しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




卓球

当ブログでは皆様からの寄稿を募集しております。卓球について意味のある主張を発表したい方はshirono.tatsumi◯gmail.comまで原稿をお寄せください。

コメントについて:
コメント欄は他の読者が読んで意味のある情報交換の場としてご利用ください。当ブログの方針(察してください)に沿ったご意見は公開します。返信しにくい場合は公開のみとさせていただきます。指導者ではないので、技術的な質問には答えられません。中傷等は論外です。なお、メールアドレスは公開されません。

メンタルと試合の流れ

私は「格下」と思われる相手と試合をしてよく負ける。
格下だと思うと、なんだか気が抜けてしまい、「相手を打ち負かしてやる!」という闘争心が湧いてこない。なんとなく相手に合わせるようなプレーを続けた結果、相手にガンガン打たれて負けてしまうのだ。

「こんなはずじゃなかった…」と後悔しても遅い。これがいわゆるメンタルの問題というものだろうか。

よく自分を奮い立たせるために、ポイントしたら大きな声を出す選手がいる。私もポイントのたびに大きくチョレイなどと叫んでみたらいいのだろうか。でもちょっと恥ずかしい。

高遠

声を出したら、闘争心が呼び覚まされて、プレーが積極的になる?

しかし、そんな単純なものだろうか。声を出して気持ちが高ぶってきても、肝心のプレーがおそまつということもありうる。気ばかり逸ってしまい、打ちミスを連発してしまうかもしれない。

たとえば、サムソノフ選手や丹羽孝希選手のように寡黙にプレーしても自分の持つ能力を遺憾なく発揮できる選手もいるではないか。声をほとんど出さないのに強い選手は少なくない。声を出さないとプレーが固くなってしまう選手もいるのかもしれないが、声を出せばプレーが積極的になるとは一概には言えないだろう。

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全日本卓球2019の伊藤美誠選手対早田ひな選手の準決勝の解説で宮崎義仁氏がこんなことを言っていた。

「チャレンジャー、向かっていったほうが勝つのかなと私は思います。そういう意味では早田のほうが1ゲーム目、乗っていくかな。伊藤が最初からね、早田にたいして挑戦者の気持ちで向かっていけたら、そりゃ別なんですけど、今、女王ですからね。彼女は受けてしまうんじゃないかな…そこの出足が心配だなというふうに見ています。」

「受けてしまう」。私が格下と試合する時はまさにこんな心境である。
相手の隙を突いて自分から積極的に攻撃を仕掛けていくというよりも、「相手はどんなことをしてくるのか」と様子見をしてしまう。途中から「このままでは負けてしまう」と分かっていても相手の出方に合わせてしまう。私は自分の実力が大したことがないということをイヤというほど思い知らされているので、格上ぶっているつもりもない。しかし、「格下」っぽい人と試合をすると、「受けてしまう」のである。どうすればいいのか。

そんなこんなでいろいろな「格下」に負け続けて気づいたことは、メンタルよりもマインドのほうが問題だったということである。カタカナで表現すると曖昧になるので漢字で言えば、「心」よりも「知」のほうが問題だと思うのである。私がどうして自分から先手を取れないかというと、自分の攻撃するイメージがないからなのである。

フォア前にサーブが来た。そこで相手のバックにフリックしたら相手は最も遠いこちらのバック奥に返球してくるだろう。だから急いで戻ってバックハンドで強いボールを打たなければ。

こんなイメージを持たずになんとなくフォア前のサーブを相手のバックにフリックしてしまい、相手がこちらのバック奥に返球してくるのに驚いて当てるのが精一杯の弱い打球で返した結果、相手に攻め込まれてしまうわけである。「格下」だと思うと、警戒心が薄れてしまい、次の展開を考えずになんとなくプレーしてしまうことが多いようなのだ。相手が格上だろうが格下だろうがやるべきことは変わらないはずである。格下だと思ったときに次の展開を思考するのを止めてしまうのが私の卓球の悪い癖だと分かった。

前記事「私の観た全日本卓球2019」で「迷ったまま入ってしまう」ということについて述べたが、私の場合は「迷ったまま」というよりも「何も考えずに入ってしまう」のである。声を出して自分を奮いたたせるというのは、迷いを断ち切る役には立つかもしれないが、そもそも何も考えずに入ってしまう私のような卓球では全く意味がない。それよりも頭を使って相手のプレーを分析し、次の展開のイメージを持つことこそが私に最も欠けているものだと思う。

シェークハンズの藤井貴文氏が「心技体知」についてブログで書いていた。

「技術は同じなのに、何度やっても勝てないケースがあります。その時の差は「戦術」の差です。」
「いわゆるどのスポーツでも言われている、「心技体」そして「戦術の知」だと思われます。」

スポーツや武道で「心技体」ということがよく言われるが、卓球に関しては「心技体知」だと聞いたことはあったのだが、最近この「知」の大切さがよく分かるようになってきた。よく「メンタルが弱いから負けた」ということを聞くが、そのときの「メンタル」というのは「心」も「知」もいっしょくたにした曖昧な言い方で、実際はメンタル(気持ちの強さや積極性、冷静さ)というよりも「知」の部分に問題があることが多いのではないだろうか。

先の宮崎氏は1ゲームを獲った伊藤選手について次のようにコメントしている。

「…去年のチャンピオンですし、ワールドランキングもだいぶ上ですし、伊藤がね、少しこう、待ち構えてやるような、受け身になるのかなと思ったら、なんのなんの、伊藤のほうが思い切ってましたね。やっぱりこのメンタルの強さ、さすがですね。」

こういうコメントを見ると、プロの試合では「心」の部分が試合を大きく左右するのだということがうかがえる。つまり、「技体知」の部分ができているのは当然のことで、あまり問題にならず、問題になるのは「心」の部分だということが分かる。しかし、初中級者の試合では「心」よりもまず「知」の部分が問題になることが多いのではないだろうか。

ここまで考えて、「試合の流れ」ということももしかしたら同じことなのかと思った。卓球全日本2019男子の解説で河野正和氏が「試合の流れ」に何度か言及していた。「流れがきている」などとよく言われるが、これについて私は幸運か何かが定期的にめぐってくるようなイメージを持っていたが、ようするに自分の戦術が相手に効いて、自分のイメージしたとおりの展開が続くことを言うのだろう。その戦術に相手がうまく対応して戦術が通用しなくなったら「流れが行ってしまう」ということになり、戦術を変えて、それがまた相手に効き出したら、また「流れが来た」ということになるのではないか。試合というのは徹頭徹尾、戦術であり、メンタル(心)というのは戦術という食材を際立たせる調味料にすぎないのではないだろうか。

私の観た全日本卓球2019――最終日女子

今更ながら、全日本を観た感想などを書いてみようと思う。大阪開催なので、実際に見に行きたいと思ったのだが、あいにく都合が悪く、見に行けなかった。来年こそはと思っている。

先週末からの3連休で時間的な余裕があったので、シングルスの準決勝から決勝までまとめて視聴してみた。男子解説の河野正和氏も悪くはないのだが、やはり宮崎義仁氏の解説は圧倒的におもしろい。プレーを見ればそこから選手の考えを鋭く見抜き、技術や戦術についてのコメント、さらには国際的な視野からの比較や古いエピソードなど、いくらでもおもしろいうんちくが湧き出てくる。そこからわれわれ一般愛好家も多くのことを学ぶことができる。

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宮崎氏「今、ちょっと悩んだまんま入ってしまったっていう感じですかね。」

渡辺アナ「迷ったまま入ってしまった、そこをもう少し詳しく教えていただけないでしょうか。」

宮崎氏「チキータをやらせようか、それともチキータをやらせないでロング(サーブ)から勝負しようか、どちらかなんですよ。チキータもやらせなかったですよね?ミドル前に(サーブが)行ったら、チキータがやってくるんですけど、バック前に行ったから、チキータこないんですよ。レシーブはチキータが来ない。でもロング(サーブ)でもないから、早田もどんなレシーブが来るか分かんないで(サーブを)出してるんですよ。だから、明確にチキータさせるか、ロングサーブを出してロング戦に持っていくか、どっちかはっきりした戦術じゃなかったんですよね。ただ単にチキータやられたくないな、でもロング(サーブ)も打たれたくないな、どうしようっていう戦術のない…迷ったままサービスを出してしまったという感じですね。」

バック前サーブ
バック前に下回転っぽいショートサーブを出した早田ひな選手

打ちミス
それを伊藤選手はうっかり浮かせてしまい、突如チャンスボールが訪れるが早田選手はスマッシュミス

はたから見たら、早田選手がなんてことのないボールを打ちミスしてしまったように見える。しかし、上述の宮崎氏の解説を聞いていれば、これは起こるべくして起こったミスだということが分かる。

「どんなレシーブが来るか分かんないで(サーブを)出してる」

というのは、私がしょっちゅうやっていることである。それでどんなレシーブが来るか分からないから、判断が遅れてミスを連発する。しかし、こんなレベルの高い試合でも同様のことが起こっているというのに驚かされた。宮崎氏が「世界トップレベル」と称賛する早田選手の実力をもってしても不意に訪れるチャンスボールをミスしてしまうというのはどういうことか?つまり私のような草卓球レベルでは「必ミス」となるだろう。私のような低いレベルのプレーヤーはどんなレシーブが来るか分かっていてもミスするのだから、どんなレシーブが来るか分からないようなサーブは絶対に出してはいけないということになる。

勉強になるなぁ。

回り込みバック

女子の試合ではフォア側に回り込んでバックでサイドを切るレシーブがよく見られた。バック側に回り込んでフォアを打つというのは私のレベルでもよくあることだが、フォア側に回り込んでバックを打つというのはほとんどない。私もこれからは台上でこういうプレーを取り入れてみたいと思う。

反対の山の準決勝は森さくら選手対木原美悠選手。
木原選手は平野美宇選手を破り、佐藤瞳選手をフルセットの大逆転で破る金星を重ねてここまで勝ち上ってきた。対佐藤選手の試合を見たが、木原選手は佐藤選手のカットの変化が分からず、1、2ゲームを見た時点でもう木原選手が勝ち目はないなと思ってみるのを止めたのだが、なんとツッツキ合戦に持ち込んで促進ルールで木原選手が勝利したのだという。その戦術を授けたのがエリートアカデミーの劉楽コーチなのだという。

劉コーチ
木原美悠選手の劉楽コーチ

手ごわい森選手に対して木原選手はフォア前サーブからのミドル攻めという戦術で危なげなく森選手からゲームを奪っていく。ゲーム間に劉コーチが木原選手にまくしたてるようにアドバイスをしている。
その劉コーチのアドバイスについて福原愛氏は次のように述べている。

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福原氏「的確なアドバイスだと思います。本当にしっかりと、こういうボールに対してはこういう対応をしなさいっていうアドバイスだったので、選手としてはとてもやりやすい環境を作ってくれたと思います。」

宮崎氏「(劉コーチは)日本に来てそんなに経験が長くないんですけど、すぐ日本語を覚えたんですよ。選手のために毎日勉強してテレビを日本語で見て…ほんとに努力家です。…(木原選手は)指示通りやってますね。指示通りやれる選手と、全く指示を聞かない選手っているんですけどね。木原の場合は指示通りやれる選手なのかもしれませんね。」
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実力的には木原選手が他の強豪選手を圧倒していたという印象はない。木原選手が倒してきた選手たちにも決勝に進出するチャンスがあったと思う。とすると、この劉コーチの授けた戦術こそが木原選手を決勝まで導いたと言えるかもしれない。


木原美悠選手のバックハンドの安定感と技術がすごい。バックハンドってあんなにコンパクトでいいんだ…

https://youtu.be/WECbVzKrRWs?t=37


コーチングについて最後にRallysの宮崎氏へのインタビューが興味深かったので紹介したい。
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宮崎氏「例えば、ミックスダブルス決勝では、張本は森薗の質の高いサーブをうまくチキータできていなかった。それに気づいてやっとストップに切り替えた。まずそのタイミングも遅かったんですよね。
そしてストップに切り替えた1本目は得点になる。その次のボール、張本はもう1本ストップしてしまった。伊藤美誠がストップを待っているにも関わらず。なので待ち構えていた伊藤に強打され失点してしまった。この場面ではもう一回チキータか長いツッツキレシーブをミドルかバックに送る方がよかった。」

ーーだから先を読んだ実況解説ができるんですね。恐れ入りました。ちなみに今みたいなお話は選手たちに直接アドバイスされるのでしょうか?

宮崎氏「伝えないですよ。全て選手が自分で考えて、感じてやるもの。選手は自分でやります。人に教えられてやるなんてありえないですし、それだと遅いんですよね。
「選手をどうやって指導するんですか?」と良く聞かれますが、教えない。教えたこともないし教えようようとも思わない。」
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指導というと、なんらかの「正解」を指導者が生徒に「教える」ものだと誤解されがちだが、自分で考えられるようになったら、「正解」は自分で探し出さなければならない。国際レベルの選手ともなれば、中高生でもこのような思考を身につけておかなければならないだろう。

「先生が言ったことを生徒はちゃんとメモして忘れないようにする」

というのは自分で考えることができない子供に対する教育だと思う。レベルの高い選手には考え方や枠組みを教えるだけでいいのだ。選手一人一人が宮崎氏の上記のような試合の見方を参考にして自分自身で相手の弱点を探し出せるようにならなければ世界で勝つことなどできるわけがない。私は宮崎氏の指導方針を聞いて、現在の日本代表の未来は明るいと感じた。

アクセルか、ブレーキか――踏み込みについて

サービスを出すときに床をダンっと蹴ったり、フォアドライブを打つときにグッと右足で踏み込んだりする。そうすることで回転がかかったり、威力のあるショットが打てるのではないかと私は思い込んでいる(冷静に考えると、サービスの時に足を踏み鳴らして回転量が増えるかどうかは疑問だが)

この踏み込みという動作にはアクセルとブレーキの働きがあると思う。

たとえば野球のピッチングで非利き足をグッと踏み込むことは球威を上げるのに重要な役割を果たす。これはアクセルだろう。卓球でもフォアドライブで体重移動しながら非利き足をグッと踏み込むことは球威を上げるのに役立つはずだ。

他にも相手のショートサーブに対するレシーブ時に前に移動し、右足でグッと踏み込んでツッツキをしたりする場合は右足の踏み込みがブレーキとして働いていると言える。もしこの「グッ」というブレーキがなければ、ツッツキのとき、台上で前に突っ込みすぎてしまい、次の動作が遅れる原因になるだろう。

前記事「○球目にご用心」で1球目を終えて3球目に備える、あるいは2球目を終えて4球目に備えることの重要性を再認識したので、最近はできるだけ素早く次の動作に移れるように気をつけている。

ツッツキのときに右足でグッとブレーキをかけて、すぐに台から距離を取るようにしているのだが、ここで私の右足は上述の私の考えとは異なる働きをしていることに気づいた。

私は相手のサーブをツッツキするとき、相手のインパクトの前に助走として少し足をバタバタ動かし、インパクトの瞬間、ショートサーブだと分かると、2~3歩小さくポジショニングして、ボールを正面から迎えられるようにする(ペンホルダーのツッツキはシェークより正面ぎみでボールを迎えるので)。その最後の1歩が右足になるのだが、そのときの右足の「グッ」はどちらかというと、アクセルのような「グッ」になるのである。

踏み込み

私が想像していたように、体が前に行こうとする力を止めるのに右足を使っているわけではなかった。

小さなステップで台に接近して、最後に右足を踏み込んでから右腕を少し伸ばしてツッツキをする。時間的な余裕がある時は、前に突っ込むようなことはなく、あまり前傾姿勢にもならない。右足はブレーキではなく、むしろアクセルのように働く。このようにツッツキ時に右足を利かせると、攻撃的な深いツッツキが打てる。しかも、その右足はそのままブレーキにもなり、私の身体を台から後ろに移動させる働きもするのである。

右足の踏み込みはフォア側の打球全般で使うと思うのだが、フォアツッツキの場合、

右足の踏み込み→打球→右足に体重を載せたまま後ろに戻る

という流れになるので、右足の踏み込みはアクセルであると同時にブレーキでもあったのである。
以下の王皓選手の動画のようなイメージである。


1分ほどオープニングが続くので、下のリンクから視聴されたい。
https://youtu.be/zyEMKbalUxw?t=58

同じく右足で踏み込むフォアドライブではどうだろうか。

通常(?)は

右足の踏み込み→打球→左足の踏み込み

のような流れになると思うのだが、そうすると、右足の踏み込みはアクセル、左足の踏み込みがブレーキということになるだろうか。しかしこうすると体が左に流れてしまい、次の動作が遅れてしまう。

