京都の夏の風物詩、納涼古本まつり

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下鴨神社の糺の森で毎年8/11~16日まで行われる古書即売会。
学生時代は毎年開始の10時前にスタンバイし、価値のある本を目ざとく漁っていた。毎年3日以上行って、合計数十冊の本を購入していた(とにかく安い)。そんな本が狭い我が家の空間を圧迫し、通行の妨げにはなるし、自然と失せ物も多くなる。本を買いすぎて、持っている本なのに、同じ本を買ってきてしまったり、持っているはずの本が部屋の中に見つからず、しかたなく図書館で借りてくるハメになったり。

何かがおかしい。

どうして私はこんなに本を買わなければならないのか。一生かかってもこんな大量の本は読めないし、意欲も時間もない。私は本を読むことよりも、集めることが目的になってしまっている。

いろいろ思い入れのある本もあったが、ブックオフの宅本便というサービスで家にあった本を大量に処分した(といってもせいぜい5%ほどだが)。部屋が少し片付いた。気分も軽くなった。 これが世間で言う「断捨離」か。売値が1万円ほどだった。

「よし!これで新しいラケットでも買おうかな」

しかし、ラケットの方も、20本以上ある。半分以上は数回試し打ちをしただけで放置してある。さすがの私も懲りた。もう新しいラケットはいいや。では、ラバーか?いや、ラバーも開封していないヤツとか、お蔵入りしたラケットに貼り付けてあるほとんど使ってないヤツがたくさんある。達観した上手な人で、同じラケットを10年以上使い続けて、毎年2回、ラバーだけを貼り替えるという人がよくいる(前記事「ラケットへの愛着」)。こういう境地に達することができればいいのだが、私はもう少し用具に未練がある。

下のブログで「悩む理由が値段なら買え、買う理由が値段ならやめておけ」という言葉が紹介されており、大いに納得させられた。
格言に学ぶラバー選び?

私もよくネットショップをチェックし、特価品などを見つけては、購入していたので、耳が痛い諫言だった。結局それほど気に入らなかったラケットに6~7千円使うということを何度もやってきたので、合計したら高級ラケットが余裕で買える金額になってしまう。小金が入る度に安いラケットを買うのではなく、高級ラケットに狙いを定めて、それ以外には一切金をつかわないようにすべきか。今まで何度も繰り返してきた思考である(「嫌用具事」「ラケットの品質」)。用具のことを簡単に思い切れたらいいのだが、煩悩の多い凡夫にはなかなかそれができない。

何かがおかしい。

用具を使えるあてもないのに次から次へと欲しがり、頭では分かっているのにその渇愛を捨てられないというのはどういうことだろう?「あれも欲しいし、これも欲しい。欲しいものがありすぎて困っちゃう」といって楽しんでいる人もいるかもしれないが、私にとっては苦痛でしかない。どうにかしてこの渇愛を思いきりたい。

そこで仏教である。

以下のサイトで仏教の四聖諦について分かりやすく説明してあった。
四聖諦」「縁起

四聖諦では、「【苦・集】も了知する」するとあります。これは分かりやすくいえば、「自分が苦しんでいること、自分の心の状態、原因、そういったことに気付きなさい」ということですね。
案外、人は自分のことが分かっていません。

気付きの瞑想を行って、それが正しく進んでいくなら、必ず、自分の姿に気がついてきます。客観視ができるようになるのですね。良いと思って行っていたことへの本当の動機に気付いたり、自分の普段の言動の様に気付いたり、さまざまな気付きが得られます。

縁起を使って煩悩を無くす具体的なやり方は、視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚、意識といった感覚器官が受けた情報レベルで「気付き」を入れて、好き・嫌い・無関心といった煩悩への連鎖を引き起こさなで、心が清まった状態を保つ方法になります。

本ブログでも「ヴィパッサナー瞑想法」について言及したことがある(「感覚を味わう」)が、これは自分の欠点に気づいたり、打球感を向上させたりするという目的であった。しかし、今回は自分の用具への渇愛を捨てるために改めて瞑想法について考えてみたいと思う。

仏教の根本原理は縁起(因果関係)を理解し、自分の心を浄めることだという。自分の苦しみの原因と結果(現状)に気づき、「好き」とか「嫌い」といった煩悩(苦しみ)に陥らないようにするのだ。「なんだか分からないが、つらい」というところから発展し、「どうしてつらいのか」を問い、その原因に気づき、心を落ち着かせる。自分のストレスの原因は自分では意外に気づいていないものだ。私の場合で言えば、「新しい用具が欲しいからつらい」ということになる。ではどうして新しい用具がほしいかというと、練習できる時間が少ないからだろう。用具を買って練習できない憂さを紛らわしているのかもしれない。そして自分の欠点や課題がうまく解消できないということもあるのかもしれない。練習時間を増やすことも、自分の欠点を解消することもなかなか容易ではない。それなら、この煩悩を滅するためにはどうすればいいのか。目の前の仕事に集中して余計な煩悩を起こさせないことだという。

たとえば掃除です。
掃除をする際、漫然と行うのではなく、行為や動作を確認しながら行っていきます。これを10分、20分と続けていきますと、掃除の最中は、心は動作に向けられています。途中で雑念が出てきても軽くスルーして、また動作の確認を続けていきます。こういうことを行いながら掃除をしていますと、終わった後はは心がスッキリします。

なるほど。上の空で目の前の仕事に取り組んでいるから、余計な煩悩が起こるのだと見える。常に目の前のことに集中し、自分の心の状態を観察すれば効果がありそうだ。

今回、本を処分した時の心の晴れやかさは私を少し成長させた。用具が溜まっていくと、「せっかく買ったのに使わないのはもったいない」とか「早く使わないと、ラバーの鮮度が落ちるのではないか?」といった苦しみをもたらす。

そうだ!メインラケットをもう1本買おう!そしてラバーは今使っているラバーのスポンジ厚を変えたものにしてみたらどうだろう?こうすれば、自分の感覚が狂うことも少ないし、メインラケットとときどき取り替えてみて、打球感の微妙な違いなどを楽しむこともできる。これなら新しい用具がほしいという渇愛をある程度満たすこともできる。

用具を愛するというのは、とっかえひっかえいろいろなものを試すだけではない(「B面ラバー ファントム007」)し、一つの用具をずっと使い続けるほうがむしろ用具愛と呼ぶにふさわしい(前記事「卓霊さま」)。なんだか自分の心の整理がついた。新しい用具は欲しくなくなった。今度、今のラケットと同じ製品をもう一つ買って、個体差などを楽しんでみることにしよう。