝!

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なんか風がすごいことになっている。
雨は大したことないのだが、今まで経験したことのないほどの暴風が京都を襲っている。
家の前の街路樹の枝が何本も折れているし、ガラス窓が風圧で歪んだりしている。
風による地響きが聞こえる。
これでは住宅への被害はかなり出ているはずである。
ネットのニュースを見ると、大阪の関空のあたりでも被害が出ているらしい。

これから北陸、東海地方へと台風の中心が移るということだが、みなさん十分に用心してください。
台風一過

16時過ぎ、ようやく台風が通り過ぎ平穏が戻った。

送り手と受け手のギャップ――卓球選手のツイッターから

アジア大会2018が終わった。
日本勢は残念ながらメダルなし。男子団体ではインドチームに敗退するという番狂わせもあった。
アジアは卓球のレベルが高いので、一軍の選手を欠いたメンバーならこの結果もやむを得ないところだろう。そうでなくても大きな大会というのは何が起こるか分からないものだ。

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私は上田仁選手が大好きである。

京都府出身というのもあるが、性格的にも浮ついたところがなく、実力的にもきちんと結果を残してくれるので、日本代表の精神的な支柱といっても過言ではない。

その上田選手のツイートにこんなものがあった。

bikkuri

「インドツイート」というのは下のツイートを指すのだろう。

indo

「思いのほか反響があって」というのはどういうことなんだろう。
私は全く「思いのほか」ではないと思う。
格下のインドチームに敗退するのは何かわけがあるはずだ。しかし、一般人はどうして日本チームが負けたのか分からない。その、いわば種明かしをしているのが「インドツイート」ということになる。

”インド人は子供の頃にまずブロックを学び、ミスせず台に入れることを重んじるため、ブロックの質が高い。ブロックがインド卓球のおいては基本であり、攻撃はそれができた上で身につける技術である。”

敷衍すればこうなるだろうか。

こんな意味のあるツイートが反響を呼ばないわけがない。呼ぶべくして呼んだ反響なのである。

このツイートを見た一般卓球愛好家は、「攻撃よりも、まずミスせず入れることが大切なんだ。その意識で練習を積めば、格上の日本代表にさえ勝ててしまうんだ」ということを学んだだろう。あるいは自分の卓球にもこの意識で臨もうと決心した人もいるかもしれない。こんな有意義なツイートはなかなかお目にかかれるもんじゃない。さすが上田選手である。

しかし、上田選手はなぜ「思いのほか」だと思ったのか。私は想像をたくましくしてこんなことを考えてしまう。

トップ選手は、自身のどんな情報発信が歓迎されるか知らないのではないかと。

前記事「もしかして卓球に飽きちゃった?」でトップ選手のブログのトピックにイライラするという記事を書いたが、こう思うのは私だけだろうか?みんな卓球選手のおススメの店とか、卓球選手の週末の過ごし方に興味があるのだろうか?私なら、「きのう××ちゃんと飲みに行った」「最近のマイブーム」といったツイートには全く興味がない。読もうとも思わない。郵便受けに毎日入っている不動産広告のようなものである。そうではなく、私は上田選手のツイートのように卓球の奥深さを教えてくれるようなツイートを切望している。

なんなら、終わった試合を振り返って感想戦をやってもらえるなら、これにすぎた喜びはない(前記事「本人による解説」)。

末を見ればこそ事はゆゑあれ――バルサミコ氏の分析から教わったこと

年配の女性と卓球をしていたとき、ミート打ちを多用して安定しないので、思わずアドバイスしてしまった。

しろの「そんなに速いボールを打つ必要はないですよ。ドライブをかけてゆっくりと山なりのボールを打てば、相手に打たれることはそうそうないですよ。弾いてミスを連発するより、ドライブで安定性を重視したほうがいいんじゃないですか?」

女性「私、ドライブってかけられへんねん。こすって打とうとしても、どうしても弾いてまうんやわ。」

中高年から卓球を始めた女性の中にはドライブがかけられないという人がけっこう多い。それで何の不足も感じておらず、卓球を楽しんでいるようなので、それはそれでいいのだが、こする感覚が分からないというのはどういうことなんだろう?

そういえば、表ソフトを使っている人も同じようなことを言っていた。

「お前はこする感覚がないから、表ソフトに転向せい言われて、表ソフトになったんです。」

最近、卓球の「感覚」ということがよく言われる。やみくもに長時間練習するより、まず「感覚」を身につけるのが先決なのだと。

私も最近フォアドライブの打ち方を変えて、新たな感覚を覚えたように思う。それは言葉では説明しにくいが、小さな力で速いボールを打つ感覚なのである(前記事「しっとりした打球」)。バルサミコ氏の3hit理論に近いものかと思い、氏に指導を乞い、氏のドライブに対する考え方を伺ったのだが、お医者さんだけあって非常に鋭く、分析的であり、いろいろな発見があった。

使われる用語が難解で、中年の衰えた脳では正確に理解できたとは言い難いのだが、簡単?に説明すると以下のようになる。

・腕は直角ほどに曲げたまま
・バックスイングは小さく(もちろん体幹のひねりをつかって)
・肩につながっている腕の骨をほんの少し回す意識で
・ボールをギリギリまで引き付けてから力を入れる
・スイングの円運動がボールに対して横方向に向かうところでインパクト(前方向への力をできるだけ加えない)
・ラケットの当てる位置は下半分
・スイングは水平気味に(バックスイングでラケットを台より下げない)
・ラケット面はあまり伏せない
・フォロースルーは小さく


以上は上半身。下半身のほうは…割愛。

細かい…。

下半身も同じぐらいの情報量があるので、よほど打法に相当興味のある人でなければ、頭の中でイメージしようとは思わないのではないだろうか。

私はこれが「感覚」の正体だと思った。

冒頭の年配の女性がこれらのチェックポイントをすべて満たして打った場合、おそらく私の感覚とかなり近い感覚でドライブが打てるに違いない。「感覚」というものは、言葉で説明すると細かすぎてかえって混乱してしまうことをあえて説明しないで学習者の主体的な気づきに委ねることだと思うのである。

「どうすれば人間関係がよくなりますか?」
「相手に対する『愛』を持つことだ。」

というときの「愛」に似ている。人間関係をよくするためのルールを挙げればキリがない。言葉遣いに気をつけるとか、いつも笑顔で接するとか、約束や時間を守るとか、相手をむやみに否定しないとか…。そういうものをルール化しようとすれば、膨大な情報量になるので、あえて説明せずに「愛」とだけ言って、具体的なことは自分自身で探させるわけである。同様にドライブを打つにはどうすればいいかという初心者の問いに対しては言葉で細かく説明せずに模範を示して「『感覚』を身につけなさい」と、自分自身で気づかせるような指導が行われているのかと思う。

自分で模索しながら身につけるわけだから、紆余曲折がある。人によってはなかなか正解にたどり着けないこともあるだろう。しかし、それを20ぐらいのチェックポイントを設けて指導すれば、誰でも最短距離でゴールにたどり着くことができる。長い間、卓球を休んでいて「『感覚』がない」という社会人がいる。「感覚」を取り戻すために基本練習を長期にわたって繰り返し、やっと「『感覚」を思い出してきた」となる。しかし、その20ぐらいのチェックポイントを一つ一つクリアしていけば、長期間の基本練習や「感覚」のことを考えなくても、かつてと同じようなドライブが打てるようになる。卓球の「感覚」という言葉は必要なくなる…?

