しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




2019年08月

私がいろいろな仕事で接してきた「できる人」に共通している特徴は、「自分の能力特性の分析」がうまいということだ。
まず、自分は何が得意で、何が不得意なのかを分かっている。もちろんオールマイティにあらゆる仕事をこなすエリートもいるのだろうが、たいていの人は、「仕事の得手、不得手」を持っている。そのうえで、得意な仕事を積極的にこなし、「不得意な仕事」からは上手に逃げている人が、実は「仕事ができる人」と評価されるのだ。(和田秀樹『頭をよくする ちょっとした「習慣術」』)


卓球にも同じことが言えるだろう。
「強い人」に共通している特徴は「自分の能力特性の分析」がうまく、苦手な展開を避け、得意な展開でいつも勝負している…。

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先日、横浜を訪れたとき(前記事「夏休み 横須賀・横浜散歩」)、ホテルに滞在したのだが、そこで初めて「卓球ジャパン」というテレビ番組を見た(私はふだんテレビを見ない)。そのときのゲストは加藤美優選手だったのだが、この番組は卓球選手をゲストに招いて、自身の試合を解説してもらうという番組のようだ。これは前記事「本人による解説」で私が望んでいたとおりの番組内容ではないか!すごい、すごすぎる!試合をした本人がどんなことを考え、どんな狙いでプレーしていたかを試合のビデオを見ながら明かしてくれるのだから。

卓球ジャパン

司会の武井壮氏が番組中でこんなことも言っていた。
曰く、人の身体には「ドミナント」というものがあり、手の平、手の甲のどちらかに感覚が偏っているものだと。

「ドミナント」ってなんだ?

辞書で調べてみると、dominant armは「利き腕」の意味、dominant dialectは「優勢な方言」、dominant factionは「主流派」、dominantだけで「顕性遺伝子」という意味があるらしい。「ドミナント」というのがなんとなく分かってきた。

つまり複数のものがせめぎ合っている中で、任意の一つが他のものより優勢に働くということだろう。武井氏はこれが人によって異なっているというのだ。手のひらよりも、手の甲の感覚が発達している人は、加藤選手のようにバックハンドが得意であり、つま先よりも踵のほうがドミナントになっている人は後ろ回し蹴りが上手いということになる。

後ろ回し蹴り
後ろ回し蹴り

こう考えていくと、身体の様々な部位にドミナントを想定することができ、そのドミナントを上手に結び付けてプレーができれば、自分の最大限のパフォーマンスが発揮できると言えそうである。

身体の部位だけでなく、卓球の技術にもドミナントはあるだろう。上回転のラリーよりも下回転のラリーがドミナントになっている人はカットマンに向いているわけだし、前陣よりも中陣のほうがドミナントの人もいる。下半身よりも上半身がドミナントならば、前陣であまり動かない卓球をしたほうがいい? いや、逆に前陣に貼りついていると、ボールが早く返ってくるので、細かいフットワークがより大切になるということもありうる。ドライブよりもミート打ちのほうがドミナントの人もいれば、ブロックやツッツキがドミナントの人もいる。ちっとも上達しないドライブ型の選手がペン粒に転向したとたん、急に頭角を現したなんてこともあるかもしれない。

このように身体の部位だけでなく、卓球のさまざまな打法、技術のドミナントでも「自分の能力特性の分析」をし、自分の特性に応じた卓球をすれば、自分の能力を最大限に発揮できるにちがいない。

瞬撮アクションポーズ

地域のクラブに来ている小学生の女の子(初心者)に卓球を教えてやることがあるのだが、なかなかうまくいかない。わりに筋のいい子で、何回か教えると、フォアドライブが上手に打てるようになった。フォアはある程度安定して打てるようになったので、今度はバックハンドを教えたいと、バックのショートを集中的に打たせてみたのだが、こちらはなかなか上達しない。バウンド直後の早すぎる打点でラケットを当ててしまい、ナックルプッシュのようなショートになってしまうのだ。しばらく続けたが、一向に上達しないので、そこで練習を打ち切らざるを得なかった。というのはその子が途中でやる気をなくしてしまい、休みたがっているのが伝わってきたからだったのだ。

