しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




2020年05月

当ブログでは皆様からの寄稿を募集しております。卓球について意味のある主張を発表したい方はshirono.tatsumi◯gmail.comまで原稿をお寄せください。

コメントについて:
コメント欄は他の読者が読んで意味のある情報交換の場としてご利用ください。当ブログの方針(察してください)に沿ったご意見は公開します。返信しにくい場合は公開のみとさせていただきます。指導者ではないので、技術的な質問には答えられません。中傷等は論外です。なお、メールアドレスは公開されません。

日ごろは何とも覚えぬラケットが… ――ランニングから学ぶ

久しぶりの練習は、案の定、例の練習とはかなり違ったものだった。

ラケットってこんなにずっしりと重かったっけ?185gぐらいだったと思うが、スイングすると、なんだか腕が引っ張られるような感じだ。

アッ痛!なんだこれは思い切りスイングすると腕が痛い。

そうなのである。ここ1ヶ月、運動らしい運動をしていないために筋肉だか、筋だか分からないが、硬化しているのを感じていたのである。腕を真っ直ぐ上に伸ばすと痛い。シャツを着たり、脱いだりすると痛い。これが噂の五十肩というやつか。

ドライブを打ってもボールがちっとも走らない。全力のドライブが、「ギュン!」ではなく「ポワ~ン」という感じなのである。これでは攻撃というより、つなぎである。

しかし、これはこれでおもしろい。

女性がドライブではなく、ミート打ちを多用する理由を身を以て知った気がする。適度に下回転のかかったチャンスボールを弱いインパクトで「ポワ~ン」とドライブするのではなく、「バシッ」とミートしたほうが断然楽で、威力もある。あるいはドライブを打つにしても、柔らかいラバーでないと、しっかりボールが食い込まない。フォア面を柔らかいラバーに替えてみるというのもおもしろそうだ。

今までは「ドライブのボールが軽い」などと言われると、罪悪感を感じてしまい、硬いラバーに替えて全身の力を一点に集中して打たなければならないという強迫観念のようなものを感じていたが、中年にはそんなドライブは無理なのである。

「ドライブが軽くたっていいじゃないか。別に全国大会とかに出るわけでもあるまいし。」

そういう執着がなくなると、気分も軽くなる。柔らかいラバーでドライブはつなぎでもいいと割り切ると、不思議と足の動きが良くなってくる。特に私の苦手な前後の動きが良くなってきたのである。おそらく今までドライブの威力を優先していた結果、そこに多くのリソースが割かれていて、動きが遅くなっていたのだと思われる。

スイング時に腕が痛くなるというのは、おそらくこういうことなのだ。
スイング弧線

スイングの描く弧線が
大きく、直線的な場合は腕が痛くなり
小さく、曲線的な場合は腕が痛くならない

腕を伸ばして、腕の力で打とうとすると、体が痛みでブレーキをかけてくれる。こういう機能が身についたというのは、考えようによってはラッキーなのではなかろうか。体幹がうまく使えるようになるための矯正具を内蔵したようなものである。

しかし、ずっとこのままというのもちょっと不安である。少し体を鍛えて筋力を補強したほうがいいのかもしれない。ちょっとランニングでもしてみようかな。初めから何キロも走るのは無理だから、できる範囲で1キロぐらいから走ってみよう。

晩ごはんを食べて、腹もこなれた頃合いに人通りの少ない道を少し走ってみた。が、わずか200メートルほど走ったところでもう限界である。

無理は禁物だ。走ることに執着してはいけない。ウォーキングに切り替えて、疲労が少し回復したところでもう一度チャレンジである。

だんだん疲労が回復してきたので、もう一度走ってみることにした。ただ、今度はやみくもに走るのではなく、体の使い方を意識して走ってみよう。疲れにくい走り方というのがきっとあるはずだ(前記事「昔の人はえらかった」)。

お腹に力を入れて走ってみる、腕を大きく振ってみる、姿勢を真っ直ぐにしてみる、腰を回してみる…いろいろ試してみたが、一つ発見があった。脇を締めて走ると疲れにくいのだ。

キシャポッポ
こんな感じでキュッと脇を締めて走ってみる


なんだこれは!楽に体が前に進むぞ!今まで脇を拳一個分空けて走っていたのだが、胸を張って脇をぴっちり締めて、腕を真っ直ぐ前に大きく振ると、腕を振ったエネルギーがほとんど逃げずに体を前方に進めてくれる。