バルサミコ氏の解剖学に基づく打法の考察というのは、「感覚」という概念であいまいに捉えていたものを、論理によって洗いざらい明らかにすることかなと思う(徹底的にやろうとすれば相当な情報量になる)

同様に「調子」というあいまいな概念も、論理によって白日の下にさらされることになる。「なんか今日はフォアドライブの調子が悪いなぁ」というとき、やはり数十のチェックポイントのうちのいくつかが満たされていないためにミスが起こったということが分かる。「今日は調子が悪い」ではなく、「ポイント3,6,8が今日はうまくできない」となる。結果があれば、当然、原因がある。不思議なことは何もない…。

ナウシカの地下室
そういえば東京に行ったとき、ジブリ美術館に行けばよかった

ただ、文系の私としては、もし卓球の打法の全てが解剖学的に記述され尽くしてしまうとしたら…一抹の寂しさを覚えるのである(単なる感傷であり、もちろん、氏の姿勢に批判的なわけではない)

Tリーグ・プレミアと庶民感情

今、私は自分と戦っている。
このラケットに一目ぼれしてしまったからなのだ。
nostalgic alround
ノスタルジック・オールラウンド PAC

スティガの中ペンって、ブレードが大きくて、グリップがぶっとく、日本人の手には大きすぎるんじゃないかと思って敬遠していたのだが、このPACというグリップは細くて握りやすそうではないか。
ブレードの大きさも極端に大きいわけではない。国際卓球のページによるとブレードの大きさは160mm×150mm。私はアコースティック・カーボン・インナーCを所有しているが、それよりもブレードが1ミリずつ小さい。SK7-CSやインナーフォース・レイヤーALC-CSよりも縦が1ミリ小さい。むやみにブレードが大きいわけではない(ちなみにアコースティック・カーボン・インナーの打球感は、手に響かず、最高である)

そして色遣いのなんと上品なことよ。実物は分からないが、写真で見る限り、実売8000円ほどのラケットには見えない。実売1万円以上の高級ラケットに見える。しかも、ネットの評判や試打動画などをみると、このオールラウンドは好評である。さらに卓球応援団で28日までセールをやっているではないか。スティガのラケット4割引き!これはチャンスである。

待て待て!今まで何回これを繰り返してきたんだ?うちにどれだけラケットがお蔵入りしていると思ってるんだ!アコースティック・カーボン・インナーCも4~5回打っただけじゃないか。和の極み蒼だってそうだ。インナーフォース・レイヤーZLCにいたっては一度もラバーを貼らず箱に入ったままだぞ!他にも何本ラケットが眠っていると思ってるんだ!

それはそうなのだが、ちょうどF面のラバーを買い替えたいと思っていたし、接着剤ももうすぐなくなるし…ついでにノスタルジックを買ったらお得なんじゃなかろうか。ラバーも白茶けてきたし、接着剤とかラバークリーナーはどうせ要るものだし…。

卓球人の物欲は果てしない。ラケットが10本あれば実用的には十分すぎるほどだが、それでもカッコいいラケットが出れば買ってみたいというのが人情である。ラケットが1本5万円とか、10万円となると、それほどたくさんほしいとは思わないが、1本数千円~1万円という手の届く価格帯なら庶民の物欲を大いに掻き立てる。

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前記事「俺たちのTリーグ」では、地方の社会人の動画を取り上げたが、今回は本物のTリーグ・プレミアについての記事である。ツイッターを見ていると、Tリーグについて心ある人は警鐘を鳴らしている。

たとえば、LILIの村田氏
murata

https://twitter.com/yuhei25lili/status/1033630981670887424

たとえば、坂本竜介氏
sakamoto
https://twitter.com/ryusukesakamoto/status/1030381012549685249

Tリーグが初年度で大いに盛り上がり、メディアに注目され、観客がたくさん入れば、今様子見をしている選手やら企業やらも雪崩を打って参入してくるに違いない。逆に初年度で鳴かず飛ばずだったら、様子見している人は興味を失うだろう。

もし、Tリーグの興行が失敗した場合、誰が責任を取るんだろうか。

「がんばったけど、うまく行かなかったね。」

で終わり?

結局誰も責任を取らないままフェードアウトしてしまうのだろうか。

前記事「卓球プロリーグについて」でも述べたが、私は一流選手を集めただけで観客が呼べるかどうか疑わしいと思っている。多くの卓球人は自分の卓球に役立つものなら興味を持つが、雲の上のトップ選手の試合にはさほど興味がないという人が多いのではないかと思う。初めは物珍しさで1~2回観に行く人も多いかもしれないが、3回以上会場に足を運ぶ人がどれほどいるのだろうか。というか、村田氏の言うように卓球人以外の層を取り込まなければ成功したとはとても言えないだろう。

「なんとかなるさ」

でいいのか?

今、日本は卓球ブームだというが、この程度で満足していていいものだろうか。もしTリーグがこけたら、卓球ブームも頭打ちになり、これ以上は盛り上がらないだろう。逆にTリーグがうまくいけば、卓球ブームはさらに広い層にまで浸透するに違いない。このチャンスを逃したら、この先30年はプロリーグなんてできないだろう。今がチャンスなのである。これに乗らずしてどうする、卓球メーカーさん!

私は資金援助はできないが、アイディアで支援したいと思う。

もし、会場に卓球メーカーのブースが並び、「全品40%引き!」となっていたら、どうなるか。

「そういえば、欲しいラケットがあったんだよなぁ。ラバーもくたびれてきたし。Tリーグを観に行くついでに用具を買ってこよう。」

という人も多いのではないだろうか。庶民は「ついで」とか「お得」という言葉に弱いものである。Tリーグに3000円(と交通費)を払っても、欲しい用具が4割引きで買えるなら、「お得」だと感じるはずである。そうやってとにかく観客に足を運ばせることができれば、定着するファンも増えるかもしれない。卓球メーカーさんとしては4割引きというのはいろいろ厳しいかと思うが、先行投資だと思って卓球界を挙げてTリーグの盛り上げに協力してほしいものである。

でも、これだけでは、卓球人には訴えることができるかもしれないが、非卓球人には訴えることができない。非卓球人に訴えるために会場内で全農が国産野菜格安セールをするとか、スヴェンソンが無料育毛診断をしてくれるとか、村田氏の言うように人気グループに司会を任すといった「お得」があれば、「ついで」に卓球を見てもいいという人も多いだろう。

以上、私なりにTリーグの成功のためにまじめに考えてみたのだが、いかがだろうか。

しっとりした打球――ラケットの当て方

試合での一コマ。

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相手の横下回転ロングサーブを回り込んでドライブしたが、持ち上がらない。

「たぶん手打ち気味だったので、スイングスピードが遅くて持ち上がらなかったんだろう。次こそは!」

今度もまた横下ロングサーブ。今度は万全の態勢で回り込んで、渾身の力でガッと思い切りフォアドライブ!
明らかにさっきよりも力がこもっているはず…なのにネットをかすめてギリギリイン。

「ネットを越えたのはよかったけれど…。なぜだ?あれだけ力を込めてドライブしたのに。スイングスピードだって前のドライブよりも速かったはず。練習の時ならあのぐらいのロングサービスは簡単に持ち上がるのに、どうして試合になると持ち上がらないんだ?」

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youtubeでなんとなく卓球動画を見ているとき、「アープ卓球通信」のプロモーションビデオが目に留まった。なんとなく見てみたら、腑に落ちたので紹介したい。


実戦に強くなる!