この子はまだ卓球の楽しさが分かっていないようだ。どうして卓球の楽しさが分からないのか分からない。どうしたら子供を卓球好きにできるのだろうか。

先日、若い(といっても30代だが)卓球仲間にこんなことを聞いてみた。

「卓球の練習のある日に、友達との飲み会が重なったら、どちらを選びますか」

その人は「難しいですね…。」とだけ答えたが、私ならもちろん練習を選ぶ。どうして飲み会なんかに行きたいのか、そんな機会はまたすぐ訪れるだろうに(よく考えたら、卓球の練習の機会はもっとすぐ訪れるか)。この人も卓球が好きなのだろうが、卓球狂いというほどではないらしい。

だが、その人の気持ちも分からないではない。私も中年になって、卓球を再開して、はじめのうちは楽しさがよく分からなかったからなのである。卓球が楽しくなかったわけではない。しかし、何ものにも替えがたい楽しみとまでは思えなかった。仕事が忙しいときはよく練習を休んでいたし、大雨が降っていたら、練習を休んだりしたし、卓球以外のレクリエーションにも興味があった。

しかし、今や私の生活は卓球を中心に成り立っていると言っても過言ではない。どうして私はこんなに卓球にハマってしまったのだろうか。

思い返してみると、私が卓球の楽しさに目覚めたのは、ドライブを打つ爽快感がきっかけだったのかなと思う。実戦ではなかなか気持ちよくドライブを打たせてもらえなかったが、練習で相手にバックでブロックしてもらい、ワンコースでフォアドライブを打つと、非常に気持ちよかったのである。はじめは3~4本もドライブを打つと、ミスしてしまい、あまり続かなかったのだが、いろいろ工夫していくうちに10本以上連続して打てるようになってきた(ワンコースだが)。打ち方によってはしっかりと引っかかる感覚が感じられたり、あるいは回転がかかる前に飛んで行ってしまったり。打点を変えたり、スイング方向を変えたり、力の入れどころを変えたりすると、それに応じて多様なドライブが打てる。威力ばかり求めてしまうと、安定性がなくなるので、とにかく何本でも続くような、6~7割ぐらいの力で打つドライブに落ち着いた。これでバック半面ぐらいにボールを散らしてもらってフォアドライブを連打していると、時間があっという間に過ぎていった。ドライブが1本決まるだけでも気持ちいいのに、それが延々と何本も続くのだからたまらない。

ちゅ~る
喩えていえば、こういう気分である

そんなことばかりしていたから、バックハンドや台上はちっともうまくならなかったが、それでも卓球の楽しさを知ることができたのは大きかった。

多くの人にとって卓球の楽しさの入り口は、ドライブを打つ気持ちよさではないかと思う(前記事「「擦る」感覚の習得」「卓球の楽しさの原点」)。相手が上手にブロックしてくれると、ドライブが連続して打てるようになってくる。私の周りには幸いブロックが上手な人がいてくれたので、私はどんどん卓球に惹き込まれていったのだが、社会人の場合、そういう環境がない人も多いだろう。

健太ブロック

ブロックができる初中級者というのは案外まれだと思う。私の周りにもバックブロックができず、バックハンドはすべてカウンターで返す人が少なくない。そういう人はワンコースで続ける練習ができないのか、したくないのか分からないが、2~3往復ぐらいでラリーを断ち切って、打ち抜こうとしてくるのでラリーが続かず、楽しくない。初心者、初級者にとって分かりやすい卓球の楽しさは、ワンコースで延々とラリーを続けながら、自分の技術の信頼性を高め、打法を確立していくことなのではないか。

