しろのたつみ



卓球について考えたこと、
気づいたこと(レベル低いです)
を中心に中級者の視点から綴っていきます。




2019年07月

最近、卓球界に勢いがなくなってきた。

去年の後半から今年の前半にかけてはずいぶんと卓球界がにぎやかだったのに。
Tリーグが始まり、国際大会では伊藤選手や張本選手を筆頭に中国のトップ選手を破る快挙があり、他の日本選手のレベルも高く、「もうすぐ中国と肩を並べる」と思わされたが、ここに来て、日本選手が減速しているように感じる。

無理もない。大会が多すぎるのである。充電する間もなく、次から次へと国際大会が続いては、選手のモチベーションも下がってしまうだろう。選手からすれば、ちょっと立ち止まって自分の卓球を見直してみたいところだろうが、東京オリンピック代表権を獲得するためにはそんなことも言っていられないから、仕方がないといえば仕方がない。今、調子を落としている選手たちは、試合を通して調整しながら、オリンピックに自身のピークが重なるように牙を研いでいるのかもしれない。

そういえば、1年前は何をしていただろう。
そんなことが気になって去年の拙ブログの記事を見ていると…

「あっ!」

ボールを当てる位置」という去年の記事ですでにエラ打球のことを述べているではないか。前記事「ブレードのどの辺で…」を書いているときに、なんだか以前にも似たようなことを書いたような気がしていたのである。これは本当に脳が劣化しているのかもしれない…。
でも、まぁ今回の「ブレードのどの辺で…」は「ラケットを斜め(縦気味)に使う」というのが眼目なので、一歩前進した主張となっている、ということにしておこう。

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今年のハンガリーの世界選手権も日本選手は不完全燃焼だったなぁと思いながら、世界卓球2019の動画を見返してみる。当時はあまり余裕がなくて、結果だけしかチェックしていない試合も多かった。



佐藤瞳選手対王曼昱選手の試合をじっくりと観てみたのだが、すごい激戦だった。今回はこの試合を観てカットマンの気持ちが分かったような気がしたので、それを述べてみたい。

佐藤選手は王曼昱選手の豪打を苦にしておらず、何本でもカットで返球し、互角の戦いを見せる。ゲームカウント2対3で迎えた6ゲーム目は、佐藤選手が終始リードしており、このまま7ゲーム目に入るかと思われた。7ゲーム目に入れば佐藤選手が有利だったと思う。王選手はこれまでさんざんドライブを打たされているので、打ち疲れてくるはずだ。しかし惜しくも9-11で佐藤選手がこのゲームを落とし、負けてしまう。その後、王選手は準決勝まで進み、3位に終わる。

佐藤選手はどんな気持ちなんだろう。
カットマンという戦型では、ベスト4ぐらいまでは行けるが、いくらがんばっても世界チャンピオンにはなれないだろう。1981年の童玲選手が最後のカットマンの女子世界チャンピオンらしいが、これからもカットマンは世界チャンピオンにはなれそうもない。

童玲

「攻撃型にしておけばよかった」と佐藤選手は後悔しているのだろうか。

おそらくそんなことはないと思われる。というのは同じ非主流派のペンドラの私は「シェークのほうが有利だ」と言われても、シェークに戻ろうなどとはこれっぽっちも考えていない。シェークなら面の角度が出しやすく、両ハンドドライブでどこにでも強打しやすい。ペンでシェークと同じことをしようと思うと、いろいろ工夫しなければならない。そういう工夫をしながら「フォアでシュートドライブっぽいのが打てるようになった!」などと、ペンの「障害」を一つ一つ克服していくのが楽しい。勝てるかどうかは二の次である。

非主流派であることが私のアイデンティティーを満足させるのである。

女性に「女性は社会的に差別されたり、いろいろな制限が多いし、男性よりも生きづらいと思うんですが、生まれ変われるとしたら、男性に生まれたいですか?」という質問をすると、たいていの女性は女性が不利なことが多いのは認めるが、それでも女性に生まれ変わりたいと答える。それと同じなのではないかと思う。

カットマンというのは特に女性に人気がある。生物学的に男性は攻撃を好み、女性は攻撃を好まない、というのもあるのかもしれないが、それよりも美学的にカットマンは女性を惹きつけるスタイルなのではないかと思う。「バチバチ速いボールを打ちあっても美しくない。相手の豪打を柔らかくいなすのが最高にスマートだ!」という美意識があるのではないか。カットマンは勝敗よりもむしろ美しく戦えるかどうかにこだわっているように思えるのである。

息をもつかせぬ怒涛のドライブ連打を浴び、フォアサイドからバックサイドまで大きく振り回されながら、台のエンドから4メートルも下げられ、そこから乾坤一擲のバックカットを放つ。

