フットワーク練習がしたい。
卓球上達に欠かせないと言われるフットワーク練習。まだほとんど続かないが、数か月も取り組めば、きっと20~30往復ぐらいラリーが続くようになるに違いない。そしてそのころには体の動きが俊敏になり、卓球も大いに上達していることだろう。しかし、フットワーク練習には上手にブロックしてくれる練習相手が必要である。台の2/3の3点にブロックできちっとボールを回せる人は私の周りにはあまり多くない…。
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前記事「卓球の番組小学校」のことを思い出して、ふと

「そういえば、山中教子さんも京都のご出身だったなぁ。どこの小学校だったのだろう」

と気になって、『卓球王国』18年12月号を引っ張り出してきた。この号の「伝説のプレーヤーたち」で山中氏が取り上げられていたのだ。

yamanaka noriko
当時、美人選手として有名だった山中氏

上京区の室町小学校のご出身だということが分かった。室町小学校は上京第六番組、第七番組、第十三番組を起源に持つらしい。同志社大学を少し北に上がった辺りだ。

なんとなく山中氏の記事を読み進めていく。その後、御所の西にある上京中学に進学し、卓球部に入部したという。中学の顧問の先生は厳しく、新入生は球拾いばかり。拾ったボールを先輩に渡すやり方がまずいと、野球のノックのように球拾いの練習までさせられた。

しかし、それから山中は少しずつ、ボールを拾っては先輩たちにタイミング良く、さっとボールを渡すのが楽しくなってきた。

退屈なボール拾いにも、動作の楽しみを見出すその感性。

「動作の楽しみ」…。そうか!体を動かすというのは楽しいことだったんだなぁ。

目からうろこが落ちる思いだった。
私はランニングとか、ウェイトトレーニングとかが大嫌いである。なぜなら退屈だからである。一方で台に着いてボールを打つ練習は大好きである。なぜなら楽しいからである。しかし、よく考えてみると、台に着かない練習というのは楽しくないのだろうか。ランニングだって足だけでなく、腕も腰も動かす。それは卓球の動きにも重なるものである。台に着いてボールを打っているとき、私は足をどれだけ動かしているというのか。上半身を動かすばかりで下半身は申し訳程度にしか動かしていないではないか。「フットワーク練習がなかなかできない」などと、かこっているが、ボールを打ちながら足を動かすのは楽しいけれど、ボールを打たないで足を動かすのは退屈だというのだろうか。どちらも「動作の楽しみ」という点からみれば、大差ない。自分の思った通りに素早く、無駄なく、体の各部を有機的に動かすことが退屈なわけがない。そう考えると、日常の動作でも楽しくなってくる。

テーブルの端にある醤油を取って席に戻ってくるのだって、考えようによっては楽しいことである。駅まで歩くのだって、階段を上るのだって楽しい。すべての動作に卓球の動きをイメージして、重ねてみれば、日常の単純な動作でも楽しくなってくるではないか。

「だって卓球って、そんなに複雑じゃないでしょう。単調ではないけれど、複雑ではない。ちゃんとボールのところまで体を運んで、タイミングを合わせて、しっかり入るように自分の体で打てばいい」

スイングの角度がどうとか、体重移動がどうとか、それ以前に「ボールのところまで体を運」ぶというのが私にはできていない。そして体を運ぶという動作はランニングの中に豊かに含まれている。またウェイトトレーニングの中にはボールを「体で打」つという動作が含まれている。

ボールを拾いに行くのだって立派な練習だ。最近はボールを豊富に使い、いちいちボールを取りに行くことは少ないが、ボールを拾いにいく動作はフットワーク練習に重なるものがある。めんどくさいと思いながら、だらだらと拾いに行くのではなく、フットワーク練習だと思ってボールを拾いに行けば、それも楽しみになる。

山中は近所の堀川通りをランニングするときの姿勢でさえ、前へ無駄なく進みながら故障をしない走り方を研究し、「きれいに走る」ことを心がけた。プレーするうえでは、より早く、もっと強く、自分の体がよく動いて、そこにラケットを持たせたら良いボールが出る。体の使い方を工夫することは、山中にとっては勝利以上に魅力的なものだった。

そういえば、以前「常住卓球」という記事でも同じような主張をしたことを思い出した。が、大切なことなので繰り返し記しておきたい。