北方の遊牧民、匈奴の侵入に悩まされていた漢は武帝の時代に至ってようやく衛青、霍去病といった将軍を得、匈奴を撃退することに成功した。今までまったく勝てなかった匈奴相手にどうしてこの二人は勝つことができたのか。有能な将軍だったということもあるかもしれないが、一人や二人の有能な将軍の出現で戦争の形勢が劇的に変わるものだろうか。霍去病の百科事典における記述には以下のように書いてある。

前123年に衛青の匈奴征討に従軍して勇将ぶりを発揮し,前121年には驃騎将軍となる。この年,甘粛方面の匈奴に壊滅的打撃を与えて西部匈奴の渾邪(こんや)王を降服させ,前119年には衛青と出撃して匈奴を漠北に一掃する手柄をたてたが,その2年後に24歳で病死した。

戦術においては伝統的な孫子・呉子の兵法にこだわることなく、速度と距離に重点を置く騎兵を主力に採用した。

今まで採用されなかった戦型を採用したらしい。これが大当たりで、その戦型を全軍に行き渡らせたことが匈奴を打ち破ることができた原因かもしれない。

しかし、こんな話も聞いたことがある。出典は忘れた(司馬遼太郎だった気がする)が、武帝の時代に至って鉄製の武器が戦争に大量導入され、鉄の精錬技術を持たない匈奴の軍隊を圧倒したのだという(これに関しては近年匈奴にも製鉄技術があったという報告があるが、まだ定説とはなっていないようだ)。 青銅製の武器を持った匈奴の兵士が鉄製の武器を持った漢の兵士と刃を交えたらどうなるか。硬度にまさる鉄器を持った軍隊が優位に立てるのは想像に難くない。

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なんだか50年代の日本の黄金時代を彷彿させる。
50年代の日本はそれまでヨーロッパで一般的だったカット主体の戦型に対して、攻撃を主体とする戦型で卓球界に革命をもたらしたという。さらに用具開発でも裏ラバーやスポンジラバーなどの開発によって他国を大きくリードしたらしい。

私は考古学の専門家でもないし、古い卓球の歴史に通じているわけでもない。上の理解には多くの誤解が含まれていると思うが、とにかく私が言いたいことは、同じ人間なのだから、同じような戦型、用具で戦っているかぎり、相手に大差をつけて勝ち続けることは難しい、圧倒的に強いということは、戦型なり、用具なりが他国よりも優れているということではないか。

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今年のアジア選手権の結果(ライブ中継してくれたらいいのに)を見て、改めて中国の強さに驚かされた。棄権した女子ダブルス以外は全ての種目で中国が優勝していた。張継科選手が張禹珍選手に2度敗れるという波乱はあったものの、概ね中国の優位は揺るがなかった。

今の中国の、他を寄せ付けない圧倒的な強さは不自然な気がする。近年の国際大会では中国人は常勝である。日本や韓国のコーチ陣も各選手も相当がんばっているはずなのに中国にほぼ勝てないというのはどういうことだろう。同じ人間なのだし、運によっても勝敗が左右される試合という場であるにもかかわらず、中国人はいつも優勝である。

中国は母集団のサイズが違う。人口が日本の10倍以上なのだから、単純に卓球人口が10倍いるから強いという話も聞くが、ホントかなと思う。私は卓球が趣味という中国の若い人と何度か打ったことがあるが、上手な人はほとんどいなかった。聞くと「中国では政府に選ばれた一握りの人以外は本格的にスポーツをしない」ということらしい。超学歴社会の中国では普通の人はスポーツなんかしている暇はないのだろう。詳しく調査したわけではないが、卓球人口や、卓球への打ち込みようなどは日本とあまり変わらないのではないだろうか。

というのはジュニアの時点では日本選手や韓国選手と、中国選手との間には大きな差はないからだ。ジュニアの国際大会では、中国選手が優勝を逃すということもままある。それがシニアになると、どうしてあれほどの差がついてしまうのだろうか。

用具の違いというのもあるかもしれない。中国ラバーと補助剤によって中国にアドバンテージがあるのかもしれない。

「補助剤を塗った選手との試合を100m走にたとえれば、スタートラインの10m先に相手のスターティングブロックが設置されているようなものなんです。」

しかし、補助剤というのは中国選手以外も使っているはずだし、中国ラバーがそれほど性能が高いのなら、他国の選手も使えばいいだけの話だ。それなのに中国ラバーを使っている他国選手がほとんどいないのをみると、用具の差だけが中国選手の強さを特徴づけているわけではないだろう。

また、戦型というのも中国は他国にはない独特のものを持っているのだろうか。昔は情報が少なかったので、新しい戦型なり技術なりに対応するのが難しかっただろうが、今では中国選手の試合の動画がインターネットにあふれている。中国選手の戦型や技術の分析などは、日本ならずとも、世界中のナショナルチームのコーチがやっているはずだ。


「中国選手はどうやって相手のチキータを封じているのか」
「威力を生む身体の使い方とは?」

その程度のことはどの国のチームのコーチでも把握しているに違いない。それなのに大舞台で中国選手に全く勝てないというのはどういうことなのか。

用具も中国選手の使っているものと同等のものが開発でき、戦型や技術も中国選手をコピーできれば中国選手に3回に1回ぐらいは勝てるはずだ。それなのに勝てないということは、用具とか技術といった眼に見えるものではなく、眼に見えないものが中国選手の優位性を生み出しているということではないだろうか。

「眼に見えないもの」とはなんだろうか。

頭の使い方なのではないだろうか。たとえば「戦術」である。
「戦術」というのは、例えば「バックを突いて回りこませたところをフォアにカウンター」といった固定的なものではなく、時時刻刻と変わる試合中の状況から臨機応変に相手の弱点を見つけ出し、そこを上手に突くといった流動的なものである(前記事「「戦術」の意味」)。本稿では固定的な「戦型」と流動的な「戦術」を区別しておく。中国選手は、つまり、相手の戦術の裏をかき、自分の有利な状況をつくるのが上手であり、分析力や形勢判断力に優れているということではないだろうか。シニアになって中国選手が急に強くなるというのは、シニアになってから頭の使い方の訓練を徹底的にするということではないだろうか。

まぁ、私の考えることだから、思い切り外しているのかもしれないが、同じ人間が同じように努力しても、どうしても追いつけないというのは、不自然である。大切な何かが欠けていると推論するのは自然だろう。そしてそれは眼に見える技術等ではなく、意識や頭の使い方といった映像や写真には映らないことに違いない。