以下、卓球に関係ない私の独り言である。
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F先生が亡くなったらしい。
F先生は私がお世話になった先生であるが、まだ60代前半の、研究者としては脂の乗りきった時期だっただけに少なからずショックを受けた。そういえば、去年体調を崩したので、非常勤先を一つ断ったと言っていたっけ。

F先生が亡くなって、私は悲しいとは感じなかった。むしろあっぱれな人生だと羨ましくさえ思った。

F先生とは10数年の短い付き合いにすぎなかったが、ふりかえってみると、先生は今どき珍しい研究者らしい研究者だったと思う。

出会ったばかりの頃、先生にこんなことを聞いてみたことがある。

「先生はどうして結婚なさらないんですか?先生ほど優秀な方なら、縁談がいくらでもあるでしょうに。」

「家庭を持つと、どうしてもそれに振り回されて研究の時間が削られてしまうから。私は独りのほうが気楽でいいんですよ。」

「先生は主要学会の長を務めていてもおかしくないと思うんですが、どうして学会の主流たちから距離を置いてはるんですか?」

「学会なんて、同窓会みたいな馴れ合いの場で、雑用も多いし、研究に益することも少ない。私にはそんな暇はないんですよ。」

もちろん、これはF先生の価値観であって、いろいろ反論もあるだろう。しかし、F先生はこのような主張をしても負け惜しみに聞こえないぐらい優れた研究を残していた。が、学会の主流からは離れていたので、それほど有名ではなく世間的な評価は「名前は聞いたことがあるけど…」という感じだっただろう。

先生のすごいところは50代になっても

「月末に論文の締切が3つあって、1つは伸ばしてもらったけれど、どうしてもあと2つ書かなければならないんだ。」

などといって、月に2回ぐらいは徹夜で論文を書いていたことである。ふつうの大学の先生は、40代ぐらいまでは必死で研究論文を書いたりするが、50代になると、一息ついて、自分の研究はそこそこにして、学生の指導をしたり、大学での管理職的な仕事をしたりして、あまりガツガツしていないものだが、F先生は50代になっても丸くならなかった。「あんなくだらない論文、粉砕してやる!」と学会の著名な先生に論戦をふっかけたりしていた。

よく先生はおっしゃっていた。

「こっちは命を削って論文を書いてるんだ!」

はたからみて、いつか本当に体を壊すだろうと思えるような超人的な仕事ぶりだった。

私はF先生と特に親しかったわけではない。F先生の中では、私などは知り合いに毛が生えた程度の存在だったにちがいない。しかし、私は先生に対して畏敬の念を抱いていた。好きだったわけではないが、尊敬していた。

そんな研究一筋のF先生がギラギラしたままで、弱みを見せることもなく、あっという間に世を去ってしまったのだ。こんな人生って実際にあるんだなぁ。まるでドラマのようである。その生きようはあっぱれだったとしか言いようがない。

ふりかえって自分の人生はどうなんだろう?

何かに挑戦しているわけでもなく、あちこちに寄り道しながら安穏と過ごしている。これからもこんな人生がムダに長く続くのだろう。卓球という生きがいはあるが、F先生のように命を削って極めるというほどの熱意もない。

F先生の人生に思いを馳せて、自分の人生がいかに輝いていないかがよく分かった。しかし、こんな人生も悪くない。卓球ができて楽しいし、なんとか生活もできている。

こんな平凡な人生も、あと20~30年ほどで終わってしまうんだなぁ。20年前というと、1999年か。つい最近じゃないか。これからの20年もあっという間に過ぎ去ってしまうんだろうなぁ。

人生は長いようで短い。