「この感覚はどこかで…そうだ!フォアドライブのときに左半身で壁を作るという動きに似ている。」

脇を締めることで上半身がしっかり固定されブレなくなった。そして下半身は、腰を回すようにして走ってみる…まだ足に力が入っている。足に力を入れるのは一瞬であるはずだ。なぜならドライブで力を入れるのは一瞬で、それ以外のときは脱力しているのがいい、という教えがいろいろな卓球動画で言われているではないか。ドライブのインパクトに比定されるのは、ランニングでは足の接地であるはずだ。接地の瞬間だけ足の力を入れ、それ以外は足が脱力していなければならない。

そんなこんなで今日のランニングを終えた私は、脇を締めるという収穫を得て帰宅し、卓球とランニングの体の使い方の共通性に思いを馳せるのであった。

膾炙練習――「無駄な」練習時間を取り戻す

高校時代に修学旅行で奈良・京都を探訪した。
よく覚えていないのだが、4泊5日ぐらいで東大寺、春日大社、法隆寺、清水寺、金閣寺、銀閣寺などを訪れたような気がする。相当な強行軍であった。
本物の文化などには無縁の高校生だったのでそんなところにいっても「おお、古い!」ぐらいの感想しかない。1箇所、2箇所ぐらいなら物珍しく、楽しめたのだが、次第に飽きてしまい、「毎日毎日寺ばっかり…」などと不満たらたらだった。
今から思うと、先生が「限られた時間でできるだけ効率よく名所を回れるように」「たぶんもう二度と訪れない生徒もいるだろう」と苦心して作ってくださったスケジュールだったのであり、文句をいうなんてとんでもないことなのだが、子供はこんなに密度の濃い時間に耐えられなかったのだ(もちろん、大人になって「清水寺ってあそこか」とすぐにイメージできるのはあの経験のおかげである)。有意義な経験を凝縮しすぎたスケジュールであり、喩えていうなら、レモンを1コ食べるのではなく、レモン50個分のビタミンCのサプリメントを1粒服用するようなものである。吸収しきれるはずがない。

消化不良
そのサプリメント吸収されてません

前記事「卓霊さま」で以前、私は小説嫌いだったと書いたが、なぜ嫌いだったかというと、無駄な情報が多すぎると感じていたからなのである。
ノンフィクションの本は、ふつうは事実やそれを基にした推論によって構成されており、情報の密度が高いのに対して小説というのは、作者の考えた「お話」である。主人公がヒロインに出会っていろいろな経緯があって結ばれ、ハッピーエンドを迎えたといった「お話」は情報としての価値に乏しい。もちろん、その物語の背景にある情報――当時の時代背景とか、物語が扱っている特殊な業界のことが知れるといったことに価値はあるが、登場人物の経験する個々の出来事や、それに伴う喜怒哀楽などにはなんの価値もない、情報量の無駄である…と若い頃は考えていた。

関西で緊急事態宣言が解除され、今週末からようやく卓球ができる環境がポツポツ出てきた。1ヶ月以上ぶりに卓球ができる!しかし、いつもどおりに卓球をするわけには行かない、感覚がだいぶ狂っているのでリハビリが必要なのである。とりあえずワンコースの基本練習だけにとどめておこうとフォア打ち、バック打ち、ワンコース切り替えといった練習に終始したのだが、なんとも充実した時間だった。いつもなら、こういう練習はほどほどにして、youtubeなどで仕入れた新しい技術などを次から次へと試してみたりするのだが、すでにできる技術を丁寧におさらいして、点検してみるといった練習は思ったよりも充実感があった。「もうできる」と思っていても、実際はあまりできていなかったり、パラメータをちょっと変えてみると、パフォーマンスに変化が見られたりと、「すでにできる技術」にもまだまだ練習時間を費やす余地が残っていると感じたのである。

これまでの私の練習に対する態度は

コツ・ポイントを学ぶ→練習で試してみる→できるようになった!

