利用者のほとんどいない高速道路や空港の建設、効果の疑わしいダムの建設など、私たちは無駄な公共事業に批判的な目を向ける。貴重な血税を必要性の低い工事に費やすなどもってのほかである。一般道路が十分機能しているのにわざわざ高速道路を作る必要はないし、隣の県には立派な空港があるのだから、飛行機に乗りたいなら、電車に1時間ほど乗ればいい。そもそも飛行機に乗る機会がある人がほとんどいない。これまで氾濫して甚大な被害を与えたこともない河なのにダムを作る必要が本当にあるのか。
インフラが充実したり、万が一のために備えたりすることは、本来歓迎されるべきはずのことである。しかし、必要性もないのに、需要を先取りして限られた予算をそちらに回すというのはどうかと思われる。
では、翻って私たちの練習や、試合中における意識はどうか。
「どうやって3球目攻撃につなげればいいのか」
「相手のショートサービスをチキータで攻撃して先手を取らなければ」
いつも「ラリーでドーン」(前記事「台上練習のインセンティブ」)のことばかり考えているのではないだろうか。
しかし、相手もドーンと打たせないように必死で工夫しているわけだから、そう簡単には打てない。それを無理に打とうとするわけだから、どうしてもミスが多くなる。
こっちはドーンと打とう、打とうと狙っている。相手は打ちにくいところに送ってミスを誘おうとしている。私程度のレベルだと、この両者の対決は、たいていミスを誘おうとしているほうに軍配が上がる。
その結果、5回中2~3回ミスするのも顧みず、打てないボールを打とうとする横紙破りを繰り返す。ストレスもたまるし、得点がミスを下回った場合は「調子が悪い」などと落ち込んでしまう。そうそう打てないボールをなんとかして打とうとするのだから、どうしてもミスが多くなるのは避けられない。
私はふだんの練習で3球目攻撃の練習や、両ハンドドライブの練習ばかりしているが、それを実戦で使う機会は実はそれほど多くないのかもしれない。私の低いレベルでは、得点のほとんどは相手のミスで、気持ちよく連続ドライブを決める機会なんて1ゲーム中、せいぜい1~2本ぐらいである。合理的に考えれば、必要があるから、それに備えて対策を講じるのであって、必要がないうちから需要を先取りして「ドーン」のことばかり考えているというのは不合理な練習、あるいは対戦態度と言わざるをえない。
後の先などという高度な戦術ではないが、こちらから積極的に打とうとするよりも、むしろ相手に嫌なボールを送って、不十分な体勢で打たせたほうが、試合では勝ちやすい気がする(前記事「オレは魔界をみた!」)。相手のサービスをいきなり打とうと狙うよりも、とりあえず2球目は合わせようとする意識でいると、気が楽である。相手のロングサービスを打たせないようにストップして、あちらがダブルストップで応じたとしても、こちらは全く動じない。どんなボールが来ても、とりあえずツッツキやストップで相手の打ちにくいところを狙っていこうという態度なので、ストップされても、
「じゃあ次はバック深くにツッツイてみるか」
という感じで心理的に余裕がある。
逆にドーンと打ってやろうと狙っているところにストップされたら、精神的なダメージは大きい。
「今度こそ打てるかと思っていたのに、また肩透かしを食らった…」
あまつさえ、回りこんでちょっと後ろに下がって打つチャンスをうかがっていただけに、ストップされたらつんのめって、体勢が崩れ、甘いレシーブになってしまう。そこを逆に攻撃されてしまう。
こちらが「攻撃したい」と不断に思っていると、かえって攻撃のチャンスを与えてしまうというのは皮肉である(繰り返しになるが、これは私程度のレベルの試合の話である)。以前、渡辺貴史氏の「ストライクゾーンの待っているところに、ボールを送ると物凄いボールがきますが、ちょっとはずすと10本中、8本入らなかったりします。」という言葉を引用した(前記事「枯淡の味わい」)が、おいしい展開にありつけると期待していると、心に隙が生まれるものである。初めから「おいしい展開にはそうそうならない」と冷めた意識で試合に臨んだほうが、ふだんの実力が出せるような気がする。
