練習時間が多ければ多いほど、上達するなら話は簡単である。
その考え方が有効だとすると、平日は毎日5~6時間練習し、週末や休日等は一日12時間ぐらい練習すれば、練習量では全国有数のレベルなのではないだろうか。しかし、もちろんそれで全国トップレベルになれるわけではないだろう。下手な練習をいくら長時間したところで上達するとは思えない。受験勉強でも毎日うちで3~4時間以上もダラダラと勉強するよりは、制限を設け、1~2時間の勉強にとどめておいたほうが効率が良さそうだ。量より質である。

以下のブログにおもしろいことが書いてあった。

トップ選手と一般人との違い

曰く、上のブログで管理人の友人が「トップ選手は大して努力していない、せいぜい一般人の1.5倍程度にすぎない」と主張しているというのだ。
しかし、この「努力」というのが何を意味するのか曖昧である。練習場で汗水たらして動き回っているのだけが努力とは言えない。トップ選手ともなると、「これをやれば確実に強くなる」という上達法が確立しているわけではないだろう。むしろ「何をしたら強くなるのか?」という模索状態なのではないだろうか。ランニングを毎日30分から2時間に増やせば4倍フットワークが良くなるというものでもないだろうし、筋トレを今までの3倍にすれば、ボールのスピードも3倍になるというものでもない。

私はトップ選手の考えていることは分からないが、トップ選手の練習は、おそらく「どういう練習をすれば強くなるのか?」ということを考えることから始まるのだと思う。そうやって練習メニューを模索している時間が半分以上で、実際にそれを試してみる時間はそれほど多くはない(といっても、毎日数時間はやっていると思うが)のではなかろうか。それでたとえば実際に練習している時間(台前の練習)は毎日3時間であっても、練習メニューを考えたり、相手選手のビデオを観て分析したりする時間(離台の努力)が4時間あったとしたら、その選手の「努力」は、何も考えずに毎日2時間練習している一般の選手の「努力」の3倍以上ということになる。目に見える練習だけが「努力」とは限らないわけである。

決まったことをなぞるだけの練習はむしろ楽であり、そんな練習よりも「どうすれば他の選手に勝てるのか」「有効な練習メニューは何なのか」を考えることのほうが選手としては辛いのではないだろうか(そういうのは指導者だけの仕事だろうか?)。というのは、自分で考え出した練習メニューが実際に試合に役に立つかどうか分からないからである。役に立つかどうかの保証のない努力ほど苦痛なものはない。せっかく考えだした練習メニューに沿って練習してきたのに一向に強くならない、というのでは、「無駄な努力をした」「何をやっても強くなれない」という「燃え尽き症候群」に陥ってしまう。こうなるぐらいなら、練習しないほうがマシだとさえ言える。

…かなり話が脱線したが、ようするに卓球台を使って相手と打ち合う「練習らしい練習」だけでなく、あまり「練習らしくない練習」(離台の練習)というのも重要ではないかと主張したいのである。前記事「観て上達」もそういう練習法の提案だったのだが、今回も「練習らしくない練習」を提案したいと思っている。もちろん、練習時間の限られた我々中高年の初中級者向けである。

毎週1~2回ほどしか練習できない、しかも相手を選べないというのが社会人の悩みである。こういう環境の我々は台に就いてボールを打てる時間を最大限に活用したい。最高の状態で台に就きたい。となると、上に挙げた「離台の練習」に時間をかけなければならない。

私が最近注目しているのはウォーキングである。

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といっても屋外を何キロも歩くわけではない。数十メートルでも実践できる練習である。この「どこでもウォーキング」ならどんなに忙しい社会人でも暇を見つけて実践できる練習法である。オフィスで働いているデスクワーカーでも、ちょっとトイレにいく時等に気をつければ実践できる手軽な練習法である。

およそ卓球人たるもの、毎日どこにいても卓球に対して意を用いなければならない。

いわば「常住、卓球」である。

ずいぶん長口上になってしまったので、実践例はのちほど。