「人生に無駄な経験などない」
という言葉があるが、これは本当だなと思う。一見するとこれからの人生に全く役に立たなそうに見える経験でも、いつかどこかで役に立つものだ。ただ、一つ一つの経験が自分の進みたい方向に大きく役に立つか、少しだけ役に立つかという違いはあるかと思われる。ともあれ、どんな経験でも多かれ少なかれ何らかの役に立つに違いない。
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新年度が始まり、卓球動画をゆっくり見ることがなかなかできなかったが、この週末にいくつか見ることができた。



勉強が卓球に役に立つか、あるいは卓球が勉強に役に立つか、という対談だった。
それを見て私が思ったのは、頭がいい人が必ずしも偏差値が高いわけではないし、偏差値の高い人が必ずしも頭がいいわけではないということである。

「頭がいい」をどうとらえるかは人によって違うだろうが、とりあえず「ポテンシャルとして頭の回転が速い」ということにしておこうかと思う。

ノーベル賞をとるような飛び切りの頭脳を持った人はともかく、通常の人は頭の回転数が高いだけでは結果が出せないことが多いのではないだろうか。

私は子供のころ、夏休みの宿題を8/31日にまとめてやるような、典型的なダメっ子だったが、成績のいい子は31日に地獄を見ないようにきちんと計画を立てて夏休みの宿題をこなしていた(前記事「さんすうとよそく」)。
社会人になって、私は配布された書類をクリアファイルに無造作につっこんでおいて、紛失したり、重要な連絡をうっかり忘れたりといったことがよくあった。仕事ができる人は配布された書類にパンチで穴をあけ、時系列に沿ってきちんと大きなリングファイルにまとめていたし、重要な連絡を受けるたびに、忘れないように手帳にきちんとメモしていた。そういえば、そういう人は机の上もよく整理されていた。私よりももっとひどい人もいるかもしれない。ねぼうして授業や仕事に大幅に遅刻したり、きちんと挨拶できなかったり、軽率に上司を批評してしまったり。

日常生活の中には膨大な情報と複雑な人間関係のネットワークがある。
上手に世を渡っていくには頭の回転が速いだけではだめで、不意にやってくる雑然とした情報を整理して、人間関係を円滑にするための技術が必要である。そういうものがあってはじめて頭の良さが生きてくる。このような生きる上での最も基本的な能力「人間力」が備わっていれば、多少頭の回転が遅くても高い偏差値を維持できるし、逆にそれが欠けていれば、いくら頭の回転が速くても学校の成績が悪かったりするのだ。


「卓球上達のヒミツ!やっすんとがねが語る上達サイクルとは」

もう一つはやっすん氏の上の動画である。
基礎力

「チキータを完全マスターしようとする人が多すぎる!」
「チキータの質をいきなりレベル10まで上げようみたいな」

たとえばチキータをやったことがない人が、チキータの練習をするとする。
ミドルあたりにきたショートサーブをチキータで返球するという練習を繰り返し、なんとか山なりの遅いボールで8割がた入れられるようになった。
しかし、それでは満足せず、チキータのスピードをどんどん上げて、一発で打ち抜けるような鋭いチキータを目指し、ひたすら練習に打ち込む。ある程度低くて鋭いチキータが打てるようになっても、「まだまだ威力が足りない」と、さらなる進歩を追求する。どうやったらもっとスピードが上がるか、回転がかかるか、厳しいコースを突けるか…こんな人が多すぎるとやっすん氏は述べているのである。

しかし、こういう人が本当にすごいチキータを打てるようになったとしても、コースを散らされれば対応できずミスを連発するし、ロングサーブを出されたとき、チキータをやめて、バックドライブ打つといった方向転換がなかなかできない。単体の技術のレベルを上げることばかりに汲々として、それを支えているフットワークや素早い判断といったことを全く磨いてこなかったからである。

やっすん氏の考え方はこうである。
山なりのチキータでも、安定して入るようになったら、それ以上チキータの威力を上げる必要はない。100点満点は必要ない、60点で十分である。次はいろいろなコースに来たボールをチキータで打てるようにする、あるいは相手のツッツキに対してチキータをしてみる等、どんなシチュエーションでもチキータが打てる(あるいはとっさに方向転換する)練習をすべきだ。そしてどんなボールにもミスせずチキータが打てるようになったら、次はチキータのレベルを2に上げて、ボールを低くし、回転ももう少し上げて、同じようにいろいろなボールを送ってもらってミスせず返球できるようにする。それができるようになったら、チキータのレベルを3に上げて、一発で抜けるようなチキータにする…。

不思議なことにレベル1のチキータで多様なボールに対応できるようになる――1周目が終わると、自然にチキータ自体の質も上がり、レベル2になっているのだという。チキータ自体の質を上げる練習を特にしていなくてもである。それはランダムに多様なボールに対応する練習をしているうちに相手のボールがどこにバウンドし、どんな軌道を描くかを以前より早く判断できるようになり、それによって、足も早く出せるようになり、チキータを打つときに時間的な余裕ができるので、万全の態勢でチキータを打つことができるので、自然と威力が増すのだという。

単体の「技術」を成功させるためには素早く判断する、足を動かす、身体全体を使う…といった「卓球人としての基礎スペック」を高めなければならない。

この主張は私がずっと感じていたことを代弁してくれたように感じた。チキータやドライブといった単体の「技術」の質を高めるためにはその背景にある「基礎力」を高めなければならない(前記事「機の感覚」)。いくら単体のチキータやドライブの質が高くても、それが打てるための前提の部分(私はこれまで「準備」と呼んでいた)をおろそかにすると実戦では使えない。前記事「打つ練習と打たれる練習」で私は相手の強打を受けるという練習をしたが、このとき、私は単体の「技術」の練習を全くしなかったにもかかわらず、非常に練習になった。「技術」ではなく、すばやく戻る、足を出す、判断するといった「基礎力」の練習だったのだ。

「卓球の基本」とは何かということを私はずっと考えていた(前記事「卓球で一番大切なこと」)。フォアドライブやブロックやツッツキといった技術がきちんとできるのが「基本ができている」ということになるのだろうか?そうではなく、これらの単体の「技術」とそれを裏で支える「基礎力」を合わせて「卓球の基本」ができていると言えるのではないか。

やっすん氏の動画を見て、頭の中の霧が晴れたような、はれやかな気分になった。