最近私はレシーブで得点することに喜びを覚えている。攻撃のチャンスを狙っている相手に打点の速いツッツキやストップで軽く返球すると、攻撃のチャンスを狙っている相手は詰まってうまく打てないことが多い。台上のチマチマで得点するのは工夫の余地もチャンスも大いにある。
・相手が自分のバックにツッツイて来たら、フォア前にストップ(コースと長短の工夫)
・相手が自分のバック側に速いロングサービスを出してきたら、横回転をかけて返球(回転の工夫)
・相手が鋭く切れたツッツキをしてきたら、乗せるタッチであえて回転をかけず、フォア側に深いボールを送って打たせる(回転・長短・コースの工夫)
3球目ぐらいで打つチャンスがめぐってくるなどとは思わない。
しかし、そんなふうにレシーブに専念していると、ふいに攻撃のチャンスがめぐってきたりする。なんだか人生に通じるものがある。おいしい話にありつこうとして権力者にしっぽを振っていると、小さい獲物を手に入れることはあるが、結局「あいつは信用ならないヤツ」という烙印を押されて、大きな獲物は逃してしまうものだ。そうではなく、
「そうそううまい話なんかない。自分を信じて地道にやっていれば、いつか大成するものだ。焦ってはいけない」
そんな態度で試合をしていると、案外チャンスがめぐってくるような気がする。
ここではじめて「必要性」が生まれる。ふいにめぐってくるチャンスにどうしていいか分からず、逆に打ちミスしてしまうことも少なくない。そこでどんなレシーブをしたら、相手が甘いボールを送ってくるのかというのを観察し、そのようなレシーブを意図的に出せれば、めぐってきたチャンスを生かすことができる。
つまり、チャンスメイキングである。私は今までチャンスメイキングをせずにおいしいところだけ持って行こうという意識だったから、肩透かしばかりだったのだ。このように攻撃のチャンスがめぐってくるようになってはじめて攻撃の練習が生きる。
というわけで、最近私は攻撃の練習よりも、レシーブの練習に力を入れている。レシーブがきちんとできてから攻撃を――必要性が生まれてから対策を講じればいいという態度なので、試合をしていて楽しい。2~3球目でドーンと決める卓球は私にはまだ早い。たしかにツッツキやストップを中心にした試合運びは派手にドーンと決められることは少ないが、このような「台上でチマチマ」で得点するのもなかなか味わい深いものである。こういう試合運びを続けて、レシーブと攻撃の因果関係を注視していれば、そのうちドーンと決める卓球ができるようになるだろうと気長に構えている。試合の中で自分のプレーがなかなか攻撃に結びつかずに悩んでいる人が初中級者には多いと思われるが、「ぼちぼちいこか」という対戦態度のほうが精神衛生上も、結果もいいものになるのではないかと思っている。
インフラが充実したり、万が一のために備えたりすることは、本来歓迎されるべきはずのことである。しかし、必要性もないのに、需要を先取りして限られた予算をそちらに回すというのはどうかと思われる。
では、翻って私たちの練習や、試合中における意識はどうか。
「どうやって3球目攻撃につなげればいいのか」
「相手のショートサービスをチキータで攻撃して先手を取らなければ」
いつも「ラリーでドーン」(前記事「台上練習のインセンティブ」)のことばかり考えているのではないだろうか。
しかし、相手もドーンと打たせないように必死で工夫しているわけだから、そう簡単には打てない。それを無理に打とうとするわけだから、どうしてもミスが多くなる。
こっちはドーンと打とう、打とうと狙っている。相手は打ちにくいところに送ってミスを誘おうとしている。私程度のレベルだと、この両者の対決は、たいていミスを誘おうとしているほうに軍配が上がる。