「レシーブしたら、早く戻らなきゃいけないっていうのが常識的に言われてたんですが、実際にゲームになったら、それはできません。」
「ほんとに基本的なラリーは(フリックを)打ったら、飛んでくるボール(相手の返球)に合わせてもう一回タッチするんです。そのときボディーワークで身体がついてくる。」
「レシーブしたら、相手のボールが返ってくる。返ってくるのを見ながら、タッチして、そこから全身を特に足の運動をつけていってあげると、間違いなくタッチで打てちゃう。」
「ボディーワークも無理にガッと構えてないから力が入らない。流れてる。ボールに乗っかってくような感じで打ってけるでしょ。」

arp
このように次球に備えてガッと身構えると、ミスするのだという。

前記事「ARP理論」で山中氏の卓球理論を紹介したが、あのときはただ「リラックスしてて楽しそうだなぁ」程度にしか考えていなかったのだが、今なら山中氏の言わんとすることが理解できるような気がする。なお、私はARPのDVDを見たこともないし、講習会に参加したこともないので、山中氏の理論を正確に理解しているわけではない。あくまでも私なりの理解であることをお断りしておきたい。

山中氏は力を抜いて打つということを勧めているのだと思うが、「タッチして」から「全身」の動きを伴わせると流れるように、楽に打てるのだという。

そういえば、前記事「ボールをいたわってあげなされ」で羽佳純子氏の講習会のエピソードを紹介したが、羽佳氏も「ボールとケンカしちゃダメ」と言っていた。これも山中氏の主張に通じるものがあるのではないだろうか。つまりボールに触れる瞬間はやさしく「タッチ」するように触れるのがいいということである。

バルサミコ氏の提唱する3hit理論というのも、これに近いものかと思う。3hit理論というのを私が正しく理解しているのか怪しいが、氏の言葉を借りれば「ボールとラケットの距離が3cmになるまで待つ」「しっかり待ってちょっと振る」ということである。

相手の下回転のボールが飛んできた。それを頂点をちょっと過ぎたあたりの打球点でドライブしようとタイミングを測るのだが、ボールから30センチ、いや40センチ以上離れた距離からガッと力を込めてしまうと、ボールを弾き飛ばして、あるいはボールが滑ってしまう。

そうではなく、ボールがラケットに触れるか触れないかの瞬間にスイングを加速させると、不思議とボールは落ちない。当て方によってはインパクトの音もピシィと鋭い音がする。このような感覚を喩えて言うなら、「しっとりした打球」である。ボールがラケット面に貼りついて飛ばされていくように感じるからである。逆にボールと離れたところから加速を始め、ボールと「ケンカ」してしまう状態は言わば「乾いた打球」である。力を入れてもボールが落ちるからである。

ARP理論でいう「タッチ」してから「全身」を伴わせるというのは、言い方を変えれば、「当たってから全身で打つ」ということではないだろうか。ただ「足の運動をつけていってあげる」というくだりは何を指すのかよく分からない。


ARP理論についての記事を書いたのが2013年。
そしてそこで言われていることが最近になってようやく理解できたように思う(たぶん)。あのときと比べると、私の卓球の実力も近所の中学生レベルから近所の高校生レベルぐらいには進化したと思う。しかし、上級者への道はまだまだ遠い。

ボールの威力を上げるために――低性能ラバーでの卓球

卓球で威力のあるショットを打つにはラバーにこだわらなくてはいけないのだろうか。

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私の裏ソフトラバーに対する認識は、いたってシンプルである。

A 高性能ラバー:テナジーやファスターク、ラクザXといった各社の看板ラバー
B 中性能ラバー:ベガやファクティブ、ライガンといった比較的低価格のラバーや柔らかめのテンションラバー
C 低性能ラバー:スレイバーやマークVといった高弾性ラバー
D その他のラバー:中国ラバーや入門者向けラバー(オリジナルとか、レトラとか)

用具に詳しい人にとってはAの高性能ラバーとBの中性能ラバーは全く違うだろうし、高性能ラバーの中でもいろいろ違いがあるのかもしれないが、私にはAとBの違いがあまり分からない。特に使い古して引っ掛かりが弱くなってくると、その傾向はますます強くなる。

今、私が使っているラバーはフォア面がAの特厚、バック面がCの中である。Aは表面が白茶けてきて、ずいぶん引っ掛かりが弱くなっている。こういう状態になったら、以前なら早めに新品に替えていたのだが、今回はしつこく使い続けている。というのはドライブの打ち方を変えたことによって、引っかかりが弱くなってもあまり打球に影響がなくなったからなのだ。以前は薄くこするような打ち方だったので、引っ掛かりが弱くなると、滑るような気がして心もとなかったが、最近はぶつけるような打ち方のドライブを打つので使い古したラバーでも最低限のひっかかりがあれば打球にあまり影響がない。そしてバック面にはCの高弾性ラバーの、中を使ってみた。これはたまたまうちに保管してあったのを、使わないままだったら、もったいないと使ってみたのだが、なんだ、全然いけるじゃないか。

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Cのラバーの代表格「マーク・ファイブ」。
30年以上前だったら、今のテナジーのような位置づけだったのだが。


初めてAやBのテンション系ラバーを使ってみたときは、その許容度の高さに驚いたものだ。Cのラバーなら落としてしまうボールもテンション系なら入ることが多いし、打点を問わずビュンとスピードのあるボールも行きやすい。それ以来、Cのラバーを顧みることがなくなってしまったのだが、今、あえて低性能ラバーを使ってみると、勉強になる。打ち方が正しければ入るし、正しくなければ入らないというのがはっきりしているからである。下回転打ちやブロックをする場合などはそれが顕著で、早すぎる打点でドライブなりブロックなりをしたとき、AやBのラバーなら入っていたボールがCのラバーだとネットにひっかけてしまうことがよくある。それで打点をしっかり意識しながらドライブやブロックをするようになる。裏面ドライブを打つ場合でも頂点前の相手のボールの威力が残っている間に(つまり、軽くカウンターのように)当てると、CのラバーでもAのラバーと遜色ないスピードのボールが打てる(前陣なら)が、打点を落としてから打とうとすると、あまりいいボールが出ない。相手のボールの力を借りるのを「借力」と、中国卓球で言うらしいが、Cのラバーを使えば相手のボールの力を借りた時と、借りない時の違いがはっきりと感じられる。Cのラバーというのは適切な打点を知るのに非常に有益だと再認識した。

前記事「ボールの生き死に」で「生きたボール」について考えてみた。そのとき私は試合で打たれるような「スピンや勢いのあるボール」を「生きたボール」としたのだが、今回は向かってくる勢いの強い、頂点付近までのボールを「生きたボール」とし、頂点を過ぎて、勢いを失いつつあるボールを「死んだボール」と考えることにする。

性能の低いラバーで威力を出すためにはどうしてもボールが生きている間にボールの勢いを利用して打たなければならない。AやBのラバーを使うようになってから、このボールの生き死にについてあまり気をつけなくなってきたように思う。しかし、Cのラバーを使うようになってから、どうしてもボールの生きているうちに打球しなくてはと思うようになった。

ラバーの性能というのは、諸々の条件で変わるので、常にA>B>Cの順にいいボールが打てるというわけではない。Cのラバーでも、全身を使って最適の打点でドライブを打てば、Aのラバーで下手な打ち方をしたときよりもよほどいいボールが出る。最近、打球タイミングのシビアな中国ラバーを好んで使う人が増えているが、もしかしたら、そういう人の中にも私と同じ意識の人がいるかもしれない。

そういうことを思い出させてくれたCのラバーをこれからもしばらく使い続けたいと思う。

もちろん、どのように打てばいいボールが出るかという基準がはっきり分かっている中上級者なら、わざわざCのラバーを使う必要はないだろうが、基本のできていない初中級者はCのラバーをあえて使うのもアリだと思う(前記事「諸刃の刃」)。

毎年いろいろなラバーが各社から発売され、世間でも「ラバーXよりも、ラバーYのほうが威力が出る」「いや、回転はYよりもZのほうがかかる」などとかまびすしいが、本当にそうだろうか。絶対的な性能でいえば、そうかもしれないけれど、初中級者にとっては、ラバーをより「高性能」なものに変えるよりも打ち方や打点を改善したほうがよほど威力が増すのは明白である。初中級者の打ち方は未発達で伸びしろが大きいからである。マークVを全日本に出るような上級者が使えば、テナジーを使っている初中級者よりもずっと威力のあるボールが出ることは想像に難くない。上級者は用具を性能の限界近くまで使い切れるだけでなく、全身の力を効率的にボールに伝えられるからである。

初中級者がラバーの絶対的な性能によってボールの質を上げようとすると、自分の打法の改善のほうに目が向かなくなりがちで、かえって上達が遅れてしまうことにもなりかねない。