上手な人のフォアドライブを動画で見てみると、

FD踏み込み
右側に体を傾け、右足でグッと踏み込む


FD伸び上がり
打球後、左右のどちらにも偏らない中立の姿勢


FD戻り
左足でブレーキ…あれ?左足が仕事をしていない。




https://youtu.be/5TWreEciHGc?list=PLsb_4V4-v9foxwDadaD_P7P3n5JtqcbNo&t=81

左足の踏み込みでブレーキを掛けていない。打ち終わったときに左足にはとりたてて体重が載っているわけでもなく、ちょうど中立の姿勢で終わっている。左に体が流れない。

フォアドライブってこうやって打つのか…。なるほど、こうすれば次の動きにすばやく移れる。

今までの私のフォアドライブは、右足で踏み込んで左足でブレーキをかける、大振りで効率の悪いフォアドライブだったのか。

フォアサービスの場合はどうなるのだろう。私は今までフォアサービスのインパクトと同時に左足をダンッと踏み込んでいたのだが、もしかしたら、左足を踏み込むことによって3球目への準備が遅れていたのかもしれない。ツッツキとフォアドライブの考え方をフォアサービスにも援用すると、フォアサービスでも左足にはあまり体重を載せず、右足に載せたまま後ろに下がったほうがいいということである。

そういえば、「右から左、後ろから前への体重移動というのは時代遅れだ」という上級者の意見をどこかで聞いたことがある。こういうことだったのか。踏み込みというのは両方の足でするのではなく、片足だけで完結したほうが次の動きにすばやく移れるということが分かった。


郭子琦

上の動画のモデルは郭子琦選手。ジュニアの選手である。いつか日本女子代表と戦うことになるかもしれない。

○球目にご用心――台との距離

昔、TOEICという英語のテストを受けたとき、リスニングの問題が難しくて全然答えられなかった。会話文を思い出して選択肢を選んでいる間に次の問題に移ってしまい、ひどい結果だった。

私はリスニングの問題でどうしてあんなにボロボロだったのか思い返してみると、日本語の構造と無関係ではないように思う。

日本語は重要な情報が最後に来る。

「ご依頼の件は、担当者が説明に参り…」

まで来ても、まだ諾否が決まらない。

「参ります」なのか「参りません」なのか、ここを注意して聞かなければとんでもない誤解をしてしまうことになる。そうかと思うと、「参りますが…」などと、どんでん返しの展開も想定しなければならない。日本語では文末に最大限注意しなければ重要な情報を聞き逃してしまうおそれがある。

こういう日本語の構造に慣れてしまっているため、私は英語を聞くとき、前半は流しながら聞き、最後の部分だけ集中して聞くという癖が染み付いてしまっていたのだ。英語では逆に主観的な態度や時制、肯否などの重要な情報が助動詞などによって前半に提示されるので、前半を集中して聞き、後半は流しながら聞くべきだったと後悔した。

TOEICのリスニングで私は文意のかなめとなる前半部分をむざむざと聞き逃してしまったためにテストの点数が振るわなかったというわけである。

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唐突に卓球の話になるが、卓球で何球目が大切だろうか?

「それは3球目に決まっている」
「レシーブ側なら2球目だ」

などという意見が出てきそうだが、たいていのポイントが5球目までで終わることを考えると、1球目のサーブが大切なのは言うまでもないし、2球目のレシーブが大切なのも当然である。3球目は攻撃のチャンスだし、4球目はそれをどう止め、反撃に転じるかの境目になるし、すべての球目が大切だと言っても過言ではない。1球たりともおろそかにはできない。

では聞き方を変えて、何球目に最も気をつけなければならないだろうか。

私はサーブ側なら1球目、レシーブ側なら2球目が最も気をつけなければならない球目だと思うのである。なぜかというと、サービスというのは台にピッタリくっついて出す人が多い。
下の森園選手のように台のサイドにまで入り込んでサーブを出す人もいる。

morizono serve

そして相手の次のレシーブが深いツッツキやチキータだった場合、距離が近いだけにかなり早くボールが自分の打球ポイントに到達してしまうことになる。上手な人はサーブを出した瞬間にすぐに飛び退くように下がることができるが、多くの初中級者の場合、ここの対応が遅れ気味で、1球目のあと、ボーッとしてしまうことが多い。そして、あっと気づいたときにはボールはすでに自分の打球ポイントまで迫っている…。そのため詰まってまともな打球ができなくなる。

「おかしいなぁ。練習では3球目が打てるのに試合ではちっとも打てない」

こういう人が初中級者に多いと思う。練習の時は打ち慣れている相手なので、どんなボールが来るかなんとなく予測できるので台との距離が近くてもなんとかなるが、試合ではそうはいかない。

レシーブのときも相手がショートサーブを出したら、台の中に右足を踏み込んで台に最も接近した状態になってしまうが、そこで3球目を打たれたり、相手に深いボールで突かれると、詰まってしまう。ポジションが台から近いので、軽いフリックもかなりのスピードに感じられる。サーブのときと同様に初中級者はここの判断が遅いのでまともに相手の3球目に対応することができない場合が多い。

その後、うまく4球目をしのぎ、5~6球目となると台からある程度距離ができているので、ちょっと反応が遅れてもなんとか対応できる場合が多い。

3球目や4球目で攻撃するのが難しいのではない。1球目、2球目という台に最も接近した状態からすばやく距離をとって3~4球目に備えることが難しいのだ。冒頭のTOEICでの失敗のように、私は1~2球目をなんとなく「打ち流して」しまい、3~4球目に集中していいショットを打とうとするのだが、それでは遅いのである。1~2球目が終わるか終わらないかの瞬間こそが最も集中していなければならないときなのである。

【寄稿】スマッシュを打たれたらどうする?

前記事「卓球と料理」で改めて読者のみなさんにご自身のレベルに応じた「気づき」をご投稿いただきたいと呼びかけたところ、さっそく読者のぴーろん氏からの寄稿をいただいたので紹介したい。

以下、本文である。
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先日、中学生の女子二人に指導というほどでもないのですが、一緒に練習したときに「スマッシュされたときの返球方法を教えてください。やっぱり下がって打たなければならないんですか?」と質問されました。
smash

「カウンターやブロックは無理だから、ボールの落下点に入って・・・」、とここまで答えたとき、「いや違う。スマッシュの返球方法など練習する必要はなく、スマッシュを打たれるボールを返さないことが大事なのでは?」と逆に質問したところ、「あー、そうですね。」と納得した様子でした。

いろいろな技術の習得は必要ですが、試合で使わない、使えないものを習得する必要はないはずです。

では、技術習得の優先順位の高いものは何かと考えたとき、1番目はサービスと(サーブ)レシーブであることは疑いようのないものだと思います。でも、サービスエースやレシーブエースだけで得点できるわけではないので、得点するために2番目として3球目攻撃ができる両ハンドのループドライブやスピードドライブ、下回転(角度)打ち、レシーブ技術として低いツッツキやストップ、流しやチキータ、フリックなどを習得する必要があるのだと思います。

これらの技術を習得した後、自分が得点しやすい、あるいは失点しにくいパターンに相手をはめる、いわゆる戦術が必要となるのでしょう。その戦術を実行するために1番目と2番目が単にできるだけでは不十分でその精度UPやほかの技術習得が必要となるのでしょう。

皆さん、延々とフォア対フォアの基礎打ちばっかり練習して満足していませんか?

斜めに押す――ペンホルダー表面ショートのコツ

私はペンホルダーだが、表面ショートが苦手である。
裏面があるのだから、表面は必要ないだろう、現にプロは表面をほとんど使わない選手が多い。片面ペンの多くの人が「ペンはバックが弱い」「ショートでは強く打てない」などというので、今更ショートを磨く必要はない…と思っていたのだが、ショートのうまい人と対戦すると、ショートの必要性を痛感させられる。

台上のナックルっぽいボールはナックルのまま押し込めるし、長いナックルが来ても低く速く返せる。こちらがドライブをして相手にショートで止められた場合、ショートのほうがアクションがコンパクトなので、2本、3本ドライブを打つと、こちらはショートのピッチの早さについていけず、打ち負けてしまう。

というわけで最近、表面ショートの価値を再認識している。

私はもともとシェークでスタートしたので、表面ショートはドヘタである。しかし、最近ようやく初心者レベルのショートを脱したように思う。それで気づいたことを紹介したいと思う。

まず、表面のショートは後ろから前へラケットを移動させて押すものだが、私がやるとどうしてもスピードが出ない。

ショート(前後)

上手な人のショートはコンパクトな動きなのにミート打ちのような鋭いボールが出る。いったいどうやっているんだろうと、上手な人のショートを観察したところ、どうやら斜めにこすりながら押したほうが安定し、より速いボールが打てるということが分かった。

ショート(斜め)

これ自体はペンホルダーの人なら誰でも知っているレベルの低い発見だが、私には興味深く思われた。というのはボールの性質がまた一つ明らかになったからである。

たとえば、フォア打ちでときどきすごく球威のある人がいて、フォア打ちだけで疲れてしまうことがある。そんなとき、ラケットを後ろから前へ押すのではなく、ボールの右側をとらえながら、上図のショートのように斜めに押す(つまり巻くように弾く)と、フォア打ちで力を入れずに強いロングボールを押し返すことができる。

また、横下ロングサーブをクロスに出すときも、やはりラケットを斜めにこすりながら押すと、速くて低いサーブが出せる。私の感覚では、台の中央のラインに平行にラケットを移動させると、最もスピードのある横下が出せるように思う(たぶん)。

ツッツキも真後ろから押すより、斜め下にスライドさせるとスピードが出る。

そもそもドライブというのもボールを斜めにこすって前に飛ばす技術ではないか。

ボールを後ろから前に押すのではなく、斜め方向にラケットを移動させて押すと、向かってくるボールの力を逃がしながら、しっかり回転をかけられ、さらに速いボールが打てるのではないか。





最近観たLiliの巻き込み下回転サーブの動画も、前に押さないで、横方向にラケットを移動させながら、前にボールを飛ばすと、下回転がしっかりかかると言っていた。

あるいは、上手な人の鋭いチキータというのも、この原理の応用なのかもしれない。

ボールの真後ろをとらえず、斜めをとらえながら前に飛ばすというアイディアは、ペンホルダーのショートにとどまらず、卓球のさまざまな場面で応用できる普遍的なボールの性質だと思う。




ここじゃないどこかへ――立ち止まったら、そこで終わり

ボールの威力が増した、回転量が増えた。
フリックが安定して、速く鋭くなった。

といった上達は分かりやすいが、そういう上達よりももっと基本的なものが私には欠けている。

たとえばフットワークである。これをなんとしても上達させないことには私の卓球は進歩しない。
一見してすごいボールが打てるようになるわけではないが、確実に私の卓球を進歩させてくれるだろう。

Footwork


前記事「一にして全」で荻村伊智朗氏を取り上げたが、荻村氏は54年の世界選手権で優勝した時を振り返ってこんなことを述べている。

世界選手権へ出るまでに、平均1日5㎞走ったとして最低7000㎞ぐらいは走っている。なわとびは両足そろえてつま先でとぶのを1000回1セットとして毎日1~2セットやった。うさぎとびやシャドープレーもやったし...。…なわとびのおかげで、ほとんどツマ先で試合をやった。ロンドン大会のとき、ぼくのフットワークを"焼けたトタン屋根の上のネコ"と向こうの新聞に出た。世界一への道 荻村伊智朗

"焼けたトタン屋根の上のネコ"というのはどういうことなのか。ネットで調べてみると、55年に上演された有名な演劇らしい。一年のズレがあるが、細かいことはおいておこう。猫のように俊敏なフットワークだったということだろう。

毎日5キロ走って、縄跳びのトレーニングを繰り返し、常につま先立ちでプレーすれば、素早く動ける?

しかし、今どきつま先立ちでプレーしている人がどれだけいるのだろうか。つま先立ちがいいかどうかはともかく、素早く動ければ、つま先立ちだろうが、摺足だろうが何でもいい。

どうすれば素早く動けるのだろうか。

もう少し荻村氏のケースを考えてみよう。

荻村氏の練習の中で重要な位置を占めていたのが足腰のトレーニング。それも走るということである。

その頃の子供は、体を基本的にきたえるという意味では水準が非常に高かったと思う。行軍(長距離の徒歩)できたえられたし、電車が空襲で焼けたため毎日片道5㎞を歩いて通学していた。小学生時代から足を中心にしてきたえられた時代だと思う。

高校時代は練習量がたりなかった。ただ、工夫とか体力トレーニングはよくやった。毎日1~2時間走った。3年でキャプテンになったときは、みんなに走るクセをつけさせようと、5時間で授業を終わってくる者と一緒に走り、6時間で終わってくる者とまた一緒に走るというようにして走った。

「走るクセをつけさせよう」「6時間で終わってくる者とまた一緒に走る」ってどれだけ走るのが好きなんだ…。

じゃあ私も毎日職場まで電車を使わず歩き、帰りはランニング。こういう毎日を送れば、私のフットワークも向上するかもしれない。しかし、プロの選手じゃあるまいし、毎日こんなつらいトレーニングが続くはずがない。

「荻村氏は非常にストイックで意識が高かったからこういうつらい練習にも耐えられたのだ」

と最初は考えたのだが、そうではなく、もしかしたら、荻村氏は走るのが楽しくて大好きだったのかもしれない。

そう考えると辻褄が合う。荻村氏は走ること、というか足を動かすことが好きだったのではないか。だからフットワークも速かったのではないか。

私は走ることなんて、疲れるし、単調だし、大嫌いである。卓球のフットワークも同様に大嫌いである。卓球でボールを打つのは楽しいが、フットワークを使って移動するのは疲れるし、めんどくさいしつまらない。卓球ってボールを打つ競技でしょ? あちこちに動く競技じゃないでしょ?

