前記事「卓球写真コンテスト」で写真の良し悪しというものについて初めて考えてみた。
いい卓球の写真というのはどういうものなのだろうか?
おそらく評価基準は一つではないだろう。たとえば

・選手の個性や感情を表しえているような写真
・場面のドラマや雰囲気を見事に演出している写真
・被写体の美しさ等を存分に表現している写真

こんな基準を考えてみたが、おそらくもっと他の基準もあるに違いない。

世間では絵画の展覧会などに多くの人がつめかけるが、世の絵画好きの人はいったいどういう基準で絵を鑑賞しているのだろう?

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卓球情報サイト「ラリーズ」で非常におもしろいインタビューがあった。
元全日本ダブルスチャンピオンの野平直孝氏が東京で餃子屋さんを経営しているというのだ。

野平直孝氏は、私がちょうど卓球を休んでいたときに活躍していた選手なので、どんな活躍をしていたのか、あまり存じ上げないが、卓球の元トップ選手がどうして餃子屋さん?

記事によると、氏はもともと食に強い関心を持っていて、引退後のセカンドキャリアは飲食店と心に決めていたらしい。そしてラーメン屋で修業をしながらあちこちの評判の店を食べ歩き、自身の店のイメージを膨らませていったのだという。その過程で飲食店の経営というのは意外なことに卓球の経験が活かせる部分が少なくないということに気づくのである。

「… さぞおいしいんだろうなと思ってもつ煮込みを頼むと普通なんですよ(笑)。…『うまいものを作ったら勝てる』ではなく、居心地いいお店を作るほうが料理の味より重要なんじゃないかって気づいたんです」
「これって、卓球と同じですよね。フットワークが良くなければ勝てないわけじゃないし、逆にスマッシュが凄いのに勝てない選手もいる。自分ができることで上手に勝ちを目指すのが卓球です。」



飲食店経営と卓球の戦術の共通性。なんと意外な組み合わせ!野平氏は頭のいい人だなぁと感心させられた。

そういえば…

最近読んだ『ハーバードの日本人論』という本の中でメディア論の先生が黒澤明と小津安二郎について語っていたのを思い出した。

黒澤の映画を、二度、三度と繰り返して見れば、一つひとつのシーンの空気感を伝えるために黒澤が何を企てているかがわかってきます。カメラの使い方、俳優の動きから、風の効果まで、計算しつくされています。
黒澤映画の画面の中に写っているものには、すべて意味があります。どんな小さなものでもです。その一つひとつの意味を学生に伝えると「映画が芸術だというのはこういうことだったのか」「これが映画制作の本質だったのか」と皆、感嘆します。

そうだったのか。黒澤明の映画を見たことがあるけれど、だいたいのストーリーしか見ていなかった。そういえば、同じことが卓球にも言えるのではないか?

トップ選手は決して行きあたりばったりでプレーしない。常に何かを「企てている」し、すべてのショットには意味がある。一見、なにげなく返したレシーブも、実は4球目、6球目のための布石になっていたり、ちょっとしたサービス前のしぐさにも何らかの狙いがあったりするものである(たぶん)

私は卓球のトップ選手の試合を見ると、「ドライブ速い!」などと、派手なところばかりに目が行ってしまう。しかしそれは映画で言うと、「意外なストーリ展開にハラハラドキドキした」というのと同じ視点だろう。それが悪いということではないが、派手な強打だけでなく、ポイントを構成しているラリー全体の一つ一つのショットの意図まで味わわなければもったいない。トップ選手のプレーの1打1打は「計算しつくされて」いて、「すべて意味があ」るのだから。

そう考えてみると、強打がすごい選手の試合よりも、そんなに速いボールを打っているわけではないのになぜか強い加藤美憂選手のような選手の試合は鑑賞し甲斐があるだろう(前記事「加藤美優選手の不思議な強さ」)。

今年のGWは自分で卓球ができず、試合動画などを見る機会が多い。これからはトップ選手の決定打の前の台上のやりとりや体の使い方にも注目してみれば、自分のプレーにも何か参考になるかもしれない。

gokui
機会があればこの本を読んでみたい。

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ちなみに小津安二郎は撮影手法の独自性ということで評価されているようである。

小津の映画を初めて見た人は、「これは典型的な日本映画だ」とか「とても日本的な映画だ」と思うでしょう。…しかしながら映画の表現方法という点から見ると、彼の作品は決して「日本的」ではありません。

おそらく世界中探しても、小津と同じような手法を使っている映画監督はいないと思います。…俳優を正面から撮影したバストショットがたくさん出てくることに気づくでしょう。俳優の視線はカメラ目線ではなく、微妙にずれたところにあり、会話の相手を見ているのか、どこを見ているのかさっぱり分かりません。このような撮影方法は小津映画独自のものです。