「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由 知られざる「文化と教育の地域格差」

という記事を読んで非常に共感したので紹介したい。

筆者は釧路市で高校まで過ごした87年生まれの男性。両親はどちらも中卒以下。浪人して東大の文3に進み、今はアメリカで院生をやっているという。

釧路市は、見渡す限り畑が広がり家屋が点々と建っている、というほどの「ド田舎」ではないものの、若者が集まる場所といえば「ジャスコ」しか選択肢がなく、もっともメジャーな路線のバスは30分に1本しか来ず、ユニクロやスタバがオープンすると大行列ができるような、ある種の典型的な田舎町だ。

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釧路市の中心部は写真で見るとかなりにぎやかな感じの街だが面積が大きいので郊外はかなりさびしい感じなのだろう。筆者はそのような郊外の出身かと思われる。

「田舎」というと、緑が豊かな田園風景や、山の中の集落などを連想するが、そこまででなくとも、人口10万前後の小さな街ではどこも同じような環境だろう。私の出身地も同じような環境だったので、彼の育った環境が容易に想像できる。

たとえば、書店には本も揃っていないし、大学や美術館も近くにない。田舎者は「金がないから諦める」のではなく、教育や文化に金を使うという発想そのものが不在なのだ。見たことがないから知らないのである。

私も田舎から京都に出て来て本当に驚いた。特に洛中は町全体がなにかしら学校で習う歴史や文化に関係があるのだ。織田信長の墓所だの、在原業平の生家を示す石碑だの、そんなものが数百メートルごとに見つけられる。下賀茂神社や二条城、蛤御門といった建物も実際に残っている。関東の人間が高校で日本史や古文などを紙媒体の教材で学ぶのと、京都の人が同じ内容を学ぶのとではその濃さが全く変わってくるだろう。京都の人はそれらを具体的な地理感覚やイメージとともに学んでいるのである。また、京都は人口比率で言えば、たぶん日本で最も国際的な街なので、町中のいたるところに英語が見られるし、耳からも入ってくる(実際に耳から入ってくるのは中国語のほうが多いが)ので、英語の学習にもある程度アドバンテージがあるかもしれない。

そして京都にはあちこちに大学があって、無料の講演会だの演奏会、演劇の公演、展覧会といった文化的なイベントには事欠かないし、わざわざそんなことをせずとも洛中を散歩すればそれだけで立派な文化的イベントが成立するのだ(歴史的な知識さえあれば)

京都に限らず、関西から九州にいたる西日本には歴史的な舞台となった地域が少なくないが、東日本には教科書で教える歴史や文化と縁遠い地域が少なくない。今は何でも関東中心で、関西は元気がないというイメージがあるが、それは経済的な面でのことあり、文化的には関東はいまだに関西に大きく水をあけられていると感じる。

東日本の多くの地方都市には文化らしい文化がない。少なくとも私のふるさとには文化的に誇るべきものは何もなかった。そして記事にあるように文化に金をつかおうという発想がないし、教育にも申し訳程度にしか金をつかわない。パチンコや車のドレスアップなどに金をつかう若い人が多かった。

高校生の頃の私が「大学」と聞いたとき思い浮かべることができたのは、「白衣を着たハカセが実験室で顕微鏡をのぞいたり、謎の液体が入ったフラスコを振ったりしている場所」という貧しいイメージのみであった。

釧路にも大学は存在すると書いたが、しかし子供たちにとってそこは病院などと区別されない「建物」にすぎず、「大学生」という存在にじかに出会ったことは、すくなくとも私は一度もなかったし、また私の場合は親族にも大学卒業者が皆無だったため、高校卒業後の選択肢として「大学進学」をイメージすることは、きわめて困難であった。


私も同様の経験を持っている。私の出身地から車で30分ほど行ったところに無名大学というのが一つか二つ一応あったが、ただの建物としか認識していなかったし、大学生というものに会ったことがなかった。大学に入るまでは大学というのは高尚でありがたい、人類の知の粋を教えてくれるところというイメージを持っていた。大学に入れば高級な人間になれると思っていた。