その結果、5回中2~3回ミスするのも顧みず、打てないボールを打とうとする横紙破りを繰り返す。ストレスもたまるし、得点がミスを下回った場合は「調子が悪い」などと落ち込んでしまう。そうそう打てないボールをなんとかして打とうとするのだから、どうしてもミスが多くなるのは避けられない。
私はふだんの練習で3球目攻撃の練習や、両ハンドドライブの練習ばかりしているが、それを実戦で使う機会は実はそれほど多くないのかもしれない。私の低いレベルでは、得点のほとんどは相手のミスで、気持ちよく連続ドライブを決める機会なんて1ゲーム中、せいぜい1~2本ぐらいである。合理的に考えれば、必要があるから、それに備えて対策を講じるのであって、必要がないうちから需要を先取りして「ドーン」のことばかり考えているというのは不合理な練習、あるいは対戦態度と言わざるをえない。
後の先などという高度な戦術ではないが、こちらから積極的に打とうとするよりも、むしろ相手に嫌なボールを送って、不十分な体勢で打たせたほうが、試合では勝ちやすい気がする(前記事「オレは魔界をみた!」)。相手のサービスをいきなり打とうと狙うよりも、とりあえず2球目は合わせようとする意識でいると、気が楽である。相手のロングサービスを打たせないようにストップして、あちらがダブルストップで応じたとしても、こちらは全く動じない。どんなボールが来ても、とりあえずツッツキやストップで相手の打ちにくいところを狙っていこうという態度なので、ストップされても、
「じゃあ次はバック深くにツッツイてみるか」
という感じで心理的に余裕がある。
逆にドーンと打ってやろうと狙っているところにストップされたら、精神的なダメージは大きい。
「今度こそ打てるかと思っていたのに、また肩透かしを食らった…」
あまつさえ、回りこんでちょっと後ろに下がって打つチャンスをうかがっていただけに、ストップされたらつんのめって、体勢が崩れ、甘いレシーブになってしまう。そこを逆に攻撃されてしまう。
こちらが「攻撃したい」と不断に思っていると、かえって攻撃のチャンスを与えてしまうというのは皮肉である(繰り返しになるが、これは私程度のレベルの試合の話である)。以前、渡辺貴史氏の「ストライクゾーンの待っているところに、ボールを送ると物凄いボールがきますが、ちょっとはずすと10本中、8本入らなかったりします。」という言葉を引用した(前記事「枯淡の味わい」)が、おいしい展開にありつけると期待していると、心に隙が生まれるものである。初めから「おいしい展開にはそうそうならない」と冷めた意識で試合に臨んだほうが、ふだんの実力が出せるような気がする。
最近私はレシーブで得点することに喜びを覚えている。攻撃のチャンスを狙っている相手に打点の速いツッツキやストップで軽く返球すると、攻撃のチャンスを狙っている相手は詰まってうまく打てないことが多い。台上のチマチマで得点するのは工夫の余地もチャンスも大いにある。
・相手が自分のバックにツッツイて来たら、フォア前にストップ(コースと長短の工夫)
・相手が自分のバック側に速いロングサービスを出してきたら、横回転をかけて返球(回転の工夫)
・相手が鋭く切れたツッツキをしてきたら、乗せるタッチであえて回転をかけず、フォア側に深いボールを送って打たせる(回転・長短・コースの工夫)
3球目ぐらいで打つチャンスがめぐってくるなどとは思わない。
しかし、そんなふうにレシーブに専念していると、ふいに攻撃のチャンスがめぐってきたりする。なんだか人生に通じるものがある。おいしい話にありつこうとして権力者にしっぽを振っていると、小さい獲物を手に入れることはあるが、結局「あいつは信用ならないヤツ」という烙印を押されて、大きな獲物は逃してしまうものだ。そうではなく、
「そうそううまい話なんかない。自分を信じて地道にやっていれば、いつか大成するものだ。焦ってはいけない」
そんな態度で試合をしていると、案外チャンスがめぐってくるような気がする。
