しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




2019年11月

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「止まって打つ」とは

「子供ができて初めて自分の生きる意味が分かりました」
というのを別の言い方で意味を変えずに表現しろと言われたらどうするだろうか?

→「子供ができて自分の生きる意味が初めて分かりました」?
これじゃ、単語の順番を換えただけ表現としては変化がない。

→「自分の生きる意味が分かったのは、子供ができてからです」?
英語の「強調構文」のような表現だが、これも一つの解答と言えるだろう。

だが、そうではなく、物事を反対側から表現してみたらどうだろうか。

→「子供ができるまで自分の生きる意味が分かりませんでした」

このように同じ意味を異なる構造で表現すると、今まで気づかなかった意味に気づくことができる。

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私は最近、フットワークを意識しながら練習しているが、世間ではよく「足を止めてはいけない」などと言われる。しかしその一方で「打つときはきちんと止まってから打て」とも言われる。なんだか非常に分かりにくい。「足を止めるな」と「止まってから打て」というのは矛盾しているのではないのだろうか…。

前記事「ツッツキのバリエーション」で触れたように、ペンホルダーの私はなんとかしてツッツキからの展開で試合を有利に進めたいと思っている。しかし、相手のサーブを私がいつもツッツキで待っていると、当然ながら相手はロングサーブを多めに出してくる。そうすると、ロングサーブでこちらの待ちを外されて、ただ当てるだけのレシーブになってしまい、それを見越して相手はすでに回り込んでいて3球目強打をもろに食らってしまう。その結果、こちらもロングサーブを警戒せざるを得なくなり、ロングサーブで待っていたところに今度は同じモーションでショートサーブを出され、こちらはドタバタ急いで前進し、めいっぱい腕を伸ばして、また当てるだけのツッツキで返すことになる。

一体どうすればいいんだ。

こんなドタバタした卓球を続けていると、フットワークが浮足立ってくる。レシーブするときも足元がふわふわしていて落ち着かない。これではいけないと打球時にしっかり足を踏みしめるよう心がけることにした。ショートサーブが来たら、まず、右足を前方に一歩出し、ツッツキ。それが終わったら急いで戻って相手の返球を見定めて右足を踏みしめてブロック。こちらのチャンスボールのときも、右足を踏む場所をちゃんと確保してから、右足を踏みしめてドライブ。どんなときでも律儀に右足を踏む場所を考えてから打球。右足と右腕にほぼ同時に力を込める。このようにきちんと右足を使うというのは今まで意識したことがなかった。しかし、この右足と右腕を「重ねる」ようにすると、打球が安定してくる気がする。上半身の打球に先立って右足を踏みしめるというのは簡単なようで、意外と難しいと思う。ボールは一瞬でこちらに迫ってくるのだから、「あっ!」と思った瞬間には右腕を動かさなければボールに間に合わなくなる。というわけで、最近の私のプレーはのんびりボールを待っている余裕がない。ボールを打ったら、すぐに右足の踏み場を探さなければならないのだから。

「なんだかお母さんになったような気分だなぁ」

子供ができると、母親は自分が行動する前にまず子供のことを考える。自分の生活で手一杯なのに子供のことまで考えなければならないとなると、その忙しさは想像を絶するものだろう。

「そうだ!市役所に寄らなきゃ。家に返ってから、また来るのめんどくさいなぁ。子供をちょっと車に置いて用を済ませても大丈夫よね?」(たぶんダメ)

akatyan

「その店、前から行きたいと思ってたけど、子供連れOKかな?」

こんな感じで私も打球する前にまず右足をどうするか考えるようになった。ボールが打てる位置まで移動するのだって大変なのに、さらに右足の踏み場まで考えなければならないとなると、想像以上の忙しさである。いい年をした大人が、相手のサーブが打たれた瞬間に(いや、打たれる前から)足をバタバタさせて前後左右に移動しては右足を踏みしめて打球しているのだから。できればもっと優雅でスマートな卓球がしたいものだ。最近の私は全く足を休める暇がない。

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「止まって打て」と言われると、うまくできないが、「右足と右腕を重ねるようにしろ」と表現すれば、けっこう止まって打てるようになるのではないかと思う。

ツッツキのバリエーション

上回転の打法は種類が豊富で、人々の関心も高い。

代表格のドライブで言えば、スピードドライブ、ループドライブ、パワードライブ、カーブドライブ、シュートドライブ、ナックルドライブ、カウンタードライブ、チョリドラ等。

