「自分を愛することができない人は、人を愛することもできない」

などとよく言われるが、どういうことだろう。自分を愛するなんて当たり前のことじゃないか。

というか、そもそも自分が好きかどうかなんて意識したこともない。人を愛したり、憎んだりすることはできるが、私にとって自分は愛や憎悪の対象ではない。そのような感情を超越したものである。愛や憎悪の対象になるものは、自分の外側にあるものだけだ。そうでない人がいるんだろうか。

もし「私」を愛するとしたら、「私」を見ている「私」以外の自分がいるということになる。その「自分」とは誰なのか?

などという陳腐な哲学的おしゃべりはこのへんにしておくが、「自分を愛する」とはどういうことだろうと、ふと考えてみた(おっと、哲学だけでなくスポーツの世界でもセルフ1とかセルフ2とか言ったりするか)

世の中には自分のことが好きになれない人というのがたくさんいるらしい。理想的な自分のイメージと現実の自分のイメージのギャップが大きくて、自暴自棄になっているような人だろうか。一升瓶をラッパ飲みしている酔っぱらいをイメージしてしまう。

yopparai

自分を愛するというのは、自分にやさしくするという意味だろうか。自分が新しいラケットが欲しかったら買ってやったり、自分ががんばったら、ほめてやったり。たしかにそういうのも自分を愛することになるのかもしれない。しかし、自分のわがままを受け入れるというのが本当に自分を愛することになるのだろうか。自分のためを思うなら、むしろ自分に厳しくすることこそが自分を愛することになるのではないだろうか。

「あ~めんどくさい。宿題しないで寝ちゃえ」

というのは、自分を愛しているのではなく、単に自分を甘やかしているだけで、のちのちのことを考えれば、むしろ自分をネグレクトしているとさえ言えるのではないか。

つまり

「ランニング、かったるいなぁ。やめとこ。」

というのは自分を愛していないことになるのだ。

私はランニングが嫌いというのは再三述べたことだが、自分のためを考えれば、嫌いなことでも毎日ランニングするのが自分を愛することになるのだろう。

やっぱりランニングに行って来よう…。