しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




カテゴリ: 書評

年末になってようやく冬らしい寒さになってきた。

師走の鴨川
見渡せば花も紅葉もなかりけり…鴨川の冬の夕暮れ

毎年恒例の振り返りである。

今年の卓球をめぐる状況を振り返って、まず思い出されるのはなんといってもオリンピックでの日本選手の活躍である。水谷選手と伊藤選手が金メダルを取り、女子団体は銀メダル、男子団体と女子シングルスの伊藤選手が銅メダルと、なかなかの結果だった。

さらにアジア選手権では中国が不参加ということもあり、日本選手の活躍が目立った。早田ひな選手の、シングルス、混合ダブルス、団体の三冠をはじめ、芝田沙季選手、安藤みなみ選手がシングルス3位、男子は戸上隼輔選手がシングルス3位、ダブルス優勝、混合優勝という結果だった。

ヒューストンの世界選手権では、戸上・宇田選手のダブルスが銅、早田・伊藤選手のダブルスが銀、早田・張本選手の混合が銀という、やや物足りない結果だった。

他にもWTTやジュニアの国際大会など、今年は大きな大会が集中していたが、ここ10年ほどで日本が卓球強国としての地位を確実なものにしたといえる。若い学生にとっては日本の卓球が強いというのは当たり前のことかもしれないが、80年代の日本の低迷から2010年前後までは、日本が国際大会でメダルを取るというのは難しいことだった。そう思うと感慨深い。

愛好家レベルで考えると、相変わらずコロナでいろいろなことが制限され、大会なども多くが中止されてしまった。しかし、Tリーグは存続し、来年の全日本は最終日を有観客で行うなど、現在、コロナの影響から脱しつつある。

次に拙ブログの振り返りである。
今年も、私にはいろいろな技術的な発見(上級者にとっては当たり前のことだが)や意識の変化があり、私の卓球も、少しずつではあるが、着実に進歩している。以下に拙ブログでのこの一年の発見・変化を振り返り、忘れかけていたことを思い出すよすがとしたい。

例によって卓球に対する意識、および技術的な「発見」(私のレベルでの)についての記事のみを対象とし、用具や試合観戦、その他の雑文は省く。

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1月
01「張りと脱力――ランニングと卓球」
空気圧が甘いタイヤで走行すると、エネルギーのロスが起こり、燃費が悪くなるように卓球でも身体をダランとさせていると、エネルギーのロスが起こるのではないか。

02「卓球の物理――引っ張る力と押す力」
ボールを飛ばすには押す力と引っ張る力のバランスが大切である。ドライブを打つ時、飛んでくるボールの外側を捉えると、力を逃がせず、すべて押す力となってしまい、ボールが持てないのに対して、ボールの内側を捉えると、適度に力が逃げて、押す力が適度になり、ボールを持ちやすい。

03「セットフレーズと卓球の定石」
英語のセットフレーズのように卓球でも、ドンピシャの場面で迷わず強打できる。このようなセットプレーをいくつか持っていれば、試合で勝ちやすい。

04「「上手いレシーブ」とは?」
うまいレシーブとは、低くて鋭いレシーブとは限らない。相手の待ちを外し、3球目を厳しく打たせないようなレシーブこそうまいレシーブである。

05「レシーブ修行――ストップの位置づけ」
「台上ではツッツキが基本。たまにストップやフリック」という態度よりも、「台上ではストップが基本。たまにツッツキやフリック」という態度のほうが強打者との試合では有効である。


2月

06「10時から11時の間――裏面インパクトの位置」
威力のあるドライブを打つには、スイング中のヘッドを返す辺りでインパクトをするように心がけるべきだ。

07「「意識的なプレー」と「無意識のプレー」」
意識的なプレーとは、相手の狙いや考えを読んで、その裏をかくようなプレーであり、無意識のプレーというのは、予測ができず、その場で反射的に行うプレーのこと。前者の占める割合が多い人は試合で強く、弱い人は後者の割合が多い。


3月
08「バック前ショートサーブから――戦術うひ山ぶみ」
同じようなサーブをあまり散らさずに同じような場所に出すことで、自分のサーブに対する相手の返球パターンが見えてくる。

09「スキマ時間の有効活用――バックドライブの安定性のために」
足を踏み出した位置がほんの10センチ足りなかっただけで打球が安定しない。身体の真正面でインパクをしていないからである。卓球はプレー中の時間的な余裕がないように感じるが、実際にはレベルの低いプレーヤーは打球と打球の間に足を止めていることが多い。そういうスキマ時間をポジショニングのために有効活用すべきである。

10「対戦で大切なこと――格闘ゲームとの比較」
格闘ゲームでは、技が出るまでの発動時間と、技を出した後の硬直時間と、技がヒットする当たり判定があり、格闘ゲーム上級者はこれらを考慮しながら、その場面で可能な技を組み合わせて対戦を有利に進めている。卓球に共通する戦い方も多い。


4月

11「バックスイングを引いたら最後――ポジショニングとの関連」
バックスイングを引いてから足を動かすことは難しい。つまり、バックスイングのスタートをできるだけ遅らせれば、その分、移動できる時間が稼げるということである。

12「体ごとぶつかっていけ――ボールを押し付ける力」
バックハンドで手打ちを避けるには、ボールに対して胸からぶつかっていく動いて、遅れて腕がついてくるような打ち方が良い。

13「野生の卓球思考――ラバーの押し付け方再考」
下回転をドライブで持ち上げるときに、あるときはボールが落ち、あるときはボールが持ち上がる。両者を分けるのは、ボールをラバーに押し付けているかどうかが関係するのではないか。


5月
14「雨に想う――2段階の予測」
飛んでくるボールの深さは、バウンド位置の予測をしてから、打球点の予測をしなければならない。前者をすっ飛ばして後者の予測をするから、つんのめったり、詰まったりするのである。

15「技術向上の方向性」
ショットのパラメータを制限して、練習中に5本中、ほぼ5本入るようにしなければ、実戦で5本中、3本入れるのも難しいだろう。

6月
16「小さく変えて深める」
うまく行かないときにやり方を大きく変えてもうまくいくとは限らない。小さく変えて、何が変わったかをつぶさに観察し、考えることが着実な前進につながる。

17「指月の譬え――当て方と打ち方」
ラケットの面の角度よりも、ボールの当たる場所を意識したほうがいい。

17「ふりだしに戻る」
できるはずの技術がコースを変えると、入らなくなることもある。新しい技術に次から次へと手を広げるのではなく、できるはずの技術がちゃんとできるかどうか点検するのも前進である。

19「オジサン卓球の醍醐味――ミート打ちに挑戦」
ミート打ちは、面をしっかり開いて頂点前を横方向に滑らすように弾くと安定する。

20「初対面の人との会話に譬えると――対戦の相性について」
試合では対戦相手のタイプによって自分の態度を変えられるのが老練な卓球である。


7月

21「感覚を言葉に――フリックとツッツキの仕組みについて」
フリックは横方向(あるいは上方向)にスイングしてボールを前に飛ばしている。ツッツキは前方向にスイングしてボールを斜め上方向に飛ばしている。飛ばしたい方向からズレた方向へスイングする。

22「技の発動時間」
プレー中に大きなスイングをしている時間的余裕はない。それでは振り遅れて詰まってしまう。下半身でしっかりと地面を踏み、小さなスイングで間に合うように打つべきである。

23「のけぞり気味に前傾姿勢」
サーブ後の戻り、あるいはツッツキ後の戻りを早くするために過度な前傾姿勢をやめ、打球時に軽くのけぞるような姿勢がよい。

8月

24「攻め方が分からない――打たれる前に情報処理」
3球目が打てないという人は、相手の打球以降にボールのコースを予測しているのではないか。相手の打球前に、不完全であっても、だいたいのコースを予測しなければ3球目には間に合わない。

9月

25「この当て方で何かが変わる――ラケットをペタっと当てる」
ボールの飛んでくる方向に対して、垂直交わるような角度でスイングして、下回転のボールを持ち上げる――ボールをこすらずに、押すと安定する。

26「練習の8割が自動操縦?――練習メニューの見直し」
1球目を球出しにして、打ったボールをラリー練習につなげると、いろいろなバリエーションの練習ができる。

27「1/50の荻村伊智朗――続ける練習の効能」
フォームや身体の使い方に問題があっても、5本や10本、連続してカット打ちすることはできる。しかし、50本や100本となると、問題のある打ち方では不可能である。連続して続ける練習は、自分の打ち方や動き方の問題点を知るのに有益である。

10月

28「卓球は位置取りのスポーツ――打つ前に意識すること」
相手にいいショットを打たれても、良い位置で待つことができればこちらのチャンスになる。卓球でいいショットを打つためには、まずポジショニングを正確にすべきである。

29「対下回転でツッツキとバックドライブ、どちらが得点につながるか?」
対下回転での裏面バックドライブは安定しない。バックドライブは対上回転用と割り切って、下回転に対してはツッツキを磨いた方がこちらにとっていい展開に持ち込めるのではないか。

30「なぜ卓球の技術記事や動画は身につかないのだろうか」
卓球指導は、その内容がどんなにすばらしくても、なかなか身に付かない。それは練習量や試合経験などが絶対的に足りないからである。知識と経験は相補いながら、より高い段階に進んでいくが、知識だけをいくら仕入れても、上達しない。

31「フォアフリックはなぜ難しいのか」
日本人の手の動きは、日本語の書記習慣に大きく影響される。日本語で文字を書く場合は右から左への手の動かし方が原則なので、フォアフリックの左から右への動きとは逆である。これは卓球以外ではあまり使わない動きなので、それ用の神経が発達していないのではないか。

11月

32「ふだん通り――試合での心構え」
試合の時に、ふだん以上のパフォーマンスを出そうとして、ふだんやらないことをすると、うまくいかず、かえってパフォーマンスが低下する。

33「感覚を磨く」
用具を頻繁に替えると、微妙な感覚が狂ってしまう。一定の用具を長く使い続けることで微妙な感覚が養える。

34「フットワークについての不都合な真実」
フットワークに近道はない。「動くぞ!」という意識を研ぎ澄ましてひたすらフットワーク練習に励むしかない。

12月

35「小手先の卓球」
ツッツキやブロックなどの基本技術は、自分ではちゃんとできていると思い込みがちだが、その「できている」は上級者のそれと比べると、欠けている要素が多い。

36「にくいあんちくしょう――下回転に振り回されて」
私は下回転の挙動に対する理解が足りない。下回転をもっと深く理解することでミスが減り、ラリーが続きやすくなる。下回転をうまく打つには「乗せる」「横方向に振る」というコツが有効である。

37「力を抜くってこういうこと?」
インパクトの瞬間にラケットを握る(=力を込める)と、威力が出るというのは正しいのだろうか。
むしろラケットを握る手はずっと力を抜いたままのほうがスイングスピードが上がるのではないか。

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以上、37本を駆け足で振り返ってみた。去年の振り返りよりも少し記事が増えていて、読み返すのに難儀した。

今年は打ち方の点で進歩があった。
年頭の01と年末の38がともに脱力についてだったが、腕を脱力して、下半身(股関節)を使ってフォアハンドが打てるようになった。これで威力と安定性がかなり向上した。

04と05でレシーブについて連続して取り上げたが、来年はもっとレシーブや台上に力を入れたいと思う。特にツッツキはもっと考察する必要があると感じる。

11のバックスイングを早く引きすぎるというのは、私にとって大きな発見だった。

裏面バックハンドの手打ちが今でも気になっているのだが、12の記事を読み返して、改めて手打ちにならないバックハンドの研究の必要性を感じた。

08、14、24で次球の予測について考察したが、これも今の私には不十分な点なので、より深めていきたい。

13、25、34でボールの「乗せて打つ」ということがなんとなく理解できたように思う。

09、34でフットワークについて取り上げたが、この方面はこれといった発見がなかった。23で戻りについて取り上げたが、フットワークは足の動かし方よりも、動き出しを早くするほうが中高年には効果がありそうだと感じる。

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これまで年末の記事に

「このブログを支えていただいた読者のみなさまに感謝いたします」

などと形式的な挨拶を書いてきたが、感謝とは何か。今年はそういうことを考えさせられる一年だった。パンデミックで経済が停滞し、世界中で生活が困窮している人も少なくない。「生活できるのは当たり前。もっと余裕のある生活を送りたい」などと思っていた私たちにとって、生活できるのは当たり前じゃないという現実を突きつけられた一年だったのである。住む家があって、三食食べられて、仕事もある。こんなありがたいことがあるだろうか。このありがたい生活がどんな縁によってもたらされたのかをつらつらかえりみるに、自分とかかわるあらゆることがその原因だったのである。自分が住んでいる場所、自分の仕事、自分と付き合いのある人…私はそれぞれに少なからず不満を抱いていて、できることなら別の、もっといい選択があったのではないかと思ったりもしたが、つまるところ、今の自分を取り巻く環境の総体が、今のありがたい生活をもたらしてくれていたわけである。どうして人は恩恵には目を背け、不満な点にばかり目が行くのだろう。これを逆にして、不満な点には目を背け、恩恵にこそ感謝すべきである。

今年一年、このブログが存続できた縁をどこに求めるかというに、卓球場、練習相手、卓球仲間、卓球選手、卓球メディア…そして読者のみなさんのおかげである。これらのすべてに感謝しないわけにはいかない。

今年一年ありがとうございました。来年も拙ブログ「しろのたつみ」をよろしくおねがいします。



なんともない なんともないが わしがしやわせ なむあみ太ぶつ (浅原才市)


アマゾンのオーディブルというサービスが、3か月無料体験というのをやっていたので、申し込んでみた。今回は卓球には関係のない記事である。
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中年になると、なかなか本を手に取らなくなる。読む必要がある本なら手に取るが、それ以外の、教養のための読書というのをする気が起きない。仕事と卓球のことだけで頭がいっぱいなのである。

豊かな老後のために、古典などを読んでみたいものだと頭では思っていても、身体がついていかない。ページを開き、活字を追うのだが、頭に入ってこず、同じ段落を2度、3度読み返すことになるので、ちっとも読書が進まない。どうしたらいいものかと思っていたら、勝間和代氏が動画の中で「移動などのスキマ時間は、耳で聞く読書、つまりオーディブルに当てている」と言っていたので、このサービスには、以前から興味を持っていたのだ。そこへ、3か月無料体験のキャンペーン(6/29まで)が行われているのを知って、申し込んでみたわけである。

目で活字を追いながら内容を理解する――視覚からの情報を概念化するのはロスがあると感じる。字面が脳裏に残ってしまい、概念化に集中できない。一方、音声からの概念化は、視覚情報のような余分な情報がなく、概念化に集中しやすい。つまり、音声による「読書」のほうが、衰えた脳にはやさしいと思うのである。
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アマゾンからこのサービスを申し込むと、コインというのが毎月1枚もらえるらしい。私は『哲学と宗教全史』という大部の本を購入してみた(無料キャンペーン中なので、お金は払っていないが)

無題

出口治明氏は「稀代の読書家」とか、「知の巨人」とか呼ばれているらしい。出口氏がどんな人か存じ上げないが、イメージ的には渡辺昇一氏や、谷沢永一氏のような人だろうか。

単行本で470ページほどの分量を、プロのナレーターが聞きやすい声で朗読してくれる。全部で14時間ほどある。毎日1時間聞いても、約半月もかかるのである。これはボリュームがある。夜寝る前とかに聞くと、よく眠れるだろう。ちなみに書籍版なら2600円強、kindle版なら2100円強である。

初めはkindle fireで聴こうと思ったのだが、なんとアマゾンのサービスなのに、kidleのアプリストアにアプリが置いていない。裏技でgoogle playをインストールしないと、聞けないのである。しかたないので、ケータイにaudibleのアプリをインストールして聴くことにした。
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初めは宗教と哲学の関係についての説明があり、それから紀元前5世紀ごろの思想家の話が始まった。この時代に一度に世界中で思想家が登場したのは、鉄の普及による農業の発展と、有産階級の誕生が影響しているのだという。もし遊んで暮らせる階級がおらず、すべての人が毎日の生活に汲々としていては、宗教や哲学などについて考える余裕がないのだという。

なるほど。文化や学問というのは、生活に余裕がないと、生まれないものなんだなぁ。そうすると、現代の日本では、文化や学問が発展しにくいのかもしれない。

そして仏教や一神教、初期のギリシア哲学の話が続く。まだ半分も聞いていないが、分かりやすく、満足している。アマゾンのサイトのレビューを見ると、「深く掘り下げてない」だの「教科書の説明に毛の生えたもの」だのと、否定的な意見も散見するが、古代から近代までを通して語ることの難しさは、専門的な研究論文の作成に勝るとも劣らないということを私は知っている。専門的に学んだことのない事柄まで、おそろしく広い範囲を大過なく語るためには相当な努力が必要なのである。

しばらくはこの本を聞くとして、無料体験期間中に他の本もできるだけ聴いてみようと思ってオーディブルのサイトで本を検索してみたのだが、無料で読める本はほとんどなかった…。著作権の切れた青空文庫にあるような本でも有料である。私も何度か趣味で音読したことがあるので、ナレーターに音読してもらうのは、かなりの手間がかかることだというのは分かるのだが、無料期間が過ぎて、毎月1500円徴収されることになって、かつ本を聴くために2~3000円かかるとなると、お得かどうか分からなくなってくる。毎月コイン1枚もらえて、1冊購入分が相殺されるのだが、2冊目以降は有料である。

読みたい本がたくさんあって、それを聴くのに毎月数千円かかっても構わない、金より時間と知識だ!という人にはいいと思うが、私のようにオーディブルのサイトに読みたい本がそんなに多いわけではないし、お金も大切だ!という人間には、このサービスを勧められるか微妙である。薄い本や軽い本なら、図書館で借りて、自分で音読して聴いた方がお得かもしれない。

なお、一度購入した本は、退会後も何度でも聴けるというのは良心的である。
アマゾンプライムの毎月の支払い500円のお得感に慣れていると、オーディブルの毎月1500円はあまりお得感を感じない。


ある晩のこと、無性に豆腐を食べたくなり、近所のスーパーを22時頃訪れた。

信吾港町

その店は豆腐をいつも88円で売っているのだが、ちょうどその日は78円になる特売日だった。すると、なんと豆腐が一丁も残っていない…。いつもは20丁ぐらい置いてあるのに、その日に限って完売だった。たった10円安いだけではないか。そんな目の色を変えて買い込むほどのことか!?

思い起こせば昭和の時代、新聞のチラシに50円引きクーポンとか100円引きクーポンとかが付いていても、恥ずかしくて使う気にはならなかった。今なら、50円引きクーポンなんてRPGのレアアイテムのように貴重なものだ。使わずに使用期限を超えてしまうなんて考えられない。時代は変わった。

そんなこんなで、来月から消費税が10%に増税されるのだという。

すわ!一大事。

9月中に卓球用具を買いだめしておかなければ。ラクザ7は実売、3450円に8%の消費税がかかって3726円。それが10月になると、3795円で、71円も高くなる。
ラケットは何かほしいのがなかったっけ? 神選手愛用の馬琳エキストラスペシャルをちょっと使ってみたいな。6555円に8%の消費税がかかって7079円。10%になったら、7211円。132円高くなる。

…しかし、100円前後高くなるからって、それがどうしたというのだ。別に無理して駆け込み購入しなくてもいいだろう。

歳を取ると、新しいラケットにラバーを貼って、気に入らなくて別のラバーを貼って…というのがとても億劫になってくる。いつものラケットに同じ銘柄のいつものラバーを貼り替えるだけで十分だ。買い物はラケット以外のものがいい。他に買っておくものはないだろうか。シューズは使っていないのが2足あるし、ウェアの類もタンスの中にいっぱいある。かばんもストックが1つあるし…。何も買いたい物がない。

そんなときに卓球王国WEBで技術DVDがネット上の動画で見られるというニュースを見た。
http://world-tt.com/ps_info/ps_report.php?bn=5&pg=HEAD&page=BACK&rpcdno=1380#1380

「松下大星の裏面打法」が1週間レンタルで500円。これは安いのか?