その認識を変えてみたらどうだろうか。卓球の本質はあちこちに動くことであると。

今まで私は「打球の合間に移動がある」と考えていたのだが、これを「移動の合間に打球がある」と考えを改めたらどうなるだろう。「足を動かすのはなんて楽しいんだ。それに比べて打つのはめんどくさい、もっとずっと動いていたい」と自分に暗示をかければ、打球の威力は多少落ちるかもしれないが、確実に動き出しが早くなる。

たとえばサービスである。

サービスを出して、打球の行方を見つめて、「あ~よかった。低くていいサーブが出せた」などと安心している上級者はいないだろう。中級者でもサーブ後にこんな意識でいたら、勝てる試合も勝てなくなる。サーブを出す前から、すでに「移動中」の意識でいなければならないのである。

「早く動きたいなぁ、ウズウズする。でもサーブを出さなければならないし。しかたない、さっさと出して早く動き続けるぞ!」

こんなふうに動くことの方に重点をおけば、いやでもフットワークが早くなるはずである。

台上でも打球してから移動するというのでは遅い。打球に入る瞬間、すでに動き出す心の準備をしておかなければならない(前記事「そなえよつねに」でも同じようなことを考えた)

「このボールをつっついた後、いや、ボールが触れた瞬間に速攻で動くぞ!」

しかし、動くと言ってもどこへ動いたらいいのだろう。相手がまだ打球していなければどこへ動けばいいかわからない。フォア側に返球されるかもしれないし、バック側かもしれない。あるいはそのまま真正面に返球されるかもしれない。

どこでもいいから、今いるところじゃないとこへ動くのがいいだろう。

台上でツッツキやストップなどを打った瞬間、少し後ろに下がるのが最も無難である。そうでなくてもとりあえず「ここじゃないどこか」へ動いていたら、たとえ逆を突かれても、素早く反応できるのではないか。最も恐れるべきは、完全に足が止まってしまうことである。一度完全に止まった状態から動き出すよりも、ちょっと離れていても動き続けていたほうが、速く動けるだろう。

一にして全――卓球の価値の創造

元旦にLiliの「重大発表」という動画が公開されていた。
そこで「プレミアム登録」という新たな制度の発表があった。どうやら今までの完全無料動画から、一部のコンテンツを有料化するというものらしい。

muraji

この動きについて村田氏は「メッセージ」の中で「卓球というスポーツに全てをかけて戦い続けているトップ選手の価値をあげることが必要だ」と述べている。

それを読んで、かつて荻村伊智朗氏が世界選手権に出場するときのエピソードを思い出した。

1954年の世界選手権ロンドン大会の代表に選ばれた荻村氏は渡航費として80万円の負担を求められる。現在の物価で1000万円にも相当する金額だという。こんな大金をとても準備できない荻村氏は出場をあきらめかけたが、クラブの仲間がカンパを集め、80万円が用意できたのだという。

1953年12月から1954年3月まで中央線沿線の駅の改札口で卓球ボールの空き箱を持って街頭募金運動や戸別訪問をして地元で20万円を集め、大学で30万円を集め、仲間が映画の上映会でカンパを集め小学校の体育館で入場料50円の模範試合などをして30万円を集めて、遠征費の自己負担金80万円を工面した

マイナースポーツの無名の選手のために敗戦後10年も経っていない貧しい日本でこれだけの金額を寄付してくれる多くの人がいたということに驚きを禁じ得ない。それだけでなく、あまり社交的でなかった荻村氏のために同じクラブのメンバーが自分の時間を削って東奔西走してくれたというのも今ではありえないだろう。

このようなことが当時の日本でできたのはどうしてだろうか。おそらく日本人としての連帯感が今よりもずっと強かったのだと思われる。

『正しいパンツのたたみ方』の中にこんなエピソードがある(前記事「若い時の苦労は…」)。

筆者が家庭科の授業中に生徒たちに「何のために働くか」と問いかけたところ、「生活(お金)のため」「やり(生き)がい」といった答えが返ってきた。現代、働くことに対する若者の不安や悩みが増えているように感じる。仕事がつらくて何か心の支えがなければ心が折れてしまいそうだという嘆きを耳にすることが多い。筆者は生徒たちの答えを聞いて自身が高校生のとき、先生から同じ質問をされたエピソードを紹介した。

先生の答えは「社会のため」だったのだという。

当時は「社会のため」とか「労働は人間としての義務」という発想は非常に一般的なものでした。
それは戦争を生き延びてきた人たちの労働観だったろうと思います。戦争に負け、多くの人が亡くなり、空襲で焼け野原になった日本を、生き残った一人ひとりが一生懸命働き立て直してきたといった自負が、おそらくそのような労働観につながったのでしょう。僕たちは親から、「労働に貴賎なし」「どんな仕事も同じように尊い」とよく言われました。


現代でも「労働に貴賎なし」ということはよく言われるが、一方で「年収の高い企業ランキング」とか「転職に成功するために」などといった言葉がネット上に氾濫している。現代では「どんな仕事も尊い」という言葉は形骸化し、手っ取り早く金を稼ぐ方法にばかり目が向いているような世相に見える。

僕の親世代の人たちの感覚では、社会というものは、みんなの労働があって初めて成り立つもの、一人ひとりがしっかりと参加し、支え合うことで成立するものだ、ということになります。生活に必要なすべてのものは、食べるものにしても、着るものにしても、仲間の誰かが作ってくれたものであり、さまざまな人の手を経て自分のところに来たものばかりです。いくらお金があっても、作る人がいなければ、また作ったものを運び、売る人がいなければ、私たちは何ひとつ手に入れることができません。

私たちはともすると、プロの卓球選手は自分とは別世界の人、無関係の人と考えてしまいがちである。しかし、私たちがワールドツアーや世界卓球を動画で無料で楽しめるのも、卓球に全力で打ち込んでくれている選手たちがいるおかげであり、それを企画、編集、発信してくれている人がいるからであり、ひいてはそのような機器を開発してくれた人たちのおかげである。多くの人の努力があって私たちは見たいときに無料でプロのプレーが楽しめるわけである。

そして多くの人に支えられて世界選手権でみごと優勝した荻村氏はどういう思考をしていたのだろうか。

「荻村、お前は世界チャンピオンになったがそれで満足なのか」

「我々は学業も仕事も犠牲にして、なぜこれほど厳しい訓練をし、限界に挑戦しているのか。それは人間の文化の向上に寄与するためだ。」

「俺はまだバレエに対するあの人達の情熱のようなものを卓球に持てない。 残念だ。 卓球をして芸術の域に引き上げたい。 既に引き上げてあるモノのなかに身をていするなら誰でもしよう。 引き上げる役を誰かがしなくてはならない。 (バレエ映画『赤い靴』を観て)」

「皿洗いのバイトをしたときに、バイトだから適当にやればいいやという人は、絶対に適当なレベルまでしかいきません。バイトの皿洗いでも世界一になろうという人は、ビジネスの世界でもそうそうのところへいくということです。」

荻村氏が今でも多くの人を惹きつける理由は、単に卓球が強かったからではなく、高い志と意識を持っていたからではないだろうか。自分ひとりが高みに上るというだけでなく、卓球という競技全体を、ひいては世界の文化を引き上げてやろうという志があったのである。荻村氏は自己完結した天才ではなく、常に社会とつながっていた。

私にはそんな悲壮な覚悟はないが、トップ選手の中には荻村氏のような大きな志を持っている人もいるにちがいない。そういう人の価値を高め、ささやかながら応援するというのは、私にもできるかもしれない。私もそうやって社会とつながっていたいと思う。ただ、卓球のトップ選手のうち、誰が応援するに値する選手なのか。誰が強い選手かは、戦績を見れば分かる。しかし、そういうことは分からない。

Lili動画の有料化は選手を応援するという以前にLiliを応援するということになる(村田氏は動画の中で「私たちのために」とも言っていた)

現在、卓球産業というのは、「儲からない」産業である。街の卓球用品店はどんどん廃業していくし、卓球場は半分ボランティア。卓球教室も決して潤っているとは言えない。おそらく村田コーチはこのような卓球産業の現状を憂え、なんとか卓球産業を「儲かる」産業に引き上げたいという志を持っているに違いない。Liliの村田コーチにはこの卓球産業の仕組みを変えてくれそうなオーラがある。彼はなにかを「持っている」。もちろん村田コーチ単独の力で卓球産業を変えることは不可能だろうが、村田コーチのもとに多くの優秀なタレントが集えばきっと何か大きなことを成し遂げてくれると期待している。

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何かこうでっかい、すごい何か、でっかくて凄いのを、俺は持っとるんじゃい!

感覚を聞く――打球と反省

練習の機会が絶対的に少ない社会人が上達するにはどうすればいいのか。

「週に1回しか練習できないから、一年前と比べても全く進歩が感じられない」
「学生時代のような感覚が全く戻ってこない。下手になっていく一方だ。」

という諦めの声が聞こえてくる。
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今年はイノシシ年ということで、京都御所の西側にある護王神社に初詣に行ってきた。

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狛犬の代わりにイノシシが。

そこへ行く途中で「山田松」という香木屋さんの前を通ったのだが、帰宅してその店のウェブサイトを調べてみるとトップページにこんなことが書いてあった。

聞香(もんこう)とは、文字どおり、香炉から「香りを聞く」ということであり、嗅ぐのとは異なり、心を傾けて香りを聞く、心の中でその香りをゆっくり味わうという意味です。 
山田松香木店ウェブサイトより
「香りを聞く」だなんて、なんとお上品な表現だろう。
聞香

自慢ではないが、私はこういう高尚な趣味にはめっぽう疎い。
休日に美術館を訪れて古今東西の名作を鑑賞するとか、紅茶の銘柄の違いを味わうとか、クラシック音楽を楽しむとか、そういうことはさっぱりわからない。クラシックの中で唯一私が好きなのはちっともクラシックらしくない「春の祭典」である。
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この間、手持ち無沙汰で一人で球突きをしていたとき、なんだか気になることがあった。

bounce

球突きというと、ふつうは連続して何十回もカンカンと打つものだが、そのときの私は1球下回転をかけてはボールを手でキャッチ。また1球突いてはボールをキャッチということを繰り返した。そして1球ごとにラケットに伝わる振動を味わっていた。

ブレードの当てる位置や、ラケットをしゃくりあげる角度によって微妙に手に伝わる振動が変わる。気持ちよくテインと弾むときもあれば、ボテっと不完全燃焼のような弾み方のときもある。こんな単純な運動でも、1球1球確認すると、違いが感じられるものだなぁ。

考えてみれば、非常に味覚が敏感な人でも、高級なお茶をがぶ飲みしたり、繊細な料理をドカ食いしたりしたら、微妙な味わいなどろくに分からないのではないだろうか。繊細な感覚を「聞き分ける」には多すぎる情報は毒になる。同様に卓球の練習はいかに多くのボールを打つかが大切だと思われがちだが、そうすると1球1球の感覚に耳を澄ませる間もなく、次々と打球して感覚を省みることがない。打球感覚を味わうためには、ある一定以上の打球は、害毒とまでは言えないが、感覚を薄めてしまうことになるのではないだろうか。打球だけではない。たとえばフットワークでもステップを踏みしめる感覚というのはひたすら動き回っていては良いステップと悪いステップの感触が区別できないのではないだろうか。

そんなことを考えながら後日、1球1球噛みしめるように打球して、数球打つごとに立ち止まって反省してみたところ、一つ発見があった。

私は裏面バックハンドを打つ時、よく振り遅れてしまう。もっとバックスイングをコンパクトにしなければ間に合わないと感じていたのだが、自分の身体の筋肉の動きに耳を澄ませてみると、私はバックハンドを打つ時、まずバックスイングで背中側の右脇腹の辺りの筋肉を使っているらしい。

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そしてスイングのときは、同じく背中側の左脇腹の辺りに力を入れているようだ。

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このように右、左と順番に素早く筋肉を収縮させているのだが、これでは速いボールには間に合わない。そこでバックハンドを打つときに右脇腹の筋肉をあえて使わず、ボールが来たと思ったら、左脇腹の筋肉だけを収縮させて打つようにしてみると、振りが早くなった気がする。

今までたくさんボールを打つことばかりに夢中になって、打球中の筋肉の動きなんて意識したことはなかったのだが、「香りを聞く」というアイディアを応用して自分の筋肉の運動をつぶさに見つめてみるということを試みるようになったのだった。

社会人は練習時間が少ない――ボールを打つ時間が少ないから下手になる一方だというのも一面の真理かもしれないが、ボールを打つ機会が少ないからこそ、学生のようにむやみに毎日練習していたときには気づかなかった微妙な身体の感覚に耳を傾けることもできる。そのような少ない情報をかみしめるように味わえば――次から次へとボールを打つのではなく、途中で少し立ち止まって自分がどう打ったのか、どこの筋肉を使ったのかなどを反省するようにすれば、多くの気づきがあり、社会人でも練習時間が少ないなりに上達が早まるのではないだろうか。

小首を傾げて――下回転サービスから始める新年

穏やかな好天に恵まれた元日。

だが年末年始は卓球ができない。テレビをぼんやり見るのも空しいので、仕方なく家でサーブ練習。
畳の上で新サーブに挑戦である。

私の課題は何と言っても下回転ショートサーブである。純下回転サーブは出せることは出せるのだが、回転量が少ない。この間のTリーグ、木下マイスターズ対岡山リベッツの対イム・ジョンフン戦で張本智和選手のサーブを見て、「私もこんなサーブを出してみたい」と思ったのだった。

hari serve

張本選手の下回転サーブは弾道が低く、回転量も尋常じゃないらしく、イム選手は張本選手のサーブをボトボト落としていた。かと思うと同じモーションで放たれたドナックルを浮かせてしまい、それも張本選手に強打されていた。

下回転がしっかり入っていない横回転サーブは上手い人には台上で軽く打たれてしまう。それを防ぐために切れた下回転サーブからの展開を基本戦術として、安定した試合の組み立てをしたいものだ。

数年前、同じように年末年始に卓球ができず、悶々とうちで毎日ひたすらサーブ練習をし、ついに逆振り子サーブを習得できた。今回も大晦日から三が日にかけて、うちでずっとサーブ練習をしてブチ切れ下回転ショートサーブを習得するぞ!

まず、どうやって下回転の回転量を増やすかである。

上半身をくねらせて、腕をしならせながらボールをこすれば、回転量が増えるに違いない。

「えい!」

おお、ラバーにボールがしっかりひっかかった感触から、確かに回転量が増えている気がする。やはり腕を使いすぎてはダメだ。体全体で切らなければ。しかし、もっと劇的に回転量が増えないものだろうか。

いろいろ考えた結果、水谷選手の投げ上げサーブのように、一度前にラケットを振って、それを戻しながらバックスイングして、ザクッと切る。つまり、通常はバックスイングとスイングの「一往復」の動作だが、それを「一往復半」にするわけである。

あれ?タイミングが合わない。相当早くラケットを引かないとボールに当たらない。ボールを投げ上げると同時に前にラケットを前に振り、なんとかタイミングを合わせることに成功したのだが、

「おお!」

今、ラバーに引っかかった感触は、確かにこれまでよりも回転量が増している感覚である。この下回転サーブが短く出せればもう言うことはない。

だが、速いスイングスピードと安定性を両立することは容易ではない。ちゃんと切れるのは1~2割ほどで、残りは空振りか、カドである。たしかにラケット面を斜めにして切れば、成功率は上がるのだが、斜めにすると、サーブが長くなってしまうし、多くの上級者が面を水平にして、ボールの真下をとらえて切るべし!と言っているので、面をできるだけ水平気味にして切りたい。

試行錯誤の結果、顔の近くで切ると、カドや空振りを減らせるということが分かった。不思議なことにラケットを顔の前に持ってきて、目の前でインパクトすると、カドる確率が大幅に減る。
そういえば、ティモ・ボル選手のフォアサーブはまさに顔の近くで出しているではないか。

timo serve

ボル選手だけではない。
wong serve


malong serve

もしかして下回転ショートサーブを出す時ってみんな顔の近くでインパクトするものなのか(レベルが低い気づきで申し訳ない)
私はふだん、フォアサーブを出す時、胸の高さで出していたが、それをもう15センチほど高くしなければならない。しかし、そうすると、高い位置でボールがラケットに当たるので、サーブも高くなってしまう。

どうしよう?
答えは簡単である。腰と膝を曲げて、姿勢を落とし、インパクト地点を台上から20センチぐらいの高さにする。さらに首を少し傾げるようにして顔を台に近づければ、顔の前でのインパクトと低いインパクト位置が両立できる。ティモ・ボル選手のように。

そういえば、年末の練習で相手のショートサーブを鋭くつっつくときに「台に頬ずりする意識」で首を傾げて低い姿勢で入ると安定したのを思い出した。

フォアで下回転系のショットを打つときは、小首を傾げるようにボールに顔を近づけると、低くて浅いボールが出せるにちがいない。今週末の練習で早速試してみよう。

末筆ながら

本年も卓球ブログ「しろのたつみ」をどうぞよろしくおねがいします。

【寄稿】ペンホルダーのシェークハンドへの持ち替え

今回、ご寄稿いただいたのは茨城県の玄米茶氏である。
氏は長年ペン表でプレーされていたが、シェーク裏裏に転向され、今に至っている。
ペンとシェークのグリップの違いを比較しているうちにペンホルダーの選手の多くが、ラリーが終わった後のポイント間にシェーク持ちに変える現象に気づかれたとのことである。

wanghao
王皓選手もご覧の通り、ポイントが終わった後はシェーク持ちである。

私も以前からぼんやりと気になっていた。
「ペンホルダーであることにコンプレックスでもあるのだろうか…」などと思ったこともあったが、ペンホルダーであることに誇りを持ちこそすれ、コンプレックスを持つことなどあるはずがない。では一体どうしてみんなラリーが終わるとシェークに持ち替えるのか。

玄米茶氏の主張を拝読して、なるほどと思うと同時に私には別の理由もあるのではないかと思うようになった。ペンホルダーは裏面を中指で支えなければならず、長時間プレーしていると中指が痛くなってくる。その「指休め」のためという側面もあるのではないか。人によっては他の理由もあるかもしれない。

プレー間のラケットの持ち替えに焦点を当てて考察できる人は珍しい。ドライブの打ち方やブロックのコツといった雑誌やブログでよく見るトピックではなく、ラケットの持ち替えをトピックに選んだ視点は新鮮で、ユニークなものである。私もありふれたトピックではなく、あまり注目されていないトピックを選んだほうが意味のある記事になるのではないかと考えさせられた。玄米茶氏の記事のように、みなが何となく気づいていることでも、通り過ぎてしまわず、考察してみるという態度は見習うべきものだと思う。

