ちょっと前のWRMやっすん氏の動画。
女子離れしたとんでもなく強い選手だなと思ったら、最近までエクゼディの選手で、今はコーチをやっている人だった。どおりで強いはずだ。
中高――仙台育英時代は、ひたすら基本練習をしていたのだという。この時期は身体の効果的な使い方を習得する期間だったと言えよう。ミスせずに延々とラリーを続けるような練習だったのだという。
大学は早稲田で、そこでは特定の指導者に習ったわけではなく、自分で考えながらチームメイトに教えてもらいつつ練習していたらしい。
今までは指導者の言うとおりに卓球をしていたが、大学では自分で勝てるスタイルを築き上げなければならない。田中選手はバックハンドが得意だったのだが、バックで決めるスタイルではなく、あえてフォアで決めるスタイルに変えたのだという。
なぜそんな回り道をするのか。バックが得意なら、バックで決めるスタイルが一番勝てるはずなのに。
それに対するやっすん氏のコメントがよかった。得意な技術(バックや台上、ブロック等)を決定打として使うのではなく、チャンスメイクとして使うのは、非常に有効なスタイルなのだと。なるほど、確かに何もないところからチャンスを作るのと、打てるボールを確実に決めるのを比べると、前者の方が難しい。それで得意な技術をチャンスメイクに使うというわけである。
社会人になってからは日本リーグ所属のエクセディでプレーするようになった。
そこで監督(あるいはコーチ?)に言われたのは、ガッツいてすぐに攻めようとせず、ある程度「距離をとって」ゆっくり打ったほうがいいということだったという。
つまり、少しでも早く攻めたい、相手つけ入る隙を与えたくないというのは誰もが思うことだが、無理な速攻をしかけるのではなく、少し間をとって打つようにしたということである。
曰く「相手が見えるようになった」と。
今までは自分の技術――ドライブの威力とか、コースの厳しさとかを向上させるのに精一杯で自分のことしか見えていなかったのだが、ゆっくり打つようにしたら、相手の考え、相手の狙いといったことがよく分かるようになったということだろうか。
これはなんだか人生にも通じるものがある。
社会人になると、基本的に仕事はそれぞれの人に任されている。上司や先輩も忙しいので、向こうから手取り足取り教えてくれるわけではない。自分でできる仕事を探して、自分で方法を探りながら、責任をもってやらなければならない。社会人になったばかりのころは、絶対にミスできないと思いつめて、毎日あれこれ準備をしたり、忘れていることがないか必死で確認したりしていて余裕がない。ストレスがたまり、つい周りの人に厳しくあたってしまうこともある。
それが中年になると、仕事の全体像も見えてきて、ミスも少なくなる。心の余裕が生まれてくる。そうすると、周りの人たちのことを思いやる余裕も出てくる。余裕を持ちすぎてミスすることもあるが、「なるようになるだば」と気楽に構えている。若いころには全く見えなかったことが、中年になるといろいろ見えてくるようになる。
いい動画を見た…茶店で霧がかった富士を見た太宰治の気分である。
卓球動画は技術動画や試合動画が多いが、それ以外の方向性を探ったものとして、トップ選手に今までの卓球人生を語ってもらう「むらじの部屋」がある。「むらじの部屋」も非常に内容が濃く、勉強になるが、今回の「やっすんの部屋」もいい動画だった。わずか15分程度の動画なのに満足度が高い!次回作が楽しみである。
女子離れしたとんでもなく強い選手だなと思ったら、最近までエクゼディの選手で、今はコーチをやっている人だった。どおりで強いはずだ。
お名前は田中彩能氏。この動画は全日本上位レベルの選手がこれまでどのような練習をしてきたかをインタビューしたものである。
中高――仙台育英時代は、ひたすら基本練習をしていたのだという。この時期は身体の効果的な使い方を習得する期間だったと言えよう。ミスせずに延々とラリーを続けるような練習だったのだという。
もちろんゲーム練習もあったが、それよりはフットワーク練習、サーブからの展開、レシーブからの展開の練習がメインだったようだ。インターハイで団体優勝するようなレベルの人たちでさえ(だからこそ?)基本練習ばかりしているのである。それに対して私のような草卓球レベルの人間はオール練習やらゲーム練習ばかりしている。何かがおかしい…。私は何か大きな間違いを犯しているのではないだろうか。私が遅々としてなかなか上達しないのは「身体の効果的な使い方」を身につけていないせいではないのだろうか。
大学は早稲田で、そこでは特定の指導者に習ったわけではなく、自分で考えながらチームメイトに教えてもらいつつ練習していたらしい。
今までは指導者の言うとおりに卓球をしていたが、大学では自分で勝てるスタイルを築き上げなければならない。田中選手はバックハンドが得意だったのだが、バックで決めるスタイルではなく、あえてフォアで決めるスタイルに変えたのだという。
なぜそんな回り道をするのか。バックが得意なら、バックで決めるスタイルが一番勝てるはずなのに。