私は裏面でのショートに不安を抱えている。裏面ドライブも打てることは打てるが、もっと安定性を増したいし、裏面のプッシュも使えるようになりたい。ちょうど上級者の技術動画で裏面を研究したいと思っていたところなのだ。

考えてみれば、私は技術DVDをメルカリとかで1500円とかで買って「安い!」とか言っていたのだが、1週間の制限があるとは言え、たった500円というのは激安ではないか。「サービスはマジックだ(前)」を中古で1000円弱で買って、その買い物に満足したが(前記事「バイバイの動き」)、結局3回ぐらいしか観なかった。「松下大星の裏面打法」もそんなに繰り返し観ない気がする。おそらく2~3回も見れば満足し、十分もとは取れると思う。日本一高い京都の地下鉄に乗ったら、往復で500円を超えることもしばしばである。500円というのはそんなに躊躇するような金額ではないはずだ。よし、清水の舞台から飛び降りたつもりで購入してやれ!

Vimeoという動画サービスのページに行って、クレジットカードの番号とメールアドレスを記入し、会員登録する。そして「松下大星の裏面打法」をレンタルするボタンを押すだけ。1分もかからない。
DVDを4000円ぐらい出して買うよりもずっとスマートである。LiliとかWRMといった他社でもVimeoのサービスを使って今まで無料だった動画を有料にし、薄利多売で販売したら、みんなが幸せになれると思う。

動画の構成は以下の通りである。

A【グリップの解説】
B【各打法のポイント】
裏面ショート 裏面ツッツキ 裏面ブロック 裏面プッシュ 裏面カウンタープッシュ 裏面ハーフボレー 裏面前陣ドライブ 裏面カウンタードライブ 裏面3球目スピードドライブ 裏面3球目ループドライブ 深いツッツキに対する裏面ドライブ 裏面フィッシュ&裏面中陣ドライブ 裏面フリック 裏面チキータ 台上裏面バックドライブ

C【裏面チキータのよくある失敗例】
D【その他のプレー】
台上からの連携プレー 台上BDからカウンターBDの例 台上BDからFDの例 台上BDから回り込みFDの例 フォア側に回り込んでチキータ(BD)の例 ダブルスでの回り込み裏面チキータの例

E【フェイントプレー】
裏面チキータと見せかけて裏面ツッツキ 裏面チキータと見せかけて裏面ストップ 裏面チキータと見せかけて裏面サイドスピンストップ 裏面ツッツキと見せかけて裏面フリック 裏面チキータと見せかけて裏面フォア前ストップ 

F【裏面打法のスーパープレイ】
松下大星選手 加藤由行選手 宋恵佳選手 小野志保選手のプレーが合計で4分ほど。

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以下、見た感想である。

Aの【グリップ】にはたとえばこんなコメントがある。

・グリップはフォアハンドのときは指全体に力を入れる。
・バックハンドは親指と後ろの指に力を入れて、人差し指は力を抜いて添えるだけ。
松下式グリップ

このように各項目に簡単なコメントを付し、実際に打球する映像(とスロー映像)、実際の試合でのプレー映像を続ける。Bはこんな感じである。Cの「失敗例」というのは新鮮で非常に勉強になった。Eの「フェイントプレー」も実際の試合でも使えそうなので参考になった。Fの「スーパープレー」はボリュームがなさすぎて残念。個人的には加藤由行選手のプレーをもっと観たかった。



一通り、観てみて、この動画は前記事「要素構成主義を超えて」で取り上げた「表ソフトの教科書」と同じような印象を受けた。基本的には「単体の技術の実演」+「簡単なコメント」という構成が中心である。これを見て、裏面が打てるようになるかは微妙である。ある程度打てる人が参考にするという性質のものだろう。「表ソフトの教科書」は4000円ほど出して買ったので辛辣に批評してしまったが、「松下大星の裏面打法」がわずか500円で見られるなら、十分値打ちがあると思った。

以下、補足である。

・画質:パソコンのブラウザで観たら、360Pしかなかった(Vimeo有料会員ならもっと高画質で観られる?)。
・序盤に重複あり(「ツッツキ」の後で動画が切れており、もう一度初めから再生される)
・中盤に音ズレあり

【補足】190911
【裏面チキータのよくある失敗例】の部分に【その他のプレー】を含めてしまっていたので、修正した。

Tリーグが始まっているが、楽しそうだ。しかし、あれは関西には縁のないお祭りである。いや、女子の試合は大阪の南の方で行われているらしいが、京都人からすると、不便すぎて行く気になれない。交通費だけでも往復で3000円ぐらいかかりそうだ。Tリーグ関連で東京ではいろいろなイベントも開かれているらしい。東京の人は恵まれているなぁ。

私はというと、ひどい風邪をひいて仕事を休み、その仕事を持って帰って、この週末はそれをこなしていたら、全部潰れてしまったし、卓球のことをあまり考えられなかった。

ブログ更新にもあまり熱が入らなかったが、週に1回ぐらいは更新しようと思い、今、こうやって書いている。何を書こうかな。

最近、読んだ本のことでも書いてみよう。卓球には関係ない話題で申し訳ない。

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ちょっと前に話題になった『正しいパンツのたたみ方」というのを友人に借りて読んでみたところ、なかなかおもしろかったので紹介したい。

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筆者は男性の家庭科教員で、この本は家庭科が実に奥の深い教科であるということを教えてくれる。

筆者は高校の入学式の後、保護者と新入生に対して次のような訓示を行った。

昼はできるだけ弁当を持ってきてください。
でも別に保護者の方が作る必要はありません。みんなももう高校生ですから、自分の弁当ぐらい、自分で作ってもいいと思います。一度や二度作るのはそれほど難しくないでしょう。ですが、毎日弁当を作りつづけるというのは大変なことです。でも、それを三年間やり通せたら、どれだけの自信になるか計り知れない。僕はそう思います。ぜひ挑戦してみてください。

筆者はこんなめんどうなことを3年間やれる生徒はいないと思いながら、もしかしたらという期待をもってこの訓示をしたのだという。

そして3年後の卒業式の日、ある女子生徒にこんなことを言われたのだという。

ところで先生、入学式のとき、何言ったか覚えてる?覚えてへんでしょ?

なんと、筆者でさえすっかり忘れていた教えを忠実に守りとおした生徒がここにいたのである。

最初のころはほんまに大変で、もうやめよ、もうやめよって、何度思ったかわかれへんけど、そのたびに、もうちょっとだけがんばろうと思って作ってたら、そのうち弁当作るのが普通のことになってきて、よく、家族の分も作ってあげたりしてん。

この女子生徒が弁当作りからどれほど多くのことを学び、人間的に成長したか私には想像もつかない。

私たちはともすると、弁当作りというのは、料理の技術の問題かと勘違いしがちだが、弁当を作るということは、単に作るのみならず、材料の買い出し・選別から、下ごしらえや、アレンジ等、総合的な能力が求められる。全ての材料が目の前にあって、分量なども決まっている料理教室のようなものではない。準備から出来上がりまで、すべてを自分で考えなければならないのだ。

めんどくさすぎる。

私が同じ立場だったら朝、コンビニでパンなりおにぎりなりを買って済ますという安易な方に流れてしまうだろう。それをこの女子生徒は成し遂げたのだ、3年間弁当を作るという偉業を。

弁当を作るということは、総合的な行為だと述べたが、それによって料理を作る技術が身につくだけでなく、自立心も養われるのである。弁当を作るためには生活を自分で管理しなければならなくなる。弁当を作るためには早起きをしなければならないし、前の晩から翌日の弁当のことを考えなければならないので、いろいろなことに気をつかわなければならない。料理の材料を買うことで金銭感覚も身につくし、栄養バランスに対する関心も出てくるだろう。

若くしてこのような経験をした人は、「めんどくさい」と感じることがほとんどなくなるだろう。そしてめんどくさいと感じなければ、勉強でも仕事でも他の人よりずっと優位に立てるのである。考えてみれば、私たちが失敗する主な原因は「めんどくさい」ではないだろうか。学校で来週テストがある。テスト勉強はめんどくさいから、つい次の日に先送りして、痛い目をみるのである。部屋を片付けるのがめんどくさいから、散らかしたままにしておくと、いざというときに必要な書類が見つからないのである。この女子生徒はおそらく帰宅したら、復習と予習をきちっとして、明日の授業に備えるだろうし、部屋が少しでも散らかっていたら、躊躇なく片付けるだろう。「めんどくさい」という感覚が鈍感になっているのである。

逆に親にいつも弁当を作ってもらう子供だったら、どうだろうか。時間通りに弁当ができていて、それがおいしいかどうかにしか意識が向かないであろう。その弁当ができるまでに親がどのような手間をかけたのか全く気付かない。そういう子供は両親に対する感謝の念、ひいては他者に対する感謝の念が薄くなるに違いない。

「今日の練習試合の相手、弱すぎたよなぁ。電車とバスを乗り継いで1時間もかかったのに、意味なかった」
「どうして顧問の先生は部活にめったに顔出してくれないんだろう。もっと熱心で、技術的にもいろいろ教えてくれる顧問の先生がいる学校がうらやましいよ。」

私も若いころは部活でこんなことをぼやいてしまっていたが、今、思い返すと自立心が全くなく、ただサービスを受け取って、それに文句をつけているだけの子供だったと恥ずかしくなってくる。顧問の先生は、お忙しい仕事の合間を縫って他校との練習試合を設定してくれたり、部活の運営に問題がないかときおり見に来てくださるといったことに感謝こそすれ、文句をつける筋合いなどないのである。

歯ごたえのある強い学校と練習試合をしたければ、自分でその学校に申し込めばいいのだし、技術的な指導がほしければ、自分たちで勉強したり、卒業した先輩なり、地域のクラブの上手な人なりに教えを乞うたりして、いくらでも進歩する方法はあるはずなのだ。

「そんなめんどくさいことできない」

というのがふつうの子供だろう。しかし、上述の女子生徒なら、できることは自分でやってみようと考えるのではなかろうか。

毎日の部活の前に20分のランニングや筋トレがあるとか、部活の前後に練習場の掃除をするとか、定期的に部員たちでミーティングを開いて練習メニューをアップデートするとか、そういう「めんどくさい」ことを2年強続けるというのは、人間的な成長に不可欠のものだと思う。卓球の技術的な向上はイマイチだったとしても、「あんなめんどくさいことをよくやれたなぁ」という自信は何物にも代えがたい財産になるはずである。そして自分たちが卓球をできているのは、いろいろな人のおかげだということにも目が向くようになるのである。



新しい卓球の教科書

著者の近藤欽司氏は女子日本代表監督も務めた名指導者。
御年76歳。
昨今の出版事情を鑑みると、これが最後の著作になるかもしれない。

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雑誌の技術記事と比べると、卓球書というのは退屈なイメージがある。
どの本も
「卓球は楽しい」
「卓球のルール」
「ラケットとラバーの種類」
「サービス、レシーブ、ドライブ、ブロック等の各打法」
「練習メニュー」
といった章段によって構成されており、目新しい発見に乏しい。雑誌記事のほうが詳しく具体的で読みがいがあるものが多い。

しかし、本当にそうだろうか。
雑誌記事というのは過去の記事が顧みられることは少ないが、著作というのは図書館などに蔵書され、数十年後まで人々に顧みられることになるし、著者の「作品」として自身のプロフィール欄に記載されるのだから、書く側としてはそれなりに力を入れて書くものである。雑誌記事の執筆よりも著作の執筆の方が多くの時間を費やし、力を入れることになるのは当然のことと言えよう。

ただ、この「力を入れる」というのは卓球でも執筆でもマイナスに働くことがままある。
処女出版のときは、自分の持つ知識の限りをあれもこれもと詰め込んでしまった結果、情報量が多すぎて主張がぼやけてしまい、読みにくくなりがちである。それが二作目以降となると、情報量と読みやすさのバランスを考えるようになり、まとまりもよくなる(前記事「卓球警句」)。そして最後の出版となると、おそらく「これだけは!」という必要最低限の厳選された情報だけに絞って書くようになるのではないかと想像される。

実際『新しい卓球の教科書』も情報量は決して多くはない。そして同じ主張が繰り返し現れる。これは著者の50年にわたる指導経験から確立された、ぶれない指導姿勢と言えるだろう。

『新しい卓球の教科書』という書名にも意気込みが感じられる。流行に左右されない、数十年の参照にも堪える、卓球の本質が書かれているという自負の現れなのかもしれない。教科書というのは参考書などと違い、やたらと詳しく書かれているわけではない。枝葉の情報は削ぎ、必要最低限の骨組みだけが書かれているものである。この本は近藤氏の考える、卓球で最も大切な核心の部分を厳選して綴ったものと言えるだろう。

前置きが長くなったが、この本を読んだ感想を記してみよう。

この本は表紙に「試合に勝てる!」とうたっているように試合で勝つことを目的とした卓球書である。

内容は非常にシンプルな主張から展開されている。
「卓球のラリーの7~8割はせいぜい6球目で終わってしまう。だからその6球目までで得点できる展開を考えましょう」ということである。こういうデータがあるのは知っている。たしか卓球部の大学生の試合を分析したものだったと思う。6球目というと、あっという間である。交互に打つわけだから、得点までに自分がボールを打てるチャンスはわずか3球である。最後に自分が強打を打とうと思ったら、残りの2球をなんとなく返球するのではなく、その2球で確実に仕掛けを入れていかなければならない。無駄な「球目」は一つもないと言ってもいいだろう。自分にサーブ権があるときは、サーブから仕掛けていかなければならない。

私の場合で言えば、試合の時は、相手のボールを返すのがやっとで、どうやって5~6球目で決めればいいのかまで考えが及ばないことが多い。ついなんとなくダラダラと行き当たりばったりでラリーを続けてしまう。しかし、名指導者にこういう現実を示されると、1~2球目に臨んだ時点で、次の展開と、さらに次の次の展開まで考えておかなければならない、一球も無駄にはできないと襟が正される思いである。

そして近藤氏は言う、「卓球は守りが難しい競技」であると。
したがって相手よりも先に攻撃することが試合を有利に進める上でのポイントになる。

では、練習はどうすれば良いかというと、点を取る部分を高める練習は当然必要です。自分のサーブから3球目、5球目で先手を取って連続攻撃をしていく。これは基本的な「得点力」ですね。それから、いくら点を取っても、それ以上に点を取られては勝てないわけですから、取られる部分を少なくする「対応力」の練習も必要です。相手も得点力がありますから、それをいかに防ぐか、失点を減らす部分ですね。

攻撃が大切だといっても、何が何でも先手をとらなければならないというわけではない。相手も先手を取ろうとしているのだから、どうしても先手を取れない場合もある。そういう場合は無理して攻撃するのではなく、「対応力」(相手に先手を取られた場合にしのぐ守備力のことか)を高めて次の攻撃のチャンスをうかがうのである。

だから、練習の基本は「得点力」を高めるか、「対応力」を高めるか、これが大きな柱になります。
単純なミスを減らして、粘り強くするというのも必要ですが、甘いコースに打って相手に打たれたらいけませんから、コースをついたり、強くは返さないけれども、安定して低く深く返すという部分も練習のテーマとして必要です。この3つが、練習の大きなテーマになります。


さらにできるだけ相手に強く攻めさせない能力――低く厳しく返球する能力も大切だと述べる。この第三の能力には名前がないが、相手の一発強打を未然に防ぐという意味で「防御力」とでも呼べようか。

以上が競技卓球に対する近藤氏の基本的な思想だと思われる。

それに4つの戦型(A~D型)、7つの「技の感覚」(こする、はじく、うけとめる、相手のボールを利用する、流す、切る、切らない)、4つの「技」(決める、守る、つなぐ、仕掛ける)、を組み合わせて卓球を論じているのである。

打点と打法

戦型について少し補足すると、A型は一発強打で勝負するタイプ。B型はラリーを続けて点を取るタイプ。C型は異質ラバーで相手を惑わすタイプ。D型はカット型である。

私の取り柄はフォアドライブなので、A型になるだろうか。

A型は3球目で強打をするため、サーブのレベルを上げることが重要で、たとえばボールの下側をこする下回転のサーブを出し相手にツッツキのレシーブをさせ強打していくわけです。

なるほど。質の高い下回転サーブを磨くことが必要なのか。

A型は一発で決めに行くわけですから、長いラリーを続けてしまうと、良さが消えてしまいます。…フォアハンドの強打を出すためには足の動きが重要になってきます。フットワークが重要視される戦型なので、「自分は動きや反応が少し遅い」という選手には向かない戦型になります。

う~ん。私はフットワークに難があるので、A型には向かないようだ。初心者はとりあえずB型を目指すべきだとある。

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この本は、即効性のあるコツや詳しい知識といったものはそれほど多くない、地味な本に見える。しかし何度も読み返すことによって基本に立ち返ることができ、いろいろな発見もあるかもしれない(私は通読しただけなので、見落としも多いことだろう)

 

『TAMA』という雑誌はおそらく関西以外では流通していないだろう。

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最新号はまだ読んでいない

一言でいうと、関西で開催される大会情報が載っている雑誌である。
申し込み締め切り、開催日、開催場所などの情報が細かく載っている。イメージとしてはかつてあったアルバイト情報誌『From A』のような雑誌である。定価は500円。年4回発行。本屋さんではなく、卓球場やネットショップで買える。

こういう雑誌は個人ではふつう買わないだろう。試合に出る人が多い卓球クラブなどで購入するのではないだろうか。私も卓球場などでちょっと目にする程度で、あまり手に取って読もうとは思っていなかった。

先日、時間があったので、この雑誌をはじめてきちんと読んでみた。予想外に楽しめた。

情報誌なので、大会の応募要領などしか載っていないと思っていたのだが、卓球業界の有名人へのロングインタビュー、関西の大会のハイライト、卓球メーカーのお勧め用具の紹介、関西の卓球場紹介、関西の学校の卓球部紹介、技術記事など、大会情報以外にもいろいろなコンテンツがあった(情報量はほどほどであるが、むしろそれがいい)。大会情報も関西だけでなく、日本全国の大会情報(ローカルな小さな大会も含む)が紹介されていた。

注目すべきは関西の大会のハイライトだった。インターハイやインカレ、全日本の結果は『卓球王国』などで大きく取り上げられているが、関西学生(関西学生卓球選手権)、高校や中学の近畿大会の結果がデカデカとカラー写真で紹介されているのはTAMAならではだろう。

そういえば、関西の大学生でどんな選手が活躍しているか全然知らなかった。「関西学生」の結果を見ると、今、男子は関学の高橋和也選手が強いらしい。京都では誰が強いんだ?男子では龍谷大学の留学生、張博良選手がベスト8だ。男子の京都勢は元気がないなぁ。女子はどうだろう?やっぱり関学の向山佳那選手が強いようだ。おっ!同志社の塩見紗希選手が準優勝だ。三位には同志社の橋田菜津子選手、立命館の笹岡柾美選手が入っている。ベスト8には同志社の政本ひかり選手、朝田茉依選手が入っている。女子は京都勢ががんばっているなぁ。そういえば、同志社の成本綾海選手が去年の全日学で優勝したんだっけ。同志社女子卓球部、頼もしいぞ。

高校生はどうだろう?
近畿大会の結果は、男子は大阪桐蔭の菅沼湧輝選手が強いらしい。2位は竹内佑選手、東山だ!3位は大阪桐蔭と上宮の選手か。東山は大阪勢に押され気味だなぁ。女子はどうだ?…四天王寺にベスト4を独占されているし、ベスト8も昇陽が一人入っているだけで、他は四天王寺だ。女子は四天王寺がいるので、京都勢の上位進出は難しいだろうなぁ。
しかし、団体戦は東山が優勝。龍谷大平安が3位。女子は華頂が準優勝。団体では京都勢がなかなかがんばっている。。

中学はどうだ?
ああ、やっぱり大阪勢が強いなぁ。京都の芝優人選手が3位に入っているが、シングルは男女ともに大阪が強いようだ。団体戦は女子で黄檗中学が3位に入っている。なんとか大阪優位の関西卓球界を変えたいものだ。

あれ?なんだか楽しいぞ。
レベル的に見ると、関東の大学や名電、野田学園などの高校のほうが関西の大学、高校よりもレベルが高いが、私は明治大学や専修大学の対決よりも、京都の大学と大阪・兵庫の大学の結果のほうが気になる。もし自転車で行ける範囲で近畿大会が行われていたら、観に行ってしまうかもしれない。全国レベルのようなレベルの高い大会があっても、それほど見に行きたいという気持ちは湧かないだろう。それよりも地元の学生の試合のほうを観戦したい気持ちが強くなってきた。ブレイクする前の歌手を応援する人の気持がわかる。

新体連の近畿大会の結果も載っている。あれ?この人知ってるぞ。へぇ、近畿大会で年代別で3位に入った人だったんだ。道理で強いはずだ。

卓球ショップや卓球場の紹介も、行ったことがあったり、よく耳にするところだったりする。

昔、AKB48が「会いに行けるアイドル」ということで売り出していたが、こういう地元密着型の雑誌を読むと、関西トップ選手の顔と名前が分かり、そうすると、その選手がどのぐらい強いのか、ちょっと試合会場に足を運びたくなってくる。Tリーグプレミアが世間の注目を集めているが、遠い世界の話のような気がする。逆に関西のトップ選手なら、現実世界の試合という気がする。関学の向山佳那選手と同志社の塩見紗希選手の再戦が実現するなら、それを見に関西の大学生の試合を見てみたいという気がする。塩見選手、次はリベンジだ!