今年はこの記事をもって拙ブログの書き納めとなる。来年もどうぞよろしくおねがいします。

以下、玄米茶氏のご寄稿である。
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○ペンの選手がラリーが終わるとシェークに持ち変える現象

ペンホルダーの選手は、ラリーが終わるとシェークに持ち変えることがあります。全員でありませんが、相当な数の選手がやっていることだと思います。
一見無駄なことをやっているようですが、なぜそんなことをするのか仮説を立ててみます。

彼らが持ち替える理由、それはボールを拾うため ではないでしょうか。

ラリーが終わり、フロア上でバウンドしているボールを拾うとき、ほとんどの選手はラケットでボールを床に叩きつけ、高く上がったところをキャッチします。
 
この方法でボールを拾うときにペンではやりにくいのではないでしょうか。

具体的には、ペンの表面でボールを叩こうとすると、かなり大きく腕をひねらなければいけません。ペンのラケットを持つと、フォア面は自然と上を向きます。これを床に向けるには約180度回転させなければいけません。肘の外側が真上を向く、不自然な体勢です。では裏面ではどうでしょう。こちらはもともと床を向いているので一見簡単に思えますが、しかし、ペンの裏面というものはなかなか綺麗に真下を向いてはくれず、自然と自分の体のほうを向いてしまうものです。うかつにそのままボールを叩きつけると、ボールは股を抜けて背後に飛んでいったり、自分のシューズに当たって明後日の方向に飛んでいったりしてしまいます。

もちろん、表面も裏面も、面を作ってボールを拾うことはできないわけではありません現に、持ち替えずにボールを拾っている選手はゴマンといます)しかし、なんとなくやりにくいのです。このやりにくさを厭った選手が、シェークハンドに持ち替えてボールを拾うのではないでしょうか。

またポーランドのワン・ゼンイという選手はペンですが、ロビング打ちをするときにシェークに持ち変えます。これも前述した「真下にフォア面を向けにくい」特性を克服するための技術だと思われます。

 一方でシェークハンドは、何の苦もなく真下に面を向けることができます。ロビング打ちも楽楽です。シェークと比較したペンの欠点は、一般にバックハンドの弱さが挙げられることが多いですが、この「真下にフォア面を向けにくい」という点もペンホルダーの隠れた欠点なのではないかと思います。

【追記】
文字色の設定がおかしくなっていて、玄米茶氏の本文のテクストの色が黒になっていたので、デフォルトに戻した。失礼しました。


(参考動画)
・王皓は、9:16以降のラリーで持ち変えています。
https://www.youtube.com/watch?v=ZPmwJ6wG-Ao

・中ペン裏裏の王建軍。4:08以降のラリーで持ち変えています
https://www.youtube.com/watch?time_continue=346&v=aWiOz9u2EFY

・日ペン裏裏の松下大星選手は1点毎に持ち替えています
https://www.youtube.com/watch?v=pc2pxBZuTMY

・ワン・ゼンイは1:02以降のロビング打ちで数回シェークに持ち替えています
https://www.youtube.com/watch?v=O2reXTRwpoQ



卓球ポートフォリオ――今年一年を振り返って

例年、年末は卓球についての思いの丈を述べたりしていたが、今年は一年の自身の歩みを振り返ってまとめてみたいと思う。技術的な考え方や意識の変遷に関する記事のみをたどっているので、試合や動画の感想や用具、指導法などについての記事は省いた。

知恩院の鐘
京都で除夜の鐘といえば、知恩院の鐘。本当に大きい。

1月
卓球のセンス
水谷選手の言葉からセンスのある卓球について考えてみた。目のさめるような強打が打てるのではなく、ボールの威力はなくてもいいが、どんなボールにも無理なく対応し、崩れない、持続可能なスタイルが私にとっての「センスのある卓球」だという結論。

卓球の力の抜き方
打球時に力んでしまうことでボールが走らなかったり、ミスを連発したりする。どうすればリラックスして力が抜けるのか。私の答えは基本技術を安定させて、「打たれてもなんとかなる」という心の余裕を持つこと。

ストップを早くする
ボールがバウンドしてすぐを狙ってストップするのでは遅い。ボールのバウンド地点めがけてラケットを出せば早くて短いストップができる。世間の指導書や雑誌でもよく目にするコツだが、それを身をもって「発見」した顛末を記した。

ボールが落ちるのはラバーのせい?
下回転が持ち上がらないとき、ラケットの角度やスイングスピードといった手の辺りに原因を求めがちだが、足元の瞬間的な踏ん張りが手の先端のラケットにまで影響するのではないかという主張。


2月
フォロースルーは何のため?
打球には影響のないフォロースルーは必要なのか。必要だとしたらどういうフォロースルーがいいのか。そんなことをLiliの動画を見て考えた。結論としては狐における尻尾の役割と同様、崩れかけた体をリカバーしたり、次の移動につなげたりするためにフォロースルーは効果的なのではないかという結論。

レシーブは足
フットワークと言うと、左右の大きな動きを連想するが、レシーブ時のほんの10センチほどの小さなフットワークがプレーに与える影響は意外に大きい。10センチ踏み込まなかった(あるいは戻らなかった)ためにいいプレーができないということもある。

身体のバランス
氷上でバランスを取るスケートは卓球にも益するところがある。身体の先端ではなく、中心から脚や腕を操作する感覚、姿勢の低さなど、バランス感覚を向上させるのに効果がある。


そろそろ目が疲れてきた。まだ2月の半ばか…。以下、ざっとポイントだけ列挙する。

フォア・バック足りてフットワークを知る
バドミントンの動画の教え。進行方向の反対の足の拇指球でフロアを蹴る(外側に蹴る)ことによって素早く動くことができる。


3月
機の感覚
対戦相手と呼吸をシンクロさせる武道の極意が卓球にも応用できるのではないか。

難しいサービス
相手にとって処理の難しい切れたサーブを出して、返球された時、自分も持て余してしまう。

あわせ技
技術は単体ではなく、文脈の中で考えるべきだ。


4月
つなぎのボール
絶好球に対する強打を磨くのではなく、難しいボールに対するつなぎのボールの質を高めるべきだ。

打つ練習と打たれる練習
相手の強打を止める練習は、一見相手のための練習に見えるが、自分の動きの無駄をなくし、処理速度を高める役に立つ。

技と技の間
卓球の「基礎スペック」をまんべんなく高めると、自ずと応用技術のレベルも上がっている。

木造勇人選手によるバックハンドのコツ
はたから見ると、手首に力を入れているように見えるが、当の本人はそのような意識がまったくない。見た目と実際のギャップについて考えた。

僕らはみんな振り遅れ」(前)
バック対オールの練習で相手のラケットをほぼずっと見続けると、相手の返球に間に合い、ラリーが続く。


5月
僕らはみんな振り遅れ」(後)
強いショットを打つために打点を犠牲にすべきか、高い打点で打つためにショットの威力を犠牲にすべきかという選択で後者をこそ優先すべきだという考え。

貫く棒の如きもの
体軸についてグダグダ考えた。

動いて、考えて、また動く
頭でっかちを戒める記事。世間の指導理論などはいったん忘れて、自身の身体に一番合う打ち方を内観し、模索すべきだ。


6月
仕掛けと予測
仕掛けによって予測の幅が広がるという発見。

台との距離
つまらされないコツはボールが自コートのエンドラインに落ちると想定しておくこと。

反動
強い力を発生させるには、一度逆方向に力を入れてから、順方向に力を入れるといい。

ボールを当てる位置
バックハンドを安定させるには、ボールをラケットのグリップ寄りに当てるといい。

やっと半年分か。過去の記事を読み返すのも大変だ。

7月
卓球の緻密さについて
サービスのバウンドする位置をコントロールして、数センチ単位で正確に同じところに出せるようにすべきだ。また、フットワークは自分がフォアで動く範囲を決めて(把握して)おくべきだ。

守備練習のありがたさ
相手のフットワーク練習のためにひたすらブロックすることで守備技術が身につき、卓球が底上げされる。


8月
舞はる舞はる
姿勢を低くすると、体幹が回りやすくなり、スイングの上下方向の動きが抑制されて、左右方向に動かしやすくなる。

僕は切り替えができない
切り替えのコツは、打球後にすぐ次にボールが来る方へ寄っておくこと。

しっとりとした打球
インパクト寸前まで力を入れず、インパクトのときに一気に力を入れるようにするとボールが落ちず、威力のあるショットが打てる。

筋書きのある展開
サーブの前に間を置く人がいる。それはサーブ後のラリーのイメージを頭の中でなぞっているのである。


9月
動画を観た感想など。

10月
レシーブの耐えられない単調さ
レシーブは速くて低いボールだけでなく、緩急をつけたほうが打たれにくい。

低いは正義!…か
上の記事と同工異曲。

必要にして十分
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
ボールの威力はもう十分あるのだから、コントロールや回転など、もっと他の方面に意を用いるべきだ。


11月
力加減の予測
足裏の前のほうに重心を置くと、意識・反応が早くなる。

ブルン!
身体を小さく揺すぶるようにしてバックハンドを打つと、いいショットが打てる。


12月
どうしてもバックハンドドライブが入らないとき
一度左足に体重をかけて踏ん張ってから、右足に体重移動すると、強いバックハンドが打てる。

そうだったのか!回り込み
回り込みは台のエンドに平行に移動してはいけない。打球の軌道を直角に横切るように移動するのがいい。

バウンド前行動
自分のサーブやレシーブが相手のコートにバウンドする前にこちらの動きを始めなければ次球に間に合わない。

柚子の木のトゲは痛いよ
ペンホールドグリップで親指を外すと、自由度が増し、ツッツキやショートがやりやすい。

打てるとき、打てないとき
自分のショットに仕掛けの意識を持たせると、次に攻撃しやすい。

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以上、今年一年の私の卓球技術に関する気づきや考察を追ってみたが、重複するような主張もあった。

ボールが落ちるのはラバーのせい?」と「反動」、「どうしてもバックハンドドライブが入らないとき」は同じように足元の踏ん張りに関するもの。「ブルン!」「どうしてもバックハンドドライブが入らないとき」はバックハンドに関するもの。「仕掛けと予測」「打てるとき、打てないとき」は仕掛けに関するもの。脳が衰えているので、以前主張したことを忘れて、もう一度記事にしてしまっている。老人に繰り言が多いのが分かる気がする。

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今年一年もあっという間だった。この一年で私の卓球も少しは進歩したと信じたい。こんなふうに来年も平穏無事な毎日が続いてほしい。

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しかし、世間は確実に変化しているのを実感した。
この冬、我が家にやってきたEcho dotというスマートスピーカーを使ってみた感想である。
echo dot

でっかいおにぎりぐらいの大きさで、日本語が認識できる。

「アレクサ、今日の天気は?」「今日の京都の天気は曇りのち晴れ…」
「アレクサ、『冬景色』をかけて」「アマゾン・ミュージックから石川さゆり『津軽海峡冬景色』を再生します。」(唱歌のほうを聴きたかったのだが…)
「アレクサ、デフレーションって何?」「こんな説明が見つかりました。デフレーションとは…」
「アレクサ、この近くのピザ屋を教えて」


なぞなぞや本日のニュース、NHKラジオ、アマゾンでの商品の注文、簡単な英語の勉強、タイマーやアラーム、リマインダー、電卓…。スマートフォンならぬ、スマートラジオといったところである。

身体が不自由な人や介護が必要な人にとっては非常に便利なガジェットである一方、こういう方向性は将来的に個人主義というか、他者や社会への無関心を助長することにはならないか。人間同士の交流を減らし、社交性を退化させてしまうのではないかと心配になる。

10年後はこの手の人工知能がどれだけ進化していることだろう。10年後は誰もが公平に自分自身の可能性を試すことができるという理想的な社会に近づいているかもしれないが、オフィスで働く人はほとんど必要なくなり、人工知能の使い走りのような仕事ばかりを人間がすることになるかもしれない。まるでSFの世界である。インターネットがなかった昭和の時代には考えられなかったことである。平成ももうすぐ終わり。未来はもうそこまで来ている。

打てるとき、打てないとき――仕掛けの意識

打ちなれた相手と試合をするときはラリーも続きやすいし、ミスも少ない。そして何よりも自分から打つことができる。一方、初見の相手や打ち慣れていない人と試合をすると、ラリーが続きにくい。というか、ラリーらしいラリーにもちこめず、台上だけでポイントが決まってしまう。こちらから気持ちよく打てるチャンスがめぐってこない。

相手がとても上手でなかなか打たせてもらえないというのなら分かる。しかし自分と同等か、やや格下の場合でも、自分からの強打がなかなか打てないことが多い。攻めよう、先手を取ろうと意識しているのだが、チャンスボールがなかなか来ない。かと思うと、こちらがまったく想定していない場面でゆるい、ちょっと浮いたボールを相手からポンと渡されて、こちらは打っていいかどうか狼狽して、とっさに判断できず、ゆるいドライブで置きにいってしまい、逆に相手に厳しく返球されたりする。浮いたボールを強く打てず、置きに行くほどみじめな返球はない。

これはどうしてなんだろう。

初見だろうと何だろうと、いつも自分から攻めて、きちんと自分の卓球ができる人がうらやましい。上手な人はやりにくい相手でも、自分の最低限の卓球ができるのだが、私の場合は自分の練習のときのプレーの半分も出せないときがよくある。

最近、この仕組みが分かってきたように思う。
おそらく私の卓球には仕掛けの意識がなかったのである。

ツッツキ

台上でのやりとりで、相手が突然甘いボールを送ってきたとき、上手な人はそれを強打できるのだが、私は「え!?ここでチャンスボール?」とびっくりして強打するタイミングを逸してしまう。それはつまり、私が前に相手に送ったボールが、仕掛けになっていたのに、そのボールを仕掛けとして意識していなかったために強打できなかったのである。上手な人は、「今から仕掛けるぞ!」と意識しながら、あるいは「これはうまくいくと、仕掛けになるかもしれない」と意識のどこかで考えながら、わざと切れていないツッツキなどを送っているのではないだろうか。だから次にチャンスボールが来るのを待ち構えて攻撃できるわけである。

そう考えると、私の台上でのボールは、甘くならないように台に入れるのが精一杯で、「このボールを送ったら、次に攻撃できるかもしれない」という意識がほとんどない。行き当たりばったりで、甘いボールが来ないかと待っているだけである。

常に仕掛けを意識しながら打球するのは難しいかもしれないが、仕掛けを意識して台上に臨まなければ、攻撃できるチャンスはなかなかめぐってこないだろう。

柚子の木のトゲは痛いよ――親指を外してみたら

昨日、12/22は冬至。
夜が最も長い日。
この日にゆず湯に入ると風邪を引かないとされている。

yuzuyu

ちょうど実家から送られてきた荷物の中に柚子があったので、ゆず湯にしてみよう。農家の友人によると、ゆずは果肉ではなく、皮から出る汁が体にいいらしい。ところで柚子って食べられるんだろうか。ちょっと果肉を食べてみようと思って柚子の皮を剥こうとしたら…ア痛!

