ボールの威力が増した、回転量が増えた。
フリックが安定して、速く鋭くなった。
といった上達は分かりやすいが、そういう上達よりももっと基本的なものが私には欠けている。
たとえばフットワークである。これをなんとしても上達させないことには私の卓球は進歩しない。
一見してすごいボールが打てるようになるわけではないが、確実に私の卓球を進歩させてくれるだろう。
前記事「一にして全」で荻村伊智朗氏を取り上げたが、荻村氏は54年の世界選手権で優勝した時を振り返ってこんなことを述べている。
世界選手権へ出るまでに、平均1日5㎞走ったとして最低7000㎞ぐらいは走っている。なわとびは両足そろえてつま先でとぶのを1000回1セットとして毎日1~2セットやった。うさぎとびやシャドープレーもやったし...。…なわとびのおかげで、ほとんどツマ先で試合をやった。ロンドン大会のとき、ぼくのフットワークを"焼けたトタン屋根の上のネコ"と向こうの新聞に出た。「世界一への道 荻村伊智朗」
"焼けたトタン屋根の上のネコ"というのはどういうことなのか。ネットで調べてみると、55年に上演された有名な演劇らしい。一年のズレがあるが、細かいことはおいておこう。猫のように俊敏なフットワークだったということだろう。
毎日5キロ走って、縄跳びのトレーニングを繰り返し、常につま先立ちでプレーすれば、素早く動ける?
しかし、今どきつま先立ちでプレーしている人がどれだけいるのだろうか。つま先立ちがいいかどうかはともかく、素早く動ければ、つま先立ちだろうが、摺足だろうが何でもいい。
どうすれば素早く動けるのだろうか。
もう少し荻村氏のケースを考えてみよう。
荻村氏の練習の中で重要な位置を占めていたのが足腰のトレーニング。それも走るということである。
その頃の子供は、体を基本的にきたえるという意味では水準が非常に高かったと思う。行軍(長距離の徒歩)できたえられたし、電車が空襲で焼けたため毎日片道5㎞を歩いて通学していた。小学生時代から足を中心にしてきたえられた時代だと思う。
高校時代は練習量がたりなかった。ただ、工夫とか体力トレーニングはよくやった。毎日1~2時間走った。3年でキャプテンになったときは、みんなに走るクセをつけさせようと、5時間で授業を終わってくる者と一緒に走り、6時間で終わってくる者とまた一緒に走るというようにして走った。
「走るクセをつけさせよう」「6時間で終わってくる者とまた一緒に走る」ってどれだけ走るのが好きなんだ…。
じゃあ私も毎日職場まで電車を使わず歩き、帰りはランニング。こういう毎日を送れば、私のフットワークも向上するかもしれない。しかし、プロの選手じゃあるまいし、毎日こんなつらいトレーニングが続くはずがない。
「荻村氏は非常にストイックで意識が高かったからこういうつらい練習にも耐えられたのだ」
と最初は考えたのだが、そうではなく、もしかしたら、荻村氏は走るのが楽しくて大好きだったのかもしれない。
そう考えると辻褄が合う。荻村氏は走ること、というか足を動かすことが好きだったのではないか。だからフットワークも速かったのではないか。
私は走ることなんて、疲れるし、単調だし、大嫌いである。卓球のフットワークも同様に大嫌いである。卓球でボールを打つのは楽しいが、フットワークを使って移動するのは疲れるし、めんどくさいしつまらない。卓球ってボールを打つ競技でしょ? あちこちに動く競技じゃないでしょ?