いろいろな人がいるので、「いや、全面にツッツキでラリーをするのが楽しい」とか「ゲーム形式の練習が最高!」という初心者、初級者もいるかもしれないが、私はワンコース練習が効果的なのではないかと思う。今度、その子と打つ機会があったら、難しいことはさせず、心ゆくまで思う存分ワンコースでフォアドライブを打たせてみよう。




私がよく言われるのは、フォアドライブのとき、振り切っていないということである。自分では意識できないのだが、振り終わったときにラケットが止まってしまうらしい。これをしっかり振り切れるようになれば、動きがなめらかになり、連続ドライブが打てるのだという。

何も難しいことなんかない。ただドライブ時にラケットを途中で止めずに振り切るだけなのである。

「ドライブを打ち始めた体勢から、途中でカットを引け」
とか
「ドライブを相手の台上で2バウンドさせろ」
とか

そういう普通の人ができないような技術ではなく、たんにラケットを止めずに振り切るだけなのだが、私はラリー中にそれができない…。

そんな私にちょうどおあつらえ向きの動画が上がっていた。アープ卓球通信のPVである。




「右肩線上で体を合わせていくと、いつでも芯の力で打てる」

「芯の力で打つ」ということを、要約すると、

「ラケットが腕の延長線上にあり、肘と背中がくっつきながら…体を放り込んで、…軽い力で打てる」

ということらしい。

背中で振り切る

アープ代表の山中氏は「腰で打つ」ではなく、「背中で打つ」ことを推奨しているようだ。そういえば、背中の筋肉は非常に大きく、腕の筋肉に数倍すると聞いたことがある。

林慧卿図1

上の図1のように背中(肩)と腕が直線になれば、軽い力で良いショットが打てるのだという。

私はこれまでフォアドライブを打つとき、下のAのような向きで打っていたように思う。これをBのような向きで打てば、背中と腕が直線になり、背中の力を使えてしっかりと振り切ることができるかもしれない(さらにフォアとバックの切り替えもスムーズに行くという)

背中で打つ図2

だが、体の向きが問題なのだろうか?だとすると、図1の林選手の姿勢の説明がつかない。
さらに上の動画の後半部分は「点・タッチ・スピン」という考え方の実践である。この考え方は動画の説明から判断すると、体の前にラケット待機させておき、決してボールを迎えに行かず、最適な場所までボールを引きつけて打つということのようである。

ラリー中にスイングが止まらず、振り切れるようになるには、体の向きというのも無関係ではないと思うが、それよりも背中の力を上手に使うというところに秘密がありそうだ。だが実際に自分で検証していないので、詳細は分からない。読者諸氏の判断に委ねたい。

【付記】
昨日から続く大雨で九州北部が被災している。これからも引き続き大雨の予想である。
人的な被害は多くないが、それでもインフラや住宅、車などに大きな被害が出ているのだという。
家のリフォームとか車の購入とか、被災した人たちの将来に対する不安は察するに余りある。

北九州の方々にお見舞い申し上げます。


お盆休みで練習も休み。卓球ができない。あ~せっかく先週つかんだ感覚を忘れてしまう…。

しかたがないので、帰省がてら旅行に行ってきた。行き先は横浜、横須賀である。

東京で卓球教室の個人レッスンを受けるというのも考えたのだが、ペン両面のコーチというのがかなり限られている。青春MIクラブの伴誠也コーチ、TOM卓球倶楽部の見目剛廣コーチなどが有名だが、予約をとったり、スケジュールを調べたりするのがおっくうで、今回は完全に卓球なしの旅行になってしまった。日本各地の卓球教室の情報にアクセスできる「食べログ」のようなサイトがあればと強く思った。

以下、私の観光の記録である。卓球は出てこない。神奈川観光を考えている人の参考にでもなればと思う。
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まず新横浜駅で降りて、浦賀を目指す。
浦賀というのはペリーが上陸したことで有名だが、あまり話題に上らない。どんなところか見てみたかった。