勝った!
時よ止まれ!君は今美しい…。

今までせわしなく聞こえていた打球音、足を踏み鳴らす音、シューズのこすれる音等が一瞬消え、ボールが虚空をゆっくりと一直線に滑っていく。満場の熱い視線はそのボールの行方に注がれている…。

こんなドラマの主人公になれるのはカットマンだけである。このシーンで佐藤選手は「勝った!」と思ったに違いない。卓球の勝負にではない。美しさの勝負にである。たとえ試合に負けてもこのポイントを演出できたことで彼女の中では大勝利である。彼女が攻撃型にしておけばよかったなどと思うはずがないだろう。

佐藤選手の試合を観て、カットマンは、もちろん試合の勝敗も大切だとは思うが、プレーの美しさという点でも勝負をしているように思えた。佐藤選手と話す機会があれば、この辺りのことをぜひ聞いてみたいものだ。

主観と客観は大きく異なることが多い。自分では小さなスイングで打っているつもりでも、はた目には大振りだと思われていたりといったことはよくあることである。思い込みと現実の乖離が甚だしい場合には主観を修正する必要も出てこようが、さして実害がない場合は思い込みを放置しておいても構わないように思う。

何を言っているかというと、これから私の思い込みを話したいと思うのである。現実と一致している保証はない。ただ、この思い込みが多くの初中級者の卓球に裨益するにちがいないと思ってのことである。

黄裏面01
昨日のT2ダイヤモンドで黄鎮廷選手がベスト4進出!

まず、ブレードに補助線を入れてみる。

ブレードを斜めに
図1

私はフォアドライブで漠然と上図のイの線に沿ってドライブをかけようと思っていた。つまり、線イに沿ってボールを転がすイメージでドライブをかけようとしていたのである。実際にはこんなにきれいに真横にボールを通すことなんてできないから、あくまでもイメージである。

しかし、最近はロの線に沿ってドライブをかけたほうが威力が出るのではないかと思うようになり、実際にそうしてみると、スピードが出る。

スイングの軌道を図示すると、ペンならヘッドが下を向いている状態Aから、スタートし、スイングが後半にさしかかったところCでヘッドが上を向きはじめると思う。

スイング図2
ドライブでヘッドがまだ下を向いているときにインパクトしたときと、ヘッドが上を向いているときにインパクトしたときを比べてみると、違いがあるだろうか。私の場合、図2のAやB(ヘッドが下や横を向いているとき)でインパクトすると、大きなトルクが必要で、ボールが重く感じる。逆にCやD(ヘッドが上を向いているとき)でインパクトすると、軽い力で速いドライブを打てるように思う。

これはどういうことだろうか。

おそらくヘッドが下を向いている相で回転をかけると、ボールが図1のイのライン(つまり横)に沿って「転がる」のだと思う(実際の接触時間は一瞬だが)。一方、ヘッドが上を向いている相で回転をかけると、ロのライン(つまり斜め)に沿っていく(あくまでもイメージである)のだと思われる。

これを別の言い方で表現すると、ブレードを横気味に使うか、縦気味に使うかの違いだと思う。ブロックをするとき、ブレードを横(気味)に使うと、ボールの威力に押されやすい。一方ブレードを縦(気味)に使ってブロックすればボールに押されにくくなる。

ブロックだけでなく、ドライブでもブレードを図1のロのラインに沿って縦気味に使った方がいいショットが打てる。
シェークはドライブを打つとき、ブレードを縦気味に使いやすいので、ロのラインに沿ってドライブをかけるのが普通なのかもしれないが、ペンの場合はスイングのスタートが遅く、ボールが自コートでバウンドしてからスイングをスタートしようとすると、スイングの前半のAやBでドライブをかけてしまいがちである。また背筋を伸ばし、体勢が高い状態でドライブをかけると、ブレードを横気味に使ってしまうと思う。スイングのスタートを早くして、姿勢を低くし、スイングの後半のCやDでインパクトを迎えられるようにするのがいいと思う。またインパクト位置はブレードが上を向いているときのスイングの外側のエラの部分(ハ)でこするイメージがいいと思う。回転をしっかりかけるなら、ブレードの先端寄りでかけたほうがいいかもしれないが、(ハ)のあたりでインパクトすると、ボールがよく引っかかる。下回転が持ち上がりやすい(前記事「インパクトの位置」)。

こういうことを思いついたのは下回転ショートサーブを練習していたときである。下回転サーブは図1のイのラインに沿って切るものとばかり思っていたのだが、むしろロのライン(斜め)で切ったほうが短く安定するということに気づいたのである。