守備練習のありがたさ

連日の猛暑で熱中症で倒れる人が続出という報道をよく耳にするが、3~40年前と比べて日本の気候はそんなにも変わってしまったのだろうか。たしかに数字の上では現在のほうが暑いのかもしれないが、私にはそういう実感があまりない。3~40年前の日本だって夏の暑さは相当なものだったと思う。おそらく昔と違ってあちこちにエアコンのある環境が当たり前になってしまったので、肌寒い部屋から急に炎天下の屋外に出るといったことを繰り返した結果、人体の体温調節機能が未発達な子供が増えているのではないだろうか。昔の子供は暑いのが当たり前の環境の中で鍛えられていたので、暑さに耐性ができていたように思う(もちろん昔も熱中症で倒れた子供はいたが)
長刀鉾
今年の祇園祭(前祭)も暑かった
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今日はお世話になっているNさんのお宅にうかがって、昭和の東山高校の練習についていろいろお話をうかがった。

しろの「Nさんが高校1年のときはどんな練習をしていたんですか?」
Nさん「7月までは球拾いとトレーニングしかやらんかったんや。先輩が練習してる台の後ろで中腰になってな、ボールが飛んできたら、それをサッと動いてキャッチして、すぐに先輩に渡す。キャッチし損ねたりしたら、部活が終わってから正座で説教や。それで7月までに部員の半分がやめてしもた。」
し「つまり3年生が引退するまでボールを打たせてもらえなかったということですね。」
N「そうや。厳しかったでぇ。今の高校生だったらとても続かんわ。」
し「じゃあ、夏休みになって、台でボールが打てるようになったらどんな練習をしたんですか?」
N「ずっと先輩の打つボールを止めたり、3点に回したり、先輩のサーブをつっつく役や。自分の練習なんか全くでけへん。おかげで守備がうまくなったけどな。送るボールが指定された位置から10センチもずれたらめちゃくちゃ怒られたんや。」
し「それでよくインターハイに行けましたね。」
N「守備がうまくなると、卓球が底上げされるいうんかな…。こういう技術を早い段階で身につけとかんといくら練習しても伸びへんで。」

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非常に耳の痛い話である。
私は守備技術――とりわけブロックが苦手である。
というのも、上手な人のドライブをブロックする練習をほとんどしていないからなのである。オジサンになると、周りに強烈なドライブを打ってくれる人が非常に少なくなる。しかも10分ごとに課題練習をするということになると、私はいつも攻撃系の練習を選択してしまう。試合で即効性があるのが攻撃の練習なので、つい守備の練習をおろそかにしてしまう。しかも社会人になると、上手な人はたいていこちらに合わせてこちらに練習させてくれる。上手な人が全力で攻撃して、それをこちらに止めさせるなどという場面がほとんどない。下手な人はやたらと攻撃したがるが、そういう人の攻撃は安定もしないし、威力もないのであまり守備の練習にならない。

1年生の夏から2年生の夏(3年生の引退)までの丸1年間、来る日も来る日も体力的に充実した若者の全力の攻撃をミスなく止め続け、しかも厳しいボールコントロールを要求されていたら、いやでも守備技術が上達することになるだろう。それだけ守備力が高くなれば、上手な人から練習相手を申し込まれることも増えるだろうし、結果として質の高い練習もできるようになる。私は守備が未発達なのでよく分からないが、守備が上手くなると、試合でもこちらから攻撃できるチャンスが増えてくるのではなかろうか。

社会人になって守備を徹底的に練習する機会のなんとありがたいことよ。こういう機会の豊富にある学生は幸いである。


卓球の緻密さについて

「私は、年下の美誠(伊藤)ちゃんや美宇(平野)ちゃんたちの中にいて、彼女たちに追いつこうと必死にやってきたんです。強い選手、勝ち続けている選手は緻密ですし、総合力が高い。私はひとつが飛びぬけているけど、ダメなものも多い。…」森園美月選手インタビューより)

「緻密」という言葉が目に留まった。強い選手は卓球が緻密なのだという。

緻密というのはどういうことなのだろうか。

私がまずイメージしたのは戦術の緻密さである。「フォア前に切れていないサーブを出して、クロスへのフリックを誘い、それをフォアドライブでストレートかミドルにカウンターで狙い打つ…」のようにサーブから3球目、5球目の展開を計算しておき、相手の打球を先回りして待ちかまえているといったふうに緻密なのではないかと想像していた。

しかし、もしかしたら、それ以外の緻密さのことを指しているのかもしれない。

 
Q. なぜ、ボルは強いのか? vol.1
https://www.youtube.com/watch?v=JVaYNWj2how&t=0s

たとえば、上のティモ・ボル選手の衰えない強さを解説した動画の中で、こんなことを言っていた。
「数cmの差にこだわってサービスを出すのが私のサービス戦術でそれが自分の最大の長所だと思います。」
Boll selfcommentary

数センチといえば、ボール1個分以下(おそらく)である。第一バウンドなら誰でもそれぐらいの精度で出せるかもしれないが、回転量を変えながら第二バウンドまでコントロールするのは難しいだろう。さらにボル選手はコースをあちこちに変えながら数センチの誤差で出すというだから、一般愛好家がそうそう真似できるものではない(当たり前か)。

次に最近見たWRMの動画である。やっすん氏の動画はいつも内容が深く、教えられることが多いが、今回も非常に有益な動画だった。
やっすん氏がフォア側2/3の範囲のフットワーク練習で意識しているポイントを公開してくれた。


やっすんが大切にする、フットワーク練習の意識とは
https://www.youtube.com/watch?v=SGSmVs3iSCA&t=132s

「どこからどこまで動くのかという基準をはっきりさせることですね。」

たとえば、フォア側2/3の範囲をオールフォアで動くというフットワーク練習の例でいうと、


フォアの身体の位置
「フォア打つときはこの辺」

ちょうどセンターラインのあたり(ややフォア寄り)に身体の中心がくると、フォア角にラケットが届く。
そして今度はバック側のボールをフォアで打つときなのだが、

バック側の身体の位置(悪い例)
「動いているつもりで、(実際は)腕を伸び縮みさせながら打っている方がいる」

あ…これはまさに私のことだ。
バック側に動くとき、下半身のことを忘れてしまい、まずラケットをボールに当てることばかり考えた結果、十分移動できず、中途半端な状態でラケットを振ってしまい、詰まりながら打ってしまうのだ。

バック側の身体の位置(良い例)
「同じような(身体の)ポイントで打つには、この辺まで動かないといけないんですよね。」

うすうす感づいてはいたが…詰まらないでバックサイドのボールを打つためには、やはり身体が台の外側に出るまで動かないと、ダメなのである(成人男性の場合)

やっすん「これすごい意識してます。」

私はバック側に来たボールを打つとき、どこまで身体が移動すれば(足を動かせば)打てるかなんてことは意識せずに感覚で動いてしまい、よく詰まってしまう。上級者は、なんとなくそこまで動いているのではなくて、「ここまで身体を移動させれば、ここのボールが打てる」のようにしっかり身体の位置とボールの打てる位置の関係を意識して動いているのである。逆に言うと、そういう距離感を強く意識しないと、つい横着して十分動ききれないまま打ってしまうということなのだ。

上級者はこういう数センチ、あるいは十数センチの違いを決してないがしろにしない。しっかりと自分の中で意識している。振り返って私はどのポイントでボールをバウンドさせて、どこまで足を動かすといったことにとんと無頓着である。これでは卓球がうまくなるはずがない。

「いや、世界トップレベルの超上級者や、全日本に出場するような上級者と一般愛好家は違う」

という意見もあるかもしれないが、少なくとも一般愛好家でも一定のコースへのサービスなら第一バウンド、がんばれば第二バウンドも一定の長さにコントロールできるはずである。回り込みのときの身体と台の距離感だって愛好家でもある程度は決めておくことができる。