その認識を変えてみたらどうだろうか。卓球の本質はあちこちに動くことであると。
今まで私は「打球の合間に移動がある」と考えていたのだが、これを「移動の合間に打球がある」と考えを改めたらどうなるだろう。「足を動かすのはなんて楽しいんだ。それに比べて打つのはめんどくさい、もっとずっと動いていたい」と自分に暗示をかければ、打球の威力は多少落ちるかもしれないが、確実に動き出しが早くなる。
たとえばサービスである。
サービスを出して、打球の行方を見つめて、「あ~よかった。低くていいサーブが出せた」などと安心している上級者はいないだろう。中級者でもサーブ後にこんな意識でいたら、勝てる試合も勝てなくなる。サーブを出す前から、すでに「移動中」の意識でいなければならないのである。
「早く動きたいなぁ、ウズウズする。でもサーブを出さなければならないし。しかたない、さっさと出して早く動き続けるぞ!」
こんなふうに動くことの方に重点をおけば、いやでもフットワークが早くなるはずである。
台上でも打球してから移動するというのでは遅い。打球に入る瞬間、すでに動き出す心の準備をしておかなければならない(前記事「そなえよつねに」でも同じようなことを考えた)。
「このボールをつっついた後、いや、ボールが触れた瞬間に速攻で動くぞ!」
しかし、動くと言ってもどこへ動いたらいいのだろう。相手がまだ打球していなければどこへ動けばいいかわからない。フォア側に返球されるかもしれないし、バック側かもしれない。あるいはそのまま真正面に返球されるかもしれない。
どこでもいいから、今いるところじゃないとこへ動くのがいいだろう。
台上でツッツキやストップなどを打った瞬間、少し後ろに下がるのが最も無難である。そうでなくてもとりあえず「ここじゃないどこか」へ動いていたら、たとえ逆を突かれても、素早く反応できるのではないか。最も恐れるべきは、完全に足が止まってしまうことである。一度完全に止まった状態から動き出すよりも、ちょっと離れていても動き続けていたほうが、速く動けるだろう。
フリックが安定して、速く鋭くなった。
といった上達は分かりやすいが、そういう上達よりももっと基本的なものが私には欠けている。
たとえばフットワークである。これをなんとしても上達させないことには私の卓球は進歩しない。
一見してすごいボールが打てるようになるわけではないが、確実に私の卓球を進歩させてくれるだろう。
前記事「一にして全」で荻村伊智朗氏を取り上げたが、荻村氏は54年の世界選手権で優勝した時を振り返ってこんなことを述べている。
世界選手権へ出るまでに、平均1日5㎞走ったとして最低7000㎞ぐらいは走っている。なわとびは両足そろえてつま先でとぶのを1000回1セットとして毎日1~2セットやった。うさぎとびやシャドープレーもやったし...。…なわとびのおかげで、ほとんどツマ先で試合をやった。ロンドン大会のとき、ぼくのフットワークを"焼けたトタン屋根の上のネコ"と向こうの新聞に出た。「世界一への道 荻村伊智朗」
"焼けたトタン屋根の上のネコ"というのはどういうことなのか。ネットで調べてみると、55年に上演された有名な演劇らしい。一年のズレがあるが、細かいことはおいておこう。猫のように俊敏なフットワークだったということだろう。
毎日5キロ走って、縄跳びのトレーニングを繰り返し、常につま先立ちでプレーすれば、素早く動ける?
しかし、今どきつま先立ちでプレーしている人がどれだけいるのだろうか。つま先立ちがいいかどうかはともかく、素早く動ければ、つま先立ちだろうが、摺足だろうが何でもいい。
どうすれば素早く動けるのだろうか。
もう少し荻村氏のケースを考えてみよう。
荻村氏の練習の中で重要な位置を占めていたのが足腰のトレーニング。それも走るということである。
その頃の子供は、体を基本的にきたえるという意味では水準が非常に高かったと思う。行軍(長距離の徒歩)できたえられたし、電車が空襲で焼けたため毎日片道5㎞を歩いて通学していた。小学生時代から足を中心にしてきたえられた時代だと思う。
高校時代は練習量がたりなかった。ただ、工夫とか体力トレーニングはよくやった。毎日1~2時間走った。3年でキャプテンになったときは、みんなに走るクセをつけさせようと、5時間で授業を終わってくる者と一緒に走り、6時間で終わってくる者とまた一緒に走るというようにして走った。
「走るクセをつけさせよう」「6時間で終わってくる者とまた一緒に走る」ってどれだけ走るのが好きなんだ…。
じゃあ私も毎日職場まで電車を使わず歩き、帰りはランニング。こういう毎日を送れば、私のフットワークも向上するかもしれない。しかし、プロの選手じゃあるまいし、毎日こんなつらいトレーニングが続くはずがない。
「荻村氏は非常にストイックで意識が高かったからこういうつらい練習にも耐えられたのだ」
と最初は考えたのだが、そうではなく、もしかしたら、荻村氏は走るのが楽しくて大好きだったのかもしれない。
そう考えると辻褄が合う。荻村氏は走ること、というか足を動かすことが好きだったのではないか。だからフットワークも速かったのではないか。
私は走ることなんて、疲れるし、単調だし、大嫌いである。卓球のフットワークも同様に大嫌いである。卓球でボールを打つのは楽しいが、フットワークを使って移動するのは疲れるし、めんどくさいしつまらない。卓球ってボールを打つ競技でしょ? あちこちに動く競技じゃないでしょ?
