お盆休みで練習も休み。卓球ができない。あ~せっかく先週つかんだ感覚を忘れてしまう…。

しかたがないので、帰省がてら旅行に行ってきた。行き先は横浜、横須賀である。

東京で卓球教室の個人レッスンを受けるというのも考えたのだが、ペン両面のコーチというのがかなり限られている。青春MIクラブの伴誠也コーチ、TOM卓球倶楽部の見目剛廣コーチなどが有名だが、予約をとったり、スケジュールを調べたりするのがおっくうで、今回は完全に卓球なしの旅行になってしまった。日本各地の卓球教室の情報にアクセスできる「食べログ」のようなサイトがあればと強く思った。

以下、私の観光の記録である。卓球は出てこない。神奈川観光を考えている人の参考にでもなればと思う。
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まず新横浜駅で降りて、浦賀を目指す。
浦賀というのはペリーが上陸したことで有名だが、あまり話題に上らない。どんなところか見てみたかった。

横浜駅で京急に乗り換え、浦賀駅に到着。
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なんだか思ったより鄙びた感じだった。ちょっと歩いていくと、海が見え、浦賀ドック(の跡)という入り江があった。
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このあたりに黒船がやってきたのだろうか。

そしてしばらく歩くと、どうやら「ペリー公園」という公園があり、そこに黒船関係の記念館があるということがわかる。ペリーが初めて上陸したのはこのペリー公園のある久里浜という海岸らしいのだが、そこまで4キロもある。浦賀駅ではなく、むしろ久里浜駅で降りたほうがよかったようだ。

ペリー公園を目指して海沿いの道を歩く。風光明媚なところであるが、日差しがきつい。途中のコンビニで休息を取り、丘を上り、トンネルを抜けると、そこが久里浜だった。

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こぢんまりした砂浜があり、大きな観光船が行き来している。家族連れなども来ていて、海水浴もできるようだ。あまり混んでいなかった。

そのすぐ近くにペリー公園があった。
ペリー公園

ただの公園なのだが、一角にペリー記念館がある。入場無料である。そのなかのジオラマがとてもよくできていて、在りし日を偲ばせてくれた。館内の説明も簡にして要を得ており、勉強になった。

それから京急久里浜駅まで歩く。少し距離があった。駅前は浦賀駅よりもずっとにぎやかだった。浦賀駅ではなく、久里浜駅で降るべきだったかとはじめは思ったが、浦賀駅から自分の足で久里浜まで歩いて、実際の距離感を知ることができたので、やはり浦賀で降りてよかった。

京急に乗って汐入という駅で降りる。どぶ板通りを歩く。昼間なので、あまり人が多くない。ハンバーガーの店があちこちにあるが、そのハンバーガーが1個1000円以上する特大サイズなので驚いた。米軍の払い下げ品なども売っていたが、横須賀といえばスカジャン。ちょっと興味があって店に入ってみたが、1着2~3万円もするので、すごすごと立ち去った。

どぶ板通り

どぶ板通りを抜けて、北東に向かうと三笠公園がある。
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はじめは行き方がわからず迷ってしまい、近くのコンビニで道を聞いたところ、米軍基地の入り口を横に抜ける道があり、そこから三笠公園に行けるのだった。

東郷平八郎率いる連合艦隊が日本海海戦で歴史的な勝利を収めた時の旗艦「三笠」。その実際の戦艦を保存したのがこの三笠公園である。
三笠

ガイドさんの説明を聞きながら、日露戦争の往時に思いを馳せた。館内にはVRで日本海海戦を体験できる設備があり、試してみたが、おもしろかった。

近くの無人島、猿島に行く船があったが、疲れ果ててしまったので、また次の機会に訪れるとしよう。近代の歴史を満喫して、満足な一日だった。

その晩はホテルで一泊し、翌朝、横浜の金沢文庫を訪れることにした。

ホテルはシーサイドラインという路線の沿線だったので、「海の公園柴口」という駅から称名寺まで歩く。この「海の公園」というところへは行かなかったが、海水浴に適しているようだった。近くには八景島という水族館のようなテーマパークもあって、家族連れで楽しめそうだった。

称名寺

称名寺は小綺麗にしてはあったが、往時のさびれた寺の風情も遺していて好感が持てた。周りに店などもほとんどない閑静な住宅地の中にある。こんな場所に住んでみたいなぁ。

仁王様
山門の仁王様

境内の端にある隧道を抜けると、
隧道

金沢文庫があった。
金沢文庫

古い資料などを見ると、よく「金沢文庫本」などと記してあるので、どんなところか見てみたかったのだ。中に入ると、思ったよりも小さく、展示も漢籍に偏っており、専門家でもなければあまり楽しめない雰囲気。学芸員さんに所蔵の資料について尋ねてみた。

学「中世期に資料を保存しているところというのが、そもそも貴重だったので、金沢文庫には非常に価値の高い善本が集まっていたんです。そして金沢文庫というのが一つのブランドになってしまい、金沢文庫の所蔵印が押してあればそれだけで価値が上がるという風潮になってしまいました。」

学「その後、北条氏の力がなくなると、金沢文庫の管理をする人がいなくなり、隣の称名寺が管理することになったのですが、戦国時代に力のある大名たちが金沢文庫から価値の高い資料を持ち出してしまい、全国各地に流出してしまったんです。」

し「というと、今現在金沢文庫に残っているのは、保存状態が悪くて、大名が持ち出そうとしなかった本ばかりということですか?」

学「う~ん…。」(一概に言えないらしい)

し「関東には足利学校もありますが、足利学校との交流なんかもあったんでしょうか?」

学「足利学校も金沢文庫から本をごっそり持ち出したんですよ。」

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細かいところでは覚え違いもあるかもしれないが、だいたい上記のような説明だった。細川幽斎の古今伝授の例もあることだし、戦国時代に地方の侍が稀覯本に群がったのは容易に想像できる。金沢文庫というのはブランドとしては一流だが、かつての輝きをほとんど失ってしまったようだ。といっても、国宝に指定された資料がまだ数多く残っている。

以上、一昨年に続き(「鎌倉散歩」)、今回、神奈川県を訪れたわけだが、神奈川県は観光地として非常に魅力的である。卓球教室などが充実していれば、改めて神奈川県を訪れてみたい。