卓球王国に「強くなる人、ならない人」という連載があり、毎回興味深く読んでいる。
しかし、最新号(2014年7月号)の
というスローガンは、それだけ見たら誤解を招くのではないかと懸念している。卓球マナーの悪い人に変なモチベーションを与えてしまうのではないかと。
卓球マナーが悪い人は、人に練習させない。いつも自分の練習のことだけしか考えていない。
例えば相手が3球目をバック側に打ち、それをブロックで相手のフォア側・バック側に回してやるような練習でも、そういう人は相手のための練習などとは思っていない。なんとか隙を見て「自分のため」の練習にしようと考えるのだ。
マナーの悪い練習相手は相手の3球目を素直にブロックで受けずに、カウンターで返そうとする。あるいは、わざわざプッシュや横回転レシーブで返そうとする。相手の3球目の速いボールに対してそんな高度な返球が確実にできるなら、それでもいいかもしれないが、こういうムチャな返球をする人に限ってとんでもなく下手だったりするのだ(これは私の低いレベルの練習の話である)。
「そうだ!相手の練習も『自分のため』だ!」
「『難しい技術にどんどん取り組』まなくては!」
とかいって成功率が3割にも満たない技術に挑戦してみたり、わざとタイミングを外してみたり。私の経験上、そういう人が初・中級者の中にかなりの高確率で存在するのだ。彼らはとにかく自分が気持ちよく打つことしか考えておらず、ミスなく続けようという意識はなく、練習相手は利用する対象でしかないと考えているフシがある。
上手な人同士で、そのような高度なレシーブでも、ミスなく続けてラリーできるなら、そのようなレシーブを練習中に取り入れてもいいのかもしれないが、私レベルだと、仮に1/3本、そのようなレシーブが入ったとしても、次のラリーが続かない、練習にならない。こういう卓球マナーの悪い人が、こんなスローガンを見たら、迷惑な卓球をさらにパワーアップさせてしまうのではないか。
「強くなる人、ならない人」で勧めているのは、むしろこのような誤解とは正反対のことである。試合中の場面をイメージし、質のいいブロックを返球することに徹し、練習相手としての務めを全うすること――ミスなく完璧なコースに返球し、相手に練習させることこそが「自分のため」にもなるというのだ。
また「難しい技術にどんどん取り組む」というのは、同程度のレベルの中高生の部活内での練習を想定していると思われる(筆者の大橋宏朗氏は中学校の指導者)。社会人のクラブで、それほど親しくもない相手に初めて取り組む高度なレシーブを試してミスを連発するというのでは練習相手に多大な迷惑をかけることになるし、稀にボールが入ったとしても、それ以上ラリーが続かないからお互いに練習にならない。
【まとめ】
「相手の練習も自分のため」「難しい技術にどんどん取り組む」というのを文字通りに受け取って、誤解する人が多いのではないかと危惧し、言わずもがなのことを長々と書いてしまった。私の知っている初級者で、こんな誤解をしそうな人が片手では収まりきらなかったので、全国規模で考えると、とんでもないことになるのではないかと想像をたくましくして、余計なことまで書いてしまったかもしれない。
「自分の練習になる」というのは「相手にとっても練習になる」というのが前提となる。そうでなければ、勘違いしている一人のためにクラブ全体の雰囲気が悪くなり、クラブの存続さえ危うくなってしまう(前記事「スポーツの意義」)。部活などを経験した人にとっては分かりきったことだが、社会人の中にはそれが分かっていない人が結構多いのだ。
しかし、最新号(2014年7月号)の
強くなる人は、どの練習も“自分のため”と考える
強くならない人は、“練習相手”で時間を無駄にする
強くなる人は、難しい技術にどんどん取り組む
強くなる人は、難しい技術にどんどん取り組む
強くならない人は、「まだ早い」と言って挑戦せず
というスローガンは、それだけ見たら誤解を招くのではないかと懸念している。卓球マナーの悪い人に変なモチベーションを与えてしまうのではないかと。
卓球マナーが悪い人は、人に練習させない。いつも自分の練習のことだけしか考えていない。
例えば相手が3球目をバック側に打ち、それをブロックで相手のフォア側・バック側に回してやるような練習でも、そういう人は相手のための練習などとは思っていない。なんとか隙を見て「自分のため」の練習にしようと考えるのだ。
マナーの悪い練習相手は相手の3球目を素直にブロックで受けずに、カウンターで返そうとする。あるいは、わざわざプッシュや横回転レシーブで返そうとする。相手の3球目の速いボールに対してそんな高度な返球が確実にできるなら、それでもいいかもしれないが、こういうムチャな返球をする人に限ってとんでもなく下手だったりするのだ(これは私の低いレベルの練習の話である)。
「そうだ!相手の練習も『自分のため』だ!」
「『難しい技術にどんどん取り組』まなくては!」
とかいって成功率が3割にも満たない技術に挑戦してみたり、わざとタイミングを外してみたり。私の経験上、そういう人が初・中級者の中にかなりの高確率で存在するのだ。彼らはとにかく自分が気持ちよく打つことしか考えておらず、ミスなく続けようという意識はなく、練習相手は利用する対象でしかないと考えているフシがある。
上手な人同士で、そのような高度なレシーブでも、ミスなく続けてラリーできるなら、そのようなレシーブを練習中に取り入れてもいいのかもしれないが、私レベルだと、仮に1/3本、そのようなレシーブが入ったとしても、次のラリーが続かない、練習にならない。こういう卓球マナーの悪い人が、こんなスローガンを見たら、迷惑な卓球をさらにパワーアップさせてしまうのではないか。