仕事で締め切りを守って書類を提出したり、遅刻しないで出社したりといったことは社会人なら誰でもできるはずである。こんなことだってよく考えてみたら、かなり緻密な行動である。平凡な社会人だって毎日いろいろなことが起こる。締め切りの2日前に大きな書類上のミスが発覚したとか、朝起きたら、炊飯器が壊れていたり、うっかりクロックスを履いて電車に乗ってしまったり(私も実際にこういうことがあった)とか。そんなときでもなんとか締め切りを守って書類を提出できるし、遅刻せずに会社にたどり着けるではないか。そのような仕事での精度を卓球で発揮できないことがあろうか。

冒頭の森園選手の言う緻密さというのはこのようなレベルにとどまらず、卓球のあらゆる場面をカバーしているのだと思うが、最近、レシーブしたボールをネットからどのぐらいの距離に落とすべきかということとフットワークに興味があったので、このような点のみを取り上げてみた。

レベル差のある人たちへの教育

地震の次は大雨…。
京都市の街中はまだ被害らしい被害はないと思うが、西の桂川、東の鴨川のどちらも増水し、危険水域に達しているらしい。市内の山沿いの地域は避難勧告等が次々と出され、予断を許さない状況のようだ。

三条大橋
朝、増水した鴨川を見に行ってしまった。

大雨で仕事が休みになったので、最近ぼんやり考えていることなどを記事にしてみようと思う。結論は出ないので、問題提起だけである。今回も卓球には直接関係ない記事で恐縮である。

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こんなニュースが気になった。

 政府は5日に決定した「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太の方針)の原案で新たな在留資格を設けることを明記し、外国人労働者の流入拡大を認める方針を示した。対象を実質的に単純労働者の領域にも拡大し、50万人超の受け入れ増を見込む。外国人労働者の受け入れに関し、専門職に限定していた従来からの方針を事実上、大幅に転換することになる。(ロイター 2018年6月6日 / 16:19

農業、介護、建設、宿泊、造船の分野で人手不足が甚だしいため、政府はここに外国人労働者を投入するという計画らしい。日本語でのコミュニケーションがとれない単純労働者も受け入れるのだという。当面、帯同(家族の呼び寄せ)はないということだが、日本での生活が安定すれば、家族を呼び寄せるというのは自然な流れだろう。自国の政情が不安定だったり、貧困から抜け出せなかったり、カーストなどの差別が根強く残っている国で差別にさらされる生活を送るより、日本での生活のほうがはるかに住みやすいと感じるにちがいない。

そうなると問題になるのが子供の教育である。

両親ともに日本語が話せず、日本語が全くできない子供がいきなり日本のふつうの小学校に入ることになるわけだが、日本にはそのような子供を受け入れる環境が整っているとはいいがたい。先生だってどう扱っていいか分からない。先生の指示が全く通じないことさえあるだろう。あるいは多少言葉が通じたとしても、文部省から下りてくるカリキュラムをこなすことができるとは思えない。イジメに遭うこともあるだろうし、なかなか日本社会に溶け込めないかもしれない。

これは私の杞憂ではない。すでにそのような現実が日本のあちこちにあるのである。

A県某市の、とある小学校。そこは学年の約半分の子供が外国にルーツを持つ子供である。日本語が全く分からない子供もいれば、日本語でコミュニケーションをとり、日本人の子供と仲良く遊んでいる子供もいる。しかし、彼らは一様に学校の授業についていけない。友達との会話なら流暢にこなせる子供もいるのである。だが、教科書の内容を理解する段となると、とたんについていけなくなる。カナと、せいぜい簡単な漢字しか読めない。いや、文字自体の読み方が分かったとしても、それらが連なると、どのような意味内容を表すのか分からなくなる。何度読んでも頭に入ってこない。喩えて言えば私たちが難解な哲学書を読んでいるような感覚だろうか。

知人のCさんがそういう子供の教育の専門家で、詳しく話を聞かせてもらう機会があった。
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C「この間、その小学校に招かれて、授業を見学したんですが、やっぱり子供たちは授業の内容がほとんど分からないようでしたよ。」

しろの「それじゃあ、先生は困るでしょうね。大前提として文科省のカリキュラムに沿って授業をしなければならないというのがあるけれど、それをしたら、外国籍の子供を完全においてきぼりにしなければならなくなる。教室にただ座っているだけの『お客さん』になってしまう。かといって、そういう子供たちに合わせて授業をしたら、日本人の子供たちはほとんど勉強にならないし、日本人の親たちが黙っていないでしょうね。子供たちを分けて、日本語の理解力の低い子供だけの特別クラスを作るということはしていないんですか?」

C「そういうのはなかったですね。分けたところで、ポルトガル語、中国語、ベトナム語、タガログ語等の外国語をスイッチしながら授業できる先生なんていないでしょ。日本人といっしょのクラスでした。」

し「それじゃあ、子供たちは授業の内容がちっとも分からず、そのうち不登校になって平日の昼間から街をフラフラするようになったり…。」

C「それが、みんなまじめで、分からないながらも、ちゃんと授業を聞いて、ノートをとったりしていましたよ。」

し「でも、授業内容が分からない子がほとんどなんでしょ?毎日日本人と一緒に授業を受けていたら、自然に分かるようになったりするものですかね?」

C「それはないでしょうね。だから何か対策を講じなきゃと思って私が呼ばれたわけなんですよ。先生たちもほとほと困っていて、藁にもすがりたいって感じでしたよ。」

し「こういう日本語の理解力の極端に低い子供たちが日本人といっしょに勉強するにはどうすればいいんですか?」

C「どうすればいいと思います?」

し「外国の移民政策や移民教育の本を読んだりして、参考にしてみる、とか?」

C「まず子供たちが今、どんなことが理解できないかを突き止めることですよ。問題の解決法は専門家や研究書の中にはないですよ。どうやって教えるのが一番いいかなんて私には分かりません。子供たちのことを一番よく知っているのは、私じゃなくて担任の先生でしょ?答えは子供たちの中にあるんですよ。」

し「なるほど。とすると、えらい先生が考え出した便利な指導理論があって、それをクラスに当てはめて解決!ではなくて、一人一人の子供と向き合い、先生が一人一人の問題――理解を妨げているものは何かを把握し、それを一つ一つ解決しながら、手探りで授業を作っていかなければならないということになりますね…気の遠くなるような作業に思えますが。そんなことできるんですか?」

C「できないからみんな困ってるんですよ…。」

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イメージです。
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この問答を卓球で考えるとどうなるだろう。

社会人の地域のクラブでは、中高の部活でガッツリやってきた中級者と、年配になって卓球を始めたばかりの初心者とがいっしょに練習するという状況も珍しくはない。中級者の練習を優先すれば、初心者の居場所がなくなり、かといって初心者の練習を優先すれば、中級者はクラブを去っていくだろう。この両者を満足させる便利なクラブ運営法というのがあればいいのだが、あいにくそういう便利なものを私は知らない。

一体どうすればいいのか。

誰か一人ががんばればうまく回るというほど簡単な問題ではない。結局、メンバー全員が知恵を出し合って、問題を一つずつ解決していくしか方法がない…。

昔の人はえらかった――小説「武蔵野」を読んで

先日、「卓球以外のことも考えてみたほうがいい」と言われ(前記事「ボールを当てる位置」)、たまには読書でもしようと図書館を訪れた。

といっても、足は自然とスポーツ関連図書の書棚へ。

あいにく卓球書の新しいのは見当たらない。卓球書でないなら、かさばる本は読みたくない。持ち運びに便利な新書か文庫がいい。新書本で何か卓球関係の本、いや、他のスポーツ関連の本でもあるかと思って探してみたのだが、「これだ!」というものは見つからなかった。

しかたがない。たまには卓球に関係のない読書でもしてみようか。

昨今の新書本は本当に多彩で、あらゆるテーマを網羅しており、知的好奇心をいくらでも満たしてくれそうである。若いころは私もこういう本に興奮したりしたのである(前記事「「用具愛」からの解放」)。しかし、年を取ると、新しい知識を得たいという意欲に乏しくなる。新書本の棚を見ても手に取ろうという気にさせる本がない。東京の繁華街を歩いていて、人の多さに酔ってしまうということがあるが、それと同じようにびっしり並んだ本の背表紙を見ているだけで、本に酔ってしまいそうである。

