Tリーグが始まっているが、楽しそうだ。しかし、あれは関西には縁のないお祭りである。いや、女子の試合は大阪の南の方で行われているらしいが、京都人からすると、不便すぎて行く気になれない。交通費だけでも往復で3000円ぐらいかかりそうだ。Tリーグ関連で東京ではいろいろなイベントも開かれているらしい。東京の人は恵まれているなぁ。
私はというと、ひどい風邪をひいて仕事を休み、その仕事を持って帰って、この週末はそれをこなしていたら、全部潰れてしまったし、卓球のことをあまり考えられなかった。
ブログ更新にもあまり熱が入らなかったが、週に1回ぐらいは更新しようと思い、今、こうやって書いている。何を書こうかな。
最近、読んだ本のことでも書いてみよう。卓球には関係ない話題で申し訳ない。
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ちょっと前に話題になった『正しいパンツのたたみ方」というのを友人に借りて読んでみたところ、なかなかおもしろかったので紹介したい。
筆者は男性の家庭科教員で、この本は家庭科が実に奥の深い教科であるということを教えてくれる。
筆者は高校の入学式の後、保護者と新入生に対して次のような訓示を行った。
昼はできるだけ弁当を持ってきてください。
でも別に保護者の方が作る必要はありません。みんなももう高校生ですから、自分の弁当ぐらい、自分で作ってもいいと思います。一度や二度作るのはそれほど難しくないでしょう。ですが、毎日弁当を作りつづけるというのは大変なことです。でも、それを三年間やり通せたら、どれだけの自信になるか計り知れない。僕はそう思います。ぜひ挑戦してみてください。
筆者はこんなめんどうなことを3年間やれる生徒はいないと思いながら、もしかしたらという期待をもってこの訓示をしたのだという。
そして3年後の卒業式の日、ある女子生徒にこんなことを言われたのだという。
ところで先生、入学式のとき、何言ったか覚えてる?覚えてへんでしょ?
なんと、筆者でさえすっかり忘れていた教えを忠実に守りとおした生徒がここにいたのである。
最初のころはほんまに大変で、もうやめよ、もうやめよって、何度思ったかわかれへんけど、そのたびに、もうちょっとだけがんばろうと思って作ってたら、そのうち弁当作るのが普通のことになってきて、よく、家族の分も作ってあげたりしてん。
この女子生徒が弁当作りからどれほど多くのことを学び、人間的に成長したか私には想像もつかない。
私たちはともすると、弁当作りというのは、料理の技術の問題かと勘違いしがちだが、弁当を作るということは、単に作るのみならず、材料の買い出し・選別から、下ごしらえや、アレンジ等、総合的な能力が求められる。全ての材料が目の前にあって、分量なども決まっている料理教室のようなものではない。準備から出来上がりまで、すべてを自分で考えなければならないのだ。
めんどくさすぎる。
私が同じ立場だったら朝、コンビニでパンなりおにぎりなりを買って済ますという安易な方に流れてしまうだろう。それをこの女子生徒は成し遂げたのだ、3年間弁当を作るという偉業を。
弁当を作るということは、総合的な行為だと述べたが、それによって料理を作る技術が身につくだけでなく、自立心も養われるのである。弁当を作るためには生活を自分で管理しなければならなくなる。弁当を作るためには早起きをしなければならないし、前の晩から翌日の弁当のことを考えなければならないので、いろいろなことに気をつかわなければならない。料理の材料を買うことで金銭感覚も身につくし、栄養バランスに対する関心も出てくるだろう。
若くしてこのような経験をした人は、「めんどくさい」と感じることがほとんどなくなるだろう。そしてめんどくさいと感じなければ、勉強でも仕事でも他の人よりずっと優位に立てるのである。考えてみれば、私たちが失敗する主な原因は「めんどくさい」ではないだろうか。学校で来週テストがある。テスト勉強はめんどくさいから、つい次の日に先送りして、痛い目をみるのである。部屋を片付けるのがめんどくさいから、散らかしたままにしておくと、いざというときに必要な書類が見つからないのである。この女子生徒はおそらく帰宅したら、復習と予習をきちっとして、明日の授業に備えるだろうし、部屋が少しでも散らかっていたら、躊躇なく片付けるだろう。「めんどくさい」という感覚が鈍感になっているのである。
逆に親にいつも弁当を作ってもらう子供だったら、どうだろうか。時間通りに弁当ができていて、それがおいしいかどうかにしか意識が向かないであろう。その弁当ができるまでに親がどのような手間をかけたのか全く気付かない。そういう子供は両親に対する感謝の念、ひいては他者に対する感謝の念が薄くなるに違いない。
「今日の練習試合の相手、弱すぎたよなぁ。電車とバスを乗り継いで1時間もかかったのに、意味なかった」
「どうして顧問の先生は部活にめったに顔出してくれないんだろう。もっと熱心で、技術的にもいろいろ教えてくれる顧問の先生がいる学校がうらやましいよ。」
私も若いころは部活でこんなことをぼやいてしまっていたが、今、思い返すと自立心が全くなく、ただサービスを受け取って、それに文句をつけているだけの子供だったと恥ずかしくなってくる。顧問の先生は、お忙しい仕事の合間を縫って他校との練習試合を設定してくれたり、部活の運営に問題がないかときおり見に来てくださるといったことに感謝こそすれ、文句をつける筋合いなどないのである。
歯ごたえのある強い学校と練習試合をしたければ、自分でその学校に申し込めばいいのだし、技術的な指導がほしければ、自分たちで勉強したり、卒業した先輩なり、地域のクラブの上手な人なりに教えを乞うたりして、いくらでも進歩する方法はあるはずなのだ。
「そんなめんどくさいことできない」
というのがふつうの子供だろう。しかし、上述の女子生徒なら、できることは自分でやってみようと考えるのではなかろうか。
毎日の部活の前に20分のランニングや筋トレがあるとか、部活の前後に練習場の掃除をするとか、定期的に部員たちでミーティングを開いて練習メニューをアップデートするとか、そういう「めんどくさい」ことを2年強続けるというのは、人間的な成長に不可欠のものだと思う。卓球の技術的な向上はイマイチだったとしても、「あんなめんどくさいことをよくやれたなぁ」という自信は何物にも代えがたい財産になるはずである。そして自分たちが卓球をできているのは、いろいろな人のおかげだということにも目が向くようになるのである。
コメント
コメント一覧 (2)
今までのしろのさんの記事のなかで、一番感動しました!
中国人の教授の話だったですかね?あの話を超えました。
シロノ タツミ
がしました
コメントありがとうございます。
なんとなく勢いで書いた文章だったのですが、気に入っていただき嬉しいです。
というか、このエピソードを紹介してくれた南野さんに感謝です。
シロノ タツミ
がしました