多くの卓球人がそうであるように、私も毎日毎日youtubeの卓球動画を見てしまっていた。

次から次へとおもしろそうな動画がアップされていて、知らなかったことや、考えを改めさせられることなども多く、役に立つ。知識も広がる。しかし、その知識に振り回されてばかりで、自分でゆっくり卓球について考える時間がなくなってしまう。

ああ、この感覚を私は知っている。

スーパーに行って惣菜が安いと、翌日食べきれないほど買い込んでしまったり、ユニクロやGUがセールをやっていると、すでにタンスがいっぱいなのに、必要のない服を大量に買いこんでしまったりしたときの感覚である。卓球用具でも同様のことをしているのは言うまでもない。このように次から次にモノを買っていくと、モノを使うよりも買うことのほうが目的になってしまい、服を着たり、用具を使ったりするのはどうでもよくなってしまう。

今までの経験から、こういうものは単に冷蔵庫や部屋のスペースを圧迫するだけで、いずれ処分しなければならなくなるのは分かり切っている。

知識も同様である。

興味を広げ、いろいろな知識をため込んでも、いずれ脳のメモリが破綻する。結局残るのは、どうしても知りたい1つか2つのことだけで、それ以外の知識は、本当に知ろうとしていることをジャマするノイズにさえなってしまうのだ。

これではイカンと思ってyoutubeの卓球動画を見るのをやめてみようと思ったが、やっぱりつい見てしまうので、せめて見るのは週末だけにして、平日は見ないように決めた。知識を溜め込むのを断つという意味で、「断識(だんじき)」である。

世間では健康目的の断食が行われていると聞く。曰く、体をリセットする、老廃物が排出される、胃腸が強くなる、痩せられる、頭が冴える…等の効果があるらしい。心身の病気は、食生活が原因になる場合が多い。同様に脳の発達も入ってくる情報に左右されるはずである。「断識」にはどんな効果が認められるだろうか。

・1日目
禁断症状とでもいうべきものは特に認められなかった。youtubeは、なければないで特に困ることはない。別に依存症というわけではないらしい。
生活のことや仕事のことなど、あれこれ考えるべきことが多いので、慢性的に頭痛を持っているのだが、youtubeを見なかったおかげで頭痛がマシになったように感じる。時間的な余裕ができて、何かに追い立てられるような不安も軽減された。

そこで自分の卓球を振り返ってみる。
「先週、Kさんと試合をして2週連続で負けたのはなぜだろうか」
「レシーブで中途半端に払ったり、つっついてしまったりするのがよくないのかもしれない。ストップか、払うにしてももっと工夫しないとダメだろう」

・2日目
ときどき手持無沙汰な瞬間が訪れる。こういう隙間時間にyoutubeを見ていたのだが、見ないようにしたので、他のことをしてみる。
「部屋の片づけでもしてみよう…。エッこんなシャツ持ってたっけ?シャツやら短パンやら、未開封のものが20点近く出てきた。そういえばこのラケット、ほとんど使わず、ラバーを貼ったまま3年ぐらい放置しあるぞ。接着層は大丈夫だろうか。早く使わなきゃ、次にラバーを剥がすときが心配だ。」
本来、隙間時間にやるべき身の回りのことを後回しにしていたことに気づかされた。

・3日目
ちょっとやることがなくなったときに、昔撮った自分のプレーの動画を見てみる。
「一つ一つのアクションが遅い。ボールを打ってからすぐ次の動作に移らなければならないのに、打った後、少し止まっている。敏捷性のかけらもない。それでいてボールだけは速いボールを打とうとがんばっているのだから笑止なことである。あんな大振りでドライブを打ったところで力が分散するだけなのに。」
時間があるのでもう一度見てみる。
「あ、ここ、後ろに下がりながら打ってる。こういうプレーをすると、次のアクションに移るとき、大きく時間をロスしてしまうんだよな。」
なんだか自分の反省点がいろいろ見えてくる。
もう一度見てみよう。

・4日目以降
youtubeを見ない代わりに卓球ショップのサイトやらメルカリやらを見てしまう。もう用具は使いきれないほどあるのに。これも見ないようにしたほうがいいな。

週末にyoutubeの卓球動画を見てみよう。おもしろそうなものがいろいろあるだろうから、本当に興味のある動画だけを厳選してみることにしよう。

約5日間、断識してみたが、youtubeがなければないで困ることはなく、時間的なゆとりが生まれて精神的に充実していた。

振り返ってyoutube卓球動画とは何か考えてみた。

youtube卓球動画というのは、いわば、テーマパークのようなものではないだろうか。
プロの試合動画を見せてくれたり、プロの指導者、上級者のユーチューバーが手を変え品を変え、私たちを飽きさせないようにいろいろなものを見せてくれる。そこで私たちの普段の卓球環境では見られないような非日常の卓球を見ることができる。youtubeでしか得られない知識もあるし、平凡な毎日にちょっとした刺激を与えて、私たちの目先を変えてくれるという効果もある。しかし、それは「見せてもらう」という性格のものである。基本的に私たちは参加できず、あくまで観客に過ぎない。ただ何かおもしろいことが起こるまで待っているだけである。

一方、私の日常の卓球というのは、いわば山登りである。山を前にしてただ待っていても、山は私たちに何かおもしろいものを見せてくれるわけではない。おもしろいものがなければ、自分で見つけなければならない。まず自分が登らなければ何も始まらないのである。
重い荷物をもって、山道を歩き、多くの不便をクリアして頂上まで到達する。昼ご飯を食べ、道端の草木に目を落とし、古の人たちの見た風景を私たちも見る。ただそれだけである。誰かがコメントしてくれたり、説明してくれたりすることもない(ガイド的な人がいれば別だが)。すごい大発見や、今までにない出会い、びっくりするような演出もない。すべてが想定内である。が、それでも楽しい。誰かに「してもらう」ではなく、自分で「する」余地があるからである。
trail

いつか「京都一周トレイル」を踏破してみたい。

ふだんの卓球環境は「山登り」である。自分で施設を予約したり、相手を探したり、いろいろめんどくさいことがある。家で寝転がって待っていても、卓球ができるわけではない。
そうやってある時間に卓球できることになっても、何か特別なことが起こるわけでもない。普段通りの卓球の練習である。しかし、本当に何も起こっていないのだろうか?実は練習中にその「何か」がひょっこり顔を出したりしているのではないか。よく注意していなければ気づくこともないが、「絶対何かがあるはずだ」という意識で探してみると、ふだんの練習中に案外いろいろな「何か」が起こっていることに気づく。卓球は、これだからおもしろい。

youtube卓球動画を見るのも、このブログを読むのも、結局は観客であるに過ぎない。
知識はため込むものではなく、自分の卓球のために使うものである。
消化しきれないほど多くの知識をため込んでも使いきれない。
考える材料は、ほどほどがいい。それを使って自分の卓球を「する」(考えることも含めて)のが一番おもしろい。

【追記】
あとで思ったのだが、youtubeは間食に似ている。