そして特筆すべきは「基礎の鬼」という技術指導ページである。
「全日本で光った技術」とか「世界の技」とかではなく、初中級者向けの非常に役に立つ情報が書いてあった。白黒の記事で、一つの技術につき、1ページで簡潔にまとめてある。書いているのは卓球教室の指導者で、とても分かりやすい。おお!ペン表のストップの指導記事にKotoの大西コーチが…。ストップは大西コーチの得意技なのかもしれない。

以上、TAMAをじっくり読んでみた感想である。すべてにおいて地に足がついている気がする。全日本選手権ともなると、さすがに結果が気になるが、それ以外の中学や高校の全国大会の結果というのは私にとっては「ベラルーシの年間降雨量」のような話かもしれない。

セトウツミ

TAMAのような地域密着の雑誌が全国的に増えれば、草の根レベルで卓球が盛り上がり、卓球観戦も盛んになるのではないだろうか。

【付記】京都の卓球事情
地域によって社会人が参加できる大会が違い、他地域の人は京都の卓球事情を知りたいかもしれない。もし京都に引っ越してくる卓球人がいれば、参考になるかと思い、京都で社会人が出場できる一般的な大会を紹介したい。

京都には協会(京都卓球協会)と新体連(新日本スポーツ連盟 )という二つの大きな団体があり、数多くの大会を開催している。私の周りの人は月に1~2回はどちらかの団体の試合に出ている人が多い。試合が好きでたまらない人は大阪や神戸、あるいは滋賀まで遠征に行って毎週末試合をしている。

「協会」開催の大会は本格派の若い選手が参加する大会が多く(全中とかインターハイの予選を行っている)、「新体連」の大会は社会人の趣味の大会が多い。京都の社会人のレベルはそれほど高くなく、大阪や神戸のほうが高いようだ。また、京都市内ではラージボールがほとんど行われていない。ラージが盛んなのは京都南部の城陽市や宇治市である。

私のような社会人に身近な試合には「協会」開催の社会人リーグと「新体連」開催の年齢別、クラス別の大会がある。

社会人リーグ
は「協会」開催で、年に4回開催される4S1Wの団体戦。大きく3つのレベルに分かれている(女子のほうはよく知らないので男子の紹介のみ)。1部につき8チームぐらいいて、リーグ戦を行い、上位2チームが昇格。下位2チームが降格。昇格や降格がかかっているので、真剣勝負。チームでユニフォームを揃えないと失格→自動的に降格。厳しい。

・トップリーグ(1~5部) 一番上の1部や2部は東山高校や平安高校の卒業生などが混じっているので、非常にレベルが高い。私のようなオジサンには場違いのリーグ。
・レギュラーリーグ(1~5部) ふつうじゃないほど卓球好きのオジサンたちがいるリーグ。
・チャレンジリーグ(1~10部) ふつうの卓球好きのオジサンたちのリーグ。


年齢別
は新体連開催で、一般、40代、50代…と年代に分かれている個人戦。実力がまちまちの人を年齢でくくっているので、とんでもなく強い人や弱い人と当たる可能性がある。年に1~2回?、近畿大会や全国大会に進める大会もある。そのときだけ出場者のレベルがグッと上がる。

クラス別
は新体連開催で、レベルによってA~Eに分かれて行われる個人リーグ戦。Eは初心者、Aは昔、近畿大会や全国大会に出場したようなかなり上手なオジサンのレベル。自分のレベルに合わせて出場できるので人気がある。そのレベルで優勝した人は、一つ上のレベルに上がらなければならない。

他にも協会が開催する個人戦や、市や府が開催するオープン戦がいくつもあるが、私はよく知らない。


まるで流れ星みたいだ。
大地はそう思った。空気のなかにいっしゅん、すうっと直線が見えた気がした。
卓球台にたたきこんだ小さなボールは、父さんの差し出したラケットの先をきれいにぬけていった。


 こう書き出されている。卓球の物語と知って本を開くと、最初に「流れ星」。想像が広がる。「すうっと直線」「きれいにぬけていった」とは、主人公大地君の視覚。一条の美しい光の喩えと読みとれる。
 一方、第一文が心に刻み込まれた読者は、主人公の感覚を離れて「流れ星」の孤独を思ったりする。そういうふうに惹き込まれる読者もいる。宇宙の暗闇をひとり行く、星の欠片。何者かの力によって進んでいるのだろうか。迷っているようには見えない。大地に衝突するのか。接触を望んでいるのか。どこかの目的地に到達するのか。つながりは求められているのか、疎まれているのか…。考えるのは、迷うのは人だ。宇宙には物理の事実だけがある。その流星を人が見る、というつながりはある。その薄い関係からも人は何かを創り出す。


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年末になって、ようやく心が落ち着いた。
しかし、卓球をする相手がいない。せっかくの時間を卓球に費やせないだなんてなんということだ…。
しかたがないので、読書でもしてみる。

以前、古い『卓球王国』を知人に貸してもらって読んでいると、伊藤条太氏のコラムに田辺武夫氏の『卓球アンソロジー』という本が紹介されていた。
卓球アンソロジー
装丁も美しい

2015年までの卓球を扱った小説、マンガ、演劇や映画、はては広告や実況などまでを取り上げて、丁寧にコメントしている。

こんな本が出版されていたなんて全然知らなかった。早速手に入れなければ。

アマゾンで調べてみると、なんと2016年8月出版にもかかわらず、すでに完売。古本で入手するしかない。幸い古本ならまだ在庫があったので、速攻で購入。今、この本は晴れて私の所有となった。

冒頭の引用は『チームふたり」という児童文学に対する評論である。
この冒頭から「流れ星の孤独を思ったり」できるというのはさすが高校の国語の先生である。私などはすっと読み飛ばしてしまいそうなところにさまざまな連想や関係を求め、著者の意をくみ取り、該博な知識を動員し、想像の翼をこれでもかと広げていく。高校生の時に読んだ小林秀雄の評論みたいだ。

卓球を扱った文学作品というのを読んでみたいと常々思っていた。マンガや映画は比較的有名だが、過去の文学作品の中で卓球がどのように取り扱われているのか。本書はそういうことを細かく詳しく扱った労作である。

大半は『卓球レポート』などの卓球雑誌に連載されたコラムなどで構成されているが、それ以外にも著者の随筆や卓球の歴史について、資料等を博捜して提示されている。漱石が日本人として最初期に卓球をプレーしたという発見は、価値のある考察ではないだろうか。取り上げた作品の中にはおそらく駄作などもまじっているのだと思われるが、どの作品にも肯定的なコメントがなされており、著者のあたたかい人柄がうかがえる。

個人的には冒頭の吉野万理子氏の児童文学『チームふたり』、それから堀江敏幸氏の『おぱらばん』を読んでみたいと感じた。堀江氏が卓球部出身だったということを知り非常に興味を抱いた。この人の晦渋な文体がどのように卓球と結びつくのか読むのが楽しみである。

もう今年もあとわずか。
今年も卓球がたくさんできていい一年だった。もちろんイヤなこともたくさんあったが、そういうことは忘れて卓球ができることに感謝しなければ。

最近、親しい人が大怪我をして、歩行もままならない状態で入院中である。下手をすると退院しても卓球ができなくなる可能性もあるのだという。私は当たり前に卓球を楽しんでいるが、そうではない人もいると知ってショックを受けた。

「朝は希望に起き、昼は努力に生き、夜は感謝に眠る」

街なかを散歩しているときに見かけた言葉。常にこうありたいと思う。

みなさん、よいお年を。


気づいたら2週間以上更新していなかった。やっと一息ついたと思ったら、今年ももうすぐ終わり。月日のたつのは早いものだ。何か書こうと思ったが、ネタがない…。

とりあえず昨日読んだマンガについて書いてみよう。

髪をきれいにして新年を迎えることにしようと散髪屋に行ったところ、けっこう混んでいた。みんな同じようなことを考えるのだろうか。
手持ち無沙汰なので、雑誌でも読もうかと思ったが、男性向けのきわどい雑誌ばかり置いてあって、ちょっと手にするのが恥ずかしい。お、ジャンプがある。

jump

これでも読んでみようか。今は『ハイキュー』が人気なのか。私はバレーボールには全く興味がないが、このマンガは主人公の男の子がさわやかでかわいくて、かっこよくて、好感が持てる。10巻ぐらいまで読んだが、安易に世界を目指さず、県大会ぐらいでアツいドラマになっているのもいい(今は全国大会ぐらいまで進んでいるのかもしれないが)。

昔はスポーツマンガといえば、野球やサッカーばっかりだったが、今はバレーボールだの、相撲マンガだの、スポーツマンガもバリエーションがあっていいなぁ。あぁ、これが話題の卓球マンガか。『フルドライブ』という題名だ。

パワードライブ

おお!なかなか迫力のある絵ではないか。上の絵は卓球のダイナミズムをうまく表現している。卓球の迫力を静止画で表現するのは難しいと思ったが、なかなかがんばっている。そして専門的な技術解説などもあり、期待させられる。

主人公がハイキューの主人公に似ているのもいい。

かっこいい卓球

カミキ・セカイ

ガンダムビルドファイターズトライのカミキ・セカイくんにも通じる単純さわやか系のキャラのようである。

世田谷アカデミーという、エリートアカデミーのようなところが舞台のようだ。そこの先輩と勝負している辺りまで読んだのだが、『ハイキュー』のように引き込まれるようなおもしろさは残念ながらなかった。はじめから読んでいないので、主人公がどういう性格なのかよく分からないが、キャラの性格やストーリーの展開はこのままだとちょっと心配である。絵の表現はレベルが高かったと思う。

今後に期待である。

ところで上のコマの

「卓球はかっこいいからね」「当然よ」

というやりとりに卓球の負のイメージがいまだに根強いことを感じないわけにはいかなかった(前記事「卓球の「暗い」イメージ」)。他のスポーツマンガで登場人物に「バスケはかっこいいからね」のように言わせるのを見たことがない。バスケがカッコイイかどうかをバスケをしている人は気にしたこともないだろう。言うまでもないことだからだ。あるいは多くの読者にとってなじみのない競技だったら、「カルタっておもしろい!」のように言わせることもあるだろうが、わざわざ「卓球はかっこいい」というのは軽く違和感を感じる。このマンガに文句を言いたいわけではない。卓球人のトラウマは簡単には払拭できないと感じただけである。

日本の卓球は女子のほうが強くて注目度が高いが、イメージアップという観点からすると、よかったのかもしれない。かわいい女の子が楽しそうにキャピキャピしている映像が浸透すれば、卓球のイメージも良くなると信じたい。
ITTF スターアワード

なんだかよく分からない話になってしまったが、とりあえず卓球マンガを読んで、卓球のイメージについて考えてみた。

【おまけ】
ラバークリーニング

繊細なラバーをゴシゴシこすったら、表面の油分が全部とれてしまい、かえってグリップ力が落ちてしまうと思うのだが…。

またまた卓球とは関係ない記事である。
7月にアマゾンでセールがあり、キンドルというタブレットが6000円だったので思い切って購入してみた。
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ipadなどのタブレットは、安くても3~4万はするようだ。それがたったの6000円である。
テナジーが8千円近くするのと同じぐらい異常な価格である。これを買わない手はない。

というのは、私はスマートフォンを持っていないので、朝起きて、ちょっとニュースや電車の運行状況を確認したいなら、わざわざPCを立ち上げなければならない。これがけっこう煩わしい。せっかくPCを立ち上げても、ニュースなどを確認して、またすぐシャットダウンというのでは非効率的である。
そうではなく、タブレットを開いて瞬時にニュースや天気予報を確認できるなら、非常に楽だし早い。こういう理由でタブレット購入に踏み切ったわけである。

※ふつうに購入すると、12000円ほどになってしまうので、アマゾン・プライムの30日無料体験を申し込み、プライム会員になる。そうすると、時期によっては半額近い値段で購入できる(プライム正会員になるつもりがなければ、アマゾンのウェブサイトの「アカウント」で30日後に自動的に会員になるというチェックを外しておく)

結論から言うと、私の必要としていた機能は十分備わっており、たいへん満足している。朝、起きて天気やニュースを確認するのにPCを立ち上げる必要がなくなった。それ以外にも多くの機能が備わっているので、それらを紹介したい。

まずはハードウェアから。

H1.画面サイズ
1280x800ピクセルなので、youtubeの720Pの映像も普通に見られるし、ノートPCのような感覚で通常のウェブページも閲覧可能である。

H2.音声
ステレオスピーカーがついている。テーブルの上においてちょっと音楽を聴くといったこともできる。
ハード的な音量ボタンが側面についている。簡単なマイクもある。もちろんイヤフォンジャックもある。

H3.重さ
しっかりした重さがある。重さは369gとあるから、缶ビール1本ぐらいの重さだろうか。

H4.SDカードスロット
内蔵メモリは標準で16GBだが、SDカード(私は32GBを挿している)を使ってデータを外部に保存できる。プライム会員なら、ネット上にデータを5GBアップロード(クラウド・ストレージ)もできる。

H5.カメラ
両面にあるが、静止画はたしか800Pしかないので、それほど高画質ではない(というか、いまや低画質か)。私はスナップ写真程度しか撮らないので不足はない。動画なども撮ることができるが、手ぶれ補正などの機能はない?ので、歩きながらの撮影はやめたほうがいい。

H6.USBスロット
ケータイの充電などに使う一般的なUSBケーブルが挿せる。それで充電ももちろんできる。

H7.処理速度
ウェブサイトをいろいろ閲覧したが、処理速度は特に気にならなかった。電子漫画の閲覧もストレスなくページをめくれる。私は以前ソニーのReader(PRS-T2)という電子書籍リーダーを使っていた。自炊したPDFを読む(当時のKindleは読めないと言われていた)ために購入したのだが、ページをめくるのが遅すぎてストレスがたまるので、使うのをやめてしまった。それと比べると、最新のKindle(7世代)はPDFもストレスなく読める(ただしファイラーなどのアプリをインストールしないとたぶん読めない)。

H8.wifi接続
最近はacというより速い規格があるらしいが、昔ながらのgやnしか使えない。が、特に不便はない。
ケータイのようにどこにいてもネットが使えるわけでなく、出先ではフリーWifiのお世話にならなければならない。私は出先で使うことはあまりないので、駅のフリーwifiが利用できれば、あまり不便を感じない。

H9.GPS
ついていないので、詳細な位置情報を使ったアプリは使用できないと思われる。

H10.バッテリー
私はそんなに頻繁に使っていないと思うが、一日合計2~3時間ほど使っているかもしれない。それで2~3日はバッテリーが持つ感じ(まだ切らせたことがない)だ。

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次にソフトウェア的な部分についてである。

S1.アプリ
kindleのOSはAndroidベースとはいうものの、独自OSらしいので、通常のアプリは使えない。アマゾンのアプリストアで提供されているものだけである(裏技もあるらしいが)。Google Playというところ?と比べると、アプリの選択肢は極端に少ないらしい。LINEというみんなが使っているアプリを使おうと思ったら、Amazonのアプリストアでは扱っていなかった。しかし、私はタブレットでなんでもしようと思っているわけではないので、特に不満はない。
基本的な操作などはおそらくAndroidに準ずるのだろう。

ブラウザは標準搭載のsilkというブラウザを使っている。youtubeなども問題なく見られる。ちなみに拙ブログも見てみたが、PC版と比べてずいぶん地味に感じた。ケータイ版のデザインを変更したほうがいいかもしれない。
ツイッターのアプリを入れて、最新の卓球情報などを見たりできる。
MX-Playerというメディアプレイヤーのようなアプリをインストールしたので、MP3やMP4をPCからコピーすれば、ふつうに再生できる。
File Commanderというファイラーもインストールしたので、SDカードに入れたPDFファイルも読める。
MS-WORDのファイルも読めることは読めるが、再現性はあまり高くない。

S2.Amazonのウェブサイトとの連携
プライム会員なら、無料でビデオや音楽が聴ける。選択肢はそれほど多くはないが、月額400円弱ということを考えると、十分な選択肢である。ダウンロードしておけば、オフラインでも視聴できるので、暇つぶしには重宝するだろう。
またプライム会員なら月に1冊本が借りられるらしいが、選択肢は非常に限られている。私は読みたい本がなかったので利用していない。『卓球王国』を借りられたらなぁ。
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以上、簡単なレポートだったが、おすすめの使い方は自宅のPCの補完としてのウェブサイト閲覧、動画鑑賞、メールチェックなどである。また、職場や学校でwifiが使えるなら、出先での使用も便利である。MP4動画も撮れるので、自分のプレーを録画するというのもよさそうだ(長時間は難しいと思われる)。しかし、移動中の使用には適さない。

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Kindle Fire HDを1ヶ月ほど使用したある日、自宅で急にwifiの電波を検出できなくなってしまった。自宅の他のPC等ではたくさんの電波を検出しているのに、Kindleでは一つも見つからないのである。機内モードをオン・オフしてみたり、wifiの電源を切ってみたり、再起動してみたり、果ては再セットアップ(工場出荷状態に戻す)までやってみたが、どうしても電波が検出できない。

アマゾン・カスタマーサービスに連絡し、チャットで症状を訴え、担当者とやりとりした結果、ハードウェア的な故障の可能性があるということで、同等品に交換してくれた(新品ではなかったかもしれないが、問題なく使えている)。

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【つけたり】マンガ『少年ラケット』について

アマゾンの電子書籍で『少年ラケット』の1巻が無料だったので、ダウンロードしてKindleで読んでみた。非常におもしろかった。

あまりにも面白かったので、思わず最新巻の11巻まで購入してしまった。というのは、アマゾンで『少年ラケット』を購入したら、ポイントがついていて、1冊あたり実質半額の220円ほどで購入できたからなのだ。

このマンガは今まで私が読んだ卓球漫画の中で最もリアリティーがあり、納得できるストーリーだった。
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リアリティーとは何か。

たとえば「ピンポン The Animation」というアニメを観たことがあるが、魅力的なキャラがたくさんいて、非常に良質のアニメだった、とはいうものの、卓球の競技としてのリアリティーの点では疑問を感じる点もあった。たとえば主人公がコネでエリートアカデミー?っぽい環境での練習に参加させてもらったり、用具をカーボンラケットに変え、今まで使わなかった裏面を使うようになったら、急に全国トップレベルの選手になったりと、そのへんの展開にはあまりリアリティーが感じられない。