なんとゆずのヘタに少し枝が残っていて、それに生えていたトゲが親指に刺さってしまったのだった。

柚子ってトゲがあったのか。人生も白秋に至ってようやく知った事実。前記事「アジのゼイゴ」でも感じたのだが、私はほとんど料理をしないので、ふつうの人が当然知っていることを知らなかったりすることが多い。男でも料理をしないと一人前とは言えない。

爪で引っこ抜こうとしたけれど、とれない。毛抜でつまんでみようとしたけれどダメ。子供の頃、指に棘が刺さったら、針でほじったりしていたなぁ。でもそこまでしなくてもそのうち自然に取れるだろう。

ただ困ったことにトゲが刺さったところが右手の親指なので、ペンホルダーだとプレーに支障が出る。ちょうど土曜日の晩は練習だった。親指の先端寄りなので、ラケットが握れないというほどではないのだが、親指をいろいろ動かすと、ときどき痛みを感じる。特に裏面を打つときは不安だった。

「できるだけ親指を外すようにしてみよう。」

そうすると、裏面ではなく、表面のバックショートを多用することになる。表面ショートなら、親指を外すのがデフォルトだからである。今まであまり表面は使わなかったのだが、だんだん慣れてくると、表面ショートが安定してきた。楽しい、そして楽である。裏面のときは自由度が高いので、ちょっと威力のある返球をしようと、ブロックの時ラケットをいろいろ動かしてしまい、かえってミスしたりするのだが、表面ならラケット面の自由度があまりないので、ラケットをあまり動かすことがなく、ブロックに専念できる。

私のグリップは裏面を重視して非常に浅いグリップだったが、浅すぎると表面ショートが安定しない。人差し指を比較的深く入れて、人差し指と中指で板がしっかり挟めるようにグリップを変えてみた。

oyayubi

上の荘則棟氏のように二本の指で板を挟んでグラグラにしてショートをすると、相手のドライブ強打を受け止めたときにブレードが振動し、強打の衝撃を少し吸収してくれるようだ。ドライブがよく止まる。グリップを変えただけだがずいぶん安定性が増した。

そして最近練習しているツッツキである。これも親指を外すことによって自由度が増し、面の角度を出しやすい。

フォアハンドと裏面は親指の押さえがないと安定しないが、ショート、ツッツキといったペンホルダーらしい技術は親指を外したほうがやりやすいということが分かった。

トゲが刺さったときは卓球のことを少し心配したが、今まで気づかなかった視点から多くのことを学ぶことができた。人生万事塞翁が馬である。

pinset

なお、練習後、こんな形状のピンセットを使ったら、2ミリほどのトゲが抜けた。






容量、人それぞれ

忘年会の季節を迎え、私も人並みに忘年会に参加してきた、というか参加させられた。

なんで4000円も払って飲み食いをしなければならないのだろう。生ハムだの、鶏の丸焼きだの、そんなものは別にいいのに。4000円もあれば、ラバーが一枚買えるじゃないか…。

しかし、そんなことは色にも出さず、飲食や会話を楽しむふりをする私。せっかく高い金を払っているのだから、腹いっぱい食べて飲んでやろうと胃袋の限界に挑戦してみた。しかし、あんまり飲むと明日の仕事に差し支えるなぁ…。酒の方はほどほどにして、料理の方を腹いっぱい食べて帰った。

翌日、いつもと違う自分がいた。なんだか体に気力がみなぎっているのだ。まるで20代…というのは言い過ぎだが、30代ぐらいに若返った気がする。神経を使うしんどい仕事でも「いっちょ、やってやるか!」という気分である。どうしてこんなことになったのだろう。思い当たるのは昨日栄養価の高いものをしこたま食べたことだけだ。若い頃は食べ物のことなど気にしなくても、毎日気力にあふれていたが、中年になると、疲れやすくなる。というより、気力がなくなってくる。

「食べ物ってやっぱり大切ですよ。」

このことを職場の先輩Yさんに話してみた。Yさんは初老の女性である。

「そうですよね。でも私はあまり食べられないんですよ。お医者さんからも、もう少し太ったほうがいいって言われてるんですけど、どうしてもたくさん食べられないんです。胃袋が小さいんでしょうね。ただ、食べられないなりに工夫して、できるだけ栄養のあるものを食べるようにしているんですよ。それをゆっくり味わって少しずつ食べると、やっぱり体の調子がいいですよ。」

Yさんの昼ごはんはおにぎり一つだけ。具は「一休寺納豆」なのだという。

一休寺納豆
できあがるのに1年もかかるらしい。100gで850円もする。

一休寺納豆のおかげかどうか分からないが、Yさんはいつも快活で、年齢を感じさせない。私よりも元気なぐらいである。

これを卓球で考えてみると、学生のように毎日3時間も4時間も練習をすれば、上手くなるのは当然である。しかし、社会人はどんなにがんばってもそれほどたくさん練習時間が取れない。上達どころか現状維持もままならないかもしれない。いや、そうではない。たとえ週に1~2回の2時間弱の練習でも質のいい練習をすれば、歩みは遅くても上達するはずである。

私も限られた時間をできるだけ質のいい練習時間にしたいと思う。よく噛んで味わうように一球一球集中して、考えながら打つようにすれば、質の高い練習を毎日している学生には及ぶべくもないが、練習時間が少ないなりに上達が見込めるはずである。

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【ちょっと都合があって、文章の途中で公開してしまった。以下、続きである】

そもそも練習は毎日しなければならないのだろうか。Yさんのようにすぐに満腹になってしまう人もいるのではないだろうか。大量の練習量を体がすべて消化できる人もいれば、週に5~6時間以上の練習は、消化しきれない人もいるかもしれない。伸びしろの大きい若い人は練習すれば、練習しただけ身につくのかもしれないが、中高年の場合は週に6時間以上練習しても、身につかないという人もいるかも知れない。そういう人は練習はほどほどにして、動画を見て研究したり、戦術を考えたりしたほうが上達するかもしれない。

バウンド前行動――ブロックの前準備

先日の練習でカット打ちをしこたまやったあと、回り込みから飛びつきの練習。ちょっとハメを外した報いが腰に来た。
当日はちょっと違和感がある程度だったのだが、翌日腰が痛くてベッドから起き上がれない状態に。やはり中年が若者のような練習をしてはいけないと身体で学習した。

1週間ほどおとなしくしてようやく少し動けるようになってきたので、練習に行ったのだが、無理は禁物。腰のご機嫌を伺いながらの練習は、ふだんと違う練習となった。

普段だったら攻撃の練習が中心になるのだが、今週はブロック、ツッツキ、フリックの練習が中心だった。ときどきちょっとドライブを打つのだが、強くは打てない。腰に力が入らないと、これほどまでにドライブが打てないものなのかと再確認した。

若者のように激しく動き回る卓球は私には無理である。といってもそのことを悲観せず、このような機会も楽しみたいと思う。健康な時とは違う視点で卓球を楽しめるのだとポジティブに考えたい。そう考えると台上の小技の練習も楽しくなってくる。

今までだったら、自分が強打を打つためにどうやって仕掛けたらいいか、強打を打つなら身体の力をいかに使うかと、次の強打のことばかり考えて、目の前の台上処理がなおざりになっていたのだが、強打が打てないとなると、眼の前のボールがよく見えるようになる。

まずツッツキのボールがよく見えるようになる。強打のことを考えずに純粋にツッツキの質を高めようとすると、打点に意識が行く。ボールの上昇期が終わり、頂点を迎える直前でボールの下をこするといいツッツキになるようだ。いや、意識では頂点の直前でラケットを当てているつもりだが、実際にはラケットを移動させる時間もあるので頂点前を狙うと、ちょうど頂点でボールを迎えることになりそうだ。この打点でツッツキをすると、速くて深いツッツキが打てる。しかし、しょせんツッツキである。相手の想定内の場所に送ったら、ガツンと強いドライブを食らってしまう。もう少しコースを突かないと。次に相手のミドルあたりを狙ってガツンとつっつくと、ちょっとドライブが甘くなる。ツッツキの打点やコースを考える余裕なんて今まであまりなかった。ふだんなら次の強打のことばかり考えてしまっていただろう。

おっ!これはどこかで見たシチュエーションだ。

Liliのはじめ氏の「実戦でブロックを成功させるには」という動画で紹介されていたシチュエーションそのものではないか。



はじめ氏の解説はこうである。
ブロックする一つ前のこちらの打球が甘いと、相手に全力でスピードドライブを打たれてしまい、いくらブロックが上手でもお手上げである。そこでツッツキの質を高くして、相手にループドライブを打たせて、それをブロックするという戦略である。

「ボールがネットを越え始めたぐらいのときには動き始めていないと、間に合わないです。」

modori

なるほど。ということは、ツッツキもグイッと押していたら間に合わないから、ラケットがボールに触れた瞬間にひっこめるぐらいのツッツキが良いかもしれない。

相手のショートサービスを頂点前を見定めてツッツキ…おっとダメだ。手を伸ばしてツッツキを打ったら戻りが間に合わないぞ。腕を直角に曲げた状態で身体全体で前進してツッツキ。ラケットがボールに触れた瞬間に床を蹴って急いで戻り…いや、これでも間に合わない。後ろに下がる体勢になりながら打球しなければ。そして一歩下がってブロックの姿勢で待つ。頭では理解できていても、これがなかなか難しい。私の場合、相手コートでバウンドする前には戻りのスタートが切れるのだが、ボールがネットを越えたあたりで戻りのスタートを切るのは難しかった。

このような中途半端な「バウンド前行動」だったが、それでも効果は感じられた。今までなら止めるのがやっとだった速いドライブが余裕を持って止められたのだ。なんだ、打たれる前にこれだけの時間と距離(ブロック時には一歩下がっている)があれば、ブロックがこれほど楽になるとは思わなかった。


たとえば重要な会議が10時から始まるとする。その会議で私は司会を任されている。部下が会議室の準備を事前にすべてしておいてくれるとして、会議室に10時ちょうどに到着したらどうなるか。心の余裕がなくてシドロモドロになるに決まっている。機器の使い方の確認で1~2分かかり、前日までに準備してきた段取りや、レジュメなどは、印刷して目の前にあるのだが、一言一句詳しく書き出してあるわけではない。ざっとアウトラインが書いてあるだけである。到着して頭が真っ白な状態でそのメモを見ても、どう話せばいいかとっさに思い出せず、

「え~と…これは何についてだったっけ?」

などと間の抜けたことを部下に聞いたりしなければならないだろう。時間通りの到着では、身体は間に合っていても頭は間に合わないのである。2~30分前に到着しておいて、事前に頭の中で一度リハーサルをしなければ円滑な進行などできないだろう。

ここから分かることは身体が時間どおりに現場にあっても、それで「間に合っている」ことにはならないということである。同様に卓球でもラケットがボールに間に合っているということが、打球に間に合っているということではない。なんとか手を伸ばしてラケットがボールに届くことが間に合うことではない。打つ前に一呼吸おいて考える余裕がなければ、真の意味で打球に間に合っているとは言えないのだ。

こうやって打球前に一呼吸置いて、一瞬頭の中でリハーサルを行うことを心がけると、相手の動きもよく見えるようになり、タイミングも合わせやすくなってくる。この効果は非常に大きいと感じる。


このWRMの動画でも同じようなことを言っていた。

そうだったのか!回り込み

「しろのさんの世代は、バックハンドを使ったら怒られたでしょう?」

そんなことを知人に言われた。しかし、現実にはそんなことは全くなかった。

たしかに当時、世間ではそういう風潮だったらしいことを中年になって知ったのだが、当時の私は卓球後進地域の、指導者も誰もいない中学校で卓球をしていたので、「バックを使うな!」と怒られたこともないし、フットワーク練習もしたことがなかった。フォア打ち、バック打ち、オール練習だけしかしていなかった。バック側に来たボールはバック側で打つのが当たり前だった。といっても、当時はバックハンドが自在に振れる人は周りにほとんどいなかったが。

だから?私は回り込みが苦手だった。
現代でもオールフォアとは言わないものの、ある程度は回り込んでフォアを使うことが推奨されているが、私は全くと言っていいほど回り込まなかった、いや回り込めなかった。

相手の返球がミドルからバックの範囲に来るだろうと予測して回り込んでみるのだが、たいてい詰まって、ぎこちない姿勢で返球するのがやっと。そこで強打を打てることはほとんどなかった。

しかし、バッククロスへのワンコース切り替え練習を続けた結果、ついに回り込みのコツを会得したのである。といっても、発信するのがためらわれるほど当たり前のことであることを事前にお断りしておきたい。私のようなレベルの低いプレーヤーの何らかの参考になれば幸いである。

そのコツとは、ボールの軌道に対して垂直に移動することと、横を向いて打つことである。

おそらく大半の読者は卓球を始めてまもなくこのコツを会得していたと思われるが、私はこれを最近まで知らなかったのである。説明するのもバカバカしいが、念のため説明しておこう。

今までの私の回り込みは、台のエンドに対して平行に移動しようとしていたのである。これでは回り込みが間に合うはずがない。

平行移動

これをボールの軌道を横切るように垂直に移動し、横を向いてボールを打つ(いわゆる懐を作る)ようにすると、速いツッツキを打たれても間に合う。

垂直移動


さらにボールの軌道に対して垂直ではなく、台の左側面に沿うように移動した場合、さらに早く回り込めるのである。

なるほど。昔の片面ペンの人はこういう回り込みをしていたからオールフォアができたのか。

台のエンドに対して平行に移動するのは危険だということをそのときやっと悟った(遅すぎる…)。

これでこの記事を終わりにするのはあまりにも内容がないので、最近公開された戸上隼輔選手の「電光石火の回り込みフォアハンドドライブ」という動画と比較して、上級者の回り込みのポイントを確認してみよう。

私の回り込みのコツは

・横を向いて打つ
・ボールの軌道に対して垂直に移動する

という2点だけだったが、戸上選手の回り込みのコツはさすがに細かい。


1.回り込みの瞬間にすぐ左足を前にして素早く体重移動する。できれば左足のつま先に。
mawarikomi01

これはつまり私の言う「横を向いて打つ」ということだと思う。

2.回り込みのバックスイングは小さく、体重移動の反動で打つ。
mawarikomi02

上の写真のように体側を超える大きなバックスイングは禁物

3.打球は右足の強い蹴りを使って打つ。蹴り終わった際、右足のシューズの裏が完全に見えるようにする。
mawarikomi03


4.さらにヒジを前に突き出すようにすると威力が出る。
mawarikomi04

週末の練習で戸上選手の回り込みを試してみたところ…できない。
一度に多くのことを気をつけながら打つのは非常に難易度が高いということがわかった。
そして中高年が回り込みを多用すると、腰が痛くなるということもわかった。

習得までにまだまだ時間がかかりそうである。

togami1
さわやかイケメンの戸上選手。これは女性に人気が出るにちがいない。

国際レベルの試合分析――田勢邦史監督のコメントから

先日、卓球世界ジュニア2018の男子決勝を見て、日本の将来は明るいと感じた。
田中佑汰選手、宇田幸矢選手、戸上隼輔選手の3名はそれぞれに才気にあふれ、中国選手とも対等に渡り合っていた。




第一試合の田中選手はなんと1ゲーム目を9-2でリード。中国選手相手に勝るとも劣らない、というより、田中選手のほうが実力は上(まぁ、それが「勝るとも劣らない」の意味なのだが)なんじゃなかろうか。しかし、そこからなんやかんやで9-8まで追い上げられ、ヒヤリとさせられたが1ゲームを何とか獲る。中国選手もあなどれない。2ゲーム目は田中選手がゲームポイントを握るも、デュースで落とす。ブロックをオーバーさせる場面が目立った。3ゲーム目は田中選手が3点で抑えられる一方的な試合。何が悪かったんだろう。実力的には差はないと思うのだが。そして4ゲーム目。一進一退の展開だが、田中選手のミスが出て、8-11で中国選手の勝利。内容は悪くなかったと思う。田中選手が攻める展開が多く、田中選手のミスがもう少し少なければ勝ててもおかしくない試合だった。やはり粘着ラバーのイレギュラーなボールに対応できず、ミスが多くなってしまったのだろうか。



第2試合の宇田幸矢選手の最近の国際大会でのパフォーマンスはすごい。パワフルな両ハンドとよく動くフットワークで期待が持てた。第1ゲームは宇田選手のミスが多く、獲られてしまう。相手のボールに慣れていないのだろうか。第2ゲームも惜しいところまではいくのだが、あと一歩のところで勝てない。
結局宇田選手は1ゲームをとったものの、惜しくも敗れてしまった。実力的には伯仲していたのに、相性が悪かったのかもしれない。




第3試合。インターハイチャンピオンの戸上隼輔選手。もう後がない日本チームの切り札である。
どのゲームもいいところまでは行くのだが、結局0-3で戸上選手敗れる。これで日本チームも敗退である。
あれ?おかしいな。日本の3選手ともに実力的に中国選手に劣っているとは思えない。が、終わってみると、1ゲームを獲るのがやっとで、いつのまにか負けてしまっていた。一体どういうことなのだろう。今回の中国選手はそれほど強い選手が出ていないはずだし、日本選手もいいプレーをしていたと思う。なぜ一人も中国選手に勝てなかったのだろう。

おそらく例の粘着ラバーのせいである。あの独特のボールに最後まで慣れることができなかったために惜しいところまではいくが、勝てなかったのだろう。私はこのように分析した。日本代表が中国ラバー対策をしていないとは思えないのだが、対策が不十分なのではないか。でなければなんてことのないドライブでブロックミスをしたり、逆にこっちが攻撃しているのに相手のブロックしたボールに対してドライブミスを連発するはずがない。中国ラバー対策さえ十分にすれば、今の日本代表なら勝てないはずはないのである。

