卓球王国の出版物は質の高いものが多い。私は雑誌『卓球王国』をよく読むのだが、その出版物紹介の広告ページにこの本が紹介されており、前から気になっていた。どうしてボクシングの本なのに卓球王国が出版しているのだろうか。
どうやら、卓球王国編集者?の高橋和幸氏(参照:ラケットへの愛着)とエディ氏は個人的に親交があったようだ。
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エディ氏はガッツ石松や赤井英和といった有名なボクサーを育ててきたハワイ出身のトレーナーである。その愛情にあふれた指導は多くのボクサーに慕われたという。

この本を一言で言えば、ボクシング版「相田みつを」である。写真とエディ氏がボクサーを励ました名言が散りばめられていて、説明などは非常に少なく、30分ほどで軽く読めてしまう。相田みつをに感動できる人は、この本にも感動できるし、できない人はできないだろう。この本は励まされたい人よりも、励ましたい人が読む本である。

私の心に残った名言は以下のものである。

手をこうやって、握手して…言うの。とおるの。
ボク、話するの、とどくの。
「大丈夫よ」…「オーケー」。日本人、ちょっと違うね。
すぐ、「がんばって!」あれだけ。手、握らない。

この言葉から分かるようにエディ氏の日本語はかなり拙い。拙い言葉で上手に指導するにはどうすればいいのだろうか。指導を受けた村田栄次郎氏は言う。

「日本人はみんな、プロフェッサーよ…」。
エディさんは、よう、そんなこと言うてましたね。これは理論ばかりで教えるという意味やと思うんですが、確かに日本人のトレーナーは、とにかく言葉でねじ伏せる傾向が強いんです。それがエディさんは、スパーリングやってると「ストップ!」言うて入ってきて、カタコトの日本語で「今のパンチ、こうね。パンパンパン打ったら、次、こうパンッ、ね、わかる?」…。動作で見せるだけで、あまり細かい説明はしないんです。そうすると、こっちも考えるんです。エディさんの言うことはこうかな?という具合に。


条理を尽くして言葉で説明する、ということは頭の良い人にありがちな間違いなのではないだろうか。隙のない論理で順を追って説明されると、いちいち納得するので、自分で考えることをやめてしまう。聞いたときは分かったと思うが、しばらくすると、そのような説明は頭に残らず消えてしまう。なんだかテレビ番組に似ている。テレビは映像と音声と文字を駆使してこれでもかというほど分かりやすく説明してくれる。しかし、テレビを観ている間、立ち止まって考えるのは難しい。一方、本は違う。読みながら、「あれ?」と思ったら、そこで「これはいったいどういうことだろう」と立ち止まって考えることができる。

昔、上代文学の偉い先生にお話をうかがったことがある。その先生はことばについて「ことばとは、つまるところ、問いと答えだ」とおっしゃっていた。文レベルでも言葉は主語という「問い」と述語という「答え」から成り立っている。授業だってそうだし、会話だってそうだ。その際、「問い」と「答え」が密接につながりすぎていると、上に挙げたように自分で考える隙がなくなってしまう。適度に「答え」を飛ばして簡潔に説明すると、聞き手は「あれ?」と考える。そういう指導がコミュニケーションであり、相互理解なのかもしれない。

エディ氏はそういうことを計算しながら指導していたのだろうか。あるいは天性のものだったのだろうか。
どちらにしても、指導とは何かということを考えさせるエピソードだった。