ここではじめて「必要性」が生まれる。ふいにめぐってくるチャンスにどうしていいか分からず、逆に打ちミスしてしまうことも少なくない。そこでどんなレシーブをしたら、相手が甘いボールを送ってくるのかというのを観察し、そのようなレシーブを意図的に出せれば、めぐってきたチャンスを生かすことができる。
つまり、チャンスメイキングである。私は今までチャンスメイキングをせずにおいしいところだけ持って行こうという意識だったから、肩透かしばかりだったのだ。このように攻撃のチャンスがめぐってくるようになってはじめて攻撃の練習が生きる。
というわけで、最近私は攻撃の練習よりも、レシーブの練習に力を入れている。レシーブがきちんとできてから攻撃を――必要性が生まれてから対策を講じればいいという態度なので、試合をしていて楽しい。2~3球目でドーンと決める卓球は私にはまだ早い。たしかにツッツキやストップを中心にした試合運びは派手にドーンと決められることは少ないが、このような「台上でチマチマ」で得点するのもなかなか味わい深いものである。こういう試合運びを続けて、レシーブと攻撃の因果関係を注視していれば、そのうちドーンと決める卓球ができるようになるだろうと気長に構えている。試合の中で自分のプレーがなかなか攻撃に結びつかずに悩んでいる人が初中級者には多いと思われるが、「ぼちぼちいこか」という対戦態度のほうが精神衛生上も、結果もいいものになるのではないかと思っている。
コメント
コメント一覧 (15)
だから相手の3球目を防げば良いって考えていました
けどレベルが高い相手だと
打ってこない私に簡単なサービスしかしなく
3球目を捨て5球目以降にドカーン狙ってきます(ここがイボ高の最初の壁)
こんな事を ある方から教わりました
『レシーブは50%成功すれば勝てる』と
これは 半分は捨てても良いから攻めてけと僕は思います
もしレシーブをドカーンと攻めてけば相手は簡単なサービスができなくなります
そうなると打たれないよう際どいサービスになりサービスミスを誘えます
プレッシャーからのミスもあるでしょう
もちろん この方程式を決める為には
『サービス時 51%取る』が必要になります
練習どうりなんて試合で1、2回ぐらいしかいかないのに自分の練習のための練習をしてるのではないか?と思いました
レシーブばかりもいいと思います
自分のサーブで2てんとっても
相手のサーブで2てんとられても意味ないのさし自分のサーブで2てんとって
レシーブで1てんとれるようになれば
勝てますもんね
大事なことにきずきました
ありがとうございます。
予測どうりのことはしてこない
どうせ自分の思いどうりにはいかないんだから気楽にいこう
って気持ちで次から試合に向かおうと思います
万年三回戦レベルを卒業できそうです。
お久しぶりです。ベルゼブブ優一です。
(長い上にあまり文章としてもうまく出来てないので非表示でいいです。)
攻撃して「スパッ」とか「ドーン」という風に決めて終わるっていうのは誰しもが憧れるものです。しかしやはりそれを求めすぎると相手が「もう打たせないよ」という風に対策をしてくる
のでそうすると「なんとしてもキレイに決めたい」という考えの選手は脆く敗れ去ってしまうんですよね。
大事なのは出来るだけ相手の嫌なボールを送って相手がミスする、つまり「汚い終わり方をしてもいい」と考える事。それで嫌なボールを送り続けていると、「たまに」相手が嫌なボールを
なんとか、しかし甘く返してくる時があるのでそれを決めてキレイに終わらせる…と。
たまに得られるそういうキレイに終わったプレーに感謝する…と。
こういう態度が重要ですね。
はい、しろのさんの文章を要約してみました(・ω・)。
ただいま全豪オープンで活躍している錦織圭選手(準々決勝進出おめでとう!)の少し前のコーチ、ブラッド・ギルバートさんが同じようなことをよく言ってられました。
(本も出されてます→http://www.amazon.co.jp/ウイニング・アグリー-読めばテニスが強くなる-ブラッド-ギルバート/dp/4890840222)