「強くなる人、ならない人」で勧めているのは、むしろこのような誤解とは正反対のことである。試合中の場面をイメージし、質のいいブロックを返球することに徹し、練習相手としての務めを全うすること――ミスなく完璧なコースに返球し、相手に練習させることこそが「自分のため」にもなるというのだ。
また「難しい技術にどんどん取り組む」というのは、同程度のレベルの中高生の部活内での練習を想定していると思われる(筆者の大橋宏朗氏は中学校の指導者)。社会人のクラブで、それほど親しくもない相手に初めて取り組む高度なレシーブを試してミスを連発するというのでは練習相手に多大な迷惑をかけることになるし、稀にボールが入ったとしても、それ以上ラリーが続かないからお互いに練習にならない。
【まとめ】
「相手の練習も自分のため」「難しい技術にどんどん取り組む」というのを文字通りに受け取って、誤解する人が多いのではないかと危惧し、言わずもがなのことを長々と書いてしまった。私の知っている初級者で、こんな誤解をしそうな人が片手では収まりきらなかったので、全国規模で考えると、とんでもないことになるのではないかと想像をたくましくして、余計なことまで書いてしまったかもしれない。
「自分の練習になる」というのは「相手にとっても練習になる」というのが前提となる。そうでなければ、勘違いしている一人のためにクラブ全体の雰囲気が悪くなり、クラブの存続さえ危うくなってしまう(前記事「スポーツの意義」)。部活などを経験した人にとっては分かりきったことだが、社会人の中にはそれが分かっていない人が結構多いのだ。
コメント
コメント一覧 (6)
常日頃、私自身は特にやりたい練習などなく、ただひたすら体の使い方や力の抜きかた、膝の使い方、腹筋を入れるタイミングなど考えているため、「何がしたいですか?」と聞かれると困ってしまいます。
相手のやりたいことに応えるだけの技量が自分にないこともわかっているので、(コースを決められてのラリーなど)、相手が3球目攻撃の練習がしたいのなら、サーブレシーブを言われた場所に正確に、なおかつ3球目のあとどうするか、を考える練習になるし、相手からのやりたいことの申し出というのは、本当にありがたく思いながら日々練習しています。
しろのさんのおっしゃるように、私の知る限りでも、一言何か言いたくなるような物言いや、練習の仕方をする人は多く、楽しく練習できない時も多々あります。
バックの練習をしたいからバックに集めてほしいと言われ、バック半面に丁度良いくらいのスピードで球を返すと、ちゃんとコーナーに入れてくれないととれないよ、と文句を言われる…確かに自分がそこへ入れられず、若干散ってしまうのが悪いと言えば悪いけれど、自分か動いてレシーブする意識はないのか?と思ってしまいます。
バック対バックの練習をしていても、球が散るのは初級者同士なら仕方ないし、とはその人は思わないようで。
思い出している内に、気が滅入ってきたのでやめておきます(笑)
相手の練習したいことに応えられるようにすることも、大切な練習だと、そう理解している人も多いとは思いますが、たまにそうではない人と打つと空しい時間が流れますね。
コメントありがとうございます。
卓球は相手次第で楽しくも、憂鬱にもなるスポーツですね。
相手を単なる返球マシンのように扱う人と打つのはイヤなものですよね。
たとえ自分よりも技術が劣っている、格下の相手にも愛情を持って接することができる――相手の上達のために配慮できる卓球をしたいものですね。
よく強豪校の卓球部の監督が「人間力」とか「感謝の心」などをモットーに指導しているというのを聞きますが、裏を返せば、卓球人はそういう部分に欠けている人が多いのではないかと疑ってしまいます。
卓球初心者と申します。
大学三回生です。
いつも分かりやすいなと思いながらブログを拝見しております。
今回の記事ですが、全くもってその通りだと思います。
私は卓球部、部長として活動している傍ら、地域のグラブの練習に参加させていただいております。
基本的には皆さまはお互いに練習して上手くなろうという姿勢で練習していますが、たまにしろのさんがおっしゃる様な方がいらっしゃいます。
卓球をする上でももちろんですが、ルールとマナーを守ってお互いに高め合える様な環境作りが大切になってくるなと思いました。
コメントありがとうございます。
大学生の卓球部員とのこと、相当な腕前なんでしょうね。
こんなレベルの低いブログをお見せするのが恥ずかしいです。
さて、相手の練習になるかどうかを全く気にしない、マナーの悪い一部の人(たいてい社会人になってから卓球を始めた人?)には手を焼きますね。日本人は「以心伝心」とか、「空気を読む」とか、直接言わないことを美徳としていますが、マナーの悪い人にそれを期待するのは無理だと思います。かえってはっきり「その打ち方は迷惑です」と言葉で伝えたほうが親切かもしれません。
同感です
ひどい人だと ツッツキの練習に切れた下回転の練習(成功率2割ぐらい)する人や 私の3球目練習が相手のレシーブ練習(成功率消費税以下)する人なんかいて あきれます
自分は逆に 凄く気を使うので
相手練習時にはミスしないようにしますし ミスしたら謝ります
卓球は個人種目だから チームプレーみたいな相手を思いやる人が少ないかなって思います
相手練習時に自分の練習したいのなら
まずは相手の為に絶対ミスしない! それだけでも良い練習になると僕は思います
コメントありがとうございます。
自分の練習の時に、相手に好き放題練習されると、相手との信頼関係が完全に壊れてしまいますよね。「相手の練習の時は相手のために全力を尽くす」というのは、練習の大前提だと思います。どうしてこれについて言及する人が少ないのか不思議です。