裏面ドライブやフリックもブレードの先端を上向きにして、エラの部分でインパクトしたほうが安定すると思う。しかし、黄鎮廷選手の裏面ドライブ(本記事冒頭)の写真を見るとヘッドが下を向いており、ブレードの先端で回転をかけている。やはり私の思い込みは客観的とは言えないようだ。しかし、このような現実を突きつけられても、私は依然としてエラでのインパクトは有効だと考えている。客観的には私もエラ付近でインパクトしていないかもしれないのだが、エラでインパクトしようと意識することによって安定性や威力が増すことは私の経験から否定しがたいものだからである。


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今週、京都アニメーションをめぐる、なんともやるせない事件が起こった。

「涼宮ハルヒの憂鬱」「らき☆すた」「けいおん」「日常」「響けユーフォニアム」
ハルヒ

質の高い作品の数々に私も大いに楽しませてもらった。台湾の総統が「京アニは我々の青春だった」と語ったそうだが、私も共感する。京都アニメーションの社長は工場跡地を公園にしたいと述べたそうだが、この事件は京都人にとっての911テロ事件だと思った。

かけがえのないものが失われてしまった。このような事件が二度と起こらないように私たちも何かしなければならないと思う。

【追記】
張本選手との1回戦より。
こちらはエラの辺りで打球している。
エラ裏面

今日は祇園祭の山鉾巡行。
船鉾

京都の夏の風物詩をのんびり見物してみたいものだが、そんな余裕はなく、ブログの更新もちっともできなかった。

世間ではみんなどうやって練習する時間を作っているのだろう。毎日があっという間に過ぎていく気がする。知人でパン屋さんで働いている人から話を聞いたが、毎日12時間以上働いていて、腕が肩より上に上がらなくなってしまったのだという。それでも仕事を休むことができず、余暇など望むべくもないのだという。一握りの人を除けば、今の日本でゆとりのある生活を送っている人などいないのではないかという気がしてくる。昔はもっと心の余裕や余暇もあったように思うのだが…。

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それはさておき、4~5年前の自分の練習を振り返ってみると、当時は相手にバックブロックしてもらって、ワンコースでフォアドライブを打つという練習が好きだった。ワンコースといっても、常に一定のコースに返ってくるわけではなく、左右数十センチの幅のあるボールが返ってくるし、ボールの深さも微妙に異なる。それをフットワークで微調整しながら全力でフォアドライブを打ち、10往復以上続けるという練習である。腰の入ったフォアドライブが打てるようになってきたので、ドライブの威力が増し、安定性を損なわずにさらなる威力を出すために体重移動のタイミングを調整したり、スイングの大きさを変えてみたりと、いろいろなことを試し、それが自分のショットにどのような影響を与えるかが気になって仕方なかった。

しかし、いつしかそういう練習をすることもなくなり、より実戦的な練習を好むようになった。なぜかというと、そんな豪快なフォアドライブを打つチャンスは実戦ではあまり多くないからである。こちらは一撃必殺?のフォアドライブを打つつもりで構えていても、実戦では台上の段階でパシパシと払われて主導権を握られたり、回り込みが間に合わないようなグッと深いツッツキを打たれたりで、ワンコースフォアドライブ連打練習が生きる場面は限られているのである(意味のない練習だったとは決して思わないが)

アニメの中では、正義の味方が華麗な変身シーンで長々と踊りながら変身したり、必殺技の名前を唱えて決めポーズをとっている間、敵は攻撃せずに待っていてくれるが、卓球ではそうはいかない。
SMR変身
こんなのが7~8人分続いたら、5分ぐらいかかると思う。

こちらのロングサーブを相手が長めに返球してきた。台からちょっと下がって

「よし、ここで全力でフォアドライブだ!ぬぉ~」

と打点を落としてバックスイングを大きく振りかぶっている間に相手はブロックできる位置に移動を終え、万全の態勢で待っている。その渾身のドライブはわりと簡単に止められてしまい、こちらが慌ててそのボールを棒球で返すと、今度は相手が攻撃する番になっているのである。

台から離れて時間的な余裕のあるラリーなどしていては試合で勝てない。前陣でちゃっちゃか早いピッチで攻撃したほうが私のレベルでは勝ちやすいと思う。
目下の課題はいかに戻りを早くして、相手のフリックやツッツキを狙っていくかである。こちらがしっかりとポジショニングを終えて打つ準備も整った段階でちょうど打ちごろのゆっくりした下回転が返って来るなどというおいしいシチュエーションはなかなかない。実戦では常にどこに打たれるか分からないボールを警戒しながらの自転車操業だということをしみじみと感じる。

そういう意識が芽生えるとともに、自分の手打ちが気になってしかたなくなってきた。今まではあまり意識していなかったのだが、台上でふいに甘いボールが来たときなどに、つい手打ちをしてしまうのである。今までもとっさに手打ちをすることがよくあったと思うのだが、それが最近、妙に気になってしかたがない。ドライブやフリックだけでなく、ツッツキでさえも「あぁ、また手打ちしてしまった…」と後味の悪さを感じることが多いのである。