その認識を変えてみたらどうだろうか。卓球の本質はあちこちに動くことであると。
今まで私は「打球の合間に移動がある」と考えていたのだが、これを「移動の合間に打球がある」と考えを改めたらどうなるだろう。「足を動かすのはなんて楽しいんだ。それに比べて打つのはめんどくさい、もっとずっと動いていたい」と自分に暗示をかければ、打球の威力は多少落ちるかもしれないが、確実に動き出しが早くなる。
たとえばサービスである。
サービスを出して、打球の行方を見つめて、「あ~よかった。低くていいサーブが出せた」などと安心している上級者はいないだろう。中級者でもサーブ後にこんな意識でいたら、勝てる試合も勝てなくなる。サーブを出す前から、すでに「移動中」の意識でいなければならないのである。
「早く動きたいなぁ、ウズウズする。でもサーブを出さなければならないし。しかたない、さっさと出して早く動き続けるぞ!」
こんなふうに動くことの方に重点をおけば、いやでもフットワークが早くなるはずである。
台上でも打球してから移動するというのでは遅い。打球に入る瞬間、すでに動き出す心の準備をしておかなければならない(前記事「そなえよつねに」でも同じようなことを考えた)。
「このボールをつっついた後、いや、ボールが触れた瞬間に速攻で動くぞ!」
しかし、動くと言ってもどこへ動いたらいいのだろう。相手がまだ打球していなければどこへ動けばいいかわからない。フォア側に返球されるかもしれないし、バック側かもしれない。あるいはそのまま真正面に返球されるかもしれない。
どこでもいいから、今いるところじゃないとこへ動くのがいいだろう。
台上でツッツキやストップなどを打った瞬間、少し後ろに下がるのが最も無難である。そうでなくてもとりあえず「ここじゃないどこか」へ動いていたら、たとえ逆を突かれても、素早く反応できるのではないか。最も恐れるべきは、完全に足が止まってしまうことである。一度完全に止まった状態から動き出すよりも、ちょっと離れていても動き続けていたほうが、速く動けるだろう。
コメント
コメント一覧 (8)
フットワークは大きい動きもあれば小さい動きもあるのではないでしょうか。
移動=フットワークではないと思います。
卓球は球を打つスポーツなので、その時最善の打球ができるように足を動かすことがフットワークだと私は思います。
footworkなのですから。打球するためにfootにworkをさせないといけませんよね。
シロノ タツミ
がしました
おそらく、たくねぎさんにとって「フットワークは大きい動きだけじゃない、小さい動き(ポジショニングのための微調整)もあるんだ!」というのは大発見だったんでしょうね。私も中学時代、ストップという技術を知らず、社会人になって卓球を再開してからストップという技術を知って衝撃を受けた覚えがあります。「ストップならドライブされない!」と。発見というのはいろいろなレベルがあり、そのどれもが尊いと思います。私の「発見」も非常にレベルの低いものばかりです。しかし、上級レベルの「発見」だけが価値があるのではなく、いろいろなレベルの卓球人がいる以上、そういう低いレベルの「発見」も大切にしたいと思います。
シロノ タツミ
がしました
こんにちは。私の場合、高校生の時から6kg増えてしまった体重と、失った筋肉が問題ですね。明らかに、フットワーク能力は半分以下に落ちています。そのため、ベストな体勢で打てることがほとんどなくなりました。柳承敏やガシアンみたいなフットワークおばけ、目の前で見たらすごいでしょうね。
シロノ タツミ
がしました
遅ればせながら今年もどうぞよろしくお願いいたします。
「移動の合間に打球がある」とは目から鱗でした>▽<
おっしゃる通り、たいていは打つことが楽しいわけで
移動することが楽しい人はあまりいないですものね・・。
でもきっと、打つことよりも移動の方が重要な気はしていました。
私はフットワーク練習は嫌いではないのですが、
ランニングや縄とびなどは、とてもできません・・・。
やったら卓球が上達するんじゃないかな~
一駅分だけなら出来るかな~・・・と妄想しながら
今年もやらないです!(キッパリ!)
