子供「お父さん!『果たして』と『一体』の違いって何?同じ意味?」
父親「え~と、辞書(デジタル大辞泉)によると…

果たして
(下に疑問を表す語を伴って)いったい。「―誰が栄冠を手にするか」
一体
強い疑問や、とがめる意を表す。そもそも。「―君は何者だ」

だから、『果たして』はただの疑問の意味。『一体』は強い疑問の意味だそうだ。『一体』のほうが「分からない」という気持ちが強いんだよ。あと、疑問詞を使うのが『果たして』で、『一体』は『そんなことするな!』って言いたいときにも使うんだよ。それから「果たして」のほうが書き言葉っぽいかな。」

子供「ふ~ん。強いかどうかと、疑問詞があるかどうかと、『やっちゃだめ』って言いたいときに使うかどうか、それから『果たして』は書き言葉か…」

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初級者「コーチ!腰を使って打つってどうすればいいんですか?」

コーチ「右の太ももの付け根のところが奥まるようにして折り曲げ、右足を動かないようにしっかり固定して、バックスイングし、ねじった反動で右腰を回転させながら打てばいいんですよ。そのとき腕に力を入れないで、腰にしたがって腕が自然に回るようにしなければなりません。」

初級者
「なるほど!こうですね、フン!フン!」

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果たしてこの初級者は腰を使って打つことができるようになっただろうか…。

kochou

上で「果たして」と「一体」の違いについて、いろいろな違いが説明されているが、なんだかピンとこない。枝葉末節の詳しい情報を加えれば加えるほど聞き手は混乱する。「群盲象を評す」とか「衆盲象を摸す」といったことわざがあるが、ある概念の外延をどれだけ積み重ねても、その概念の本質には迫れないのではないか。最近はコンピューターによるビッグデータの解析で多くのことが分かるようになってきているようだが、私たち人間にとっては多すぎる情報はかえって毒になる、本質を見失わせる。

「果たして」も「一体」も疑問の気持ちを強調しているのは同じだが、「果たして」は疑問の気持ちが自分のうちに収まっているのに対して、「一体」は疑問の気持ちが自分のうちに収まりきらず、あふれ出ている
だから「果たして」は相手に訴えるような場面では使いにくい。辞書の説明に「とがめる意を表す」とあるのはそういうことだと思われる。

×「果たして君は何者だ!」
〇「一体君は何者だ!」

×「果たしていつまでやってるの?」
〇「一体いつまでやってるの?」

〇「果たして誰が優勝するかな?」(独り言っぽい?)
〇「一体誰が優勝するかな?」(独り言としても、相手への間接的な質問ともとれる)

△「(番狂わせが起こり)果たして誰が優勝するんだよ!」
〇「(番狂わせが起こり)一体誰が優勝するんだよ!」

これは「は」と「って」の違いにも通じるものがあると思われる。

〇「水谷選手の強さは圧倒的じゃない?」
〇「水谷選手の強さって圧倒的じゃない?」(こちらのほうが自然?)
〇「丹羽選手は学生です。」
×「丹羽選手って学生です。」→〇「丹羽選手って学生なんです。」

同様に「腰を使って打つ」について私はいろいろな説明を受けたが、いまいちピンとこなかった。その中で最もしっくりきた説明は重心移動である。

腰を回そう、回そうと思っても、あまり腰は回らない。そうではなくて、フォアハンドを振るとき、重心を左足から右足、右足から左足に移すことを意識してスイングすると、腰が回りやすい。腕を素早く回すには腰を回さねばならず、腰を回すには足の重心移動をしなければならない。つまり力は下から上に順番に入れなければならず、中間の腰だけに力を入れようとしても入らないのだ(前記事「ロケット理論」)。また、バックスイングの際、重心を右足に預け、腰を右にひねりきったときには右のおしりに力を込めるようにするのがいいようだ(前記事「右尻に力を込めて」)。

さらに戻りも同様に腕や腰を戻すのではなく、重心を素早く左から右に移せば自然に腰が戻り、つられて上半身および腕も戻る。前記事「新卓球サイト「シェークハンズ」」のコメント欄でぷにさんが藤井氏の言葉として「戻りを早くしたいならまず脚を戻せ、腕を戻すのはその後でいいよ」というのを紹介してくれたが、これですべてが符合する。

腰を使ったスイングは足の重心移動が基礎となってなされるのだ。

【まとめ】
説明が詳細になればなるほど理解が進むというものではない。核心的な部分の説明がなく、枝葉末節の説明をいくら詳しくしても意味がない。腰を使ったスイングの核心的な部分は足の重心移動だった。逆に言うと、ここさえ押さえておけば、細かい説明は必要ないのではないかとさえ思える。

しっくりくる説明というのは人によって違うと思われる。だから私の説明が多くの人に共感してもらえるか分からないし、上のコーチの説明の方が分かりやすいという人もいるかもしれない。あるいは重心移動を使うというのは当たり前すぎて言わずもがなのことなのかもしれないが、私にとっては上の事実は大きな発見だった。腰ばかりを使おうとがんばっていた私の頭からは重心移動のことがすっぽりと抜け落ちており、文字通り空回りしていたのだった。

【付記】
本文中の画像には特に意味がない。イラスト等が何もないとさびしいと思って貼り付けたに過ぎない。
画像は山田美妙の小説「胡蝶」1889の挿絵。小説の挿絵としては初めて女性の胸があらわになった絵を使ったとして雑誌が発禁処分になったりして、当時ずいぶん騒がれたらしい。
しかし、考えてみれば、当時は、売春はOKなくせに、こんな艶かしさのかけらもないような絵1枚に目くじらを立てていたというのがおもしろい。時代が変われば価値観も変わるという実例として興味深い。

【追記】140128
腰の動かし方は以下の動画が分かりやすかったので記しておく。

「下回転打ちのフォーム」