この後味の悪さが意識できるようになったのは大きな進歩だと思う。課題さえ見つかれば、解決するのはそれほど難しいことではないからである。

初めまして。うどんと申します。初めて寄稿させて頂きます。

10代後半で、中高の部活で5年ほど卓球をやっていました。

私にとっての「初中級者」というのが、部活動の一環で見た同校、又は他校の学生をベースにイメージしているので、できるだけ初中級者全体を意識して書こうと努めましたが、偏りがあることをお断りしておきます。

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 現在、ネットの普及の影響で、かつてよりも多くの人が卓球技術に関する情報を発信できるようになった。そしてその多くのものが、かなり範囲を狭めた限定的なシーンについての技術説明である。例えば、「バック前下回転に対するチキータでは、肘を支点にして横から擦って打つ」というものだったり、「バック側のロングボールに対しては手首を支点にして若干押し出すように打つ」というものだったりする。

 こういった説明はつまり、各技術の「相違点」に着目して、それぞれの技術に対して「チキータ」「下回転に対するフォアドライブ」などといった名称をつけているわけである。このようなそれぞれ別の技術を組み合わせていく「卓球」というのが、現代の卓球界の共通認識であるように思える。

 しかし、バックドライブのレベルが非常に高い選手なら、チキータも上手なのがふつうである。別個の技術を組み合わせるのが卓球という認識では、このことを説明できない。

 この点について私が思うのは、バックドライブとチキータには非常に大きな「共通点」があるという仮説だ。これらの技術を別々の名前で呼ぶことは「相違点」ばかりを強調して「共通点」を隠してしまうのではないかということである(バックドライブとチキータというのは例にすぎず、他にもあらゆる技術同士がこのような共通点を持つ関係にあると思う)。もっと全体的な、アバウトな捉え方が必要ではないだろうか。その捉え方が「共通点」に着目する技術認識である。

 例えば、「チキータ」と「下回転に対するバックドライブ」と「上回転に対するバックドライブ」と「バックフリック」と「バックブロック」、これらを全て、「バックハンドで上回転をかけて返球する打法」というふうに、「共通点」からとらえてみる。そう考えることで、各技術の細かな相違点に着目していた時よりもずっと卓球の根本的な部分が見えてくる。その根本的な所こそが、初中級者の全面的な技術上達に必要なことだと私は思うのだ。

 この「共通点」の設定方法は多岐に渡る。「バックハンドで上回転で返球する方法」というのは、自分がどちらの面で何回転をかけるかという点に着目したものである。

 これ以外にも例えば、相手から送られるボールの回転に着目して考えれば、「フォアツッツキ」も「下回転に対するバックドライブ」も、両者共に「相手の下回転に対する打法」と考えれば、共通点が見えてくる。

FH push


BH drive


一見無関係に見えるこの二つの技術も互いに、下回転のボールのバウンド後の変化が見えていなければ成立しないという意味で、共通する部分もあるのだ。

 このように、点としてバラバラに存在する各技術の「共通点」を探し、その共通点の設定の仕方を様々に工夫していくことによって、それぞれの技術に関係性が生じて、体系的に卓球技術を把握することができる。点ではなく、線、平面あるいは立体的な形での技術認識によって、自分の卓球と目指しているプレーの違いがはっきり分かってくる。それは初中級者が目指すべき、卓球の「全面的な実力向上」に繋がるはずだ。

  この「共通点」に関しての私の考えは、言葉にすれば余りにも当たり前であり、また、センスのいい人や上級者は実感として理解できるものであって、余り意識されていないように思う。勿論、現在主流の各技術に対して細かいアプローチをしていく指導方法には大変有意義な面もあると思うのだが、この指導では所謂不器用な選手が成長しにくいように思う。

 センスのいい人、あるいは上級者は「共通点」を無意識に心得ており、個々の技術の違いを補うことができるからこそ、技術全般が安定してレベルが高いのだと思われる。しかし、無意識で当たり前だからこそ、上級者層の意識は細かな「相違点」に向いており、「共通点」は意識に上らない。しかし、初中級者に必要なのは、「共通点」、他の言葉で言えば、「基礎力」なのである。

  上級者の技術の「共通点」に対する考察がもっと盛んになって、初中級者本人、又は初中級者層に指導などの形で関わる人(中高の顧問の先生や先輩たち)がそれを理解して、今よりもっと立体的な技術認識を行なっていけば、従来の指導法で伸び悩んでいた不器用な選手にも自身が目指すべき道が見えてくるのではないだろうか。そしてそれは、初中級者層の全ての人の卓球に対する可能性が広がることを意味すると思うのだ。

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