『少年ラケット』も、登場人物の技術的な成長が早すぎるという不自然さはあるのだが、ストーリーは念入りに計算されており、技術解説も詳しく、卓球の勉強にさえなる。著者はどのような人なのだろう?ただ者ではあるまい。

卓球のような繊細でスピーディーなスポーツを漫画で表現するというのは非常に難しいことである。県大会出場選手と全国トップ選手のプレーの違いを漫画で描き分けることは難しい。たとえば戻りの早さ一つとっても、それを漫画で描こうとすれば、おそろしく煩雑で冗長な表現になってしまうだろう。『少年ラケット』ではボールの威力や必殺技といったスポーツ漫画によくある描き方ではなく、戦術的な側面から試合の駆け引きを描いている場合が多い。

『少年ラケット』は卓球経験者の鑑賞にたえる名作になる可能性を十分備えている。それだけにとどまらず、この漫画は単に経験者が読んでおもしろいという以上に大きな意味を持っている。というのは昭和の少年たちが『巨人の星』やら『ドカベン』やらで野球に夢を託し、『キャプテン翼』でサッカーに夢を託したように、21世紀の少年少女は『少年ラケット』で卓球に夢を託すことになるかもしれないからである。
卓球のスポーツとしてのかっこよさ、アツさを子供たちに伝えるには良質の漫画が一番である。が、これまで少年少女に卓球へのアツい夢を与えてくれる漫画はなかった(と思う)。『稲中卓球部』では少年少女は卓球に夢を託せないのである(この漫画も名作であるらしいが)

「子供の頃、『少年ラケット』に憧れて卓球を始めました。」

などと言う卓球選手が将来現れるかもしれない。そう考えると、このマンガが成功裡に完結するかどうかは、卓球界の将来にも関わってくると言える。

【付記】
卓球漫画で思い出したが、若い頃『白球を叩け』という漫画を読んでおもしろかった印象がある。今読んだらどうだろうか。
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今日はさんざんだった。
がんばって夜中の3時まで起きて、オリンピックの男子団体を観ようと思ったら、錦織選手の試合が続いていて、1時間待っても卓球が始まらない。対香港戦なので熱い戦いになるだろうと思っていただけに、いつまでたっても始まらないので気が気でない。結局あきらめて寝てしまったが、朝、女子団体を観たら、これまた熱い戦いで5番の最終ゲームまでもつれ、結局負けてしまった。

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それはそうと、最近おもしろい本を読んだので紹介したい。
一流選手の動きはなぜ美しいのか からだの動きを科学する』(角川選書)
 
 著者の小田伸午氏は関西大学の先生。
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たとえば、あなたが野球チームの監督だとします。チャンスに味方の打者がバッターボックスで構えたときに、明らかに肩をつり上げて力んでいるのをみたら、なんと言いますか。
「肩の力を抜け!」と思わず言いたくなりますね。実に直接的な表現です。
【中略】
(直接的に問題点を指摘するのではなく)胸を閉じる前肩を修正するようアドバイスするのが得策です。結果的に胸の力が抜けるようにもっていく。これが優れた監督です。

筆者は直接的に問題部位を修正(「そうする」)するよりも、間接的に問題が解消する(「そうなる」)のが理想的な指導だとする。なるほど。猫背で姿勢が悪い人も、「背筋を伸ばす」ではなく、「胸を開く」ように指導すると、効果があるという。

卓球で考えるとどうなるだろうか。

たとえばフォアハンドの威力が出ないという人が腕の筋肉を鍛えてスイングを鋭くしようとがんばっているとしよう。そういう人に筆者はどういうだろうか。

そもそも腕の始まりはどこからでしょうか。こう尋ねると、多くの人は肩を指し示します。確かに辞書を引くと、腕とは、肩から手首までの部分とあります。
【中略】
腕の始まりは鎖骨であり、鎖骨の付け根が腕の付け根です。鎖骨は胸の中央にある胸骨に付いています。

なんと!腕を上手に使うには、鎖骨を使わなければならないとは。
逆に体の裏側には肩甲骨が付いている。この鎖骨と肩甲骨を上手に使えば腕を力強く動かせるらしい。

下半身の使い方でも興味深い記述がある。

速く走るためには、力んで全力で地面を蹴る運動感覚がよいと思う人が多いようです。瞬間的に加速するには、強い力を地面に与える必要があると科学で分かっているので、曲げた脚を精一杯伸ばし切って、地面を強く蹴ってしまうのです。
【中略】
大きな力で地面から押してもらわないと速く走れない。これは物理的に正しい原則です。だからと言って、強い力で地面を蹴る感覚で走ると、からだがすぐに起きてしまい、地面から上方向に反力を受けてしまいます。

地面を強く押すことによって、地面から反対方向の力を借りることができる。しかし、全力で蹴って足を伸ばしても力は上方向に逃げてしまい、推進力はそれほどではないというのである。そこで地面からの力を逃さずに推進力に変えるには「膝の抜き」を使うのだという。「膝の抜き」というのは、一瞬膝を支えている力を抜いて、体が重力で落下する力を利用することで、体が落下したらすぐに体を支え、グッと地面を押すと、非常に強い力が生じるのだという。ここらへんの感覚は文面ではよく分からないので、自分なりに模索しなければならないが、このような地面からの力を卓球に応用することができれば、強力なショットが打てるのではないだろうか。

よく雑誌の技術記事で「膝を使って打つ」ということが言われるが、もしかしたら、この「膝の抜き」ということを指しているのかもしれない。下半身を使って強力なショットを打とうとして、私などは思い切り伸びあがって打ったりしてしまうのだが、どうやら膝を伸ばし切らずに、落下する体を支えるときの力で打つと、ボールにうまく力が伝わるようだ。

他にも内旋・外旋、バランスや重心といったことについての記述もあり、卓球に応用できる部分が多いと感じた。

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今晩も3時からテレビ東京で男子団体の準決勝があるらしい。
相手はまたもやドイツ!
眠いがこれを見逃す手はない。
女子のカタキを男子で討ってくれよ。
それから他の競技の時間延長はなしでお願いします。

【追記】160816
卓球男子団体準決勝、対ドイツの試合は本日16日(火)朝 7:15からテレビ東京で録画が放送されるそうだ。
無理して3時まで起きていることはなかった。括目せよ!
 吉村真晴、涙のインタビュー

たまたま本屋で見かけて水谷隼選手の近著『負ける人は無駄な練習をする』を買ってしまった。新本で本を買うなんて私にしては珍しい。

話題の本なので、その読後感などを記してみたい。

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どうやったら水谷選手のように卓球が上手になれるのか。
水谷選手は私たち凡人とは違う練習を積み重ねて、短期間であれほどの高みに立ったはずである。効率がよく、確実に強くなれる練習――本の題名から、そんな練習法が書かれていると思った。

しかし、これは相当マニアックな本である。初中級者に向けて書かれた本ではない。いや、上級者向けでさえない。世界レベルの超上級者に向けて書かれた本だと感じた。

私たち初中級者が試合に求めるものは、自分の上達の実感だったり、ラリーの応酬だったり、試合後の交流だったりするが、水谷選手のような世界トップレベルのプロは、どうやらどこまでも勝利のようなのだ。私たちは試合に負けても、自分なりに達成感を感じられれば、満足だが、プロはそうはいかない。そんな水谷選手の視点からみた卓球論なのである(以下、”  ” は大意を示す間接引用)


”フットワーク練習を相手に配慮してミスなく続ける練習などいくらやっても意味がない”



これは2人でお互いに3点フットワークをする練習


このようなことが書かれている。そんなことを中学校や高校の指導者に言ったら怒られるだろう。この命題はワールドツアーなどで活躍する選手――よくわからないが、たぶんフォアの3点フットワークを、続けようと思えば2~30回(フォア・ミドル・バックで1回)ぐらいミスなく簡単に続けられるというレベルでの話である。

私のレベルでは2~3回が精いっぱいだ。水谷選手が「意味がない」というのは世界で勝つための練習として「意味がない」ということのようだ。

他にも

”どんなにがんばっても取れないようなボールを練習で送ってもらわなければ上達しない”

とか、

”試合中にゾーンに入れるようにならなければならない”

とか、とにかく一般の愛好家や凡庸な選手のことなど眼中にない(この突き抜けた割り切りがこの本の魅力でもある)。私が期待していたような初中級者向けの具体的な練習法の話ももちろんない。

世界で勝つためには、コースの決まった練習などではなく、どこにボールが来るか分からないランダム練習でしか強くなれない。そしてそのようなランダム練習を繰り返すことによって考える力を養い、予測が鍛えられるのだという。

水谷選手がどのようにして世界トップに伍して戦い、卓球に対してどのような考え方を持っているかをうかがい知るには興味深い本だと思われる。また、国際大会などに出場するようなレベルの選手はこのような水谷選手の考え方から多くのことを学ぶに違いない。逆に言うと、私のレベルで参考になるようなことはほとんど書かれていない。


それにしてもこの本はどういう目的・意図で書かれたものだろうか。それが気になった。ワールドツアーなどに出場する日本のトップレベルの選手へのメッセージのようにも見えるが、私には水谷選手の悲痛な叫びに聞こえる。

「どうして私を理解してくれないのか」
「私のやり方は間違っていない」
「私を否定するな」

そういうことを伝えたかったのだと思う。水谷選手は人間関係で相当苦しんできたのだろう。だから次のような主張が繰り返し現れる。

”誰にでも好かれるようないい子ちゃんではチャンピオンになれない”
”周りは私のことを「異常」だというが、「異常」だからこそ私は試合で勝てるのだ”
”私は他の日本選手とは違う。最も苦しい道を歩んでいるのだ”

既成の価値観を否定しようとする人は多くの批判にさらされる。全く異なる価値観が出会う時、摩擦は避けられない。たとえば江戸時代に異端視されていた西洋文化が明治時代になって崇拝の対象となったり、戦後の過度な西洋文化への憧れが疑問視され、現在の日本文化礼讃となったりする、そういう歴史的な価値観の変遷を連想させる。将来、振り返ってみれば、水谷選手の主張はこのような流れの濫觴に当たったのだと思い起こされるような気がする。

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知人の女性から読書会に誘われたことがある。
その方は「誰でも題名ぐらいは知っているけど、実際に読んだことはない作品を読む会」を主催なさっている方で、その会に誘っていただいたのだ。

私「楽しそうですね。どんな本を読むんですか?」
知人「今は『カラマーゾフの兄弟』を読んでいます。おもしろいですよ。」
私「小説だけですか?岩波の青版とかなら読んでみたいですが、小説はまどろこしくて…」
知人「どういうことですか?」
私「小説は事実とか主張をそのまま語らずに、シチュエーションの中で登場人物に語らせたりするでしょ?あれがまどろっこしいです。『AはBだ』といった命題や主張を特定の場面によらず、そのままストレートに書いてほしいんですよ。」
知人「シチュエーションがあって、キャラがいるからいいんじゃないですか!味も素っ気もない主張そのものや、むき出しの事実なんて興醒めですよ。雰囲気やドラマを通してそういうものを間接的に味わうのがおもしろいんじゃないですか。」

女性と男性の価値観には埋められない溝がある。そういうことを認めた上で付き合わなければ、必ず衝突が起こる。そういうことを年齢を重ねるにつれ実感する。

私は文学というものを敬遠している。ふと何かの拍子で手にとったりはするが、好んで読もうとは思わない。高校時代に「純文学」というものに大いに期待して裏切られた経験があるからだ(前記事「卓霊さま」)。

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初級者は3球目と5球目を同じ打ち方で打つという失敗を犯しがちである。
3球目(こちらのサービスを相手がレシーブしたボール)と5球目(3球目をドライブなどで起こした後、相手が返球してくるボール)の球質は全く異なる場合が多い。

相手がツッツキなどでレシーブしてくると、3球目は下回転でゆっくりしたボールになりがちで、比較的浅い。一方、次のボールはドライブやブロックなどの上回転で返ってくることが多いため、5球目はスピードもあり、深いボールになることが多い。

3球目を打ったのと、同じような立ち位置・打点・スイング方向で5球目を打つと、ボールはオーバーしてしまう。3球目に対しては下からこすりあげるように打球するのに対して、5球目は打ち方を変えて、ボールの上部を薄く擦るように前方に向かって打たなければならない。この違いを無視して、3球目と同じようなスイングの角度でがむしゃらに強打して5球目でオーバーミスを連発していた中学時代の自分が思い出される。

しかし、最近3球目も5球目も同じように打てるのではないかという気がしてきた。それはつまり打球位置を変えて、3球目では前陣で、5球目ではそこからグッと後ろに下がって打つのだ。そうすると、返球されたボールがちょうどいい具合に自分の手前で下降してくるので、3球目と同じような打ち方でも入るということを最近発見した。

「これならどんなボールでも打ち方をほとんど変えずに打てる!すごい発見だ。」

しかも、5球目からは大きく後ろに下がって派手なラリーになるので、ラリーの醍醐味も味わえる。どんなボールに対しても足を使って、ボールが落下してくるところを打てばいい。ということは、これからはフットワークを鍛えなければならないな…。

こんなふうに新しい発見をした気分で練習を終え、うちでまた、「高島規郎の勝つための近代打法」に目を通していた。
勝つための

2回目の「縦ライン横ラインで打つ」というのを初めて読んだ時は、分かったような分からないような感じだった。頭では理解できるのだが、ピンと来なかったのだ。

縦ライン


なんだか当たり前のことが書いてあるような気がして、どうしてこんなトピックを取り上げるのかイマイチ理解できなかった。
しかし、今読み返してみると、よく理解できる。「縦ライン」というのは、私が今まさに問題にしているテーマではないか!それによると

同じ位置に立って瞬間的に姿勢を制御し、ラケット角度、腕の角度を調整して、打球点を上下させながら打つこと

となっている。


私は、深くて速い5球目を素早く後ろに下がって打てば、3球目とあまり変わらない打ち方で打てる、ということに気づいたのだが、それがこの解説では前後には動かず、その場で打ち方を変えて対応するというのだ。私の「発見」完全否定ではないか!

私はこれまで3球目と5球目を(A)場所を変えず、スイングの角度を変えて打つというやり方だったが、最近発見したのは(B)場所を変えて同じ打ち方で打つというものだった。
「近代打法」の主張は(C)場所を変えず、スイングの角度と姿勢の高さを変えて打つというものなのである。私の「発見」よりも、以前の打ち方に近い。違いは「近代打法」ではスイングの角度とともに姿勢の高さも変えるという点である。

よくよく読んでみると「横ライン」というのもあって、それは私の発見、つまり(D)前後に動いて打球点を変えずに打つということらしい。

なんだか分からなくなってきたぞ。「縦ライン」と「横ライン」という2つの打ち方があって、どっちがいいかというと…、状況によってどちらも使ったほうがいいらしい。位置を変えずに上下の動きでさまざまなボールに対応する「縦ライン」の打ち方は相手に主導権があり、強打を打たれているような時間のない状況で使い、逆にこちらが攻めているような時間のある場面では「横ライン」を使うといいらしい。

要するに「縦ライン」というのは上級者向けで、攻められている状況からでも、攻め返すようなレベルの高い卓球で使われる打法だということが分かった。一般的な初中級者の卓球では依然として「横ライン」のほうが有効だと思われる。

もし、私が自分の問題意識として「前後に動いて同じ打ち方で打つ」という「発見」がなかったら、この「縦ライン」と「横ライン」ということは理解できなかっただろう。私が具体的なシチュエーションでこの問題にぶつかっていたからこそ理解できたわけである。具体的な場面によらない、普遍的な主張やむき出しの事実といったものを理解するのは非常に難しい。自分の問題として取り組むことができなかったら、高度な卓球理論というのは本当には理解できないのかもしれない。私は卓球雑誌などでいろいろな情報や技術記事などに目を通すのだが、それを読んで頭だけで理解したつもりになっても、実際には理解できていないのではないか。そこで扱われているテーマを消化するだけの経験や問題意識を私はまだ持っていないのだから。

となると、むやみにいろいろな卓球理論や技術論を追いかけて、頭デッカチな卓球人になるよりは、身の丈に合った、自分の消化できる限りの技術論だけに取り組むほうが初中級者の態度としては正しいのかもしれない。


こういうふつうの技術を完璧に習得するのが多くの初中級者に必要だろう

『卓球王国』のE-PACの「勝つための近代打法」を読んでみた。
これには高島規郎氏の提唱する肩甲骨打法が詳しく解説してあるからだ。
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肩甲骨打法というのは、名前はよく聞くが、どんなものか分からない。なんだかものすごく効き目がありそうな気がする。どんなものなのか知りたいと思う。しかし、高島氏といえば、日本の卓球理論をリードしてきたような指導者だ。そのような人の高遠な理論が私ごときに理解できるものだろうか。おそらく誤読している部分もあるかと思う。しかし、せっかく読んだので、私の理解した限りを平易に解説してみたいと思う。

肩甲骨打法にはたくさんのメリットがあるらしい。

・戻りが早い
・体軸がブレにくい
・コンパクトで威力が出る 

肩甲骨打法というと、肩甲骨を効率よく使って威力のあるボールを打つ打法なのかなと考えていたが、実際に解説を読んでみると、肩甲骨まわりの筋肉を鍛えて強打を打つというよりも、限られた時間の中で、体軸のブレをなくし、素早い連続攻撃を可能にすることのほうが主目的のように思われる。

「近代打法」を読んでいると、「~すれば、身体が回転しない」というフレーズが頻繁に出てくる。打球時に身体は回転したほうがいいのではないかと思うが、そうではないらしい。たとえばフォアを打球したあとに身体全体が大きく回転してしまうと、連続してフォアを打つのに時間をロスしてしまう。そこで肩甲骨打法では下半身を安定させ、ほとんど動かさず、上半身だけを回転(正面で止まる)させるのを推奨している。つまり図示すると、以下のようになる。

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図1


肩甲骨打法を最も理想的に体現しているのがティモ・ボル選手だという。

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このように胸を張りだして、両肩甲骨を近づけてバックスイングをとるといいらしい

肩甲骨打法というのは簡単に言うと、「上半身ねじり打法」ではないかと思われる。下半身は動かさず、上半身だけをひねるのである。腰でバックスイングをとると、上体のねじれが甘くなる。そこで肩甲骨を使って深く上体をねじるということが(おそらく)肩甲骨打法なのである。

肩甲骨打法は「従来の日本の常識では間違った打ち方と解されるような打ち方」なのだそうだ。そのような日本の「常識」を否定し、提案されたのが肩甲骨打法なのだが、私はその「常識」も知らないので、十分解説が理解できているかどうか怪しいものである。どのような事情で従来の「常識」が形成されたのか、その「常識」の問題点(これは間接的に時間の余裕がないことと書かれている)やメリットは何かなどを対照して解説してくれたら、もっと分かりやすいのに。

【まとめ】
この連載は2005年に始まっているから、約10年前の理論である。おそらく今でも通用するものだろう。
肩甲骨打法の内実は、身体全体を効率よく使って、威力を倍増させるというものではなく、早いピッチで連続攻撃を可能にするという方向性だと感じた。体の軸のブレを減らし、苦しい姿勢からでもすぐにニュートラルな体勢に戻れる。それが現代の卓球に最も必要とされている要素なのだろう。
こんなに価値のある情報がわずか200円ほどで購入できるのだから、ぜひ購入を勧めたい。

【付記】
そういえば、最近やっすんの公開した動画もおそらく肩甲骨打法を基にしたものかと思われる。

 
【追記】
Liliの動画で非常に分かりやすい説明があったので、紹介したい。



ぐっちぃ氏のブログを読んでいたら、あまりのハードスケジュールで身体を壊してしまったそうである。
車で移動しながら講習会をこなし(初対面の人ばかりだろうから、気を遣うことだろう)、ブログまでマメにこなすというのは超人的な作業量である。

