最近、卓球界に勢いがなくなってきた。

去年の後半から今年の前半にかけてはずいぶんと卓球界がにぎやかだったのに。
Tリーグが始まり、国際大会では伊藤選手や張本選手を筆頭に中国のトップ選手を破る快挙があり、他の日本選手のレベルも高く、「もうすぐ中国と肩を並べる」と思わされたが、ここに来て、日本選手が減速しているように感じる。

無理もない。大会が多すぎるのである。充電する間もなく、次から次へと国際大会が続いては、選手のモチベーションも下がってしまうだろう。選手からすれば、ちょっと立ち止まって自分の卓球を見直してみたいところだろうが、東京オリンピック代表権を獲得するためにはそんなことも言っていられないから、仕方がないといえば仕方がない。今、調子を落としている選手たちは、試合を通して調整しながら、オリンピックに自身のピークが重なるように牙を研いでいるのかもしれない。

そういえば、1年前は何をしていただろう。
そんなことが気になって去年の拙ブログの記事を見ていると…

「あっ!」

ボールを当てる位置」という去年の記事ですでにエラ打球のことを述べているではないか。前記事「ブレードのどの辺で…」を書いているときに、なんだか以前にも似たようなことを書いたような気がしていたのである。これは本当に脳が劣化しているのかもしれない…。
でも、まぁ今回の「ブレードのどの辺で…」は「ラケットを斜め(縦気味)に使う」というのが眼目なので、一歩前進した主張となっている、ということにしておこう。

-----------

今年のハンガリーの世界選手権も日本選手は不完全燃焼だったなぁと思いながら、世界卓球2019の動画を見返してみる。当時はあまり余裕がなくて、結果だけしかチェックしていない試合も多かった。



佐藤瞳選手対王曼昱選手の試合をじっくりと観てみたのだが、すごい激戦だった。今回はこの試合を観てカットマンの気持ちが分かったような気がしたので、それを述べてみたい。

佐藤選手は王曼昱選手の豪打を苦にしておらず、何本でもカットで返球し、互角の戦いを見せる。ゲームカウント2対3で迎えた6ゲーム目は、佐藤選手が終始リードしており、このまま7ゲーム目に入るかと思われた。7ゲーム目に入れば佐藤選手が有利だったと思う。王選手はこれまでさんざんドライブを打たされているので、打ち疲れてくるはずだ。しかし惜しくも9-11で佐藤選手がこのゲームを落とし、負けてしまう。その後、王選手は準決勝まで進み、3位に終わる。

佐藤選手はどんな気持ちなんだろう。
カットマンという戦型では、ベスト4ぐらいまでは行けるが、いくらがんばっても世界チャンピオンにはなれないだろう。1981年の童玲選手が最後のカットマンの女子世界チャンピオンらしいが、これからもカットマンは世界チャンピオンにはなれそうもない。

童玲

「攻撃型にしておけばよかった」と佐藤選手は後悔しているのだろうか。

おそらくそんなことはないと思われる。というのは同じ非主流派のペンドラの私は「シェークのほうが有利だ」と言われても、シェークに戻ろうなどとはこれっぽっちも考えていない。シェークなら面の角度が出しやすく、両ハンドドライブでどこにでも強打しやすい。ペンでシェークと同じことをしようと思うと、いろいろ工夫しなければならない。そういう工夫をしながら「フォアでシュートドライブっぽいのが打てるようになった!」などと、ペンの「障害」を一つ一つ克服していくのが楽しい。勝てるかどうかは二の次である。

非主流派であることが私のアイデンティティーを満足させるのである。

女性に「女性は社会的に差別されたり、いろいろな制限が多いし、男性よりも生きづらいと思うんですが、生まれ変われるとしたら、男性に生まれたいですか?」という質問をすると、たいていの女性は女性が不利なことが多いのは認めるが、それでも女性に生まれ変わりたいと答える。それと同じなのではないかと思う。

カットマンというのは特に女性に人気がある。生物学的に男性は攻撃を好み、女性は攻撃を好まない、というのもあるのかもしれないが、それよりも美学的にカットマンは女性を惹きつけるスタイルなのではないかと思う。「バチバチ速いボールを打ちあっても美しくない。相手の豪打を柔らかくいなすのが最高にスマートだ!」という美意識があるのではないか。カットマンは勝敗よりもむしろ美しく戦えるかどうかにこだわっているように思えるのである。

息をもつかせぬ怒涛のドライブ連打を浴び、フォアサイドからバックサイドまで大きく振り回されながら、台のエンドから4メートルも下げられ、そこから乾坤一擲のバックカットを放つ。

勝った!
時よ止まれ!君は今美しい…。

今までせわしなく聞こえていた打球音、足を踏み鳴らす音、シューズのこすれる音等が一瞬消え、ボールが虚空をゆっくりと一直線に滑っていく。満場の熱い視線はそのボールの行方に注がれている…。

こんなドラマの主人公になれるのはカットマンだけである。このシーンで佐藤選手は「勝った!」と思ったに違いない。卓球の勝負にではない。美しさの勝負にである。たとえ試合に負けてもこのポイントを演出できたことで彼女の中では大勝利である。彼女が攻撃型にしておけばよかったなどと思うはずがないだろう。

佐藤選手の試合を観て、カットマンは、もちろん試合の勝敗も大切だとは思うが、プレーの美しさという点でも勝負をしているように思えた。佐藤選手と話す機会があれば、この辺りのことをぜひ聞いてみたいものだ。