よく中年になると、動けなくなるなどと言われるが、それがどういうことか私にもようやく分かってきた。これから中年を迎える若い人に中年の身体にどんな変化が生じるか知ってもらえたらと思う。


東京選手権ローシクスティー決勝

長谷川選手、横田選手ともに60代とは思えないキビキビとしたフットワークである。還暦を迎えてなおこれだけ動けるとは驚きを禁じ得ない。

中年になると体力が衰え、動けなくなるというが、本当だろうか。
もちろん筋力や瞬発力が衰えていることは確かで、学生時代に全国大会などに出場したような層が中年になると以前のように動けなくなったという場合は、体力の衰えが主な原因だと思う。たとえば、回り込んでフォアドライブを打ったあと、フォア側に返球されたボールを全力で飛びついてフォアドライブ連打ができなくなったとか、そういうフォアからバックまで広い範囲を動き回るような卓球である。

そういう層もいるかとは思うが、私が今述べようとしているのは初中級者のオジサン卓球の話である。初中級者は若い頃からフォア側からバック側までの広い範囲をフォアハンドでカバーするような動きはできなかっただろう。せいぜい回り込んでフォアドライブを強打するといったぐらいだ(私のレベルに引きつけ過ぎだろうか?)

オジサン卓球で「若い頃のように動けない」というのは、左右方向に2メートルも動くということではなく、50センチほどの回り込みさえ満足にできなくなるといったレベルなのである。

先日、また腰をやってしまった。

backache


それまでは自分に負荷をかけてフォア主体でできるだけ動き回る卓球が好き(「好き」なだけで、ちゃんと「できる」わけではない)だったのだが、ある日、いつものようにこちらのファオドライブを相手にブロックしてもらって、こちらの台のバック半面ぐらいの範囲でランダムに返球してもらうというフットワーク練習をしていたときのことだった。ほとんどのボールをフォアドライブで全力で打球していたところ、がんばりすぎて尾骶骨のあたりに違和感を感じた。翌日、尾骶骨の辺りが痛くて腰を曲げられない状態になってしまった。ベッドに横たわるときも、腰をまっすぐにしたまま横にならなければならなかった。

その後、安静にして、卓球も控えめにやっていたのだが、なかなか痛みが消えない。2~3週間ほど経って、ようやく痛みがなくなってきたが、違和感はなかなか消えない。

腰の故障はクセになると聞いたことがある。以前のようにフォア主体で動き回ったら、また腰痛が再発し、命取りになるかもしれない…。もし卓球ができない体になってしまったら、どうすればいいんだ…。

それ以来、私は今に至るまで無理に動いたり、腰に力を込めて全力でフォアドライブを打つことが怖くなってしまった。フォア側へ厳しいボールが来たら、以前は無我夢中で飛びついていたのだが、今はもうフォアを厳しく突かれた時点であきらめることにしている。体力的に衰えたとはいえ、飛びつきや回り込みが全くできないわけではない。が、無理にそれをやって次に腰を痛めたら、私の腰はどうなってしまうのだろう。

腰だけではない。ヒザに故障を抱えていて、激しく動くのがこわいという人も知っている。ヒジや肩に故障を抱えている人もいるだろう。中年になってバリバリ動き回って全力で打球するような卓球をしていると、身体がぶっ壊れてしまいかねない。体力的に衰えていることは確かなのだが、動こうと思えば動けないことはないという中年もけっこういると思う。だが、体力的な衰え以上に故障に対する恐怖が中年の卓球にブレーキを掛けさせているのだと思われる。

水谷選手や福原選手へのインタビューで「痛み止めを打って試合に出た」のように述懐しているのを読んだことがある。若者でもトップ選手ともなると、故障に対する不安と常に隣り合わせになるようだ。

私は今のところ腰の故障が心配である。それによってフットワークに過大な負担をかけるのをあきらめ、その代わりバックハンドを強化しようと方向転換を図っている最中である。若者のようにフットワークをガンガン使ってフォアハンドで動き回る卓球はもはや無理である。そうなると、なんだか卓球の醍醐味を一つ失ってしまったような気分である。縦横無尽なフットワークを使ったプレーこそ卓球の楽しさだと思うからだ。

今朝のネットのニュースでこんな記事を読んだ。発達障害を抱えた宮長さんが自身の人生を振り返り、発達障害との付き合い方を語った記事である。

「発達障害で苦労したことはたくさんあるし、できないことも多いけど、その代わり、他の人とは発想や考え方が違うし、おそらく頭の回転は速いと思っています。だからしゃべりも速くなってしまうのですが……。たとえばシステムやプログラムでトラブルが起きた際、ほかの人が見ている角度とは少し違う方向から攻めて解決することが多いです。

発達障害があるからとマイナスに考えても仕方がない。足りない分はきっとどこかに足されているはずだと考えています。でも、それと同時に普通の人と一緒にいられる自分にならなくてはという思いもあります。だから、普段から早口にならないよう意識はしています」(宮長さん)


「足りない分はきっとどこかに足されているはずだ」という言葉に励まされた。私もフットワークを失ったが、その代わりバックハンド強化という新たな道に希望を見出すことができた。これで失った分が足されたということになるのかもしれない。