あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくおねがいします。

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元日から大雪の京都。御池通りはどこぞのイルミネーションのように美しかった。

正月でのんびりできるのはいいが、卓球ができない…。心が落ち着かない。

そうすると、いきおい卓球についていろいろ考えてしまう。そしてまたしょうもないことを自問自答してしまった。
今年はじめての記事は、なんとなく小賢しい記事になってしまうことをお許しいただきたい。

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世間の卓球ブログには有益な情報がたくさんある。最近「なるほど」と思ったのは以下の記事である。

重要なことは下半身の体重移動であり、あなたがいくら力を抜こうと意識しても力は抜けません。
指導者がいくら「リラックスして、体の力を抜いて打ちなさい!」といっても一向に改善できない理由がここにあります。

なぜなら卓球は腕で打つスポーツではないからです。
確かにラケットは手で握り腕で打ちますが、本当に重要なことは下半身なんです。

強くなる卓球の練習方法


卓球においては下半身で打つことが大切だ、言い換えれば、腕の振り方はさほど重要ではない、という主張には説得力がある。たしかに私もよく「肩に力が入りすぎている」と言われるが、分かっていてもなかなか力は抜けない。上半身の力を抜くためには下半身に意識を集中し、重心移動しながら下半身で打つようにすればいいのか。いいことを聞いた。


今までいろいろな打ち方を自分なりに模索してきたが、結局、安定するかどうかは腕ではなく、下半身、あるいは体幹や打球時の立ち位置――ポジショニングのほうにあるのではないか。打ってミスをするのはもちろん腕が間違った動きをしたからに違いない。しかし、打球の際に姿勢や下半身が歪んでいたら、いくら腕を正しく振ろうとしてもうまくいかない。市民大会レベルでは、非常にクセのある我流のフォームでも安定してボールが入る中高年のプレーヤーがいるが、あれはもしかしたら下半身を上手に使っているからなのかもしれない。私などはミスをすると、安易に目立つ部分ばかりに原因を求めてしまうが、ミスの原因は一見無関係に見えるところにこそあるのかもしれない。


腕の振りは重要ではない、というか、腕はできるだけ振らないほうが安定するというのはウスウス感じていたことだ。腕は振ろうとして振ってはいけない、身体全体で打球する際に、腕も自然に「振れてしまう」程度に止めるべきだ。もちろん全国レベルの上級者のように、より威力のあるボールを求める人は、積極的に腕も振って打ったほうがいいと思われるが、私のような中級者なら、そんなに威力のあるボールを打つ必要はないので、下半身に意識を集中させて上半身全体を回し、腕はリラックスさせ、飾りのように動く程度でいいのではないだろうか。

【まとめ】
「卓球は腕で打つスポーツではない」
腕はあまり働かせずに、下半身で移動して、下半身でふんばって、体重移動することによって上半身を回して打球することが大切である。



以下、暇を持て余したオジサンの痴れ言である。
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こういう指摘は素人にはなかなかできない。素人は腕の角度とか、打球点、インパクトの強さといった目につきやすい点には注意が行くが、下半身の動かし方といった目立たない部分には注意が行かない。あるボールに対して、脚の開き具合や位置はどうか、重心はどこにどれぐらい置くか、といった下半身の使い方は指導理論を学んだ人でないと、なかなか指摘できないと思われる。おそらく「強くなる卓球の練習方法」の管理人さんは指導理論をいろいろ学んでいる人ではないだろうか。
 

卓球の指導理論を考究している人の話を聞くと、われわれ素人が及びもつかないほど卓球を深く考えているということがうかがえる。全国レベルの学校の指導者などは、目に見えるフォームのような表面的なことではなく、身体全体の効率的な使い方というのを追究しているようだ(たぶん)。私のような市民大会レベルのオジサンのアドバイスとは訳が違う。農耕馬とサラブレッドぐらいの違いがあるのだ。
 

「バックハンドは肘を支点にして打つのが正しい」とか、「フォアハンドは脇を見せるように打て」とか、そんなことが世間でよく言われているが、理論的に考えている指導者に言わせると、それらの打ち方も下半身の使い方との兼ね合いで、人によって合う・合わないというのがあるらしく、万人にとって「正解」というわけではないらしい。
さらにボールの性質によって――たとえば身体に近い位置のボールと遠い位置のボールでは打ち方を替える必要もあるだろうし、卓球のレベルや体力的なことも考慮に入れなければならない。

こういう指導の専門家の理論の前では、私の考察や気づきなどは思いつきの域を出ず、何の意味も持たないのではないだろうか?
私の「正しさ」は何によって保証されているのか。
私の狭い経験によってだろうか?
だとすると、その「正しさ」ははなはだ当てにならないものだと言わざるをえない。
人によって「合う」「合わない」があるのだし、レベルによっても「適切」「不適切」があるのだから。
こんなブログで私が「正しい」と感じたことを発信するというのは、見方によっては「誤った」情報を撒き散らして善男善女を迷わせていると言えないこともない。
私がこのブログで世間に発信すべきことは何なのだろうか?分からなくなってきた…。

一方、専門家の指導理論は何によって「正しさ」を保証されているのだろうか。
おそらくその指導理論によって強い選手をたくさん育てたという実績によってだろう。
しかし、それもたまたま、その指導理論が「合う」選手に巡りあっただけであって、「合わない」選手にとっては「正しい」とはいえないのではないか。実績のある指導理論といえども、科学的な批判にたえて客観性を獲得したわけではない。「合う」「合わない」を言い出せば、実績のある指導理論といえどもその「正しさ」は心もとない。

「下半身で打つ」が「正しい」とすると、「下半身で打たない」は「間違い」ということになるだろうか?
ボールの性質によっては下半身で打たないほうがいい場合もあるだろうし、下半身で打たなくても強い人はいるのではないか。
とすると、「正しい」はたくさんあって、どんな打ち方も安易に「間違い」だと切り捨てることはできないということになる。


翻って、私がこのブログで発信すべきことは何なのか。
「正しい」という保証のないことを発信することにどんな意味があるのだろうか。

そんなことをいろいろ思い悩んでいた。
以前、「西村卓二『指導者バカ』(日経プレミアシリーズ)を読んで」でザルを持ってきた小坊主の話を紹介したが、結局、私のブログはその「ザル」なのではないかと思いいたった。私の発信していることはそれ自体では意味のあることではないかもしれない。しかし、この記事が縁となって読者なりの「正解」に辿り着けるかもしれない。苦し紛れの牽強付会に聞こえるが、新年早々、後ろ向きにはなりたくない。

というわけで、私のブログは「ザル」。そう思って今年も私なりに記事を発信していきたいと思う。
 

頭書増補訓蒙図彙 羊
おまけ:江戸時代の百科事典の羊の項目。ヤギにしか見えない。