今週は余裕がなかったなぁ。ブログにまで手が回らなかった。
10日以上更新していないので、さすがに何か書かないといけないなと思い、最近の練習を振り返ってみる。

そうだ!こんなことがあった。

カット打ちをしているとき、相手のカットが低くて、切れていて、なかなか持ち上がらない。
うちのパーティーには裏裏の攻撃型とペン表しかいないので、私はツブとかカットマンと打ち慣れていないのである。

muramatsu
そういえば、村松選手は最近あまり話題に上らないが、元気にしているだろうか。

その人のカットは、早い打点で全力で持ち上げて、ようやくネットを越えるぐらいである。1~2球はなんとか持ち上げられるが、3~4球連続でカット打ちをすると。ネットにかけてしまう。よくあるケースは、威力のあるショットを打とうとしすぎて前方にスイングしすぎているというものである。私もそれは分かっているので、ほぼ真上に擦り上げているにもかかわらず、まったく余裕がない。これは何かが根本的に間違っていると直感した。
一般愛好家レベルの卓球で全力でないとボールが持ち上がらないというのは何かが間違っているはずだ。われわれのレベルで全力で打つショットよりも、上級者が軽く打つショットのほうがスピードが速いというのはよくある話である。カット打ちも上手な人は「あらよっ!」と軽々とボールを持ち上げる。絶対に私より力を使っていないはずにもかかわらずである。それでいろいろ試行錯誤してみたところ、バックスイングを取らないというやり方が効果があった。はじめは重い下回転に負けないように十分にバックスイングをとって台の下からブーンと大きなスイングで持ち上げていたのだが、それをやめてラケットを台の上からスタートさせるようにしたのである。そうすると、多少余裕が出てきた。ついでにボールにあと20センチぐらい(ブレード1枚分)身体を近づけて打つようにしてみた。すると、さらに軽い力で持ち上がるようになった。腕を伸ばしすぎだったんだろうと思う。

腕を伸ばしきる
初中級者がこんなふうに腕を伸ばして打つのは危険だと思う。

また、最近ロングサーブからの展開を練習しているのだが、せっかく打ちごろのボールが返ってきても、うまく打てない。サーブが速いだけに返ってくるボールも速いのであまり動けず、さしこまれてのオーバーミスが多い。おそらくボールに間に合っていないのだろう。横下フォアサーブを出すと同時に後ろに飛び跳ねて時間を作ろうとするのだが、そうすると、今度は浅く返されたときにうまくタイミングが合わない。

「サーブのあとに無駄に腕を動かしていませんか?」

そんなことを言われて思い当たることがあった。私はサーブのフォロースルーが大きいのである。インパクト後にスイングの勢いのまにまに、腕を前方に伸ばしてしまうので、次の打球に間に合わないのかも。いや、そうは言っても、インパクト後に30センチほどしかラケットは移動していないように思う。この30センチが私の卓球にどれほど影響しているというのか。しかし、試せることは全部試してみたい。やるなら徹底的にやらねば。インパクトと同時にラケットを止めて、すぐにニュートラルに戻り、3球目を待つようにしたところ、たしかに動く余裕が少し出てきたのである。それにバックスイングなしのドライブを合わせると、さらに余裕が出てくる。

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ネットのニュースで「最近のスポーツカーが高額化する理由とは」という記事を読んだ。それによると、スポーツカーにはイギリス流のライトウェイトスポーツカーと、大陸的なハイパフォーマンススポーツカーの系統があるのだという。

ロードスター

テスタロッサ

卓球も同じようにコンパクトなスイングで軽快に小さく動くライトウェイト卓球と、台から距離をとって大きなフットワークで強力なショットを放つハイパフォーマンス卓球とがあるように思う。私はそんなハイパフォーマンスな卓球などできるはずもないのに、気がつくと、つい全力で打っていることがある。ユーノスロードスターにフェラーリ・テスタロッサのエンジンを積めるとしたら、きっと私の卓球のようにちぐはぐなことになってしまうだろう。よりコンパクトに、より素早く。これが私の身の丈に合った卓球だろうと思う。

人はどうして自分の実力を省みずハイパフォーマンス卓球に走ってしまうのだろう。おそらくライトウェイト卓球よりもハイパフォーマンス卓球のほうがかっこいいと漠然と感じているからに違いない。できればハイパフォーマンス卓球がしたいけど、無理だから、ライトウェイト卓球をするというのではなく、ハイパフォーマンス卓球よりも、ライトウェイト卓球のほうがかっこいいと積極的に感じるようになるには年齢とか、人生経験といったものが必要になってくるのかもしれない。若くて体力の有り余っている人にライトウェイト卓球のほうが勝てるんだと言ってみたところで、頭では理解しても、心から納得してもらうのは難しいに違いない。