2012年から毎年「京都マラソン」が開催されている。

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参加料が12000円もかかるにもかかわらず、京都の街を走れるということで、なかなか人気があって、応募者の1/3程度しか出場できないらしい。また、1人あたり12000円もの収入(地元企業のワコールやオムロンなどの選手はもっと払っているはず)があるにもかかわらず、第1回は2億以上の赤字だったという。ガードマンを雇いすぎたのが原因らしい。「こういうイベントはもっとボランティアを活用すべきだ」という反省に立って、今年2013年は警備会社に頼むのは必要最低限にし、多くのボランティアに沿道警備を任せることになった。

私も今年の3月、そのボランティアの一人として参加した。

担当部所にコーンを置いて、テープなどで観客がコースに入らないように結界を張り、目を光らせているだけの単純な仕事だったのだが、それだけではあまりにもそっけないので、せめてランナーに声援を送ってあげようと、声を張り上げて励ましていた。京都マラソンは一般の府外のマラソン愛好家が大半なので、温かい言葉で励ましてあげたかった。
しかし、励ますべき言葉が見つからない。「がんばれ!」を連呼するのはあまりにも芸がない。しかし、そうはいっても他にどんな声をかければいいのだろうか?ゴール近くなら「あと?キロ!」とか言えるのだが、私が担当した箇所は残り30キロ近い場所。マラソンの経験があれば、どんな言葉が励ましになるか分かるのだが、あいにく私にはそういう経験がない。

ゴールの見えない長い道程を苦しみながら独りで走るというのはつらいものだ。そんなときに励ましの言葉をかけてもらえたら、干天の慈雨に遇ったような喜びを感じるに違いない。

そしてそんなつらい道のりを不安を抱えながら走っているのはランナーだけではない。いくらがんばっても進歩が感じられない。もうイヤになってくる…。そういう人たちに私ができるアドバイスは、目の前の目標だけをなんとか達成していれば、いずれ道は開けるということだけだ。

表題の言葉は図書館で借りた本の中に挟まっていた返却期限の紙に書いてあった言葉。正確には「苦しくても、次の電柱まで走ろう」だったと思う。なんだか励まされる言葉だ。ゴールまでの長い道のりを考えると投げ出してしまいそうになるが、次の電柱までだと思えばまだ走れるような気がしてくる。走り終わった後、振り返ってみれば、今がいちばんキツイ坂だったりするのかもしれない。孤独に走り続けているのは自分だけではない。そう考えて少しずつ前進すれば、きっと努力は報われる。