その考えを一言で言えば「醜く勝つ」。要はすべてのポイントをしっかり決めようとせず時には辛抱強く守備的に粘りきって相手のミスを待て…ということですね。
今日の錦織選手を見ても、スペインのフェレールの選手に対して最後は中々の粘りで勝ち切りましたね。内容は6-3,6-3,6-3と完勝ではありましたが、「最後はかっこよく決めてやろう」な
どと欲が出てしまえば、思わず足をすくわれてもっとキツいスコアになってたことでしょうね。
よければ彼の著書を読んで見たり、「醜く勝つ」で検索してみてださい。
競技は違えど参考になるところが多いと思います。
他に参考になるページとしては…
【享楽型と滅私型】:http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/tennis/all/2014/columndtl/201409030004-spnavi
【醜く勝つを選んだフェデラー】:http://tennisnakama.com/blog/2010/05/06/federer-important-to-win-estoril-2010/
※フェデラーは凄くキレイなテニスをする上にそれでいて尋常じゃなく強い(最近はさすがに衰えてきてますが)、というテニス界においては大正義的な選手でした。
キレイなプレー、言い換えるとclean(クリーン)なプレーをしすぎると負けるっていうのは例が色々あります。
その1。長嶋茂雄監督(野球監督)
長嶋監督は現役時代は王貞治選手、川上哲治監督とともに1965年~1973年まで日本一を連続9回やる、いわゆるV9を達成した巨人のスター選手でした。
V10を目指した1974年、セリーグのペナントレースで中日に負けて2位。日本シリーズへの参加ができなくなり、夢は絶たれました。
これを機に長嶋茂雄選手は現役を引退してすぐに巨人の監督となります。
そして迎えた1975年、彼は「クリーンベースボール」というスローガンを掲げてペナントレースに挑みます。
そして結果はなんと最下位の6位。優勝と日本一を2年前まで9回繰り返していた巨人にはありえない結果でした(ちなみに巨人が経験した最下位も今までにおいてこの年だけ)。
この「クリーンベースボール」というのは「投げて、打って、走って、守って」の差がそのまま戦力の差となって勝ち切る。
いわゆる横綱相撲的なところがありました。逆にV9時代の川上監督は「自らの失策を減らし、相手の失策を誘い、そこにつけこんで勝利するスタイル」というような
「醜く勝つ」ような試合運びでした。真っ直ぐな考えの持ち主であった長嶋監督はこれと決別したかったんだと思われます。
まあその結果がこれなのですが。
その2。ティモ・ボル選手(アテネ五輪男子シングルス準々決勝)
ボル選手は今でこそ相手の考えを読み、待ちを外すなど円熟味のあるプレーをよくしますが、この頃はそうでもありませんでした。
ボル選手は卓球界の中で最も美しい卓球をする選手の一人です。流麗で滑らかなフォアとバックの切り替え、連打、そして心地よいリズム。
↓に練習動画がありますが、練習の時からランダムな球にもこれだけスムーズに動けているというのはすごいですね。
https://www.youtube.com/watch?v=Pr_REv90kzM
そんなボル選手に対して並の選手ならば、その選手がどれだけ毒を持っても(醜いプレーで揺さぶってきても)そのcleanな技術力で相手を包み込んでしまいます。
しかしそこは大ベテランのワルドナー選手。「老獪」という言葉しかでてこない見事なサーブ・レシーブ、戦術、試合運びでボル選手を倒してしまいました。
ワルドナーは試合後、こう言いました。「彼はクリーンな卓球をする」。これは当時の卓球王国にも載っているコメントで、ウィキペディアにも乗っています。
しかしウィキペディアでは「彼はクリーンな卓球をする」『と評された』と書いてあるんですよね。これは間違いです!
