フットワーク練習といえば、フォアサイド、バックサイドに一本ずつ送ってもらい、それをフォアで動いて打つとか、3点に送ってもらい、オールフォア、あるいはフォアで2点、バックで1点を打つとか、そういう練習を思い浮かべる。
上級者はみんなこのようなフットワーク練習をしているのだから、きっと上達に必要な要素がいくつもあるのだろう。そう思って私もこの手の練習を試みるのだが、続かない。すぐに振り遅れてきて、ステップも遅れがちになる。
まぁ、中年のオジサンがこんな練習をするなんて無謀なんだろうな。
しかし、卓球でフットワークが大切なことは言うまでもない。だからフットワーク練習をしたいと思って、フォア半面にランダムに送ってもらってフォアで動きながら打つということをしてみるのだが、これもボールのスピードが上がってくると、すぐに追いつけなくなってくる。

フォア半面でもだめか。

もうやけくそで、今度はバック半面で、オールバックのフットワークをしてみることにした。
すると、なぜかよく足が動く。もちろん大きく動くことはできないのだが、小さく、細かく動くフットワークが気持ちいい。

「若者じゃないんだから、こういう小さなフットワークで十分じゃないか。」

しかし、どうしてバックのフットワークのときは足がよく動くのだろう。
省みると、バックハンドのときは、フォアハンドのようにラケットをブンブン振り回さずに、バックショートのように軽くラケットを押すだけだった。そうすると、ラリー中のボールも速くならないし、足に意識が向きやすい。

私の仮説はこうである。

人間の意識の容量は一定量に決まっていて、腕と足を同時に大きく複雑に動かすと、意識の容量が不足してしまい、どちらかの動きが疎かになるというものである。あたかもメモリの少ないPCで多くのアプリケーションを同時に開くとリソース不足でフリーズしてしまうように、人間も一度に身体の複数の部分に意識を割くと、動かなくなる。

リソース不足


オールバック練習の場合は、前腕を軽く動かすのと、足を小刻みに動かすという2つの動きだけに意識を割いていたため、フットワークが止まらずに機能したのではないか。フォアハンドをつかったフットワークの場合は、しっかりとドライブをかけて、いいボールを打とうとして、身体のいろいろな部分に指令を出しながら足を動かすということをしていたため、ボールに遅れてしまっていたのではないか。

しかし、「上級者はフットワークを止めずに質の高いボールが打てるではないか」という反論もあるかもしれない。それは上級者の場合は上半身か下半身か分からないが、どちらかの動きを無意識に行えるほどに身体に染み付いているからだと思う。歩きながら本を読むとき、我々は歩くという下半身の動きにほとんど意識を割いていないはずである。そのとき本の内容にだけ意識が行っている。それと同様のことが上級者のフットワーク練習で起こっていると推測される。

ということは、初中級者がフットワーク練習をする場合は、上半身の動きを最低限のものにして、まだ習熟していない下半身の動きに意識を割かなければならないのではないだろうか。