ゴールデンウィークになんとしても散らかりきった部屋を片付けたいと奮闘しているのだが、どこへどう移動させても整理できないことに気づいた。モノが多すぎるのだ。床が見えるようにし、ある程度快適な空間にするにはモノを捨てなければならない。「いつか使うだろう」などと、ため込んだ本や卓球用具だが、処分しなければならないようだ。ラケットは多くても3本、ラバーは予備のものを赤黒1枚ずつ。卓球雑誌は1年間で処分する。こうしなければ狭い集合住宅暮らしではやっていけない。

いろいろなものがあったり、いろいろなことを知っていたりすると、それがかえって自分の首を絞めることもある。もっとシンプルに生きたい。

------------

戦術を考えるというのは、私にはなかなか難しい。どこに打てばどう返球されるかがなかなか読めないからだ。上手な人なら、「この状況で、バックにドライブすれば、8割方、甘いブロックでクロスに返ってくる」などと瞬時に判断できるのかもしれないが、私の予測というのは、外れる確率が5割!以上というお寒い状況であるorz。こんな予測なら、しないほうがマシなぐらいだ。

車椅子卓球に挑戦してみました」という記事を読んで興味深く思った。

足が使えないという、制限をかけたスポーツは非日常的でいままでできた技術ができなくて立っている状態でできない技術が意外と簡単にできたことが衝撃でした。

制限がなく、何をやっても自由というのでは選択肢が多すぎて工夫を凝らしにくい。選択肢を少なくして、今のシチュエーションなら、AとB、二つの選択肢しかない。さて、どちらが有効か、という考え方なら、問題を深く考えるきっかけをつかむことができると思う。車いす卓球はフットワークを使わないという制限の中で、どうやって自分の攻撃に持っていけるか、あるいはどうやって相手のミスを誘うかを考えやすい卓球なのだと思う(前記事「障害者卓球」)。

p_toy10_d50_1_big
「どうぶつしょうぎ」はふつうの将棋に比べて素人が戦術を考えやすい

卓球もフォアハンド、バックハンドを自由に打てて、前後左右、好きなところに動けると、自由すぎて戦術を考えにくい。とっかかりがない。それで、原則として「バックハンドしか打てない(もちろんフォア深いボールはフォアを使う)」とか、「フィニッシュ以外は台上で2バウンドさせなければならない(相手が打ってきた場合はこの限りではない)」といった制限を設けることで、戦術が考えやすくなるのではないか。日頃の練習でこのような制限を設けることで、自分がどのようなタイプかを自覚できるかもしれない。制限を設けても、わりと普通にプレーできるなら、その制限したプレースタイルが自分に合っているということではないだろうか?

以前xia氏のブログで、日ペンはバックが弱点になるので、そこを攻められた時、どうするか、あるいはバックという弱点を利用してボールをバックに集め、回りこんで打つという戦術が考えられるといったことを述べていた。フォアもバックもどこでも打てるとなると、コート全面に細かく気を配らねばならず、かえってどこにも強みがないという虻蜂取らずになってしまうかもしれない。

前記事「何をするか分からない」で伊藤美誠選手の卓球を取り上げたが、伊藤選手は小柄で、手足の長い欧米の成人女性に比べると、不利である。身体からちょっと離れたボールは、身長のある女性ならちょっと手を伸ばせば届くが、小柄な女性はいちいち動かなければならない。しかも伊藤選手はバックハンドが表ソフトなので、台から離されると強打が打ちにくい。

・広角に左右に振られると弱い
・下げられてバック側を狙われると弱い
・パワーがない

といった弱点があると想像される。しかし、だからこそ弱点を補って自分の強みをどうやって活かすかに神経を集中させられたのだと思う。これが体格にも恵まれ、裏裏のプレイヤーだったら、これといった弱点がなく、かえって自分の得点パターンを1点に絞りにくいのではないか。中陣からのバックハンドも強いし、フォアドライブも強い、ということになると、可能性がありすぎて、自分ならではの戦術はかえって練りにくいかもしれない。

もし自分の卓球にあえて弱い部分や欠けた部分を作ることにすれば、「みんなが1考えるのに、3も4も考え」なければならなくなるだろう(前記事「名人のマインドセット」)。

私の場合なら、バック側に来た台上のボールをツッツこうか、チキータ・フリックしようかと迷ってしまうことがあるが、もうチキータ・フリックは捨てて、台上のボールはツッツキかストップ。台から出たらバックドライブというふうにシンプルなプレーにしたい。技術の引き出しが多いなんていうのは、私のレベルの卓球には有害である。そういうのは全国を目指している上級者にこそふさわしい。