http://ja.wikipedia.org/wiki/ティモ・ボル
これは「彼はクリーンな卓球をするね。(その分ちょっとポイントをずらしたりして毒を仕込めばいい感じに崩れてくれたよ。)」
と半ば「そこが彼の長所でもありかつ弱点でもあるね。」とバカにしている感じなんですよね。
この試合ではワルドナーは4-1で勝ってますが、2ゲーム目、5-10と追い詰められてから逆転してこのゲームを取ってるんです。素晴らしい試合運び。
他にも5ゲーム目、9-8リードから技ありのブロック。そこからやはり基礎的な技術は素晴らしいのでマッチポイントをしのいで10-10と食い下がるボル。
しかしここから更にワルドナーは真骨頂をみせ、10-10から逆をついたカウンター、11-11からも意表を突いたレシーブ、
最後はきっちり3球目で決めきる…と。最後だけでも世界中の卓球ファンが唸らされる試合内容です。
その3。ヨハン・クライフ(サッカー選手・監督)
「トータルフットボール」と呼ばれる非常に美しいサッカーを展開。1974年のFIFAワールドカップで決勝まで進出するも、ドイツに敗れて準優勝。
「醜く勝つな、美しく敗れろ!」という普通とは逆の考えを持つ。
対する勝ったドイツのベッケンバウアーは「強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ。」という言葉を残している。
参考:http://dic.nicovideo.jp/a/フランツ・ベッケンバウアー
コメントありがとうございます。
何らかの形でお役に立ててうれしいです。
今後ともよろしくおねがいします。
力作、ありがとうございます。
非公開でいいとのことですが、せっかくの有益な情報なので、みなさんにも読んでいただきたいと思い、公開しました。
いつも高いレベルでのコメントありがとうございます。べんきょうになります。
コメントありがとうございます。
ツブでの対戦の駆け引き、興味深いです。
おっしゃることは、「レシーブはミスするぐらい厳しいのがいい」ということでしょうか。
調子の波によって本当にミスを連発してしまう場合は、ふだんより、やや甘いレシーブで対応、調子が良くて、狙ったところに正確に入るようなら、ふだんより、もっと厳しいコースで速いレシーブ。とにかく半分弱ミスするような感じでレシーブの厳しさを調整するということでしょうか。
いつも半分近くミスしてしまうレシーブというのは、ストレスが溜まりそうです…。
1、レシーブエース(返ってこない)
2、相手の予想とは違うボールを返す
3、相手の予想通りのボールを返す
4、レシーブミス(返せない)
成功か失敗で分けると
1と2は成功です
4は失敗です
では3は何か?
ここが人によって答えが違うと思います
51%サービスで取り
50%レシーブ取れば勝ちます
スコアボード付けて集計すると
51%サーブ時に取れないと9割負けています
つまり勝てる試合は51%サービスで取れているんです
逆に言えばレシーブは半分で良いとなります
サービスとレシーブ
ただ入れてるだけだと戦術が組にくいです
ここから先は技術の話しですが
ポイントさえ押さえれば攻撃的なレシーブは簡単だと思います
ご返信ありがとうございます。
よく分からなかったのですが、
「3、相手の予想通りのボールを返す」
というのが成功なのか、失敗なのかという問題提起があって、そのあと、
「51%サービスで取り
50%レシーブ取れば勝ちます」
というのと、どうつながるのでしょうか?結局3は「失敗」なのでしょうか?
察しが悪くてすみません。
運転しながだったので微妙に構成が変かもしれません
3は人によって答えが違います
例えば 市内レベルの中学生だとサーバーが3球目考えてなかったり とりあえず返せばミスるんであれば3は成功でしょう
他にもカットマンで わざと打たせる戦術もあるので 3が失敗とは言いにくいです
でも僕が中学生に教える時は 3は失敗だと教えています
ご返信ありがとうございます。
相手が予想しているところにレシーブするのは基本的に失敗とのこと、レシーブは相手をよく見て、ギリギリまでコースを悟らせないように注意するのが正解のようですね。
ご教示、ありがとうございます。