その他の打法でも、ミート打ち、スマッシュ、プッシュ、ショート、ロング、ブロック、フリック、チキータ、逆チキータ、フィッシュ、ロビング等。

一方、下回転の打法はといえば、かなり種類が少ない。
ツッツキ、サイドスピンツッツキ、ストップ、カット、ナックルカット、カットブロック…

だが、一口にカットといっても、いろいろな種類があり、カットマンはそれを区別しているはずである。私はカットマンではないので分からないが、私もよく使うツッツキで考えると、ツッツキにもたくさんのバリエーションがある。

たとえば、ラケット面を45度ぐらいに開いて、頂点前の打点を後ろから前に押すように打つ、通常のツッツキ(レギュラーツッツキ)に対して、下の動画のように早い打点で勢いよく押すツッツキがある。



これは上回転で言えば、ミート打ちに相当するだろうか。

ツッツキは、ストレートに打つとき、あまりスピードが出ないが、頂点を斜め上からガツンと切り下ろすようにクロスに打つと、下手なフリックよりも早くて切れたツッツキが出る。これは上回転で言えば、スピードドライブに相当する。いわば、スピードツッツキである。

では、ループドライブに相当するツッツキはないのだろうか。ラケット面を水平に近くして、下回転のボールのほぼ真下をとらえて、ラケットがボールを追い越すように切るツッツキがある。これはスイングスピードの速さに比して、ボールが遅く飛ぶので、相手のタイミングを狂わすことができる。ツッツキの時、私はボールよりもむしろ相手の腕の動きを見ているので、速いスイングでツッツキされると、速くて深いボールがくると身構えてしまう。ところが、ボールの下からラケットが抜けるようなツッツキは、前進力が弱く、ボールはフワッと浮いて、全く飛んでこない。それでいて切れているので、多少高いボールでも打ちあぐねてしまう。台上でツーバウンドすることも多いので、ストップになる場合もある。これはループドライブに近いツッツキかなと思う。

パワードライブはどうだろう?
頂点を過ぎたボールをしっかり引き付けてガツンと切るようなツッツキは、いわば「パワーツッツキ」である。勢いも回転もあり、深い。下からしっかりドライブをかけないと、持ち上がらない。

カーブドライブに相当するのは、カーブツッツキ。相手の順横下回転サーブを逆回転で返すツッツキ。巻き込みサーブのように返球するツッツキである。シュートドライブはカーブツッツキの逆で、逆横下回転サーブを逆回転で返すツッツキ。

ナックルツッツキというのは切らずに単に押すツッツキでもいいし、ボールの下を触って持ち上げ、ラケットの上を転がすようにして、相手の下回転を残しつつ返球する(相手にとっては順回転気味で返っていく)ツッツキでもいい。

他に上回転に比定できるものとしては、逆チキータ(これは下回転の場合もあるので、上回転の打法かどうか微妙だが)があるだろう。ペンなら、バックツッツキで、ボールの下をとらえて、相手のフォア側に流すようなツッツキである。

台上技術はペンのシェークに対する数少ないアドバンテージなのだから、これを活用しない手はない。以上のような多様なツッツキを使いこなせるようになれば、試合を有利にすすめることができるだろう。
ツッツキ

文化系卓球

今週末は「関西文化の日」。
関西の多くの文化施設が無料で入場できる日である。
日本文化の中心は関西である。ということは、「関西文化の日」は日本文化を最も濃厚に体験できる日なのである。

そこで私は「大阪市立自然史博物館」というところを訪ねてみた。

大阪、といってもいろいろある。実を言うと、私はまだオオサカを知らない。

京都にいれば買い物でも何でも事足りるので、私は大阪に行くことがほとんどない。年に1~2回大阪に行くといっても、それは梅田(大阪駅)周辺、いわゆるキタだけである。しかし、いろいろな情報を総合すると、どうやら梅田は大阪の中でもあまり大阪らしくない大阪のようなのである。梅田はビジネスの中心なので、ちょっと澄ました、よそ行きの大阪であるらしい。しかも他府県から来たヨソモノがたくさんいるので、大阪特有のニオイが希薄である。しかし、難波、天王寺周辺、いわゆるミナミのあたりまで来ると、大阪は突如牙をむく。

戎橋
難波にある有名な戎橋

コテコテの大阪弁を話す人の割合が増え、ド派手な看板の店が立ち並び、昼間から缶ビールを片手に歩いている人や、公園で熱心に将棋を指すおじいさんたち、大阪名物の「オオサカのオバちゃん」たちの割合も増えてくる…らしい(私の周りの人はみんなそう言っている)