その後、卓レポで田勢邦史監督のコメントを読んで、私の考えが素人考えであると気づかされた。
tasei

3人とも、もしくは日本の卓球がそうなのかも知れませんが、少しチキータに頼りすぎているところがあると思います。今はみんなチキータ処理がうまくなってきているので、あまりチキータにこだわらなくていいと思います。昨日は、チキータをさせられて、台から距離を取られてという展開が見受けられました。そこで、ストップはもちろん選択肢の一つですが、そのストップがうまくいかない。みんなチキータをしようとしてバックハンドの構えで入るので、バックでのストップはできますが、フォアでのストップができないというのも課題だと感じました。

なるほど。チキータでこちらから先手をとってはいるが、そのチキータを待たれているので、相手はさほど崩れない。こちらの展開にはならない。それならチキータとストップをまぜて相手の判断を一瞬でも遅らせたほうが得点できる確率がグンと上がる。

中国を見ていると派手なプレーもなければ、特別攻撃的でもないですよね。彼らが将来世界のトップに立つかどうかは分かりませんが、決勝の差は中国の方が「なんでもできた」ということだと思います。サービスもそうだし、レシーブもストップ、チキータ、ツッツキができて、ブロックもカウンターもできる。それと比べると、日本選手はチキータと自分から攻撃するだけだったので、ツッツキやフリック、流し、ブロックなどが全体的に足りなかったと思いますね。

たしかに中国選手が日本選手を力でねじ伏せるという展開はほぼなかったように思う。むしろ日本選手のほうが速いドライブ連打で押していた印象さえある。にもかかわらず、中国選手は日本選手の攻撃にしっかり対応し、日本選手は押し切れず、ラリーが続くと日本選手のほうが先にミスをしてしまったような印象が強い。

決勝では、日本のスタイルとして、少し攻撃的になりすぎたところがありました。日本の選手がリスクを負わされてミスを誘われる場面はありましたが、こちらがミスを誘うようなプレーは少なかったので、そこもジュニアの課題だと思います。

そうだったのか。中国選手はいわば「後の先」を採り、自分から無理して先手を取らず、相手の攻撃を受け止めて、チャンスを見て反撃したり、相手のミスを誘うような場面がしばしばあったということか。

そういえば、私の周りにも、レベルは全く違うが、こういう人がいる。
Gさんは、非常に攻撃的で、台上からも果敢に攻撃してくるし、こちらがドライブをしても、ブロックはせず、ほぼカウンターを狙ってくる。練習などではこちらが打った厳しいドライブをさらに厳しいカウンターで返球されて、ガックリくることも多い。Gさんが調子がいい時ははるかに格上の人ともいい勝負ができる。しかし、私はGさんと試合をして負ける気がしない。というのはGさんは決して受けには回らず、相手が弱いボールを打っても強打。相手が強いボールを打っても強打なので、ミスが多い。ボールは速いが、コースは厳しくないので、攻撃を2~3球しのげば、たいていGさんのほうが打ちミスをしてくれる。

かたや草卓球レベルのオジサン、かたや世界ジュニアの中国選手だが、似たような心理で相手のミスを待っていたとはいえないだろうか。

もう一度動画を見なおしてみると、日本選手はものすごいスピードのドライブを何発も打っている、が、相手の体勢が崩れるような厳しいコースに打つことは少なかった。相手の取りやすいコースに渾身のドライブをガンガン打っていたので、日本が優位に立っているとはた目には見えるが、相手はその強打をさほど脅威とは思わず受け止めていたのではないか。ドライブの威力のことを考えたら、ふだん練習している中国選手のほうが上ということもありうる。もしかしたら、中国選手は攻撃を受けているときに余裕さえあったかもしれない。これでは中国選手を打ち抜くことは難しい。中国選手はそのような堅いブロックから一転し、今度は日本選手のコースを突き、日本選手のほうがミスをするという場面が多かったように思う。

私は日本選手の敗因を、単に相手のボールに慣れていなかったからといった用具の原因に帰してしまっていた(それも少しはあったと思うが)のだが、田勢監督は日本選手の攻撃の単調さと、中国選手の技術の多彩さといった原因を敗因として挙げていた。やはりプロは見ているところが違うと思った。
卓球では、よく「常に攻める気持ちで」などと言われるが、速いボールをガンガン打っていても、攻撃が単調なら、効果が薄い。こういう「こちらが攻撃していたのにいつのまにか負けていた」という試合展開は草卓球でもよくあることである。他山の石(こういう使い方は微妙だが)としたい。


どうしてもバックドライブが入らないとき――インパクトの強さをめぐって

最近よく耳にする言葉、インパクト。
下の動画によると強いインパクトが出れば「インパクトドライブ」というすごいスピードで相手コートに突き刺さるようなドライブが打てるらしい。




硬い上級者向けのラバーは強いインパクトが必須だというし、とにかくインパクトが強ければ何でも解決するような雰囲気がある。

本当にそうなのか?

インパクトというのは、ボールとラケットのぶつかる衝撃のことを指しているのだろうか。

だとしたら納得が行かない。

「インパクトドライブ」というのは「弾いて」打つドライブなのだという。しかしボールとラケットを強くぶつけたら、ラバーがボールをつかむ前にボールが飛んでいってしまい、しっかり回転がかからず
ミスしてしまうではないか。ラバーにひっかけるのではなく、「スピンのメカニズム」で解説されているボールをつぶす方法で強くぶつけて回転をかけるということだろうか?

「インパクトの強さ」という言葉が何を指すかよく分からない。ラバーを完全に押しつぶして、ボールを板で打つような打ち方が強いインパクトの打ち方なのだろうか。

そうではなく、私の考えるインパクトの強さというのは、ある程度は板にぶつけるが、それよりもむしろラバーにしっかりと押し付ける強さである。インパクトの強さというのも、いくつかの種類があるのではないだろうか。
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私は団体戦で2-2の5番目で回ってきたときの苦い思い出がある。

私はサーブからの3球目がうまくいかないと、試合で全く勝てないのだが、その日はサーブの調子が悪く、ミスを連発していた。そして大事な5番で試合に出る段になって、緊張しすぎて手が震え、全くサービスが入らない。しょっぱなから2連続サーブミスである。しかたがないので、安定性重視の下回転のような、ナックルのようなヘナチョコショートサーブを出さざるを得なくなった。ヘナチョコなりに、同じモーションから速いロングサーブが出せれば相手も的を絞れず、こちらの展開になる目もあったのだが、速いロングサーブは入る気がしない。そして私はその日裏面バックハンドが入らず、ミスを連発していた。相手は私のバックドライブが入らないと見るや、全部こちらのバックにつっついてくる。「さあ、バックを振ってくれ」と言わんばかりである。決して厳しいツッツキではない。来るコースも分かっている。にもかかわらず、バックドライブが入らない…。ゆるいツッツキに対してこちらの渾身の力を込めたバックドライブが何度もネットを直撃した。結果、私のせいでチームは惜しくも敗れてしまった。

こういう絶対に下回転を落とせない場面で、バックドライブを入れられる自信が、今ならある。それは私が「インパクトの強さ」を獲得したからなのである。といっても、特別なトレーニングをしたわけではない。インパクトを強くする簡単な方法を発見したのである。

それは、右足を前にして、一度体重を左足にかけてから、反動を使って身体ごと右足に体重を移動させてバックハンドドライブを打つという方法である(前記事「反動」参照)。バックドライブでのこういう体重移動は誰もが無意識にやっているかもしれないが、それを意識的に大きくやってみるのである。

最近の卓球はスピード(ボールのスピードではなく、ピッチの早さ)が重視されているという。常に旋回運動で体幹をねじりながら、素早く戻って連打するという卓球が推奨されている(と思う)。だから、身体を前後に揺さぶってドライブを打つなんて古くさい卓球なのかもしれない。しかし、この打ち方ならたしかに威力が出る。インパクトが強いので、下回転をネットにかけにくい。もちろん早いラリーの最中にこんな動きをする余裕はないかもしれないが、台上からの3球目なら、時間の余裕もあり、こういう後ろに体重をかけてから前にタックルするような打ちかたもできると思う。

野球でピッチャーが投げる前に体重を後ろにかけてから、一気に体重を前に移動させて投げるイメージに近い。

pitching
3コマ目で一度体重を後ろにかけてから、投げているのが分かる。

この打ち方なら緊張した場面でも強いインパクトで打球できるだろう。

テンションラバーってこう使うんじゃない?――軽く小さく打つ

前記事「粘着(中国)ラバーってどうなんだろう」で粘着ラバーを使いこなすには良いフォームで力のこもった打球をしないといけないということがわかった。力のこもらない中途半端な打ち方だと、粘着ラバーは良いボールが出ない。ここからテンションラバーの特徴を逆照射すると、テンションラバーは反対に中途半端な力で打つのが一番効率が良いとは言えないだろうか。

半分冗談だが、半分本気である。
tenergy hard
テナジーハードとか、粘着テンションとか、
そういう中間的なラバーのことは考えないことにする。


以下、根拠のない数字を例に出してみる。私の頭の中でイメージしたことなので、単なる仮説である。

例えばどちらのラバーも同じ30%の力で打った場合(上級者ではなく、初中級者の打球を想定している)

テ:力30 威40
粘:力30 威20

のようにテンションラバーは威力を上げ底したボールが出るのに対して、粘着ラバーは加えた力よりもむしろ威力が低く出力される。

テ:力50 威70
粘:力50 威50

次にもっと良い体勢で打った場合もテンションは入力よりもいいボールを出力できるのに対して粘着ラバーは入力と同じ威力しか出力されない。

テ:力70 威80
粘:力70 威80

さらに力を加えると、テンションは出力の伸びが鈍ってくるのに対して粘着はやや良いボールが出るようになってくる。

テ:力90 威90
粘:力90 威110

そして自分のMAXに近い力で打ったときにテンションでは威力の伸びが限界に達するのに対して粘着は入力以上の威力が出る…。

こういう違いなのではないか。何度も言うが、検証したわけではないので、私の単なるイメージである。

私の仮説が正しいとすると、テンションラバーでドライブを打つときは50~60%ぐらいの力で打つのが最もエネルギーの伝達効率がいいということになる(いや、だから上級者が打った場合はまた違う結果になるのだろうが)

粘着ラバーは生半可な力で打ってもいいボールが出ないということなので、常に最高のフォームとタイミングで打ち続けるのが理想である。しかし、体力に満ち溢れた若い人のように切れの良い動きができない中高年には粘着ラバーは要求が高すぎる。ワンコースの練習ならともかく、常に動きながら全力に近い打球を打ち続けるなんて果たして中高年にできるだろうか。そこでテンションラバーを中途半端な――よく言えばリラックスした軽い力でキュッと小さなスイングで打つのが中高年にふさわしい卓球のスタイルなのではあるまいか。

…というふうに自分を納得させてテンションラバーのままでやっていこうと決心した。台上における粘着のアドバンテージは確かに魅力なのだが…。

粘着(中国)ラバーってどうなんだろう――ちょっとだけ打ってみた

練習できず、悶々としているとき、『卓球グッズ2018』という本を読んだ。
goods

私は用具音痴(新製品とかには詳しいのだが…前記事「用具についての断想」)で、新しい用具を試そうなどとあまり思わないのだが、最近行き詰まりを感じているし、練習もできないので、なんとなく手に取って読んでみたのだった。

あまり用具に興味のない私でも、引き込まれてしまうのはどういうわけだろう。こういう本を毎年読んでいて、毎年魅力的な新製品が紹介されるのだが、購入してはみたものの、ろくに試さず、もとの用具に戻してしまうということの繰り返しである。

そうなることは分かっているのだが、こういう記事を読むと、また新しい用具を買いたくなってくるからタチが悪い。

おすすめのラバーを特集した記事の中で、フェニックス卓球クラブのコーチがこんなことを書いている。

うちでは初心者にまず「730」と「マークV」を貼らせて自分でボールを飛ばす感覚を磨かせます。

「へぇ…TSPの730かぁ。中国ラバーみたいな硬い粘着ラバーだったよなぁ。マークVを初心者に使わせるというのはよく聞くが、730を初心者に使わせるなんて聞いたことがないなぁ。」

しかし今を時めく指導者が勧めるのだから、きっと何かしら理由があるのだろう。730ってどんなラバーなんだろう…。

次の記事は作馬六郎氏の指導理念の特集である。

ラケットは重いほうが打球も重くなります。スマッシュも相手の威力に押されずに打つことができます。ラケット重量は使っていくうちに慣れるので、気にせず使い続ける。すぐに戻してしまうのは決心が弱い選手です。
確かに重いラケットはラリーが長く続くと不利になるでしょう。しかし、フルスイングで打つチャンスをどうやって作るのか、スマッシュをいつ打つかなど、決め球へつなげるために頭を使うようになります。

作馬氏は女子の指導で定評のある指導者である。「ラケットの重量は使っていくうちに慣れる」というのは若い男子選手ではなく、非力な女子選手を念頭に置いての発言であるはずである。200グラム近いラケットをブンブン振り回すのは何も男子高校生や男子大学生だけの特権ではないということである。「決め球へつなげるために頭を使う」かぁ…。そういう頭を使ったことがないなぁ。「振ろうと思えばいつでも全力で振れる」という油断があるんだろうなぁ。重い用具を使って、全力で振れるのは「1ポイントに一度だけ」という制約があれば、私もラリーの組み立てに意識が向くのかもしれないなぁ。

そんなことを考えながらページをめくっていくと、「中国ラバーを探る」という特集。

そういえば、私の周りでも中国ラバーに変えたという人がチラホラ見受けられる。しかもけっこう上手な人である。中国ラバーってどうなんだろう?飛ばないから台上ではミスが減りそうだ。

翔龍を使用している岩崎栄光選手は次のようにコメントしている。

テンション系は少々適当に打っても入りますが、粘着性だと1球1球良いフォームで打たないと良いボールが入らない。

これは粘着ラバーを批判しているのではなく、粘着ラバーのメリットとしてのコメントである。時間がないとき、つい手を伸ばして手打ちで打ってしまう癖のある私が中国ラバーを使えば、どんなときでもしっかり体幹を使って打つクセが身につくのかもしれない。

偉関晴光氏は次のように述べる。

日本は伝統的に、上回転のラリーを重視する傾向があります。しかし中国卓球では、「下回転」をより重視しています。卓球ではラリーになる前の段階、つまりサービス・レシーブからドライブに至るまでの段階で、様々な回転に対応する必要があり、中でも「下回転に対していかに攻撃するか」が重要。その点で、中国ラバーは大きな武器になります。

言われてみれば、私もラバーを選ぶときは上回転でのラリーを基準において、上回転のラリーで良いショットが打てるラバーがいいラバーと無意識に考えていた。しかし初中級者の実戦では上回転のラリーよりも台上の下回転でのやりとりのほうが重要なのは言を俟たない。対下回転の強さというのがラバーを選ぶときに初中級者が最も重視することなのではないだろうか。

新井卓将氏は自らの指導経験からこう述べている。

私が指導している選手にも、”修行”の意味で1カ月ほど中国ラバーを使わせたことがあります。最初は威力が出ないし、練習でも疲れるのですが、それがトレーニングになり、また台上技術などで新たな感覚をつかむことができました。

旧製品に比べて「スピードが出る」とか「回転量が増した」といった特徴は私の琴線には触れない。新製品は次々と出るが、当社比〇%アップ!と言われながら、試してみたら、旧製品とほとんど変わらなかったということを何度も経験してきたからだ。実際には微妙に性能が上がっているのかもしれないが、用具音痴の私には誤差の範囲内で、その恩恵が体感できないのである。
それに対して「良い打ち方が身につく」とか「訓練になる」とか、そういう言葉には弱いのである。私も中国ラバー(あるいは硬質の粘着ラバー)を使うようになれば、しっかりと全身を使ったいいフォームで打てるようになるのではないだろうか。しかも目下の課題である台上のミスが減り、重い中国ラバーを貼れば「決め球へつなげるために頭を使う」ようになるかもしれない。