私も最近、忙しさにかまけてブログの更新を怠っていたが、ぐっちぃ氏のがんばりを見て、私も何か書かなければという気分にさせられた。

しかし、特に書くこともない。

そうだ!最近『卓球王国』のe book(古い連載記事をまとめてPDFファイルとして発売したもの)というのを購入したので、その感想などを書いてみたい。

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最近、発売されたものは以下の企画である。

ペンホルダーは死なず。92ページ 270円
ダブルスマスター虎の巻 26ページ 108円
半年で2倍強くなる 84ページ 216円
選手が決める テクニック別 No.1!! 113ページ 216円
羽佳純子のカット教室 初級編 33ページ 162円

PDFなのでかさばらないし、とにかく安い!このうち「羽佳純子のカット教室 初級編」を除き、全て購入した。
カットマン――戦型のうちの貴種。極めれば最高に楽しいと思うが、私には時間的にも、能力的にも余裕がないのでカットマンの記事は購入しなかった。

このうち最もお得感があったのが「半年で2倍強くなる」である。これは
「フォアハンド」「ブロック・カット」「サービス・3球目」「フットワーク」「バックハンド」「レシーブ・4球目」
について織部浩二氏(現在、三鷹のクラブでコーチをなさっているらしい)がポイントをまとめたものである。

これを読むと、私が今までブログで考察したことの多くがすでに明らかにされていた。

たとえば「倍強フォアハンド」にはフォアハンドの注意点として以下のポイントが挙げられている。
 
ポイント2:ボールの動きにスイングを合わせる(「シンクロ打法」)
ポイント3:軌道に沿ってスイング(「これぞ四つのかなめなりける
ポイント4:加速の途中で打球する(「タメとは何か」)

これは私が書いた記事の内容と大部分重なっている。

他にも前記事「スイングの弧線」で考察したデッパリ弧線についても言及があった。デッパリ弧線のドライブはスピードドライブで、回転重視のドライブはヘッコミ弧線なのだという。

フォアハンドだけでなく、バックハンドやフットワークなど、読みどころが多く、とても勉強になる。

ここに書かれていることは、私の考えたことよりも数歩先を行っている。私が自分の経験からいろいろなことを考えて、私なりの「発見」があったとしても、その答えの多くはすでにこの連載に書いてあるのである。では私の拙い考察が意味がないかというと、そうでもないと思う。

たとえ同じ結論に達したとしても、そこに至るまでの過程や実際の経験などは異なるので、織部氏の結論だけを見るよりも、私なりの問題提起から考察することは、多くの初中級者にも意味のあることではないだろうか。

とにかく「半年で2倍強くなる」はオススメである。
 

非才』(柏書房)という本を読んで興味深い部分があったので紹介したい。

筆者のマシュー・サイド Matthew Syed という人はイギリスの卓球選手で、なんとオクスフォード大学の哲学政治経済学部を首席で卒業したのだという(「著者紹介」より)。 そうとう賢い人のようだ。冒頭は以下のように始まる。
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一九九五年にわたしはイギリス人としてはじめて卓球チャンピオンの座についたが、それがなかなかたいした業績だというのはみなさんも同意してくれるはずだ。二四歳にしてわたしはいきなり、国際的な栄冠の座にどうやって上り詰めたかといった話をするよう、しょっちゅう学校に招かれるようになった。そしてそのときには金メダルをもって行って、若者たちを魅了するのが常だった。

 えっ?世界チャンピオン?「卓球チャンピオン」と書いてあるが、「イギリス人としてはじめて」とあるので、イギリスチャンピオンではないと思われる。95年というのは、私が卓球をやめていた時期なので、どんな選手が活躍していたかよく分からない。
ネットによると、95年の世界選手権で優勝したのは孔令輝選手。準優勝は劉国梁選手、3位は丁松選手と王涛選手。96年のオリンピックの優勝者は劉国梁選手。準優勝は王涛選手、3位は ヨルグ・ロスコフ選手となっている。95年のワールドカップの優勝者は孔令輝選手。準優勝はヨルグ・ロスコフ選手。3位は劉国梁選手となっている。なお、96年のITTFグランドファイナルは世界チャンピオンとは言えないかもしれないが、優勝者は孔令輝選手である。

孔令輝、劉国梁、ロスコフ、ワルドナー、ガシアンと、そうそうたる選手がひしめく時代にこれらの選手を破って優勝するのは至難の業だろう。一体どこの世界大会のチャンピオンなのだろう?「コモンウェルス・ゲームス」という英連邦の大会では97年に優勝しているが、初めてのイギリス人ではない。まともな大人がこんなすぐバレる嘘をつくだろうか?あるいは誤訳だろうか?「首席で卒業」というのもなんだか信用できなくなってきた…。

ちょうどamazon.comで「ちょい読み」ができたので、該当部分を引用すると、

In January 1995, I became the British number-one table tennis player for the very first time, which, I am sure you will agree, is a heck of an achievement. At twenty-four years of age, I suddenly found myself on the receiving end of regular invitations to speak to school audiences about my rise to international glory, and would often take my gold medals along to dazzle the youngsters.

「I became the British number-one table tennis player for the very first time」という部分が「イギリス人として初めてチャンピオンになった」のように訳されているが、実際は「人生で初めてイギリスのチャンピオンになった」とでも訳すべきだったのではないか。誤訳だと思われる。訳者の山形浩生氏というのは「プロジェクト杉田玄白」などの活動で有名な文化人だが、意外に雑な仕事をする人なのかもしれない。



それはさておき、本書は生得的な「才能」というのが存在するのかについての興味深い議論なのだが、冒頭にこんな問題提起がある。

一九九一年にフロリダ州立大学の心理学者アンダース・エリクソンとその同僚二人が、傑出した技能の原因を調べる史上もっとも徹底した調査を実施した。

以下、簡単に要約すると、心理学者はドイツの有名な音楽学校のバイオリニストを以下の3つのグループに分けた。

A:国際的なソリストになることが期待されるグループ
B:国際的なオーケストラで演奏することが期待されるが、スターであるソリストまでは期待されていないグループ
C:音楽教師になることが期待されているグループ

そして育った環境や練習に費やした時間などを詳しくインタビューした。その結果、A、B、Cともに同じような家庭環境で同じような年齢から楽器を始めていることがわかった。つまり、同じような人生を歩んできたのにこれだけの差がついたということは、Aは「才能」があり、Cは「才能」がないと結論されがちだ。しかし、実際は違っていた。音楽に携わった時間は同じだが、「彼らがまじめに練習してきた累計時間」には大きな差があったのだ。20歳になるまでにAのどの学生も平均1万時間の「まじめな」練習を積んでいた。Bは8000時間、Cは4000時間だという。なんとなく練習している時間も含めれば、ABCのどの学生も同じような時間になるが、「まじめに」取り組んできた時間で大きく差がついたというのだ。

最高の生徒とそのほかの生徒を分かつ要因は、目的性のある練習だけなのだ。

なんとなく部活で毎日練習していても、全国レベルに達することはできない。全国レベルに達するためには高い目的意識と「生涯にわたり技能を改善しようと意図的に努力してきたこだわり」がなければならないのだ。こういうことを私が卓球に打ち込んでいた小中学校時代に知っていれば、練習時間を無駄に費やすこともなかっただろうに。

そんなことから、卓球で小中学生が全国レベルに達するためにはどうすればいいかを考えてみた。私の勝手な想像なので、現実と大きくかけ離れているおそれがある。ご注意いただきたい。

まず有名なチームに入って強い選手と常に打てる環境がなければならない。そのチームへの月謝はいくらぐらいだろうか?2~3万ぐらいはかかるのではないか。そして試合でいろいろなタイプの強い選手と対戦することも必要だ。東京で大きな大会があるなら、東京まで行くし、青森や山口や九州の有名校と練習試合ができる機会に恵まれたなら、なんとしても遠征しなければならない。ベンチに入ってもらう指導者も自腹で来てもらうわけにはいかないから、コーチの交通費も必要だ。新幹線代などで毎月数万の出費は覚悟しなければならないだろう。日帰りで帰って来られればいいが、遠征地の大会等で勝ち進んで1泊するとなると、また出費がかさむ。ラバーも月に2回貼り替えるとして、テナジーなら毎月両面で36000ぐらいの出費になるだろうか。ラケットやシューズ、ユニフォームなども定期的に替えなければならない。もしかしたら、名門高校の卓球部にに入るには、そこの監督に接待なんかもしなければならないのかもしれない。なんやかんやで毎月10万はかかるのではないだろうか。全国レベルに達するには、経済的に余裕があるというのも条件の一つと思われる。

そして次に意識や精神力の鍛え方である。


「水曜日のダウンタウン 過酷高校SP」

上の動画を見ると、全国レベルに達するには地獄の苦しみを乗り越えなければならないということがうかがえる。
かつてすさまじい強さを誇ったPL学園野球部。寮で1部屋に3人で生活し、先輩の命令に絶対服従。奴隷同然の扱いだったらしい。練習もきつく、ほとんどの部員が疲労骨折になってしまったという。
サッカー名門校、市立船橋高校でも8割がたの部員が疲労骨折になってしまったという。練習中に水をのむことが禁じられていたため、渇きに耐えられず水たまりの水を飲んでいたという。
他にも暴力や人権蹂躙などは珍しくなかったようだ。そのような地獄を経験したら「これだけの地獄を乗り越えたオレたちが、『楽しく』練習している奴らに負けるわけがない!」という精神的な強さが身に付くのだろう。小中学生の場合はこれほどひどくはないのかもしれないが、やはりいろいろな理不尽や精神的なストレスにも耐えなければならないだろう。

そして「生涯にわたり技能を改善しようと意図的に努力してきたこだわり」。自分を律し、常に高い集中力を持って練習に臨まなければならない。心が折れる…。

…と、ここまで考えてきて、その遠く険しい道のりにうんざりしてきた。水谷隼選手や松平健太選手など、全国トップレベルの選手はこのような地獄を耐えてきたのだ(たぶん)。全国レベルになるのは…私にはとうてい無理だったと思った。

【追記】 150309
大切なことをいい忘れていたので付け加えたい。上記の3つの条件が備わっていれば「才能」がなくても、誰でも全国レベルの選手になれるのである。というか、それができることが「才能」というのかもしれないが。

 

「水平打法ってなんですか?」
「え?なんのことです?」
「ほら、秋葉龍一っていう人の本でさかんに勧めてるじゃないですか。」
「その人誰ですか?」

私と指導者との会話である。この答えている指導者は全国の中高の指導者や理論に詳しい人なのだが、秋葉氏はほとんど知られていないらしい。あるいは秋葉(秋場)というのはペンネームで、本名では全国的に有名な指導者なのかもしれない。

秋葉龍一氏はネットで幅広く活動されている卓球研究家?であり、作家でもあるらしい。詳しいことはよく知らないのだが、氏の近著『卓球スピードマスター』を読んでみたので、その感想などを書いてみたい。

ダウンロード


前著『卓球パーフェクトマスター』で「水平打法」という打法を氏は提唱したが、あまりよく分からなかった。それがこの『スピードマスター』で詳細に解説されているというので読んでみたいと思っていた。

『パーフェクトマスター』ではDVDがついていたが、『スピードマスター』では残念ながらDVD等はついていない。その代わり1200円とかなり価格を抑えてある。

ある程度経験のある人を対象に書かれており、入門書によくある全くの初心者を対象にした「ラバーの種類」だの「シェークとペンの違い」だの「ルールの説明」といった基礎的なことは割愛してある。構成も紋切り型ではなく、打法、サービス、レシーブ、フットワーク、試合でのメンタリティー等、中級者以上がほしがっているポイントが押さえられている。レシーブ、フットワークがやや簡略にすぎる憾みがあるが、細かいところまで練られた構成で、カラーの連続写真に細かくコメントが付けられており、非常に分かりやすい。 

打法は、フォアドライブ、バックドライブ、ツッツキ、ブロック等、基本的な打法がひと通り解説されており、さらに「水平打法」の全貌も明らかにされている。「水平打法」とは、どうやら「ミート打ち」の一種らしい。回転を全くかけず、比較的低い打点で直線的に打ち抜く打法のようだ。詳細は本書に当たっていただきたい。

それよりも私が興味を惹かれたのは「戦術」の章である。
前記事「「戦術」の意味」で

使える戦術NO.01
「相手が自分のバックに横回転ロングサービスを出してきたら、それをフォアに速く返すと、チャンスボールが来やすいので、それをドライブで仕留めましょう」

のような「戦術」を私は期待していたのだが、上級者の考える「戦術」はそういうものではないと知った。
しかし、上級者のような分析ができない初中級者にとっては、「使える戦術」のようなとっつきやすい典型的なラリー展開、いわば「試験に出る卓球公式」のようなものがあればと思っていたのだが、『スピードマスター』にはまさに「試験に出る…」的な典型的なラリーのパターンが9つ紹介されているのだ。名づけて「進撃の戦術」。こういうふうに明文化してあるのは初中級者にはありがたい。ただ、これはあくまでも実戦を想定した「練習」であり、「必勝パターン」といった類ではない。

この「進撃の戦術」には例えば、次のような展開が写真付きで丁寧に紹介されている。

1.相手のバックにショートサービス
2.こちらのバックにツッツキ
3.相手のバックにバックドライブ
4.ブロックでこちらのバックに
5.回り込んで相手のフォアにドライブ

なるほど。いかにも私のレベルでありそうな展開である。この展開を何度も繰り返して、自動化するまでに精度とスピードを高めれば、初中級者の試合で使えそうである。

他にも
”打球ポイントは両つま先を辺とする正三角形の頂点”とか”サービスの時、相手を一瞥すれば、素早く3球目に繋げられる”といった他書にないアイディアが随所に散りばめられており、読み応えがある。

まだざっと目を通しただけだが、本書は価格以上に内容の濃い良書だと感じた。

まなきゃんさんのブログ「卓球けもの道」で小学生向けの2冊の卓球書が紹介されていた。
そのうちの1冊『やろうよ卓球』(ベースボールマガジン社)を読んでみて、その感想などを書いてみたいと思う。
ダウンロード

著者が元女子代表監督の近藤欽司氏とサービスやレシーブのDVDで有名な村瀬勇吉氏。ということで、サービス・レシーブの解説はかなり信頼できるものとなっているはずである。

この本の特長はシステマティックな構成と、必要にして十分な「卓球の基本」技術の解説である。以下、各章について簡単にコメントする。
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第1章はイントロダクションで、用具、戦型、グリップの握り方などについて書かれている。

第2章「技の感覚と各ショット」ではショットの感覚を7つに分け、ショットを使う場面を「守る技」「仕掛ける技」「決める技」「つなぐ技」の4つに分け、各ショットを分類している。この分類は他の章でも通用されており、解説の理解を容易にしてくれる。このような分類は言われてみれば当たり前なのだが、今まであいまいにされてきたように思う。その結果、間違った場面で間違った感覚のショットを使おうとしてミスを多発してしまう人が多いのではないか。このような「基本」をしっかり身につけることが初中級者の上達の近道ではなかろうか。

第3章はサービスとレシーブの基本である。簡潔に書かれており、ぼんやりと知っていることも多かったが、改めて読んでみて、勉強になった。

第4章はフットワークを意識した基本的なシステム練習の解説と、各戦型の典型的なラリー展開について書かれている。ここは私のレベルでは、まだまだしっかり身についていないことが多いので、小学生向けとはいえ、いろいろ教えられることも多かった。

第5章は指導者の心構えについて
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ひととおり通読してみて、分かっているようで分かっていないことが多かったと感じさせられた。

「技は部品。いろいろな組み合わせで使う」

といった命題は、よく耳にする言葉だが、小学生にも分かるように懇ろに説明されると、意外に深い意味があったり、分かっているつもりでも、自分のプレーに生かされていなかったりと、改めて教えられることが多かった。

「卓球の基本」というのはおそらくここに書かれていることなのではないだろうか。

「卓球の基本」とは何か。それは普遍的なものではなく、時代とともに移り変わっていく「常識」のようなものだろう。多くの人が「基本」だと認めているものが「基本」であり、それに異を唱える人が多くなれば、それに応じて「基本」も内容を換えていく。そういうものだと定義した上で、この本には現時点での「卓球の基本」が詰まっていると思われる。

たとえば本書で勉強になったと感じたのは以下の命題である。この命題だけでは言葉足らずなので、詳細は本書に当たってほしい。
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1.技は部品。いろいろな組み合わせで使う
2.インパクトの時、手首を使うと「こする」。固定すると「弾く」
3.打球後のバランスが崩れているときは軽くジャンプ
4.フォアロングはひねった上半身を正面に戻しながらインパクト
5.つなぎのドライブは6割の力で打つ
6.スマッシュは打ち急がず、下半身で溜めを作ってからスイング
7.スマッシュのバックスイングは高く
8.ショートは常に足を使って体の正面付近で
9.ショートは手首を使わない
10.バックドライブは肘を支点に手首を使う
11.プッシュは仕掛ける時に使う技
12.ブロックは膝を柔らかく使って
13.ツッツキは手首を使って押す感覚
14.攻撃的なツッツキは手首を使わず肘から先で突く
15.強ドライブはバックスイングを高く
16.フリックは上半身をかぶせるように
17.チキータは肘と肩が同じ高さ
18.ブロックは早い打点で
19.サービスはスマッシュと同じぐらいのスイングスピードで
20.サービスで1点とるか2点とるかということはその後の展開にも大きく影響する
21.サービスは3球目にチャンスを作るためのもの
22.トスを上げるときは下半身も使う
23.サービスはフラ~っとしてキュッ
24.フォアサービスはバックスイングの瞬間に右肩を上げて
25.回転を変えるためには2つの方法がある。ラケットの方向を変える方法と、ボールに触る場所を変える方法
26.下回転サービスは相手に強く打たせないためのサービス
27.フォアサービスはできるだけ身体の近くでインパクト
28.バックサービスは肩と腰の反動をしっかり使って
29.ロングでしか返せない横バックサービスと、持ち上げなければ返せない横下バックサービスを混ぜる
30.同じ回転のサービスをいろいろな構えから出す
31.3球目から逆算してサービスを出す
32.レシーブでオーバーミスを防ぐには「近」
33.レシーブで相手の回転の影響を少なくするには「短」
34.レシーブで相手の回転に負けないようにするには「速」
35.システム練習の中にときどき「約束違反」を入れてみよう
36.フットワークは大きく早く動くために支えにする1歩目は床を蹴るように
-------
「知っていることばかりだ」と思う人もいるかもしれないが、これらの警句を本書の説明とともに改めて読んでみると、見過ごしていたことや、新しい発見もあるかもしれない。小学生向けなので、非常に明解で読みやすい。

まなきゃん氏によると、もう1冊の小学生向け卓球書、原田隆雅氏の『試合で勝てる! 小学生の卓球 上達のコツ50』(メイツ出版)も裏技満載で内容の濃い本であるとのこと。次はこちらの本も読んでみたい。

三条大宮に妙泉寺という寺があって、そこの入り口に小さな黒板があり、週替り?で味わい深い標語が書いてある。表題の言葉はそれである。通る度にそれを見るのを楽しみにしている。

私たちは常に「あれもない」「これもない」と不満ばかり言っている。しかしそんなふうにすべてが整った環境というのは実はありがたいものなのではないだろうか。

「上手い相手がいない」「設備が不十分」「練習時間がない」「指導者がいない」等など

こんなことをついグチってしまう人は多い。特に「上手い相手と練習する機会がない(相手は初心者ばかり)」「練習時間がない(週に1~2回、1時間程度)」というのは深刻な問題である。しかし限られた環境でも、工夫次第では上達できる。卓球王国の電子書籍e.pacの「ゼロから始めて強くなる」を購入し、読んでみてそんなことを考えさせられた。

「ゼロから始めて強くなる」は公立中学で中学から卓球を始めた生徒に対する指導法などを集めた『卓球王国』の過去の連載である。自分も初心者の指導などをする機会もあろうかと、あまり期待せずに読んでみたのだが、いろいろ発見が多かった。特に、初回の加古川市立中部中学校女子卓球部と、最終回の中之条町立中之条西中学校の指導例は興味深かった。どちらも限られた環境の中での工夫が際立っていたからだ。