文庫本の棚を見て、ちょっと気になる本を見つけた。

山田美妙の『いちご姫・蝴蝶』(岩波文庫)である。
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山田美妙は、名前は言文一致との関連でよく聞くが、作品は読んだことがなかった。若いころ、読んでみようと思ったこともあったのだが、文庫本では読めず、全集などにあたらなければならなかったので、めんどくさくてあきらめた覚えがある。しかし最近は岩波文庫で手軽に読めるのである。

この1冊だけ借りて、早速冒頭に収録されている「武蔵野」という短編を読んでみる(なお、あとで気づいたのだが、青空文庫でも手軽に読むことができた)

南北朝時代を題材にした坂東武者の話で、何てことのないストーリーの話なので、若い人には楽しめないかもしれないが、中年が読むと、その当時の価値観や表現が偲ばれて興味深く読むことができる(前記事「卓霊さま」)。長さ的にも手軽に読めるので、いい読書をしたという満足感を覚えた。

そこに登場する秩父と世良田という親子の武者は南朝に志があり、新田義興の陣に加わろうと武蔵野を縦断し、鎌倉へ参じるというのが前半のストーリーである。スタート地点がどこなのかはっきりしないが、近めに見積もって、今の千代田区あたりから鎌倉まで徒歩で向かうというのは、現代の私には信じがたい難業に思える。約70キロの距離である。手ぶらで70キロ歩くというのなら、私でもなんとか歩けそうだが、鎧具足に身を固め、弓矢を背負い、太刀を佩き、さらに食料や水、その他の日用品などを携帯しながら歩くとなると、いったいどのぐらいの重さになるのか。ネットで調べてみると、鎧だけでも2~30キロはあったという。
さらに舞台は戦乱の世なので、あちこちに伏兵が潜んでいる。道路も貧弱だっただろうが、あえて人の歩かぬ道なき道を行かなければならない。

このごろのならいとてこの二人が歩行あるく内にもあたりへ心を配る様子はなかなか泰平の世に生まれた人に想像されないほどであッて、茅萱ちがやの音や狐の声に耳をそばたてるのは愚かなこと,すこしでも人が踏んだような痕の見える草の間などをば軽々かろがろしく歩行あるかない。生きた兎が飛び出せば伏勢でもあるかと刀に手が掛かり、死んだ兎がみちにあれば敵の謀計はかりごとでもあるかと腕がとりしばられる。

その苦労はいかばかりだったか。が、当時の人にはこの程度のことはちょっと骨は折れるが、日常の延長にあったことなのかもしれない。

当時の武者の生活に思いをはせると、

重装備で一日に何キロも歩かねばならず、ときには山道を歩いたり、ときには全力疾走をしなければならなかっただろう。そんな日常を送っていると、ほんのわずかな身体の使い方の差が生死を分けることもあったに違いない。歩くときもただ足で歩くのではなく、上半身をうまく使えば疲労が少ないとか、刀を抜くときの肘や肩の使い方とか、そういう身体の効率的な使い方――「技」を豊富な経験から学び、それらが軍内で共有され、年長者から年少者へと伝えられていく。命がかかっているのだから、その習得には真剣にならざるをえない。

最近、古武術の卓球への応用が注目を集めているが、古武術の「技」というのは、あるいはこういうところに起源があるのかもしれない。

こう考えてみると、近代以前の社会では当たり前だった身体の使い方が、現代の私たちには失われてしまっているという気がしてならない。最近の都会の小学生はスキップができない子も珍しくないという話を聞いたことがある。これは極端な例にしても、重い荷物をもって長時間歩いたり、走ったりという経験が少なくなった現代は効率的な身体の使い方の伝統も途絶えてしまっているのではないか。私の亡くなった祖母は信州の山間の生まれで、戦前の話だが、ふもとの工場に通勤するために朝、薄暗い時間に出発して、数時間かけて山道(というか、半分、獣道)を歩いたのだという。毎日、朝晩にハードなトレーニングをするようなものである。こんなことを数年も続けていれば、いやでも疲れにくい、効率のいい動き方が身につこうというものだ。そういう経験の豊富な古老と山歩きでもしてみたら、多くの発見があるのではないかと思う。


仕掛けと予測――受動的な予測と能動的な予測

中学生のころ、部内戦をしたときのことをふと思い出した。

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ちょっと昭和っぽい写真

今と違って卓球の情報などほとんどなく、レベルの低いうちの中学では、みな我流の卓球をしていた。その部の中では私は強かったが、もう一人同じぐらいのレベルのAくんがいた。Aくんはペンホルダーだったが、ミスが少なく、攻撃が安定していて、試合をして私とは勝ったり負けたりだった。

その日、Aくんと私は全勝同士で対戦したのだが、私はAくんに終始試合をリードされ、勝てる気がしなかった。私はフォアドライブが入れば勝てるのだが、その日はあいにくほとんど入らなかった。それに対してAくんのフォアドライブはガンガン決まっていた。そこで私はAくんにドライブを打たれないようにツッツキをバック側に徹底的に集めるようにした。

今の感覚ではバック側にツッツキを送ったところで相手のドライブを防ぐことにはならない、と思うかもしれないが、昭和の当時は今とは違い、バックハンドが自在に振れる人は非常に少なかった(県大会で上位にいくようなレベルは知らないが)。バック側に送られた38ミリ時代の低くて速いツッツキをバックハンドドライブで持ち上げようとしてもなかなか持ち上がらない。適切な打点で適切な体の使い方をすれば持ち上がったのかもしれないが、当時はラバーの性能も低かったし、我流卓球の私たちには打点などという概念さえもなかった。しかも完全な手打ちだったので、下回転をバックドライブしようとしても、成功率は3割以下だった。バックに来た下回転はツッツキで返すか回り込んでフォアで打つのが一般的だった。

私がAくんのバック側に早い打点でツッツキを送ると、Aくんも私のバック側につっつき返す。フォア側にツッツキを送ると、一発で決められてしまいかねないので、お互いに「早くミスしてくれ!」とばかりにバックへつっつき合い、ツッツキ合戦の様相を呈していた。そのようなラリーが2~3往復も続くと、やがてAくんは意を決して回り込もうとしては、詰まってミスをしてくれた。私はAくんに回り込ませないように早い打点で、しかもバックサイドを切るようなツッツキを送り続けていたのだ。その試合は結局私の勝利だった。後味の悪い勝利だった…。

もちろんルール上は何も問題ないし、今から考えると、うしろめたいことは何もないのだが、その時の私の認識では、その試合は正々堂々とドライブで勝負に出ずに、とにかく相手に打たせまいとする消極的な態度に徹して勝ったのが卑怯に感じられたのだ。

今から考えると、なんともこっけいな話である。

お互いバックハンドが振れない者同士の対戦で相手が執拗にバックにつっついてくる場合、いくらでもフォアで攻撃する方法があるだろうに。

たとえば深いツッツキを送ったあと、フォア前にストップしてみるかもしれない(当時の私は「ストップ」という言葉を知らなかった)。相手はバックでつっつこうと待ち構えているところへフォア前のストップである。相手は早い打点でボールにさわれず、ラケットに当てるのが精いっぱいで体勢を崩し、打てるショットといえば、せいぜいストップか、ゆるいツッツキになるはずである。それを待ち構えて、ストップならフォアミドルへ思い切り深くつっついて詰まらせるだろうし、ゆるいツッツキ――ミドルかフォア側に来るだろう――ならフォアドライブが打てそうである。

あるいはバックに横回転気味のツッツキを送ったり、ナックルのような切れていないツッツキを送るかもしれない。そんなボールが急に来たら、相手は驚いて反応が少し遅れる。そしてボールを浮かしやすい。それを待ち構えて回り込んでドライブやスマッシュが打てそうである。