というものだったが、これは本来順序が逆なのではないだろうか。
そもそもコツやポイントというのは練習の積み重ねの中から見いだされるもののはずである。無駄な練習や失敗、勘違いなどを少しずつ修正し、もっとも効率化された技術の粋こそがコツ・ポイントのはずである。
それを、練習したこともない技術なのに、まずコツ・ポイントから学び、それを実践で少し試して「できるようになった!」というのでは「吸収しきれるはずがない」。こんな強行軍で卓球の技術を習得しようとしても、その「できるようになった!」はおそらく錯覚なのである。順序が逆になったとしても、その技術を吸収するには前者の態度と同様、たくさんの間違いを経験し、その間違いを修正するというプロセスが必要なのである。

「こんな基本練習ばっかりやっても時間の無駄だよ」

というのは、毎日飽きるほど練習時間があって、飽きるほど基本練習を繰り返した学生が言うセリフであって、週に1~2回しか練習時間のない私にとっては、単調な基本練習は無駄な練習のように見えて、実際は得るところの多い練習だったのである。


異質への眼差し

卓球ができなくなると、嗜好や考え方も変わってくる。
ふだん、あまり食べたいと思わなかったものを食べてみたくなったり、今まで手に取ることもなかった本を読んでみようかという気になってきたり。

今、無性にペヤングが食べたい。ネットで調べると、「激辛やきそばEND」という製品があるらしい。
ペヤング

さらに「獄激辛やきそば」というのは「激辛やきそばEND」の3倍の辛さだという。
gokugekikara

関西でも売っているのだろうか…。昼にスーパーに行って探してみようかな。

卓球もできないことだし、たまには読書でもしてみよう。しかし、分量の多いのはダメだ。すぐ読めるものがいい。本棚を眺めていて私が手に取ったのは、田辺聖子の『文車日記』だった。

文車

一編が2~3ページでまとめられていて、手軽に読める。どれどれ、どれを読もうかな。
一番軽く読めそうな俳句がいいな。お、蕪村の句なんていいかもしれない。

「御手討(おてう)ちの 夫婦(めをと)なりしを 更衣(ころもがへ)」

どんな意味だ?さっぱり分からない。

この句に対する田辺聖子の解説がまた絶妙である。

江戸時代には旧暦4月1日に町中が衣替えをしたらしい。旧暦の4/1をネットで調べてみると、今年はGWの前あたりだそうだ。

武家方では恋愛は、きついご法度です。もし露顕すれば、不義者として成敗されてしまいます。
でも、若侍と、可憐なお腰元は、いつとなく、恋し合ってしまいました。


お家を乱す不義者と、あたまの固い三太夫はあららかに詰ろうとしますが、やさしい奥方は、かげになり、日向になってかばわれたかもしれません。

奥方はそっとお腰元と若侍を、しるべのもとへ落してやったり、身の立つようにはからい、新生活のはなむけをくださったかもしれません。

とび立つ思いのお腰元と、若侍。本来なら二人重ねてお手討ちになっても文句のないところなのに。希望にみちてお屋敷を出ます。

晴れて二人の人生がはじまります。町は初夏。さわやかな衣更えの季節と同じく、二人もまた、生まれかわったような人生の第一歩なのです。

なるほど。「御手討ちの夫婦なりしを」というのは、「本来なら二人重ねてお手討ちになっても文句のないところなのに。」という意味か。そんな二人が恋のためにすべてを捨てて、優しい奥方様のご配慮で市井で隠れて暮らしている。以前に比べて生活は苦しくなり、慣れない仕事に戸惑ったりもするけれど、二人は全く後悔していない…こんな短い句なのに田辺聖子の想像力で清々しいドラマになっている。

この句にも感心したが、田辺聖子の優しい眼差しにも感心させられた。こういうふうに俳句を鑑賞すれば、今まで気づかなかったことにも想像が働くようになるのだろう。

----------
私はツブ高に興味もないし、自分でペン粒をやってみようなどとは夢にも思わない。
しかし、この二人の動画を見ると、ペン粒というのがなんだか楽しそうに見えてくる。



WRMのガネ氏とやっすん氏が紹介するDVD「ペン粒高攻守の極意」。
海津富美代

このDVDがとにかくすばらしい内容らしいのである。
私はペン粒に興味はないが、二人が海津富美代氏について興奮しながら語っている様子を見るのが心地よかった。

好きなものについて熱く語っている人を見るのは、たとえ自分がその対象に興味がなくても、楽しいものである。
笑顔
満面の笑みの二人

がね氏「ずっとこのDVDの話ばっかり社長としてた」
がね氏「このDVD見たら、バックでブチ切るのもやるしかねぇ!って…」
やっすん氏「アンチでこのメソッドやったのよ、超切れた!」
がね氏「(ペン粒について新しい情報は)もうこれ以上ないやろ、って…え?こんなに知らんことがまだ自分にあってしまった!みたいな。」