ちょっと試してみようかな。新井氏も「誰もが一度は試してみる価値あり」と言っているし。

そういえば、うちに昔使っていたラバーがあったような…。あった、あった。古いキョウヒョウ。中年になって卓球を再開したばかりのときにもらったやつだ。これを使っていないラケットに貼ってみよう。

先週の練習でキョウヒョウを貼ったラケットをワクワクしながら使ってみた。ワンコースで相手にブロックしてもらってこちらはフォアドライブを全力で打ってみる…あれ?なんだか想像していたのと違う。打っていて気持ちよくない。なんだかモアっとした打球感で、力がボールに伝わらず、力を入れてもその大半がラバーに吸い取られるような気がする。喩えて言えば、硬い牛筋を噛んでいるような、噛んでも噛んでも噛みきれないような、そんな気持ちの悪い打球感だった。すぐにいつものテンションラバーに戻した。

これが中国ラバーが敬遠される理由か。世間で言われる通り「1球1球良いフォームで打たないと良いボールが入らない」というのが分かる気がする。しかし私が打ったときはワンコースの単純な練習だから、体勢が崩れていたり、時間がなかったりということもなく、私なりに万全の体勢で打っていたはずなのに、それでもまだ「良いフォーム」ではなかったということだろうか。これ以上、良い体勢で打つなんてできるのだろうか。これじゃまさに”修行”だよ。あ、台上を試してみるのを忘れた。

ある程度の期間、いろいろなボールを試してみたら中国ラバーの良さが分かってくるのだろうか。しかし週に1回ほどしか練習できないのにこんな”修行”をやっていたら、中国ラバーの良さが分かるのに1年ぐらいかかるんじゃないだろうか。現実は厳しい。このまま使い続けるべきかどうか迷うところである。


本物志向――試合観戦の意義

久しぶりにいとこのうちを訪れて、近況などを話しあった。
いとこは毎日多忙な生活を送っているが、最近の唯一の楽しみはウィスキーなのだという。
ウィスキーが趣味というのは具体的にいうと、いろいろなウィスキーを飲み比べ、味わい楽しむことである。作っているわけではない。言うまでもないか。

ウィスキーに限らず、お酒というのはビックリするほど高いものがある。サントリーの「山崎」というウィスキーなどは700mlで数万円するものもある。その一方で近所の酒屋には1500円ほどの値段で売っている安価な製品もある。同じウィスキーなのにこんなに違いがあるなんておかしい。体に悪いわけでもないし、別に1500円のウィスキーでもいいじゃないか。

そのような私の話を聞いて、いとこはおもむろに見覚えのある懐かしいボトルを取り出した。

daruma

「これ、知ってるよね?昔、日本で人気のあったサントリー・オールド。独特のボトル形状からダルマって呼ばれてる。ちょっと飲んでみる?」

勧められるままに一口ふくんでみると…なんてことはない、普通のウィスキーである。

「次にこっちのウィスキーもどうぞ。」

よく知らない銘柄だが、輸入品だということは分かる。こちらを一口飲んでみると…全然味が違う!ダルマは雑味が多くごちゃごちゃした味わいで、喩えて言えば、「倉庫の中でほこりをかぶっている」ような味に感じられたのに対し、輸入品のほうは透き通るような味わいで、成分が生き生きしている。身体に染みわたるようなうまさだった。

「こっちは1本5~6千円するスコッチ・ウィスキーなんだけど、全然違うでしょ?昔の日本では『本物』のスコッチ・ウィスキーは高くて手が届かなかったので、比較的安いダルマが人気だったけど、今となってはダルマを飲もうっていう気にはならないな。同じウィスキーといっても、銘柄によってずいぶん味が変わるでしょ?」

味の良し悪しというのは人によって違うから、ダルマの雑味?こそが美味いと感じる人もいるだろうが、私にはスコッチ・ウィスキーのほうが美味しく感じられた。今ではサントリーの高級ウィスキーというのは世界的に認知されつつあるが、昭和の時代には高級な輸入ウィスキーの代替品といった位置づけだったのかなと思う。

考えてみれば、昭和の貧しい時代には欧米の「本物」の代わりに国産の「代替品」のようなものがよく作られていたように思う。ドイツやアメリカの車は高いので、スバル360が作られたり

subaru

「本物」のスイス製の腕時計は高すぎるので、「代替品」としてセイコーの腕時計、「本物」のドイツ製の代わりにキヤノンやニコン。今では国産品のほうが「本物」を凌駕してしまったものもあるかもしれないが、昭和の時代というのは、高すぎて手が届かない「本物」の代わりにとりあえずの代替品で日常の便に間に合わせようという時代だったように思う。だから昭和の末期になって性能的には国産品が輸入品に肩を並べても、やはり舶来品というものは一目置かれていたと思う。「日本製」とか「メイド・イン・ジャパン」といった言葉が宣伝に使われるようになったのは、ここ20年ほどではないだろうか。昔は国産というのは宣伝文句になる言葉ではなかった。とすると、今から30年後にはもしかしたら「中国製」という言葉が宣伝文句に使われるようになっているかもしれない。

この間、上手な人と練習をした時、ツッツキの鋭さにびっくりした。
バックスイングをとらず、身体全体でボールに近づいていくから、いつ打たれるかタイミングが取れない。そして同じ体勢のまま急に面を起こしてフリックをしたり、そのまま手を伸ばさずストップになったりと変幻自在である。ツッツキもスーッと手を伸ばすのではなく、早く短くグッと押すのでスピードが速い。かと思うと横回転をかけてつっついたりするので、こちらは余裕をもってドライブを打つ姿勢に入れない。こういうのが「本物」のツッツキなのだと思った。私や私がよく練習している人たちのツッツキは、同じツッツキといっても「代替品」にすぎない。一応ツッツキではあるけれど、「本物」のツッツキと比べたら、ツッツキの良さを全く引き出せていない。

いい勉強をさせてもらった。「本物」を知らないと、自分の技術が「代替品」であるということにすら気づかず、十年一日のごとく同じような卓球をして進歩がないだろう。幸いなことに、最近ではTリーグが始まり、地方の人間でも「本物」を見るチャンスが多くなった。今年は全日本も大阪で開かれるので、一般愛好家も機会があれば、ぜひ「本物」を観に行ってほしい。プロのプレーはあまりにもレベルが高くて一般愛好家の参考にはならないと思っていたが、プロのプレーをじっくり観察し、自分のプレーと比べれば、一つや二つ、何か発見があるかもしれない。

私は冒頭でウイスキーの価格に数十倍の違いがあると驚いたが、いとこにしてみれば、卓球のラケットだって、ラバーが初めから貼ってあるホビー用のラケットが1500円ほどで買えるのに、一方で2~3万円もするラケットがあることに納得できないかもしれない。「木でしょ?どれでもそんなに違いはないでしょ?」と言われそうである。たしかに一般層の大半にとっては実売5千円ほどの安価なものだろうが、2万円強の高級ラケットだろうが性能的に問題になることはないだろう。上手な人が使えば、スワットやSK7で全日本に出ることだってできるのである。国際レベルになると用具の微妙な性能差で試合に勝てないということもあるかもしれないが、一般層にとっては結局見た目と打球感の違いにすぎない。とは分かっているが、個人的にはやっぱり実売1万円以上のラケットを使いたい…。



ブルンッ!――バックハンドで下回転を持ち上げる方法

私が試合で負ける原因の最たるものはバックハンドドライブが入らないことである。

相手が深いツッツキなり横下ロングサーブなりでこちらのバックを狙ってきたとき、バックハンドを振ってみるのだが、ミスすることが多い。これは初中級者に非常によく見受けられることだと思う。バックドライブで下回転が持ち上がらず、しかたなくツッツキなどで返球すると、相手に待たれていて先に攻撃されてしまう。

角度が悪いのだろうか?

面を開いてもっと上方向に持ち上げてみると今度はオーバーミス。こちらがバックハンドが振れないと分かると、相手は執拗にこちらのバックを突いてくる。

腕を伸ばしすぎなのだろうか?ボールを触る位置が悪いのだろうか?打点が遅いのかも?

いろいろ原因を考えてみたが、そういう場合はおそらくスイングスピードが遅いのだろうと見当をつけている。ではどうやってスイングスピードを上げればいいのだろうか?

バックスイングを大きくしてみるというのも手かもしれない。やや腰を落として、股の間からラケットを出すようにして打つと下回転のボールが軽く持ち上がるというのを動画でみたことがある。

しかし、それはツッツキなどが相当遅い場合には有効だが、台上の段階で早い打点でキュッと打たれた場合、とっさに一歩下がって腰を落とし…というのは間に合わない場合が多いと思う。そこでいろいろ試行錯誤した結果、上半身をブルンッと揺すると、スイングスピードが上がり、下回転がけっこう持ち上がるのではないかと思う。

よく上手な人は鞭をしならせるように腕を振ると言われるが、そういうことを意識しながら腕の力を抜き、でんでん太鼓のように腕をしならせて打ってみるわけである。犬が身体をブルブルッと回し、水を弾き飛ばすイメージでもいい。

ブルブルッ

この打ち方ならバックスイングが小さくても下回転がけっこう持ち上がると思う。はた目には気づかれないほど小さな動きだが、私には効果があった。角度とか打点とかを変えてもどうしても下回転が持ち上がらないという人は試してみてほしい。


奇強兼備――かっこいい卓球とは

中学生や高校生の頃、「かっこいい」ファッションというのがよく分からなかった。
今から考えると、訳も分からず非常にダサい服装をしていたと思う。

チェック柄
こういう地味な色のチェック柄のシャツをよく着ていた気がする

「服装がダサいと女にモテないらしい」
という話を聞いて、なんとかしようと思っても、何がかっこいいファッションか分からないのだから、どうしようもない。男性向けファッション雑誌を買って参考にしてみたが、やはりよく分からなかった。それで母親が買ってきた訳の分からない英語の書いてあるTシャツを着ていたりしていた。

「なぜ私のTシャツにはデカデカと "New York" って書いてあるんだろう?ここはアメリカではないし、ニューヨークが好きなわけでも、行ったこともないのだが…」

学校でカッコいいのは、学年でトップの成績をとればいい。とても分かりやすい。
スポーツでカッコいいのは、地区の大会で優勝すればいい。明快だ。

だが、ファッションのかっこよさというのは…分からない。

そんな私も中年になると、何がかっこよくて、何がダサいのかが自分の中ではっきりしてきた。もちろん私のかっこいいファッションと、他の人のそれとが一致するかどうか分からないが、とにかく私の中でかっこよさの基準というものができたのである。

かっこいいファッションの条件というのは、周りとの比較という要素が大きいと思う。いくらカッコいい服でも、周りに同じような服装の人が何人もいると、あまりカッコいいと思えなくなってくる。他の人と違う、自分というものを打ち出せるファッションが本当の意味でのかっこよさだと思う。といってもあまりにも常識とかけ離れたファッションは、ただのおかしな人になってしまうから、バランス感覚も大切だ。

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さて、話を卓球に戻すと、卓球のかっこよさというのは二つの方向性があると思う。

一つは強さである。これは分かりやすい。地区の大会で優勝し、県大会でも上位進出。全国大会出場。こんなかっこいい卓球はないだろう。そのためには最も勝ちやすいスタイルを追求しなければならない。男子で勝つためならシェーク裏裏で両ハンドドライブをガンガン振る卓球一択である。

一つは個性である。シェーク裏裏をあえて避けて、バック表とか、ペンとか、カットマンとか、そういう自分のこだわりのスタイルを追求するというのもある意味カッコいいと思う。こういうスタイルを選ぶ人は全国大会を目指している人でない場合が多いかもしれない。勝つのは二の次で、自分のスタイルを極めたいという意識のほうが強いのかもしれない。

強さを求める卓球は、試合で個性的な卓球を圧倒することが多いが、その代わりシェーク裏裏同士の競争が激しく、なかなか上に上がれない。強いシェーク裏裏の人が大学に入ったと同時に卓球をやめてしまったりするのは、上には上がいることが分かり、強さの追求をあきらめてしまうからだろうか。

もし、シェーク裏裏同士が熾烈な競争を繰り広げているところに個性的な卓球で挑んでみごと勝利してしまったら、どうだろう? 強さにおいても、個性においても、カッコいい卓球というのがあれば、最強のかっこよさである。

今日は職場に行って開口一番「みまちゃんすごい!」と会う人ごとに伊藤美誠選手のかっこよさについて語ってしまった。そういうのは興味がない人にとっては迷惑なだけだというのは分かっているのだが、それでも語らずにはいられなかったのである。

いうまでもなく、先週末のスウェーデンオープンの話である。
 

 
いつも質の高い編集をしてくださるGambaru Kattoman氏に感謝!

劉詩文が外国選手に負けるって、ここ数年なかったのではないだろうか、今年4月に伊藤美誠選手に敗れた時を除けば。それが今回も手ごわい劉選手をみごとに破り、実績ナンバーワンの丁寧選手を破り、次代のエースつゆりんを破って、中国最強の3人を連続撃破したなんて、去年の4月の平野美宇選手のアジア選手権優勝と並んで日本卓球の歴史に残る偉業ではないだろうか。惜しむらくはもう少し大きな舞台で優勝してほしかった。

劉詩文選手の異常なピッチの速さを緩急とボールの変化で攻略し、丁寧選手の恐ろしい威力のドライブをバチバチ弾きまくり、つゆりんに至っては何もさせなかった。

バック表でスマッシュ主体という個性的なスタイルでシェーク裏裏の最高峰を総なめにした伊藤美誠選手の卓球こそ、今最も輝いていてかっこいい卓球だと思う。



力加減の予測――足元から見直す素早い反応

普段私たちは、何気なくコップや鉛筆を持っていますが、それらは全身の筋肉の微妙な力加減を経験からくる予測によって成立させています。
紙コップは強く持ちすぎたら潰れてしまうし、鉛筆も折れてしまいますよね。〈中略〉
人間は何か物を動かそうとするとき、その対象物の重さを予測して、その物を動かすのに最適な体の状態を作って準備しています。
『ヒモトレ革命』

考えてみると、私たちは日常のあらゆる動作に予測を用いている。予測がなければ日常の基本的な動作さえおぼつかなくなる。本を読みながら階段を降りていて、うっかり最後の一段を見誤って転びそうになった経験は誰にでもあるだろう。次は平らなフロアだと予測していたのに、もう一段、下があったために姿勢が崩れてしまったわけだ。そのような予測がなく、階段の上り下りを「この階段は私の体重に耐えられるか」などといちいち確認していたら、おそろしく時間がかかってしまう。

卓球でも同様に「このボールはこの辺に飛んでくるから、このぐらいの力で打とう」などと予測しながら打っているからラリーが続くのであって、このような予測がなかったら1球も打てないことになる。

卓球の予測というと、普通は次に来るボールの軌道やコース、球質などをイメージするが、どのぐらいの力加減で打てばいいかという予測も大切である。そうしないと、ボールが到達する位置やスピードは正しく予測できていても、ホームランを打ってしまったり、ネットにかけてしまったりすることになる。

しかし、こんな基本的な予測ができないということがあるのだろうか。コースや球質が予測できないということはよくあるかもしれないが、飛んできたボールに対してどのような力加減で打つべきかを予測できないということが卓球を何年もやってきた人に起こりうるのだろうか。

私はそういうことがよくある。たとえば想像以上に相手のドライブが伸びてきたときや、相手のサーブが想像以上に短かった場合などである。こういうときはパニックになって、どのぐらいの力加減で打てばいいか分からなくなってしまう。力加減の予測をまったくせずにボールを打ってしまってボールをオーバーさせたり、ネットに掛けたりしてしまう。調子が悪いときはそのような症状が進行し、相手のなんてことないドライブもうまくブロックできなくなってしまう。

ふだん打ち慣れている人ならこういうことは起こりにくいが、初見の相手の場合、ボールが合わないせいか、力加減の調整に時間がかかる。そういうときはたいてい力加減の予測をする時間的な余裕がない場合が多い。

「どうして振り遅れてしまうんだろう?」

そうやって自分の動作がワンテンポ遅れる原因を考えてみると、相手のボールがどのぐらいのスピードで自分の打てる位置に飛んでくるかの判断が遅れている、あるいは予測よりも早くボールがこちらに到達するせいだと分かった。そして興味深いことにこのような場合はたいてい足裏のかかとのほうに重心が乗っているということが分かった。

