サッカーで自軍のキーパーがボールを敵の陣地に向かって大きく蹴り上げたとき、そのボールを追いかけて全力で走るというのはサッカー選手にとってふつうのことだろう(たぶん)。ボールを敵に奪われたくないからである。

ロングキック

卓球ではどうだろうか。

「バック側に来たボールを回り込むのはリスクがあるから、バックハンドで打とう」

「台から離れると、ストップされるから、あまり下がらないでおこう」

私は足を使うことに消極的である。なんとかして足を使わずに済む方にばかり考えを巡らせてしまう。省エネ? そのセーブしたエネルギーを私は一体どこに使うというのか。試合が終わっても体力は十分すぎるほどに残っている。プロの選手のように台の端から端まで何メートルも連続で素早く動くというわけではない。回り込みの数10センチ、バック側からフォア側までの2~3メートルを1回だけ。このぐらいなら中年でもなんとか動ける範囲ではないだろうか。その労力をどういうわけか私は惜しむ。

「相手のサーブがバック側に来た。台から出そうだ。間に合わないかもしれないが、全力で回り込んでみよう。」

「相手のレシーブはストップかもしれない。あるいはチキータで打ってくるかもしれない。前に出るか、後ろに下がるか、どっちだ?その判断は一瞬だ。短距離走の選手がスタートの合図と同時に全力で走り出すのといっしょだ。」

1球ごとにこんなふうに感覚を研ぎ澄ませ、判断が下されると同時に前後左右にダッシュする。こんな卓球をしていたら、1試合でクタクタに疲れてしまうだろう。しかし、スポーツというのは本来そういうものじゃないだろうか。そのぐらい全力で取り組んでこそ清々しい達成感を味わうことができるのだ。1試合終わって、大して汗もかかないというのでは卓球の楽しさも半減だろう。

回り込んではみたものの、間に合わず不自然な姿勢で棒球を送ってしまった。こういう経験から私は「なんとかして回り込まずに済ませたい」と思うようになったのだろう。しかし、こぼれ球を追って、必死で走ってみたものの、奪取できずに敵にボールを奪われてしまったサッカー選手が「全力で走って損した。これからは、こぼれ球を取りに行くのはよそう」などと考えるだろうか。スポーツというのは何度失敗してもあきらめずに全力で走りまわってボールを追いかけるものではないか。

そう考えると、私はなんとつまらない卓球をしてきたことよ。卓球は手よりもむしろ、足をよく使うスポーツだったのだ。

山中教子氏も言っていたではないか、「ちゃんとボールのところまで体を運んで、タイミングを合わせて、しっかり入るように自分の体で打てばいい」と(前記事「動作の楽しみ」)。ちゃんと足を使って動くことが卓球の前提なのである。

よし、これからは「足惜しみ」をせず、一瞬一瞬、全力で足を使うぞ!

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そのような覚悟で先日の練習に臨んだのだが、現実はやはり厳しかった。

相手のサービスが台から出るか出ないかを少しでも早く察知し、2球目で回り込んでドライブをかける、3球目も同様に台から出るか出ないかに神経を集中し、回り込みなり、バックドライブなりで先手を取るという卓球をしてみたところ、50~60%ぐらいの確率でうまく先手がとれ、いい展開になった。しかし、1ゲームを終わった頃には集中力が切れ、足も重くなってきた。

1試合でクタクタになるどころか、1ゲームでクタクタだ。こういう卓球でこそ「省エネ」をすべきだったのだ。相手のサーブを2球目で全部回り込むつもりで待つのは体力的に厳しい。そこで相手のサーブの2本のうちの1本は回り込むつもりで待つ――つまり、足を使うのを惜しむのではなく、攻撃的な姿勢を間引くことにしたのである。3球目も2本に1本は無理をせず、ツッツキなどを厳しく送って相手に軽く打たせて、カウンターを狙うようにする。これでうまくいくかどうかまだ検証中だが、そのうち判断が早くなれば、体力への負担も減り、ほどほどに「エコ」な卓球になるのではないかと思われる。