いわゆる「底辺」と形容される中学に通っていた私には、高い学力を持ちながらも、その価値を知らず道を誤ってしまった親しい友人を多く持っていたため、むしろ自らが手にした幸運の偶然性に寒気がしたものであった。

私のまわりにも非常に優秀で人当たりもよく、人間的なポテンシャルの高い友人が何人もいたが、そういう人たちは高校に入ると偏差値的に並みの人になってしまい、地方の国立大か、日東駒専、大東亜帝国といった大学に入っていった。おそらく彼らが東京で育ったなら、ふつうにやってもMARCH、ちょっとがんばれば早慶上智ぐらいには入っていたものと思われる。偏差値はしょせん偏差値にすぎないとはいうものの、やはり偏差値的に高い大学に入ると将来の選択肢が広がり、その後の人生を豊かにする可能性が高いと思う。

田舎の何が問題かというと、高いレベルのものに実際に触れたり、目にするチャンスがないということである。そのため自分がそのレベルに実際に手が届くというイメージが湧いてこない。自分の人生がそこに連続しているという実感がない。インターネットが発達したから、地方にいても都市部と変わらない教育が受けられるという人もいるかもしれないが、地方にいて都市部の人と同じような意識を持てる人はそれほど多くはないと思われる。ネット越しでは実感がないし、周りの人の意識も違うのである。

この記事の中で、筆者は東京で生まれ育って東大に入った学生を「特権階級」「文化的な貴族」と呼んでいる。「彼らには、自らがその地理的アドバンテージを享受しているという自覚はない」のである。逆もまたしかり。だからこそこのような地域格差はなかなか問題とならない。

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教育・文化的なことだけではなく、卓球においても同じようなことがいえるだろう。
都市部(あるいは卓球の強い地方都市)には県大会で常に上位進出する、あるいはかつては全国大会でも上位にくいこんだような人がゴロゴロいて、地域の大会等でそういう人のプレーを間近にみることもできる。時には声をかけて卓球上達のコツや意識というものを直接教えてもらえることもあるだろう。もしかしたら、同じクラブ内にそういう人がいて実際に練習相手をしてもらえることさえあるかもしれない。そういう人の練習を目にし、アドバイスをもらうことにより、どうすれば全国大会に出場できるのかが現実味をもって分かってくる。自分も全国大会に出場できるかもしれないというイメージを持つことができる。

一方、卓球の弱い地方には全国レベルの選手がほとんどおらず、地方の大会でダントツで優勝した人が県大会などに行って2~3回戦までしか進めないということが私の出身地ではあった。私の周りにも卓球に対して並々ならぬ熱意を持ち、卓球のセンスを感じさせるような人がいたが、そういう人も全国大会はおろか、県大会でも上位進出はならなかった(前記事「あたし、ついていけそうもない」「二十年後の君へ」)。私の地域で最も強かったYくんもおそらく県大会上位進出までしか頭になかっただろう。今思い返すと、彼の卓球はラリーに持ち込んで打点を下げて後ろから安全にドライブを打つ卓球だったように思う。ミスが少なかったので県大会予選ではそれで無敵だったが、県大会に行くと、前陣でガンガン攻撃してくる人に一方的に攻められてしまっていたように思う。指導者はもちろん、練習相手にも恵まれていなかった。しかし、もし彼が全国レベルを経験したような人たちの中で卓球をしていたらどうなっただろう。彼ほどの熱意があれば一度ぐらいはインターハイ出場にこぎつけたのではないかと思われてならない。

卓球が強い県は良い指導者や強い練習相手がたくさんいて、いつも強く、卓球が弱い県は熱意のある選手がいても、いつの時代も弱い。この格差は私たちが思っているよりもずっと大きい。こういうことを卓球後進県の人が自覚しないと、いつまでたっても卓球環境は向上しない。全てを環境のせいだというつもりはないが、環境の影響というのは卓球が上達する上で致命的な差となって現れるのではないかと思う。