今回訪れた自然史博物館は地下鉄御堂筋線の長居駅の近くにある。長居駅というのは難波や天王寺よりもさらに南にあるのである。岸和田ほどではないにしても、私はどうやらディープオオサカに足を踏み入れることになるようだ。期待と不安を抱きながら、長居駅を出ると、意外にも私のイメージしたオオサカではなく、ふつうの街であった。道路が広く、人の往来が多いこと以外はふつうの街と変わらない(コテコテの大阪弁を話す人は多かったが)。なんだか肩透かしを食ったような感じである。

目指す自然史博物館は駅から歩いて800m。予想通り多くの人出で賑わっていた。

館内には多くのブースが出店しており、「公益財団法人日本野鳥の会」といった、有名なところから、「オルドビス造形工房」という、復元模型を扱う専門的な店。
造形工房

はたまた大学の研究室から、「大阪自然環境保全協会」などというアカデミックな団体も参加していた(商品は売らず、主に啓蒙的な展示だったと思う)
私が感心したのは、そのような本格的な団体ではなく、「オオサンショウウオが好き」「クラゲのことをみんなに知ってほしい」といった個人の人たち、あるいは「鉢ヶ峰の自然を守る会」「すいた市民環境会議」といった地域のボランティアの人たちの出典が目立ったことである。「ジュニア自然史クラブ」などという賢そうな中学生たちのサークルが冬虫夏草の標本を紹介してくれたりもしていた。ほかにも「大阪変形菌おっかけ隊」とか「骨好き中学校教師の会」「はねはね団」「大阪石友会」「きのこ好きのためのキノコサロン」等、いかにも「趣味が高じて…」という団体がたくさん参加していた。
大阪人の立派なところは、こういう地域や民間がとても力強いことである。京都人から見ると、大阪人は独立独歩の気概に満ちている人が多い。

そのような出典団体だけでなく、常設展示もおもしろいものばかりだった。ナウマンゾウやマチカネワニの骨格標本から、大阪で現在見られる動物、鳥、魚、虫、植物などまで、模型やイラストで分かりやすく解説してあり、入館料300円+往復の交通費約1500円以上の値打ちがあった。とても充実した週末だった。

翻って卓球文化にこのような深みがあるのかというと、すこし物足りなく思った。
吹奏楽部よりも文化系に近い運動部と言われる卓球だが、卓球の文化系サークルというのは聞いたことがない。卓球サークルは数え切れないほどあるが、どれも運動系である。卓球でも「ジュウイック応援団」とか「コクタクをこよなく愛する会」のようなサークルがあっても良さそうだ。メーカーを考察の対象にしたサークルだけではなくて「表ソフト研究会」「5枚合板こそ正義」といった用具系サークル、「ツッツキでノータッチエース!」「サーブ研究所」といった技術系、卓球イラストサークル、卓球コスプレサークル、卓球川柳サークル、卓球マンガ部、卓球造形部など、文化系サークルがたくさんできて、それらが年に一度集まってイベントなどが開かれるような世の中にならないだろうか。卓球はもちろん体を動かしてプレーするのが一番楽しいが、卓球の文化的な活動ももっと盛んなってほしいと思う。


キュー(CUE)――無意識の癖

なんとなく無意識に続けている習慣というものがあって、私はサーブを出す時に台の上でボールを2~3回バウンドさせたりする。

サーブ前のルーティーン
樊振東選手もサーブ前にやっている

これに合理的な理由があるなら、そのまま続けるべきだが、逆にそれをすることが非合理的なら、速やかにやめるべきである。といっても、無意識にやっているものだから、なかなか気づかないことが多い。

私が自分のプレーで最近気づいたのは、私のスイングのスタートは自コートでのボールのバウンドの音を合図にしているということである。なぜか分からないのだが、相手が打ったボールが自分のコートでバウンドするまで私は自分のスイングをスタートさせようとしない。時間的に余裕があっても、金縛りにあったかのようにボールに手が出せず、その音を聞いてはじめて、まるで催眠術が解けたかのように急にスイングを始めることになっているのだ。それが台上のツッツキなどの比較的遅いボールなら間に合うことも多いのだが、もっと速いボールの場合、振り遅れてしまう。バウンドの音を合図にしてドライブ等を打とうとすると、インパクトが頂点を過ぎてしまうことが多いのである。

そこで私は意識してボールが自コートでバウンドする直前に――カコンという音がしないうちにスイングをスタートさせることにした。するとどうだろう、軽い力でスピードの乗ったドライブが打ちやすくなったのである。

その後、いろいろ考えて試してみたのだが、必ずしもバウンド音を聞く前にスイングをスタートさせる必要はないことが分かった。バウンド音を聞いてからスイングをスタートさせても、面の角度をやや上向きにすれば下回転のボールでもちゃんと持ち上がるし、上回転のボールも、ボールの上のほうを捉えるようにすれば大丈夫だった。しかし、私のドライブのデフォルトの角度は、どうやらバウンド音を聞く前にスイングをスタートさせるとちょうど安定するようになっているらしいのだ。あるいはボールによってバウンド音を聞いたり、聞かなかったりする必要があるのかもしれない。どんなボールに対しても、いつもバウンド音を聞いてから打ち始めるのでは安定しないということが分かった。

