田山花袋という作家がいる。
事実を愚直なまでに、そのまま小説にする「自然主義」というのを推し進めてしまい、現代日本文学を「私小説」という悪しき流れに導いた張本人として日本文学史にその名を残している。
「小説なんてのは、つまるところ嘘っぱちだ。事実をそのまま写して初めてリアリティーが生まれるのだ」
と言ったかどうか分からないが、「事実」というものがあると仮定して、それを「そのまま」写して事足れりとする安直な考え方は今では多くの人の失笑を買っている。花袋が上州の片田舎の出身で、小学校程度しか出ていないという経歴もその風潮を助長している。学歴で作家やその作品を値踏みする人は非常に多い。同じようなことを書いても、川端康成や谷崎潤一郎はカッコイイとされているのに、花袋の場合は単なる「エロオヤジ」のレッテルを貼られてしまう。

私は『蒲団』を読んだことがある。これはすごい小説だと思った。自分を主人公にして、周囲の人に対する批評や、自分のもとに弟子入りしてきた女学生に対する性欲までも赤裸々に綴っているのだから。

「妻の衰えた肉体と比べて…」
「他の男にとられるぐらいなら、あのとき自分のものにしておけばよかった」

なんて文章を奥さんは、そしてその弟子入りした女学生はどう感じながら読んだだろう。この小説が話題になってから、夫婦関係に少なからずヒビが入ったことは想像に難くないし、周りの花袋を見る目も変わっただろう。
『重右衛門の最期』というのも心を打つ作品だった。田舎の、警察も手を付けられないような無法者の生涯を題材に当時の田舎で起こっていただろう残酷な現実が活写されていた。そしてその重右衛門が手の付けられない悪党になってしまった原因は睾丸が人より大きかったという滑稽な理由によるものだった。自分がもし睾丸が極端に大きかったとしたら、どれほど笑われ、どれほど傷ついただろうと思うにつけ、この作品は真実を描いていると思わされる。

お気に入りの作家だったので、ずいぶん横道にそれてしまったが、田山花袋には『温泉めぐり』という作品がある。最近岩波文庫にも収録されたので手軽に読むことができる。この作品は温泉通としても有名な花袋が日本各地の温泉へのアクセスや性質、周囲の情趣、名物料理などを描写した紀行文である。花袋のふるさとの上州は草津や伊香保、水上といった温泉の豊富な土地なので、温泉に興味を持つようになったのかもしれない。
私は残念ながら、温泉には全く興味がない。それでこの本にはちっとも興味を惹かれなかった。しかし、温泉に興味を持つ人は、この本の説明に非常に助けられたことだろう。
「仁和寺にある法師」ではないが、その温泉地の最大の売りを知らずに、それを見逃してしまったら、さぞ悔やまれるに違いない。「あそこの名物の焼きまんじゅうを食べておけばよかった!」とか、「ちょっと足を伸ばせば絶景が広がっていたのに!」などなど。
また、思っていたのと全然違ったとか、こんないいところなら、もっと早くに訪れたらよかったなどと、当時の情報の少なさに残念な思いをした人も多かったに違いない。

『温泉めぐり』に倣って「卓球場めぐり」というのは需要があるだろうか?
私は以前、東京に行った時、「せっかくだから、卓球場を訪れてみたい」と思った。新井卓将氏の丸子橋スタジオや、原田隆雅氏の礼武道場などに行ってみたいと思ったが、土地勘がないのと、情報を集める気力がなかったので、結局断念した覚えがある。
関西にはどんな卓球場があるか関西の人も知りたいのではないだろうか。
そこでこれからちょくちょく関西の卓球場を訪れて、アクセスや設備、料金、雰囲気、一人でも行けるかどうかなどをレビューしてみたいと思う。

【追記】
丸子橋卓球スタジオへの道案内動画があった。ただ、ここにフラッと訪れて練習ができるかどうかは分からない。