いろいろな人に話を聞いたシリーズ第3回は大学の先生から聞いた話である。

寿司職人の世界では「飯炊き3年握り8年」と言われるらしい。

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うなぎ屋でも「串打ち3年、裂き8年、焼き一生」という言葉があるという。卓球で言えばどうなるだろう。
フォア打ち3年、ハーフボレー3年、ブロック3年、ツッツキ3年、フォアドライブ3年、バックドライブ3年、サーブ…この調子で行くと、試合に出られるようになるのに20年以上かかってしまう。
職人の世界では、毎日やって「飯炊き3年」で、その間は他の仕事はさせてもらえない(たぶん)わけだから、その密度たるやすさまじいものがある。卓球でもフォア打ちだけを3年間毎日5~6時間も続けたら、さぞいろいろな発見があることだろう。

徒弟制度の指導のアプローチというのは、先輩が模範を見せて、その一つの技術が完璧にコピーできるようになってはじめて次の段階に進めるということなのかなと思う。こういうやり方が性に合っている人もいるかもしれないが、私には無理だ。

一方、全く正反対のアプローチの教育を受けて成功した人も私は知っている。
中国人のQ先生は、流暢に日本語を操り、日本語で研究論文も発表しているが、Q先生が受けた教育はこんな教育だったという。

日常会話に毛の生えた程度の日本語しか話せない状態で日本の大学院に留学したところ、親切丁寧な指導などは全くなく、いきなり専門的な論文を読まされ、あまつさえ同程度の研究発表を要求されたのだという。卓球で言えば、公立の中学校の卓球部員が日本リーグ加盟の実業団の卓球部に入部して試合をさせられるようなものである。まず論文が読めない。中国人のアドバンテージで漢字からなんとなく意味を類推できるが、それでもほとんど理解できない。にもかかわらず1ヶ月後に怖~い先生の前で日本語で意味のある発表をしなければならない。怖い先生は自分の研究で忙しく、何も教えてくれない。どうすればいいのか。例えば私が今、ハーバード大学だの、スタンフォード大学だのに留学し、1ヶ月後に英語で専門的な発表をしろと言われたら…無理に決まっている!

Q先生は先輩や友人からいろいろアドバイスをもらい、自分のできることを定め、その一点に集中して調査をし、なんとかゼミ発表までこぎつけたが、当然のごとく大失敗で、怖い先生からはその発表内容に対してネチネチと罵詈雑言を浴びせられた。しかし、そのような大失敗を何度もくり返すうちに数年後にはなんとか専門的な研究論文を読めるようなり、発表もできるようになったのだという。

専門的な日本語が全く分からない状態なのに数年後には専門的な研究発表ができるようになったQ先生。こういう例はQ先生が中国人で、漢字がよく分かるというアドバンテージを活かした稀なケースといえるかもしれないが、他にもこういう例を思い出すことができる。

ドナルド・キーン氏は日本文学研究の泰斗と言われるすごい人だが、氏はもともとアメリカ人(近年日本に帰化)で母語は英語である。にもかかわらず日本人でさえ読めないような古代の日本語から近現代の文学作品まで読みこなす日本語読解力は日本人以上と言える(ただ、講演会で実際の話を聞いた時、発音はそれほど流暢ではないという印象を受けた)

古事記を翻訳したチェンバレンや源氏物語を翻訳したアーサー・ウェイリーなども同様である。おそらく彼らは先生の指導を受けながら一つ一つの段階を順番にクリアして最終的に古事記なり源氏物語なりを翻訳したわけではなく、日本語がそれほど上手でない状態でいきなり古代日本語と向き合い、どうすればいいかを模索しながら手探りで翻訳していったのだと思われる。

職人のアプローチが先生の技術をコピーして一つ一つを完璧にした上で次の段階へ移るというやり方なのに対して、Q先生のアプローチは能力的には不十分でも難しい課題を設定し、それを達成するためにどうすればいいかを自分で考えるというアプローチだったと言えるのではないだろうか。

これを卓球で考えるとどうなるか。
私が明治大学や専修大学の卓球部に入部して…というのは、そもそも大学の卓球部に入部できないから無理である。そんな高いレベルでなくとも、身近にいる強い人と試合をさせてもらうというので十分だ。おそらく1ゲームあたりせいぜい3~4点しかとれないだろう。サーブが返せない、返せても3球目で強打されて終わり。こちらのサーブは2球目で強打。あるいは厳しくレシーブされて、4球目で強打されて終わり。どうすればいいのか。まず相手のサーブを厳しく返球できるレシーブ力を身につけなければならないし、容易に強打されないようなサーブ力を身につけなければならない。

これまでなら、強い人と試合して負けても、「勝てるわけない」などと思ってしまい、自分に欠けている技術や相手の攻撃を防ぐ戦術などあまり反省することもなかったが、強い人に絶対に勝つという目標が定まればおのずと自分がすべきことも見えてくる。サーブを磨き、レシーブを厳しくするというのがまず第一の課題である。そしてその課題をなんとかクリアしたとしても、やはり強い人には先手を取られて強打されてしまうだろう。となると、どんなボールでも確実にブロックできるブロック力が重要になってくる。ここまでがきちんとできないと、強い人と試合をしてラリーにまで持ち込めない。

まず、サーブとレシーブの向上が第一段階で、次の段階がブロック力の強化である。

あれ?なんだか職人の段階的なアプローチに近づいてきたぞ。となると、職人的なアプローチも、Q先生のアプローチも大差ないということになるのだろうか。いや、違う。私は今、難しい課題に対して自分で解決法を考え、それを高いモチベーションで実践(練習)に移そうと考えている。職人的なアプローチなら、たぶんこれほどの高いモチベーションは湧いてこなかっただろう。指導者が模範を示し、そのとおりにマネをする、というアプローチではおそらく当事者意識が湧いてこなかったと思う。「コーチの言うとおりにしていれば、自然に強くなる」というあなたまかせの練習では、「やらされてる感」しかないだろう。それに比べてQ先生のアプローチでは自分で課題を発見し、その解決法を自分で考えるというプロセスがあり、「頼りになるのは自分だけだ」という切迫感のようなものがある。このような意識が上達には非常に有効なのではないかと思われる。

教育しうるのは気づきのみである」(カレブ・ガテーニョ)。