私立の強豪校と違い、ここに出てくる公立の中学校の卓球部では、ほとんどゼロの生徒をわずか2年ほどで全国レベルの選手に育て上げなければならない。「ゼロから始めて強くなる」にはそのような逆境にもかかわらず、全国大会出場を成し遂げてきた指導者の工夫が詰まっている。

中部中学の場合、卓球台が6台に対して部員が50名(1台あたり12名!)。練習時間は毎日1~2時間という絶望的な環境である(しかし、私の中学時代を振り返ってみると、こんな環境は普通だった…)。こんな環境の生徒たちに比べたら、今の社会人の環境は恵まれているとさえ言える。このケースは、週に4時間ほどの平均的な社会人の練習時間に近いものがあり、私にとっても大いに参考になった。 

中部中学では、少ない台で多くの生徒を練習させる工夫が際立っていた。なんと1台を同時に8人で使うという練習法がある。「ノーバウンドツッツキ」である。これなら6台で48人が同時に練習できるわけだから、ツッツキの上手い選手が育つだろう。

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「ノーバウンドツッツキ」

上の図の白の練習者がネット際にツッツキをし、黒の相手がノーバウンドでツッツキを返す。この窮屈なツッツキ練習で回転の感覚が養えるのだという。女子中学生はツッツキ合戦になる展開が多いので、中部中ではツッツキに力を入れているのだという。コントロールやボールタッチを養うのにも有効そうだ。

また、「メリーゴーラウンド」という練習方法もおもしろい。

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「メリーゴーラウンド」

同時に6人がゆるいラリーをしながら台の周りを回るのだが、これは緊張するだろう。大縄跳びのようなもので、誰か一人がミスしたら、全体の廻転が止まってしまい、みんなに迷惑をかけることになってしまう。絶対にミスできない。力を抜いて打ち、安定性を養うのに効果がありそうだ。

それから、中之条西中学校の練習もおもしろい。下はシャドープレーなのだが、ボールも腕も使わず、体の軸だけでスイングする練習だという。これによって腕に頼らないスイングを習得するのである。

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台についてボールを打たせると、ラケットに当てることしか意識できないので、正しいスイングや足の運びまで頭がまわりません。
 
なるほど、これは効果がありそうだ。ボールを使って腰で打つ練習をしたら、ボールを入れることにばかり意識が行ってしまい、腰を回す方は、おろそかになってしまう。いくら練習しても、手先の感覚しか発達せず、身体全体での打球ができない選手を作ってしまいかねない。

初心者は特に、ラケットを引く動作を腕だけで行いがちです。腰から下の下半身を使って、体軸を中心としたスイングの回転軸を意識させるのが、このシャドープレーの目的です。

中之条西中では感覚練習にも工夫をこらしている。
ブレードの角度調整を養うトレーニングとして「二度打ち」というのが紹介されていた。

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「二度打ち」

ボールを普通に返球せず、一度真上に上げてから、ゆるく返球するという練習を繰り返すことによって、どのぐらい面を開いたら、ボールがどんな方向に飛ぶかの感覚が養えるのだという。これをクロスで4人同時に行うと同時に、下の「ネット際でのラリー」を組み合わせて、同時に8人が練習できる。

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「ネット際でのラリー」。1台を8人で使うというのは、中学校ではわりと一般的?

こういう練習を見ていると、台を使って2人で普通にボールを打つ練習というのは、意外にロスが大きい練習なのかもしれないという気がしてくる。「これは体の軸を回す練習だ」「これはボールの感覚を養う練習だ」とはっきりした目的意識をもって、一つの技術を集中的に高める練習は、台上で実際にさまざまなボールを打つ総合的な練習よりも、進歩が早いだろう。様々な回転のボールをフォアやバックで自在に打つという練習は、さまざまな技術を複合的に用いなければできないが、個々の技術が不十分なレベルでこのような総合的な練習を行なってしまっては、個々の技術がどれも中途半端になってしまう。個々の技術レベルを集中的に仕上げていって、一通り身についたところで総合的な練習をしたほうが、遠回りに見えて、実は近道なのかもしれない。 

【まとめ】
「上手い人と打てない」「練習時間が少ない」というのは、私もよく感じることだが、そんな環境でも十分上達できるのではないか。「ゼロから始めて強くなる」はそんなことを考えさせられる連載だった。初中級者が自身の練習法を工夫するのに本書は大いに益すると思われる。値段もわずか260円足らずでお買い得である。

【付記】
最近、こんな標語も見つけた。私はもっと足るを知るべきだと反省させられた。

持たざるものを求めれば、嘆きあり
持つものを見つければ 喜びあり 
(三寶寺)

前記事「看脚下」で卓球ノートに注目してみたわけだが、よく考えると、私はノートテイキングについて何も知らない。重要だと感じたことを、感じたままにメモしていくだけでは芸がない。ノートを作るというのは重要なことのはずなのに書き方を何も知らないというのはいけないと思い、図書館で参考になりそうな本を借りて読んでみた。

東大合格生のノートはかならず美しい』 (文藝春秋)

日本最難関の大学に限られた勉強時間を効率的につかって合格した人たちは、きっと 優れたノートテイキングの技術を持っているはずだ。
本書はノートテイキングの7つの法則を選定し、それに沿ってノートを作る上での注意点などを解説した軽い読み物である。カラーの図や写真が多く、レイアウトが美しい。また、東大合格者の合格体験談なども載っており、受験生にやる気を起こさせる上で有意義だと思われる。
ただ、ここに書かれている法則はちょっと的はずれなものもあり、とうてい鵜呑みにはできない。案の定、アマゾンのレビューでは、東大生から「軽佻浮薄だ」「一部の例を一般化するな」のように叩かれている。 しかし、私はこの本はたたき台としての意味があると感じた。情報というのは、たいてい偏りや不足があるものだ。そういうものを自分で修正、補足するための素材としておもしろい本だと感じた。

7つの法則というのは次のようなものである。
と:にかく文頭は揃える
う:つす必要がなければコピー
だ:いたんに余白をとる
い:ンデックスを活用
の:ートは区切りが肝心
お:リジナルのフォーマットを持つ
と:うぜん、丁寧に書いている

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これが東大合格者のノートである。写真は日本史のノートだが、非常に情報量が多い。
・「と」の文頭を揃えるの法則の通り、大見出しの下の小見出しの文頭がきれいに揃っている。
・「う」の例だが、左ページの地図や右ページの史料はコピーを貼り付けてある。
・「だ」の余白を取るというのは、この例には当てはまらない。日本史なので、情報量が多く、うまく余白をとれなかったのだろう。
・「い」のインデックスについては、左上の冒頭に「8 平安時代」と書いてあるのがそれに当たると思われる。人によってはノートの冒頭に書籍のように目次を加えるとある。
・「の」の区切りというのは、この見開きだけで「平安初期の政治」がひと通り分かり、3~4ページに渡らないということである。
・「お」のフォーマットについては、よくわからない。「と」の丁寧に書いてあるということに関しては異論はない。

しかし、私には筆者の言う「法則」というのは現象であって、本質ではないように思える。

「と」の文頭を揃えるというのは単に分かりやすく、見やすいからと説明されているが、それは結果の説明にすぎない。どうして文頭を揃えると分かりやすいかというと、情報のレベルの違いを際立たせているからなのだ。「宇多朝」と「遣唐使の廃止(894)」「菅原道真」という情報は同じレベルには並ばない。
「う」のコピーを貼り付けるというのは、手書きの手間を省き、教師の話を聞き逃さないとされているが、それと同時に未加工の素材と、書き手の解釈――取捨選択を経た「ポイント」とは峻別されるべきだという思想があるからだと思われる。
「だ」の余白を十分取る、というのは、後から見なおして気づいた点や全体の要点を書き込む欄であり、これも授業の板書と、それに対する自分のコメントや疑問点というレベルの違う情報を区別するための工夫である。

私には、東大生のノートテイキングの工夫の本質というのは、情報のレベルの違いを際立たせるというのが第一なのではないかと思われる。数色のマーカーを用い、例えば年号は緑のマーカーで統一するようにしたり、事件や紛争は赤字で書くといった工夫もその現れに思える(不徹底だが)。

そして第二の本質は読み返しの便宜を図ることではないかと思われる。縷々と綴られた膨大な情報は、後から見返すときに大きな負担となる。後から繰り返し読み返せるように要点を簡略にまとめたコメントを欄外などに記しておけばいい。「い」のインデックスを作るというのも読み返しの便宜のためだと思われる。ただ、この第二の本質は第一の本質と排他的ではない。第二の本質の中に第一の本質の大部分が含まれてしまうだろう。

また、合格者のインタビューというのもおもしろかった。自分がミスした点や弱点などを積極的に書き出して苦手克服に役立てたという人がいた。模試などでミスしたところに「このミスは痛い!」などと、後から振り返って、赤字で大書きするのだ。誰でも自分のミスや弱点には向き合いたくない。しかしそれから目を背けていると、いつまでたっても進歩しない。そこで自分のミスや反省点をまとめるという作業は有意義なのではないかと思う。

こういうことを踏まえて、私も卓球ノートを記してみたい。

バックハンドレシーブ技術
1.回転方向の交差

横回転サービスに対しては上方向のドライブ、下回転のサービスに対しては、斜め上方向のドライブ(チキータ等)

  • ・打球前におなかをへこまし、上半身をかぶせるようにする。
  • ・打球時に上半身を起こして、両腕を大きく開くように打つ。
  • ・ボールを押さないように、薄く当て、上方向に振る。
  • ・一発で決めようと思わず、緩いボールでもいいから、とにかく安定して入れる。


【できたこと】…


【できなかったこと】ボールを薄く捉えることができない。


?(チキータの構えからとっさにストップにできないか)
 


前記事「サービスからのラリー構成」で『男子卓球の真実』1巻を観た感想を紹介したが、今回『男子卓球の真実』2巻・6巻も観てみたので、その感想などを書いてみたい。

『男子卓球の真実』は『女子卓球の真実』に続いて出されたシリーズで全6巻。各2000円。だいたい40分ほどだが、選手紹介や監修者挨拶などがあるので、実質は30分ほどだと考えた方がいい。

このシリーズは青森山田高校男子卓球部の選手の練習法を紹介するという企画である。当時、三部航平選手や上田仁選手は中学生・大学生だったかもしれないが、とにかく青森山田の中心選手、丹羽孝希選手、上田仁選手、町飛鳥選手、吉田雅巳選手、森薗政崇選手、三部航平選手等の練習法を紹介するというものである。

2巻はフットワーク(基本)編。



第1章:フォアとバックの2点をフォアハンドだけで交互に往復する「V式フットワーク」というフットワークの練習。右利き、左利きの各選手にこのV式フットワークをさせて、前、後ろ、斜めのアングルにスロー映像を交えて紹介するというもの。じっくりと目を凝らして観察していたのだが、フォアハンドではどの選手もフォア側のつま先の向きはほぼ一定で、外側を向いている。バック側の足は複雑に動かすが、フォア側の足はあまり動かさないというのがいいらしい。他にも見る人が見れば、有意義な点がいくつもあるのだろうが、私にはこのぐらいのポイントしか分からなかった。

第2章: 両ハンド編として、「サービスから、フォア、ミドル、フォア、バック、バック(回り込み)、飛びつき」などのシステム練習をいくつか紹介している。第1章のV式フットワークのような安定した動きではなく、変幻自在に複雑に足を動かすので、第2章は初中級者がフットワークの基本を学ぶにはあまり適していないかもしれない。レベルの高いフットワークの映像を観ても、初中級者には、どこがポイントなのかよく分からないからだ。

6巻は:ネットプレーで主導権をとる



このビデオははじめの15分ぐらいでネットプレーのコツについて説明されており、後半は選手たちのネットプレーからの練習が延々と流される。その映像についての説明はなく、その代わり、「国際大会でランキングを上げるためのポイント」の解説が続く。いったい「誰得」なのだろうか?どんな大会に出場し、どうやってランキングを上げるかという情報は、日本トップレベルの学校の監督ぐらいにしか必要のない情報だと思うのだが。

2巻のフットワーク編にも言えることなのだが、細かくて複雑な動きの実際をいくら観ても、私にはポイントがわからない。解説があることでかろうじてどこが大切なのか分かる。そうすると、前半の10分ぐらいの解説のみが私のレベルにとって有意義な部分ということになる。

まず、

ストップが上手くできない選手は打球時に突っ込み過ぎて、ボールとラケットが衝突している場合がほとんどです。

のようにミスの原因を特定し、その対処法を示す。

ストップが上手くいかない選手の第2の原因は「手を伸ばすタイミングが遅い。手が伸びきらない」場合があります。

丹羽選手は、「ノーバウンドでもボールに触れることができるぐらいのタイミング」で手を伸ばし、そこから、少し下がって腕をたたむ時のタイミングで打球します。

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ストップのコツは、腕を早い時点で伸ばしきり、それからボールを迎え、腕を引っ込めると同時に打球する。こうすれば、ボールを前に押す力を最小限に止めることができるのだという。
しかし、丹羽選手のプレーを何度も観たが、腕を引っ込めるときに打球しているようには見えない。腕を9割ほど伸ばしたところで打球しているように見える。イメージとしては「伸ばしきってから打球する」だが、実際は「ほとんど伸ばした状態で打球する」ということなのかもしれない。

【まとめ】
以上、2つのビデオを観て感じたのは、このようなトップ選手のプレーをただ観るだけでは、あまり初中級者のプレーの改善にはならないということである。2巻のV式フットワークのような単調な動きをひたすら見続ければ、ある程度得られるものもあるが、試合に近い、実際の複雑な動きを、解説なしにいくら観ても、どこに注目すればいいか分からず、かえって何も「見えない」。

適切な解説がなければ、トップ選手のプレーのポイントは分からない。2巻は解説が細かく、2000円の価値があると思ったが、6巻はそのような説明が10分ほどしかなく、あまりおすすめできないと感じた。
 

小笠原清基『疲れない身体の作り方』を読んで、卓球にも応用できることがあるのではないかと感じた。
小笠原流礼法の基本的な振る舞い――立つ、座る、歩く、持つ等を説明した本なのだが、卓球に関連する部分として以下の2点を紹介したい。

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小笠原流は礼法だけでなく、弓術・馬術を含めた総合的な教えなのだという。

一つは内側の筋肉を使うという原則である。

身体の外側を使うと、 重心が不安定になって、しっかり立っていられません。軽いとしても、物を持つわけですから、何も持たないとき以上に、重心は中心に定まっていなければ、安全が保てません。
・肩ではなく、二の腕(腕の付け根)
・手ではなく、前腕(内側)
で持つイメージで、持つといいでしょう。
 
「物を持つ、無駄のない動きをする」
 
上のポイントの「肩ではなく、二の腕」というのが分かりにくい。文脈から判断すると、肩の外側に力を入れるのではなく、肩の内側に力を入れるということだと思われる。この本では腸腰筋(肚から太ももにつながるインナーマッスル)を鍛えることを重視しているので、このポイントも肩の外側の筋肉ではなく、肩の内側(脇の下のあたり)の筋肉を使うことを指しているのだと思われる。腰肚の一点を中心にして筋肉を使う、というより、身体の中心軸の線に近い筋肉を使うということかと思われるが、はっきり分からない。

ご高齢になると膝がゆるみ、傷める方が多いものですが、礼法の歩みを続けていらっしゃる方は、内腿の筋肉が発達しているため、膝にかける負担がすくなく、健脚を保っておられます。
「歩く」
 
このように小笠原流礼法では、腕も脚も内側の筋肉を使うことによって体幹を保つことができるとするらしい。前腕や上腕というのは意識したことがあるが、腕や脚の内側と外側の筋肉を区別するという視点が新鮮だった。

また、次のことは戒められている。

・遠くのものを、動かずに、腕だけ伸ばして持つ(取る)
・下に置いてあるものを、しゃがまず、かがんで持つ
「物を持つ、無駄のない動きをする」

この部分などはまさに卓球に通じる部分である。バック側に来たボールや短いストップを、下半身を動かさず、腕だけを伸ばして打ってしまったりする「横着」は身体の体幹を歪ませ、無理な姿勢で不適当な部位の筋肉を使用することになる。そのため素早く力強いボールが打てなくなってしまう。

もう一つは呼吸である。

 70余年、礼法の稽古を続けてこられた門人のある女性は、80歳を超えて、過日も和歌山の紀三井寺の階段を一気に上り、周囲の人々を驚かせたようです。【中略】
「平地と違いません。呼吸には平地も階段も別はないのです」【中略】
彼女は、足で上り下りしているのではなく、呼吸と合わせ、全身で上り下りしているので、疲れ知らずなのでしょう。

「歩く」

 小笠原流礼法では呼吸と身体の動きをシンクロさせることを重視しているらしい。卓球でそんなことが可能だろうか。早いピッチの前陣のラリーでは難しいかと思われるが、ツッツキや、ちょっと台から離れたラリーなら呼吸と動きをシンクロさせることも可能かと思われる。その効果のほどは未知数だが、上手に呼吸と動きを合わせられれば、反応スピードと威力が増すのではないか。

【まとめ】
普段の生活の中でどのように身体を使うかが示されており、前記事「大人の保健体育」で取り上げた本と同様、なかなか興味深かった。身体のどこに力を入れるべきか、あるいは抜くべきか、呼吸を動きにシンクロさせるという点は示唆されるところ大である。これらが実際、どのぐらい卓球に応用できるか分からないが、頭の片隅にでもとどめておきたい知識である。ただ、一般向けの軽い読み物なので、詳細な説明は期待しない方がいい。それと前口上が冗長なのと、小笠原流礼法の宣伝が多いのが気になった。

 

先日、葬儀に参列して信州の親戚とお話しする機会があった。
初老の仲の良さそうな夫婦で、ご主人はおおらかで人の良さそうな人、奥さんはとても控えめでおとなしい人だった。奥さんの控えめな人柄を褒め讃えると、

「でも、こう見えて亭主をよくひくんですよ」
「『ひく』って『惹きつける』ってことですか?あるいは『尻に敷く』ということですか?」
「いや、そういうことじゃなくて、『亭主を立てる』というか…そのぉ…なんて言ったらいいずら?」


どうやら信州で「ひく」というのは、「操る」といった意味らしい。正面から要求したり主張したりするのではなくて、うわべは夫のやりたいようにやらせるが、最終的には妻が夫を意のままに操るというイメージが近いようだ。そのように妻にいいように「ひかれて」、夫の方はまんざらでもなさそうだった。こういう頭のいい奥さんは、どんな環境でもうまく世を渡っていけるのだろうと感心させられた。相手に不満を持たせるどころか、嬉々として従わせてしまうのだから。

大橋宏朗『先生、できました!』(卓球王国)は、『卓球3ステップレッスン』を『卓球王国』で連載していた中学校の先生、大橋氏の教育エッセイである。大橋氏の長年の中学校での授業および部活指導の経験から、気づいたいろいろなことが短い文章で綴られている。一つの記事が1000字ほどなので、空き時間にリラックスして読むことができる。

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思春期の難しい時期の子供をうまく導いてやることは、きれいごとばかりでは済まないだろう。怒鳴ったり、傷つけ合ったり、ストレスのたまる仕事だと思うが、大橋氏は子供たちを「ひく」のに長けているように思われた。大橋先生の指導の中核には「共感」がある。

「子どもに教えてあげているんだ」という姿勢では、子どもたちとの共感的な関係は絶対に生まれません。教師と生徒たちが教え合う、助け合う関係を築かなければいけません。【中略】部活動でも、「この技術はこうやるらしいぞ。誰かできる人はいないか。ちょっと見せてくれないか。」と言うと、「それをやりたい。やらせてください」と言ってきます。

共感というのは互いにできることを補い合い、子供たちに主体性を持たせるだけではない。生徒の失敗を教師が許すとともに、教師の失敗を生徒が許せる、堅い信頼関係にもとづく感情である。そしてそれが教師への過剰の依存をなくし、自分で考えることにつながるのだという。
ときどき仕事ができないのに周りといい関係を築いている人がいる。逆に仕事をすべて完璧にこなしているのに周りに疎んじられている人がいる。何でもキチッとしている人が周りに疎んじられているのは、相手を許すことができず、このような「共感的な関係」を築けていないのだろう。

