台風が接近し、せっかくの週末だが、出かけられない。

私は部屋で雨音を聞きながら、ブログを書くぐらいしかすることがない。

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ヤフオクを見ていたら、こんなラケットケースを見つけた。

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非常に私好みのデザインである。以前、売っていた記憶があるが、いつごろの製品か思い出せない。ラケットケースなんて年々進化するわけではないのに、どうして廃版になったとたん市場から消えてしまうのだろう。古い製品をずっと売ってくれればいいのに。

現行品よりカッコいいとおもうのだが。

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(現行品)


用具をコロコロ変えると、調子が悪くなるので、ラケットとラバーにあれこれ手を出すのを自ら戒めている。しかし、気づいたらネットで卓球製品のページを見ている。仕事が終わって、食事を済ませて、ネットで卓球用具のページを見ていると、なんとも心が落ち着くのだ。

新しいラケットを試してみたい…いや、それはやはりダメだ。しかし用具を買いたい…。

そんな葛藤の末に気づいた。ラケットとラバーは変えられないが、ラケットケースならコロコロ変えてもいいじゃないか。
最近のラケットケースはちょっといいなと思わせる製品も多く、そういう目で見てみると、いろいろ欲しくなってくる。私は使わないラケットをいくつも持っているが、そういうものを保管するという大義名分があるので、お気に入りのラケットケースを複数購入するというのも悪くないアイディアだ。


ラケットケースなんて、ちょっと古いもののほうがむしろカッコいいのではないだろうか。

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昔はこういうシンプルな製品しかなかったが、これも今見ると、味があってほしくなる。メーカーも毎年新しい製品を出すだけではなく、70年モデルとか80年モデルとか、古い製品をずっと売り続けてくれたらいいのになぁ。

つい1~2年前に廃版になってしまった製品などの中には、買っておけばよかったと後悔させられるものがある。
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このバタフライのケースもつい最近発売されたばかりだと思ったら、もうどこにも売っていない。


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この愛ちゃんモデルのケースは市場から消えつつある。10年後に振り返ってみると、ちょっと購買意欲をそそられるかもしれない。


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このキラースピンのケースなどは10年ぐらい前から売っていると思うが、そろそろ市場から消えそうな気がする。

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このスティガのケースはシンプルでカッコいいなぁ。買っておけばよかった。


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アンドロのグラフィティー・ケース。私はこういうデザインは好みではないが、こういうデザインのケースはもう二度と現れないかもしれない。好きな人は今のうちに買っておいた方がいいだろう。


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このアンドロのケースも今までにない素材感なのでちょっと欲しいなぁ。


オチも何もない雑文だが、そろそろ飽きてきたので、以上である。

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そういえば、こんな言葉を目にした。

この世に〝雑用〟という用はありません。用を雑にしたときに、雑用が生まれるのです。」(渡辺和子)

 

(前略)自ら望んだとはいえ、日々繰り返される修練院での単純作業に嫌気がさしていたころに気づかされた、時間への向き合い方だった。

 

 渡辺さんは、続けてこう語る。

「生きていく上では、嫌なこと、したくないこと、欲しくないもの、気に入らない相手など、数々の自分にとって〝ありがたくない〟物事に向き合わないといけないことがあります。つまらない仕事を、つまらなくない仕事に変える術を、若くして修練院で教えてもらったことを、私は感謝しています」


失礼しました~!

渡辺さんのことはよく知らないが、アメリカの修道院に入り、そこで何年も修行をして、ノートルダム清心女子大の学長になったそうだ。アインシュタインとか、徳川家康とか、そういう何かを発見したり成し遂げたりして歴史に名を残した人は立派だと思うが、年をとるにつれて、そういう有名人よりも、渡辺さんのような社会のために尽くした縁の下の力持ち的な人に心惹かれるようになってくる。そういう人の言葉は重い。

渡辺さんの青年期は、おそらく来る日も来る日も掃除、洗濯、食事の用意、聖書の勉強などが延々と続いたのだろう。卓球に喩えれば毎日毎日フォア打ち往復1000本、バック1000本、ツッツキ…と単調な練習を繰り返すようなものだ。このような単調な練習の中で、意識さえ高ければきっと「つまらない」練習を「つまらなくない」練習に変える術がきっとみつかるに違いない。

私も、書く前から「つまらない記事だなぁ」などと思いながら綴った結果、やはりつまらない「雑文」になってしまったのだ。そうではなく、心の持ちようでどんなトピックでも、きっとおもしろい記事になる!と気付かされた。

反省。