それに対するやっすん氏のコメントがよかった。得意な技術(バックや台上、ブロック等)を決定打として使うのではなく、チャンスメイクとして使うのは、非常に有効なスタイルなのだと。なるほど、確かに何もないところからチャンスを作るのと、打てるボールを確実に決めるのを比べると、前者の方が難しい。それで得意な技術をチャンスメイクに使うというわけである。
社会人になってからは日本リーグ所属のエクセディでプレーするようになった。
そこで監督(あるいはコーチ?)に言われたのは、ガッツいてすぐに攻めようとせず、ある程度「距離をとって」ゆっくり打ったほうがいいということだったという。
つまり、少しでも早く攻めたい、相手つけ入る隙を与えたくないというのは誰もが思うことだが、無理な速攻をしかけるのではなく、少し間をとって打つようにしたということである。
田中選手はそれを実践することによって自身の卓球が大きく変わったのだという。
曰く「相手が見えるようになった」と。
今までは自分の技術――ドライブの威力とか、コースの厳しさとかを向上させるのに精一杯で自分のことしか見えていなかったのだが、ゆっくり打つようにしたら、相手の考え、相手の狙いといったことがよく分かるようになったということだろうか。
これはなんだか人生にも通じるものがある。
社会人になると、基本的に仕事はそれぞれの人に任されている。上司や先輩も忙しいので、向こうから手取り足取り教えてくれるわけではない。自分でできる仕事を探して、自分で方法を探りながら、責任をもってやらなければならない。社会人になったばかりのころは、絶対にミスできないと思いつめて、毎日あれこれ準備をしたり、忘れていることがないか必死で確認したりしていて余裕がない。ストレスがたまり、つい周りの人に厳しくあたってしまうこともある。
それが中年になると、仕事の全体像も見えてきて、ミスも少なくなる。心の余裕が生まれてくる。そうすると、周りの人たちのことを思いやる余裕も出てくる。余裕を持ちすぎてミスすることもあるが、「なるようになるだば」と気楽に構えている。若いころには全く見えなかったことが、中年になるといろいろ見えてくるようになる。
いい動画を見た…茶店で霧がかった富士を見た太宰治の気分である。
卓球動画は技術動画や試合動画が多いが、それ以外の方向性を探ったものとして、トップ選手に今までの卓球人生を語ってもらう「むらじの部屋」がある。「むらじの部屋」も非常に内容が濃く、勉強になるが、今回の「やっすんの部屋」もいい動画だった。わずか15分程度の動画なのに満足度が高い!次回作が楽しみである。
コメント
コメント一覧 (4)
いつも素晴らしい考察ありがとうございます。先日、2ヶ月ぶりに卓球の練習に参加しました。私は、普段はランニングばかりで久しぶりにラケットを握ったのですが、練習相手からドライブを教えて欲しいと言われたので、マラソンランナー的な見解でアドバイスしました。「自然な立姿勢(両足でまっすぐに立つこと)」と、「膝の曲げ伸ばしを意識して行わない」です。相手は理解できないようでしたが、やってみれば効果を感じたようです。
動画の両者の体の使い方の違いが興味深いです。ツッツキ打ちの際の上下動の有無や、体幹の動きに連動したドライブと腕の力を使っているように感じられるドライブ。田中彩能さんは腰が上下しないですね。やっぱり体の使い方が主でスイングは従であると感じる内容でした。
シロノ タツミ
がしました
おひさしぶりです。
コメントありがとうございます。卓球を二ヶ月もさせないだなんてマラソンというスポーツには魅力がたくさんあるんでしょうね。
動画の姿勢について全く見ていなかったので、さきほど確認してみたのですが、田中さんが下回転打ちをしているシーンがあまりなかったのですが、たしかに下半身の上下運動はほとんど見られませんね。下半身はどっしりと固定しておいて、上半身の体幹を主にしているということでしょうか?私も次の練習で意識してみようと思います。
シロノ タツミ
がしました
マラソン練習の場合、疲れた状態でペースを維持する練習を継続していると、正しい姿勢と全身の連動の重要さを体感できます。他のスポーツも同じかなと個人的に思っている次第です。
「中高――仙台育英時代は、ひたすら基本練習をしていたのだという。この時期は身体の効果的な使い方を習得する期間だったと言えよう。」という部分に答えはありますが、身体の効果的な使い方の解釈が様々なので、様々な指導があるのが現状かと思います。
シロノ タツミ
がしました
ご教示ありがとうございます。
姿勢の高いバージョンと、低いバージョンがあるんですね。
身体の使い方というのは、体力の限界に近いところにさしかかったとき、いろいろなことが分かってくるようですね。社会人だとなかなか体力の限界まで練習する機会がないので、本当の意味では、私には理解できないと思います。頭だけでの理解というのは虚しいですよね。私もマラソンをしたら、マラソン男さんの達した境地が理解できるのかなと思います。
シロノ タツミ
がしました