また、大橋氏は生徒の自尊心を重視している。

子どもたちによって、「好きになる」ことがとてつもない可能性を引き出すことにつながります。子どもの可能性は「いかに好きにさせるか」がキーポイントです。【中略】好きになると虫の種類や、卓球メーカーのカタログの写真や説明文を暗記することさえ楽しみであり、苦にならないものです。
私は小学校3年生くらいの頃、学校の図書館にあった百科事典の「あ」から順番に、全部ノートにただ、書き写していました。傍目には変な子だけど、ある先生がそれを見て「おまえ、えらいな」とほめてくれました。写した内容は忘れたけれど、ほめられたことは今でも覚えています。


もし私が教師の立場で大橋氏の上の行動を見たら、どうするだろうか。

「やみくもに覚えることは意味がない。知識というのは考える過程で自然に身に付くものであって、無理に詰め込んでもどうせ忘れるだけだぞ」

とか言って、代わりに事典中のおもしろそうな項目を探して、それについて講釈などをしてやるかもしれない。
しかし、そんなことをしたら「君のやっていることは無意味なんだ」というメッセージを送ることになってしまう。それは子供の自尊心を傷つけることになるかもしれない。大橋氏はまず「好きになる」を伸ばすことが第一なのだという。たしかに私にも覚えがある。熱心に取り組んでいたことが認められたときの喜びというのは記憶に残りやすく、積極的に自分を高めようとする自信につながったと思う。「これだけは人に負けない」という自尊心がさらに「好きになる」を伸ばし、相乗効果をもたらすと思われる。

そもそも大橋氏の持ち味というのは卓球部の指導力の高さだと言われている。世間の強豪校の指導者が威圧感や緊張感を背景に指導しているのに対し、大橋氏は生徒の自主性に任せ、上手に生徒を「ひいて」いる点が並みの指導者と違うのである。なかなか思い通りに動いてくれない子供たちを上手に「ひく」ためには叱責や体罰などで子供たちを隷属させるのではなく、伸び伸びと子供たち自身に何をすべきかを考えさせることだという。

このような意見を聞いて現場の指導者は「子供たちにはそんな甘いやり方は通用しない」と言うかもしれない。しかし、大橋氏は実際にそのやり方で何度も生徒たちを全国大会に出場させているのだ。なんらかのヒントがあるはずである。

私の個人的な見解だが、子供たちの自主性を尊重しつつ、上手に導いてやれるかどうかは、子供たちに指導者を「ひいている」と思わせられるかどうかにかかっているという気がする。つまり子供たちに自分たちの方が「ひいている」と思わせられれば、指導者は上手に子供たちを「ひける」のではないかと思う。

私は精神年齢が低いからか、大橋氏の教育論がいちいち自分にも当てはまるような気がしてならない。「いい年をして」とか「いつまでも子供じゃないんだから」のように頭ごなしに自分を否定されるのが嫌いである。大人だってガマンばかりするのは嫌だし、「正しい」ルートではなく、時には道草や回り道をしたいときもある(前記事「卓球書代用考(育児書)」)。この本に書かれていることは子供たちの扱い方にかぎらず、大人にも有効な「指導法」なのではないだろうか。


 

平亮太『DVDブック これで完ぺき!卓球』(ベースボールマガジン社)に付属のDVDの映像がすごい。
スロー映像だけでなく、スーパースロー映像がふんだんに使われているのだ。

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スーパースローでもこの画質。ボールのマークがはっきり分かる。

卓球にはいろいろな「都市伝説」がある。

・バウンド直後は回転が一時的に弱まり、その後再び回転を増す。
・だから、バウンド直後にフリックすると安定する(前記事「ショートから説き起こし、フリックの位置づけに至る」)。
・ サービスでインパクトと同時にスイングに急ブレーキをかけるとよく切れる。
・インパクト時にグリップをギュッと握ると回転がよくかかる。

「都市伝説」というと、まるでデタラメか何かのようで聞こえが悪いが、これらが嘘だというつもりはない。ただ、上級者が経験的にそう言っているというだけで、実際のところ、それが本当に事実なのかどうか決定的なところは分からなかった。前記事「フォア打ちから見なおしてみる」でも述べたが、英語のネイティブスピーカーが自分がどのように英語を使っているのか気づいていなかったように上級者も自分がどのようにボールを打っているか気づいていない、あるいは意識と実際の打ち方が異なっている可能性も否定できないからだ。

こういうことが事実かどうかは大学の先生の研究論文などで詳細に検証されているはずだが、大学の先生の研究論文を読んでも、あまり納得できない。大仰な測定器具などを用いていろいろ数字を出して論証しているのだが、たくさん数字を並べられても、なんだかうまく言いくるめられているような気がして、納得できなかった(それ以前に読んでいておもしろくない…)

しかし、このスーパースロー映像を見れば、辛気臭い(失礼!)学術論文など読む必要はない。一目瞭然、掌を指すが如く、回転の秘密が丸裸になるのだ。

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サイドスピンツッツキの回転もよく分かる

このDVDで使用されたハイスピードカメラは恐ろしく性能がいいようだ。WRMの卓球知恵袋で使われているカメラでもボールの回転などが分かるのだが、『これで完ぺき!』の映像のほうがはるかに画質がいい。

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こちらの映像はボールがブレている。

ただ、惜しいかな、この『これで完ぺき!』はそのような検証を目的とした動画ではない。言うまでもなくふつうの入門者向けの卓球本なので、比較・検証などはほとんどない――このカメラを使って、いろいろな打ち方、いろいろなプレーヤーの打球を比較して回転のかかり具合などを検証してくれればもっと興味深い事実が明らかにされただろうが、そういう意図でスーパースロー映像は使われていない。

ただ、比較・検証がなかったとしても、このDVDに見るべき点は多い。私が興味をもったのは、フットワークの映像である。激しく動く選手の太ももの肉が波打つ様まで鮮明に確認することができるのである(こんなことを書くと、誤解されそうだが…)。これによってフットワーク時の重心移動やステップの詳細――右足と左足のどちらが先に着地しているのか、上半身との連動はどうか等がよく分かる。たしかに雑誌の連続写真などでもステップを確認することはできるのだが、映像による実際の動きの分かりやすさには比ぶべくもない。

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卓球のステップは馬のステップに似ている?

スーパースロー映像はこれからの卓球指導を劇的に変える可能性を秘めている。世間で言われている卓球の「常識」がスーパースロー映像によって覆される可能性も大いにあるからだ(なお、前記事「型にとらわれない卓球」で紹介したなるほど卓球サイエンスの中にもそれらの卓球の「常識」が必ずしも正しくないと指摘した記事があった)
技術の進歩にしたがって多くの指導者がスーパースロー映像で回転や選手の身体の使い方を詳細に分析できるようになれば、より実際に即した指導が行われるようになるのではないだろうか。このDVDを観て、そのような未来を想像し、興奮させられた。

最後にこの本についても述べておきたい。
筆者は正智深谷高校卓球部監督の平亮太氏。モデルは正智深谷高校卓球部員(牛嶋星羅選手、平真由香選手等、主に女子選手)である。今までこういう本のモデルは男性のトップ選手が多かったのだが、女子校生のトップ選手がモデルというのは、我々非力な一般人が観るのに参考になると思う。

選手によって体格が異なるので、「これが一番」という誰にとっても正解になるような答えはないため、本書ではあくまでおおまかな方向性を示すにとどめ、これをヒントとして読者自らが試行錯誤してほしい

というのが本書の立場のようである。内容は詳しく読んでいないが、編集なども行き届いており、よくまとまっている入門書だと思う。すばらしいDVDも付いており、これがわずか1600円程度で買えるというのは、隔世の感がある(前記事「おかしいのは私か、私以外か」)。

これからもスーパースローの映像が卓球のいろいろな事実の解明に活用されることを期待する。


 

遊澤亮 驚異の卓球上達法(←このサイトをクリックすると、しつこく購入を勧められるので注意)を途中まで観る機会があったので、その感想などを記したい。
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いろいろなサイトでこのDVDのバナー広告がしつこく表示されているので、胡散臭く思っていたのだが、「これぞ四つのかなめなりける」で紹介した「試合に勝つための”必須”スキル」の紹介ページを見て、考え方が変わった。

もしかしたら『遊澤亮 驚異の卓球上達法』も遊澤氏の長年の経験を余すことなく伝えた動画であり、トップ選手の技術を紹介した非常に価値あるDVDなのではないか。そう思ってDVDを観てみたのだが、これはまったくおすすめできないシロモノだと感じた。

この商品はDVD1枚と解説書が付いている。解説書にはDVDの中の説明と、その場面の写真が収録されており、DVDを観なくても、解説書の説明を読めば、すべて分かる。

全体は6章に分かれており、各章のトピックは以下のとおりである。

1章 グリップと基本スイング
2章 ボールの回転と基本打法
3章 サービス
4章 レシーブ
5章 3球目攻撃
6章 効果的な練習法

端的にどんな内容かを紹介するために3章の「サービス」の解説を紹介しよう。なお、引用符の中の語句はそのままの説明ではなく、要約した説明である。

サービスの注意点としてまず

“ボールを持つ手のひらを丸めず、開いて平らにしましょう”

とある。そして次の注意点は

“16センチ以上、トスを上げましょう”

これは卓球の技術以前の問題である。これで卓球が「上達する」と言えるのだろうか。ただのルールの説明ではないか。

さらに

“トスした後に手がそのまま体の前にあると、フォールトになるので、トスしたらすぐに手を体の後ろに移動させるのがオススメです”

のような説明があった。解説の語句はこの文言そのままではないのだが、おおざっぱに言うと、こういうことを言っていた。サービスの時にトスしたあと、非利き腕を後ろに回す人を見たことがない。明らかにおかしい。

私はこれ以上観ても時間の無駄だと判断し、4章以降は観るのを止めた。福原愛選手のDVD「超ビギナーズ・レッスン」と同じか、それ以下のレベルが対象なのである。

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解説書の説明にざっと目を通してみたが、目を引くような説明は何もなかった。「基本スイング」については「手だけで打たず、腰を使って打つ」だの、ペンホルダーのショートのコツは「ブレードを真横にする」(真横よりもヘッドをやや斜め上にしたほうが安定しないか?)だの、よくある入門者向けの卓球本の付属DVD以上の技術は何もない。

それが500円ぐらいで売られているのなら理解できるが、12700円である。これは何かの間違いではないだろうか?ネットでこのDVDの評判を確認してみたのだが、「伸び悩んでいる方には最適」だの、「よいところはたくさんありました」だの、そんな評価ばかりなのだ。私が観たDVDと、みんなが観たDVDは別物なのだろうか?あるいは私の評価の基準がおかしいのだろうか?

なんだか狐につままれたような感じである。私は頭がおかしくなってしまったのではないかと不安になってくる。
遊澤氏のDVDを批判するのは卓球界ではタブーなのだろうか。どう考えても『遊澤亮 驚異の卓球上達法』には12700円もの価値はない。これは、全くのゼロ初心者向けDVDで、これを観てもせいぜいドライブが打てない人が打てるようになって、横回転サービスが出せるようになる程度にしか上達しないだろう。

【結論】
このDVDの値段こそが「驚異」である。

【付記】
このDVDの評価を探していて、卓球DVDが582円でレンタルできるというページを発見した。バタフライ、卓球王国、WRM等の3000~5000円ぐらいのDVDが不特定多数にレンタルされているのだ。各社から許可を得ているとはとうてい思えない。

卓球ラケット激安中古販売

この店でもDVDレンタルをしている

球楽

こんな違法なことをおおっぴらにやっていて許されるのだろうか。これでは発展途上国と同じではないか。義憤にかられる。私は法律に疎いのだが、法律に詳しい人がいたら、ぜひ糾弾していただきたい。

【追記】140502
グリップの握り方とか、下回転サービスの出し方とかの指導をどうして元日本代表レベルの人がしなければならないのか。大学生の卓球部員どころか、高校生の卓球部員で十分ではないだろうか。自らの部の宣伝にもなるし、いい経験にもなるので、大学生や高校生が初心者向けの指導動画を作り、youtubeにアップロードして公開してみたらどうだろうか?

今年の連休は間に平日が何日も入り、あまり連休らしくない連休だ。

私は人混みが苦手なのだが、河原町四条に行く用事があったので、ついでに最近?できたOPAのブックオフに寄ってみた。難しい本は読む気がしないので、卓球マンガを探してみたところ、以下の2タイトルが1冊100円で売っていたので買ってみた。今回はこれらを読んだ感想などを綴ってみたい。

島本和彦『卓球社長』(ビッグコミックス)
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本田真吾『卓球Dash』(少年チャンピオン・コミックス)1~3巻
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『卓球社長』は会社内の揉め事や人間関係の軋轢などが卓球をめぐって展開し、仕事とは、人生とは何かということを問いかけつつ、しみじみとしたペーソスとユーモアが漂う作品となっている。従来の島本和彦氏の作品とは違い、アツい展開は控えめである。5つのエピソードが収録されていたが、それほどおもしろいエピソードがなく、盛り上がらないまま最終エビソードに。しかし、この最終エピソードがなかなかの佳作だったので、うまくまとまって終わっている。ただ、卓球の記述に納得できない部分がいくつかあり(ダブルスにおいて打球した自分のパートナーの体の正面を狙って相手が返球するという常套手段が「卑怯」だとされている等)、作者が卓球に詳しくないことを窺わせる。
卓球のスコア風に評価すれば、2-4で敗北だが、2ゲームはとれたといった感じである。
5-11
6-11
12-10
11-5(最後のエピソード)
8-11
9-11

『卓球Dash』は(ピンポン・ダッシュと読むらしい)は茨城県牛久市のヤンキー高校生(昭和の遺物のような典型的なヤンキー)が卓球に取り組むというスポーツギャグマンガ。主人公が卓球部の少女に惚れて卓球部入部を決意し、卓球を始めるまでのいきさつがかなり強引で、少年マンガらしい、「まず設定ありき」のストーリーだという印象を受けたものの、意外におもしろかった。絵柄もキレイで

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ユニークなキャラクターが多く、妙に専門的である(欄外にニッタクや明治大学卓球部への謝辞が記されていた)。主人公の必殺技は裏拳で鍛えた強烈なバックハンドドライブ「爆速魔駆須駄屁(ばくそくまっくすだっぺ)」で初心者ながらも全国レベルの強豪から数本エースをとるといった活躍を見せる。ヤンキーマンガと敬遠しないで、ちょっと手にとって見てもいいかもしれない。ノリ的には『エリートヤンキー三郎』に近いか。
3巻までしか読んでいないが、おそらくこれからもユニークな敵キャラが現れ、茨城の自嘲ネタと恋愛ネタとがあいまって、優等生的な少年マンガストーリーを展開していくことだろう。少年マンガとしてはレベルが高い。
卓球のスコア風に評価すれば、4-1で勝利といったところである(私は4巻以降は読むつもりにはならないが)

8-11
11-9
11-7
11-8
11-7

卓球を題材にしたマンガは、なかなか描きにくいのか、私は傑作といえるような正統派の卓球マンガにはまだ出会えていない。正統派の卓球マンガというと、主人公が強烈なスピード・スピンの必殺技のようなものを編み出して、県大会、全国大会、世界大会とどんどん強い相手を倒していくというストーリー展開になりがちだが、卓球人としては、そういう強烈なスピードやスピンで相手を圧倒するのではなく、相手との心理戦、裏のかきあい、を軸にした対戦を期待したいところである。

今日の世界卓球2014予選、中国対ロシアの第二試合、樊振東選手 対 リヴェンツォフ選手の試合を興味深く観た。普通に考えれば、リヴェンツォフ選手は樊振東選手の前に手も足も出ず敗退だろう。結果は確かに0-3のストレート負けだった。しかしリヴェンツォフ選手は意外に善戦していたように見えた。

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リヴェンツォフ選手はボールの威力はあまりないのだが、コース取りがうまく、樊振東選手に思い切り攻撃させないような老獪さがあった。こういう地味な上手さをマンガにしてもらえたら――相当卓球に熟知していないと無理だが――味わい深い作品になるのではないだろうか。

なお、私は『P2!― let's Play Pingpong!―』というマンガも読んだことがあるが、ストーリーが行き詰まって?打ち切りになっていたし、『行け!稲中卓球部』はおもしろいらしいが、1巻を読んで、その表現のどぎつさに挫折してしまった。今、アニメ放映中の『ピンポン』は、マンガは読んだことがないが、ストーリーもおもしろく、演出もすばらしい。期待大である。


【付記】
卓球とは関係ないが、いっしょに買った『特殊清掃』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)をおもしろく読んだ。

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筆者の内省的で抑制の効いた文章と、細かいところまで行き届いた配慮がここちよかった。
筆者は遺体にまつわるさまざまな「特殊」な清掃を生業とする方である。遺体の後片付け等、生々しく、衝撃的な内容を期待していたのだが、そういうグロテスクな描写は少なく、それよりも筆者の生死や人生についての思考が中心である。死を目の当たりにするという、通常ではありえない極限の状況で生まれる思考は、短文ながらも深く考えさせられるものばかりである。日常生活を題材とした文学作品では、さまざまな道具立てと多くの字数を費やさなければ表現できない主題が、毎回極限状況のこの作品ではわずか2~3ページで生き生きと表現されている。

人は死ねば腐っていく。しかし、生きながら腐っている人もいる。私などはそんな「生き腐れ」の一人に違いない。

死に向かって、確実に過ぎていくいまを、腐って生きるのか新鮮に生きるのか…。
普通に考えれば、腐って生きるなんて、そんなもったいないことはできるはずもない。
…しかし、実際は腐って生きてしまう。
腐りそうになったら、「今日一日で自分の人生は終わり」と仮定してみるといいかもしれない。
”今日一日”が短すぎるなら、一週間、一ヶ月、一年だっていい。


人生が今日で終わりと考えれば、今日一日を無駄にしたくないと、ポジティブに生きられるのではないだろうか。

黒沢0902-horz

4月最後の今日、みなさんは今日一日、あるいは今月一ヶ月を振り返って「生き生きと充実した時間を過ごした」と思えるだろうか。私は思えない…。


卓球ショップJASUPOから発売されているDVD「吉田海偉のフィニッシュはフォアハンド!」を観たので、その感想などを書いてみたいと思う。




このビデオは2巻に分かれていて、1枚あたり、35分ほどで約1300円である。2枚で70分、2600円になるが、このビデオはあまりおすすめできないと感じた。

私は吉田海偉選手のプレーが好きだ。数年前に吉田選手のプレーを生で観たことがあるのだが、フォアハンドのスイングスピードが周りの選手とくらべて頭ひとつ抜けていた。今どき珍しい、片面ペンホルダーで、広いプレー領域を持ち、かつ情熱のこもったプレー。吉田選手は観客を魅了する要素をいくつも持っている。
それにしてもあの強力なフォアハンドの秘密はなんだろうか?このビデオを見れば、その秘密が明らかになるのではないか。そんな動機でこのビデオを観たのだが、残念ながら私の求めていたものはこのビデオにはあまり見いだせなかった。

「フィニッシュはフォアハンド」は吉田選手の技術論や練習メニュー、指導理念などの解説的な部分と、実際に実演する部分に大きく分かれている。
前者の吉田選手の解説なのだが、たとえば、次のようなやりとりが交わされる(実際のやりとりは冗長なので、要約して示す)。

【フットワークについて】
Q「コツはあるか?」
A「ないですね。
Q「練習あるのみ?」
A「しっかり練習すれば試合に役立つ


【フォア・ミドル・バック・飛びつきのフットワーク練習について】
Q「なぜいつもこの練習をするのか、この練習の意図は?」
A「なんでだろう…フォアに打って、次に真ん中に返ってくる可能性もあるし、真ん中から打って、次にバックに戻ってくる可能性もあるし、3点の練習もできる。そしてバックからバックに打ったら、ふつう、フォアに返ってくるから、飛びつきしなければならない。試合の時にそういうボールに遭う経験が多かった