WRM-ツブchというチャンネルが今年になって始まったが、登録者数はまだ3000人弱。しかし、今、このチャンネルはアツい。二人の異質愛が感じられて、見ていて楽しい。

今まで私が卓球動画を見る理由は、自分の技術にどのように役立てるかという視点だけだった。しかし、このツブチャンネルを見ると、自分の卓球に応用できなくても、自分とは違う立場で卓球について語っている動画を見るのも、また楽しいということが分かった。少し卓球に対する視野が広がったかな。


裏面ツブなら敷居が低そうなのでちょっと試してみようかな。

卓球 解釈と鑑賞

前記事「卓球写真コンテスト」で写真の良し悪しというものについて初めて考えてみた。
いい卓球の写真というのはどういうものなのだろうか?
おそらく評価基準は一つではないだろう。たとえば

・選手の個性や感情を表しえているような写真
・場面のドラマや雰囲気を見事に演出している写真
・被写体の美しさ等を存分に表現している写真

こんな基準を考えてみたが、おそらくもっと他の基準もあるに違いない。

世間では絵画の展覧会などに多くの人がつめかけるが、世の絵画好きの人はいったいどういう基準で絵を鑑賞しているのだろう?

------------
卓球情報サイト「ラリーズ」で非常におもしろいインタビューがあった。
元全日本ダブルスチャンピオンの野平直孝氏が東京で餃子屋さんを経営しているというのだ。

野平直孝氏は、私がちょうど卓球を休んでいたときに活躍していた選手なので、どんな活躍をしていたのか、あまり存じ上げないが、卓球の元トップ選手がどうして餃子屋さん?

記事によると、氏はもともと食に強い関心を持っていて、引退後のセカンドキャリアは飲食店と心に決めていたらしい。そしてラーメン屋で修業をしながらあちこちの評判の店を食べ歩き、自身の店のイメージを膨らませていったのだという。その過程で飲食店の経営というのは意外なことに卓球の経験が活かせる部分が少なくないということに気づくのである。

「… さぞおいしいんだろうなと思ってもつ煮込みを頼むと普通なんですよ(笑)。…『うまいものを作ったら勝てる』ではなく、居心地いいお店を作るほうが料理の味より重要なんじゃないかって気づいたんです」
「これって、卓球と同じですよね。フットワークが良くなければ勝てないわけじゃないし、逆にスマッシュが凄いのに勝てない選手もいる。自分ができることで上手に勝ちを目指すのが卓球です。」



飲食店経営と卓球の戦術の共通性。なんと意外な組み合わせ!野平氏は頭のいい人だなぁと感心させられた。

そういえば…

最近読んだ『ハーバードの日本人論』という本の中でメディア論の先生が黒澤明と小津安二郎について語っていたのを思い出した。

黒澤の映画を、二度、三度と繰り返して見れば、一つひとつのシーンの空気感を伝えるために黒澤が何を企てているかがわかってきます。カメラの使い方、俳優の動きから、風の効果まで、計算しつくされています。
黒澤映画の画面の中に写っているものには、すべて意味があります。どんな小さなものでもです。その一つひとつの意味を学生に伝えると「映画が芸術だというのはこういうことだったのか」「これが映画制作の本質だったのか」と皆、感嘆します。

そうだったのか。黒澤明の映画を見たことがあるけれど、だいたいのストーリーしか見ていなかった。そういえば、同じことが卓球にも言えるのではないか?