同じように私のフットワークの動き出しも、相手が打球するまで待ってしまう癖がついているのではないかと疑っている。おそらく上手な人は相手のインパクト音を聞く前にある程度動き出しているのだと思うが、鈍な私はそんな器用に立ち回ることができず、相手が打球して初めて動き出しているような気がする。当然フットワークが間に合わないことが多い。

こういう不合理は一つ一つ潰していきたいが、なにぶん無意識のことだから、気づかないまま効率の悪いことを放置しているのだろう。今まで体の使い方などにはいろいろ気をつけていたのだが、それ以前にタイミングのとり方というのをもっと見直してみるべきだったのかもしれない。



死を思う――F先生を悼む

以下、卓球に関係ない私の独り言である。
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F先生が亡くなったらしい。
F先生は私がお世話になった先生であるが、まだ60代前半の、研究者としては脂の乗りきった時期だっただけに少なからずショックを受けた。そういえば、去年体調を崩したので、非常勤先を一つ断ったと言っていたっけ。

F先生が亡くなって、私は悲しいとは感じなかった。むしろあっぱれな人生だと羨ましくさえ思った。

F先生とは10数年の短い付き合いにすぎなかったが、ふりかえってみると、先生は今どき珍しい研究者らしい研究者だったと思う。

出会ったばかりの頃、先生にこんなことを聞いてみたことがある。

「先生はどうして結婚なさらないんですか?先生ほど優秀な方なら、縁談がいくらでもあるでしょうに。」

「家庭を持つと、どうしてもそれに振り回されて研究の時間が削られてしまうから。私は独りのほうが気楽でいいんですよ。」

「先生は主要学会の長を務めていてもおかしくないと思うんですが、どうして学会の主流たちから距離を置いてはるんですか?」

「学会なんて、同窓会みたいな馴れ合いの場で、雑用も多いし、研究に益することも少ない。私にはそんな暇はないんですよ。」

もちろん、これはF先生の価値観であって、いろいろ反論もあるだろう。しかし、F先生はこのような主張をしても負け惜しみに聞こえないぐらい優れた研究を残していた。が、学会の主流からは離れていたので、それほど有名ではなく世間的な評価は「名前は聞いたことがあるけど…」という感じだっただろう。

先生のすごいところは50代になっても

「月末に論文の締切が3つあって、1つは伸ばしてもらったけれど、どうしてもあと2つ書かなければならないんだ。」

などといって、月に2回ぐらいは徹夜で論文を書いていたことである。ふつうの大学の先生は、40代ぐらいまでは必死で研究論文を書いたりするが、50代になると、一息ついて、自分の研究はそこそこにして、学生の指導をしたり、大学での管理職的な仕事をしたりして、あまりガツガツしていないものだが、F先生は50代になっても丸くならなかった。「あんなくだらない論文、粉砕してやる!」と学会の著名な先生に論戦をふっかけたりしていた。

よく先生はおっしゃっていた。

「こっちは命を削って論文を書いてるんだ!」

はたからみて、いつか本当に体を壊すだろうと思えるような超人的な仕事ぶりだった。

私はF先生と特に親しかったわけではない。F先生の中では、私などは知り合いに毛が生えた程度の存在だったにちがいない。しかし、私は先生に対して畏敬の念を抱いていた。好きだったわけではないが、尊敬していた。

そんな研究一筋のF先生がギラギラしたままで、弱みを見せることもなく、あっという間に世を去ってしまったのだ。こんな人生って実際にあるんだなぁ。まるでドラマのようである。その生きようはあっぱれだったとしか言いようがない。

ふりかえって自分の人生はどうなんだろう?

何かに挑戦しているわけでもなく、あちこちに寄り道しながら安穏と過ごしている。これからもこんな人生がムダに長く続くのだろう。卓球という生きがいはあるが、F先生のように命を削って極めるというほどの熱意もない。

F先生の人生に思いを馳せて、自分の人生がいかに輝いていないかがよく分かった。しかし、こんな人生も悪くない。卓球ができて楽しいし、なんとか生活もできている。

こんな平凡な人生も、あと20~30年ほどで終わってしまうんだなぁ。20年前というと、1999年か。つい最近じゃないか。これからの20年もあっという間に過ぎ去ってしまうんだろうなぁ。

人生は長いようで短い。


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