コツは「ない」とか、意図は「なんでだろう」とか、このやりとりを見る限り、台本がなく、行き当たりばったりで答えているように見える。そして吉田選手の解答も「なるほど」と思わせるものが少なかった。もしかしたら、このビデオは、前日に飲み屋で一杯やりながら、プロデューサーがおおまかな流れを吉田選手に説明し、ぶっつけ本番、3~4時間ほどで撮影したやっつけ仕事なのでは…と勘ぐりたくなる(ディスクも通常のDVDではなく、耐久性の低いDVD-Rである)。

3球目攻撃の練習の実演があるのだが、画面下に

Q「吉田選手は今何を考えてサーブ・レシーブ練習をしていると思いますか。よく観察して考えてみましょう」

というテロップ。トップ選手は我々の想像も及ばないような緻密な思考をしているのだろう。吉田選手も「卓球は頭を使わなければダメだ」ということを何度も述べていた。しかし解説では次のような解答にとどまった。

A「ちょっと甘いボールが来たらすぐに3球目で打つという気持ちで練習していました」
Q「気をつけるポイントは?」
A「サーブに対してどんなレシーブが来るか考えなければならない。それが一番大事。」「こういうサーブをしたら、相手は短くストップするとか、何でも早めに予想しないと」


「何でも早めに予想しないと」という吉田選手の言葉にはたしかに重みがあるが、実際に「どういうサーブのときに、どういうレシーブをすべきか」という具体例をこそ教えてほしかったのに…私が知りたいのはそういう当たり前のことではなく、トップ選手ならではの「答案」なのだ。しかし、そういう踏み込んだ解答というのは、ほとんどなかった。「手首の重要性」とか、「3球目のコースどり」「インパクト時の面の角度」といったちょっと踏み込んだ発言もあることはあったのだが、全体的に「腰を使って打つのが大事」とか、「子供の時に基本を身につけるのが大事」とか、無難な解答ばかりだった。

結論として、私はこのビデオの吉田選手の解説には満足できなかった。

しかし、吉田選手のフットワークの実演はすばらしかった。3点フットワークの練習などは、何度も見る価値があると思った。カメラも斜め前からと、正面から(こちらは画質が悪いが)と、いくつかのアングルが用意されており、身体の使い方などがわかりやすい。そこで私はビデオ編集ソフトで実演部分のみ切り取って、1つの動画ファイルを作ってみたのだが、それが20分弱だった。

約50分の会話部分はかなり冗長で、新たな発見も少なく、何度も観たいとは思わない。
吉田選手の超人的なフットワーク練習や、豪快なフォアハンドドライブ20分の映像に2600円を出しても惜しくないという人以外は購入しないほうが無難である。

いっそのこと、解説部分を一切入れず、吉田選手の普段の練習をいろいろなアングルから120分ぐらいぶっ続けで流してくれたほうが価値があるビデオになったのではないか。

最後にもう一つ文句を言いたいのだが、BGMの音量が大きすぎて、吉田選手の会話部分が聞き取りにくいのが気になった。

Honesty is such a lonely word.
Everyone is so untrue.
Honesty is hardly ever heard.
And mostly what I need from you.

カラオケで英語の歌でも歌えたらなぁと、若いころ、歌詞カードを見ながら、なんとなく覚えたビリー・ジョエルの「オネスティー」。今でも8割がた歌詞を覚えているし、イントロが聞こえてくると、歌詞が自然と口をついて出てくる。メロディーに乗せて英語を発音するのは、記憶に残りやすい。これによって"such a Adj+N"という語順や、"heard"が「ハード」ではなく「フード」に近い発音であることなどを身をもって理解した。世間で言われている、英語の歌(スラング等がない、オーソドックスなもの)を覚えるのは英語学習に効果があるというのは本当だと思う。

「ザ・ファイナル 2014」は外国語の歌を聴くのに似ている。



息抜きとして、ときどきちょっと滑稽なシーンなども収められているが、メインは全日本卓球選手権の好ゲームの名シーンである。トップ選手の試合のうち、それぞれ1~2本ほどの好ラリーを収めてある。これは単に眺めるだけの動画ではなく、卓球の上達にも資するのではないだろうか。

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卓球ビデオは指導者が卓球の技術を論理的に解説したものと、大きな大会の名勝負を収録したものに分かれるだろう。前者の代表である「超効くコツ!!」が参考書だとすると、後者の代表である世界選手権や全日本選手権のビデオは文学作品(古典)である。「ザ・ファイナル 2014」は後者に分類されるが、通常の大会ビデオとは違って凡ミスなどの夾雑物が取り除かれたアンソロジーである。しかも、各試合のうち、最高の場面だけをわずか1~2ポイントだけ収録しているのがミソだ。

参考書は頭で理解し、なるほどと納得させられるが、理解した後で何度も繰り返し読もうとは思わない。一方、文学作品は直接役には立たないが、間接的に知性を豊かにしてくれる。内容が分かっていても、いろいろな視点から何度も味わおうという気になる(古典なら)。どちらがより高級か、ということではない。どちらもそれぞれに知性を磨いてくれる。

「ザ・ファイナル 2014」はダイナミックで美しいプレーだけが厳選されているので、何度も観てみようという気にさせられる。もしこれが1試合をまるまる収録したりしていたら、じっくり味わおうという気になりにくいだろう。長い物語を諳んじようという気にはならないが、短い詩だったら、口ずさんでみようという気になる。一つ一つのプレーが短く(ラリー自体は長いが、1試合まるごとと比べたら短いという意味)、それらが自然と脳裏に焼きつきやすい。それらのプレーを真似してみたくなる。英語の歌を聴きながら、いっしょに口ずさんでみるようなものだ。

トップ選手のプレーを形だけでも真似するのは卓球の上達につながると、どこかで読んだことがある。水谷隼選手のしなやかで躍動的なプレーや吉田海偉選手のパワフルなプレーのワンシーンを目に焼き付けておいて、自分の練習中に水谷選手や吉田選手になりきってみる。それを繰り返すことによって、フォームもあこがれの選手に近づいてくる。そして自分のラリー中に、ビデオと同じようなシチュエーションに出会ったなら、英語の歌が口をついて出るようにおのずから身体が動き始めるのではなかろうか。私は一流選手を真似ることが上達につながると信じている。

youtubeの動画の中にもそのような名場面を集めたアンソロジーがいくつもあるが、「ザ・ファイナル 2014」がそれらと比べて優れているのは、画質もさることながら、背後からの低い視点でのカメラワークだろう(前記事「カメラアングルによる臨場感の差」)。これは迫力があり、素人の作った動画とは一線を画している。

「ザ・ファイナル 2014」は頭ではなく、イメージで一流選手のプレーを学びたい人におすすめである。

DVD「超効くコツ!!」2011年(卓球王国)を観た。

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これは、一言で言えば、ワンポイント・アドバイスの集大成である。
基本打法から台上処理、フットワークや身体の使い方といった初中級者が躓く点についての上達のコツが79も収録されている。シェーク向けが中心だが、監修者の一人、見目剛廣氏が中ペンだからか、ペン向けの指導も多少収録されている。バック表向けのコツが2つあったが、カットや粒高向けのコツはなかった。時間は115分ほどで、3500円。通常のビデオが60分ほどだと考えると、非常にコストパフォーマンスが高い。おすすめというより、これは卓球人なら必ず観ておかなければならない基本文献だと思われる。

私が以下の前記事で考察してきたことの「答え」はすでにここにあったのだ。

ぴょんぴょん
振り遅れについての考察
ラケットのニュートラルポジション
このバックハンド、変じゃないですか?

どのコツもなるほどと思わせるものばかりで、「捨てコツ」がない。非常に内容が濃い。ここに紹介されていることをそのまま指導に取り入れれば、私でも初中級者の指導ができそうな気がする(あくまでも「形にはなりそう」という程度だが)。

演出もわかりやすい。
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スローモーションと同時に現れる字幕と矢印などの効果がわかりやすい。

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いい例と悪い例の比較動画もわかりやすい。

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コツだけでなく、悪いフォームの矯正法・練習法もわずかだが紹介されている。

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「悪い例」があまり上手でないのはご愛嬌。

そうか、世の指導者はこういうものを基礎にして、自分なりにアレンジして指導しているわけか。
ここに紹介されているコツをしっかり身につけることができれば、安定した卓球ができるようになるだろう。

ただ、注意しなければならないのは、これだけいろいろなコツが詰め込まれていると、観ただけで分かったつもりになってしまうのではないかということだ。本来、この一つ一つのコツを身体で覚えるためには一つのコツにつき数時間の練習時間が必要かと思われる。習得には長い時間が必要だ。

考え方や到達点は示されている。あとはこれを血肉となるまで身体に覚え込ませられるよう練習メニューを工夫することだ。
 

人の批判というのは諸刃の剣である。

私の学生時代の先生は人に論争をふっかけてばかりいて学界で疎んじられていた人だった。私はナイーブにも「先生はどうしてそんなに批判がお好きなんですか?」と尋ねてみたことがある。するとこんな答えが返ってきた。

日本では間違ったことをきちんと批判せず、『考え方の違い』で済ませてしまう傾向がある。しかし、学問というのは食べ物や異性の好みとは違う。間違っていることは間違っている。そういうことを指摘しないから学問が健全に発展しないのだ。誰も好き好んで批判などしない。批判というのは細心の注意を払わなければ、批判したこちら側が大ケガをする。一手もミスできない。しかし学問を歪めないためにあえて私は批判しているのだ。

今ではこんな先生は珍しいだろう。昔気質の先生であった。

ネットなどで「☓☓のラケットはクソだ!」などと根拠も示さず一方的に不満をぶちまけているのを目にすると、嫌な気分になる。製作者に対する敬意を欠いた発言は、主張の信憑性を失わせるのみならず、発言者の品位の欠如だけが目につく結果となる。批判をするなら評価できる部分はきちんと評価した上で、根拠を示しつつ批判すべきである。

前置きが長かったが、WRMの指導動画「はらたか ワンポイントレッスン フットワーク編」(3000円)を購入したので、その感想などを書いてみようと思うのだが、結論から言うと、このDVDはあまりおすすめできない。この一言に尽きるのだが、卓球指導動画というジャンルの健全な発展のために「大ケガ」の危険も顧みず、あえて詳細に批判してみようと思う。

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本編は50分強で、構成は次のようになっている。

A 身体と足の使い方についての解説(15分ほど)
B 多球練習による実演(残り35分ほど)

Aの解説は明解で、理に適っている。しかし問題はそれがBの実演に結びついていないことである。

Aにおける原田隆雅氏のフットワークに対する考え方を一言で言うと、人間の自然な動きの重視である。
それは、ムダな動きを極力省き、前の動作の反動を利用して次の動作につなげるということである。一般的な動き方はフォア側→バック側へ移動する時に、フォア側からバック側への移動動作の連続が途切れており、2つの別の動きとなっている。しかし原田氏はフォアの一連のアクションの最後を次のアクションの始動とするので、動きが止まらない。流れるように次の動きにつなげることができる。
フットワークについてもう少し言うと、跳ねるのではなく、身体をずらして移動する。あるいはまず体勢を歪めて(股関節を入れる等)、それを立て直す力を利用して移動するというものである。
これらの解説はどれもすばらしく説得力があり、いちいち納得させられる。モデルとしてぐっちぃ氏が登場し、ぐっちぃ氏のぴょんぴょん跳ねるフットワークを矯正しつつAが終わる。

次に

まずは☓☓の切り替えをやってみたいと思います。このときにラケットの先端を早く切り替える意識と、振り遅れないようにラケットを身体から離して…に意識しましょう。

といってBが始まる。フットワークについての説明ではなく、ラケットの扱い方やスイングの簡単な説明のみで唐突に多球練習の実演動画が始まる。まずぐっちぃ氏の実演、次に原田氏の実演。申し訳程度にフットワークが映るアングルからのリプレイも入る。が、これがAの解説のどこに対応するのか分からない。ぐっちぃ氏の実演が悪い例なのか良い例なのかも分からない。原田氏の指導を忠実に守っているようには見えないので、いい例とも言いがたいが、悪い例とも言い切れない。

バック→ミドル→バック→フォアの切り替え
フォア→ミドル→フォア→バックの切り替え
(ミドルをフォアかバックで打つため、フットワークを使うことになる)
フォア→バック→回り込み

とほとんど説明がないまま延々と多球練習の実演が続く。何を示すための実演なのか分からない。

次に前後のフットワーク(低い姿勢を維持しながら)の実演が始まるが、この前後のフットワークはAの解説にはなかった動きである。いわば、授業で習っていないことが期末試験に出題されたような形だ。
このような多球練習の動画がさらに続いた後で最終章「現代卓球に必要な動き」として

フォアワンコース連打(股関節を使った早い戻り)
全面バックハンドフリック(レシーブのコツ?)

と続くが、これはもはやフットワークの指導動画ではないと感じられた。

前回観た動画「礼武研究所 フォアハンド編」が価格以上の価値があっただけに、今回の動画にはがっかりさせられた。重心という目に見えない要素を扱うため、フットワークを解説するのは他の技術に比べて難しいことだろう。しかし、この動画の完成度の低さを考えると、製品として市場に出すレベルには達していないと言わざるをえない。初めの15分余りの部分だけを1000円で売るというのなら分かるが、大半が意味の分からない退屈な映像の羅列で3000円は納得がいかない。

WRMは今までにない形で卓球界を盛り上げている注目すべきメーカーである。しかしこのDVDは拙速の感が否めない。冒頭15分は素晴らしかったのである。どうして後半をもう少し時間をかけて仕上げなかったのだろうか。WRMの企業イメージを損ねないためにも、卓球動画というジャンルの健全な発展のためにももう少し手間をかけて指導動画を作ってほしいものである。

 

部活をやっていた頃は、毎日うんざりするほど卓球ができたけれど、不思議と楽しかった記憶がない。中1の頃と中3の頃を比べると、あまり進歩がなかったのだ。週6日、毎日2時間ほどの練習を繰り返したにもかかわらず、私の卓球は中1の頃から進歩がなかった。「下手な考え休むに似たり」という諺があるが、「下手な練習、休むに似たり」だったというわけだ。

どんな練習をしていたかというと、

フォア打ち10~20分
バック対バック10~20分
フォアドライブ対ブロック10~20分
ツッツキ5分
オール形式の練習60分~

という練習を、どんぐりの背比べ的な練習相手と、到達目標などもなく、何も考えずにやっていた。これでは何年経っても進歩しないのも無理はない。

私はこの中学時代の部活と同じ轍を踏みたくないと思っている。練習時間が限られている社会人なので中学時代と同じような意識・内容で練習していたら、進歩がないどころか、逆に下手になるかもしれない。質の高い練習をして時間を有意義に使いたいのだ。

そこで卓球のDVDを買ってみることにした。卓球の指導DVDを観れば、自分の課題を発見できたり、効率のいい練習メニューが紹介されていたりするのではないかと思ったのだ。

卓球のDVDは1時間ほどで3000~5000円ぐらいのものが一般的だろうか。こういうものを毎月1枚買うぐらいなら、私の小遣いでも可能かもしれない。しかしプラスチックの円盤に5千円も払うぐらいなら、ラバーを1枚買ったり、中古のラケットを買ったりしたほうがお得な気がしないでもない。用具は手元に残る、使えるし、眺めたり触ったりできる。それに対してDVDは観たら終わりである。今はインターネットで無料で指導動画なども観られるし、そのDVDの内容が5000円に値するかどうかも分からない。友人がDVDを買って、タダで私に貸してくれるかもしれない…そんな打算があって卓球DVDを買うのを躊躇していた。

しかし、ラバーやラケットをいろいろ買うのは果たして私にとってお得なのだろうか?私にはいろいろな用具を買って試してみるほどの練習時間はない。そうすると練習で2~3回ほど試して気に入らず、お蔵入りしてしまう用具がどんどん増えていく。用具にかかる費用は月あたり5000円では済まないかもしれない。用具はカタログを見ながらあれこれ考えている時が一番楽しくて、実際に手にしてみたら、案外すぐに飽きてしまう。そしてまた新しい用具に目が向いてしまう。なんだか卓球メーカーやショップに搾取されているような気がする。

そこで用具は替えない、DVDや講習会などに金をつかう、こちらのほうが経済的であり、今の私にとって卓球を楽しむ最も賢い選択だと思われる。といっても用具が好きで好きでたまらない人を否定するつもりはない。あくまでも私にとっての最善の選択であるにすぎない(前記事「ラケットの品質」コメント欄参照)。

卓球王国、WRM、バタフライ、ジャスポなどから卓球の指導DVDがいろいろ出ているが、今回はWRMのDVD「礼武研究所」というシリーズを購入してみた。同社のDVDには「はらたか」シリーズや、「WRM卓球塾」シリーズなどがあるが、どういう棲み分けなのかよく分からない。なお、「WRM卓球塾」に関しては、以前4巻「戦術編」を観たことがある(前記事「「戦術」の意味」)。

「礼武研究所 フォアハンド編」は個人レッスンを1回受けたような感じのビデオである。決して内容が豊富なわけではない。いくつかのポイントに絞って簡単に解説し、残りの半分は悪い癖のついた中級者に実際にフォア打ちをさせてそれを治していくという形式である。

主なポイントは以下のとおり

・打球ポイント
・スイングの軌道および面の開き方
・上半身と腰の動かし方
・スタンスおよび身体の向き
・膝の使い方および重心移動

登場する中級者のモデルは、失礼ながらあまり上手ではない。たぶん私とさほど変わらない実力だと思う。フォームをみると、みるからに安定性が低そうである。打点が遅く、脇を過度に締めて、ラケットヘッドを下に向けて、小さく縮こまったフォームである。講師の原田隆雅氏はまず、面を開き、三角形スイングを止めるよう指導する。次に身体の向き、スタンスを修正する。さらに重心移動、膝の使い方と続く。
これらの指導項目は目新しいものは少なかった。大半は下の動画等で知っていることばかりだった(前記事「重心移動を回転運動に」)。



しかし、知っていることと理解していることは違う。私は知ってはいたが、理解してはいなかったということを思い知らされた。非合理的な打ち方とは実際にはどんなものなのか。指導を受けてもどうしても抜けない悪い癖というのはどういうものなのか。そういうことがこのビデオを観てよくわかった。前半の解説の部分よりも、後半の「悪い例」こそがこのビデオの醍醐味だと思われる(しかし、ここが冗長だと感じる人もいるだろう)。「役に立つ」知識とか、「正解」とかを求めてこのビデオを購入しても満足度は低いだろう。「新情報」はそれほど多くないからだ。そうではなく、理想的なスイングを習得する上でどんな難点があるか、スイング矯正のネックになるのはどこか、などを知りたい人――指導者が示してくれる「正解」を実際に活かしたい人に有益なビデオだと思われる。これが3000円だったら高いと思うが、2000円だったので、私は満足した。

大学の授業は大きく分けると講義科目と演習科目がある(他にも外国語や体育、購読といった形式の授業もあるが)。講義科目というのはたくさんの知識を授ける、教員から学生への一方通行的な――高校までに慣れ親しんできた形式の授業である。そして演習科目というのはゼミとも呼ばれているが、実際に学生が自分で考察したことを発表し、それに対して教員が批判やアドバイスなどをする形式の授業である。人が考えた借り物の知識をたくさん持っていて、テストで高得点がとれるよりも、拙いながら、実際に自分で考えたり演じたりしてみるほうが私はおもしろいと感じる。

海の彼方にはもう探さない 輝くものはいつもここに
わたしの中に見つけられたから



映画のほうはそれほどおもしろいとは感じないが、この歌を聞くと日本語が分かることに感謝したくなる。

この「礼武研究所」は単に知るためではなく、自ら理解するため――すでに与えられた「正解」を実際に自分に適用してみるときの注意点にフォーカスを当てた演習形式のビデオだと感じた。
 

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