トップ選手は決して行きあたりばったりでプレーしない。常に何かを「企てている」し、すべてのショットには意味がある。一見、なにげなく返したレシーブも、実は4球目、6球目のための布石になっていたり、ちょっとしたサービス前のしぐさにも何らかの狙いがあったりするものである(たぶん)

私は卓球のトップ選手の試合を見ると、「ドライブ速い!」などと、派手なところばかりに目が行ってしまう。しかしそれは映画で言うと、「意外なストーリ展開にハラハラドキドキした」というのと同じ視点だろう。それが悪いということではないが、派手な強打だけでなく、ポイントを構成しているラリー全体の一つ一つのショットの意図まで味わわなければもったいない。トップ選手のプレーの1打1打は「計算しつくされて」いて、「すべて意味があ」るのだから。

そう考えてみると、強打がすごい選手の試合よりも、そんなに速いボールを打っているわけではないのになぜか強い加藤美憂選手のような選手の試合は鑑賞し甲斐があるだろう(前記事「加藤美優選手の不思議な強さ」)。

今年のGWは自分で卓球ができず、試合動画などを見る機会が多い。これからはトップ選手の決定打の前の台上のやりとりや体の使い方にも注目してみれば、自分のプレーにも何か参考になるかもしれない。

gokui
機会があればこの本を読んでみたい。

---------
ちなみに小津安二郎は撮影手法の独自性ということで評価されているようである。

小津の映画を初めて見た人は、「これは典型的な日本映画だ」とか「とても日本的な映画だ」と思うでしょう。…しかしながら映画の表現方法という点から見ると、彼の作品は決して「日本的」ではありません。

おそらく世界中探しても、小津と同じような手法を使っている映画監督はいないと思います。…俳優を正面から撮影したバストショットがたくさん出てくることに気づくでしょう。俳優の視線はカメラ目線ではなく、微妙にずれたところにあり、会話の相手を見ているのか、どこを見ているのかさっぱり分かりません。このような撮影方法は小津映画独自のものです。


卓球情報過多

日本中で卓球ができなくなってかえって(だからこそ?)youtubeの卓球動画が充実してきたのは喜ばしいことである。

平岡義博氏の技術理論動画シリーズなどは、「こんなの無料で公開しちゃっていいの?」という感じで非常に勉強になった。


最近の卓球ユーチューバーは親切すぎるんじゃないかと思う。もっと自身の理論や技術を出し惜しみしてビジネスに結び付ければいいと思うのに、無料で何でも公開してしまうから、DVDやら雑誌やらを買わなくてもyoutubeで事足りてしまう。それどころか市販のDVDよりも内容の濃い無料youtube動画も少なくない(岡田崚選手の技術動画とか)

今や卓球の理論・技術情報は供給過剰状態で、情報の価値はダダ下がりである。ちょっと疑問に思うことがあれば、毎日のように行われている卓球ユーチューバーの「質問ライブ」とかで聞けばいいのだから。今や卓球情報の価値はタダに近づいていると言えないだろうか?

これは拙ブログの方向性にも関係することで、拙ブログでは、低いレベルながら技術的なことについても考えてきた。卓球という謎を解明するために私なりに上級者のプレーを観察したり、雑誌記事を熟読したりしてきた。たとえばラケットの下の方に当てるとボールが安定する(前記事「スイートエリアを外す」「ボールを当てる位置」)かもしれないなどと私なりに「小悟」したこともあったが、最近はわざわざ頭をひねって考えなくとも、youtubeを見れば、平岡氏の以下の動画の中の「CC理論」で私の小悟したことが、より詳しく、完全な形で公開されているわけである。



これじゃ初めに犯人を知らされてから推理小説を読むようなものである。昨今のように技術・理論の無料動画の質が上がってくると、卓球技術について自分で考える余地がなくなってくる。プロの指導者や上級レベルの選手が非常に高いレベルの「正解」をyoutubeで無料公開してくれるのだから。

このような風潮は、ありがたい反面、自分で卓球の謎を探るという楽しみが失われてきたように思う。情報がタダで手軽に手に入る今日、拙ブログでは何を書けばいいのだろうか。

卓球小説なんかどうだろうか。
---------
どこにでもいる平凡な女子高生の葵には秘密があった。
それは、いろいろないきさつから、「王子」と呼ばれる高校一のイケメン、卓球部主将のサトシと同居していること。
さらに二人の関係を嫉妬した同じ卓球部員の不良エイジも葵の家に押しかけてきて、3人で同居するハメに…。

LDK2

LDK



こんな小説を誰か文才のある人が書いてくれて、映画化とかされたら、卓球女子人口がググっとアップするはずなんだが…。


最新記事
記事検索
プロフィール

シロノ タツミ

カテゴリ別アーカイブ