横浜駅で京急に乗り換え、浦賀駅に到着。
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なんだか思ったより鄙びた感じだった。ちょっと歩いていくと、海が見え、浦賀ドック(の跡)という入り江があった。
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このあたりに黒船がやってきたのだろうか。

そしてしばらく歩くと、どうやら「ペリー公園」という公園があり、そこに黒船関係の記念館があるということがわかる。ペリーが初めて上陸したのはこのペリー公園のある久里浜という海岸らしいのだが、そこまで4キロもある。浦賀駅ではなく、むしろ久里浜駅で降りたほうがよかったようだ。

ペリー公園を目指して海沿いの道を歩く。風光明媚なところであるが、日差しがきつい。途中のコンビニで休息を取り、丘を上り、トンネルを抜けると、そこが久里浜だった。

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こぢんまりした砂浜があり、大きな観光船が行き来している。家族連れなども来ていて、海水浴もできるようだ。あまり混んでいなかった。

そのすぐ近くにペリー公園があった。
ペリー公園

ただの公園なのだが、一角にペリー記念館がある。入場無料である。そのなかのジオラマがとてもよくできていて、在りし日を偲ばせてくれた。館内の説明も簡にして要を得ており、勉強になった。

それから京急久里浜駅まで歩く。少し距離があった。駅前は浦賀駅よりもずっとにぎやかだった。浦賀駅ではなく、久里浜駅で降るべきだったかとはじめは思ったが、浦賀駅から自分の足で久里浜まで歩いて、実際の距離感を知ることができたので、やはり浦賀で降りてよかった。

京急に乗って汐入という駅で降りる。どぶ板通りを歩く。昼間なので、あまり人が多くない。ハンバーガーの店があちこちにあるが、そのハンバーガーが1個1000円以上する特大サイズなので驚いた。米軍の払い下げ品なども売っていたが、横須賀といえばスカジャン。ちょっと興味があって店に入ってみたが、1着2~3万円もするので、すごすごと立ち去った。

どぶ板通り

どぶ板通りを抜けて、北東に向かうと三笠公園がある。
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はじめは行き方がわからず迷ってしまい、近くのコンビニで道を聞いたところ、米軍基地の入り口を横に抜ける道があり、そこから三笠公園に行けるのだった。

東郷平八郎率いる連合艦隊が日本海海戦で歴史的な勝利を収めた時の旗艦「三笠」。その実際の戦艦を保存したのがこの三笠公園である。
三笠

ガイドさんの説明を聞きながら、日露戦争の往時に思いを馳せた。館内にはVRで日本海海戦を体験できる設備があり、試してみたが、おもしろかった。

近くの無人島、猿島に行く船があったが、疲れ果ててしまったので、また次の機会に訪れるとしよう。近代の歴史を満喫して、満足な一日だった。

その晩はホテルで一泊し、翌朝、横浜の金沢文庫を訪れることにした。

ホテルはシーサイドラインという路線の沿線だったので、「海の公園柴口」という駅から称名寺まで歩く。この「海の公園」というところへは行かなかったが、海水浴に適しているようだった。近くには八景島という水族館のようなテーマパークもあって、家族連れで楽しめそうだった。

称名寺

称名寺は小綺麗にしてはあったが、往時のさびれた寺の風情も遺していて好感が持てた。周りに店などもほとんどない閑静な住宅地の中にある。こんな場所に住んでみたいなぁ。

仁王様
山門の仁王様

境内の端にある隧道を抜けると、
隧道

金沢文庫があった。
金沢文庫

古い資料などを見ると、よく「金沢文庫本」などと記してあるので、どんなところか見てみたかったのだ。中に入ると、思ったよりも小さく、展示も漢籍に偏っており、専門家でもなければあまり楽しめない雰囲気。学芸員さんに所蔵の資料について尋ねてみた。