しかし当時の私は愚直にツッツキをツッツキでひたすら低く返すということしか頭になかった。それがいちばんミスしにくかったのである。そしていつか相手がミスしてくれるだろう、甘いボールを返してくれるだろう、という期待が全てだった。こちらから相手の甘いボールを引き出して、次を強打するという考えがなかった。つまり、「仕掛ける」という概念がなかったのである。

仕掛けのない卓球というのは、なんともすさまじい卓球である。仕掛けをしなければ、次にどんなボールが来るかは、相手に打たれてからのお楽しみなので、こちらは全く時間的な余裕がない。不意に予想もしなかったボールを突きつけられるものだから、ミスを連発することになる。

卓球では予測が大切だなどと言われるが、相手が次にどこにどんなボールを打つかなんて超能力者でもない限り分かるはずがない。たしかに相手のサイドを切るボールを送ったら、ストレートには返しにくく、クロスに返ってくるという程度の予測はできるが、それ以上のことは無理だと思っていた。しかし、最近「仕掛け」という要素を組み込めば、予測の幅が広がるということが分かってきた。というか、予測というのは仕掛けとセットで使うものなのではないだろうか。

私は今まで予測というと、漠然とコースのことを思い浮かべていた。「さっきこのコースに打ったから、次はこう返ってくる可能性が高い」のように返球コースを「受動的」に予測していただけなのだが、最近は「こう仕掛けることによって相手から甘いボールを引き出そう」という「能動的」な予測に変わってきた。

予測は自分の打つコースだけではなく、ボールの深さ(ストップや深いツッツキ)、回転(切れているか切れていないか)、球種(フリックとかドライブとか)、スピード(ゆっくり来るか、すぐ来るか)なども影響する。たとえば最近ぐっちぃ氏のブログで陳衛星選手と対戦した印象が紹介されていたが、その中で次のくだりが目を引いた(読みやすいよう適宜改行した)

衝撃だったのが手前に落としたときやツッツキ戦のツッツキがあり得ないくらい深く差し込んでくる!!
ツッツキがめちゃめちゃ低く鋭く入り込んでくるので陣衛星選手がぐっちぃのドライブを狙ってボコスカにしてましたよね?(笑)

あれは

カウンターすげー、攻撃力やべー

ってなりますが実はその前の陣衛星選手のツッツキ!!これに秘密があったんです。
あれが今まで体験したがないくらいの超爆切れ系ツッツキ!!汗
あんな低く深く滑りこまされたらスピードドライブできません汗
もうループドライブをかけるしかない。しかも全然時間がない。
陣衛星選手のスイングスピードが尋常じゃないのかツッツキの鋭さ、ツッツキの高速時間がすごくてもう考える時間ないままでループドライブをかけないといけない汗




陳選手の深くて速いツッツキは、いわば「仕掛け」のような働きをしている。相手が「あっ!」と思った瞬間には、もう選択の自由を奪われていて、ループドライブでなんとか入れるのが精一杯という鋭さのようだ。陳選手はその返球を予測していて、相手のループドライブを待ち構えてカウンタードライブでフィニッシュということになるようだ。

予測は、どちらにボールが返ってくるかというコースよりも、上の陳選手のようにどんな球種のボールが返ってくるかということに重点を置いたほうが有効なのかもしれない。例えば台上で相手のフォアミドル深くにナックル気味のフリックを送れば、相手は詰まって甘い順回転のボールを返すということを予測して、ナックルフリックを送ったらすぐ回り込んでフォアドライブ強打の準備をすれば、試合が有利に進められる。

中学生のころ、緩急や回転量に差をつけて、相手を崩してから攻撃するという発想は私の周りにはなかった。とにかく全力で切って、全力で打つことしか頭になかった。だが相手が打たれないように固く守っているところをあえて強打で打ち抜こうとするのはリスクが高すぎる。イチかバチかの卓球になってしまう。まず台上で相手を崩すところ――仕掛けから始めなければならないということを知らなかったのだ…。

中学時代にどうしてあんな卓球しかできなかったのだろうと、悔やまれてならない。

動いて、考えて、また動く――自分だけの打ち方

運動でも勉強でも、「まず動く、そして考える」ことが大切です。そうして何度も成功や失敗をくり返しながら工夫を重ねると、きっと、自分にとって最高のものを実現できます。

勉強で「まず動く」というのが何を指すのかはっきり分からないが、運動に関しては「まず動く」というのは大切だと思われる。というのは、最近は卓球の情報が非常に多いので、動く前に考えてしまうことが多いからだ。

「考えてから動いてもいいじゃないか」

という意見もあろうかと思われるが、私も「動いてから考える」のほうがいいと思う。というのは、「動いて」の後なら疑問が生じやすいからである。初めから「正解」を知ってしまっていて、疑問がない状態で考えると、なんというか、考える幅が狭くなってしまう。

わたしが走り方を工夫し始めたきっかけは、高校生のとき、当時取り組んでいた走り方にぎもんを感じたことでした。それは、「ひざを高く上げて」「あしを思い切り後ろにける」、つまり大きな動作で走るというものです。そうすれば、速く走れるといわれていたのです。

カール・ルイス

といっても、何もない、まっさらな状態から考えるのも難しい。考える「たたき台」のようなものがあると、考えやすくなる。ここの「大きな動作で走る」というのを「大きな振りでスイングする」に置き換えれば、卓球にも通じる問題になりそうだ。

あるとき、「ひざを高く上げるような大きな動作をせずに走ったらどうなるのか。」と思いつきました。

たしかにひざを高く上げることは必要です。でも、それは地面をより強くふむために必要なのであり、ただ高く上げることに意味があるわけではないのです。同じひざを高く上げる動作でも、地面を強くふむことを意識して行うことが大切なのだと気がつきました。

卓球で小さなスイングで振ったらどうなるのだろうか。やはり威力のあるショットにはならないのだろうか。大きなスイングはボールをより強く打つために必要なのであり、ただスイングを大きくすることに意味があるわけではない。そうではなくて小さなスイングでインパクトを強くする方法があるのではないか?インパクトを強くするために本当に必要なことは何なのか。

このように、いろいろためしながら、自分に合ったあしの動かし方やうでのふり方を考えました。そうすることによって、自分にとって最高の走り方を見つけることができた気がします。人によって、ほねの長さや筋肉のつき方はちがいます。ですから、習ったことをなぞるだけでは、自分に合った走り方を身につけることはできません。何がむだか、そうでないかは自分で動いてみて発見するしかないのです。(高野進「動いて,考えて,また動く」より)

人によって体の作りが違うのだから、理論先行で、自分の体を理論に合わせるというのでは本末転倒である。自分の体に合った打ち方、自分だけにしかできない打ち方を、時には理論の助けを借りて、模索するというのでなければならない。
最近は情報が氾濫していて、自分の体がどうなっているのか、自分にとって打ちやすい打ち方は何かということをつい後回しにして、安易に理論に従ってしまいがちである。

人間は,自分の手を動かし,頬に風が当たっていろんな感じを受け,それで脳が刺激されて進化してきたんだと思います。脳が先に進化して,それからいろんなことができるようになったわけではありませんからね。(「「動いて,考えて,また動く」で伝えたいこと」)

卓球で言えば、ボールを打った感覚を確かめ、それに刺激されて考えるというプロセスが大切なのではないだろうか。一度、理論などは全て忘れ、一番自分に合った打ち方を虚心に自分の体に聞いてみたほうがいいのかなと最近思っている。

貫く棒の如きもの――軸を意識する

健康のために街なかを走っている人をよく見るが、ときどきうっとりするような美しい走り方をしている人をみかける。
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まるで「動く歩道」がその人の足元にあるのではないかと錯覚するような滑らかな動きで水平移動していく。地面反力を効果的に使って柔らかく走っている。体幹がぶれないので、ほとんど力を入れずに楽々と走っているように見える。専門的なことはよく分からないが、こういうのを「軸が通っている」というんだろうな。

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卓球でも「軸」の感覚について言及されることが多い。一本の棒が頭から股の間までを貫いているような意識でスイングするといいなどと聞いたことがある。今まであまり疑問に思っていなかったのだが、よく考えると分からない点が多い。

