Jさんは私よりも格上の人で、よく練習に付き合ってもらう人である。
最近、忙しくて練習できず、バックドライブが安定しないというので、1時間ほどJさんのバックドライブの練習に付き合ってあげたのだ。

Jさんがサーブを出して、私がバック側に長くつっつき、それをJさんがバックドライブでストレートに打ち抜くという練習である。たしかにオーバーミスが多いのだが、そのバックドライブは打点が早く非常に鋭い。打たれたら全くとれない。私は低く長くつっつくだけの役割だが、それでもツッツキの練習にはなった。

しかし、多球練習のように1発強打を打って終わりでは、Jさんも味気なかろう。せっかくなかなか受けられないような質の高いバックドライブを打ってもらっているのだから、私がちょっとフォアブロックで止めて、ラリーにでもなれば、私のブロックの練習にもなるし、Jさんも練習のし甲斐があることだろうと私は4球目でブロックを試みるのだが、ボールが速すぎてラケットにかすりもしない。いや、待てよ。ボールが速すぎてブロックが間に合わないのだろうか。もしかしたら、私の戻りが遅すぎて間に合わないのではないだろうか。

そんなことを考えて、私は2球目でツッツキしたあと、できるだけ早く戻る(強打に備える)ことにした。そうすると、3球に1球ぐらいはラケットに当たるではないか。もう少し早く戻れないかとツッツキのタッチを短くしたり、ツッツキの時の右足の位置を変えてみたり、いろいろ試してみると、なんとか半分ぐらいはブロックできるようになった。

私は以前、上手な人に「振り終わった後、ラケットが止まっている」と指摘されたことがある。「ラケットを止めないで次の打球につなげないと」などとアドバイスを受けたのだが、自分のスイングの終点でラケットが止まっているという自覚が全くなかった。自分ではラケットを止めずに次の打球にスムースにつなげているつもりなのだが、上手な人にもう一度見てもらったところ、やはり止まっているのだという。止まっているという自覚がないので直そうにも直しようがなかった。

今なら私は自分のラケットが止まっていたことがよく分かる。打ち終わった後に一瞬、力を抜ききってしまっていたのである。今回、Jさんの鋭いボールになんとか間に合わせようと全力で――いいボールを返そうなどと思わず、とにかく当てるだけでいいという気持ちで戻ることだけに専念した結果、私は自分のラケットが、打ち終わった後にほんのわずかに止まっていることが自覚できたのだった。

これは一筆書きだなと思った。行書と言ってもいい。

書道

私のスイング、ひいては身体の動きは、いわば楷書だったのだ。一振り一振り、自覚がないほどのわずかな時間だが、動きに切れ目がある。動きが止まっている。ラリーの最中にそのように緊張を途切れさせてしまうと、戻りが遅くなる。もちろんガチガチに力を入れ続けろというわけではない。打ち終わった後には力を抜くのだが、抜くといっても完全に力を抜くのではない。身体の奥底に地下水脈のように細い緊張の糸を途切れさせないようにしておくのである。

課題練習というと、自分が打つ練習を選択することが多いが、自分が攻撃する練習というのは打たれる練習に比べて時間的な余裕がある。それで自分のプレーの中の時間のロスになかなか気づきにくいが、Jさんとの練習のように絶好球を送って強打を打たれる練習でラリーを続けようとすると、こちらの時間的余裕が全くない。その時間がない中で、なんとか時間をやりくりしようとすることによって自分の動きの中のロスに目を向け、それを一つ一つつぶしていくことができる。

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こういう気分だった

打たれる練習は自分の処理速度を上げるのに有益だと感じた。