学「中世期に資料を保存しているところというのが、そもそも貴重だったので、金沢文庫には非常に価値の高い善本が集まっていたんです。そして金沢文庫というのが一つのブランドになってしまい、金沢文庫の所蔵印が押してあればそれだけで価値が上がるという風潮になってしまいました。」

学「その後、北条氏の力がなくなると、金沢文庫の管理をする人がいなくなり、隣の称名寺が管理することになったのですが、戦国時代に力のある大名たちが金沢文庫から価値の高い資料を持ち出してしまい、全国各地に流出してしまったんです。」

し「というと、今現在金沢文庫に残っているのは、保存状態が悪くて、大名が持ち出そうとしなかった本ばかりということですか?」

学「う~ん…。」(一概に言えないらしい)

し「関東には足利学校もありますが、足利学校との交流なんかもあったんでしょうか?」

学「足利学校も金沢文庫から本をごっそり持ち出したんですよ。」

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細かいところでは覚え違いもあるかもしれないが、だいたい上記のような説明だった。細川幽斎の古今伝授の例もあることだし、戦国時代に地方の侍が稀覯本に群がったのは容易に想像できる。金沢文庫というのはブランドとしては一流だが、かつての輝きをほとんど失ってしまったようだ。といっても、国宝に指定された資料がまだ数多く残っている。

以上、一昨年に続き(「鎌倉散歩」)、今回、神奈川県を訪れたわけだが、神奈川県は観光地として非常に魅力的である。卓球教室などが充実していれば、改めて神奈川県を訪れてみたい。


髪結い

●「なに、お前、また別れたのか! 今回はひと月も続かぬではないかい。」

■「う~ん…。見た目は好みだったんだが、付き合ってみたら、ちょっと不満なところも出てきてな…。」

●「彼女、スウェーデン人じゃったろう? あんなすてきに美しい娘のどこが不満じゃ。」

■「きれいはきれいだが、ちょっと体格がよすぎてな。身長なんか177センチもあるし、肩幅なんか俺より広いんだぜ。俺の手には余る。」

●「最近は中国娘と付き合うとると聞いたぞい。」

■「いや、付き合ってるじゃねえが、月に1回食事したり、デートしたりっていう程度の関係さ。」

●「いつまでたっても落ち着かんの。もういいかげん身を固めたがいい。その前はハンガリー人で、その前はドイツ人じゃったか? みなお前にはもったいない女じゃったがの。」

■「それはそうだが、若い娘を見ると、つい気になってな…。」

●「そないなこと言うとるさかい、いつまでたっても結婚できんのじゃわいな。」

■「おきやがれ! 俺は結婚できねえんじゃなくて、しねえんだ。もっといろいろな女と付き合ってみてえんだ。」

●「学生時代に付き合おうてたアコちゃんと縒りを戻したらどうじゃ?天然で、素朴ないい子じゃったがの。」

■「アコちゃんはもう結構な歳だし、手垢がついているというか、新鮮味がねえっていうか…。ときめかねえんだよ。」

●「おまえもいい年じゃさかい、お互い様じゃわいの。誰でも付き合いが長うなれば、新鮮味はなくなってくるもんじゃわい。新鮮味がない代わりにお互いに心が通い合うてな。うちの山の神なんぞ、わしがツーといえば、カーと答えるというものよ。」

■「若い子にはどうしても惹かれちまうんだよ。肌もきれいだし、身体に張りがあってさ、よく弾む。生命力に満ち溢れてるんだ。いっしょにいるだけで楽しいんだよ。」

●「観光地を旅行したり、モールで買い物したり、他愛のないおしゃべりをしたり…、それがどうだというんじゃ。そんなこと、いままでさんざんやってきたではないか? そんなことより、所帯を構えて、車を買うて、子供をこしらえて、家を買うて、苦労を共にするというのが大人になるいうことじゃわいの!」

