保育園で子供たちがいっしょに遊んでいるすぐ横で、一人、熱心におもちゃで遊んでいる子供がいる。
もし自分の子がこんなふうにみんなの輪に入らず、一人遊びをしていたら、親としては心配にならないだろうか。

「うちの子は協調性がない」

「はみご(仲間外れ)にされているのではないか」

孤独力

しかし、こういう行為は子供の発達に必要不可欠なステップなのだという(『「友だちいない」は“恥ずかしい”のか』より)。なぜなら、子供というものは何かに取り組んで、うまく行かないとすぐに飽きて、投げ出してしまうものである。だが、あるとき、どうしても気になることがあり――たとえばパズルをどうしても完成させられない、3つぐらいのはまらないピースができてしまうといった場合、いつもなら飽きて投げ出してしまうところを、どうしても完成させたいと、友達の輪にも加わらず、一人で黙々といろいろな可能性を試してみる。何度もやりかけのパズルを壊して、やり直してみたり、細部に注目して、自分がミスを犯していないか一つ一つ点検してみたり。こんな時の集中力は大人顔負けである。試行錯誤の末についにパズルを完成させたとき、その子は階段を一つ上がり、幼児から児童へと近づいていく。

みんなといっしょだと、どうしても集中できないことがある。一人になって自分と向き合い、じっくり考えてみるということは、子供にはもちろん、大人にも必要な時間である。といっても、一人になれば自分に向き合えるというわけではない。最近は情報が手軽に手に入りすぎて、一人になっても、自分に向き合える時間が少なくなっている。一人になってツイッターやyoutube を見ているならば、それは自分に向き合っているとは言いがたい。周りに人がいてもケータイを片時も手放せない若者も少なくない(「スマホは負け組の吹き溜まり」)。

自分の卓球が行き詰まっているとき、情報を遮断して一人卓球についてじっくり考えてみるのが案外上達の捷径なのかもしれない。

自分のプレーがうまくいかないときは、ひとつ前に自分が送ったボールに原因があるということを私はダブルスから学んだ。

自分に攻撃がうまくいかないなら、攻撃の前の台上に問題があるはずである。

今までなら、できるだけ多くの球を打ち、体で覚えるというやり方によって問題を解決しようとしていたが、最近は実際にボールを打たなくても、上手な人のプレーを観察しつつ、自分のプレーとどう違うのかを考えられるようになった。これもある意味成長なのかなと思う。

明日は全日本卓球選手権の最終日である。去年はいろいろな事情で見に行けなかったが、今年は見に行けそうだ。一番良い席――アリーナ席を確保してある。9時開場で10時に競技スタート。9時からは選手たちの練習を間近で見ることができるだろうか。10時から女子の準決勝である。

今年の全日本も波乱があった。

まさか丹羽選手が戸上選手にストレート負けとは。橋本帆乃香選手と吉田雅己選手の準決勝進出も意外だった。

関西の卓球ファンのみなさん、明日は大いに試合を盛り上げましょう!