表ソフトは後ろに下がったら終わりである。
それで前陣に貼り付いて早いピッチでプレーするわけだが、こういう人と練習をすると、ピッチが早すぎてついていけないことがままある。
そういう人はフォア打ちからして早い。フォア打ちのとき、私は頂点を過ぎたあたりで打球するが、表ソフトの人はバウンド直後に打球してくる。気をつけていないと、フォア打ちでさえ差し込まれてしまうのである。かつての私ならこんなことを考えたに違いない。

「こんな早いボール打てるか!全然続かず、練習にならない!」

しかし、最近は「こういうボールがとれないと、実戦では勝てない」と思えるようになった。我ながら成長したものだ。相手にブロックしてもらって、台の半面に振ってもらい、フットワーク練習をするときも、相手のブロックの打点が早く、しかもプッシュしてくるので間に合わないことが多い。スイングをもっとコンパクトにして時間のロスをなくさなければ…。

さて、世界卓球2017の中国における選考会が行われているようだ。


レベルが高すぎてあまり参考にはならないが、この動画を見て驚くべきはボールのスピードではない。とんでもない速さのドライブが中陣からビュンビュン飛んで来るのは知っていたが、それよりも台上からラリーにかけてのピッチの早さに驚かされる。

台上
三木氏の言うとおり、フォア前のボールを打つときは
フリーハンドを残している


なんなんだ、この早さは。まるで台本があるかのように流れるように台上からラリーに展開している。私のレベルで考えると、相手がストップの姿勢からフリックしてきたら、「あわわわ…」となってとまどい、ただ当てるだけの棒球を返球してしまうものだが、この二人はストップの姿勢からのフリックが来ても、まったく動ぜず、何事もなかったかのように攻撃的なボールで応じている。打ち慣れていて、相手の出方がだいたい予想できるというのを差し引いても、そのテキパキ感は半端ない。

私の場合は「あわわわ…」。中国選手は「そう来ると思ったよ」。

前記事「魂に動揺がないこと」で低いレベルの女子中学生の卓球を考察したが、「意識がボールに追いついていない」というのは、程度の差こそあれ、私のレベルでも常に起こっていることだと再認識した。ワンコースでドライブを打つ練習なら、どこにボールが来るか予め分かっているため、このような「あわわわ…」は起こらないが、試合形式の練習ではこんなことばかりだ。

表ソフトの早いピッチの卓球に対したとき、フォームが大きすぎて間に合わないと反省していたが、本当に私のフォームが無駄に大きいために時間をロスして相手のピッチについていけなかったのだろうか。そうではなく、むしろ意識のスピードが遅れていたために相手のピッチについていけなかったのではないかと思われてならない。フォームの大きさによる時間のロスなど、大したロスではない。それよりも相手の返球が自分の想定の外だったため、どうやって対応するか迷っている時間のロスのほうがかなり大きいと思われる。中国選手のようにテキパキと次々に自分のしなければならないことをロスなくこなしていけば、大振りでも十分間に合うことが多いのではないだろうか。

ではどうすれば意識のスピードを上げることができるのか。
私の考えついた方法は、基本技術を完璧にして、どんなボールでもミスなく返球できる自信をつけることである。想定外のボールが来て「あっ!」と思ったときに、さらに「こう打って入るかな?」などと不安を感じてしまったら、時間を大幅にロスしてしまう。「入るのが当たり前」という心構えで返球しなければならない。そのためには打ちにくい相手――例えば表ソフトの人と練習してどんなボールでも8割以上の確率で入るように練習しなければならないと思う。

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最近、WRMでOSPというメーカーのヴィルトォーソ+というラケットが紹介されていた。
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なかなかかっこいい外観なので、ちょっと興味を持っていたが、ヨーロピアンという方が詳細なレビューを投稿されていた(「ヴィルトォーソ+【OSP】 - ヨーロピアン」)。
その中に「ちらっと聞いた」話として以下の説明があった。

ラケットの重さは木の重さより接着剤やグリップの重さがかなり影響するらしいです。
よって木の品質=重さというのは全くの机上の空論だそうで(木質構造の良し悪しは木の産地・年数・そして木の乾燥状態)重いから弾む、と言うものでは無いそうです。


重いラケットというのは板よりも、接着剤とグリップの重さのほうが大きく影響しているというのである。もしこれが事実なら、私のラケットに対する常識が一変してしまう。「重さが90gを超えているから、板が詰まっていて、ボールがよく飛ぶ」とは限らないということになってしまう。

私は早いピッチについていくためにスイングをコンパクトにしようとがんばっていたが、そうではなく、意識のスピードこそが時間のロスの大きな部分を占めているという結論と、この話はなんだか似ている。