■「どうも話が通じねえ。唐人と話をするようだ。時代違いも甚だしいぜ。男は結婚しなきゃならねえなんて誰が決めたんだ? 俺は一生結婚なんかしねえぜ。芸能人みたいに生涯独身で、恋人たちともずっと適度な距離を保って付き合いてえんだ。一人の女に束縛されて、ちょっと別の女に手を出したら『浮気だ』なんて言われるのはごめん被る。俺は俺のもんだ。女のものじゃねえ。」

●「まあ、聞かんせ。女の良さいうもんは、新しい刺激のあることでない。長年連れ添えば、お互いに以心伝心でな。茶がほしいと思えば茶が出てくるし、ウトウトしたら、布団をかけてくれる。こういう一体感のようなものは結婚して長い間いっしょに暮らさねばなかなか出てこないことじゃ。こうなると、気が楽で、仕事にも身が入るものじゃわい。」

■「俺は特定の女は作らねえ主義なんだ。新しい女を作ることが俺の生きげえなんだ。そういう生き方があってもいいじゃねえか? それが俺にとってストレスのねえ、最も俺らしい生き方なんだからさ。」

●「どうもお前さんは度し難い。一人の女と定めて、そいつと添い遂げるよさが知れぬとは。ハテ、残念閔子騫。」

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個人的には一本と添い遂げたいとは思うが、もう一本囲っておいて、ときどきそいつとも遊びたい。


全国レベルの学生たちが練習しているところへ監督的な人が「足で打て!」と叫んでいるのを聞いたことがある。しかし、禅問答ではあるまいし、足でボールなど打てるものだろうか。そんなはずがあるわけ…。

いや、もしかしたら、私は脳が衰え、硬化しているから理解できないだけで、実際は足で打球できるのかもしれない。

ネットで検索してみると、あるはあるは。
ゴルフ、テニス、剣道、バスケ、ボクシング…多くのスポーツで「足で打つ」ということが推奨されている。

足で打つといっても、いろいろな解釈がある。

A フットワークを使って、ボールの近くまで行って打つ。
B 手から先に行かないで、しっかりと踏み込んでから打つ。
C 足で床を蹴る力をラケットに伝えて打つ。
D 体重移動で上半身を揺らすことによって打つ。腕の力を抜く。

Aはないだろう。もしAなら「足で打つ」ではなくて「足を使って打つ」になるのではないだろうか。
Bは「手からではなくて、足から動かす」という順序についてである。これは私も最近意識しているので、このBの解釈は私の中では有力である。
Cはゴルフやテニスなどで推奨されている意見に近い。他スポーツでは「腰を入れて打つ」の延長で「足で打つ」ということを言っている人が多いのかなと思う。
Dは体重移動で打つということだが、Cのように足だけでなく身体全体で打つイメージか。

しかし、よく考えてみると、B~Dの内容には重なりがあるように思える。Aだけちょっと毛色が違うが、B~Dはどれも下半身の力をラケットに伝えるという共通点があるように思う。あるいはBをA寄りに考えて、まず足から入るという意味だと考えれば、AとBが部分的に重なってくるように思える。

