「どうして、算数を勉強するの?」
古くて新しい問いである。
算数嫌いの小さな子供にこんなことを聞かれたら、どう答えるだろうか?

「算数を勉強しないと、買い物する時にお金が払えないよ。」

というのが一番一般的な解答だろうか。しかし、算数の恩恵はそれだけにとどまらない。

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たのしい!さんすうのふしぎ なぜ?どうして? 1・2年生』 (高橋書店)という本には次のような解説があった。

算数のおかげで、できること

A 数字によって、体験できないことをイメージすることができる
たとえば、日本には一億人以上の人がいると聞いて、それがどのぐらいの多さかをイメージすることができる。

B 数字や形、時間のことがわかると、予定などが立てやすくなり、しっかりした人になれる
例として「3時に公園で待ち合わせだよ。ここから10分かかるから、そろそろ出かけよう」と、14:49の時計を見ながら男の子が友達を促しているイラストがある。

C 算数が得意になると、ひらめいたり、違う見方ができるようになる
具体例はないが、そういうこともあろうかと思われる。

まず、私が衝撃を受けたのは、Bである。そうだったのか…。私は算数が嫌いだから、いいかげんで、自己管理ができなかったのか。中年になって初めて知った人生の現実である。

卓球で考えてみよう。

X「Yさんのサービスが返せない。ラリーなら絶対に負けないのに、Yさんとやると、ラリーにならずに終わってしまう。納得がいかない。」

などと愚痴っているのを聞いたことがある。
これはつまり、Xさんはレシーブが下手で、かつ、ラリーに持ち込みやすいサービスももっていないということになる。一方、Yさんはサービスが上手で、Xさんの得意なラリーにならないようにレシーブできるということである。つまり、Xさんはラリー能力が高く、サービス、レシーブ能力が低い。必要性の高いものから取り組むべきだという論理から、練習時間を

・サービスに40%
・レシーブに40%
・ラリーを含めた練習に20%

のように割り当てればいいのに、Xさんは算数が苦手で、いつも漫然と自分の好きなラリーを含む練習を中心にしてしまうため、いつまでたってもYさんに勝てないのである。もっとシステマティックに苦手な技術の改善を中心に練習すれば、Yさんに勝てるようになるかもしれない。

試合中でもそうだ。
5-7で負けているときに

「あと、今から2本連取するとして、こちらにサーブ権が回ってくるのは最低4本だ。このサービスをどのような構成にすべきか。ロングサーブとショートサーブの割合を4-0にすべきか、2-2にすべきか、はたまた3-1にすべきか。今までの相手のミスを思い出すと、ロングサービスでのミスが多かった。したがってロングサーブの割合を増やすべきだ。」

のように算数が得意なら、今までのデータの分析から、将来どのように行動すべきか、計画を立てるべきかがわかってくる。

もしかして「統計学が最強の学問」とか、「経済学的アプローチ」とかいうことがもてはやされているが、算数というのは買い物のおつりの計算だけでなく、人生を大きく左右するような可能性を秘めていたのではないか…。

なんでも数字で考えてしまうというのは、ロマンがなくて嫌いなのだが、算数的な考え方を無視することはできない。

卓球で次のボールを予測することが大切だなどと言われる。そんな高度なレベルの話ではなく、算数によって練習の結果や、相手の出方などを高い蓋然性で予測し、自分の進むべき方向を修正していく習慣を身に付ければ、これからの人生が豊かになるのではないだろうか。特に時間のつかいかたを常に意識するというのは、私に最も必要なことである。算数は卓球においても、もっと評価されるべきなのかもしれない。

ちなみに上掲書のシリーズはほかに社会やことば、科学についての疑問を扱ったものもあり、大人が読んでも勉強になる。