足裏の重心

「すわ!ボールがくるぞ」というときに後ろに重心が乗っていると、力加減の予測がうまく働かず、強く打ちすぎたり、弱く打ちすぎたりする。逆にきちんとどのぐらいの力加減で打つか予測できて「よし!来い」というときは、足裏の重心が前に乗っている(別につま先立ちをする必要はない)。

私の体は逃げ腰になっているときは力加減の予測が働かず、やや前のめりになっているときはその予測が働くようだ。だとすると、とにかくボールが来たら、足裏の重心を前方に置いてみたら、自動的に力加減の予測も働くようになるのではないか。と思って、ボールが来たら、適当な位置に移動し終わった瞬間、すぐに重心を前にかけてみると、不思議なことに力加減を大きく間違えることは少なくなった。打つ寸前に重心を前に移すことによって自然と反応が良くなり、どのぐらいの強さで打つかの予測が働くようになったのである。

力加減という手先の感覚をコントロールするのに、足裏という、そこから最も離れた部分の調整が大いに関係するというのは興味深い現象である。


福原愛選手引退の報に接して

最近、卓球の情報が多すぎてついていけなくなってきた。ツイッターでいろいろな発信をフォローしていたが、キリがない。youtubeも有名選手の試合やTリーグ関係の動画が大量にアップされている。

Tリーグ開幕前夜ということで、なんとしてもTリーグを盛り上げようとたくさんの人が情報発信をしているが、その中で福原愛選手の引退表明はひときわ注目を集めた。この発表によってTリーグのことを知った一般人も多かったのではないだろうか。
福原愛

福原愛選手は選手としては世界選手権団体戦やオリンピック団体戦で活躍したが、個人戦ではあと一歩のところで大きな成果をあげることはできなかった。しかし、福原選手の偉大さは、競技成績とは別のところにあるように思う。
もちろんテレビ等で卓球の認知・普及に大きな貢献をしたことにもわれわれは感謝しなければならない。某コメディアンの心無い発言で卓球がネクラだとか、カッコワルイというイメージが定着し、日本全国の卓球人が肩身の狭い思いをしていただけに福原選手の存在は卓球にとって闇夜の灯火のようなありがたいものだった。
しかし、福原選手の卓球に対する最大の貢献は、その人間性にあったように思う。卓球をやっていると、あんなに周りに配慮のできる、責任感の強い人に成長するのだと、その見本を示してくれたのである。

世の親たちが子供にスポーツを習わせるとき、最も気にするのは人間性の陶冶なのではあるまいか。私が親だったら、それを最優先するだろう。卓球教室に通わせて、卓球がみるみる上達し、中学生ながら大学生にも勝てるほどの実力を身につけたといっても、試合に負けてラケットを投げつけたり、台を蹴っ飛ばしたりするような子供に育ってしまったら、その教室に子供を預けたのは間違いだったと後悔するだろう。反対にたとえ技術的には大して上達しなかったとしても、礼儀や相手への気配りを涵養してくれるなら、お金を払った甲斐があるというものだ。福原選手を見て卓球は人間性を育ててくれると思った人もいるかもしれない。少なくとも子供が卓球をすることに対して悪いイメージは持たれなかっただろう。そういうイメージを醸成してくれたのは福原選手の大きな功績ではないだろうか。

福原選手ほど批判されない選手は少ないだろう。彼女の人間性を悪く言う人を聞いたことがない。それどころか海を越えた中国でも大人気である。あれだけ露出が多く、人に注目される人なのに誰からも愛されるというのはオリンピックで金メダルを獲ることよりも難しいのではないだろうか。オリンピックや世界選手権で金メダルを獲る選手は今後日本から出てくるかもしれないが、この意味で福原選手を超える逸材はもう二度と出てこないかもしれない。それほど偉大な選手だったと思う。

卓球界に福原選手が出てくれたことに対して感謝の気持ちでいっぱいである。しかし、現役時の本人の精神的な負担は並大抵ではなかったことだろう。引退後は表舞台に立たずに伸び伸びと自分のための人生を送ってほしい。


身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ――反威力志向

前記事「必要にして十分」を読み返してみて、「そういえば、同じような主張を以前したかもしれない」と思い、過去の記事を探してみたのだが、見つからない。「下書き」を探しみたら、やっぱり以前、同じような記事を書いたのだが、結論が出なかったので、そのままお蔵入りにしていたのだった。このままお蔵入りにしてしまうのも惜しいので、「必要にして十分」と主張が重なるが、公開しておこうと思う。

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京都市のパンの消費量は日本一だということである。
プチメック

言われてみれば、京都には有名なパン屋があちこちにある。私の周りにもパンが好きで、新しい店ができるたびに、わざわざバス代を使ってまで食べに行くなんて人もいる(一人ではない。複数である)。

その中の一人、中年女性のDさんは細身で運動などには縁のない方で、2階への移動にもエレベーターを使うほど体力のない人なのに、職場から歩いて15分ほどの距離に有名なパン屋ができたと知るや、徒歩15分の労力をいとわず、早速仕事帰りにパンを買いに行ってきた。

「あそこの店のクロワッサン、めちゃおいしかった~」

翌日こんなことを嬉々として話してくれるのだが、私には理解できない。行列のできるパン屋かしらないが、なぜ運動嫌いのDさんが歩いていったのか。その有名なパン屋の食パン(一般的な神戸屋の食パンの倍以上した)というのをおすそわけにもらったのだが、たしかにおいしかった。しかし、私はDさんに問いたい、「どうしてそこまでして、おいしいものが食べたいのか」と。価格や量などが全く同じ条件で、おいしさ70点とおいしさ90点のものがあれば、私だって後者を選ぶ。しかしDさんが買ってきたパンはふつうのパンよりもはるかに高く、量は少ないのである。また、コンビニのパンがまずくて食べるのに難儀するというのなら、理解できないこともないが、コンビニのパンだってふつうにおいしいではないか。しかしDさんは「ふつうにおいしい」の上の「とてもおいしい」の上の「かなりおいしい」ぐらいでないと満足できない性質らしい。

「栄養があるから」

という理由なら納得できる。最近、身体の調子が悪いので、栄養のあるパンを食べると、調子がよくなるといのなら、私も毎日食べたいものだ。

「コストパフォーマンスに優れているから」
という理由も納得できる。昼ごはんに500~600円ほどのコンビニ弁当を食べるよりも、100円なり200円なり安いのならば、一か月ほどで、ラバーの1枚でも買える節約になるからだ。

「どうしてそこまでしておいしいパンを食べたいんですか?」
Dさんにそんな失礼な質問はとてもできないが、返ってくる答えはなんとなく見当がつく。

「おいしいからに決まってるじゃない! おいしいものを食べたいというのに何か理由が要るわけ?」

しかし、おいしいパンを食べるためにお金と手間をかけて、その対価が一瞬の快感というのではむなしいではないか。その快楽のために費やしたものを他のことに向けることができれば、もっと人生を豊かにしてくれるもの(たとえば卓球とか)との出会いもあったかもしれないのに…。

しかし、Dさんに言わせれば、ただボールを打ちあっているだけの卓球に入れ込んでいる私のほうがもっとむなしいのだろう。蓼食う虫も好き好き。結局はそういうことだというのは私だって分かっている。分かってはいるが、不可解である。

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絶好の打点で全力でドライブを決めた時の爽快感は何物にも代えがたい。

しかし考えてみると、なぜわれわれ卓球人はボールに威力を出すことにあれほどまでに心血を注ぐのだろうか。

われわれはともすると、「なぜ」という論理的な問いを後回しにして、「どうやって」という手続き的な問いを優先してしまいがちである。

高いラケットに高いラバーをあれこれ合わせてみて、ボールの威力の出る組合せを探ったり、接着剤の厚塗りをしてみたり、ラケットの側面にサイドバランサー(パワーテープ)を貼ってみたり、身体全体を使って力強く打球してみたり、はたまた筋トレなどをしてみたり。これらはいずれも「どうやって威力を出すか」という問いを追求した結果なのである。

Dさんに言わせれば、「草卓球レベルでそこまでして速くて重いボールを打つ必要なんてあるわけ?」となるだろう。

なにを言っているんだ。たとえ愛好家レベルの卓球においても威力のあるボールは絶対に必要である。これが打てなければこちらのドライブ等を相手に簡単に止められてしまい、勝てる試合も勝てなくなってしまうし、なんといっても打っていて爽快なのだから。

「私だって同じ条件で70点のボールと90点のボールが打てるなら、もちろん90点のボールのほうがいいと思うけど、90点のボールを打つためにミスが3割増えたり、打った後に体勢が崩れるんだったら、70点のボールでミスなく次のボールに素早く対応できた方がいいんじゃない?」

Dさんならそんなことを言いそうである。
もしかしたら、高い用具を買い、ミスが増える危険を冒し、体勢を崩しながらも、(私の出せる最大限の)90点の威力のあるボールを打つ必要なんてあるのだろうか。私が威力のあるボールを求めるのは結局のところ「打っていて爽快」という一瞬の快楽のためなのだろうか。

むしろ、積極的に威力を出さない卓球のほうが勝ちやすいのではないだろうか。

威力と早さと安定性を高いレベルで実現できている人なら、あえて威力を殺すような卓球をする必要はないが、私の場合は威力を求めることによって他のいろいろなことを犠牲にしてしまうのである。それならとりあえず威力を捨て、安定性と早い卓球を志向し、それができるようになってから威力を求めればいいのではないか。一度威力を全く考えない卓球というものを実践してみたらどうなるのだろうか。


必要にして十分――オジサン卓球から学ぶ

栃木youtuberのめしだ会長(前記事「俺たちのTリーグ」)の動画で、卓酔会の飯塚選手のプレーが紹介されていた。




めしだ氏が「師匠」と仰ぐほどだから、実力だけでなく、人間的にも立派な方なのだろう。

片面の日ペンだが、フォアドライブでガンガン攻めるタイプではなく、ロビング(というのか、フィッシュというのか)中心で、ときどきバックハンドをパシンと打つという戦型のようである。

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動画をみると、飯塚氏は試合を通じてなんともゆったりした卓球をしている。実戦とは思えない。まるで戯れているような卓球である。若い人の攻撃的な卓球を見慣れている目からすると、ゆっくりしたボールが主体の飯塚氏は、一見、あまり強くないのではないか?と思われるかもしれないが、めしだ氏がちっとも攻撃させてもらえないところをみると、飯塚氏は相当上手なのではないかと思われる。凡ミスが非常に少なく、めしだ氏がどんなボールを打っても、強いボールではないものの、それなりの返球をしてくる。打ち抜かれることが少ない。しかもコントロールがよく、台の深いところにボールが入ってくる。めしだ氏が強く打てないところをみると、サーブもロビングも見た目よりもずっと強い回転がかかっているのだろう。

こういう卓球を見ていると、私は何か大きな勘違いをしているのではないかという気がしてくる。私が目下取り組んでいることといえば、フットワークの向上、両ハンドのドライブ強化である。しかし、おそらく現状でも私のドライブは飯塚氏のドライブやバックハンドにスピードも回転も劣らないのではないかと思う。それどころか、もしかしたら私のショットのほうが威力があるかもしれない。フットワークでも私のほうがまだ動けているのではないかと思う。しかし、私がもし飯塚氏と対戦したら、まったく勝負にならずストレート負けを喫することだろう。

となると、もうこれ以上両ハンドの威力を追い求める必要はないのではないか。若い人のフットワークにあこがれて、必死でフットワーク練習をすることもないのではないか。オジサン卓球のレベルなら、現状で必要にして十分な球威があるわけで、私が今すべきことはもっとボールに回転をかけられるようなタッチの習得と、コントロールの向上、レシーブやブロックの安定性なのではないか。

そんなことを考えさせられる動画だった。

低いは正義!…か

「力は正義!」とか「かわいい(イケメン)は正義!」とか、そんな言葉があるが、卓球においてはどうだろう。

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卓球界のイケメンとして名高い櫻井コーチ

私は「低いは正義!」だと思っていた、最近までは。

ツッツキは言うに及ばず、ドライブもブロックも低いのがいいに決まっている。

*************

最近こんなことがあった。

ゲーム練習でこちらから相手のバック深くに低くて速い順回転横下ロングサーブを出してみた。全力のスピードで出したので、相手は案の定強く打てない。角度を合わせてツッツキ気味に返してくれればこちらの思うつぼである。バックドライブで待ち構えていて、強打し、完全にこちらが主導権を握ることができる。しかし、相手のFさんはバックへのロングサーブをバックドライブでこちらのバック側に返球してきたのだ。といっても速いロングサーブである。あちらがカウンター気味にバックドライブ強打を打つのはリスクが高い。そこでFさんはチョリっと山なりにゆっくりしたバックドライブで応じてきたのである。ツッツキよりはスピードがあるが、スピードが遅く、打ちごろのボールである。こうなると、こちらのバックドライブ強打でほぼ決まるはずのボールだった。が、私のバックドライブは空振り。相手のボールの伸びが激しく、頂点付近でグンと伸びてきたのだ。

「落ち着いてタイミングを合わせなきゃ」

次のサーブも同じようにバックへのロングサーブ。Fさんは強く打てず、やはり同じようにバックでチョリッとドライブをかけてくる。今度こそ決めてやる!しかし今度はラケットに当たったものの、オーバーミス。

なんだかイヤなボールだなぁ。スピードも遅いし、弾道も高いし、打てないはずはないのだが。

その後も何度も同じ展開になるが、私はミスが多く、なかなか気持ちよく強打できない。そしてゲームが終わるころにようやく気付いた。Fさんはエンドラインの白線を狙ってゆっくりとした高いドライブを送ってくるのだと。

こちらもサーブでギリギリまで深いところを狙っているのだが、あちらもレシーブでギリギリまで深いところを狙っていたのだ。こうなると、ふだんの立ち位置ではつまってしまい、いいボールが打てない。それに加えてFさんのバックドライブは私の胸ぐらいの高さでゆっくりと飛んでくる。これをバックドライブのカウンターで狙うと、(比較的)低くて深いボールよりもさらに詰まりやすくなる。

低さ一辺倒ではなく、時には高いボールでも深くさえあれば、効果があるんだなぁ。というか、私がもう半歩後ろに下がって待てばよかっただけの話か。

また一つ勉強になった。

思ふどちして戯れむ

久しぶりに卓球台の前に立ち、気心の知れた相手とボールを打ち始めるとき。

相手と近況や世間話をしながら徐にボールを打ち始める。

といっても試合の前の3本の練習のようにガシガシと打つのではなく、じゃれ合っているようなボールである。親しい相手なので、私はフォア打ちもせず、いきなり短い逆振り子サーブを出してみる。ボールの軌道は高く、ポテンポテンと弾んでいく。相手はバックハンドでパシンと払うこともできるのだが、あえて角度を合わせただけの返球をする。返るボールはふわーッと高い。私はゆっくりと回り込んで、おどけた大げさな大きなフォームで軽くバック側へループドライブ。相手はブロックでフォア側へ。私はそれをまたゆるいループで返球すると、今度は「これはどうかな?」とばかりに私のバック側へブロックを送る…。

練習でらしい練習が始まる前のこういうゆるいラリーが好きだ。こういうラリーは延々といつまでも続けることができる。
buriki

音楽にたとえれば、R&Bというのだろうか、ユニクロなんかで流れている、落ち着いた曲のイメージである。こういうときは身体全体の力が抜けている。足取りが軽い。普段の私はフロアに根が生えたように足が動かないのに、こういうときは自ずと足が動き出す。練習って本来こういうふうにやるのではないだろうか。

「フォア前にショートサービスをください。それをフリックでフォア側に払いますから、そこから全面で」

などとコースをある程度指定して練習するときにはフリックから0.1秒でも早く後方に移動して、厳しいボールを打とうと必死になってしまい、足がなかなか動かない。

ラケットは前に振らない、横か上に振る。

これが私が最近心がけていることである。こうするとボールが飛ばず、ボールがラバーに引っかかって安定するし、ボールのスピードも遅いから足も動きやすい。速いボールでの練習は足が動くようになってからでいい。

ただ、こういう練習は同じ意識の人でないと成り立たない。私はゆっくりしたラリーが練習になると思っているけれど、相手によっては速いボールでパシパシ打ち合うことこそが練習になると思っているかもしれないからだ。

buriki


いろいろなタイプの人と打つと練習になるというのも真理だと思うが、気心の知れた同士でじゃれ合うような練習をするのもいい練習だと思う。


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