卓球における軸のイメージというのは、上の図のような細い棒のようなものだろうか。あるいはもっと太い丸太のようなものだろうか。太さのイメージが変わることによってスイングの運動も変わってくるだろう。細い棒のようなイメージよりも太い丸太のようなイメージのほうが体幹を旋回させるイメージが強くなる。グルグルとよく回りそうなイメージである。固さはどうなのだろう?ガチガチに硬くて決して曲がらないようなイメージなのか、あるいはある程度柔らかくてしなったりするイメージのほうがいいのだろうか。卓球では前傾姿勢なのだから、まっすぐの棒のイメージではなく、支点を持った棒のイメージのほうがいいのだろうか。
そもそも実在しない軸について「何が正しいか」などというのは愚問かもしれないが、イメージが鮮明であればあるほどそれを意識したときの身体の動きも鋭くなっていくだろうから、イメージもバカにできない。

身体の軸はコマの様に縦に延びる軸の感じですが、上半身の傾きにより変わる為、常に垂直ではありません。(「体幹軸とは?」)

ネットでこんな記事を見つけた。この記事によると、支点がある棒ではなく、傾く棒をイメージするといいらしい。

そして体幹軸は、単にその軸だけではなく腕全体の内旋外旋につながり、それが円運動に発展し、結果的に野球では投球フォームになりテニスではボールを打つフォームになっている訳です(^ ^)(「体幹軸の感じ方」)


あぁ、これはなんとなく分かる。しかし、軸を意識して体幹を旋回させることによって腕の旋回が生まれ、円運動に発展するなんて…夢のある話だなぁ。これぞまさに「体全体を使ったスイング」と言えるだろう。


軸ということを考えることによって身体を効率的に使うことができるようだ。


フットワークの向上にも役立つらしい。




とりとめもない内容だが、今回は以上である。


僕らはみんな振り遅れ――私の卓球のパラダイム・シフト

質の高いボールが打ちたい。
上級者が打つような、回転のよくかかった、伸びのある、深いドライブ。そんなドライブが打てるようになるためにフォームを変えたり、力の入るポイントを探したり、打点を変えてみたりしてきた。

質の高いボールを打つという目的がまずあって、そのために何が必要かを模索するということを今まで続けてきたように思う。しかし、もしかしたら私は根本的な間違いを犯していたのかもしれない。

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【前回】からの続き

振り遅れというと、たとえばこちらが打ったフォアドライブをカウンターされ、とんでもなく速いボールが返ってきたとき、ラケットに当てるのが精一杯…といった場面が分かりやすいだろう。誰でも

「あぁ、今のは振り遅れて返せなかったんだ」

と気づく。しかし、振り遅れという現象は、そんなに分かりやすいケースばかりではない。実際には振り遅れていても、入ってしまうことがままあり、初中級レベルでは当の本人がそれと気づかずに打っていることが非常に多いのだ。「切れ味の悪い包丁で切るような感覚」というのは、まさにこういうことなのである。

私はこのバック対オールの練習を通じて自分の振り遅れというものを自覚できるようになった。相手のラケットを見ずに、ボールだけを見て打っていたときは、来たボールに間に合わせようと必死で一打一打が力んでしまい、後味の悪い打球感になることが多かった。入ることは入ったが、ボールに振り回されている感がぬぐえなかった。それが今は、相手のラケットをモニターすることによってわずかだが時間的な余裕をもって打てるようになってきたので、力が抜けて打球感も爽快である。「ボールに打たされている」という消極的な感覚ではなく、「ボールを打っている」という積極的な感覚である。両者の感覚を比べると、同じロングボールを打っているとはとても思えないほどの違いである。

反応が遅いと、一歩が踏み出せず、体から遠い(あるいは近すぎる)位置で打球することになるし、突然、ボールを「突きつけられる」ものだから、適切なラケットの角度を作る時間もなく、とまどっているうちに頂点を逸してしまい、落ちはじめた打球点でドライブを打った結果、ネットに引っ掛けてしまっていたのである。気持ちよく入る頂点付近の打点と振り遅れて打つ打点は、ボールにしたらわずか1~2個分に思える。その5センチほどのわずかな違いが卓球にとっては致命的なのである。

下回転のボールを振り遅れて打つと、ネットにかけてしまうことが多いが、逆に上回転のボールを振り遅れてしまうと、今度はオーバーミスである。よくブロックをオーバーミスさせてしまったとき「抑えが足りなかった」「もっと面を寝かせないと」などと考えてしまいがちだが、ようするに振り遅れているから適切な角度を作る前にボールが当たってしまい、ボールをオーバーさせてしまうのである。ワンコースでドライブを相手に打ってもらえば、そうそうミスしないのに、試合の時は同じ相手の打つドライブが止められないというのは振り遅れている可能性が高い。

相手のラケットから目を離さず、相手の打つ気配を察してバックスイングをとるようになると、ドライブだけでなく、ブロックからフリック、ツッツキにいたるまであらゆる打法の安定性が高まってくる。もしかしたら、これって卓球において最も大切なことなのではないかと思えてきた。

***********
唐突に話は変わるが、マンガ連載でもっとも大切なことは何かと問われたら、どう答えるだろうか。

クオリティーの高い絵とユニークなテーマ、よく練られたストーリー、愛すべきキャラクター…といった答えが出てくるかもしれない。しかし、そういう高い理想よりも、もっと現実的な問題――締め切りに間に合わせることこそマンガ連載において最も大切なことだという意見にも一理あるだろう。

寺田克也

たとえば憧れのイラストレーターや作家がいて、その作品にできるだけ近づくために絵に凝ったり、情報の精度を高めたりすることは、立派なことである。

だが、それらの努力は決められた締め切りに間に合うという前提があってのことである。絵やストーリーに凝ったために原稿を落としてしまったというのでは本末転倒である。逆に締め切りに間に合わすために絵やストーリーのクオリティーを下げ、何としても締め切りに間に合わすという態度こそプロのマンガ家に求められるものではないだろうか(知った風なことを書いてしまったが、私はマンガを描いた経験など皆無である)

私はこれまで卓球で大切なことは「いかに質の高いショットを打つか」だと思っていた。たぶん私だけでなく、レベルの低い人はたいていこう思っているにちがいない。だからその目的を実現させるためにフットワークを使ったり、下半身でタメをつくったりするのだと思っていた。

しかし、もしかしたら卓球で最も大切なことは「いかに自分のインパクトを頂点に間に合わせるか」なのかもしれない。振り遅れないで、的確に頂点付近の打点をとらえるために戻りを早くして、フットワークを使い、体勢を整える。そのようにして常に高い打点を保持することができればミスは大幅に減る。それができた上で、時間的な余裕があれば、打球コースやボールの精度・威力にも意を用いるべきであって、質の高いボールを打とうとして適切な打球点を逸してしまうというのではミスを連発することになってしまう。厳しいボールが送られてきたときは、むしろ打球のクオリティーを下げ(大振りを避け)、打球点の高さを最優先する。これが初中級者に求められる卓球なのではないか。

今までは質の高いショットを打つことが目的で、そのためには打球点を落とすこともやむを得ないという態度だったが、今は高い打点で打つためにはショットの質を下げることも辞さない…というふうに私の中で考え方が変わってきた。初中級者の卓球の本質とは、もしかしたら「高い打点をつないでラリーを展開していく」ということなのではないのか…

私の考え方があらゆるシチュエーション、あらゆる層に受け入れられるとは思わない。
ループドライブのように頂点よりも低い打点が適切な場合もあるし、ストップやカウンターのようにより早い打点が有効な場合もあるだろう。全ての打法で頂点打が有効とはいえない。
また、私よりももっとレベルの高い中上級者にとっては、話はこれほど単純ではないかもしれない。
しかし、初中級者の卓球においては早く戻って高い打点に間に合わせるというのが最も優先されるべきことなのではないか。

今、私の中でパラダイムの転換が起こりつつある。

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