整理すると、A(あるいはB)は、移動重視ということであり、B以下は打球重視ということである。

このことについてお世話になっているNさんに尋ねてみた。Nさんは長谷川・伊藤・河野選手といった日本の黄金時代の選手とだいたい同世代である。

し「『足で打つ』って分かりますか?どういうことですか?」
N「そらあ、ボールにしっかり近づいて打つことに決まってるやろ」

まさかのAであった。しかし、これはあくまでもNさん(の世代)の解釈であって、もっと若い指導者は別の意味で言っているのかもしれないことをお断りしておく。

N「強豪校の練習いうんは、たいがいフットワーク練習や。それができんことには試合には勝てへん。」
し「フットワーク練習って、例えばフォアに1本、バックに1本をオールフォアで延々と繰り返す練習ですよね。」
N「そうや。フォア・ミドル・バックの3点の場合もあるし、最近だったらオールフォアちごうて、バックハンドも使うんちゃう?」
し「そういう練習って、全国レベルの豪快な卓球には必要かもしれないですが、私たちのような一般愛好家には必要ない練習だと思うんです。フォアからバックまで大きく動いてラリーする前にポイントが決まってしまいますし。一般愛好家のレベルで必要なフットワークってもっと小さいフットワークだと思うんですよ。ミドル処理とか、回り込みとか、フォア前ストップからのバックハンドドライブとか。」
N「わかっとらんな。大きく動けるようになれば、小さいフットワークなんて簡単なんや。大は小を兼ねるやろ。」

フットワーク練習…。
前から疑問だったのだが、どうして上級者はこんな単調な練習ばかりするのだろうか。卓球上達に欠かせない秘密があるのだろうか。

荒ぶる季節
「どうしてみんなアレをしようとするの?」
「アレにどんな魅力があるっていうの?」


そういえば、ぐっちい氏のブログでもフットワーク練習の重要性を説いており(「なぜフットワークが必要なのか」)、その中で次のような説明があった。

動き系を極めてくると全体の技術の動きが速くなってきます。

いつもよりも少し速い対応できたり、動きで追いつくことができる。

フォアもバックも台上もレシーブも速く動けるようになるのでフットワークは強い人によくある全体的なキレのある動きを磨くことができます!(しろの注:改行は適宜削除)

ぐっちい氏は打球に威力が出るということにも言及していたが、私は「キレのある動き」、つまり総合的な反応の早さというところに注目した。

フットワーク練習の意味というのは、素早く「移動する」ことに主眼があるのかと思っていたが、それよりも、むしろ素早く「動き出す」ことに主眼があるのかもしれない。返球されたボールは1球1球深さや左右の幅が違う。それに対応して常に適切な打球位置に移動するにはどうしても素早く動きださなければならない。そして素早く動き出すためには相手が打球する瞬間(あるいは直前)を確認しなければならない(返球される位置はおおまかには決まっているが)。ということは、「動き出す」に先立つものとして「確認」のほうに眼目があるのかもしれない。

優先順位をつけるなら、

確認>動き出し>移動

ということになろうか。そうすると、フットワーク練習というのは足を速く動かす練習に見えて、実は早く相手の打球方向を察知し、素早く動き出し、速く移動するという3つの目的がある練習ということになるだろうか。


さらに打球との関連で言えば、大振りをしていたら反応も移動も遅くなるので、できるだけコンパクトなスイングにしなければならない。そうするとスイングの無駄をそぎ落とすという効果も期待できそうだ。

「卓球は頭を使うスポーツだ」などと言われるが、果たして私は頭を使っているのだろうか。サービスを出す前に

「フォア前に短いサーブを出して、ストップされたら裏面バックハンドでフリックしよう。相手が先にフリックしてきたら、カウンターで強打しよう。」

ぐらいのことを考えないことはないのだが、この程度で「頭を使っている」などと言えるのだろうか。おそらく上級者はこんな簡単なことではなく、めまぐるしく代わる局面で瞬間的に何手も先を読んで1つのポイントを組み立てているに違いない。

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卓球のレベルをどう考えるかについては諸説あると思うが、私は大雑把に3つのレベルを考えたいと思う(もちろん厳密に考えれば、こんなにきれいに分けられるというわけではない)

レベル1:初中級レベル
このレベルではボールを正しく打つというところに重点がある。例えば「横系のサーブを浮かさずにしっかりと台に収めてレシーブできる」「体幹を使って力のこもったショットが打てる」等である。私もこういうレベルの問題を数多く残しているので、強い興味をもっている。