荻村氏は走るのが好きだったのでしょうかね?
それとも、卓球が好き過ぎて
その上達のためなら何事も苦にならなかったのでしょうかね?
どちらもかな??ご本人に聞いてみたいです。
シロノ タツミ
がしました
コメントありがとうございます。
ペンドラはフットワークが生命線というのは本当でしょうか。
案外フットワークを捨てたペンドラのほうが強いということもありえますよ。
前陣で上手にさばけるペンドラを目指してください!
シロノ タツミ
がしました
本年もどうぞよろしくおねがいします。
足を動かすのが楽しいというのは、頭では理解できます。
たぶんダンスが好きな人とかは足を絶えず動かし続けることに快感を感じているんじゃないでしょうか。
私も最近、フットワークを意識したプレーをしているのですが、あまり効果が出ていません。無駄に動くよりも止まっている方がいいプレーができるというのは、下手な考えなんとやらに近いと思います。しかし、何らかの壁を越えれば、やっぱり動き続けたほうが上達するのではないかと思います。年甲斐もなく、ウズウズしながら卓球したいと思います。
シロノ タツミ
がしました
私は、去年の4月から教室のマンツーマンのみで練習をしている素人でございます。やればやるほど卓球の魅力に取り憑かれています。さて、教室のみで練習をしていますと、試合の機会がありません。極たまに他の方と打つ機会があります。その時、「何で全く動かないのにこんなに安定しているんだ」と思う事があります。地元のクラブチームのベテラン中級者であることが多いです。といいますか、クラブチームの中年以上の方に激しいフットワークをする方を余り知りません。私の狭い狭い世界の話ですが。
クラブチームの練習は1、2度参加させてもらった事があります。ほぼ同じ人と永遠に一球練習しますね。私はこれがフットワークをしなくなる原因だと思います。一球練習は続けられないと意味がありません。高い技術力がなければ、甘い環境になってしまう可能性があります。しかし、教室によりますが、レッスンでは若いコーチが多球練習をメインにし、基本的にフットワーク練習から始まります。
卓球はストイックになるか、効率的にやるかどちらかだと思います。動かないのに動く若い人より強い人はたくさんいます。でも、そういった方も昔は動いていたんじゃないかなと思うと、中年から始める卓球は、少々お金がかかりますが、良い教室に通う事から始める方法もあるのではないかと思います。
シロノ タツミ
がしました
コメントありがとうございます。
卓球は教室で習うのが最短距離だと私も思います。
指導者なしで、我流で卓球をしても、ある程度以上は上達しない(中級者の入り口ぐらいまで)、あるいは上達に時間がかかるのではないかと思います。
地域のクラブで上手な年配者は大きくは動きませんが、細かく動いているような気がします。10数センチ単位ですが、細かく動く年配者は強いのかなと思います。
そういう人に上達のコツをきいてみたいですね。
シロノ タツミ
がしました