レベル2:中上級レベル
このレベルでは打球と打球をつなぐ技術が問題になる。例えば「どうすればドライブ連打ができるか」「素早くボールに近づくにはどうすればいいか」等である。レベル1でどんなボールでもだいたい安定して返球できるようになったが、実戦ではそれらの技術がうまく機能しない。ほぼすべてのボールに対して間に合っていない。

「おかしい。練習ではちゃんといいショットが打てるのに実戦では全く打てない。」

ここに来て中級者は壁にぶち当たる。そして気づく、打球と打球の合間に問題があるのだと。打球のしかたというのは目に見えるものである。雑誌の写真でラケット面や腕の位置がどうなっているかが参考になるし、ビデオでも威力のあるボールを打つためにどのような姿勢で待っているかというのはわかりやすい。しかし、上級者が打球の前後にどんなことを意識し、どんな狙いで、どうやって足を動かしているかというのは見えにくい。いくら上手な人のプレーを見てもレベルの低い人間には自分のプレーと何が違うか分からない。

「自分のサービスを出した瞬間に相手のラケットの角度を確認し、その方向へ素早く動くんや」

などと上級者や指導者に解説してもらってはじめて気づくのである。自分の観察だけでは分かるわけがない。このような打球と打球の間に隠された秘密が分かってくると、レベル1で習得した打法が実戦でも使えるようになってくる。

レベル3:上級レベル以上
私はこういうレベルに達したことがないので分からないのだが、Rallysの記事で大島祐哉選手がこんなことを語っていた。

大島:「最後はフォアハンドで」と皆さん簡単に言うんですけど、そこまでにいろんなストーリー、シナリオがあった中での最後のフォアなんですよね。ただサーブを出して、(バックサイドに来るボールを)フォアハンドで回り込めば良いってものではない。そこが卓球の奥深さです。

――なるほど。フォアで勝負行く1本にストーリーがあると。

大島:相手にもフォア側にチキータやストップをするなどいろんな選択肢がある。そんな中で、最後に僕がバック側で回り込んでフォアを振るためには、それまでの布石がなければ、絶対に攻められない。そういう戦術、勝負勘が必要なんですよね。

見ている方にはなかなか伝わりづらいと思いますが、回り込んでフォアを振っている時は、常に勝負をかけているんです。

https://rallys.online/person/player-voice/oshimayuya2/


大島回り込み

やっぱりそうだったのか。
上級者はどんなボールでも軽々と回り込んでいるように見えるが、そんなに簡単なことではないのだ。そのためにしっかりと「布石」を打っていたのである。レベルが上がれば上がるほど、相手は自分の回り込みを防ぐ対策を講じてくる。そんな中でも回り込めるというのは相手のボールを自分のバック側に集めるための工夫や戦術が要るのである。

私もよく回り込みをしては失敗するので、「若い人のようなフットワークがあれば…」などと、自分のフットワーク力の低さを嘆いていたのだが、それ以前の問題なのである。たとえ若い人のような脚力、体力があったとしてもおいそれと回り込みなどできるものではない。大島選手ほど身体能力の高い選手であっても、偶然バック側に来たボールをフォアで回り込むなんて「絶対に攻められない」のである。偶然ではなくて、必然を作ってからでないと回り込めないのである。

そしてこれは回り込みだけではなく攻撃全般に言えることだと思う。簡単そうに強烈なスマッシュを打ちこむペン表の人も、きっと綿密な準備をしてはじめてスマッシュを打っているに違いない。
「頭を使う」と言えるほど高度な作戦ではないかもしれないが、自分から攻めるためには中級レベルでもある程度の工夫や仕掛けをした上でないと「絶対に攻められない」。

正しく打球できる(打球単体の)レベル、打球と打球を繋げるレベル、そして最後のレベルは戦術と駆け引きのレベル。この最後のレベルになって初めて真の意味で「頭を使った卓球」というものができるのではないかと思う。私が今から上級者になれるとも思えないので、一生縁のないことかもしれないが、中級レベルでも「頭を使う卓球」というのをいつかやってみたいものだ。

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